研究誌 「アジア新時代と日本」

第182号 2018/8/10



■ ■ 目 次 ■ ■

編集部より

主張 歴史の大きな岐路に立って

議論 地方を見捨て売却する国家戦略との闘いが問われている

寄稿 翁長県知事の死去と沖縄の未来

時評 急に人権の国になった日本

編集部より 第9回勉強会報告




 

編集部より

小川淳


 米朝和解の流れを逆行させてはならない
 6・12の歴史的な米朝会談から2か月が過ぎようとしている。先に完全な非核化を要求する米国と停戦協定から平和協定への転換を求める朝鮮、気になるのはこう着したかに見える米朝交渉の今後の行方だ。このまま米朝の対決へ戻ってしまうのか。それとも和解は進むのか。それを考えるうえで、「戦争から平和に向かう朝鮮半島」と題した康宗憲さんの講演(7月21日、尼崎)は示唆に富むものだった。
 今回の会談がなぜ画期的だったのか。康さんはまずは極東アジアの近代史からひも解くとわかりやすいという。19世紀以降、朝鮮半島は(米中露日)4大列強の「角遂場」となってきた。半島の帰属・支配権をめぐって日清、日露の闘いがあり、その帰結として1910年には日本に併合されている。解放後は、苛烈な朝鮮戦争を経て民族は南北に分断されたまま、冷戦終焉後も世界に「冷戦」が残る唯一の場となってきた。その意味で、朝鮮半島における南北和解と米朝対立の解消は、極東アジアに止まらず、世界史的に画期的な意味を持つと。私たちが「アジア新時代」の到来を確信する所以だ。
 もう一つ今回の米朝合意が画期的だったのは、従来の米朝の合意と決定的な違いがあるからだと指摘。米朝の協議による合意は過去数回あったが、これまでは基本的にまず朝鮮が非核化を進め、そのあとに正常化を行うという形だったが、今回は違っている。「相互信頼の構築が朝鮮半島の非核化を促進」(共同声明)とあるように、まず双方が信頼関係に基礎して非正常な関係を是正し、その信頼関係の中で朝鮮半島の非核化を実現するものとなっている点だ。その為、非核化には当然時間がかかるが、これもトランプは想定済みだと。
 さらにもう一つ付け加えると、南北は今回、「相互への不可侵を確認し、段階的な軍縮」で合意(板門店宣言)している。従来は米韓対朝鮮の構図だったが、今回は朝鮮と韓国が強力なタッグを組み、南北朝鮮対米国の構図が生まれていることだ。そして中国、ロシアも朝鮮の立場を支持し、米国主導の制裁に反対している。
 核実験場の廃棄やミサイル実験場閉鎖を行い、米韓合同軍事演習の一部中止も決定しているが、米国は朝鮮戦争の終戦宣言には消極的だ。もちろん停戦後65年も続いた冷戦構造が一度の会談で解消するわけがないことも明らかで、今後も紆余曲折があることは間違いない。ただこの歴史的な転換点にあって、朝鮮戦争の終結と南北の統一への歴史的流れを決して逆流させてはならないと思う。とりわけアジア近代史の中で戦争と敵対を繰り返してきた私たち日本人の責務はアジアのどの国よりも重いと思うからだ。



主張

歴史の大きな岐路に立って

編集部


 150年前、欧米覇権が「黒船」に乗って押し寄せてきた。今は、アジアと世界の民意の奔流だ。これにどう対するか。それが問われていると思う。

■国益、主権、民意第一の奔流とトランプ暴流
 今、世界は、国と民族を否定したグローバリズムの時代とは大きく変わった。自国の国益第一、主権第一の民意の奔流が世界を席巻している。
 その勢いは、今年になっても収まっていない。イタリア、マレーシア、メキシコでの圧勝。シリアではアサド政権の勝利が確定的だ。
 だが、事は簡単ではない。と同時に顕著なのが今の時代を「エゴ」「独裁」「ポピュリズム」等々と見る声の高まりだ。国益はエゴ、主権は独裁、民意の進出はポピュリズム。その代表選手が米大統領、トランプだ。
 しかし、考えても見よう。広範な国民大衆が自分の国の国益を第一にし、その主権を守るのは間違ったことなのか。そして、それとトランプの言う「アメリカ・ファースト」は同じものなのか。
 はっきりしているのは、両者は似て非なる別物だということだ。トランプの「アメリカ・ファースト」、それは、自国の国益を他国に押しつけ、世界の利益に背反する、国益ならぬ「エゴ」であり、世界各国の主権の上に君臨する、主権ならぬ「覇権」、民意に応えるのではなく、民意を利用する、「ポピュリズム」・独裁だ。
 この二つを一緒くたにして、現代を「エゴの時代」「独裁の時代」「ポピュリズムの時代」などと言うのは間違っていると思う。
 両者は明らかに同じではない。それどころか、対立している。国益か米国のエゴか、主権か米覇権か、民意か「ポピュリズム」・独裁か。言い換えれば、国益、主権、民意第一か、「アメリカ・ファースト」かの対立だと言うことができる。

■東北アジアに生まれた歴史の新時代
 「南北」「朝米」、そして三度にわたる「朝中」、さらには「韓ロ」など、連続的にもたれた首脳会談。南北朝鮮を震源に、今年、東北アジアに起きた史上かつて無かった異変をどう見るか。
 「制裁効果」、やはり米国主導だ。いや、中国だ。立て続け三度の金正恩訪中。中国が後ろで糸を引いている。結局、最後はロシアでは?
 百出する論議。そこで瞭然なのは、どれもが「大国中心」だということだ。小国、南北朝鮮は、どこまでも動かされる対象でしかない。
 だが、果たしてそうか。今回、仕掛けたのが南北朝鮮なのは明らかだ。それに、トランプが言う「制裁効果」は本当なのか。史上希に見る極限的封鎖と圧力。それにもかかわらず、「効果」は限定的だったようだ。「北」の経済は、逆に成長しているではないか。
 では、南北はなぜ何のために今回の仕掛けを行ったのか。あの「板門店宣言」では、「平和と繁栄、統一」という南北共通の国益と民意が唱われた。
 だが、わが日本では、南北朝鮮の意思など問題にされない。あくまで大国、特に米国の意思こそが問題だ。米国の意思は、「北」の「非核化」に決まっている。だが、トランプの対応はなぜかいい加減だ。「共同声明」には、CVID(完全かつ検証可能、不可逆的非核化)という文言さえ盛り込まれなかった。直近では、その用語の使用禁止令まで出されたようだ。
 そこで考慮すべきことがある。このところ、WTOやNATOなど、従来の制度や慣例をことごとく否定して行くトランプの言動だ。そこには、戦争と敵対から平和と友好、繁栄へ、朝鮮半島、東北アジアの時代的転換を強調するトランプの主張と軌を一にするものがあるのではないか。
 ということは、南北朝鮮の仕掛けも、所詮、米国の手の平の上だったということか。だが、見方を変えれば逆になる。南北にとって、それも織り込み済み、米国が仕掛けに応じてくると読んでいたということだ。そこで留意すべきことがある。南北朝鮮による中国やロシアへの働きかけだ。この成算十分な外交が米覇権への大きな牽制になるのを忘れてはならないだろう。
 歴史発展の一つの必然として進行する東北アジアの新時代をこうした構図からとらえる必要性は、今、一層高まっていると思う。

■米覇権新戦略の「モデル」としての日本
 平和と友好、繁栄の東北アジア新時代にあって、日本の姿が見えない。「蚊帳の外」。日本には声がかけられていない。理由は簡単。日本なしでも事は足りるということだ。
 実際、今、日本は「アメリカ・ファースト」の陰に隠れている。「米国の国益が日本の国益」と言う安倍首相の言質はその何よりの証だ。
 いや、言葉だけではない。日米の現実自体がそうなっている。軍事が米覇権軍事を補完するものになって久しい。経済もそうだ。この間、日本経済は急速に米国経済と融合しそこに組み込まれてきている。そればかりか、社会のあり方まで、地方・地域、教育、社会保障、等々、日本のアメリカ化が深刻な段階に入っている。
 これは、「アメリカ・ファースト」の米覇権新戦略にとって、とりわけ、東北アジア新時代に臨む米国にとって、大きな意味を持っている。
 「アメリカ・ファースト」による覇権放棄ならぬ新しい覇権。それは、全世界をアメリカ化する覇権であり、そのため、東北アジアを、とりわけ朝鮮をアメリカ化する覇権だ。
 そのために、日本のアメリカ化は決定的だ。日本は、米覇権新戦略のための「モデル」であり、「拠点」だと言える。
 朝鮮の「改革開放」、アメリカ化のため、日本の経済力を動員する意味は小さくない。トランプが日朝関係の改善、そのための拉致問題の早期解決に関心を払うのも分かるというものだ。

■全世界のアメリカ化か自主化か
 国と民族そのものを否定するグローバリズムによる覇権は、国と民族を抑え、その上に君臨する覇権としては、この上ない究極のものだった。
 だが、国と民族という人々の基本集団、基本単位の否定は、人間生活のすべてでその矛盾を露呈した。経済停滞や反テロ戦争の泥沼化と数千万難民の出現、世界に燃え広がった反グローバリズム、自国第一主義の炎は必然だった。
 究極の覇権、グローバリズム覇権の破綻を受け強行されているトランプ政治、世界の警察官をやめると宣言したこの政治は、よく言われるように覇権を放棄したものなのだろうか。
 どうやらそうではないようだ。事実、トランプによる「アメリカ・ファースト」は、相手国の「ファースト(国益第一)」を認めながら、二国間の「ディール(取り引き)」で米国の国益を押しつけて行く「ファースト覇権」とも言えるものだ。
 覇権とファースト、この露骨であからさまな矛盾を押し通す鍵はただ一つ、米国の国益を相手国の国益にする以外にない。
 そんな魔術はどうすれば可能か。トランプのディールの腕前一つではとてもかなわない。そこで米国が頼みにするのが、核とハイテクで世界を脅し、宇宙空間から睨みをきかせる軍事力、そして、カネとITネット網、豊富なノウハウで各国経済の対米融合と依存を促す米系外資を押し立てての経済力だ。この軍事、経済の覇権力に基づいて追求されるもの、それこそが全世界のアメリカ化だ。ここにまさに、米国の国益を各国の国益にする魔術の秘訣があるのではないだろうか。
 その先頭に立たされ、「モデル」「拠点」にされているのがわが日本だ。そこで問題となるのは何か。それは当然のことながら、それが日本と日本国民にとってどうなのかということだ。
 今、日本には国論を二分するような論議も、そのための基準もない。しかし、それが生まれる条件は充ち満ちてきているように思える。それは、何が真のファースト、国益第一なのか、主権第一、民意第一に考えることではないだろうか。
 今、世界は動いている。東北アジアでも、欧州、アジア、中南米でも。そこで追求されている自国の国益第一は、「エゴ」ではない。各国の主権、民意の要求であり、米覇権に反対する地域、周辺諸国共同の要求、世界共同の要求だ。
 最早、覇権国家が世界を動かす時代は過ぎ去った。国々が世界で地域で、様々な形で結束し共同して、「ディール」(各個撃破)による「アメリカ・ファースト」の押しつけをはね除け、自国の国益第一に、それを実現していく時代だ。
 欧米覇権が黒船で押し寄せ、日本を脱亜入欧させてから150年。今、日本に押し寄せてきているのは、アジアと世界の脱覇権自主の新時代、とりわけ、東北アジア新時代だ。全世界のアメリカ化か自主化か、どちらの先頭に立つのか、日本にはその選択が問われていると思う。



議論

地方を見捨て売却する国家戦略との闘いが問われている

永沼博


 7月5日、「地方制度調査会」(地制調)が発足した。いよいよ政府は、「地方から国を変える」ということを国家戦略として打ち出してきたようだ。一体、地方をどう変え、国をどう変えようとしているのか。そして、それとどう戦うのか。そうしたことを考えてみた。

■基礎自治体を見捨てる自治の否定
 「地方制度調査会」(会長・住友林業社長市川晃、30人で構成)発足の趣旨は、2040年には、老齢者人口がピークに達し15〜65歳の働き手世代が現在の7558万人から5978万人に激減することが予想される中、これまでの地方制度、自治のあり方を考え直すということだ。
 その前日には、総務省の官僚と有識者で構成する「自治体戦略2040構想研究会」(座長・清家篤前慶応義塾長)なるものが報告書を野田聖子総務相に提出したが、ここで地方制度改革の基本方向が明らかにされている。
 その目玉は、「連携中核都市圏」(圏域)。即ち、まちづくりや産業振興を現在の自治体ごとにやっては施設の重複などムダが多く、将来、公共施設、学校、医療機関などの維持管理も困難になるから、政令指定都市や人口20万人以上の中核市を中心に周辺自治体が参加する「連携中核都市圏」(圏域)を作り(約80を想定)、そこに人もカネも「選択・集中」させるというもの。そのために「地方交付税の対象も圏域にするなど法整備し既成緩和なども活用して後押しする。反面、小規模自治体への交付金配分を調整し独自のまちづくりは事実上、抑制する」としている。
 これを見て私が思ったことは、これは地方自治を否定し解体するものではないかということだ。
 日本の地方自治制度は、都道府県を上位団体とし市町村を下位団体とするが、圏域中心になれば都道府県は無意味化する。市町村の場合も圏域に入れるかどうかは「選別」され弱小自治体は入れない。そこから除外された市町村にはカネも出さず見捨てる。よしんば入れたにしても、この圏域の中に埋没させられ独自性はもてない。これまで市町村単位で必死に努力してきた「地方再生」「まちづくり」などの取り組みも見捨てられる。とりわけ、市町村は住民生活に密着する自治体業務を担当するだけに現在1700余あるものを80ほどの圏域に集約すれば住民自治は大きく損なわれる。
 全国市長会議などは「これまでの努力に水を差す」「中核都市周辺の小自治体は埋没する」などと猛反発しているが当然の反応だ。また増田レポート(増田寛也氏の著書「地方消滅」の内容)を批判してきた首都圏大学東京教授の山下祐介氏なども「平成の大合併で自治体を減らしインフラの選択と集中を進めたことが人口減や少子化が止まらなくなった原因ではないか」、それなのに、さらなる「選択と集中」を進めれば、一体、地方はどうなるのかと批判している。

■圏域・外資・コンセッション方式の3点セット
 地制調が発足した前々日の7月2日には「外資を地方に呼び込む」という記事。政府(総務省)は、「連携中核都市圏」を対象に外資を呼び込むために、法人税減税、政府系金融の優遇策などで支援する方針を打ち出し年内にも実施する方針だという。そして、7月3日には、水道法改正法案が衆院の厚生労働委員会で可決されたとの記事(今国会での採決は延期)。その法案は「複数自治体で水道事業を行えるように」し、「コンセッション方式」を導入するというもの。
 コンセッション方式とは、「運営権の民間企業への売却」。すなわち、所有権は自治体に置いたまま、運営権だけを民間企業に売却するというもの。そして、ここでは世界で水ビジネスを展開する米国の建設メジャーのベクテルが入ってくることが噂されている。
 自治体が管理運営する分野は「水」にとどまらない。道路、公共施設、公営交通、清掃、山野管理、公営住宅、医療、教育、農業など生活に密着する全ての分野が含まれる。こうした各分野の運営権の売却などを投資ノウハウに長けたゴールドマンサックスなどに委託する。こうして米国企業が自治体の運営権を握るようになり(外皮は米国企業と分からないようにもできる)、そうなれば地方は米国に管理・支配されることになる。
 この「コンセッション方式」は自治体の管理権はそのままだから「米国に売った」という印象を薄めることができるだけなく、管理者の自治体は経費を負担することになり米系企業は大儲けできる。圏域にカネを集中するというのも、こうしたカネを保障するということでもあろう。
 「連携中核都市圏の形成」「外資の呼び込み」「運営権の民間企業への売却」は一つのセットとして仕組まれたものと見なければならないのだ。

■日米同化のための謀略的・国家戦略だ!
 市町村などの基礎自治体を見捨て、「連携中核都市圏」を形成し、そこに外資を呼び込み、米国企業に運営権を売却すれば、地方は米国が運営し支配するようになる。そうなった時、日本の国の形はどうなるか、まさに「地制調」発足は、「地方から国を変える」という謀略的な国家戦略の発動なのだと思う。
 そう思うのは、「何故、そこまでして」と思わせる強引さが目につくからである。元来、市町村などの基礎自治体やその下の町内会や集落の自治会などは、自民党の票田だったのであり、それをこんなにあからさまに切り捨てるとは。安倍政権が売り物にしてきた「地方創成」でも、多くの取り組みは市町村などの基礎・末端自治体で行われ、安倍首相もそうした例をあげて自慢してきたのだ。それは、国家戦略の転換であり地方自治への裏切り行為と思わざるをえない。
 政府(総務省)が「外資を地方に呼び込む」政策を先行実施し、総務省内の「有識者会議」で先行決定して、地制調で協議させ2020年には法案化するというのも、巧妙、なりふりかまわずの感を否めない。巧妙さでは、阪神北部地震などで各地に断水などが出たことをもって水道法改正の根拠にしていることなどもあげられる。
 何故、これほどまでに強引なやり方をするのか。それは、こうした地方制度のあり方の変更、それによる国のあり方の変更が米国の要求によるものだからではないか。
 米国トランプ政権は、アメリカ・ファーストを全面に掲げ各国のファーストも認める新しい覇権戦略を打ち出してきた。米国覇権のために軍事面でも経済面でも日米一体化を同化の水準にまで深める、それを日本の意志でやらせ(日本ファースト)米新覇権戦略のモデルにするということだ。
 そのために「地方から国を変える」という国家戦略を発動させた。そのように見ることができるのではないだろうか。
 最近、不祥事が続く中央省庁の再編も必至。それは「許認可権限の弱化」と「情報公開の推進」、こうなれば米国の意図も通りやすくなる。こうしたことも同伴してこの戦略は発動されているのだ。

■真に「地方から国を変える」
 基礎自治体と住民が見捨てられ自治を否定される。これを黙っていられようか。
 そこでの第一関門は、山下氏が「これは心理戦」だと言っていること。「連携中核都市圏」構想は人口減・少子化を口実にしている。これを自然現象かのように捉えれば、「仕方ない、それしかない」となる。しかし、そうなのか。米国発のグローバリズム、新自由主義で地域が空洞化し地方・地域が衰退した結果の人口減、少子化なのであり、それは決して自然現象ではなく人為的なものだ。そして今、更に、それを口実にして、「連携中核都市圏」を形成し、そこに外資を呼び込み、運営権を売却して、地方を米国に売り、日本を米国に売ろうとしているのだ。先ず、この「ウソ、欺瞞」にうち勝つことが大事だと思う。
 「行政サービス」というのも問題な気がする。地方自治とは住民主権であり単にサービスだけの問題ではない筈だ。それでは運営権を米国企業が握ってもサービスが維持されるなら構わないとなりかねない。こうしたことからも、自治とは何か、その主体は誰か、国と地方の関係はどうあるべきなのかなど理念的な深化も必要とされる。
 時あたかも来年は「統一地方選」。市町村や集落の基礎自治体、末端自治体、それが関係する地方金融、地方産業、大学、教育、医療、農林水産業などの関係者、地域住民のすべてが、見捨てられ、裏切られた者の怒りをぶつけ、住民主体の真に「地方から国を変える」動きを始めなければならないと思う。
 とりわけ、東日本大震災の復興ボランティアに参加し各地で地域問題に取り組んでいる3・11世代への期待は大きい。


 
寄稿

翁長県知事の死去と沖縄の未来

釜日労 三浦俊一


 翁長沖縄県知事が亡くなった。辺野古新基地建設阻止に政治生命を賭け、安倍の戦争への道を阻止し、沖縄に平和な未来を築くその夢は志半ばで断ち切られた。
 8月17日の辺野古埋め立て土砂搬入、9月名護市議会選挙、そして11月の県知事選挙と、沖縄の未来を目指した翁長県政の天王山を目前にしての死去だった。さぞや無念であったろう、その胸中は察するに余りある。

 

■アジアの平和を俯瞰した翁長政治
 翁長県知事自らが最後に公の場で発言したのは、6月23日の沖縄慰霊の日であった。その中で、この間の朝鮮半島の緊張緩和、米朝首脳会談の実現を沖縄辺野古新基地建設と結びつけ、「このような中、20年以上も前に決定された辺野古新基地建設を見直すこともなく強引に推し進めようとする政府の姿勢は、到底容認できるものではありません。私としては平和を求める大きな流れからも取り残されているのではないかと危惧していることを申し上げた上で発表事項に入らせていただきます」と、辺野古新基地建設撤回へ具体的な手続きに入る事を言明した。
 そして防衛局側への聴聞が8月9日と決定したのだった。この決断は、翁長県政を支えた多くの沖縄民衆が希求してやまない思いであった。
 この4年、安倍政権の沖縄への対応はあまりにも杜撰で、県民の怒りを逆撫でする事ばかりだった。「日本の防衛」の前に地方自治は無く、地方の自己決定権はことごとく蔑ろにされてきた。世界一危険な普天間基地の辺野古移転は「沖縄の基地負担の唯一の解決」との"理屈"は、辺野古新基地の実態が明らかにされるや、さらなる基地負担の強化以外でしかない事が、その事実によって証明された。
 安倍政権はその度ごとに「中国脅威論」「朝鮮脅威論」をもって沖縄の地政学的重要性がアジアに於ける日米同盟の要と説明してきた。もはや普天間基地の代替え案など誰も信じる人はいない。にもかかわらず、である。
 これはアジア平和の新時代に全く逆行する行為そのものでしかない。時代は変化し、政治環境も変わっていく。こうした背景を充分に考慮して、沖縄県は沖縄21世紀ビジョン基本計画を打ち出した。沖縄の現状・未来を克明に精査したこのビジョンの中には、計画策定の意義として、以下のような記述がある。
 「沖縄は、地理的位置から東アジアにおける安全保障問題などの諸問題と大きな関わりをもっていますが、このような中にあって、沖縄が持つ自然、歴史、文化、 地理的特性などのソフトパワーは、我が国がアジアとの関係を深化させ信頼を確保していく取組において、一層大きな役割を担い貢献する資源になり得ると考えられます」「本県には、復帰後も米軍施設・区域が極端に集中し、騒音、環境汚染、多くの事件事故が発生していることを踏まえた措置のほか、経済発展の可能性が抑制されていることに対する措置も必要です。」
 以上はほんの一部を抜粋したものだが、180ベージにも及ぶ長文にして緻密な沖縄の未来像こそ、翁長知事が目指したものだったと言える。

 

■隊伍を整え、沖縄民衆の未来へ共に歩もう
 辺野古新基地建設への反対闘争が本格的に動きだしたのは、2004年の海上ボーリング調査阻止の闘いからだった。これがさらに2007年には防衛局の基地建設アセスメント調査阻止行動に引き継がれていく。
 2013年にはその後の闘いの中心となる「建白書」が安倍政権に提出された。その主体「オスプレイ配備に反対する沖縄県民大会実行委員会」「沖縄県議会」「沖縄県市町村関係4団体」「市町村・市町村議会」の連名で『沖縄「建白書」を実現し、未来を拓く島ぐるみ会議』とし、オール沖縄に名を連ねることとなった。
 2014年に入ると海上抗議行動に海上保安庁が全面に出、激しい闘いとなっていく。時を同じくして陸上からの建設資材の搬入が機動隊(沖縄県警)に守られて強行される。この14年は辺野古新基地建設に国家権力が投入されたという意味で一つの転換点だった。もはや安倍の言う「辺野古新基地建設を沖縄県民に丁寧に説明する」など、完全に反古にされた。
 2015年に入るとゲート前、海上ともに闘いは高揚期を迎えていた。遂に11月4日、安倍は警視庁機動隊の辺野古への派遣を決断する。さらに翌16年7月には高江ヘリパット建設のために全国機動隊500名が動員された。闘いは安倍政権と沖縄民衆の全面的な闘争へと至ったのである。道路交通法違反、些細な揚げ足取りによる公務執行妨害での不当弾圧が頻繁に適用され、逮捕者は16年夏から17年夏までに70名を超え、負傷者に至っては300名近くに上っていた。
 国家暴力と買収は地域のコミュニティを切り裂いていく。闘う側にも疲労の色が濃くなっていく。そんな中、まるで勝ち誇ったように連日300〜400台の資材搬入車が基地に吸い込まれ、闘う側の"意見"の違いが顕在化していく。
 遂に沖縄防衛局は今年8月17日からの埋め立て土砂搬入を公表した。7月26日には埋め立て用の土砂ダンプ76台が確認された。まさにその翌27日、翁長県知事は辺野古沿岸部の埋め立て承認を撤回すると表明した。
 そして8月9日が防衛局の意見を聴く聴聞会だった。翁長知事は、自らの言葉で防衛局の理不尽、違法工事を問い糺したかったろう。同時にヤマト・日本の沖縄への積年の恨(ハン)を語りたかったろう。
 隊伍は整いつつある。オール沖縄が原点を噛み締めていると聞いた。何よりも闘い・沖縄の平和と未来に命を掛けた翁長前知事の魂は、勝つまで諦めない闘魂の中心に永遠に残るだろう。



時評

急に人権の国になった日本

平 和好


 日大アメフトの危険タックル、レスリング・チアリーディングのパワハラ、ボクシング連盟の強権支配、相撲界での暴力など、スポーツの話題に事欠かない。
 目覚めてテレビをパートナー様がつけると、朝一からやっている。昼に見るとまだやっている。夕方の番組でも追加の報道をしている。いつから日本はこんなに「人権を何より大事にする国になったのか」と嬉しい(もちろん皮肉だ)。

■夜道をとぼとぼ
 小学校高学年で、もうすぐ中学生という頃、友達や先生と話題になったのが「中学に入ったら何のクラブに?」だった。圧倒的にスポーツクラブ希望者が多い。書道や放送など誰も言わない。頑張る、という言葉が好きなわが国ではやはりスポーツなのか!? 私はだんだん口数が少なくなった。憂うつなのだ。上級生たちが先に行っている中学を覗いてみた。わあわあ言いながら野球・テニス・陸上競技・体操などに励んでいる。君は何を選ぶ?と言われてますます気持ちが沈んだ。例えば野球は常に声を出し、走り回っている。元気の象徴みたいなものだ。監督がいつも怒鳴って「指導」したり、押さえつけみたいな説教をしている。部員たちはその時、頭を垂れている。そして夕方、暗くなりかけた道を道具と通学カバンをかかえた部員たちが帰って行くのを見て、これはたまらん、運動部はやめとこう、と心に誓った。

■ロマンあふれる天文部
 ともかく熱心な勧誘をかいくぐって運動部はパス。選んだのがその中学の自慢だったらしい大きなドームのある天文部。星座のロマンを体験できそう、練習がなさそうという安直な動機だ。部員定員枠にも入れて良かった。ところが説明会に行くと、星は夜しか見られないから夜の活動になるらしい。夜道を帰るのが嫌だったのに・・・校舎の最上階まで階段を一日何回も上り降りするのは(当然冷房などなく、暑い!)かなりの運動ではないかと、少々後悔した。ところが直後に、先生から呼び出し、玉音放送だ。「ドームの開閉装置が壊れて修理の見込みも予算もないので、休部にします」 がーーん。一回も活動することなく以後2年11ヶ月、「帰宅部」になった。
 高校ではあまり迷わず、厳しい練習や競技・遠征のない放送部に入った。大学も研究会(社会科学や毛沢東思想を研究)に入ったので、一生(多分)、体育会に入らない人生になる。しかし、彼らや応援団とは学内政治をめぐって闘争になったり、共闘したりした。何回かその「本部室」に呼ばれて行った。もうすごい! 何事も「押忍!」の世界だ。上級生は立派な椅子にふんぞり返り、下級生は軍隊みたいに直立不動の立ち番。タバコを上級生が取り出すと下級生が走りより、ライターで着火。一度通りかかった部室裏で怒声と「ドスッ、ドスッ」という音と「押忍!」といううめき声が聞こえ、逃げ帰った。詳しくは「ああ花の応援団」を読んで欲しい。

■スポーツ騒動は日本そのもの
 しばしば理不尽なこともあっただろう体育会生に耐える体力と精神力を身につけた事で就職先でのパワハラにも耐えられるのだろう。おとなしそうに装いながら、理不尽・不条理には立ち向かう習性の私に、体育会はやはり向いてない、とこの半世紀思う。日大アメフト監督・コーチ、ボクシング連盟会長、レスリング監督、大相撲協会みたいな人物を多数目撃してきた。だからテレビがそれを朝から晩まで追いかけているのを見ると「今更わかったんかいな」であるし、「今まで何も言わんかったやんか」とうちのパートナー様につぶやく毎日だ。
 まあ、せっかく報道のやる気を出しているのだから、こういう「悪事」を「もっと大規模に」「国家予算を使って」「解任も逮捕もされず」行い「日本をとんでもない方に持っていこうとする」総理大臣一味に適用される日が来るのを願う。(その日が来るべきだ)



編集部より

第9回 勉強会報告

文責・金子


 7月28日、アジア新時代研究会主催による9回目の勉強会が開かれました。今回のテーマは「激動する東アジアと日露関係」。講師は大阪経済法科大学前学長・アジア研究所所長の藤本和貴夫先生でした。
 朝鮮半島を震源とする東アジアの歴史的変動が起きている今、極東アジアの一角を占めるロシアはどうなっているのか?知っているようで知らない、近いようで遠いロシアについて学んでみようということで、今回の勉強会になりました。
 藤本先生の数十年に及ぶロシア研究を90分で語ってもらうという「無茶ぶり」でしたが、日露戦争から今日までの東アジアの歴史と変遷、日露関係について多くの具体的な資料を基に分かり易く語って頂きました。
 日露戦争に始まり、ロシア革命時には7万3千人という最大の兵力をシベリアに出兵させたこと、第二次世界大戦での攻防、60数万人に及ぶシベリア抑留者、未だに解決をみない北方領土問題などなど、改めてロシアが日本の隣国であり、その歴史的な繋がりについての認識を新たにしました。
 そのような中で、今日の東アジアの激動にロシアがどのように関わろうとしているのか、ロシアの東方重視政策について学ぶことができました。この東方重視政策は、既に2012年(プーチン大統領の再任)以降から始まっており、極東シベリアをめぐる経済開発(シベリア・朝鮮半島・中国・ヨーロッパまでのパイプライン建設・鉄道の敷設など)や安全保障面での東アジアとの連携などなど。石油の消費量が北米を抜いて世界1位になったアジア太平洋地域、欧米と距離を置き、ロシアを「アジアの国」にしようとしている「脱欧入亜」路線を目指すロシア。この9月にウラジオストクで開かれる第4回「東方経済フォーラム」。ここに朝鮮民主主義共和国の金正恩委員長を招待し、安倍首相との日朝会談が行われるのではとの憶測も流れています。東アジアで存在感を増しつつあるロシアを映している一つの現象とみてとれなくはありません。
 ロシアも含め、大きく変わりつつある東アジア。残念なことに日本の存在感がそこにまったく見えません。アジアの一員としてどう生きていくのか、「脱亜入欧」に梶を切ってから150年、梶を切り直す時がきているのではないでしょうか。
 新しい顔ぶれも多く、若い人たちの参加もあった、今回の勉強会。今後も地道に時節に適ったテーマを選び続けて行きたいと思います。


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