研究誌 「アジア新時代と日本」

第181号 2018/7/10



■ ■ 目 次 ■ ■

編集部より

主張 東北アジア新時代 日朝関係改善の時

議論 「主権線防護」に徹する「9条自衛の日本」

時評 災害考

読者より ニュージーランド滞在記(1)

コラム 南北の融和到来に想うこと

【第9回学習講演会】 激動するアジアと日ロ関係




 

編集部より

小川淳


 「史上最悪」の政権がなぜ支持されるのか
 公文書の隠ぺいと改ざん、森友、加計学園での権力の私物化、朝鮮半島問題でも「蚊帳の外」で何の成果もない。ここまで最悪で無能な政権が4割近い支持を集めているのはなぜか。直近の世論調査でもいつの間にか支持が不支持を上回っている。しかもその支持者たちは、若者や普通の労働者であったり、必ずしも安倍政権の受益者ではない。
 内田樹氏(神戸女学院大学)は、「安倍政権はまがりなりにも『国家ビジョン』らしきものがあり、支持者らはそれにすがりついているからだ」と分析している。国はどうあるべきか、何を目指すのか、国民的な規模で共有された「夢」、そのようなものが戦後の日本にはあった。「戦後復興」という国家目標が共有された50年代。そして「経済大国」という夢を追ってまっしぐらに突き進んだ70?80年代。その夢は「ジャパン・アズ・ナンバーワン」として80年代末に「実現」したかに見えたが、「バブル崩壊」によってあっけなくはじけてしまった。それからの「失われた20年」、個人の努力がそのまま国家目標に直結する「幸せな時代」は終わって久しい。
 バブル崩壊後、自信喪失が日本を覆った中で、「国家ビジョン」を示した政治家がいなかったわけではない。対米一体化のグローバリズム、新自由主義で日本を「立て直そう」とした小泉純一郎は、国民の共感を得ることなく4年で失脚した。2009年に政権交代に成功し、対米従属の戦後史からの転換を図ろうとした鳩山政権。しかしその「壮大なプラン」も普天間移転失敗でわずか9か月しか持たなかった。
 それ以降、国家ビジョンを語る政権はなくなり、目標なく漂流する日本丸の中で国民は深い絶望の中にあり、その絶望が深ければ深いほど人々は「強い指導者」を渇望する。そして「強い指導者」を演じることに長けた安倍に一縷の望みを託している?というのが内田氏の見立てだ。
 確かに今の日本は出口の見えない暗さ、閉塞感に覆われている。なぜ以前のような国民的な規模で共有された夢がなくなったのか。経済も成熟し成長も望めそうにない。国民が共有する夢が成立しにくい時代を迎えているのは確かだ。
 しかし一番の問題は、この閉塞感を突破するような、絶望の中にある人々の心をつかむような「国家ビジョン」を作り出せていないことにある。どうすれば「国家ビジョン」を作り出せるのか。政権に対する徹底した批判・闘いと同時に、これからは国家像を巡る闘いにもっと力を傾注しなければならない時を迎えているように思う。



主張

東北アジア新時代 日朝関係改善の時

編集部


 昔から、一衣帯水(狭い水を隔てて近接している様)、唇歯輔車(互いが支え合って存在していること)の間柄にあると言われて来た日朝。その関係が、今、最悪の状態にある。
 そうした中、今日、時代は東北アジア新時代。戦争と敵対から平和と友好、繁栄へ。日朝を取り囲む時代的環境は大きく変わってきている。
 この新しい時代への転換にあって、日朝という懸案のこの問題にどう向き合い解決するか、それが切実に求められていると思う。

■古い時代の遺物、最悪の日朝関係
 日本にとって、もっとも近くにありながら、もっとも遠い国、それが「北朝鮮」だ。
 日朝の間に横たわる不信と嫌悪、蔑視の感情は普通ではない。それは、政府間の域を遙かに超え、互いの政府、国に対して抱く国民的なものにまでなっている。
 その結果、朝鮮の国家創立の最初から国交は断絶状態。今では交易禁止はもちろん、人士や物資の往来そのものまで極度に制限されている。
 懸案の拉致問題は、その集中的な表現であり、まさにここに、両国間の不信と嫌悪、蔑視のすべてが凝縮されていると言うことができる。
 今、この最悪の状況を指して、「冷戦の遺物」だととらえる人は少なくない。米ソ間の「体制抗争」、「覇権抗争」だった「冷戦」が今もかたちを変えて続いているということだ。
 もちろん、そうした要素があるのは事実だと思う。しかし、日朝間の状況には、それとは大きく異なる要素があるのも事実だ。
 何よりもまず、日朝問題は、36年に及ぶ日本による対朝鮮植民地支配とそれに反対する朝鮮人民の闘いから始まっている。その決着は未だ付いていない。
 もう一つは、日朝間の闘いが社会主義と資本主義、「体制間抗争」としての側面を持ちながら、「覇権抗争」ではなく、「米国の後ろにくっついての従属覇権とそれに反対する主権擁護の闘い」としての側面を強く持っているということだ。
 だから、「最悪」の日朝関係を指して、単なる「冷戦」の産物、遺物だと言うことはできない。それを言うなら、日本帝国主義の敗戦、ソ連邦の崩壊後も継続して来た戦争と敵対の古い時代の遺物だと言う方が当たっていると思う。

■東北アジア新時代の中に入ってこそ
 今日、最悪の日朝関係克服の道として、よく言われるのが「脱冷戦」だ。「冷戦思考」からの脱却にこそ日朝問題解決の鍵があるということだ。
 だが、先に述べたように、「最悪」の根は「冷戦」を超えてさらに深い。問われているのは、戦争と敵対の古い時代そのものからの脱却だ。
 では、古い時代からの脱却とは?それは一体何を意味しているのか。
 時あたかも、東北アジア新時代が始まろうとしている。戦争と敵対から平和と友好、繁栄へ。古い時代から新しい時代への大きな時代的転換だ。
 この歴史の新時代にどう対するか。新しい時代を外から見ているだけで、古い時代からの脱却ができないのは言うまでもない。「脱却」とは、すなわち新しい時代の中に入って行くことを意味していると思う。そうしてこそ、古い時代から抜け出し、日朝関係改善の道を切り開いて行くことも可能になるのではないか。
 しかし、新しい時代の中に入り、日朝関係改善の道を探るからと言って、「経済援助」や「国交正常化」をそのためのテコにし、カードにするといった考え方、やり方はどうだろうか。このところ政治家や識者の間で一般的になっているこうした論調には、朝鮮蔑視のにおいが濃厚だ。「北朝鮮は、カネを欲しがっている。体制の保証を哀願しているのだ。そこに日本の強みがある。劣勢挽回の鍵。そこにつけ込め」ということだ。
 だがこれでは、不信と嫌悪、蔑視の日朝関係の上塗りにしかならないのではないか。実際、朝鮮は、こうした日本側の態度に対し、「われわれはカネや体制保証を求めているのではない」と言いながら、日本との対話に熱意を示さず、一番後回しにしているように見える。
 古い時代から脱却し、新しい時代の中に入るとは、新しい時代の当事国になるということではないか。すなわち、当事国として自らの使命と役割を果たすとともに、当事国同士、他の当事国と力を合わせ、時代の基本精神、共通利益を守っていくようにするということだ。
 その過程で生まれる当事国相互間の信頼感、それが日朝関係の改善にとっても、何より貴重なものになるのではないだろうか。

■新時代当事国同士、互いに主体的に!
 平和と友好、繁栄、この東北アジア新時代の基本精神、共通利益には、全世界が賛成だ。先の歴史的な南北首脳会談、それに続く朝米首脳会談への世界的範囲での評価と賛同、歓迎の声は、そのことを示している。この世界共同の時代的関心事に無関心であってはならない。東北アジアの関係諸国がこの新時代の流れに敏感に驚くような速さで合流の意思を表明して来ているのは必然だと言うことができる。
 当の南北朝鮮、米国はもちろん、中国、ロシアの動きも迅速だ。その中で一人遅れているのが日本だ。世界の趨勢について行けていない日本政治の実態を映す何よりの証ではないかと思う。
 そうした中、留意すべきことがある。時代の基本精神、共通利益をめぐる当事国同士の思惑が互いに異なり、食い違っていることだ。
 米国は、行き詰まった自らの覇権戦略、戦争と敵対の戦略の打開とそこからの大転換を狙っており、中国やロシアは、その米覇権戦略に対抗し、自らの主導による新たな国際秩序の構築を企図している。一方、南北朝鮮が、大国の干渉を乗り越え、自分たちの平和と繁栄、統一を目指しているのは、先の「板門店宣言」に明らかだ。
 互いに相異なり、対立さえする各国の志向と意思、思惑と戦略を内に含んだまま進行する平和と友好、繁栄の東北アジア新時代。そこに求められているのは、この時代の進行を通じて、東北アジアだけでなく世界中の人々が求める時代の基本精神、共通利益が実際に実現されて行くことではないかと思う。米国も中国、ロシアも、南北朝鮮、日本も、新時代に関与し支えるすべての当事国は、この時代的要求に服従し忠実であることが求められる。東北アジア新時代の中に入るとは、まさにそういうことではないだろうか。
 今日、日本政治の実情は、こうした事態発展に対応できていないように思われる。そもそも、日本自らの意思、戦略というものが見えない。東北アジア新時代の中に入る以前の状態だ。
 そうした中問題なのは、米国にはその戦略に沿った日本への要求がすでに準備されているということだ。戦争と敵対の古い米覇権戦略が崩壊する中、新しい平和と繁栄の戦略に覇権再構築の望みを託す米国にとって、日本の軍事・経済力を動員し尽くすのがその戦略実現の前提になっている。
 その上で問題は、こうした米国の要求と新時代の要求とが本質的に矛盾・対立していることだ。朝鮮への米系外資の浸透が表面上の「繁栄」とは裏腹に、朝鮮の改革開放(資本主義化)と米国の拠点化を企図したものであること、在韓米軍の撤退が米覇権軍事体系の改編と一体であること、等々、すでに衣の下から鎧が覗いている。
 維新以来150年、戦後70数年、日本の対欧米従属は、東北アジア新時代を迎え、その極致に達するようになる。この間、外交戦の「蚊帳の外」に置かれ、その姿が見えなくなっていた日本は、この新時代、米国の陰に隠れ、その一部に組み込まれて、国としてのかたち、あり方を完全に失ってしまうのではないだろうか。
 この国家存亡の危機にあって、日本の前に問われているのは、新時代の時代的要求に応える道以外にないのではないだろうか。東北アジアの真の平和のため、友好のため、繁栄のためにどうすべきか。それを、日本主体に、自分の頭で考え、打ち出すことだ。それが米国の軍事、外交、経済戦略と食い違っていても構わない。問題は、東北アジアの平和と友好、繁栄のため、それが本当に求められるものであるか否かだ。それを東北アジアに、全世界に広く問うて行くことだ。
 「東北アジアの真の平和と友好、繁栄のために」、現代の「錦の御旗」はここにある。そのために新時代当事国同士、互いに主体的に自らの意思と要求をぶつけ合えば良いと思う。
 東北アジア新時代、日朝が互いに主体的に、当事国同士心と力を合わせ、時代的要求実現のため、ともに闘って行くようになる時、日朝関係改善の道が開けてくるのではないだろうか。



議論

「主権線防護」に徹する「9条自衛の日本」

吉田寅次


■朝鮮半島の緊張緩和を「由々しき事態」とみる日米安保基軸の防衛路線
 朝鮮半島を震源地とする東北アジア新時代の地殻変動は、日本の安保環境の激変を生む。朝鮮戦争の終結宣言、ひいては朝米間で平和協定が締結されれば、長年、持続してきた戦争状態に終止符が打たれ、一触即発の熱戦地域、軍事境界線が消滅し、朝鮮半島の緊張緩和と南北融和が一気に進み、東北アジアが熱戦の危険地帯から平和地帯に変わる。これは日本の安全と平和にとって好ましい環境が生まれることのはずだ。ところが日本政府の採る安保防衛路線からすれば、これを「由々しき事態」とみるという真逆の見方になる。
 平昌冬季五輪以降の韓国と朝鮮の対話の動きに対し、中谷元防衛大臣は「軍事境界線は北朝鮮軍と国連軍(米軍)が対決しているところなのに韓国が勝手に(北朝鮮と)融和するような真似をしてはいけないんです」という主旨の発言をした。日米韓の「防衛線」である軍事境界線を消滅(南北朝鮮の融和)させるようなことをしてはいけないとの発言だ。もし朝鮮半島での戦争状態終結で軍事境界線がなくなり、在韓米軍の縮小や撤収という事態になるならば、「今後、在日米軍と自衛隊が東アジアの最前線に立つ可能性もある」との危惧まで論議されている。
 最近の「米韓合同軍事演習の中止」決定に「日本の抑止力を弱めることになる」と誰より反発したのがわが国の小野寺防衛大臣だ。原子力空母3隻動員など最大規模とされた昨年の米韓合同軍事演習の際は、一触即発の危機、日本に戦禍の及ぶ現実の危険として国民の大きな不安を呼んだ。国民からすれば、そういった不安から解放されるという歓迎すべきことなのに、「日本の抑止力を弱める」問題として防衛大臣が反対する。では「日本の抑止力」とはいったい何のためのものなのか? 防衛大臣は日本の何を守る防衛大臣なのか?

■「利益線の防護」に東北アジアが破綻を宣告
 元陸上自衛隊幕僚長、富澤暉氏の著書「逆説の軍事論」にその回答がある。「現代の軍事的な観点からいえば、主権は今も昔も自国の軍隊が守るもの(主権線の防護)です。一方、利益線の防護に関していえば(これは第二次世界大戦を引き起こした要因でもあったわけですが)、どの国の利益線も常に他国の利益線と重複しています。したがって、もはや一国で守るものではなく他国と協力した共同防衛、集団安全保障の形で守らざるを得ないというのが現在の安全保障に関する考え方の主流になっています」。
 防衛思想としての「主権線の防護」、これは国土、国民を守る本来の意味での自衛の思想であるが、「利益線の防護」という防衛思想、これはマラッカ海峡などシーレーン防衛や中東石油資源確保など「海外権益の保護」を目的とする防衛思想だ。
 わが国の場合、「利益線の防護」のための日米安保基軸の集団安全保障が防衛の基本方針となっている。日米安保は日本の主権や国土、国民を守る「主権線の防護」のためのものではない。それは日米共同の「利益線の防護」、米中心の国際秩序維持のためのものだ。「戦後日本の繁栄」の代名詞とされるいわゆる吉田ドクトリン、「軽武装と経済至上主義」、それは「核の傘」をはじめ強大な米軍事力に日本の「利益線」である米中心の国際秩序の「防護」を託すことによって支えられた「繁栄」だったと言える。この「利益線の防護」を保障する軍事が抑止力論だ。
 抑止力とは、「攻撃を拒否し報復する能力と意思を相手に認識させることによって、攻撃を思いとどまらせること」だと定義されている。この公式的定義を意訳すれば、「相手を威嚇、屈服させる脅威力」、それが抑止力の本質だ。日本が供与を受ける米軍の「核の傘」、それは朝鮮からすれば「核戦争の脅威」として機能している。  戦後日本の「利益線の防護」のための軍事、抑止力を担うのは、日米安保、米軍であり、自衛隊ではない。憲法9条「交戦権否認、戦力不保持」の縛りを受ける自衛隊は「報復する能力と意思」を持っていないからだ。だから「利益線の防護」という基本方針を採る限り、日本の防衛路線は日米安保基軸・米軍依存以外にありえない。これが「利益線の防護」思想とそれを保障する軍事、「抑止力」論の帰結だ。
 日本の元防衛大臣が朝鮮半島の軍事境界線消滅につながるような南北融和に危惧を表明し、現職防衛大臣が米韓合同軍事演習中止に反対するのは、これらのことが「利益線の防護」、日米安保基軸の防衛を破綻させかねないものだからだ。
 しかしいまや朝鮮半島の軍事境界線も在韓米軍も「抑止力」の役割を終える時代に入った。このことは米中心の国際秩序維持のための防衛、「利益線の防護」が東北アジアで破綻宣告を受けたのだと受け止めるべきではないだろうか。

■「主権線の防護」に徹する「9条自衛の日本」が東北アジア新時代の先駆けに!
 「利益線の防護」という防衛思想は、平和と繁栄、友好の東北アジア新時代の発展を阻害するものとして排撃されねばならないことは、すでに朝鮮半島で実証されつつあることだ。
 かつて大日本帝国は、「満蒙は生命線」であるとし、「利益線の防護」のためと称し満州鉄道沿線警備名目の関東軍を派遣し、その関東軍が国民党軍に襲撃されたとして満州事変を起こし傀儡満州国を設立、さらには中国本土に侵略の魔手を拡大、ついには英米「利益線」(植民地拡大)との衝突から戦争に突入した。「利益線の防護」は防衛線を自国領土外に拡大するがゆえに、必然的に利益線をめぐる覇権抗争を呼び、敵対と戦争を同伴する。これがわが国近代史の教訓だ。
 かつて日本や欧米列強による植民地獲得という「利益線」をめぐる覇権抗争にさらされた東南アジア諸国連合(ASEAN)は、東アジア共同体設立に当たって、主権尊重、内政不干渉を基本原則とした。主権尊重、内政不干渉の基本原則は、地域諸国が敵対と戦争の要因を排撃し、真の平和と繁栄、友好の新たな時代を開く礎石であると言える。平和と繁栄、友好の東北アジア新時代参画に当たって、わが国には「利益線の防護」という敵対と戦争の時代の安保防衛路線から、主権尊重、内政不干渉に徹した防衛路線への転換を図ることが求められるだろう。
 したがって日本の安保防衛は、「利益線の防護」基軸ではなく「主権線の防護」基軸に、自国の主権への侵害を許さない、また他国の主権も侵害しない、そのような主権尊重、内政不干渉に徹した防衛を基本方針とすべきであろう。
 「主権線の防護」基軸のわが国の防衛路線、それは9条自衛基軸の防衛を貫くことだ。
 「交戦権否認、戦力不保持」の憲法9条に基づく自衛は、自国への主権侵害を許さず、他国の主権侵害もしない、まさに「主権線の防護」に徹した自衛路線であると言える。一般に専守防衛と言われるものだが、自国の領土、領海、領空への侵害には撃退で対する、しかし報復のため相手国と交戦状態になることはしない、すなわち報復攻撃はしない、そのような徹底した「主権線の防護」、自衛に徹した防衛路線だ。
 「交戦権否認、戦力不保持」の自衛は、国際的に認められた自衛戦争、自衛のための相手国への報復攻撃をも自ら禁じた自衛路線だ。侵略戦争はすべて自衛の名によって行われる。「共産主義の脅威から守る」としてベトナム戦争が行われ、「テロの脅威から守る」としてアフガン、やイラクへの反テロ戦争が行われた。わが国はかつてアジアと世界に戦争の惨禍を及ぼした歴史を総括し、「交戦権否認」として「自衛」の名による戦争を自身に禁じた。
 自国の主権を守ると同時に他国への主権侵害行為を禁じた9条自衛、自衛の名による戦争をも禁じる自衛は、まさに、東北アジアを敵対と戦争のない平和地帯に築く先駆けとなる防衛路線となる。
 次に日米安保を憲法9条を基軸に見直す。いますぐ条約破棄はできずとも、日本を他国との交戦基地、出撃基地にすることを禁じるなど日米地位協定を日本の主権、9条の縛りをかけられるものに改定すべきだ。文在寅政権は韓国政府の承認なしに戦争を起こさせないと米国に通告した。この程度のことはやれるはずだし、やらねばならない。
 主権尊重、主権侵害否定の非戦地帯、平和地帯構築のための東北アジア集団安保構想も必要になるだろう。
 日本の9条自衛が新時代の東北アジア平和地帯構築の先駆けとなるべきだと思う。


 
時評

災害考

平 和好


■災害避難保証先進国イタリア
 同じ地震大国でも欧米と日本とでは大違いだ。イタリアには「市民安全省」、アメリカには「連邦緊急事態管理庁」が常時設置されている。避難者の食費基準は日本の1食350円に対し、イタリアで1100円くらいだ。そして2年前の火山噴火では通常ベッド44,800台、折り畳みベッド9,800台、シーツ、枕55,000個、毛布107,200枚、発電設備、発電機154基、バス・トイレコンテナ216棟、野外キッチン107基が直ちに届けられたと言う。さらにこの避難者と同じくらいの人々がホテルに「公費」で避難生活を送ったという。自然災害で困る人々を助けるのが国家として当然の仕事として市民安全省が経験を活かし、直ちに動くシステムが出来ている。

■被災者見殺し安倍政権
 またこの度の大水害でも、安倍首相は前日5日に大宴会を催した翌日、むくんだ顔、ぼさぼさの頭、ドローーンとした目で記者会見した。その翌日、対策本部会議に20分出席してマスコミ受けを狙う「先手」という言葉を連発しただけで、あとは私邸にこもったままだった。4年前の豪雪災害の時も、私邸にこもり、頼まれてもいないのに冬季五輪のメダリスト羽生君にお祝いの電話をかけたり、外出は支援者と天ぷらを食べただけだったと言う。みすみす被災者の生命を見殺しにしたとの報道もあるくらいだ。

■どうみても後進国日本
 さて日本の災害で有名なのが体育館避難。要するに雑魚寝だ。ごく一部の体育館には急きょエアコンが設置されたが、ほとんどの避難民はエアコンなし、お風呂は給湯車がたまに来るくらいだ。トイレなんて工事現場でお馴染みの簡易トイレが来るが、とても落ち着いて用を足せる代物ではない。イタリアは写真の様に大きいトイレとお風呂が来るのだ。出される食事はカップラーメン・おにぎり・良くてコンビニ弁当。これでは震災関連死が増えるのも無理はない。経済大国を自慢している日本が、決して豊かと思われていないイタリアよりはるかに劣悪なのだ。日本は災害が起こるたびに「本部」が設置されて急きょ、政府・自治体から人が派遣されて寄せ集めの担当者が大慌てで「対策」とやらを検討・立案・実施するが一段落すると解散し、後に継承されることはない。

■幸せって何?
 自然災害でも戦争でも市民の犠牲が多数出る状況を経験し、国の政策としてその経験に基づき被災者支援に全力を尽くす国と、歴史の教訓を学ぶことなく、毎回その場限り、あくまでお情けの雨露しのげたら良しとせよという日本の実態を比較すると、全然先進国と言えないのがわかる。事故ばかり起しているオスプレイの購入費で救難車両・救難機を購入でき、イタリアに負けない避難者対策ができるのだ。国民を管理・弾圧する緊急事態条項より、自然災害救助省の設置が先だ。災害状況下の宴会も問題だが、こういう根本的問題を「よく考えてみるべき」だ。



読者より

ニュージーランド滞在記(1)

 


 一年間のニュージーランドでの生活や仕事で感じたことを書こうと思います。
 ニュージーランドは太平洋の南西に位置し、面積は日本の4分の3の大きさにも関わらず、人口が約470万人と何と東京の半分以下です。また、そこには、先住民のマオリやヨーロッパ系白人をはじめ、南太平洋諸島系、そしてアジア系の人々といったさまざまな人種・民族が暮らしているのも特徴です。
 二つの大きな島と多数の小さな離島から形成される国土は、変化に富んだ地形のため、5つの国立公園が世界遺産に登録されているのを初め15の国立公園があり、どの地方でもすばらしい風景が広がっています。北と南の大きな島に分けられ、北島では地熱地帯の活発な動きでできたロトルア温泉、海水浴や日光浴、サーフィンにぴったりの広々とした砂浜がたくさんあります。
 南島は、美しい星空で有名なテカポ、氷河の浸食で形成されているミルフォードサウンドなど最大のリゾート地が広がっています。その他にもニュージーランドを代表する映画「ロード・オブ・ザ・リング」に関連するホビット村、ケープレインガ、90マイルビーチ、タウポ湖、フィヨルド国立公園、ダニーデンなど数えきれないぐらい名所があり、一度ニュージーランドの自然を動画や画像で見てみることをお勧めします。自然やアクティビティーが好きな方には、楽園かもしれません。
 そんな魅力的な自然に囲まれる国では、生活習慣や考え方も日本とはだいぶ異なります。政治においては、世界の最も若い女性の指導者ジャシンダー・アーダーン首相が選ばれ、日本のニュースでも話題になりました。芸術、文化、伝統大臣でもある彼女は、妊娠と6週間の育児休暇を取ることを発表し、働く女性の仕事と家事・育児の両立に、世界から注目を集めています。女性の参政権が世界で初めて認められた国らしいですね。
 また環境保護国として、ニュージーランドは電気を73パーセント再生可能なエネルギーに依っており、非核法のもと、原発がありません。動物は基本放し飼いで、野菜は極力ビニールハウス生産ではなく、農薬や化学肥料を抑えやすい露出栽培です。旬の野菜はその時にしか食べられません。またオーガニックや自然由来の製品が多く、自然が貴重な財産であるニュージーランドにとって、国を挙げての環境保護が当たり前になっています。
 一方で、移民国家であるためか、「公共」に対する国民一人一人の意識がまだまだ低いのが問題とされています。自分自身の経験で印象的なのは、仕事より自分のプライベートと言うところでした。ニュージーランドは週給製で仕事は基本定時に終わり、もちろん残業もしますが、ちゃんとオーバータイムという給料も出ますし、あくまで希望制の残業です。土日出勤は何と通常給料の1.5倍です。更にアルバイトであろうが社員だろうが一年以上働くと4週間の有給が法律で定められています。また、一年未満の人でも有給の代わりに給料の8パ―セント増しでお金を払ってくれます。 2週間ぐらい旅行行くからと有給を頻繁に取る人もいます。日本では有給を取れない人がたくさんいるというのに…。
 ニュージーランドでは転職も普通の事で、やりたいことをやるという事が社会的に許容されていると思います。大学進学率も3割程度で、自分の同僚にも15歳から働いているという人がいました。勉強に興味がなければ、早く仕事に就き自分の人生を楽しんでいます。優秀な人はもちろん優遇されますが、学歴より経験やスキルが仕事する上で大切にされているように思います。(続く)



コラム

南北の融和到来に想うこと

こうへい


 済州島と言えば日本に一番近い外国の観光地として発展した島として、日本では人気のある地です。自分も一度行ってみたいところの一つです。
しかし、近年の発展した側面とは違い、歴史的には苦労の多い島であったようです。両班(リャンバン)など身分の高い人の流刑の地としての側面を持ち、長く差別に苦しんだ地でもあります。
 近代においては、4・3事件と云われる解放直後に起きた島民弾圧事件が想い起こされます。
 長く封印されたこの事件も、金大中大統領の時代に4・3真相究明法が制定、4.3委員会が設置され見直しが始まります。そして、次の廬武鉉大統領のとき島民に対する正式な謝罪がありましたが、その後の保守政権になっては進展がありませんでした。
 今年、文在寅大統領は4・3追悼式に参加して、追悼の辞の中で「国家権力が加えた暴力をきちんと明らかにし、犠牲となった方たちの怒りを解き、名誉を回復するようにすること」等を表明しました。また、「未だに4・3の真実を無視する人がいます。未だに古い理念の屈折した目で4・3を眺める人々がいます。未だに韓国の古い理念が作り出した憎悪と敵対の言葉が溢れています。もう私たちは痛みの歴史を直視できなければなりません。不幸な歴史を直視することは国と国との間だけに必要なことではありません。私たち自らも4・3を直視できなければなりません。古い理念の枠に考えを閉じ込めることから逃れなくてはなりません」という重い言葉を投げ掛けています。
 これは私たち日本人もそっくり受け取ることのできる言葉に違いありません。
 特に、この国を引っ張る方々にこの深い言葉の思いを届けたいものです。

※ 済州島4・3事件とは、
 1948年4月、朝鮮分断の進行する済州島(チェジュド)で起こった、アメリカ軍政下の南朝鮮単独選挙に反発した民衆蜂起(武装隊)が、アメリカ軍・警察・右翼などによって 弾圧された事件。



【第9回学習講演会】

激動するアジアと日ロ関係

 


講師 藤本和貴夫先生
大阪経済法科大学アジア研究所所長
特任教授、前学長

※     ※     ※

 アジアとヨーロッパにまたがるロシアについて第一人者の藤本先生に、ロシアの実像と南北・米朝会談後の激動する情勢の中で日本とロシアの関係など、普段聞けない内容も含めお話いただく貴重な学習会です。ぜひお越しください。
 7月28日(土)午後2時
 場所:国労会館1階ホール
 (JR環状線天満駅下車 5分)
 ・資料代700円お願いします。
 ・連絡先 古賀090−3272−1542
       小川090−9880−6175
 ・主催 アジア新時代研究会


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