研究誌 「アジア新時代と日本」

第186号 2018/12/10



■ ■ 目 次 ■ ■

編集部より

主張 「新しい政治」で政権交代を!

議論 徴用工賠償判決がつきつけるもの

寄稿 「小さき者」の歴史のため

編集部から 勉強会報告




 

編集部より

小川淳


立憲民主党キックオフ集会に参加して
 昨年10月に慌ただしく政党を立ち上げてから1周年、今年夏のキックオフ集会は台風で流れ、兵庫県では初めての集会となった。枝野代表も来るということで県民会館のホールは大勢の参加者で席が足らず、席を譲った議員たちは立ち見のまま、立錐の余地もない。史上最悪の安倍政治を一刻も早く終わらせたい、まっとうな政治を作り出して欲しい、その期待と熱気が会場に満ちていた。
 安倍政権を倒すためには、枝野さんの言うまっとうな政治の中身、立憲民主党のめざす社会とはどのような社会なのかを、立憲民主党は国民の前にしっかり提示する必要がある。アベノミクスに代わりうる「新しい経済の形」を示せるかどうかが、来年に迫る統一地方選、参院選の鍵を握っているのではないか。
 枝野代表の話のポイントは三つだ。何よりも重要なことは、明確な旗を掲げるということ、立憲民主党は何を目指すのか、この政党としての立ち位置を明確にする事の重要性を枝野さんは述べている。これまで旧民主党は、自民党に対抗するために「大きな政党」を目指してきた。しかしその結果、党の旗があいまいになり、自民党政治に対峙する路線がまったく提示できなくなった。「中身」よりも「数」を重視したこと、これが敗北の大きな原因だった。だからこそ、立憲は明確な旗を掲げる。そうしてこそ国民の支持は集まると。
 第二は、新しい政治文化を創り出すということだ。「あなたが主役だ」という言葉が示す通りで、政党や議員は政治を動かす道具に過ぎない、主役はあくまでも国民・市民だという視点は新鮮で、これも立憲の独自の立ち位置をよく示していると思う。今回の集会で取り組まれたパズセッション(小さなグループに分けて討議し、その結論を集めて全体で共有していくボトムアップの方法)はそのための試みの一つだった。
 三つは経済政策だ。「強いものをより強くする」これが自民党の経済政策の核心であり、強い経済、その為には強い企業、世界に通用する輸出企業をつくる、そうすれば国民も豊かになる。これがアベノミクスの考え方で、これはもう時代遅れだ。なぜ日本経済はダメになったのか。将来の不安、医療、年金、介護、子育て、そして格差。ここを改善しない限り日本経済は再生しない。まずは介護、保育の賃上げを実現するという。上からではなく下から経済を立て直す。これが立憲の考え方だ。1時間ほどの演説で、語りつくせない部分はあったと思うが、新しい政治をめざす枝野代表の決意は十分に伝わってきた。統一地方選、参院選が来年に迫る中で、外交、憲法、原発、沖縄辺野古、経済などなど、まったなしだ。器はできた。スピード感をもって、インパクトのある中身をどう作り出していくのかだ。



主張

「新しい政治」で政権交代を!

編集部


 来年の統一地方選、参院選は、いつにも増して大きな意味を持っている。安倍政権打倒、政権交代への道を切り開けるか否か。
 そこで鍵となるのは、この闘いをいま世界に地殻変動を起こしている「新しい政治」を反映した闘いとして展開できるかどうかではないだろうか。

■世界に広がる新旧政治の転換
 今、世界の政治には大きな地殻変動が起こっている。それは、政治のあり方自体の新旧根底からの巨大な転換だ。
 昨年から始まったトランプの政治は、米大統領のあり方を変えた。そして先頃あった米中間選挙。共和党対民主党というこれまでの二大政党制は、「新しい政治」、トランプ党対進歩党(プログレッシブ)の対決へと質的に転換した。
 そして何より、東北アジア新時代。戦争と敵対の旧時代から平和と繁栄の新時代へ。朝米の和解、南北の融和、地殻は大きく変動した。
 「新しい政治」の展開は、それに止まらない。自国第一主義、「新しい政治」の波はいよいよ勢いを増し、執権党となったイタリア「五つ星運動」の勝利、メルケルを党首から失墜させた「ドイツのための選択肢」の躍進、「メキシコ第一主義」ロペスオブラドールの大統領当選、台湾民進党の惨敗と二大政党制の終焉、そして、左右の枠を超えたフランス、反マクロンの大規模デモ、等々と、全世界に広がっている。

■政治の転換の背景を問う
 いかなる政治も、国民の意思と要求を無視することはできず、それに規定されている。だから、政治の転換は、何よりも、国民の意思と要求の反映として見なければならない。
 この間、人々の意思と要求で際だっているのは、自分たちの地域、国を大切にし、その利益を第一にしながら、格差に反対し、自分たち自身、政治の主体になってきていることではないだろうか。
 その背景にあるのは、国と民族、集団そのものを否定しながら、国家によるあらゆる保護と規制を否認し、弱肉強食の競争のままに任せたグローバリズム、新自由主義であり、それが生み出した国と社会のグローバル化、二極化、その結果としての生活破壊に他ならない。
 この究極の覇権主義、グローバリズムと新自由主義による米覇権が、今、自らが生み出したテロと戦争、泥沼の経済停滞、そこから生まれる六千数百万難民・移民の大群と巻き起こる自国第一主義の嵐によって完全に破綻し、覇権そのものが崩壊の危機に瀕している。
 覇権が崩壊し、パクス・アメリカーナ(米覇権の下での平和)が終焉する中、人々が自らの生活のかけがえのない拠り所であり運命開拓の基本単位である自分の国を第一にし、その利益を優先しながら、社会の二極化、広がる一方の格差と貧困に反対しながら、現状への対応能力を失った既存の政治、政党を見限って、自分たち自身、政治の主体として登場して来ているのは、あまりにも当然な歴史の必然ではないだろうか。新旧政治の転換、その不可避性もまさにここにあると思う。

■「新しい政治」に求められていること
 国と社会のグローバル化、二極化、それによる生活破壊に反対する闘いの中から生まれてきた「新しい政治」に求められているのは何か?
 それは、何よりもまず、米国やEUなどグローバルな覇権ではなく、自分の国と国民を第一にするということだ。
 この自国第一主義は、即、自国、自国民の利益、その主権、自主権を第一にするということだが、それは、よく言われるように、他国と他国民を蔑ろにし排斥することでは断じてない。その正反対に、他国と他国民を尊重し共に進んで行ってこそ、自国、自国民の平和と繁栄、幸福があるという真理に基づく政治だということだ。
 自分の国と国民を第一にするとは、また、自国、自国民が他国と比べ世界で第一だと見るのではなく、自国、自国民を自分にとり第一だとして世界を見るということであり、自国が世界の一員としての役割をよく果たすようにするということだ。
 さらに言えば、自国、自国民を第一にするとは、右と左、イデオロギーの違いを超え、自国、自国民としてのアイデンティティで一つになること、オール日本になることでもあると思う。
 新しい政治に求められていること、それは次に、あらゆる格差に反対し、国民皆が一体となり主体となって政治を推し進めることだ。
 国と社会の二極化とは、右と左、多様性と非多様性、白人種と有色人種、等々へと煽られての分断では決してない。グローバリズム、新自由主義によって生み出された1%の富裕層と99%の貧困層への分極化に他ならない。
 だから、二極化が生み出す古い政治から新しい政治への転換は、何よりも、1%による1%のための政治から99%による99%のための政治への転換とならなければならず、共通点ではなく差異点を見つけ出して対立を煽る分断の政治ではなく、格差と分断に反対し、左右の枠を超えて互いに力を合わせる統一団結の政治への転換にならなければならない。

■政権交代、問われる「新しい政治」
 来年、日本は選挙の年だ。それに向け、野党共闘への動きが活発だ。先日も、立憲民主党と共産党、国民民主党、三党の合意が図られた。
 そうした中、小沢一郎氏から「政権交代」への提唱がなされている。野党が共闘、協力しさえすれば、今でも安倍自民の議席数を超え、総選挙に追い込み勝つことができるという見通しだ。
 だが、得票数の数あわせだけで、政権交代できるのか。野党各党の利害の食い違いから、共闘が破綻し、安倍自民による圧勝を許してきたのがこの間の日本政治だったのではないのか。
 野党共闘を成功させ、政権交代の道を切り開くための鍵は、「新しい政治」にあるのではないかと思う。その根拠は、今求められている政権交代が、その本質において、古い政治から新しい政治への転換であるからに他ならない。
 この間、日本国民は、「新しい政治」を求めてきた。民主党による政権交代も、橋下・大阪維新の台頭も、小池・「都民ファースト」の圧勝も、すべて、その現れだったと言える。
 しかし、国民の願いはかなえられなかった。「もう変革なんて言ってくれるな」。若者たちの声は、それに対する答えだと思う。
 だが、真っ暗闇の中でもあくまで光を求めるのが人間であり国民だ。絶望の中から生まれてくる飽くなき希望、それに応えるのが今回の「政権交代」ではないだろうか。
 求められているのは、言うまでもなく、「本物」だ。国民が求める「本物の新しい政治」、それは何よりも、そのスローガンや政策に現れなければならないと思う。
 広く国民が求める「新しい政治」のスローガンと政策、それを今ここで全面的に論ずることは残念ながらできない。しかし、その上で敢えて言えば、「政権交代で国民第一の新しい日本を!」とか「99%のための99%の政治」などといった、「新しい政治」への国民の切実な要求を反映したものを挙げることができるのではないか。
 ちなみに、イメージを豊富化するため、その線に沿ってさらに問題提起するならば、現段階における政権交代、各分野、各領域の政策として、安保防衛、「専守防衛、安保法制見直し」、経済、「富の公平な配分で格差をなくし、経済を回す」、外交、「日米基軸にアジア重視」、地方地域、「地方再生なくして国はない。地方の特性を活かした連携的発展を図り、国はそれを助ける」、教育、「国民皆が人材となる『教育立国』」、社会保障、「国民に負担と責任を押し付けるのではなく、国が責任を持つ社会保障改革を!」、等々が考えられるのではないだろうか。これらをめぐる論議が活性化し、その中から皆が求め誰もが賛成するスローガン、政策が打ち出されること、それこそが、野党共闘を広く国民の要求に応える「本物の共闘」、各党の利害の差異をも乗り越える強固な共闘へと発展させる道ではないかと思う。
 国民が求める「本物の新しい政治」で、もう一つ決定的なものがある。それは、言うまでもなく、それを担う主体だ。政治は人であり、新しい政治は、それを担い導き推し進める人がいてこそ、政権交代を引き起こしていくこともできる。
 今、世界を見渡しても、「新しい政治」が生まれているところには、例外なく、人がいる。指導者がおり、一定の政治勢力がある。
 出でよ人材!新しい政治勢力!このような呼びかけでこの文を結束するのが許されるのも、新しい時代なればこそだと思う。



議論

徴用工賠償判決がつきつけるもの

東屋 浩


 10月30日、韓国大法院は新日鉄住金にたいし4人の元徴用工への慰謝料支払いを命じる判決を下した。さらに、大法院は11月29日、三菱重工の元徴用工と女子勤労挺身隊員に同様の判決を下し、ソウル地裁が新日鉄住金の八幡製鉄所で働いていた元徴用工への慰謝料支払いを命じた。
 これにたいし日本政府は「毅然と対応する」とし韓国政府を非難、抗議した。政府は各企業に損害賠償や和解に応じることのないよう徹底的に周知させる説明会を開く一方、国際裁判所への提訴を検討している。この問題は「1965年の日韓請求権・経済協力協定で完全かつ最終的に解決している」(安倍首相)、今更なぜと、日韓関係は決定的に悪化している。  しかし、日本政府はほんとうに植民地支配の賠償をし、それは解決済みの問題だろうか。今一度考えてみたい。

■韓国を非難する日本政府の誤り
 日本政府は上記のように日韓基本条約、日韓請求権協定により賠償問題は解決済みという立場であり、韓国政府が対処すべきだとしている。このまま日本企業が賠償に応じなければ、韓国内の日本企業資産没収とそれに対抗した日本における韓国資産没収という果てしない泥沼に陥る可能性がある。
 問題は、本当に日本政府が植民地支配の賠償をし、賠償問題が解決済みかどうかにあるといえる。
 判決文によると、「原告は朝鮮半島が日本の不法で暴圧的な支配を受けている状況で、労働の内容や環境をよく知らないまま日本政府と日本製鉄の組織的欺きによって動員され」、「生命や身体に危害が及ぶ可能性が非常に高い劣悪な労働に従事した」「この請求権は、「不法な植民地支配や侵略戦争遂行に直結した日本企業の反人道的な不法行為を前提とする強制動員被害者のもの」としている。この判決で示されているのは、未払い賃金や賠償ではなく、植民地下で強制動員された被害者への慰謝料である。
 日本政府は、「個人に請求権はあるが、その請求権は政府の保護を受けられない、つまり実質的に請求できないとしたのが日韓請求権協定であり、その引き換えに経済協力協定がある」という。つまり、植民地支配は認めずその賠償はしないが、かわりに他の名目で金を出したということだ。
 日韓基本条約で日本が植民地支配を認めず謝罪していないように、日韓請求権協定は、「植民地支配に対する賠償」を対象とせず、単に日韓間の財政的、民事的債権・債務関係を政治的合意により解決するためのものとなっている。
 当時、椎名外相は、国会で「経済協力というのは純然たる経済協力ではなくて、これは賠償の意味を持っておるものだというように解釈する人があるのでありますが、法律上は、何らこの間に関係はございません。あくまで有償・無償5億ドルのこの経済協力は、経済協力でありまして、韓国の経済が繁栄するように、そういう気持ちを持って、また、新しい国の出発を祝うという点において、この経済協力を認めたのでございます」(参院/1965年11月19日)と述べている。
 つまり、これまで日本は韓国にたいし植民地支配の反省と謝罪、賠償をおこなってこなかったということだ。
 日本政府の立場がこうだとすれば、日韓基本条約、日韓請求権協定は植民地支配の謝罪と無関係だから、賠償問題が解決済みというのは間違いということになる。植民地支配下における強制連行の賠償を訴える元徴用工の公訴とそれにたいする判決も正当だといえる。
 これまで日本政府が韓国(朝鮮)にたいし植民地支配を不当なものとして認めず、反省と謝罪、それにともなう賠償をしてこなかったところに問題の根源があると見るべきではないだろうか。
 ところが、日本政府は今回の徴用工問題でも、あくまで植民地支配と賠償を認めない姿勢だ。そして、企業が賠償に応じようとしていたのも中止させている。
 安倍晋三首相は1日、国会予算委員会で「今後は旧朝鮮半島出身労働者」という表現を使うと明らかにした。これは「募集」「官斡旋」による動員は強制動員と認定できず、1944年以後の徴用による労働者だけが強制労働と認定できるという意味だ。しかも、「徴用工」と「労働者」では意味合いがまったく違う。言葉の言い換えで植民地支配を誤魔化そうとする安倍首相の姑息な手法だ。
 植民地支配→強制連行→徴用工、これは従軍慰安婦と同じ構造だ。植民地支配の罪過は年を追って忘れられ風化していくのではなく、逆に日に日にその罪過の清算と謝罪が問われてきている。

■徴用工賠償問題は日本のあり方を問い、東北アジアの当事国として生きるかどうかの試金石
 朝鮮(韓国)は日本の姿を映し出している鏡だといえる。朝鮮・韓国にたいする侵略、そこで土地を奪われ、虐殺され、強制的に従軍慰安婦、徴用工に狩りだされ、名前も奪われた朝鮮・韓国の人々の姿は、日本のあり方をそのまま映している。だから、朝鮮(韓国)にたいする対応は、日本と日本国民自身の問題ということができる。
 三菱重工業本社まえで455回の抗議行動をおこなってきた「名古屋三菱・朝鮮女子勤労挺身隊訴訟を支援する会」がある。その会の平山氏は、「私は愛国者だ。日本が戦後処理をきちんと行うことが真に日本のためになる道だ」と語っている。
この言葉が端的に示しているように、真摯な反省と謝罪、賠償こそが、日本が二度と侵略せず他国を尊重する平和国家として、アジア諸国と共に生きていくための出発点、証しとなる。
 反省と謝罪という行為は、すぐれて主体的な行為だといえる。自分自身で考え、過ちの結果と原因を把握し、それにもとづき被害者にたいし心からの謝罪をしてこそ、その国の発展がありえる。
 反省し謝罪することはもちろん気分のよいものではない。だから「自虐史観」という批判も起こりえる。しかし、反省し謝罪する痛みより、植民地支配を受けた朝鮮(韓国)の人々の苦しみの方がはるか大きいというのは言うまでもないことである。
 大東亜戦争が自存のための戦争だとし、従軍慰安婦・徴用工強制連行を事実ではないとする歴史観のままで日本政府が対応するならば、今後とも日本はアジア諸国を蔑視しつづけ、アメリカの覇権の醜い走狗となり、最後には滅びるしかないだろう。
 問題は、今、なぜ徴用工賠償問題として、さらにいえば従軍慰安婦問題として、植民地支配の反省・謝罪・賠償が提起されてきたかだと思う。
 今日、東北アジアが平和と繁栄の新時代を迎え、過去の植民地支配を完全に清算していくことが問われている。アジア諸国は南北朝鮮の融和が示すように、今やかつての蔑まれ、侵略を受けた国ではなく、自己の主権を守り、民衆が主権者として国を建設している時代だ。今日、侵略、大国主義などの他国の主権を侵害する覇権が音をたててくずれさっている。
 こうした時代にあって、日本がアジアの一員としてアジア諸国と共に手を携えていこうとすれば、過去の侵略にたいする心からの反省と謝罪を避けることはできない。過去の歴史と真摯に向き合ってはじめて日本もアジア諸国と共にこの時代の潮流に合流していくことができると思う。
 徴用工賠償問題が突きつけているのは、日本が平和と繁栄の東北アジアの新時代にあってアジア諸国と共に手を携えるのか、否かということではないだろうか。このことを韓国・大法院判決が日本に突きつけたと受け取るべきではないだろうか。
 日本政府は国と国の約束を守らないと憤っているが、侵略を認めていない条約が歴史と国民の前に正当性を持たないのはあまりに当然のことではないか。そもそも1965年の日韓基本条約と日韓請求権協定は、両国の民意と無関係にアメリカに督促され米日韓軍事同盟を強化するため韓国の軍事独裁政権と交わした条約、協定である。それゆえ、すでに韓国で日韓基本条約を見直すべきだという声が起こっている。
 従軍慰安婦問題も安倍政権が認めなかったのをオバマ大統領に言われて、否応なしに朴槿恵政権と合意をはかったもので、そこに元慰安婦たちの意思は反映されず謝罪もなかった。根は同じところにある。徴用工像、従軍慰安婦の像の設立が世界各地に拡がっているように、日本が侵略の過ちを認めない限り、ますますアジア諸国と世界各国から指弾を受けるようになるだろう。
 徴用工賠償問題にいかに対処するかは、覇権国家か平和国家かの日本のあり方を問うている問題であり、日本が新しい東北アジアの当事国として生きるかどうかの試金石となる問題だと思う。


 
寄稿

「小さきもの」の歴史のために

コマプレス朴敦史(『60万回』のトライ共同監督)


 私は在日朝鮮人3世で、ソウル出身の朴思柔(パクサユ)と「コマプレス」を結成し、2010年より大阪を拠点に朝鮮学校や在日朝鮮人コミュニティの記録、映像制作を行っている。去る10月14日、「アジア新時代研究会」と「1%の底力」の共催による『東日本大震災 東北朝鮮学校の記録 2011.3.15−20』(2011年、コマプレス制作、以下『東北朝鮮学校の記録』)の上映会が大阪・天満の国労会館で開かれ、日本、在日同胞の観客との意義深い対話が生まれた。そこで伝えそびれたことなども含め、いま一度『東北朝鮮学校の記録』制作の経緯を振り返り、忘備録としたい。

 本題の前に、在日朝鮮人の歴史と記録について述べたい。在日朝鮮人の歴史は「偉人」たちの歴史ではない。それは「小さきもの」たちの歴史である。どちらかといえば、陽の当たらない影に生き、日々の生活に追われながら、その人自身と家族、地域同胞社会のために生きてきた人々の来歴が、われわれの歴史の大部分である。
 「小さきもの」の記憶や出来事は、そのほとんどが表現「以前」の、形態「未満」の、それこそ「ため息」のようなものとして、記されることなくその人々とともに時間の彼方へ失われてしまう。形なき「ため息」を記録するためにはどうすればよいのだろうか。私はそのような「小さきもの」の記録のあり方を土本典昭監督や小川プロダクションのドキュメンタリー映画から学んだ。
 その場にいて、その時を共に迎え、その時代を駆け、ありのままを記録すること。対象者への繊細な感情を深めること。社会意識を研ぎ澄まし、アクチュアルな関わりを模索すること。映像表現のコンベンショナルな様式へ批判を持つこと。対象者との関係を倫理的に思慮すること。自分自身がまず変革されること。そして社会を変革するために行動すること。ただの外在者として「調査」や「取材」をするのではなくて、その「小さきもの」たちとともに生き、「ため息」を聴き取れるまで傍に近づき、その世界を全肯定するためにこそ記録するのだ。それが歴史となる。

 2011年3月11日、東日本大震災とのちに呼ばれるようになる大地震とそれに起因する東北沿岸部の大津波、福島第一原発のメルトダウン事故が起こった。私たちは、直後の3月15日に仙台の東北朝鮮初中級学校を訪ね、一週間あまり、学校で寝泊まりをさせて頂きながら、被災した学校敷地内に避難する在日同胞たち、教員たちの姿を撮影させて頂いた。
 震災直後、東北朝鮮学校が被った物理的被害もさることながら、学校の置かれた社会的位相がその被害をいっそう深刻なものにしている現状を目の当たりにした。多くの在日同胞たちが学校へ避難しているにも関わらず、行政からの配給や給水などの支援は全くなかった。大規模損壊し、使用不可能となった校舎の被害調査にも来なかった。そればかりか、宮城県は次年度から学校への補助金をカットすると通告する有様。
 一方、東北朝鮮学校の内側では、それらの苦境にも関わらず、教員や地域の同胞たちの間で普段ながら築かれていた紐帯が、その状況を生き延びるための最大限の緩衝材となっていた。語弊があるが、不安やストレスにそれぞれが押しつぶされそうになりながらも、同胞たちには笑顔が絶えなかった。被災を乗り越えようと尹(ユン)校長先生が学校の食堂の壁に掲げたスローガンには、「大地は揺れても笑ってゆこう」とあった。それが共和国の「苦難の行軍」のスローガン「歩む道が険しくても笑ってゆこう」に由来することを私が知るのは、ずっと後のことである。
 最初期の数日間を乗り越え、全国各地の同胞から食料や支援物資が届くようになると、同胞たちはそれを学校でのみ費やすのではなく、近隣の日本の小中学校に避難している地域住民と分かち合った。オモニや教員たちでおむすびをこしらえ、小中学校まで配達。またキムチチゲの炊き出しも行った。数日ぶりの温かい食べ物に、日本の避難者の顔も自然にほころんでいた。400食のチゲはたちまち底をつき、キムチを持ち帰った住民までいたという。そこには朝鮮学校と日本学校、日本人、在日朝鮮人の区別なく、絶望的なカタストローフの最中にあっても人間らしさが、生き延びるためには切実なくらい必要なのだ、という普遍の真理があった。

 大阪へ戻り数ヶ月経った頃、私たちは「山形国際ドキュメンタリー映画祭2011」にて、震災関係の映像を取りまとめたプログラムが企画されていると知り、急遽、東北での記録を『東北朝鮮学校の記録』として編集し上映を提案した。編成の締め切り後だったにも関わらず、山形映画祭は上映の機会を設けてくれた。10月12日、『東北朝鮮学校の記録』が上映され、尹校長先生とともに舞台で質疑応答を行った。映画祭の観客は東北朝鮮学校の状況に大きなショックを受けたようであった。
『東北朝鮮学校の記録』は作品としてではなく、できるだけ無記名の記録として、「出来事」をありのまま伝えたい一心で制作された。
 そもそも「小さきもの」たちの声を聴く記録者は、屹立した作家なのだろうか。他者の声を汲み取ることは「創造する」ことなのだろうか。そしてなにより、震災、大津波の戦慄すべき被害を目の前にして、はたしてあの東北の地で「作家」、「監督」として名前を冠した「作品」を作ることができるのだろうか?その点で映画祭事務局と興味深いやりとりがあった。
 映画祭カタログを制作して頂く過程で私たちは「個人名」と「監督」ではなく、「コマプレス制作」とだけ記載してほしい、と希望した。ところが、事務局はあくまで「個人名」と「監督」が必要、と見解のすれ違いが生じたのである。結局、カタログには折衝案で、「監督:コマプレス」と記された。
 習慣的にも、また制作者を明記することでその後、作品へのアクセスがしやすくなることも含めて、今では私たちも監督名の有益さを理解する。しかし、私たちは「匿名性」にこだわった。
 震災直下の東北朝鮮学校で目にしたものは、事実として確定される前の剥き出しの「出来事」だった。未然の事実としての「出来事」の記録映像もまた、作品「以前」、作品「未満」であり、記録者もまた、作家などではなく、匿名的で何者でもない剥き出しの存在にすぎないのではないだろうか。「小さきもの」の記録はかぎりなく「匿名的」でなくてはならない。出来事を、事実として確定される未然のままで伝えることに記録者の名は要らない。そのように考えていた。

 東北から帰る間際、滞在中回りっぱなしだったビデオカメラはピントが合いづらくなった。鋭い寒気、津波被害の甚大な沿岸部の砂塵、塩風を吸い込んだカメラは故障し、眼を閉じようとしていた。しかし、私たちまで眼を閉じるわけにいかなかった。震災直下の人々の苦難、その揺れ動く感情、人間らしい関係の中で生き延びてゆく人々の尊厳、なにより朝鮮学校に集う在日朝鮮人の姿を伝えてゆくことに、なにかしらの責任を感じるようになっていた。そのことが私たちの活動の原点となった。
 現在、東北朝鮮初中級学校では在日朝鮮人の民族教育の火を東北で絶やすことのないよう、教員、地域同胞たちが、日々一丸となって奮闘中である。行政の支援もない中で、震災の物理的影響をなんとか最小限にとどめ、全壊した校舎の代わりに寄宿舎を改装した新しい教室で学校は運営されている。生徒数17名の「小さな」学校。しかし、自然豊かな教育環境、教員たちとの心情的距離の近さ、地域在日同胞の多方面に渡る関わりに包まれ、今日も学生たちは溌剌とした学校生活を送っている。震災後、たびたび通った東北朝鮮学校をここ数年訪問できていないが、いつでも仙台へ飛んでゆきたいくらいだ。
 私たちコマプレスのモットー「小さな声、低い視線」は、記録者としての姿勢を表している。そして「コマプレス」の「コマ」は朝鮮語の「コマ」。まさに「子ども」や「小さきもの」を意味する。自ら身を屈し、対象者と共に在ることを望み、その存在の同伴者として記録することを最上の使命と念ずる。たとえこの身が滅びようとも、対象者の「ため息」を記録に残すことができれば、それがまた歴史となってゆくと信ずる。朝鮮学校と子供たちの行く末を、今後もみつめてゆきたい。



編集部から

勉強会報告

金子恵美子


 今年最後となった第10回勉強会は、ドキュメント映画「東日本大震災―東北朝鮮学校の記録」上映と監督のトーク。上映内容や会場が生野区という事もあり、在日の方が全体の三分の一位を占め、目指した人数には及ばなかったものの、初めての参加者30名越えを達成し、日朝の小さな友好・連帯の場ともなり充足感のある勉強会となりました。
 初めに参加者の皆さんからの声を紹介したいと思います。
 「上映会に誘ってくださりありがとうございました。おそらく日本のマスメディアが報道していない、朝鮮学校の姿とそこにいる人々の実際の様子がよく分かりました。宮城県庁の行政の対応は朝鮮学校を差別し、排除している現実がよく分かります。多くの人がこの記録映画を見たら、日本の行政に抗議の声を挙げると思います。困ったときはお互いさまだ、と日本の学校へおにぎりなど差し入れされている様子には、頭が下がる思いがしました。この記録映画と『60万回のトライ』を製作された朴思柔・朴敦史監督に感謝します」。
 「被災状況をリアルに感じる中で、在日同胞たち、教職員の方々の生徒や地域住民に対する思いやり、明るい生き方に感銘を持ちました。大変な時こそ明るくお互い助けあって生きておられる東北の方々に感謝の気持ちとエールを送りたいと思います」。
 「映像のすばらしさ、ドキュメントの力強さを感じます。そして終わった後の監督たちのお話も聞かないと分からないことが一杯あり、感動しました」。
 「後編『アフタースクール』の上映会を楽しみにしています」。
 これらの感想からも分かるように、被災直後からの東北朝鮮学校の五日間を記録した映像の中には、明と暗、光と影の現実がくっきりと映し出されていました。
 日本各地の同胞の方々から次々に届けられる支援物資と励ましの言葉、心を合わせ頼もしく困難に立ち向かう教職員と生徒たち、そして支援が遅れる地域の住民や日本の学校にも自分たちは一日二食で頑張りながらも、「お互い様」と支援物資を届ける朝鮮学校の教職員たち。炊き出しでは反対に日本の父母が朝鮮の子供たちへとチョコレートを手渡す光景。ごく自然に通い合う心と心がそこにありました。
 一方での行政の対応。宮城県は、学校側が緊急に要請した4項目、被害状況の実地調査、仮のプレハブ校舎の設置、校舎の再建、給水車の手配のいずれも拒否。さらに「県民感情」を理由に来年度からの補助金を打ち切ると通告してきます。「地域の別な資源も含めて(自分たちで)検討して下さい」と答える行政職員の姿は個人と言うより今の日本政府そのものの姿を映しだしています。
 監督の言葉の中に「震災の経験が<国難>として語られていることに違和感がまずあります。それは戦争経験、戦後経験から、アジアの人々への視線が欠落していたことに関係していると考えます」とあります。確かに、あの震災の時に、私はもう一つの、例えばこの東北朝鮮学校のような震災があるという事を考えただろうか。この記録映画を見るまでは日本の日本人の「国難」という視点しかなかったような気がします。
 「大震災の破壊力が社会的状況によって、何倍にも増してマイノリティを襲う日本社会の問題として投げかけ、それを連帯と支援につなげていきたい」「在日の問題とは、まさに日本社会におけるアジアの問題でもあり、アジアの中の日本の問題です」という監督たちの言葉が震災から7年が経った今現在において、なお一層私たちに投げかけられているのではないでしょうか。
 朝鮮半島が平和と共存繁栄に向かって大きく動き出し、朝米関係にも歴史的な変化が訪れようとしている今日、そうした東北アジア新時代の流れに合流せず、朝鮮民主主義人民共和国への敵視政策を頑なにとり続けている安倍政権。その端的な施策としての在日朝鮮学校にたいする差別と抑圧。
 参加して下さった皆さんが大いに期待している続編の「アフタースクール」の上映会をまた行い、新しい時代を迎えている東北アジアの中の日本のあり方について議論を深め、日朝友好・連帯の輪を広げていけたらと思います。


ホーム      ▲ページトップ


Copyright © Research Association for Asia New Epoch. All rights reserved.