研究誌 「アジア新時代と日本」

第187号 2019/1/10



■ ■ 目 次 ■ ■

編集部より

情勢展望 日本に「新しい政治」を!

寄稿 苦悩する文在寅政権

随想 「平成」の終わりに




 

編集部より

小川淳


 2019年、新春を迎えた。今年は「この国のかたち」を左右する大きな節目の年となるのは間違いない。今年の闘いの展望について整理しておきたいと思う。
 一つは、沖縄・辺野古の闘いだ。昨年の知事選で、辺野古建設の工事認可取り消し処分を行った翁長前知事の遺志を受け継いだ玉城デニー候補が自公勢力に大差をつけて勝利した。沖縄の人たちの尊厳をかけた闘いに敗北したにもかかわらず、安倍政権はこの民意を無視し、辺野古への土砂投入の強行行動に出た。辺野古の青いサンゴの海が赤土で濁っていく映像は、安倍政権の理不尽さ、冷酷さをそのまま映し出している。焦点は二月の県民投票だ。憲法95条には、「一つの地方公共団体のみに適用される特別法は法律の定めるところにより、その地方公共団体の住民の投票において過半数の同意を得なければ、国会はこれを制定することはできない」とある。過重な基地負担に苦しめられている沖縄の辺野古新基地建設は住民の過半数の同意なしに強行されてはならない。住民投票の結果に拘束力はないとはいえ、沖縄の民意として辺野古にNOが示されるなら、安倍政権への決定的なダメージとなるのは間違いないだろう。
 第二に、入管法問題だ。深刻な人手不足に対処する外国人労働者の受け入れを拡大する入管法改正案が昨年成立した。これまでの入管法政策は「単純労働は受け入れない」を原則としてきたが、今回の改正案はこの原則を180度転換し、外国人政策の歴史的な転換点となる。最大の問題点は、「労働力」としては認めるが、「労働者」としては認めないという歪んだ「技能実習制度」からの移行を前提としている点である。外国人であれ、入国すれば一人の人間として暮らしが営まれるのは当たり前で、それを認めない制度は外国人労働者を人として認めないに等しい。もし労働力が必要だというのなら、野党が言うようにまっとうな移民政策=制度設計をきちんとすることが先決で、その上でどのような多民族共生社会を私たちは実現していくのかをこれからしっかり議論する必要がある。
 第三に、改憲阻止の闘いだ。安倍首相は憲法審査会での自民党の憲法改正案の提案をめざし、布陣も整えたが、憲法審査会は野党の強い抵抗で開催も提案もできなかった。とはいえ諦めたわけではない。7月の参院選で、野党・市民連合が国会議席の3分の1を確保できるかどうかが改憲阻止の鍵を握る。今年は12年に一度、統一地方選と参院選が重なる。12年前の亥年、参院選で大敗し、安倍首相は政権を放り出した。東北アジアの歴史的転換期に呼応し、日本でも「新しい政治」を巻き起こす、そのような年にしたい。



情勢展望

日本に「新しい政治」を!

編集部


 旧年、世界の「新しい政治」は、より高い段階に入った。
 戦争と敵対から平和と繁栄へ、朝鮮半島をめぐって東北アジアに生まれた時代的転換は、その一環に他ならない。
 この歴史的事変を前に、わが日本は、「蚊帳の外」だった。隣国である日本に関係なく事は運ばれた。日本は、必要とされていない。国としての存在を失っている。
 なぜそうなったのか?それがもたらす日本にとっての意味は何か?そして何より、この事態にどう対するか?
 「新しい政治」が引き起こす世界政治の地殻変動、その新段階がさらに全面化してくる新年、その劈頭にあって、この問題について提起したい。

 

1 「新しい政治」の世界史的新段階、国としての存在が問われた日本

 この数年来、古い政治から新しい政治への転換が言われて来た。
 欧米やアジアで、これまで敢行されてきた古い政治の殻を打ち破り、自分の国、自分の地域を第一とする「新しい政治」を求める大衆的進出。「米国ファースト」を掲げた型破りの大統領、トランプはその象徴的存在にされてきた。
 旧年は、この政治の転換のより高い段階が開かれた年だったと言えるのではないか。
 朝鮮半島をめぐりながら東北アジアで起こった時代的転換。共和党対民主党から、実質、トランプ党対プログレッシブ(進歩党)へ、米国政治の地殻変動のさらなる深化。そして米中覇権抗争の新段階。これらに現れた世界政治の転換は、「新しい政治」の単なる延長ではない。より高い段階への発展を意味しているように思われる。
 そうした中、わが日本は、その存在自体がなくなってきているのではないか。旧年の総括はこのことを離れてはないと思う。

■「新しい政治」の本質を問う
 「新しい政治」については、有識者やメディアなどの間で、もっぱら「自国第一主義」「ポピュリズム」などと言われ、その「排外主義」が懸念され、ファシズムへの転化が心配されてきた。
 一方、巷で、既存の政治、政党、政治家への信頼が目に見えて失われ、「なんだ、これまでの政治家と変わらないじゃないか」が評価の基準になっているのも事実だと思う。
 この「新しい政治」についての「評価の二極化」を前に、少し考えてみたい。
 有識者やメディアの懸念に根拠があるのは事実だ。実際、こういう事態は過去にもあった。
 約100年前、それまで英国が主導した自由主義が破綻し、英覇権の崩壊が誰の目にも明らかになった時、世界の政治に激動が起こった。
 その時生まれてきたのが、イタリアやドイツ、そして日本などでのファシズムだ。それが第二次大戦に直結する大きな要因になった。
 そして今、米主導のグローバリズム、新自由主義が破綻し、米覇権が崩壊の危機に瀕している。
 あの時も、欧州では、大衆の進出がすごかった。第一次大戦の賠償金返済を一方的に破棄した「英雄」ヒトラーを支持するドイツ国民の歓呼は天地を揺るがした。
 今、有識者やメディアが、反EUやトランプの「自国第一主義」、「新しい政治」への熱気を100年前に重ね合わせるのも十分に理解できる。
 だが一方、当時と今とで大きな違いがあるのも事実ではないか。
 その第一は、あの時、「新しい政治」は、日独伊など、主として帝国主義国で生まれた。今は、どの国、どの地域でも、ギリシャやハンガリー、台湾や香港でも生まれてきている。
 第二に、あの時、「新しい政治」は、排外主義と一体だった。だが今は違う。排外主義は完全に少数派になっている。デモや集会でも、その一角を占めているに過ぎない。
 第三に、100年前、「新しい政治」は、左翼を排撃し、反共だった。今は、右も左もない。幅広い全国民的な運動になっている。と言えば、当然反論があるだろう。左翼が崩壊している今日、問題は、特に米国で著しい「分断」だと。確かにそうだ。しかし、後述するが、旧年現れた「新しい政治」の新段階で、分断に反対する動きがその内部から現れてきているのも事実だ。
 第四に、昔、排外主義的「新しい政治」は覇権抗争の中から、主として支配層主導に生み出された。しかし今は違う。覇権そのものに反対し、その崩壊を促す闘いの中から、大衆主導に生まれてきている。グローバリズムと新自由主義、それに基づく覇権が生み出した国と社会のグローバル化、二極化、それに反対する自国第一、反格差の国民主体の闘いこそが今の「新しい政治」だ。
 第五に、これらすべての根底に民意の決定的な高まりがある。この覇権に反対し、自国第一、国民第一を主張する高い民意、それに基づく政治であるところにこそ、かつてとは決定的に異なる今日の「新しい政治」の本質があるのではないか。

■高い段階に入った世界の「新しい政治」
 旧年、世界政治には新たな地殻変動が起きた。
 朝鮮半島をめぐる東北アジアの地殻変動。それと連動する、シリアからの米軍撤退とマティス国防長官更迭が生み出す西アジアの地殻変動。
 米中間選挙で現れた米国政治の新たな地殻変動。共和党VS民主党からトランプ党VSプログレッシブ、前者が煽る分断の政治から後者が追求する反分断の政治へ。さらには、「マクロンは金持ちの味方だ」を呼号し、右と左一体となった格差反対のフランスの運動、「黄色いベスト」運動も、それと連動する地殻変動だと言えるだろう。
 もう一つ、政治の地殻変動として大きいのが、米中の貿易戦争、ハイテク戦争ではなかったか。米国による覇権国家としての自らの優位を保つためのなりふり構わない対中国攻撃、これにより世界の面前に、米覇権の弱体化、その崩壊は一層鮮明にさらけ出された。
 これら地殻変動は、覇権崩壊を促進する今日の「新しい政治」をより高い段階に押し上げた。すなわち、グローバリズム、新自由主義、それに基づく覇権に反対して生まれてきた「新しい政治」を、トランプによる新たな米覇権、ファースト覇権に反対する政治へ、さらに言えば、覇権そのものに抗しそれを崩壊させる政治へ発展させたと言うことができる。

■「蚊帳の外」。なくなった国としての存在
 世界政治の地殻変動、その新しい段階への高まりにあって、日本はどうだったか?
 激動する東北アジア、そこで問題にされたのは、「蚊帳の外」。その意味するところは軽くない。何も知らされていないというのは、事が隣国である日本に関係なく進められているということであり、日本は必要ない、あってもなくても関係ない、言い換えれば、国として存在していない、認められていないということだ。  実際今、日本は国として認められていない。北方領土問題をめぐり、ロシアが持ち出してくるのも、「そこに米軍基地をつくらせないと日本は約束できるか?」ということだ。東北アジアでも同じことだ。「日本と話し合う必要はない。米国と話せば、それで事は足りる。日本は必ずついてくる」ということだ。
 米国言いなりの日本、米国あっての日本、米国の陰に隠れた日本、そこには日本の国としての姿、いや存在自体がない。
 しかしこれは、アジアや世界、外国との間だけの問題ではない。日本国民との間でもそうなっているのではないか。すなわち、国民にとっても、日本という国の存在がなくなっているということだ。
 旧年、堤未果著「日本が売られる」(幻冬舎新書)が多くの人々の共感を呼んだ。水からタネ、森や海、学校から医療、果ては老後まで、日本のすべてが売られているというのだ。
 実際、旧年、日本の軍事も経済も、これまでにも増して、全面的に米国の軍事、経済に組み込まれた。閣議決定された防衛大綱は、護衛艦「いずも」の垂直離着陸型戦闘機、F35B用空母化や宇宙戦協力など、どこから見ても、日米共同戦争に自衛隊、日本の軍事が組み込まれるためのものだ。
 こうして日本は、ますます国民の生の拠り所である国としての存在自体を全面的に失ってきている。「蚊帳の外」はその一つの現れに過ぎない。
 これは、「新しい政治」がより高い段階に発展した世界政治の基本趨勢に完全に逆行しているということではないだろうか。

2 さらに進む世界の「新しい政治」、新年、日本の国としての存在を!

 新しい年、2019年、旧年中出現した「新しい政治」の新たなより高い段階はどうなるか。東北アジアや西アジアの新時代は?ヨーロッパに広がる「黄色いベスト」運動は?米大統領選に向けた政治状況の進展は?  世界政治のこの激動にあって、新年、日本は選挙の年。国としての進路、あり方をどう選択するか?日本の政治が世界の「新しい政治」に逆行する中にあって、そのことが問われていると思う。

■新年、情勢の新しい進展をどう予測するか?
 世界情勢を見る時、よく言われるのは、「時の覇権国家の動きを見ろ」だ。
 これまでの覇権時代、確かにそれは有効な方法だったのかも知れない。覇権国家が世界の動きを左右していたのだから。
 だが、今はどうか。米国や中国の動きを見ていれば、新年の情勢展望はOKか?
 そうならないのは、すでに証明済みなのではないか。あの大統領選で「トランプ」を当てた人は、大衆の中に入った人だった。米エスタブリッシュメントやメディアの動向ばかり追っていた人はことごとく予測を誤った。
 今日、時代は覇権の時代ではない。民意の時代だ。先述した「新しい政治」の本質、あれも、有識者やメディアの言ではなく、巷の言にこそ真理が隠されていたではないか。
 東北アジアの行方はいかに?それを決めるのも、米国、それもトランプやエスタブリッシュメントではない。まして、中国やロシアではない。決めるのは、誰よりも南北朝鮮の国民自身であり、東北アジアに関わる国々、とりわけ米国の国民ではないか?

■全面化する「新しい政治」の新段階
 旧年開かれた「新しい政治」の新段階、これが閉じられるということはまずないと思われる。
 東北アジアについて言うなら、旧年末、米軍のシリア撤退、マティス更迭に示される西アジアの地殻変動がそれを雄弁に物語っているのではないか。それが圧倒的多数米国民の要求であり、トランプが独裁的権限を握ったファースト米覇権の路線であり戦略だからだ。南北朝鮮、国民がその時代の進展に異論がないのは言うまでもない。先にあった金正恩委員長の新年辞は、それを全面的に反映したものだったと言えるだろう。遅かれ早かれ、朝米の攻防が次の経済をめぐるステージに移行するのはほぼ確実だ。
 朝米が進めば、南北が進む。そこでは、南北朝鮮人民の悲願である「統一」が前面にその姿を現してくるだろう。
 一方、興味深いのは、来年の米大統領選に向けた攻防だ。ひと頃、対立候補なしと言われたトランプにもプログレッシブという強敵が現れ、選挙運動は、新年早々から例年にない盛り上がりの様相を呈しているという。
 これに加えて、ヨーロッパに広がるこれまでになかった新しい運動、「黄色いベスト」運動。これも新年早々、フランスでは左右の垣根を超え結集した諸運動団体が一同に会し、既存の政党、政治勢力とはまったく異なる新しい型の運動の指導部を形成したようだ。その指揮の下、運動が国民主体、国民一体の「新しい政治」新段階を体現したものへと発展する一方、すでに運動が飛び火したベルギーやポーランドなどから、さらに全ヨーロッパ的範囲の運動へと拡大する気配が濃厚だ。
 こうして、左右の違いを超えながら、「分断」を煽るファースト覇権に抗し、それを打破して広範な国民が主体として一体に進むところに、「新しい政治」の未来がかかっていると思う。

■日本国民は、「新しい政治」を求めている
 旧年、日本の政治は、東北アジア新時代の出現を前にして、「蚊帳の外」に置かれた。と言うより、国としての存在自体を失い、「新しい政治」の発展に逆行するようになった。
 新年、「新しい政治」の勢いが増し、その新たな段階の全面化が目に見えるようになってきている中にあって、一層その切実さを増してきているのが日本政治のあり方、進路ではないだろうか。
 しかし、トランプ・ファースト覇権への屈従を深め、軍事も経済も、日本のすべてを米国に組み込まれていっている安倍政権の動きには、そこからの脱却、転換を追求するものはまったく見られない。
 では、民意はどうか?日本国民の意思と要求はどうなっているのか。それについてよく言われるのが「安倍長期政権を支えてきたのは、他でもない、日本の民意ではないか」ということだ。
 だがそれに対して、異論が存在するのも事実だ。「民意はそうではない。これまで民意を受け止める『受け皿』がなかっただけだ」。
 どちらが正しいのか。それについて言えるのは、「受け皿」が見えた時、民意が動いたのは事実だということだ。それが一番顕著だったのは、やはり、一昨年、東京都議選での「都民ファースト」の圧勝。そして年末、総選挙を前にしての「希望の党」フィーバーの時だ。あの時、民意は明らかに「変化」を求め、「新しい政治」を求めた。
 それがなぜ雲散霧消したのか。その根因があの小池氏の「選別」「排除」にあったのは、われわれ皆の記憶に新しい。あの時、国民皆の口に上ったのは「なーんだ。これまでの政治と変わらないではないか」だった。
 国民は、これまでとは違う本物の「新しい政治」を求めている。問題は、その要求に応えることのできる「本物」の不在にあるのではないか。

■新年、「新しい政治」で政権交代を!
 新年、選挙の年を迎えながら、野党共闘や政権交代への動きが活発化してきている。
 その大きな動機となり心の支えになっているのが昨年、沖縄知事選での圧勝にあるのは、少なからぬ人が指摘する事実ではないかと思う。
 安倍自民が政権の命運をかけ、総力を挙げて来ていたあの選挙で、あのように圧勝できるとは誰も考えていなかったことだ。
 なぜあのような大勝利を勝ち取ることができたのか。そこには、今は亡き翁長前知事が心血を注いで育てた「新しい政治」の遺産が目に見えない大きな力になって働いていたのではないかと思う。  翁長前知事が掲げた「イデオロギーよりアイデンティティ」「(左右の違いを超えた)オール沖縄」のスローガンは、「新しい政治」そのものだった。その遺志が先の知事選で驚くべき力を発揮したのではないかと思う。
 日本において、「新しい政治」が力を発揮した例としては、もう一つ、あの2015年、安保法制反対の闘いを挙げることができるのではないか。あの時も、「日本を戦争する国にしてはならない」をアイデンティティに、イデオロギーの違いを超え、右と左が一体になった。
 新年、4月統一地方選、7月参院選を前にして、重要なのは、この「新しい政治」ではないだろうか。
 とりわけ、今日、安倍政権が「新しい政治」に逆行し、米ファースト覇権戦略に屈従しながら、日本の米国への組み込みを全面的に許し、対外的にも、対内的にも、日本の国としての存在をなくしてきている中にあって、その重要性は一層切実になっていると思う。
 安倍首相は、6年前、首相の座に着きながら、「日本を取り戻す」と叫んだ。が、その結果はどうなったか?真逆になっているのではないか。
 安倍政権がこの6年、日本にもたらした害毒の中でも特記すべきは、さらにもう一つ、格差の甚だしい拡大だ。米国と独占大企業、富裕層への優遇、そして国による規制と保護のほぼ全面的な撤廃という弱肉強食そのままの安倍政治がもたらした歯止めのない格差と貧困、生活破壊の広がりは、人々から生の拠り所としての国という存在を完全に奪ってしまった。
 日本という国を取り戻すどころか、国としての存在自体を国民から、そしてアジアと世界から奪ってしまった安倍政権の罪は大きい。
 選挙の年である新年、問われているのは、何よりも、日本の国としての存在自体をなくしてしまった安倍政権を断罪しながら、来るべき選挙を国としての日本を取り戻すための選挙、そのために行う政権交代に向けた選挙にすることではないだろうか。
 この選挙にあって、右も左も、保守も革新もない。「国民第一の日本」「アジアと世界の中の日本」をアイデンティティに、あらゆるイデオロギーを超えて行う「新しい政治」が問われてくる。
 今、矛盾に満ちたファースト米覇権が破綻し、覇権そのものが崩壊する歴史的時点にあって、時代は、民意がすべてを支配し、決定する民意の時代に転換の速度を速めている。
 今年、選挙の年、「新しい政治」で政権交代への広々とした道を切り開くこと、それこそが日本の国としての存在を取り戻し、アジアと世界の中の日本、国民のための日本を実現することではないだろうか。



寄稿

苦悩する文在寅政権

大畑 龍次


 韓国の文在寅政権がスタートしたのは2017年5月10日。今年5月で2年目を迎えることになる。大統領の任期は5年なので、まだ半ばも過ぎていないが、南北関係の画期的な改善を実現しつつある。これからが政権運営の真価が問われる。そこで、文在寅政権の課題と展望について考えてみたい。
 まず、政権がどのように生まれたかが政権の性格に深く刻印されている。文在寅政権は2016年10月頃から始まった「キャンドル革命」によって生まれた政権であり、「キャンドル政権」と呼ばれている。「キャンドル革命」は朴槿恵前政権の腐敗と権力の私物化に鉄槌を下す闘いだった。朴槿恵の辞任こそ実現できなかったが、彼女は2017年3月に韓国憲法裁判所による大統領弾劾訴追案の可決で失職させられた。その結果、大統領選挙の前倒し実施で生まれたのが文在寅政権である。このように政権交代が行われたため、前政権の政策が見直された。検察・情報院などの国家機関の改革、若年層の失業解消と雇用創出、財閥中心の経済政策の見直し、南北関係の改善などが課題として挙げられた。
 2017年7月には政権の統一政策である「ベルリン宣言」を掲げた。そのポイントは「北の崩壊も望まず…」「吸収統一も推進せず…」「共存共栄の民族共同体」を呼びかけたことだ。しかし、朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)は2016〜2017年にかけて核・ミサイル開発を本格化し、米国との軍事的緊張が続き、第二次朝鮮戦争の可能性さえ指摘されるほどだった。そして朝鮮は2017年末、核武力の完成を宣言するに至り、情勢転換の契機になった。
 南北関係が動き出したのは年が明けた2018年からである。朝鮮は新年辞で平昌五輪を民族の慶事として参加の意向を明らかにした。こうした朝鮮の平和攻勢によって3回の南北首脳会談が実現し、6月には歴史的な米朝首脳会談が実現した。朝鮮は核・ミサイル開発を中断しただけでなく、一部の核施設を爆破・廃棄する措置をとり、米韓もまた大規模軍事演習を中止した。こうして朝鮮半島には「平和」が実現した。非武装地帯の平和化が進み、南北の道路・鉄道連結工事が始まった。南北共同事務所が設置され、各種の共同委員会が設置されようとしている。南北はこうして「平和」から「繁栄」へと進もうとしている。こうした南北関係の改善を受けて文在寅政権は高い支持率を獲得してきた。

  

 2018年6月に行われた統一地方選挙では、与党「共に民主党」の圧勝を実現した。選挙結果を最大野党「自由韓国党」との比較で示すと、道知事と大都市の広域自治体の首長選挙では14:2、その他の基礎自治体では151:53と圧勝。地方議会でも同様の圧勝だったが、ここではソウル市の例だけを挙げておこう。25の区長選挙では24:1、定数100の市議会では97:3と圧倒した。民意は政権与党「共に民主党」への圧倒的な支持を示した。しかし、年末の世論調査では初めて不支持率が支持率を上回る結果となった。南北関係の画期的な改善が進んでいるものの、韓国経済の改善は見られず、財閥主導の政策が続いているからである。また、政策が進まない背景には、国会での少数与党状況がある。韓国の国会は4年任期の一院制だが、前回総選挙は2016年4月に行われ、現有議席数(298、欠員2)では、「共に民主党」131、最大野党「自由韓国党」112、保守系の「正しい未来党」29、「民主平和党」14などとなっている。過半数に達していない与党「共に民主党」はその他の野党などとの協調を余儀なくされている。統一地方選での政治状況をみれば、「共に民主党」が圧倒するはずだが、現在の政治状況が国会勢力に反映されていない。次回総選挙が行われるのは2020年4月の予定であり、それまでは政権の迷走が続くだろう。

                

 さて、南北関係の停滞もささやかれている。南北関係というよりは、米朝協議が膠着しており、米国の意向を忖度する文在寅政権に対して朝鮮側が不満を表明している。文在寅政権は政権交代を実現したとはいえ、決して反米自主政権ではないところに限界が見られる。現時点で金正恩委員長のソウル訪問、年初の米朝首脳会談、習近平国家主席の平壌訪問が予定されていることから、春までには朝鮮半島ならびに北東アジアの関係改善が期待できるだろうが、紆余曲折もありそうで予断を許さない状況である。
 最後に、日韓関係をみておきたい。このところ日韓関係がギクシャクしている。前政権が親日寄りだったがゆえに、その見直しが行われている側面がある。第一に、元徴用工問題がある。韓国大法院(最高裁判所に相当)は元徴用工への慰謝料の支払いを命じたのをはじめ、同様の事件に賠償を命じる判決が続いている。日本は65年の日韓条約で解決済みとして国際裁判所への提訴や対抗措置を検討している。しかし、前政権が司法に介入して判決の遅延を行っていたこともあり、キャンドル大統領としては後に引けない。第二に、2015年の慰安婦合意の見直し。日本からの基金によって作られた財団の解散と基金の返還を準備しているという。この問題では前政権が被害者ハルモニの意向を無視して合意したとして問題になっていた。第三に、レーダー照射問題。日韓双方の事実認識が違い、双方の主張には隔たりがある。本来、軍事当局間で解決すべきところを日本があえて公にしたのが発端。前述したような対立があるなか、日本側が不満をぶつけた格好だ。南北関係の改善を歓迎しない日本側の牽制というところだろう。3月には3・1独立運動から100周年の記念イベントが南北共同のもとソウルで開催される。日本が真に植民地支配を反省しているのか、問われることになるだろう。日本は、韓国の政権が政権交代として生まれたことを理解し、朝鮮半島の歴史的な転換の意味を理解しなくてはならない。蚊帳の外どころか、関係改善の阻害物になってはならないし、日本政府の朝鮮敵視政策に反対の声をあげるときだ。


 
随想

「平成」の終わりに

金子恵美子


 初春を 喜べる人 どれほどか。
 お正月を迎えても晴れがましい気持ちになれなくなって久しい。
 青空の下、真新しい障子紙にかえられていく障子、臼の中で白い湯気を燻らせる白いお餅、初日の出に初詣、こたつを囲んで箱買いのミカンを食べながらゲームや花札遊びに興じた遠い昔。あの頃は、なんとお正月お正月していたことか。
 今ではその田舎も大きく様変わりしてしまった。久しぶりに帰った田舎には、子供たちの姿が見当たらない。あれほど子供たちで溢れ、子供の声が行きかっていたそこはひっそりと静まり返っている。もう一つの変化は「縁側」が消失していること。どの家も綺麗に建て替えられているが、サッシ戸がピシッと閉められ、他人はお断りと無言で告げている。
 「縁側」は他人に対して開かれた空間、心のありようの象徴であった。勿論そこには秘め事がなく何でも見通されているという息苦しさはある。しかし、縁側が一つ残らず消え去った故郷の寒々しい風景に、明るく幸せな明日を展望することはできなかった。
 そうした変化は田舎だけの事ではない。私の今住んでいる処は、外国人の移住者が多いという事も関係しているかもしれないが、お正月と言っても、角松やしめ縄を飾っている家は殆ど見受けられない。町内会で配られる「謹賀新年」と書いてある紙を貼り付けている家がちらほらある位。町は班で区分けされウチは8班であるが、高齢化と近所付き合いの拒否の家などで年々戸数が減り、今や6,7戸。班長の役が早く回ってくるのが面倒だ。と言っても町会費の集金と回覧板を回すくらいのものなのだが。
 話はお正月にもどるが、元旦に近所の神社に初詣にいった。独特の笛の音色が響き、鈴をならして詣でる人々、おみくじと絵馬の売店に並ぶ人、お正月がここに凝縮されている感じだ。売店の巫女さんがアジア系の外人だったのには少し驚いたが、これからはこうした風景も珍しくなくなるのか・・・。絵馬に皆の健康と平穏な生活と記した。
 平成もあと数か月で終わりを迎えようとしている。平成という元号が発表された時に「内を平らげ外に成すやな」と言ったTさんの言葉が忘れられない。国内を平定して外に出て行くこと即ち民意を抑え込み再び覇権国家になるという意味で言った言葉だった。
 元来の平成の意味、由来は「史記」五帝本紀の「内平外成(内平かに外成る)」、「書経(偽古文尚書)」大禹謨の「地平天成(地平かに天成る)」からで「国の内外、天地とも平和が達成される」という意味であるそうだ。どちらが「平成」の現実を物語っているだろうか。
 平成天皇は先の誕生日でのメッセージで「・・・平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています」と言っている。しかし、天皇が安堵する気持ちは分かるが(そんなもん分からんでいい?)、現実は安堵していられない方向にどんどん日本は進んでいる。
 確かに武力による国と国との戦争は平成の時代に起こらなかった。だが、安倍政権になって以降の日本は、特定秘密保護法、集団的自衛権行使、戦争法制、共謀罪創設の強行採決、アメリカからの武力装備品の爆買い、実質空母の保持、民意を無視した沖縄辺野古への基地新設推進などなど、数と金、恐怖支配に物を言わせたやりたい放題で、日本を戦争国家へと引きずっていっている。何よりも、平和と繁栄の時代に向かって出帆した朝鮮半島、北東アジアの流れに掉さし、アジアの孤児になり果てている。
 「平成」の「内外、天地共の平和」の前の「昭和」にも「国民の平和を願い、世界と共存し繁栄を願う」と言う意味が込められていたそうだが、 問題は「元号」にどのような意味を持たせるかではなく、現実の政治が全てを決めるという事だ。久しくお正月をめでたい気持ちで迎えられない最大の原因もまさにここにあるのである。
 次の元号がどうなるかではなく、大きな政治決戦がある今年、日本の政治の主人に誰が成るかが私たちの生活に直結する一大問題である。
 アジアでも、ヨーロッパでも、アメリカでも新しい政治が産みの苦しみの中にある。新しい夜明けの前、私は何を成すのか? この問いと向き合う一年にしたい。


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