資料 関電だけじゃない、原発あるところに「第2の森山」必ずあり
10月4日、大阪で開催された、「れいわ」大西つねき氏と立命館大学・松尾匡教授との対談集会に参加。会場は200名の参加者であふれ、女性や若者の参加者が多く、これまでの左翼の集会とはあきらかに雰囲気が違っていて、「れいわ」への期待の大きさを肌で感じた集会だった。
10月から始まった消費税10%だが、消費税0を打ち出しているのは野党の中で「れいわ」だけで、その立ち位置が最も分かり易いのが、この消費税に対する立場だ。
国の借金が1000兆円と財政がひっ迫する中で、立憲も他の野党も社会保障費の財源として消費税の引き上げに正面から反対できていない。消費税引き上げの3党合意を行ったのがほかならぬ民主党政権下だったこともある。
消費税を引き上げると日本経済はどうなるのか。GDPに占める個人消費の割合は、およそ55%〜60%とされ、日本経済の再生はどうすれば個人消費を増やすかにある。ところが消費税増税は確実にこの個人消費を冷え込ませる。そもそも日本経済の一番の問題は、どうすれば個人消費を増やせるのか(デフレ脱却)で、そのために6年間もアベノミクスを続けてきたが、一向に好転の兆しは見えてこない。
これ対して、消費税をゼロにすれば、その分の20兆円は、物価が下がるわけだから、財政出動と同じ効果がある、社会保障費として20兆円が必要なら、あるところから取ればよい。法人税の累進課税だ。安倍政権は一貫して法人税の軽減を図ってきた。企業側が過去最高利益を上げることができる社会を安倍政権は作り出してきたが、企業がそこまでもうかっているならその分の税率を引き上げて財源に当てるという、きわめてまっとうな税制が取られてこなかった。そのことこそ問題にすべきだ。
もう一つの財源が新規国債の発行だ。新規国債の発行まで踏み込んだ「反緊縮」の財政論を持っているのも「れいわ」だけだ。この「緊縮か、反緊縮か」が、これまでの「右か左か」に代わる、政治の新たな分水嶺となるかもしれない。景気が悪い時には金利が下がるので新規国債を発行し、景気が良い時、インフレの上限に近付けば税で対応する。「れいわ」には、このような柔軟さもある。
いまの政治で肝心なことは、どうすれば生活に苦しむ人たちの生活を楽にできるのかだ。政治の役割はそこにあり、政治の力で世の中は変えることができる―山本太郎のこのメッセージほど希望を与えるものはない。今、圧倒的多くの人々が政治の力を信じることができていない中で(50%の棄権はその証だ)、この人たちに、政治は変えられるという声を届けることができるのか。「れいわ」からますます目が離せなくなってきている。
主張
参院選以来、安倍自民による「改憲」への動きが例年にも増して執拗だ。今臨時国会でも自民党は、「憲法審議」を最大の焦点として提起し、国民投票法改正案の成立を図ってきている。
その本気度は決して低くないと思う。今、野党、国民の側に問われているのは、これに最大の危機意識を持って立ち向かうことではないだろうか。
■今なぜ「改憲」なのか?
安倍自民がこれまでになく「改憲」に「本気」なのはなぜだろうか?
国民がそれを求めているからか?
そうでないのは、各種世論調査を見るまでもなく明らかだ。
事実、先の参院選で自民党が掲げた「憲法問題」は、争点にはならなかった。
広く国民が求めたのは、生活の問題であり、経済問題だったと言える。
参院選で、山本太郎の「れいわ新選組」が注目を集め、その演説会場が異例の熱気と盛り上がりを見せたのも多分にそのために他ならないと思う。
では、今なぜ「改憲」なのか?
それについて、安倍首相は、今臨時国会の所信表明演説で、「新しい国づくり、その道しるべが憲法」だからだと説明した。
■変わった米国の「改憲」への姿勢
今、「新しい国づくり」が求められていること自体は事実だと思う。
苦しい生活、行き詰まった経済、人々は、現状を変えることを要求している。
そしてそれは、今に始まったことではない。この十数年来、引き続き表明されてきた日本国民の切実な願望だ。
安倍首相がそれに応えようと、今回、「新しい国づくり」とその「道しるべ」、憲法の改正を提起してきたのでないのは、安倍政権「七年」の軌跡を振りかえるまでもなく、明らかだ。
では、誰のため、どういう「新しい国づくり」をしようとしているのか。
そこで想起されるのは、かつて安倍首相が口癖のように言っていた「日本を取り戻す」、軍国日本の復活だ。
確かに、これまでの改憲策動ではそうだったかもしれない。だが、今回は少し様子が違う。
これまで、日本の改憲への動きに対し、米国は、むしろ抑制的だったと言える。
米国にとって、「軍国日本の復活」はさほど必要でなかったのではないか。それより「安保で日本を守ってやるから、日本は米軍に基地を提供し、カネを出せ」。歴代自民党の改憲への動きが不調に終わってきた根因には、野党や国民の反対とともに、こうした米国の姿勢があったのではないかと思う。
しかしこの間、米国の姿勢には、明らかに変化が生まれてきている。それは、大統領トランプの言動に如実に現れていると思う。
トランプは、参院選を前に、日米安保の「破棄」や「改訂」を云々しながら、日本が「自分の国は自分で守る国」、「米国有事に際しては、米国とともに戦う国」になることを求めてきた。「対イラン有志連合への日本参加の要請」は、まさにそのことに他ならないのではないか。
これは明らかに、安保双務化への要求であると同時に、その基礎となる「九条改憲」への要求だ。
■「新しい国づくり」をめぐる闘いの決戦場
今日、トランプ大統領の登場とともに進行する米覇権のあり方の転換、即、グローバル覇権からアメリカファースト覇権への転換は、戦後の日本政治の二本柱、憲法と安保の改訂、すなわち戦後政治自体の転換を求めてきていると思う。
それが、日本国民が求める「新しい国づくり」や「戦後政治の転換」とはまったく異なり、真っ向から対立するものであることを銘記する必要があると思う。
実際、米国の要求は、日本を「米国とともに戦争する国」にするのに止まらない。それは、日本の国のかたち、あり方を米国と同様のものに変え、それをアメリカファーストに全面的に組み込むものだと言うことができる。
今日、日本の軍事、経済の米国のそれへの組み込み、融合一体化はすでに抜き差しならない段階にまで至っている。自衛隊のあり方は、その装備、基地の配備から組織、行動様式に至るまで、米軍の指揮の下、日米共同の覇権・侵略戦争を遂行するためのものになっており、日本経済のあり方も、「世界で一番企業が活躍しやすい国」を目指す安倍政権の下、米系外資の雪崩を打っての日本経済への参入をともないながら、日米経済の融合一体化の様相を呈している。
改憲、安保改訂による「新しい日本」「日米新時代」は、その総仕上げであると同時に、共同覇権行動への新たな出発になるのではないだろうか。
米ファースト覇権戦略は、今、世界的範囲で全面化してきている。「米中百年冷戦」など中ロとの覇権抗争、対イラン制裁、シリア、アフガン戦争、香港、カザフスタンなど「民主化・カラー革命」、そして欧州、南米の「右派ポピュリズム・自国ファースト」との連携、等々、枚挙に暇がない。
そうした中、東北アジアにおける戦争と敵対から平和と繁栄への時代的転換は、南北朝鮮と米国の社会主義・統一か朝鮮の「改革開放」・資本主義化・アメリカ化かの攻防をともないながら、米ファースト覇権戦略の重要な環になっている。
朝鮮ファーストのアメリカファーストへの組み込みと東北アジア全域への米ファースト覇権、それによる対中国包囲網の形成を目論むこの戦略において、日本ファーストとアメリカファーストの融合一体化が持つ意味が何であるかは容易に推し量ることができるのではないだろうか。
アメリカファーストを受け入れ、それに従うのが「国益」だと、そこに喜んで組み込まれる「ファースト」が、アメリカファーストの従属物、犠牲物、「偽のファースト」になるのは、米国益を世界中に押しつけて回るトランプによる「ディール」や「制裁」の実態を見るまでもないと思う。
今、日本は、米国の要求による「新しい国づくり」か、それとも、日本国民が求める「新しい国づくり」かを決する岐路に立たされていると思う。
国民か米国か、誰の意思でこの国の進路を決めるのか?この決定的時点にあって、米国の側から突きつけられている基準こそ「憲法」なのではないか。憲法を変えて「新しい国づくり」をするのか否かということだ。
これに対し、国民の側はどうすべきか。そのような問題の立て方自体を拒否し、経済問題など、別の土俵をつくって闘うようにするのか、それとも、これを奇貨とし、ここを先途と改憲阻止の闘いを「新しい国づくり」をめぐる闘いの帰趨を決める決戦場にするのか、そのことが今、決定的に問われていると思う。
■闘争勝利の鍵はどこに?
今臨時国会にあって、「憲法問題」に関する論議は、とても高まっているとは言えない。参院選の時の延長だ。
これは安倍政権にとってどうなのか。思うつぼなのではないだろうか。事実、参院選後、安倍首相は、その「勝利」をもって、国民の自民・改憲案賛同を根拠づけた。
改憲が日本にとって良いことかどうか、議論を尽くすことは、安倍自民にとって望むところではないと思う。議論を尽くさず通してしまってから、それを国民の意思として強行するところにこそ安倍首相、いや米国の本意があるのではないか。
今問われているのは、「新しい国づくり」をめぐり、改憲阻止をそのための決戦場として、広く国民の間に改憲の是非を問う論議を起こすことだと思う。
改憲阻止の議論を起こすためには、改憲が日本にとっていかに有害であるか提起するだけでは決定的に不足していると思う。より切実なのは、「新しい国づくり」のため、憲法を守ることがいかに大切かを提起することではないだろうか。これがなければ、改憲阻止の論議が広く国民的な論議になることはあり得ないのではないか。
この一見矛盾した問題を解く鍵はどこにあるか。それについて最後に提起するとすれば、現行憲法が「軍国日本」の覇権と戦争のもっとも徹底した総括であること、それが戦後七十有余年、蔑ろにされ続けて来たこと、そして、東北アジアが平和と繁栄への時代的転換の時を迎えている今日、憲法を実現することがもっとも切実に問われて来ているのではないかということ、そうした観点に基づいて、「新しい国づくり」や防衛のあり方など諸問題の解決を図っていくところにこそ日本の未来があるのではないかということだ。
議論
前号の主張「改憲阻止の大攻勢!」について、読者の方から次のようなご意見がありました。
「主張を読ませていただきました。個別の論はうなずけますし、真っ当です。ただ国内の状況と、アメリカの改憲督促についてはもう少し分析の要があるのではないでしょうか・・・。
来る総選挙では改憲阻止ではなく、経済課題が正面争点となるように思います。
野党連合の旗印は改憲阻止ではなく、生活課題です。しかし、その成否によって改憲が決まります。そういう意味での啓発論文として大きな意義を持つものとして読ませていただきました。」
このご意見にもとづき論議を深めることができればと思います。
■生活が第一、しかし改憲で国の在り方が変わる
たしかに国民は、憲法は現状で良いと考えているので、改憲問題よりも、切実な生活、社会保障問題にもっとも関心がいっていると思います。
しかし、問題は、安倍政権が切実な生活問題で更に国民に負担を押しつけながら、日本の国の在り方を根本的に変える改憲を前面に掲げていることです。安倍政権の目指す改憲憲法は平和憲法の否定であり、それにより日本がアメリカとともに戦争する国になれば、無権利と収奪が極度に強まり、国民の生活はさらに悪化することでしょう。
安倍首相は「参院選で改憲を掲げた自民党が勝利したゆえ、国民は改憲を支持した」とし、内閣改造で改憲に取り組む態勢を整え、10月臨時国会で改憲論議を憲法審査会でおこなおうとしています。三分の二以上の賛成で、改憲発議は衆院では確保されており、参院も無所属などを合わせると確保される可能性が十分あります。
こうした時に、生活を争点にし、そのうえで改憲阻止闘争を進めるというのでは、取り返しのつかないことになりかねません。生活次元での大衆闘争を起こす一方、国のあり方をめぐる反改憲闘争を今、行っていかなければと思います。もちろん野党連合は反改憲よりも生活課題の方が実現可能ですが、それで改憲阻止ができるかどうかは別問題です。
今、野党は改憲阻止ではなく関電問題の追求に力を入れています。このまま憲法論議がおろそかになれば、安倍政権の目論見通りになりかねません。安倍・自民党の狡猾な手法に注意しなければならないと思います。
■安倍政権の狡猾な手法
自民党は、「いつでも改憲提議の国会決議はできる、しかし、それを強行すれば国民投票で否決される可能性がある。だから、九条を支持し自衛隊は専守防衛で良いという国民をいかに改憲賛成にもっていくか」に最大の神経を使っていると思います。
そのために、安倍首相は徹底したごまかしの手法を使っています。何よりも、何のための改憲かということを明らかにせず、改憲ムードを演出しています。 安倍首相は、「令和の新しい時代の国づくりの道しるべ」が必要だと施政演説で述べましたが、ではなぜ現憲法を変えなければならないのか、何も言っていません。国民は、格差が拡大し、少子化と地方消滅がすすみ、社会が閉塞状態にあるなか、新しい日本を望んでいます。だから、安倍首相のいう「新しい時代の国の道しるべとして憲法を論議しよう」ということに多少なりとも心が動くのではないでしょうか。
安倍首相の意図は、改憲により日本の在り方をアメリカともに戦争をする国、アメリカと融合しアメリカファーストと共に生きる国にするところにあります。しかし、その本心は言えないので、ただ「新しい時代の新しい国づくりの道しるべ」というあいまいなことを言って何とか国民を騙そうとしているのではないでしょうか。
さらに、国会で改憲論議をやろうと言いながら、実際は改憲の是非について論議させようとしていません。国の在り方についての論議ではなく、改憲を前提にした論議しかありません。これでは改憲ムードをつくるだけになります。
また、緊急事態、合区解消、教育充実など国民受けするテーマを条項に加えて、目的である9条改憲をあいまいにするという手法を使っています。
そして、9条1項・2項をそのままおいて3項として自衛隊を明記するという加憲の手法が使われています。自衛隊は現憲法下でおおかた認知されており、自衛隊の明記にそれほど抵抗感はないといえます。改憲しても別に構わないのではないかと受け止められる可能性が十分にあります。
しかし、現在の自衛隊は専守防衛の自衛隊ではなく、アメリカのもとで攻撃能力をもち、攻撃態勢をとった戦力であり、交戦権もアメリカが左右します。そうすると、第2項の戦力不保持、交戦権否認がまったく意味のないものとなります。
結局、加憲というのは、すでに認知されている自衛隊を明記するというのではなく、アメリカのもとで敵国攻撃し、戦争するのを認めるということになります。このように、安倍首相は国民を愚弄し、いかに本心をごまかしていくかに徹しています。
今、国民がもっとも要求しているのは、新しい時代に相応しい国の在り方を示して欲しいということだと思います。
安倍政権が改憲でめざすのは日米が軍事経済的に一体化した日本です。日米一体の日本、アメリカのもとで戦争する日本になれば、平和と繁栄の兆しの見える東北アジア、新しい政治を求める時代の流れに逆行し、アメリカファーストにいいように利用されるだけの国となってしまいます。
だからこそ、安倍政権の改憲策動を阻止していかなければと思います。
■自国憲法を尊重し9条平和国家の日本をめざし
では、安倍改憲による「新しい日本」と対置できるのは、どういう国の在り方でしょうか。それは、アメリカが弱体化し朝鮮半島の軍事分界線を挟んだ敵対関係が解消され、東北アジアが平和と繁栄、友好の新時代をめざしている中、アメリカファーストに従う日本ではなく、自国憲法を尊重し、アジアとともに発展していく九条平和国家の新しい日本だと思います。
国民皆が共通して願う第一の国是は戦争をしないことであり、それをこの上ないかたちで体現しているのが現憲法に他なりません。
その具体的表現が9条第2項の戦力不保持と交戦権の否認です。すなわち、日本は自衛権をもち自衛武力をもつが、他国にたいする攻撃、戦争は絶対しないという誓いです。
この第2項ゆえに、日本はこれまで「戦争しない国」となれていました。しかし、米軍基地を置き、侵略戦争を行う米軍を支援するのであれば、「戦争する国」になっているのと同じです。実際、朝鮮戦争、ベトナム戦争、アフガン・イラク戦争に日本は荷担してきました。つまり、これまで平和憲法が日米安保により否定され、日本は事実上、「戦争する国」であり、真の主権国家足りえなかったのではないでしょうか。
安倍改憲がアメリカに日本をまるごと献上するものであり、トランプの日米安保改定要求が日本を「戦争する国」にするものだとしたら、真の新しい国家のあり方は、国の主権を取り戻し、自国の憲法を国の根本原理とし、その精神を実現していく尊憲自主の日本であり、九条平和国家だと思います。立憲主義の今日的内容は、アメリカよりも日本国憲法を優先させる尊憲自主だと言えると思います。
9条は過去の侵略戦争の反省から不可欠だったのみならず、平和と繁栄、友好の新時代を迎えアジアとともにすすむ新しい日本の指針として必要だと思います。だから、単なる護憲ではなく、アメリカより自国憲法を優先させ実現する尊憲自主、九条平和国家が新しい国の旗印になるのではないでしょうか。
これまで、アメリカにたいし何か物を言うことは一種のタブーとなっていました。しかし、アメリカの言いなりになり、「自国の憲法よりアメリカ」で、独立国と言え、国の体をなしていると言えるでしょうか。
自国の平和憲法をなによりも尊重し、それを基準に政治をおこなってく日本、それが新しい国の在り方だと思います。そうしてこそ、平和を確固と守ることができ、他国との友好関係を築き、アジアの尊敬を受けることができます。
戦争する国、侵略国にだけは絶対になってはならないという歴史の教訓を、今こそ、生かしていく時です。そのために、アメリカにたいし自国憲法を尊重していく尊憲自主、九条平和国家を旗印に闘うことだと思います。
時事
前号の論文を百枚刷って周囲に配る社会実験をしてみた。そんなものをまいて嫌われるかもと心配しながら。幾人かの人は「この通りと思います、周囲に回します」。一方、あなたの論はおかしいですよ、という否定的反応は残念ながら!皆無であった。内心、苦々しく思っている人があったかもしれないが。そして大部分の人は無言で受け取り、反応がうかがえない(と言うより、反応が無いのだ)日本人は論議がへたなのか?!きっと隣国の人々なら喧々諤々になるだろう。
自主の時代にあって、香港の運命は、デモ支持或いは香港政府&中国政府支持の香港人も含めた全・中国人民が決めるものだと言う至極当然の結論に落ち着くしかないだろう。
■あまりにひどいデモの暴力
前号でも触れたが私達も過去には、米軍燃料輸送や戦車輸送を阻止することがベトナムの友の犠牲を減らすと信じて実力闘争に参加した。しかし、通行車両・通行人・記者などに暴行したり、ましてや重傷を負わすなどはしなかった。ところが香港のデモ隊は平気で暴力をふるって写真のような超重傷を負わせてしまっている。議事堂や空港に負わせた損害は本当に請求が来たら、大変な事になるだろう。
警察が実弾を撃ったと言われている。その時の映像は武器を持ったデモ隊に警官が囲まれ、今にも叩きのめされそうな状況だ。これを見た日本の警察幹部や警察庁長官は「やむを得ない、適正な銃器使用」と言うだろう。日本の警察は連帯労組不当弾圧で、絶対許されない事を行い続けている。しかし、あえて言おう。その警官に対してであっても、命と人権を奪うような「闘争」などあってはならない。香港の「民主派」はそれを平気でする。
■やっぱり見えてきた外国、特に帝国主義の干渉
幸福実現党が香港支援に入っているそうだ。キリスト教を装う反共カルト集団も反中国キャンペーンをやりだした。アメリカ領事館の複数の車両がデモ隊に支援をしているらしい写真もロシア筋から提供されてきた。ある新左翼系新聞も、チャンと言う人が「香港は国際左派運動として、資本主義国の支援を受けつつ欧米とは一線を画して・・・」と言っているかのような支援記事を載せだした。しかしそのチャンと言う人物はアメリカ大統領官邸と密接な関係者で、アメリカCNNの幹部であった。そんな人が「国際左派」の顔をしているのをどうして信用できるのか?!見抜けない「新左翼新聞」も落ちぶれたものだ。
■しかし帝国主義の企みはうまくいかない
国慶節という中国最大の祝日を前に、とんでもないデマ情報が流れた。「安倍首相が台湾のほうに祝辞を送るらしい」と言うのだ。しかし、見事に外れた。安倍首相のような極右傾向の人物ですら「中国唯一の合法政権である中華人民共和国の建国70周年をお祝いし、これからも良好な関係をお願い申し上げます」と言う祝辞を習近平主席に送ったのだ。最大の帝国主義であるアメリカも「なるべく平穏に」としか言えない状況だ。民主化デモ200万人の根拠も疑わしくなってきた。中国人民はあの強大凶悪な日本軍の支配に終始屈しなかった。そんな抵抗実績の有る民族だから、もし中国の政策に香港人民の多数が反対しているなら、とっくに香港政府が転覆されているはずだ。そもそも凶悪な政府を転覆した事もない、加害の責任も問えない日本からゴジャゴジャ言っても雑音でしかない。あえて断言は避けるが、14億中国人民の勝利は疑いようがない。じっくり見ようと思う。
編集部
9月28日、今年二回目の勉強会が、「アジア新時代研究会」と「1%の底力」の共催により行われました。
今回の勉強会は、昨年10月の「コマプレス」製作<東日本大震災―東北朝鮮学校の記録2011・3・15−20>の続編、<アフタースクール>の上映会でした。
<アフタースクール>は、学校の再建に取り組む東北朝鮮学校の約2年間の記録です。しかし、取り立てて、その記録を追ったというものでなく、全壊状態の学校の解体作業、寄宿舎を仮校舎として授業をする生徒たちの日常、教師と子供たち、父母の日々の姿を静かに映し出しています。
取り壊されていく学校をフェンス越しに見つめる低学年の生徒たち。「ハッキョアー」(学校よー)と無邪気にふざけ合いながら学校に呼び掛ける3人。ここで監督のホローが入る。
「ここではこんな感じにふるまっているが、取り壊しが決まった時には通学バスの中で泣きじゃくっていたそうです」。二段ベッドが垣間見える寄宿舎を教室にしての不自由な授業の中でも、東北の山奥(仙台市太白区八木山)にある、皆が一家族のような「ウリハッキョ」(我が学校)の再建を皆どれほど心待ちにしていたことだろうか。
しかし、先に言えば学校の再建はならなかった。必要な書類はすべて揃えて手続きを行ったにも拘わらず、日本側の行政の手違い=書類の見落としにより補助金が出ず(これまでの対朝鮮学校への無慈悲とも思える切り捨て政策を鑑みれば、単なる手違いとは考えにくいが)、また生徒数の減少や教師の転出など、震災や人災が重なっての事情により、新校舎の建設は断念せざるを得ず、4棟の寄宿舎のリフォームによる再出発となります。
映像では解体の様子が淡々と映し出されており、この結果までは出てきていないのですが、再建にむけての尹校長を始めとする先生たちの努力、父母や・地域同胞・全国同胞からの支援、不自由な学校生活を強いられながらも明るく、前向きに生活している生徒や教師たちの姿は、声高に何かを訴えるよりも、日本行政のあり方、日本人としてこれでいいの?という問いかけを私たちにしてきました。
以前朴監督が「アジア新時代と日本」紙に寄せてくれた文章の中に、「在日朝鮮人の歴史は<偉人>たちの歴史ではない。それは<小さきもの>たちの歴史である。どちらかと言えば日の当たらない影に生き、日々の生活に追われながら、その人自身と家族、地域同胞社会のために生きてきた人々の来歴が、われわれの歴史の大部分である。<小さきもの>たちの記憶や出来事は、そのほとんどが表現<以前>の、形態<未満>の、それこそ<ため息>のようなものとして、記されることなく人々とともに時間の彼方へ失われてしまう。形態なき<ため息>を記録するためにはどうすればよいのだろか。」という一節があります。
前回の、大震災という出来事直後の記録と違い、嵐が過ぎ去った後の日常にもどった学校の記録である<アフタースクール>は、ある意味淡々として、時にはじれったいほどの場面もあるのだが、この文章を読み直して、「あー、監督たちは表現<以前>の、形態<未満>の小さきものたちの<ため息>を拾おうとしているのだという事がスッと腑に落ちました。
それは司会の「監督にとって記録することの意味はなんですか」という質問に対し「声にならない声、無数の発話されていない証言を残すこと」という監督の答えからも分かるものです。それはまさに「小さな声、低い視線」をモットーにする「コマプレス」にしかできない作業であり、大変貴重な仕事であると再認識した勉強会となりました。
上映の後には、監督のお話、参加して下さった在日のかた、日本の方たちによる感想や監督への質問などの時間がもたれました。監督からはより環境が整えられた寄宿舎をリフォームした新しい学校のこと、生徒数が17名になっていること、あの時小さかった子供たちが朝鮮大學の学生になり、「無償化裁判」で出会ったこと、このような場所で出会う事の複雑な思いなどが語られました。最後に参加者からのアンケートを紹介して報告を終えたいと思います。
・生徒の目線をずっと追っていく姿勢に感銘を受けました。知らなければそれですんでしまう現実を、静かに捉え続けて下さい。
・今、社会では歴史的事実をなかった事にしようとしている中、貴重な映像を本当にありがとうございました。
・(記録に)残すことの大切さを改めて感じました。
・次の作品を待っています。
資料
関西電力の原発マネー還流事件は、改めて原子力行政のいかがわしさを思い知ることになった。電力会社、地元有力者、工事業者の腐敗のトライアングルは、関電だけの問題ではあり得ない。原発あるところに、"第2の森山栄治"(福井県高浜町元助役=今年3月死去)がいるはずだ。ところが、経産省は電力各社のゆる〜い調査でフタをしようとしている。
経産省は9月30日付で、関電を除く電力会社9社と、電源開発、日本原子力発電、日本原燃の計12社にコンプライアンスの徹底を通達した。各社は、自主的に関電と類似の事例がないか調査していたが、4日の会見で菅原一秀経産相は「すでに12のうち8社からは、このような事案はないとの回答があった」と言ってのけた。わずか数日の自主調査で"シロ"認定は早すぎる。
どういう調査で「問題がない」と言い切れるのか。各社の調査実態を検証するのかと問うと、経産省は「今のところ考えていない」(資源エネルギー庁の電力・ガス事業部政策課)と答えた。まるでアリバイ調査だ。
「原子力資料情報室」事務局長の松久保肇氏が言う。
「経産省は関電だけの問題で片付けようとしています。地元有力者、工事業者、自治体、電力会社の癒着は、原発があるところには多かれ少なかれ存在します。当事者である電力会社の数日の調査で終わらせてはいけません」
■原発ビジネスは「持ちつ持たれつ」で成り立つ
癒着はこれまでにも表面化している。例えば、関電と並んで原発再稼働に熱心な九州電力。玄海原発がある佐賀県玄海町の岸本英雄前町長は、就任した2006年8月以降の4年8カ月で、実弟が社長を務める建設会社「岸本組」に九電発注の原発関連工事を総額約17億円受注させていた。
しかも、町長自らも株式の配当金など約1000万円を得ていた。九電に再稼働の了承可否を与える立場だった岸本氏への原発マネー還流は、「隠れ献金」との指摘もあった。しかし、法には触れることなく、岸本町長時代の18年3月、玄海原発は再稼働に至った。
九電は、関電問題が報じられ、類似案件の調査はしないとしていたが、きのう、一転して「社内調査を始める」と発表。言い訳を考えているのかもしれない。
福島第1原発がある福島県双葉町でも地元有力者の影があった。
1963〜85年に町長を務めた田中清太郎氏は、原発誘致に熱心に取り組み、成功(71年稼働開始)。並行して、町長自ら実質オーナーの「田中建設」が原発案件工事を次々に受注。双葉郡随一の建設会社を築き上げたのだ。
森山元助役とソックリじゃないか。
「森山さんのような強烈なキャラクターは特異かもしれませんが、誘致や再稼働をめぐって、電力会社は長年、地元の有力者を利用して原発を推進する。
一方、地元の有力者も電力会社から最大限の利益を得ようとする。持ちつ持たれつの関係で原発ビジネスは成り立っています。関電事件をきっかけに、全国の原発をめぐるウミをすべて出し切るべきです」(松久保肇氏)
経産省や電力会社に期待しても無駄。野党とメディアは全ての原発周辺にメスを入れられるか。
「アジア新時代と日本」編集委員会 〒536-8799 大阪市城東郵便局私書箱43号
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