研究誌 「アジア新時代と日本」

第185号 2018/11/10



■ ■ 目 次 ■ ■

編集部より

主張 政権交代への展望を現実に!

議論 安保環境の激変で安保防衛路線の見直しは必至

寄稿 「繁栄」に向かう朝鮮半島

闘いの現場から 辺野古を訪ねて




 

編集部より

小川淳


 国民必読の書『日本が売られる』
 1960年から30年間続いた「高度経済成長」が終わり、1990年以降この30年間は、ゼロ成長が続いている。この状況に対してカンフル剤として導入されたのが新自由主義政策だった。自由な市場に任せれば、経済資源―ヒト・モノ・カネ―の配分は全てうまく行く。これが新自由主義の核心であり、人件費・社会福祉コストを削減することで企業の収益が上がる。資本家である株主への還元―株価上昇と配当金増配が増加する。このように見ると、この30年間に起こった労働力政策の変遷がわかる。
 平成時代後半から顕著になった「非正規労働者の増加」、この数年で急速に進んだ「高度プロフェッショナル制度」、そして現在、政府が拙速・無原則に進めている移民政策、「入管法の改正」がそれだ。これらの政策に共通するのは、人件費の削減、社会福祉費削減という日本経団連などの大企業の強いニーズに対応した労働政策であることだ。「入管法の改正」は、人手不足の解消に止まらず、日本人労働者の賃金抑制にも間違いなく寄与するだろう。
 しかし今、安倍政権下で進められる経済と軍事、全社会的な構造改革を、国内的要因だけに求めるのは正しくない。新自由主義的改革路線も含めた日本社会の全面的な構造改革の決定的な要因はもう一つある。このことを、見事なまでに暴露しているのが、堤未果著『日本が売られる』(幻冬舎新書)という本だ。文字通り水、土地、森林、種子など貴重な国民の財産がアメリカを筆頭とする多国籍企業に「売られる」実態が明らかにされている。そして「日本が売られる」実態がここまで進んでいるのかと驚かされる。
 例えば、「30兆円規模の巨大資産」とされる水道事業。国民にとって何よりも貴い「命のインフラ」だからこそ、水道事業は公営化されしっかり守られてきた。その水道も耐用年数を迎え、多くの自治体が人口減で赤字経営に苦しむ。
 「民間企業のノウハウを生かし、効率の良い運営と安価な水道料金を」と国際独占資本の圧力で、国内法が「改正」され、外資への委託がいつの間にか始まっている。
 水道事業だけではない、国の規制を取っ払い、たとえばアメリカのモンサント社の危険な遺伝子操作された農産物やバイエル社のネオニコチノイド系農薬(EUでは使用禁止)が日本では野放しで参入できるようになっている。
 2014年、橋下大阪市長が提案した「水道民営化構想」は市民が強く反発し、廃案に追い込んだように、我々にできることは、その実態をしっかり知ることだろう。決定権はそこに住む住民にある。国民必読の書だ。



主張

政権交代への展望を現実に!

編集部


 沖縄県知事選での玉城氏の大勝、先の米中間選挙でまた新たに確認された米国政界の地殻変動、それらは、世界に広がる新しい政治の時代的波とともに、日本における政権交代の展望を現実に転化する道が何か示唆されているように思われる。

■久方ぶり、小沢一郎さんの登場
 先日、BS・TBSの報道番組「19/30」のゲストは小沢一郎さんだった。テーマは、「政権交代」。
 9月の沖縄県知事選、小沢さんが代表の自由党所属衆院議員、玉城氏が大方の予想を超えて大勝した。その後の那覇市などの市長選でも「オール沖縄」、野党共闘の側の連戦連勝。こうなると、来年の統一地方選、参院選に向けての「野党共闘」への模索も自ずと熱を帯びて来る。
 だがそこで、小沢一郎さんは一味違っている。彼から出て来たのは、「政権交代」だった。

■政権交代、機は熟しているのか?
 小沢一郎と言えば「政権交代」だ。「剛腕」の名の通り、構想力も手腕も群を抜いている。
 しかし、いくら小沢さんでも、機が熟していなければ、政権交代はできない。と言うより、この機を見るのに敏なところが「政権交代の名手」たる第一の所以なのではないか。
 これまで二度の政権交代でもそうだった。一度目は、1993年。あの時は、冷戦終結、米クリントン民主党政権の誕生。そして二度目は、2009年。ブッシュ共和党、単独行動主義政権からオバマ民主党、国際協調主義政権への転換の時だった。小沢氏は、そこに政権交代の機を見たのではないだろうか。
 事実、昨年、2017年。オバマ民主党グローバリズム政権からトランプ共和党ファースト主義政権への転換。これに呼応するかのように、日本でも都議選での小池「都民ファーストの会」の圧勝。それに続いて、政権交代を目指す党、「希望の党」の立ち上げ。そこに急浮上してきたのが小沢一郎さんだった。だが結果は・・・。「老兵」の夢は露と消えた。
 では、今回はどうなのか?沖縄県知事選での大勝。そして、先の中間選挙にも現れた、米政界の地殻変動。もはや、共和党VS民主党、二大政党の時代ではない。憎悪と分断を煽る「トランプ・ファースト覇権主義」VS米国内に広がる格差と分断に反対する「プログレッシブ(進歩党)」の構図が浮かび上がっている。

■同じ失敗は許されない
 小沢さんの別名は、ご存じ、「壊し屋」だ。彼の「政権交代」が壊すだけで実を結ばないというところからの揶揄だが、実際、小沢氏主導で立ち上げた細川連立政権も民主党政権も、所期の目的を達成することなく瓦解した。
 何ごとでもそうだが、とりわけ政治では総括が重要だ。なぜ失敗したのか原因を究明し誤りを繰り返さないようにすることの意義は大きい。
 失敗の原因で決定的なのは、小沢一郎・政権交代に米覇権との闘いという視点がなかったことにあると思う。  小沢氏は、日本の政権交代の機を米政権のあり方の転換と結びつけて考えていた。小沢・政権交代が二つとも米国の政権交代と連動していたのはそのためだ。
 それ自体は誤りでないだろう。問題は、当時の米政権交代があくまで米覇権のあり方の転換としてあり、それにどう対するかが日本の政治に問われていたということだと思う。
 あの時、クリントン民主党政権へのパパ・ブッシュ共和党政権からの交代は、冷戦終結後、米一極世界支配、グローバリズム・新自由主義覇権全面化への転換だったし、ブッシュ共和党政権からオバマ民主党政権への交代は、破綻した単独行動主義覇権から国際協調主義覇権への転換だった。
 しかし、小沢氏には、覇権の転換という視点から米国の政権交代を見、それにどう対しどう闘うかというところから日本の政権交代を考える観点がなかった。それは、民主党政権交代時、沖縄普天間基地の県外、国外移転問題をめぐり、米国の方針を甘く見たところに端的に現れていた。米国の辺野古基地新設への意思は米覇権のため少しの譲歩もないものだったのだ。
 そもそも小沢さんの歴史観には、歴史を覇権との闘いの歴史と見る視点が欠けているように思える。彼が日本史の三大改革として挙げる大化改新、織田信長の改革、明治維新にしても、そこにあるのは、既得権益層による抵抗との闘いだけだ。中国覇権、スペイン覇権、欧米覇権との闘いという視点がすっぽりと抜け落ちている。
 小沢・政権交代が米覇権の手の平の上で、いいように利用されてしまった原因も、そこにあるのではないだろうか。
 小沢さんの政権交代で、もう一つ問題だと思うのは、どこまでも国民大衆をその主体と見、主体である国民大衆の意思や要求に政権交代の機を見出そうとする観点がないことだ。
 小沢さんにとって、いまだ自立できておらず、自己責任をとることもできない日本国民は、あくまで意識変革の対象、教育の対象であって、闘いの主体ではない。
 小沢一郎さんによる政権交代が国民的運動として推し進められることがなかったのも、あの辺野古新基地建設をめぐる闘いで、沖縄県民、日本国民に依拠することが決定的になく、米国、米軍の圧力に簡単に屈服してしまったのも、この国民観、大衆観に起因しているのではないかと思う。
 この世に階級が生まれ、国が生まれて以来、歴史は、他国、他民族を支配する覇権VS国と民族、国民との闘いの歴史として流れてきた。こうした見地から見た時、階級闘争と反覇権闘争は、多かれ少なかれ結びついており、各国の政権交代は、覇権と無関係ではあり得ず、そこでは覇権に抗する国民大衆の闘いが問われて来た。
 小沢一郎さんの政権交代には、この二つの観点がともに欠落していた。そこにこそ、総括すべき「失敗」の決定的要因があったと言えるのではないだろうか。

■展望を現実にするために
 今日、安倍政権を打倒し政権交代を実現する機は十分に熟してきていると思う。来年4月の統一地方選、7月の参議院選はその展望を大きく開くものになるのではないか。
 沖縄県知事選では、「もう変革などと言うのはやめてくれ」と言っていた若者たちが重い腰を上げ、「オール沖縄」や元シールズなど、いまだ少数ながら、闘いの先頭に立った。創価学会の婦人たちも公明党中央に反旗を翻した。政治の劣化に絶望していた人々がもう我慢ならないと「不可能性」の壁を自分で突き崩し始めたのだ。
 この時代の波は大きい。海の向こう、米中間選挙の盛り上がりもかつてないものになった。2年前、トランプが巻き起こした新しい政治の国民的な波は、いまや若者を中心にトランプ自身をもたじたじとさせる「プログレッシブ」の激流として全米各地に広がって行っている。
 沖縄で米国で、そしてドイツなど欧州各地、中南米、アジア、アフリカ、全世界で巻き起こる新しい政治の波には、明らかにこれまでになかった共通の時代的特徴がある。そこには、覇権が崩壊する時代、グローバルで普遍的な覇権国家の価値、「パクス・アメリカーナ」の価値より何よりも、自分たちが生き生活する地域、国を第一にし、その利益、国益を自分たち自身の闘いで実現しようとするかつてなく広範な大衆的な意思と要求が込められており、「イデオロギーよりもアイデンティティ」、「オール沖縄」の闘いに掲げられた翁長さんの志、スローガンが生きている。
 来年、統一地方選、参院選で、政権交代に向けた野党共闘が成功するか否か、その鍵はまさにここにあるのではないか。
 それぞれの地方地域を第一にし、日本を第一にして、愛する自らの地域、自分の国のためのスローガンを掲げ、その下に住民主体、国民主体の広範な運動を創り出すことだ。
 そこには長々とした啓蒙は必要ない。誰の心にも響き、瞬時に皆で共有できるワンフレーズが、不特定多数無限大の人々から双方向で発され共にされる、そのような運動が求められている。
 それは、「普遍的価値」が押し付けられてきたこれまでのグローバル政治、そしてまやかしの「自国第一」が呼号される矛盾に満ちたトランプ・ファースト政治など、新旧覇権政治を打ち破る力に満ちている。
 古い安倍政治を打破し、新しい政治を目指す野党共闘が生み出す熱気と気運が政権交代への展望を現実に換えるに違いないと思う。



議論

安保環境の激変で安保防衛路線の見直しは必至

吉田寅次


■はじめに
 「我が国を取り巻く安全保障環境は、戦後、最も厳しいと言っても過言ではありません」。
 安倍首相は第3次政権発足に際し行った所信表明演説でこう述べた。この安保認識の下に、「年末に向け、防衛大綱の見直しも進めてまいります。専守防衛は当然の大前提としながら、従来の延長線上ではなく国民を守るために真に必要な防衛力のあるべき姿を見定めてまいります」と「専守防衛の見直し」に着手する意向を明言した。
 安倍政権がこうした危険な安保観の下に、9条改憲を焦点に安保防衛路線の見直しを打ち出してくることが必至の今日、憲法論議はそれとして必要だが、これまで論議されることがあまりになかったわが国の安保防衛はどうすべきかという政策論議をまず起こすことが急務だと思われる。
 以下、重要と思われる論点を提起し、安保防衛論議活性化の一助としていただければ幸いである。

■「軍事境界線消滅」に異を唱える安保観
 翁長前知事は生前、沖縄戦犠牲者追悼の集会で、南北朝鮮、米朝の首脳会談後の朝鮮半島における戦争状態終結に向けた動きを歓迎しながら、米軍基地強化の必要がなくなる沖縄の希望を語った。
 翁長前知事ならずとも日本国民にとっても隣国が緊張緩和と平和に動くことは歓迎すべきことだ。
 だが河野外相が「(米朝間の)戦争終結宣言は時期尚早」と公式に語ったように、安倍政権は「軍事境界線消滅」に異を唱える姿勢を崩さない。
 南北朝鮮の「共同祭典」となった平昌冬季五輪を前にしたTV番組で中谷元防衛大臣は「軍事境界線を挟んで国連軍(米軍)と北朝鮮軍が対峙しているのに、(これを崩すような)民族融和の動きを勝手にやるのはよくないことです」と韓国政府の動きを強く非難した。
 この当時、南北融和に否定的だった米トランプ政権も6月の米朝首脳会談以降は戦争終結に向けて動き出した。当然ながら中国、ロシアもこれに歓迎の意を示している。文在寅大統領との会見時にローマ法王も「立ち止まることなく前に進んでほしい」と激励したように、いまや東北アジアにおける安保環境の激変、戦争から平和への動きを歓迎するのは世界と時代の趨勢になっている。

■「利益線の守護」という時代錯誤
 「明治時代の首相、山県有朋は1890年に『主権線のみならず、・・・利益線をも守護しなければならない』と演説しました。
 ・・・既に帝国主義の時代は消滅したわけですが、それにも関わらず、この利益線の考え方は国益を考える上で意味を持ち続けています」(冨澤暉「逆説の軍事論」)
 ここで言う山県有朋の演説は、主権線、自国領土防衛のみならず、より重要には植民地領有など海外権益の守護、「利益線の守護」こそが大日本帝国の基本軍事路線であることを明言したものだ。
 日本防衛の中枢を担った元陸上幕僚長、冨澤氏が自著で語るのは、「利益線の守護」という旧帝国主義時代の軍事思想が今日なおも日本の防衛思想の根幹に置かれているという指摘だ。
 かつては「利益線の守護」のため、アジアの植民地領有を巡り米英との戦争に突入した大日本帝国だが、戦後もこの「利益線の守護」という軍事思想は形を変えて日本の安保防衛路線となった。
 2015年、安倍首相は戦後70年談話で、先の戦争の過ちを「英米中心の国際秩序に挑戦したこと」に求め、戦後日本の国益、「利益線」は「米中心の国際秩序維持」であるとした。まさに戦後日本の「利益線の守護」は「米中心の国際秩序の守護」であること、この防衛任務の基本を担うのは専守防衛の自衛隊ではなく米軍(日米安保軍)であり、この日米安保基軸の「利益線の守護」が戦後日本の安保防衛路線の根幹をなすものとなった。
 この「利益線の守護」からすれば、朝米間の戦争状態終結、「軍事境界線の消滅」は、朝鮮半島での米軍の「防衛ラインの後退」を意味し、米中心の国際秩序を揺るがす由々しい事態となるのだ。
 そもそも19世紀末の「勢力範囲」、「利益範囲」といった帝国主義時代の概念である「利益線の守護」がいまも大手を振っている方がおかしいのだ。朝鮮半島を南北に分ける軍事境界線は、米国の「利益線の守護」、米中心の国際秩序維持の最前線として位置づけられている。一方、それは朝鮮の人々にとって民族を南北に分断する悲劇の元凶でしかなかった。それがついに「軍事境界線消滅」、戦争状態の終結へと一歩を踏み出したのだ。
 いま軍事境界線上では、南北首脳会談時の合意に従って、地雷除去など非武装化、実質上の「軍事境界線消滅」作業が進められている。軍事境界線上空の軍用飛行機通過を禁じられた駐韓米軍当局は「北朝鮮への偵察飛行に支障を来す」と不満を口にはできてもこれに従わざるをえない。
 南北朝鮮による「利益線の守護」最前線解体作業に覇権帝国米国がしぶしぶ従わせられる、これがいま東北アジアで起こっている新しい事態だ。
このことは「利益線の守護」が時代から排撃を受ける時代錯誤の概念であり、「利益線の守護」に基づくわが国の安保防衛路線がもはや時代遅れであることを示すものだ。

■「主権線の守護」に徹する「9条自衛」に
 いま安倍政権の着手しようとする安保防衛路線の見直し、9条改憲、「専守防衛の見直し」などは、時代錯誤の「利益線の守護」を維持せんがための悪あがきであり、わが国を再びアジアと世界の孤児にするものだ。東北アジア新時代という安保環境の変化に即した日本の安保防衛路線を打ち出すことが急務だと思う。
 いま第一に重要なことは、「利益線の守護」を古い時代の遺物として従来の安保防衛を見直し、「主権線の守護」に徹する日本の安保防衛はどうあるべきかを考えることだと思う。
 そのうえで「戦争をする国にならない」自衛路線はどうあるべきか? わが国の場合、これが何よりも大切なことだ。先の戦争から深刻な教訓を汲んだ戦後日本は「二度と戦争をする国にならない」ことを国民的誓いとし、これを出発点とした。それは戦後の国民的アイデンティティとも言えるものだ。このことを考えれば、「9条自衛」の防衛が日本のとるべき安保防衛路線だと言えるのではないだろうか。
 9条自衛は、領海領空領土、主権線を侵害するものを撃退する自衛に限定し、相手国まで深追いしない専守防衛、撃退自衛がその要求だ。
 「新9条論」の伊勢崎賢治氏の言う「領海領空領土内、迎撃力に限る」の主張、そして護憲の人も立憲主義的改憲論の人も賛同できる「専守防衛・個別的自衛権行使に限る」の主張も先の戦争を教訓とする自衛論であり、細部はともかく「9条自衛」の線で広く一致を得られるものと思う。
 「戦力不保持、交戦権否認」の理解は、「自衛」の名によって侵略戦争が行われないように、自衛戦争で許される相手国への報復攻撃、国家同士の交戦の権利をも否認するという意味での「交戦権否認」、戦争武力である相手国への報復攻撃武力を持たないという「戦力不保持」。これが「二度と戦争をする国にはしない」国民的アイデンティティを具現する「主権の守護」に徹した自衛路線ではないだろうか。
 第二に、「利益線の守護」のための日米安保優先という安保防衛路線からの転換を考えなければならない。そこでまず着手すべきことは、「日米地位協定の改訂」に踏み込むことだ。ここでも基本は、「主権線の守護」の自衛に徹するための「地位協定の改訂」だと思う。
 前述の伊勢崎氏は「在日米軍基地が日本の施政下以外の他国、領域への武力行使に使われることの禁止」を必須とする「日米地位協定の改訂」に踏み込むべきだとしているがこれに全的に同感だ。 このような地位協定改訂であってこそ、米軍であれ、日本の基地を使用する以上、「主権線の守護」に徹する国是に従い、「二度と戦争をしない日本」という民意に服従させうるものになるだろう。
 第三に、日米安保一辺倒ではなくアジア安保、特に東北アジア地域集団安保の構想を持っておくべきだと思う。東北アジアにおける安保環境の変化は、日米安保のような「利益線の守護」のための覇権的な集団安保ではなく、「主権線の守護」に徹する地域集団安保の実現を求めるものだ。
 このような集団安保の模範例はASEANを中心とするARF(東南アジア地域フォーラム)だ。主権尊重、内政不干渉を原則とする武力によらない地域集団安保、これがARF式の集団安保だ。
 このARFを東北アジア地域にまで拡大し実現する構想を持つことではないだろうか。
 以上、議論の一助になればと思う。



寄稿

「繁栄」に向かう朝鮮半島

大畑龍次(日韓民衆連帯全国ネットワーク・会員)


 朝鮮半島は、昨年の軍事緊張と打って変わり、2018年は融和ムードにある。朝鮮(朝鮮民主義人民共和国)の新年辞、平昌五輪、4・27板門店宣言、6・12米朝首脳会談、さらに「9月平壌宣言」と続き、来年早々には2回目の米朝首脳会談が予定され、歴史的な大転換の時迎えようとしている。
 ここでは「9月平壌宣言」以降の朝鮮半島の動きを見てみたい。4・27板門店宣言の正式名は「朝鮮半島の平和と繁栄、統一のための板門店宣言」という。このキーワード「平和」「繁栄」「統一」に即して考えると、朝鮮は新たな核・ミサイル開発を行わないばかりか、豊渓里の核実験場を廃棄し、米韓側も合同軍事演習を中断したままであり、「平和」が実現されている。
 さらに、9月の南北首脳会談時に合意された「歴史的な板門店宣言履行のための軍事分野合意書(軍事合意書)」によって非武装地帯の平和化が進んでいる。すでに板門店は非武装化が完了し、近く南北の管轄地域を自由往来できるようになるという。「軍事合意書」を履行するために国連軍司令部と南北軍事当局による三者会談も行われるようになった。11月1日を期して南北の敵対行為を行わないことになった。したがって、南北間では実質的な終戦状態にあり、米中も含めた終戦宣言にむかって前進することが期待される。
 このように「平和」が実現されている以上、次のステップは「繁栄」ということになる。現在、東西海岸線の鉄道・道路連結工事の着工式を年内にも実施する段階だが、これにも国連軍司令部はOKを出すだろう。連結工事が終わってはじめて南北の物流が動き出し、南北の経済協力が進み、「繁栄」へと向かうことができる。先の「9月平壌宣言」では、「開城工業地区と金剛山観光事業をまず正常化し、西海経済共同特区および東海観光共同特区を造成する問題を協議していくことにした」とされ、開城公団と金剛山観光をまず再開し、より本格化させることになった。しかし、米国が経済制裁の継続・維持を主張しているなか、韓国の独自判断で推進することは難しい。平昌五輪以降、韓国側は制裁の例外措置としてさまざまな便宜措置を実施してきたが、より本格的になればなるほど米国の顔色をうかがわなくてはならないだろう。「繁栄」のための南北経済協力を進めるためには、米朝関係改善が欠かせない。中ロが対朝鮮制裁の緩和を国連安保理の場でも主張しているという環境のもと、米国がなし崩し的緩和に向かうか注目される。南北双方にとって現下の課題は、「互恵と共利・共栄の原則に基づく交流と協力をより増大させ、民族経済をバランスをとって発展させる」こと。その「繁栄」は、米朝の関係改善なしには実現しない。
 南北間では「統一」に向かう措置も前進している。南北は9月14日、開城公団内に南北共同連絡事務所を開設した。南北双方の所長が就任し、週一のペースで所長会議を開くことを決めた。したがって、今後は「9月平壌共同宣言」の具体的な措置がここを舞台に進められることになる。すでに10・4記念行事が南北共同イベントとして平壌で開催され、3・1記念行事もソウルで行われる見通しだ。南北が常駐職員の共同機関を設置したのは初めてであり、画期的な措置といえる。ちなみに、南側所長は千海成統一部次官、北側所長は田鍾秀祖国平和統一委員会副委員長がその任についている。先の「軍事合意書」にも、南北軍事共同委員会の稼働と協議が約束されているが、経済協力の分野などでもこうした共同委員会が組織されていくことだろうし、こうした共同委員会方式の積み重ねの先に「統一」が見えてくるだろう。民間の南北交流と協議も進んでいる。
 11月3、4日には南北民和協の共同イベントが開催された。各分野間の交流・協力が推進されていくだろう。
 最後に、日本政府の対朝鮮政策を見ておかなくてはならない。北東アジアの平和を築くためには日朝の関係改善なしには考えられない。日本政府は未だに対朝鮮制裁の維持を主張し、いわゆる「瀬取り」への国際協力を呼びかけ、米韓共同軍事演習の中断にも「不満」を表明し、文在寅大統領から内政干渉との叱責を受けたことさえある。すなわち、日本政府は「蚊帳の外」にいるばかりか、朝鮮半島ならびに北東アジアにおける平和構築の阻害要因として横槍を入れている。日本政府の朝鮮半島政策を変えうるのは日本国民にほかならず、政府批判の声をあげることが必要だ。6月の米朝首脳会談以降、日本も日朝首脳会談について言及し、非公式な接触を行っている。しかし、日本政府が従来の路線に固執しているがゆえに朝鮮から激しく非難されている。朝鮮の李容浩外相もまた「日朝交渉は急がない」と表明している。
 日本政府は拉致、核・ミサイル開発という懸案事項の解決が国交正常化交渉の前提との立場を崩していない。核・ミサイル問題はどちらかというと米朝間の問題であり、日朝間では解決できない問題である。したがって、日朝関係改善のためには拉致問題の解決がカギとなる。さて、拉致問題の解決とは何なのか。「拉致被害者は生きている」「全員の帰国」をもって解決とすれば、朝鮮の「拉致問題は基本的に解決済み」との主張とはなかなか折り合いがつかないだろう。拉致問題の解決のためにはストックホルム合意(2014年5月)の再稼働による朝鮮側報告書の受け入れが必要だろう。日本が朝鮮の主権を侵して調査できない以上、受け入れる以外にはない。また、懸案事項の解決を国交正常化交渉の前提とすることも見直さなくてはならない。日韓間には竹島(独島)問題、日中間には尖閣諸島(釣魚島)問題という懸案事項があったにもかかわらず、国交正常化した前例がある。朝鮮との関係においても同じことが言えるだろう。日本の対朝鮮政策を大局的に転換することが必要だし、それが北東アジアの平和にも貢献する。こうした世論を作り出すことが求められている。


 
闘いの現場から

辺野古を訪れて

こうへい


 県の辺野古埋め立て承認の撤回で工事が中断している辺野古を10月下旬訪れました。初めての辺野古訪問で事情もよく分からないままでしたが暖かいサポートを受け、有意義な時間を過ごすことができました。
 沖縄県知事選他幾つかの選挙に勝利したことと国交省の判断前ということもあり現場は、どこと無くのんびりした感じが漂よっていました。しかしながら、そこには警察車両がしっかりと陣取り、何から警備をするためなのか税金食いの警備員たちがズラリと配置された現実がありました。
 朝一の工事ゲート前の座り込み行動に参加、そのあと50名以上で開かれたテントでの集会に参加し参加者から多くの学びを得ました。
 午後からは、高江にあるヘリパッド建設現場のN1ゲート前にある闘争のテントでヘリパッド建設反対闘争の様子を、よく整理された多数の資料を見ながら教えてもらいました。辺野古から高江に行く道すがら見たヤンバルの景色と闘争現場となったポイントの説明を聞きながら行けたことはテントでの説明を理解する大きな助けになりました。
 高江のヘリパッド建設において防衛局は当初からオスプレイ用のヘリパッドではないと嘘を言い、環境に配慮した工事をすると言いながらヤンバルの森を破壊する違反工事を強行しました。ゲート前反対闘争には200人に対し800人(県外500)もの機動隊をもって弾圧。工事費用は当初の約6億から約100億に膨れ上がったそうです(その内民間警備会社に約64億、1日約1800万の支払い)。
 強権的な手法での住民の離間を狙い、道交法違反名目でその日反対闘争現場にいなかった8歳の子供と母親を、父親が参加していたのをもって共に起訴して住民への見せしめとするなど無法地帯と化し、容赦ない弾圧がなされました。時には夜11時半迄に及ぶオスプレイ飛行訓練の低周波音は住民の生活環境を破壊し、住民が望む平和でのどかな暮らしを奪っています。あの時、ゲート前に1000人いたら工事は阻止できたという無念の声が聞かれました。今なお追加道路工事阻止のため毎日テントに詰め、グアムの基地反対住民とも交流を深めながら闘争が継続されていいます。
 夕方からは、家族4人(父母と子供二人)で11年間も続いているという毎週土曜日恒例のローソク灯争(ペットボトルを利用してキャンドルを作り、キャンプシュワブゲート前を通る車に新基地反対を訴える)に参加、地道な粘り強い闘いの一端を知りました。この日は朝日新聞社の取材も受けておられましたが、その後の朝日新聞にこの記事を見ることはなく、沖縄の人たちの必死の闘いが本土に伝わっていかないという現実の一端を見た思いです。

 辺野古新基地に孕む技術的な問題はあまり分からないのですが、以下のような問題点(違法・違反)等が指摘されています(岩波ブックレット)。  ・サンゴ類移植のための特別採捕許可問題
 ・海底地形改変のための岩礁破砕許可問題
 ・赤土流出防止条例に基づく知事協議問題
 ・県外からの埋め立て土砂搬入に関する土砂条例(本土から75%搬入予定)、
 ・公有水面埋め立て法違反、
 ・埋め立て承認の際の留意事項違反
 ・飛行場周辺の高さ制限問題
 ・米軍に那覇空港を提供しなければ普天間は返還されない問題(辺野古の新基の滑走路が短いため、訓練、緊急時に長い滑走路が必要との指摘が米会計検査院から)等々。
 また、大浦湾には活断層があり地下直下地震や津波の恐れが指摘され、一部の海底地盤がマヨネーズのような超軟弱地盤であることから、設計の全面的な見直しの必要性が明らかになったとされます。

 短時間の現地闘争参加ではありましたが、現地の思いを感じる機会になったことで、技術的な側面と粘り強い闘争は簡単には辺野古新基地は造らせないとの確信をえました。しかし、高江の闘争の結果から楽観視できないことは懸念されるところです。
 これからは本土との温度差の解消が課題だという声は多く、本土の自分たちの問題だという当事者意識と、高江で解説してくださった小さな子供の母親でもある女性の「アメリカには何も言えないこの国は本当に独立国家なんでしょうかね?」という言葉をしっかり胸に刻む旅となりました。


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