研究誌 「アジア新時代と日本」

第194号 2019/8/10



■ ■ 目 次 ■ ■

編集部より

主張 戦後政治大転換をめぐる闘い

議論 最悪の日韓関係の解決の途は?

時事 7月参院選激闘記

随筆 「表現の不自由展・その後」中止に思う

寄稿 編集部より

寄稿 <プレス ステートメント>リラ・ピリピーナ25周年記念声明




 

編集部より

小川淳


 左派ポピュリズムの誕生
 過去2番目に低い投票率に象徴されるように、大きな争点もなく、盛り上がりに欠けた今回の参院選、その中で唯一わくわくさせてくれたのが山本代表率いる「れいわ」の躍進だった。
 「れいわ」が公約に掲げたのは、消費税廃止、公的住宅の拡充、奨学金返済の免除、最低賃金1500円など、徹底した社会的弱者の救済、貧困層への支援で、それが200万を超える有権者の支持につながった。「やっと自分たちに分かる言葉で話してくれる政治家や政党が出現した」という言葉が、何よりもその勝利の要因を語っている。
 「れいわ」はこれまでの野党にはなかった新鮮で強烈なインパクトを政界にもたらした。ここから日本初の「左派ポピュリズム」政党という評価も生まれてきている。
 ポピュリズムとは何か。山口二郎によれば、「政治に関して理性的に判断する知的な市民よりも情緒や感情によって態度を決める大衆を重視し、その支持を求める手法、あるいはそうした大衆の基盤に立つ運動をポピュリズムという」とされる。言い換えれば、「大衆の欲求不満や不安を煽ってリーダーへの支持の源泉とする手法」といった方が分かり易いかもしれない。この意味合いでいえば、古くはアメリカのマッカーシーズム(「共産主義の脅威」を煽って大々的な赤狩りを行った)や、移民への不満や不安から移民排斥を訴えるフランスの国民戦線(FN)も、同じく下層白人の反移民感情に訴えるアメリカのトランプも、典型的な(右派)ポピュリズムと言える。しかし、「れいわ」は大衆の欲求不満や不安を煽って支持を募った政党ではないし、その意味でポピュリズムとは異なる。
 一方で、ポピュリズムという言葉には、ラテン語で「人々」を意味する「ポプルス」を語源とするように、社会の底辺にいる大衆の利益こそ尊重されるべきとする政治思想を含んでいる。既存の利益集団や職能団体に包摂されていない社会階層の人々の利益を代弁するという見方だ。
 山本代表が「生活苦を救うために旗を掲げた。それをポピュリズム・ポピュリストと言うのであれば、私はポピュリズム・ポピュリスト言うしかない。上等です」、と述べているのは、このポピュリズム本来の意味合いからだろう。
 いずれにせよ、これまでの組織や社会から取りこぼされ無視されてきた社会的弱者にきちんと向き合い、そのための政府の積極的な財政出動を政策に掲げた反緊縮政党が初めて生まれたという意味で、アメリカのサンダースや英国労働党コービンにつながる「新しい政治」の潮流がついに日本にも生まれたという意味でも、注目したい。「れいわ」の出現で野党共闘はどう進むのか。「れいわ」のこれからに目が離せない。



主張

戦後政治大転換をめぐる闘い

編集部


 先の参院選は何だったのか?そこから見えてくる戦後政治の大転換。それをめぐる闘いで勝つことこそが今問われているのではないか。

■先の参院選が持った特別な意味
 先頃行われた参院選について、その評価はいろいろだ。何より史上二番目の低投票率。そこに示された低調、熱気なし。特に、十代若者たちの無関心。自民党は、改選議席過半数に浮かれているようだが、その獲得議席、得票の大幅減、改憲勢力3分の2の未達成、これはどう総括するのか?
 一方、言われているのは、昔への逆戻りだ。議席数を伸ばした立憲民主党は、まるで昔の社会党、懐かしのメロディだ、等々。だが、今回の選挙が単純な「懐メロ」でなかったのも事実だ。
 その第一は、何と言っても「れいわ新選組」。かつてなかった政治主体の誕生だ。「このままでは子どもの未来がない。太郎さんに国を変えてほしい」。低調だった選挙戦にあって、彼らの行くところ、聴衆と一体になった熱気が別世界を呈した。結果、マスメディアに完全に無視されたこの「党」の得票率、4・55%。無党派層の投票率は、自民党の20%に対し「れいわ」10%だった。
 もう一つ、余り話題に上らなかったが、注目すべきことがある。「日本維新の会」の大阪地域政党からの脱皮だ。東京、神奈川での議席獲得、愛知での次点進出など、各地地域政党と結びつき、地域ファースト・「右派ポピュリズム」の全国政党として登場した。
 一方、今回の選挙でもう一つ際立ったことがある。それは他でもない、「憲法改正」の安倍政権の側からの積極的争点化だ。これまで5回の国政選挙で、決まって「経済」を掲げ、一度も争点化したことのなかった「憲法改正」。それをなぜ今回、安倍政権の方から持ち出してきたのか。
 これら、これまでの選挙では見られなかったいくつかの特徴に、今回の参院選の持つかつてなかった意味が秘められているのではないだろうか。

■見えてきた戦後政治の大転換
 参院選結果発表で若干奇異だったことがある。安倍首相の満面の笑みだ。それほど満足すべき結果だったのか。執心していた「改憲」のためには4議席不足していたではないか。
 そこで腑に落ちたのが、自公維、改憲三党プラス国民民主の「大連立」だ。選挙前から言われていた「秋の大連立」が静岡選挙区の自民党票を国民民主に回すという形で準備されていたと言う。
 「自民単独」ならぬ「大連立」による「改憲案」国会通過、これとトランプ米国による「日米安保改訂要求」「有志連合参加要請」を考え合わせると、来年、オリンピック景気ただ中での国民投票、それによる「改憲」が見えてくる。それが、日本を「米国とともに戦争できる国」にする「日米安保改訂」(安保の双務化)の法的根拠になるのは言うまでもない。
 「憲法改正」と「安保改訂」、この戦後政治の二本柱の改定は、当然のことながら、戦後政治そのものの根本からの転換を意味するようになる。
 米国が要求する戦後日本政治の大転換は、これに止まらない。求められているのは日本政界の大再編ではないだろうか。今回の「維新」の各地地域政党と結合しての全国政党への脱皮はそのことを示唆しているように思える。
 「世界で一番企業が活躍しやすい国」を目指す安倍政権の下、国家戦略特区の全国展開とそれと連動する連携中核都市圏構想、自治体事業の運営権譲与を図るコンセッション方式の導入、等々にともなう米系外資の大量流入と地方からの日米経済の一体化が促進されている今日、昔から地方・地域に地盤を持つ古い自民党政治から新しい地域ファースト政治への転換が要求されてくるのは容易に理解されることではないだろうか。
 戦後政治の大転換を求めているのは米国だけではない。別の意味で、切実にそれを求めているのは、他ならぬ日本国民自身だと思う。
 今回の参院選の低調は、まさにその展望が見えなかったからであり、「れいわ」の躍進は、そこに展望を見た国民的思いの現れだったのではないだろうか。

■問われる戦後政治大転換をめぐる闘争
 戦後、日本政治の前には、未曾有の大惨劇をもたらした戦前の政治の根本的で全面的な総括とそれに基づく新しい政治の実現が求められた。
 だが、総括されたのは対米帝国主義間戦争の敗北だけであり、対アジア侵略戦争の誤りと敗北、そして国民の前に犯した誤りについてはついに総括されることはなかった。
 その結果、戦後、日本の政治は、覇権そのものの誤りについて何ら総括することのないままに、米覇権の下、アジアに再び覇権する政治になり、日本国民のための政治になることもなかった。
 その戦後政治の大転換が、今なぜ求められてきているのか。そこには三つの要因があると思う。一つは、米覇権が弱体化し、破綻したグローバリズムから「ファースト主義」へ、そのあり方の転換が強行されてきていること、もう一つは、米中覇権抗争や東北アジアの地殻変動など、アジア諸国の力が強まり、米覇権の下に押しとどめられなくなってきていること、そして三つ目は、格差と貧困、生活破壊の進行の中、投票率の低落など、日本国民の政治に対する信頼が著しく低下し、自ら政治を動かす「参加型民主主義」への要求が高まりを見せてきていることだ。すなわち、一言で言って、戦後政治自体の行き詰まり、そこにこそ「大転換」の要因があると言えるのではないか。
 この「行き詰まり」は、今日、日本だけではない。世界中至る所で、古い政治から新しい政治への転換が求められ、それをめぐっての「左右のポピュリズム」の台頭と対立が顕在化してきている。米国における共和党内トランプ派と民主党内プログレッシブ派のそれ、イタリアにおけるサルビーニの同盟と五つ星運動のそれ、等々。
 参院選とともに生まれた「れいわ」と「維新」の台頭と対立もこうした視点から捉える必要があるのではないだろうか。

■真に「新しい政治」の実現を!
 「れいわ」と「維新」の闘いはすでに始まっている。両者ともに、「ポピュリズム」を敢えて否定せず、政権を取って日本政治を変えることへの執念とこだわりを露わにしながら、その政策は水と油だ。「れいわ」の重度障害者二議員の国会参席にかかる費用を公費負担にすることへの「維新」の反対はその始まりだと言える。
 同じ民意重視でも、両者の違いは大きい。民意に寄り添い、民意と一体に、民意そのものを実現して行こうという「れいわ」に対し、「維新」は、民意をつかみ、民意を動かして、自らの政治目的を実現するという姿勢だ。
 覇権に対する姿勢も、明らかに異なっている。今の政治の最大の問題は何かと問われて、「この国に生きる人々を思う気持ちが足りないことだ」と答えた「れいわ」の山本太郎に対し、「維新」の橋下徹は、戦後日本の政治が国民の顔よりも米国の顔を見ながら行われてきたのを問題にすることもなく、「トランプ政治」に学ぶことを推奨するようにまでなっている。
 政治の本質は、元来、民意と覇権に対する態度に端的に顕れる。「れいわ」と「維新」、どちらが本物の「新しい政治」か、一目瞭然ではないか。
 「れいわ」が本物なのは、参院選後の活動にも現れている。当選した船後、木村両議員の初登院を日本国会の革命として行うようにしたこと、次の衆院選での政権交代に向け、野党共闘のための「れいわ」のプラットホーム化を表明したこと、その一つ一つが「新しい政治」そのものだと思う。
 そうした「れいわ」にとって、当面、最大の闘いは、戦後政治の大転換をめぐる闘いになるのではないか。政権交代はその重要な一環だ。
 憲法改正、安保改訂をめぐる闘い、地方・地域問題をめぐる闘い、どれも国論を二分する全国民的な運動に発展する可能性に満ちている。ここでどう闘うか、それによって真に「新しい政治」の実現と日本の命運が決まると言っても決して過言ではないと思う。
 この闘いにあって、東北アジア新時代にどう向き合うかは、「れいわ」と「新しい政治」、そして日本にとってきわめて重要だと思う。中でも、日韓、日朝関係改善のための闘いは、その核となる闘いだと言えるのではないだろうか。
 戦後74年、今こそ、あの戦争を引き起こした戦前の政治を根本から全面的に総括する時が来ているのではないか。それは、明治以来の「脱亜入欧」、日本近代150年の総括であり、アジアの外でも上でもなく、その中の日本として生きていくための「大転換」となるに違いない。



議論

最悪の日韓関係の解決の途は?

東屋浩


■最悪の関係に至った日韓関係
 最悪だと言われた日韓関係が、今日、互いに敵国同士かのようにさらに悪化している。これはかつてなかった事態だ。
 一つに、元徴用工賠償問題がある。この問題は李明博、朴槿恵の保守政権の時にすでに提起されていたが、時の政権の司法への圧力で放置されて顕在化しなかった。しかし、判決を遅らせた最高裁長官が文在寅政権のもとで逮捕され、元徴用工賠償裁判の判決がおりるようになった。こうして新日鉄をはじめ日本の大企業にたいする賠償判決とその執行がおこなわれるようになった。
 日本政府は、かつては個人の賠償請求権はあるとしていたが、「日韓請求協定で最終的に解決済み」としたことにより、関係悪化がはじまった。そして自衛艦の旭日旗問題、自衛隊機レーダー照射問題、従軍慰安婦財団の解体などの問題に広がっていった。二つ目には、安倍政権が半導体製造に必要なフッソ化水素など三品目の韓国輸出について輸出規制強化を実施し、さらに安全保障上の友好国として規制を緩和する「ホワイト国」から韓国を除外する措置をとった。半導体製造は韓国経済を牽引する位置にある。韓国経済に打撃を与えることは言を俟たない。そのことで韓国国民を文在寅政権から離反させるのが狙いであるなら、(韓国政府としてはそう分析するだろう)韓国政府の強硬姿勢にも頷ける。
 三つ目には、これに対し文在寅大統領は、「私たちは二度と日本に負けない。加害者である日本が居直って大声をあげる状況を決して座視しない」と言明し、オール韓国で日本に対抗していくとした。韓国内で日本製品不買運動、反安倍政権デモが起こり、訪日観光客が激減し、日韓間のさまざまな交流が中止されている。
 それだけではなく、文在寅大統領は、「南北間の経済力によって平和経済が実現すれば我々は一気に日本経済に追いついていくことが出来る」と、南北朝鮮で日本に対抗していくというかつてない姿勢を表明した。
 四つ目に、ここで注目すべきことは、これまで日韓関係を取り仕切ってきたアメリカが、今回、仲介しない態度をとっていることだ。これまで日米韓で結束して朝鮮に対応していくと言っていたのに、「両国間の問題は当事者で話し合って解決してくれ」で終わらせている。これはどういうことなのか?
 こうして、この数ヶ月の間に両国間でこれまでなかったことが立て続けに起こり、日韓関係は極度に悪化していった。

■なぜ、こうなったのか?
 これらの出来事の背景には、昨年来の時代の大きな転換があると言える。すなわち、戦争と敵対の朝鮮半島から平和と繁栄の朝鮮半島への転換、それにより東北アジア全体が平和と繁栄の新時代に向かうようになっていることだ。
 同じ平和と繁栄の朝鮮半島と言っても、ここには二つの潮流がある。一つは、朝鮮と韓国主導で進められている南北の融和と協力、統一を実現し、戦争と軍事的脅威などの覇権がない自主と平和の東北アジアの実現だ。もう一つはアメリカ主導での日韓をしたがえながら「援助=外資導入」をテコに、朝鮮の開放経済を実現し。ひいては体制転覆をはかり、アメリカの覇権を東北アジアで実現するというものだ。それは「米中冷戦」で中国包囲を狙ったものだと言えるだろう。
 ここで南北主導か、日韓を従えてのアメリカ主導か、韓国は東北アジア新時代をめぐる二つの勢力が激突する舞台となっていると言える。それに注目する必要があるのではないだろうか。
 元徴用工賠償問題で日本政府は、それまで行われていた企業と原告側の話し合いを中止させ、賠償問題を「すでに解決している問題」として「開き直り」、いわば問題化させた。自衛隊機レーダー照射問題も安倍政権が介入して対立を作り出した。これに対し、韓国国民が植民地支配の反省と謝罪をほんとうにやっていないと激高し、両国間の亀裂が深まった。輸出規制は韓国民衆の怒りに火を注ぐものだったと言えよう。
 この間の安倍政権の一連の行動は、これまでの「蚊帳の外」から、強硬とも言えるやり方で、韓国との関係悪化を作り出し、文在寅政権を攻撃することによって、南北主導による平和と繁栄の東北アジア形成を妨害していく行為とみてとれる。
 アメリカが日韓対立を仲介しないのは、文在寅政権を崩壊させファースト覇権の政権に代えようという意図があるからではないだろうか。安倍政権はアメリカの承認なしに動くことの出来ない対米追随政権であり、アメリカがGOサインを送っているのは間違いないと思われる。
 南北の融合と協力、統一による平和と繁栄の東北アジア形成の闘いの前進、これに対し、日米が文在寅政権をとりかえ、韓国政権をアメリカの支配下におこうとする覇権策動の激化、ここにこそ今日の日韓関係悪化の原因があると思う。

■日本はどうすべきか
 日韓関係をどうすべきかという問題は、目先の日韓対立に目を奪われるのではなく、大局からとらえ、どうすべきかを考えることが重要だと思う。
 大局とは、平和と繁栄の東北アジア新時代の前進だ。ここに日本がどう位置をしめ役割を果たしていくかという問題と離れて、日韓問題もありえない。
 平和と繁栄の東北アジア新時代を実現するため解決すべき問題の中で、日朝国交正常化や日ロ平和条約、様々な領土問題などがあるが、核心は南北の融合と協力、統一だと言える。
 南北の分裂がこれまで東北アジア地域で戦争と敵対の主な要因となってきた。もしなんらかの形で南北の融和と協力が進み、統一が実現されれば、朝鮮半島で戦争がなくなり、日本にとっても平和と繁栄の時代を迎えていくことができる。したがって、南北の統一に日本が寄与していくことがきわめて重要だと思う。
 南北の融合と協力、統一の進展を支持し、これに日本が南北朝鮮との友好関係を発展させていくことが、平和と繁栄の東北アジアを築く上での日本の地位と役割だと思う。
 今、安倍政権が行っていることは南北朝鮮を敵視し、アメリカの覇権の手先になっていることであり、それは平和と繁栄の東北アジア新時代の潮流に逆行するものだ。
 日韓関係の悪化にたいし、あくまで平和と繁栄の東北アジアの実現にいかに寄与していくかという立場から、日朝・日韓関係の改善・発展を追求し、南北の融和と統一に協力していくことが何より日本に問われている事だと思う。
 南北朝鮮は日本にとって最も近い隣国であり、歴史的にも文化的にも深い関係がある国だ。それゆえ、南北朝鮮との友好関係を発展させ、かつ南北の統一に寄与していくことが、日本の平和と繁栄を保障し、平和と繁栄の東北アジア形成に貢献していくうえできわめて重要だ。
 東北アジアの平和と繁栄のため、日本の平和と繁栄のために、日朝、日韓関係を新たな友好と協力の関係に築いていくことだと思う。
友好があって平和があり、平和があってこそ繁栄がある。友好こそが日韓関係解決の途だ。
 韓国との友好関係を築く上で、歴史認識問題が大きくある。歴史認識問題も友好の立場ではじめて解決していくことが出来るのではないだろうか。
 安倍政権は「賠償は解決済み」だとして、文大統領が指摘するように「加害者が居直って大声を出」し、日韓の対立と亀裂を意識的に作り出している。少なくとも韓国側からはそう見えるだろう。「韓国経済の生死を決めるのは日本であることをわからせなければならない」(ネット媒体)のような論調は、過去の歴史を隠蔽し、アジア諸国からの孤立を深め、結局、日本のためにならない。
 日韓友好関係を改善、発展させようという立場でこそ、歴史認識の違いをいかに埋められるかを追求し、その中で日本自身の反省も深めることができる。植民地支配の反省と謝罪の問題は、加害国が被害国の言い分と気持ちを聞き入れ理解し、それを真摯に受け入れることから始まると思う。
 人を殴っておいて心からの謝罪なしに仲良くするというのはありえないではないか。安倍首相のように傲慢な態度で開き直るのではなく、かつて日本が朝鮮を蔑視し、植民地にしたことを直視し、多大な被害を与えたことを心から謝罪することが、道義的にも国としてももっとも重要なことだと思う。
 平和と繁栄、友好の東北アジアに合流していくために、新たな日韓友好関係を築いていくことが問われている。


 
時事

7月参院選激闘記

さかい一郎


■熱い、暑い、たたかい
 参議院は解散がない。選挙は7月と決まっている。夏の暑さの中だから、候補も運動員も倒れそうになりながらたたかう羽目になる。まあ仕方がない。焦点は安倍政治への信任、野党の議席が増えるかどうか、憲法改悪発議ができる3分の2議席になるかどうか、だった。

■真剣度が倍加していた野党陣営
 もしこの選挙の結果で改憲発議できる3分の2を自公維が取れば、さっそく今年にでも改憲の手続きが進められるだろう。国民投票になれば一気に改憲という事になりそうで悪夢だ。そういう危機感も手伝ってか、相当な人が選挙運動に参加したと言える。実は参院選は野党側はこれまで「必死」さが少なかった。ポスター貼って、集会に参加し、投票日を待つ人も多かったのだ。
 私も正月も夏休みも返上してポスター張りや街宣活動に精を出したものたが、周りを見れば社会党全盛時代ですら、動いていない人・組織が多数だった。今回はナマクラかましていても生きていけそうな状況でなくなるとの危機感が相当なものであった事で多くの人が動いた。増やした議員定数を総取りするつもりの自民が9減らし、維新を足してもあと4足りない。それを再びひっくり返そうと安倍が工作するだろうが。

■本当はもっと勝つはずだった立憲
 20を上回る可能性も予想された立憲は17だった。本番で大変な風を起こした「れいわ」旋風があったとはいえ、いくつも課題を残した。選挙区で特に、大阪と兵庫で3年前と同じように野党乱立でゼロになってしまった事は痛恨としか言いようがない。その事への真剣な反省は大阪・兵庫の立憲幹部からうかがえない。

■国民党
 また大阪は勝てもしない国民党が、何のために出るのかも不明な独自候補を立て、連合会長がすばらしい立憲候補の演説会で「全力を挙げます」と言った直後にその独自候補の所へも駆けつける二股膏薬(公約)を演じたのは犯罪的ですらある。比例も安倍の「民主党の枝野さん」と繰り返したアナウンス効果がどれぐらいあったか正確には不明だが、この10年以上「民主」と書く癖がついた有権者が画数の多い「立憲」でなく「民主党」と書いて国民党に救いの水を出してしまったのではないか。兵庫も、国民党を推す御用組合大単産は安田真理さんへの「自主投票」を決め込んだ。連合が本気を出せば惜敗3万票差はひっくり返して安田さんが勝っていたはず。何を考えてるか信用ならない国民党が安倍の誘惑に乗って改憲派に寝返らないよう監視と圧力が必要だ。

■直前活動では勝てない
 自公は現職の日常活動の強みと、強力な日常組織活動で強固な票田を維持して来た。
 それに引き換え、特に立憲は直前擁立が目立つ。にもかかわらず、当落線へのものすごい肉薄は評価するべきだが、大敗も惜敗も負けは負けだ。しかも擁立決定がほぼ昨年には出来ていたはずなのに、始動が遅すぎる。
 大阪も兵庫も参議院選挙事務所が正式に設置されたのは1か月前の6月だ。無党派層に応援してもらわなければ勝てないのに、組織の内向きにしか半年活動せず、有権者へのお披露目が前月という「みすみす負け」戦略しかできなかったのでは勝てる可能性ほぼゼロだ。大阪のかめいし倫子さんも兵庫の安田真理さんもすばらしい候補だけに、府連・県連の幹部は特大の責任を感じてもらいたい。

■課題はこれから
 真剣で特大な反省をするかどうかを試す機会が再来年の10月までに必ず来る。総選挙である。党の幹部・議員を批判すれば済む問題でもない。野党共闘がうまく行かなかったのはリベラル勢力全体にも責任なしと言えない。要するに全ての人と組織が全力を出さなければ金力・権力・宗教力とデマ宣伝の偽「改革」に勝つことはできない。立憲・共産・れいわ・社民そして裏切らない事を誓う国民党と市民の協議を早急に、いや今すぐ開始し、まずは衆議院でも改憲勢力の3分の2割れを実現し、時に利あれば政権交代へ、無党派層の立ち上がりを促したい。



随想

「表現の不自由展・その後」中止に思う 

金子恵美子


 「表現の不自由展」で表現の不自由な事態が起きるという、今の日本の閉塞感を体現したような出来事が先日「あいちトリエンナーレ」で起きた。ガソリンをもって会場に行くと言う犯人の脅しに主催者側が取りやめを決めた。主な矛先は韓国の従軍慰安婦像=「平和の少女像」にあったようだ。険悪な日韓関係が背景にあることは優に想像がつく。京都アニメーションの惨事と重なるという事があったかも知れない。しかし、こうした邪悪な一つの行為の前に、「表現の不自由」をテーマにした展示会が取りやめられてしまった事は無念でもあり、イヤーな感じだ。
 また、この事件とは別に、公費を使ってこのような展覧会を開くのは如何なものか、という意見も出されていた。「表現の自由」は難しい問題だが、それへの問題提起や議論は制限されてはならないと思う。それは人が人として生きていく必須の権利であり、国の運命をも左右するものだ。言いたいことが言えず、やりたいことが出来なくなった時、人々は権力に従うしかなくなり、それが戦争への道に突き進んだ日本国民の胸痛い教訓でなないだろうか。だから、公費(国民の税金)で、このような展示会を開くことは国民の利益に適っていると思うし、大いに使うべきだと私は思う。「公費」と言うのは、「お上」の金ではなく、国民の税金だ。「お上」の利害に合うかどうかではなく、真に「国民の利害」に合っているかどうかが使用の判断基準になるのではないだろうか。



寄稿

 

編集部


 従軍慰安婦の問題と言えば、すぐに韓国との関係が思い浮かぶ人が多いと思うが、先の戦争で、日本軍が「慰安婦」と称して性の慰み者にした女性たちは日本軍が軍靴で踏み荒らした各国に癒えない傷跡を残している。その一つがフィリピンの「慰安婦」(ロラ)たちである。
 今回、アジア新時代研究会の勉強会でも講師をして下さった伊藤早苗さんから、フィリピンの慰安婦の方たち自らが作った「戦争につきものの占領と軍国化の中で起きる性暴力の犠牲者たちに対し、彼女たちの正義が擁護されるよう提唱する組織」=「リラ・ピリピーナ」創立25周年を記念して出された「声明」が翻訳して送られてきた。日本の侵略戦争と日米覇権戦争の敗戦記念日を前にして、この声明を読みながら、日本の過去と現在について今一度直視する機会になれば幸いである。



<プレス ステートメント>

リラ・ピリピーナ25周年記念声明

2019年6月25日 伊藤早苗


 「慰安婦」被害者団体は、正義回復のためのキャンペーン25周年を記念する。25年前の今日(1994年6月25日)、日本軍による戦時中の性的奴隷制被害者(ロラ)たちは、これまで知られていなかった「慰安婦」としての被害経験を明らかにすることへと踏み出しました。被害者(ロラ)たち自身がリラ・ピリピーナを組織しました。
 25周年記念にあたり、私たちは3つの基本的な要求を継続すると固く決意しています。第一は日本政府からの正式・公式謝罪です。第二に被害者に対する日本政府による個人賠償です。第三に、日本とフィリピン双方の歴史に「慰安婦」問題が存在しているという歴史的事実の確認です。
 私たちは何年にもわたって、これらの要求が犠牲者のために真の正義を達成する基本原則であるとともに、再び国を脅かしている迫りくる戦争に強く反対するためでもあるという立場に立ってきました。
 リラ・ピリピーナは、<次世代に、もう二度と「慰安婦」被害を繰り返してはならない!>という叫びで活動の一年目を始めました。
 25年後の今日、資本主義の世界的な危機が、世界資源および領土のための競争激化に拍車をかけており、この呼びかけはさらに緊急の訴えとなっています。
 日米軍事同盟は、海上航行を管理し、軍事基地を設置し、最終的にはこの地域での影響力を行使するために、軍事的に中国を挑発することによって、アジア支配をねらっており、フィリピンはこの激しい鞘当ての結節点になりつつあります。
 米中両国の、海域での軍備増強をめぐる外交上の対立が拡大し、貿易戦争がさらに悪化してるなか、米国のジュニアパートナーとしての役割に再活性化した日本政府は、かつての軍国主義的立場に戻っています。ここ数カ月間、日米などの外国軍隊による挑発的な大規模軍事演習は拡大し、1941年日本軍が多くのアジア諸都市を侵略したあの前夜を彷彿させます。
 日本政府は、「慰安婦」解決グループとの和平を求めることなどを放棄し、「慰安婦」の記憶を生かし続ける運動に対し、世界的なレベルでの攻撃に着手しました。
 日本政府は最近フィリピンに設置された二つのフィリピン人「慰安婦」像を撤去させました。そのことで、歴史の真実を思い起こすフィリピン人の権利を傲慢にも踏みにじりました。
 像の撤去は、日本政府からの数十億ペソ相当のローンと引き換えに取引した従属的フィリピン政府のせいで成功裏に実行されました。
 日本政府のこの対応は、日本社会が再軍事化を志向するその表れでもあります。そればかりではなく、国会における右翼的な多数派が憲法から徐々に憲法九条を削除し、日本の自衛隊が外国に兵員と装備を配備することを可能にしていく動きの一部でもあります。
 かつてアジアへの帝国主義的な侵略の間じゅう旗めいていたという「旭日旗」を再び掲げ、日本政府は現在、アメリカを始めとする地域の軍隊との合同軍事演習に完全武装軍隊で参加しています。
 戦時中に日本軍性的奴隷制の犠牲者とされた多くの人は、帝国日本によって課された残虐行為とその結果に対する犠牲者たちの長い闘争の成果を見ずに亡くなりました。多くの犠牲者が貧困の中で生活し続けており、フィリピン人女性の大多数が経験している権利剥奪に苦しんでいます。
 それでも「慰安婦」犠牲者(ロラ)たちは、闘争の道を歩み続け、尊厳をもって生きています。「慰安婦」被害は圧倒的な軍事力と征服の名のもとに日本軍が人類に対して犯した犯罪です。被害者(ロラ)たちは、彼女らに卑劣な犯罪を犯してきた強力な国家に立ち向かってきました。
 勝利はまだ遠い<現実>のままですが、生存している被害者(ロラ)たちは最後の息吹を闘いに注いでいます。
 このために私たちは全ての人々、平和と人権の動き、女性、若者と学生、国会議員、フィリピンから日本まで、そして他の国々にも同様に、フィリピン「慰安婦」被害者(ロラ)たちの正義のための闘いを支援し続けるよう呼びかけます。
 上記の要求に賛同するだけでなく、軍国主義、侵略戦争、および軍の性的奴隷制に反対する私たちの呼びかけへの支持も訴えます。


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