日朝の「深い溝」を乗り越えるために
米朝会談が終わり、次は日朝会談と言われている。水面下では何らかの接触が行われているようだが、金委員長の安倍首相に対する不信は簡単には払しょくできないのではないか。米朝が歩み寄りを初めても一人「最大限の圧力」を叫んできた安倍首相を金委員長は相手にするのだろうか。トランプ頼みで日本独自の外交方針を持たない安倍外交の破綻であり、当然の結果である。
安倍外交の問題で、二点だけ指摘しておきたい。
一つは、「核」問題だ。そもそも朝鮮の核はアメリカを標的としたもので日本を狙ったものではない。従って米朝の間で話し合って解決するしかない。日本は唯一の被爆国で、核廃絶の先頭に立つと言ってきた。そのような姿勢がはっきりとしているなら、金委員長に「核を放棄しろ」と言えるかもしれない。ところが核兵器禁止条約に日本は賛成しなかったどころか反対した。そして米国の核の傘に守られている。そのような国が「核を放棄しろ」と言っても明らかに論理矛盾でまったく説得力がない。
もう一つは「拉致解決なくして正常化なし」という外交姿勢だ。安倍首相は「拉致」問題を最優先課題として取り上げると言い続けてきた。国民感情として理解できないわけではない。ただ、「拉致解決なくして日朝正常化はない」という外交方針では永遠に交渉テーブルにつけないのではないかと思う。現在まで日朝交渉が進まない、こう着状態にあるのはこの外交方針に無理があるからだ。いわば日本はこの安倍外交によって自縄自縛に陥ってしまった。
「日朝正常化」とは「日朝間の不幸な過去を清算し、懸案事項を解決し、実りある政治、経済、文化的関係を樹立する」(ピョンヤン宣言)ことである。それが東アジアの平和と安定に大きく寄与することは言うまでもない。原則論から言えば、拉致問題があろうがなかろうか、「不幸な過去の清算」の責務は日本側にあり、相手がどうであろうと日本側が率先して解決すべき問題であるということだ。「過去の清算」については前提条件をつける問題ではない。日本が行った植民地支配下での数々の蛮行に対する謝罪と賠償を行うことと、戦後の拉致とは因果関係はないからだ。まずは自分がやるべきことをきちんとやったうえで、相手がやるべきことを相手にしかるべく要求する。そうしてこそこう着した拉致問題の突破口は開くのではないか。
トランプは対決から対話へと舵を切った。トランプが金委員長を信頼し大幅な譲歩をすることで、朝鮮半島の非核化への大きな一歩を踏みだした。日朝間の深い溝を乗り越えるためには、トランプ並みの英断を安倍首相ができるのかどうかだ。
主張
6月12日、シンガポール。全世界注視の下、史上初の朝米首脳会談が行われた。 これを、日本としてはどうとらえ、そこから生まれる現実にいかに対処するか?それは、すぐれて日本自身のあり方に関わる問題だと思う。
■どう評価するか、朝米首脳会談
今、会談への評価はまちまちだ。会談の開催自体については、全世界、皆概ね歓迎している。問題にされているのは、出されてきた共同声明だ。驚くほど少ない文言。「新たな朝米関係の樹立。永続的で強固な平和体制の構築。朝鮮半島の非核化の実現。そして朝鮮戦争での遺骨の返還」、この4項目が目標として挙げられただけだった。「非核化」については、そのための具体的道筋など一切なし。「こんなに弱い共同声明は見たことがない」。米国のメディアでは、トランプへの批判続出だった。加えて記者会見で語られた「米韓合同軍事演習の中止」発言。これでは、「朝鮮の一人勝ち」ということになる。
だが、そうした中、会談への肯定的評価も出てきている。文言の数の多さで「共同声明」の価値が決まる訳ではない。互いに本気ならば、文言など最低限でよい。今回の場合、両首脳がお互いの「本気」を感じ信頼したのでは?トランプの記者会見でのあの「高揚」「興奮」は、その現れだ。外交交渉は、「信頼と検証」。今回、米国が表明した直近の措置、「米韓合同軍事演習の無期限中止」は、朝鮮にその検証を迫るものだ。
こうしてみた時、「朝鮮半島の非核化」は、もう始まっている。もちろん、いくらCVID(完全かつ検証可能、不可逆的な非核化)と言っても限度がある。万余の関連科学者、技術者の海外移住、関連知識、技術すべての消滅などできる訳がない。そこには自ずと相互が認める何らかの合意点が生まれてくるものだ。
「非核化」が一定程度進めば、それに応じ、「平和協定」「国交正常化」がやられ、朝米関係は、戦争と敵視の関係から、平和と友好、繁栄の新しい関係へと転換する。今回の朝米首脳会談がこの朝米新時代への出発点となるのは、まさにそれ故だ。
■朝米新時代の意味を問う
史上初の朝米首脳会談が生み出した新しい時代、朝米新時代。では一体、この「新時代」は、どのような時代になるだろうか。そこで考慮すべきことがいくつかある。
全世界の注目を集めて開かれた今回の首脳会談で、識者、政治家たちを驚かせたのは、まず、会談の場が朝米対等に設えられていたことのようだ。GDPにして1100倍の差のある両国の国旗が交互に対等に立てられ、会議場の配置もすべて対等だった。
さらに一層驚かされたのが「非核化」の方法だ。米国が言う「CVID」以外の方法があり得るのか。朝鮮提案の「段階的、同時行動原則」などもっての外だ。大概の識者、政治家、マスメディアはそう思っていた。ところが、こうした道筋、方法に関する言及はまったくなかった。その上、彼ら、識者たちが口を揃えてあり得ないと言っていた米韓合同軍事演習の無期限中止までがトランプだけでなく、その後、米国政府からも発表された。米国はやる。次は朝鮮の番だ。「非核化」もすべて対等、段階的、同歩的にということだ。
その上米国は、こういう方法での「非核化」さえ完全にできるとは考えていないようだ。CVIDなど「非核化」の具体的道筋を明記しなかったのもさることながら、その理由をトランプは、「時間がなかったから」とさらりと言ってのけた。まさにここに、そのことが物語られているのではないだろうか。
これは一体何を意味するのか。米国は、覇権国家としての地位も権威もすべてかなぐり捨て、朝鮮を核保有国として認め、互いに対等に生きようと言うのか。それが来るべき朝米新時代の姿だと言うのか。
■到来した朝米対決戦の新段階
朝鮮半島における米覇権戦略の転換は、朝鮮による核・ミサイル開発が米本土全域を水爆攻撃の射程に入れた昨年末の国家核武力完成をもって、決定的になったと言える。これで米国は朝鮮と戦争できなくなったという朝鮮側の主張は、決して誇大妄想な虚言ではないと思う。
一方、平昌オリンピックを契機に開始された朝鮮のめざましい外交攻勢は、明らかに韓国における文在寅政権の存在を離れては考えられない。昨年、あの「ろうそく革命」から生まれたこの政権の志向と力は、米国言いなりだったこれまでの政権とは大きく異なっている。
「核」と「ろうそく革命」、この二つの力に突き動かされて、米トランプ政権の朝米首脳会談に向けた活動が始められた。ここに事の真相があるのではないだろうか。金正恩委員長の朝米首脳会談への呼びかけを伝えた韓国の大統領特使に即席で会談受諾を表明したトランプ大統領の一見軽率に見える行動も、こうして見ると、決して一時的な思いつきなどではなかったように思う。
事実、先の首脳会談で重ね合わされた朝米双方の思惑には、それぞれまったく相異なる戦略的企図が込められているように思われる。朝鮮には、南北の和解と協力により互いの平和と繁栄、統一への念願をかなえようとする戦略があり、米国には、朝鮮との和解を通して朝鮮経済への浸透とその「改革開放」(資本主義化)を図り、それに基礎して朝鮮半島、ひいては北東アジア全域に対する米覇権を再構築する戦略があるように見える。この互いに相異なり対立する戦略を、平和と友好、繁栄の新しい朝米関係、恒久的で強固な平和体制の下、互いに競い合い闘って、その決着をつけていこうというのが来るべき「朝米新時代」の実相ではないだろうか。
この闘いにあって、「非核化」はいかなる意味を持つのだろうか。それを、この朝米双方の戦略を実現する闘いの場をつくり出すための触媒のようなものだと言えば、言い過ぎであろうか。
何はともあれ、「新時代」の朝米対決戦は、今、新しい段階を迎えている。その主戦場は、「非核化」ではない。一つは「経済」、もう一つは「統一」であり、最後の一つは「外交」ではないか。
■朝米「新段階」、日本はそれにどう対するか
今日、米覇権戦略は完全に行き詰まっている。前代から受け継いだグローバル覇権の破綻に加えて、「アメリカ・ファースト」を掲げての新覇権戦略もその本質的矛盾に逢着している。最終的敗退局面に入ったシリアやアフガン。自由貿易に敵対する「保護主義」として、全世界的な糾弾の対象となっているその対外経済戦略。
この米覇権崩壊の最終的局面にあって、朝米対決戦の新段階は何を意味しているか。社会主義経済建設と南北統一、そして脱覇権自主勢力との国際的連携・協力をめぐる朝米の攻防は、世界的な覇権か自主かの攻防の重要な環となる闘いだ。
これまで日本は、朝米対決の「蚊帳の外」に置かれてきた。しかし、その新段階の構図が決まってきた今、米覇権の補完勢力として、その前面に立てられようとしている。トランプの日朝関係、拉致問題への関心の高さは、まさにそのためだ。
日本のカネを当てにしているのは、誰よりも米国であり、日本を北東アジア軍事攻防の最前線に立てようとしているのも米国だ。
日本の国のかたち、あり方はすでに変わってきている。軍事だけではない。経済も完全に米国経済に組み込まれてきている。トランプが日本経済を朝鮮経済への自らの浸透のため動員しようとしているのは、根拠のあることなのだ。
日本は、またしても朝鮮との関係で、自らのあり方の根本を問われてきている。明治維新後、脱亜入欧に踏み切った時もそうだったし、戦後、朝鮮戦争の時にもそうだった。その都度日本は、欧米を背に負い、アジアに敵対する道を選んできた。それが日本にとってどうだったか。今こそ、深く思いを致す時がきているのではないだろうか。
今日、朝米対決の新段階にあって、日本に突きつけられてきている条件は、かつてなく厳しい。何よりも、米覇権は、かつての「黒船」ではない。沈没を目の前にした「泥船」だ。さらにもう一つ、朝鮮もアジアも、かつての立ち遅れ、「悪友」と呼ばれた朝鮮、アジアではない。それは、この間の朝米の攻防が雄弁に物語っているのではないか。
そうした中、何よりも求められているのは、われわれ自身が、日本人として、欧米など外からではなく、日本の中、アジアの中、世界の中から、日本とアジア、世界を見、それに対することではないだろうか。そこにこそ、朝米対決の新段階にあって、現実の要求に応え、日本のあり方を根本から見直して行く道があると思う。
議論
朝鮮半島の緊張状態の解消をめぐって朝米間で激しい駆け引きがおこなわれ、6月12日の史上はじめての朝米首脳会談で一つの決着点を迎えた。
70余年間続いてきた分断と朝米の敵対関係を解消して新しい朝米関係を確立し、朝鮮半島の恒久的で強固な平和体制を構築するため、アメリカは朝鮮民主主義人民共和国の安全保証をし、朝鮮は朝鮮半島の完全な非核化をすることを確約した。朝米首脳会談は、世界でもっとも核戦争の危険をはらんでいた朝鮮半島に平和と繁栄をもたらし、東アジアの平和と友好、繁栄の新時代の到来を告げる歴史的な会談だったといえる。
周知のように、今年に入って平昌冬季オリンピック参加から始まって、南北首脳会談、朝中首脳会談、朝米首脳会談などわずか4ヶ月の間で朝鮮の劇的な外交が展開された。
しかし、対朝鮮強硬路線を看板にしてきた安倍外交は、日本を「蚊帳の外」におかれる境遇に陥らせ、東アジアの平和と友好、繁栄の新時代になんら寄与することなく、6月7日、日米首脳会談にてトランプ大統領から非核化に見合った朝鮮にたいする経済援助をするように言い渡された。
「最大限の制裁を」と言われれば、制裁にいそしみ、「朝鮮に国交正常化と経済援助を」と言われればそれを表明する。他国の言いなりの外交は外交とは言えない。「蚊帳の外」「存在感がない」となった「安倍外交」が破綻したのは明らかだ。その原因について皆さんはどう考えるだろうか。
■安倍外交の破綻
「外交の安倍」と自称するくらい外遊を頻繁におこない、「地球儀俯瞰外交」で国民の一定の支持を受けてきた安倍首相だが、現在、これほどの破綻はないほどに、「安倍外交」は破綻してしまっている。「安倍外交」に対する主だった批判をあげると、
@トランプ大統領と「100%一致」だと言ってきたが、トランプの言動に右往左往している。「100%一致」とは、トランプの言う通りにすることだった。
A「圧力と対話」と言いながら「最大限の圧力」という対朝鮮強硬外交の硬直した姿勢だけで、対話がない。
B南北首脳会談に対しては「融和姿勢に騙されるな」、朝米首脳会談の開催決定に対して「対話のための対話で意味がない」と言い、朝米会談の成功についても世界中が歓迎している中、冷淡であったこと。
C日朝交渉で解決すべき「拉致問題解決」を他国に依頼する物乞い外交。
D朝鮮の金正恩委員長の電撃的で積極的な外交、それに対する文在寅大統領やトランプ大統領、習近平主席、プーチン大統領らの積極的な対応に比べ、安倍首相の無為無策。
E米韓合同軍事演習という朝鮮を脅かす行動をアメリカが中止すると言えば、それに慌てる。
F「蚊帳の外ではない」「朝米会談を日本が斡旋した」「朝鮮は信用できない」などなどのフェイク的な発言と報道などなど。挙げればきりがない。これほど「安倍外交」に批判が集中したことはかつてないだろう。
「安倍外交」の失敗は、単に安倍首相ひとりのものではなく、戦後外交、ひいては明治維新以来の外交の過ちを全面的に顕在化させたものであると思う。
「安倍外交」のもたらしたものの一つは、日本がもはや国の体をなしていないということだ。単なる「蚊帳の外」ではない、日本という国がまったく見えない、存在していない。南北朝鮮とアメリカ、それに中国とロシアは見える。しかし日本がまるで見えない。
もう一つは、日本が他の諸国と敵対していることだ。平和と繁栄の時代に各国が賛成しているのに、唯一、日本のみが対話を中傷している。それでは、他国から相手にもされなくなってくる。ただアメリカから利用されるだけだ。国の威信が完全に地に落ちてしまっている。
■安倍外交破綻の原因
なぜ「安倍外交」は破綻してしまったのか?
それは、大国しか見ていない大国中心の外交だったからではないだろうか。戦後外交、明治維新以来の外交も大国だけを見る大国中心の外交だった。大国中心だから、「安倍外交」は対米追随外交であり、アジア諸国蔑視外交であった。とくに朝鮮外交にそれが集中的に顕れた。
だから、小国朝鮮が大国を動かしている新しい時代に対応できないでいる。朝鮮が外交攻勢にでたとき、日本政府は、当惑し、苦々しく思い、「融和に騙されるな」などと中傷し、まったく対応しなかった。小国は大国に従うべきで、主導的に出るのはもってのほかという考え方だ。
朝鮮が対話に出てきたのはアメリカの圧力が効を奏したと言う人がいるが、であるならば何故、朝鮮は自信をもって対話攻勢に出ているのか。制裁に屈したならば、そこからは手をあげ乞い願う式に出てくるはずだ。ところが、朝米首脳会談を見ても朝鮮はアメリカに対しまったく対等だった。南北首脳会談を提案したのも、韓国をつうじてアメリカに朝米首脳会談を提案したのも朝鮮だった。今回の対話成功の事態を主導してきたのはアメリカではなく、小国である朝鮮・韓国であり、それにアメリカ、中国、ロシアの大国が対応し引きずられている構図だ。
もはや世界は大国中心で動くのではなく、小国であろうと国家主権、民族自主を守る勢力によって決定されるということを象徴している。それは、覇権の崩壊と国家主権擁護勢力の勝利の反映でもある。
安倍首相は大国だけを見、朝鮮という国を見ていないから、時代の変化を理解できず、朝鮮がアメリカを相手に主導的に対応していることがまるで分からないのだと思う。
安倍首相がこの事態に何かできることと言えば、せいぜい経済援助という名でアメリカに利用されることだけだ。
アメリカの覇権が崩壊し各国の主権擁護の闘いの前進により東アジアが平和と繁栄の時代を迎える中、大国しか見ない大国中心の外交が対応できなくなったということが、「安倍外交」の破綻の根本原因だと思う。
■大国中心外交からアジアの一員としての独自外交へ
融和と統一促進をすすめる南北朝鮮が核となって中国とロシア、さらにはモンゴルなど東北アジア全体が、平和のもと相互理解と友好、主権尊重と協力の機運を高め、一つの大きな流れとなり、急速に発展していくことが考えられる。
このとき、これまで通りに大国だけを見、アメリカに従い、中国とロシアの顔を伺う一方、南北朝鮮を軽んじ、蔑視するような外交であれば、時代に取り残され、東アジア諸国から相手にされないだけでなく、排斥されるようになるだろう。
時代のすう勢をしっかり見据え、大国中心の覇権外交、従属外交ではなく、自国の国益を守り、国の大小にかかわらず主権を尊重する独自外交をおこなうことが大切だ。
アメリカの言いなりになる外交ほど情けないものはない。かつてアメリカが盟主であるときは、アメリカの影に隠れていれば良かったかも知れないが、アメリカの覇権が崩壊してゆき、アメリカ自身がアメリカ・ファーストを掲げ自国の利益のみを押しつけているとき、対米追随外交は、アメリカに振り回され、食い物にされるだけだ。
各国の主権を尊重することと自国の主権、国益を守ることは一体だといえる。自国の主権と国益を守り実現していく独自外交であってこそ、他国の主権をも尊重し、友好関係を発展させていくことができる。
東アジアの新時代は、日本にアジアの一員としてアジアに向き合うことを要求している。欧米だけを見るのはなく、同じアジアの一員として隣国諸国との相互理解と信頼関係、友好関係を発展させていくことが切実に要求されていると思う。
これまで日本は侵略や植民地支配を認めないですませてきた。それではいつまでたっても信頼を得ることができず、堂々と誇りをもってアジア諸国に対することができない。侵略戦争の反省と謝罪は、日本自身が真に平和国家として生まれかわり、アジアの一員としての誇りをとりもどす行為でもある。
大国中心外交からアジアの一員としての日本独自外交への転換は、時代の要求であり、日本自身が日本という国の形をもって発展していく道だと思う。
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■若者の「保守化」???
若者の「保守化」が選挙のたびに論議の俎上に上っています。前回の参議院選でも多くの場面でこの言葉が使われています。自民党に投票=「保守」!。では自民党綱領や選挙公約を読んでの投票でしょうか。私は彼らは99%これらの文章は読んではいないと確信しています。それならば何らかの利益誘導があったのでしょうか。この点についても大変疑問です。
若者の「保守化」を旧来の保守・革新の図式で読み説くことは現状では意味の無い「解釈」と言ってよいでしょう。選挙での投票行動は非日常行動ですが、それは、日常生活の中で身につけた価値感の反映でもあるわけです。そのように見て行くと若者の日常に目を向け、その現状を知る事は大変重要な事です。その中から、なぜ反自民に投票しなかったかの動機の一端が見えてくるのではないでしょうか。
そこで若者が置かれている経済環境はどうなっているのか見て見ました。「資金循環統計」によれば 「 金融資産2014年12月末の日本の家計金融資産残高は、1694兆円となっています。ところがこの資産保有の70%は60歳以上高齢世帯で、若年層はどうかと言えば2017年版「子供・若者白書」では 通学や家事もしていない15〜39歳の若年無業者数を調べたところ、2016年は前年比2万人増の約77万人となり、2012年以来、4年ぶりに増加」となっています。更に資産状況調査では実に当該若年層の36%が無資産となっており、その大半が年収200円以下の非正規雇用と公表されています。その為か生涯未婚率の大幅な上昇要因となって、人口減少に歯止めがかからないのが現状です。更に消費動向調査では、車、飲食、その他趣味に消費される分が減少する一方で、通信費は大幅に増加しています。
何か悲しくなりますね。貧困ゆえに家庭も持てず、人と人の関係はスマホでポンです。本来豊かで在るべき人間関係が希薄化し、人間の個化が極限にまで至る極限社会のようです。類的存在である人間がその対極の世界に投げ出される社会は、グローバル経済と市場原理主義の産物なのでしょう。
一粒の米を手にした者は二粒の米を手に入れたいと願うものだと思われがちですが、その一粒を何としても守りたいと願う気持ちが強い時もあります。今の日本の若者の現状がまさにそれではないでしょうか。
■ニューウエーブ新しい社会運動
このような社会的な環境下で若者の「保守化」を嘆いても、恐らく何も変わらないでしょう。それよりも現実の様々な運動に自ら分け行って彼、彼女らの秘められた「何か」を知り、共に、強いられた現状打破の為の絆を作ることが重要ではないかと思います。
この点は充分にその可能性は存在しています。造語ですが、『3・11世代』の登場がそれを教えてくれています。
あの東日本大震災と東京電力第一発電所の爆発は日本のみならず全世界に衝撃を与えました。原子力発電になんらの疑問も持たなかった多くの人々は、事故後の経過とその惨劇の凄まじさに当初は息を飲み、次に雪崩を打って反原発運動に立ちあがって行きました。この時自分達の日常が実は極めて不確実で危険なものであったことに気が付くわけです。無論そこへ至るには前提が在りました。リーマンショックです。大企業・金融の倒産とリストラ、失業と貧困、日比谷派遣村に溢れた人々の姿に自分達の未来を重ねた若年層も多かったはずです。そうした人々は3・11で、何となく持っていたモヤモヤ感から街頭へと進出して行きます。
国会前を埋め尽くす10万の人々は、とりわけ若年層には初めての光景だったはずです。運動が人間を変える!そのとおりです。その後の特定秘密保護法・共謀罪、安保法制の内閣決定と強行採決反対は、こうした運動の継続として大きな闘いの流れを作って行きます。そして沖縄辺野古新基地建設強行と安倍改憲の動きは改憲阻止の闘いのすそ野を広げました。これらの帰結が「野党は共闘」「野党と市民の共闘」と言った新しい流れニューウエーブを作っています。ここはしっかりと見ておくべきでしょう。
また、森友・加計問題、自衛隊PKO南スーダン派遣と報告書の隠匿と改竄、これらが国民の安倍政治への抜きがたい不信を拡散さています。安倍打倒は闘う人々の合言葉となって連日どこかで一人スタンディングアピールから総がかり行動まで実に多様な運動となって広がっています。
そしてこの流れの中に多くの若者を中心とした3・11世代の人々がいます。人前でアピールすることも無かった人々が今では堂々と演壇から自分の言葉で多くの人々に安倍への怒りを叫んでいます。セクハラ問題ではME TOO運動が拡大し、女性の人権を守れと街頭に進出しています。LGBTを初め次々に社会差別に苦しめられた人達が声をあげています。
この文章は6月10日書きました。「国難選挙」と銘打って議席を伸ばした安倍政権は12日の史上初の米朝首脳会談をきっと祈るような気持ちで見るはずです。対立から対話へと歴史の歯車よ、動かないでくれ!「国難」が去れば改憲の本来の目的である「戦争の出来る国創り」の根本が崩れる!そんな思いでしょう。やはり安倍政権打倒!ですね。
連載
■三項注意
先日ある会議に出たら少し年かさの「地域指導者」からレジメ=会議資料が出された。今後の方針に加えて「三項注意」が書いてあるではないか。これに八大規律がついたら毛沢東主席の人民解放軍だ。注意するべき三項とは?
何と一項が「アルコール過多」だと言う。ごもっとも! 飲み過ぎは健康に悪い。私は基本ビール3杯に基準を定めている。他の種類は飲まない。(二次会は別で、ブランディ―の薄い水割りにして、ウーロン茶も横に置いて交互に飲むとかなり肝臓を防衛できる。)従ってこれはOK。
二項は何と「おしっこ」。年を取ると、下半身の規律がゆるくなる、との注意喚起であった。うーーん耳が痛い。そういえば突然催すことも多く、早めの「駆け込み」に努めているところであった。何とすでにレジメ作成者は遠出の時に紙パンツを用意している(実際に履いているかどうかは不明)らしい。「事故防止」に有効と言うか賢明な気がする。
三項目が強烈で「認知症注意」だった。確かに大事な「方針」だと本題はそっちのけで感心した! おのおの方ご注意そうらえ。
■さっそく実行
私は一応三項とも意識して来たが、特に心配な三項目を重点目標にすえることとした。
認知症予防には心身両面の取組みが不可欠である。ぼーっと生きていると症状が重度化する危険は誰にでもあるのだ。まず趣味の楽器の練習を強化すると共に、新たなレパートリーの開拓と発表の機会増加を目的意識をもってやる事にした。出かけた先で耳にした音楽はぼーっと聞かず、曲名を尋ね、レパートリー化したり常に獲得の努力をする。また幸い、各所からリクエストがあるので極力断わらず、ボランティア出演を繰り返す。出演のためには、事前準備(練習と歌詞カード作りなど)が必要だがそれも脳細胞の活性化に役立つ。だから出演料など当てにせず、請求もせず、ボランティアに徹する。世の中良くしたもので、そうしていると、自然に寸志がいただけたりして、ありがたい。
■自分史編さん
次に、もうこの年になると昔の事が走馬灯のように出てきたりする。いかにも年寄りモードの現象だが、これまたぼーっとしていると実を結ばず、年よりの繰り言にしかならない。そこで嫌われない程度に自分なりの歴史=自分史にする事を思いついた次第だ。今回から3回程の連載で載せさせていただきたい。
■序章
私は西宮市の戎神社の近くで1955年に生まれた。生誕年は合流自民党、合流社会党と一緒だ。幼稚園で大阪市へ引っ越すまで戎神社の周りを走り回っていた。親がシベリヤ帰りで再婚してもうけた家庭の長男さんとしてかなり遅く生れた。(先妻は中国の日本人村で戦後2年目くらいに病死。)親はシベリヤで水・食べ物に苦労したから、その両方に不自由しない職業=大衆食堂を選んだようだ。豊かとはいえないが飲むものと食べるものは不自由した記憶がない。だからなのか、おっとりして、人とあまりガツガツ争わないノホホンとした人格になったのだろう。戎神社は1月10日、今でも参拝する癖が残っている。境内に有名なお化け屋敷があり、子ども心にとても恐ろしかった。じつは今でもおばあちゃんが立って「いらっしゃい」をしている。阪神間を街宣車運行する時は阪神西宮駅と神社をグルグル回ってしまう変な習性がついた。もちろんタイガースの試合がいつもテレビ画面から(白黒時代から)流れていたので、六甲おろしはすぐ弾けるようになった。先月、デイセンターで演奏した時にリクエストがおばさま達からあり、皆さんの大合唱となった。
(続く)
米国と朝鮮との関係の分析については全く異論がありません。しかしその分析だけでは日本のこれから進むべき道を明らかにすることはできません。文章(5月号主張)に書かれている以下のことがどうしても必要になります。
「今日、日本においてもっとも切実に求められているのは、東北アジアに生まれている新しい時代の波とそれに対応する覇権国家、米国の動向、そしてそれらが日本にとって何を意味しているのか、事の本質を自分の頭でしっかりと認識、判断し、それに正しく対応して行くことだと思う。」
まさに日本に求められているのはそのことだと思います。安倍首相は「外交の安倍」などと持ち上げられていますが、真の意味での外交はまったくなされていない。米国のトランプに盲目的に追随し、世界を回って金をばらまいているだけで、何の実績もありません。これからは日本自身が本当に独立して自らの判断で行動することを否応無しに求められます。安倍首相にはそのような力はないことは明らかです。しかし批判するばかりではなく、誰がその責務を果たす事ができるのか我々も考えなければならない。
以下の文章は「清算迫られる日本」との表題で作家の高村薫さんが書かれたものです。
「アメリカの威光の下で大人の対応と言って逃げられていた時代は終わった。日米同盟がかつてほど利かないいま、国際法よりも力による実効支配が幅をきかす東アジアで、日本はいまこそ主体的で孤独な歴史の清算を求められているのかもしれない。そこには先の戦争をなお侵略と認めない政治勢力を国内に残したまま、高度経済成長時代にはアジアとの関係を経済力で押し通してきたことの清算も含まれよう。この不幸な状況を変えるのは韓国や中国ではない。日本自身のアジアに向き合う姿勢である。日本がこの意志をもたない限り、もはや外交も防衛も成り立たないアジアの時代なのだ。」
これは先に私が書いたことと同じ内容であり、安倍政権に対する批判のように思われるかもしれませんが、実は2012年9月中日新聞に掲載されたもので、民主党野田政権に対する批判です。私も民主党政権がなぜ駄目だったのかを再度検証しないと国民の期待に応えることができる政党の出現は望めないと考えます。結局誰がやっても同じだという事で、だらだらと自民党政権が続くのではないでしょうか。
安倍政権が失政を重ねながらも持ちこたえているのは、やはり受け皿がないことが最も大きい。あれだけの期待を背負って登場した民主党政権に対する失望感がいまだもって人々の心に色濃く残っているためでしょう。虚言と虚構で固められた安倍内閣がいつまでたっても一定の支持率を維持している事がそれを象徴しています。私は小池都知事の介入によって民主党がバラバラになってしまったことは却って良かったのではないかと思っています。小さいながらも、自らの考え方を明確にした集団が、若い人を結集させる力となることを期待しています。
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