研究誌 「アジア新時代と日本」

第18号 2004/12/5



■ ■ 目 次 ■ ■

時代の眼

主張 アメリカか、アジアか、選択を迫られる日本

研究 「三位一体改革」と真の地方自治

文化 「オニババ化する女たち」を読んで

朝鮮あれこれ ある医学者の夢

編集後記



 
 

時代の眼


 今、愛が求められています。個人主義が深まり、家族や地域、職場など集団の崩壊が深刻化するなかで、ドラマや映画、小説などでも、純愛や家族愛など愛が取り上げられ、共感を呼んでいます。
 そうしたなか、NHKの大河ドラマ「新選組!」は、愛は愛でも純愛や家族愛ではなく、仲間の愛、それも同志愛を重要な題材の一つにして人気を集めています。「誠」の旗のもとに集い、「武士より武士らしく」と志を同じくした仲間たちへの愛や思いやりが全編に貫かれ、観る者の心を熱くしてくれています。
 新選組といえば、勤王の志士たちを弾圧した「時代の反動」として、たとえよく描かれたとしても、かつての「新選組血風録」のように、殺陣の凄まじさやニヒルな格好良さなどで人気を呼ぶのが普通でした。ところが最近では、「壬生義士伝」の家族愛など、「愛」をテーマに新選組を描くことが多くなっています。こんなところにも時代の変化を思うのですが、そのうえで思うのは、取り上げられている「愛」の性格です。
 「セカチュウ」や「冬のソナタ」に代表されるような純愛、浅田次郎氏が好んでテーマにしているような家族愛、そして最近よく取り上げられるようになってきた集団内部での仲間愛など、いずれも身近な人々への具体的な愛に限られているのです。言い換えれば、人民愛や祖国愛など、より大きな集団、共同体に対する愛がウソっぽく、確かなものとしてとらえられず、テーマとして取り上げられていないということです。
 新選組に、国と社会の新しいあり方を求める当時の人々の願いに応えるような愛を求めること自体が無理な訳ですが、角度を変えて言えば、新選組を題材に選んだこと自体が、そのような愛を確かなものとしてとらえて描く考えが創る側になかったということだと思います。
 ところで、今ドラマの最終段階に至って、時代の流れから取り残され、人心が離れてしまった新選組をめぐるあのもの悲しくやるせない雰囲気はどうでしょうか。そのなかで主人公たちは、もちろん、自らの運命に泣き言を言ったりすることなく、雄々しく死んでいくのでしょうが、もし彼らが、新しい時代の到来を求める人民大衆の願いに応え時代とともに進む、より深く大きな愛を抱きそこから出発することができていたら、もし彼らの仲間や同志への愛が、そうした人民への愛と結びついていたなら、と思ってしまうのです。


 
主張

アメリカか、アジアか、選択を迫られる日本

編集部


 米国世論を二分した激しい選挙戦の末、ブッシュ大統領の再選が決った。同時に実施された議会選挙でも共和党が圧勝した。  これからの世界は、ブッシュ政権の押し進める米国を盟主とする一極化か、それに反対する多極化かの攻防がより一層鮮明になりそうだ。

■日本を引っ張り込もうとする米国
 この攻防の一例を挙げるなら、11月10日に発生した原子力潜水艦による日本領海侵犯事件がある。
 チリで開かれたAPEC(アジア太平洋経済協力会議)では胡錦涛国家主席と小泉首相との会談が実現するか否かが焦点となっていた。この絶妙なタイミングに、誰がこの原潜の日本領海侵犯を日本側にリークしたのかである。
 防衛当局者らの話を総合すると、米軍の偵察衛星が先月下旬、中国の海軍基地近くで浮上している原潜を補足。まもなくその原潜が潜行したため動向を探っていた。しばらく後、米軍が東シナ海に施設している海底ケーブルの音響探知機が原潜の音を捉えたため、先島諸島の日本領海に入る直前、海上自衛隊に通報したという。
 潜水艦による領海侵犯を日本が探知することは、不可能に近い。偵察衛星や海底ケーブルなしに不可能だからだ。その機密情報を握り、どう使うかは米国の腹次第だ。この情報を流した米国の意図が何処にあったのかは、その後の過剰な追跡劇の報道ぶりを見れば明かだろう。通報されれば日本は追跡せざるを得ない。中国政府も中国の原潜であることを認めざるをえず、外交上の大きな失点となった。
 海軍力の増強に伴う「中国脅威論」の台頭、東シナ海水域で進む石油天然ガス開発、さらには係争中の尖閣諸島の領有権問題など、日中間の問題が山積している中で、今回の原潜問題の浮上は、米国のもくろみ通り冷却化した日中関係の溝をより深めるものとなった。
 米軍基地再編問題でも、日本への揺さぶりが続いている。新ブッシュ政権が描いている地球全体への再配備は、欧州においては英国、アジアにおいては日本を「戦略的ハブ基地」として位置付けている。「米陸軍第一軍団司令部を座間に、空軍司令部は横田、海軍司令部は横須賀に」という在日米軍再編問題も、その一環だ。中東までを対象にする米陸軍第一軍団司令部を日本に置けば、安保条約で規定した「極東条項」に抵触する。「極東条項」撤廃という日米安保の根幹にかかわる問題を日本は突きつけられている。
 そしてイラクでは自衛隊の派遣延長問題が浮上している。ハンガリー、チェコ、ルーマニアとイラクからの撤兵が相次ぐ中で、世論の反対を無視しブッシュへの忠義からオランダ軍撤退後の戦闘地域に自衛隊を残すリスクは小さくないだろう。
 米国が突きつけているのは、米国を盟主としたチームの一員として日本はこのブッシュ・ネオコングループの進める反テロ戦争に参加する覚悟があるのか、それとも確信のないまま従来通り渋々米国に追随するのかということだ。これまでのブッシュ支持の外交路線をそのまま踏襲するだけではすまないことがはっきりしている。

■危機感を募らせるアジア
 小泉首相が首相に就任して以降、日中首脳による公式の相互訪問は途絶えたままだ。毎年交互に首脳が公式訪問することを「日中共同宣言」に合意事項として明記されたが、99年に小渕首相が、2000年に朱鎔基首相が訪日したのが最後である。小泉首相は2001年10月に2回、翌年の4月にも訪中したがいずれも公式訪問ではなかった。
 こうした政治的冷却化をもたらした最大の原因は小泉首相の靖国参拝にあるというのが中国の主張だ。首相による参拝は靖国に合祀されたA級戦犯を悼む行為であり、中国を含むアジア諸国の人民の感情を傷つけることは自明のことだ。中国外交部は「問題が解決すれば他の日中間の問題は全面的に解決される」といい、「歴史問題を利用して残りの問題について何かを要求する気持は毛頭ない」と語った。ことさら中国が靖国問題に固執するのも、ずるずると米国に引きずられ日本が再び戦前の過ちを繰り返すのではないかという警鐘であるだろう。
 東アジア諸国も危機感を深めている。同地域では分散・分裂から協力・統合へのシフトが本格化し、ASEAN+3(日中韓)サミットは将来の東アジア共同体の実現で合意している。それが実現できるかどうかの最大の障害は、農産物市場の開放や労働力の移動問題などもあるだろうが、日本がアジアとともに進む上でまず解決しなければならないのは、かつてアジアを侵略したその負の遺産を完全に清算できるかどうかであり、とりわけ東アジア共同体の核となる日中関係の改善にあってこの歴史認識の中心にある靖国問題を避けて通るわけには行かない。これは日本が主体的に取組めば解決できる問題である、という中国、韓国、東南アジアの主張はきわめてまっとうな主張だ。

■支離滅裂な小泉の対応
 日本を何とか引っ張り込もうとするアメリカと、それに相当の危機感を持っているアジア、この狭間で支離滅裂な言動で際立っているのが小泉首相だ。
 小泉首相は、靖国参拝に関連して「日本人は死ねばみんな仏様だ」とかつて言ったことがある。死ねば戦争犯罪も消えると言わんばかりだ。今回の胡錦涛国家主席との会談でも「靖国参拝は平和への祈りなのだ」といって突っぱねている。アジアの外圧に屈して靖国参拝を翻意するのは政治家としての沽券にかかわるというのが本音なのだろうが、なぜ戦犯を祭った神社に一国の首相として参拝するのか、この説明にはまったくなっていない。
 一方、アメリカの要求に対してはどうか。イラクに大量破壊兵器はなかった。このことが明かになった時点でも、自衛隊のイラク派遣に一言の反省もないばかりか、「日米のゴールは一緒だ」と言って憚らない。ラムズフェルドから日米共同のミサイル防衛システム開発を持ちかけられれば、67年以来の「国是」であった武器輸出三原則さえ曲げても構わないという。「戦闘行為が行われることがないと認められなければ撤退させなくてはならない」というイラク特措法の規定から見ても、全土が「戦闘地域化」しているイラクへの自衛隊派遣延長は、明かに法律違反にもかかわらず、「自衛隊が活動している地域が非戦闘地域だ」などと支離滅裂に居直っている。そこには政治家としての見識も国民に対する説明責任もまるでない。アメリカの要求であればどんな無理難題でも唯々諾々と受け入れる、というのが小泉の外交姿勢だ。

■日本の選択の基準
 アメリカが日本をひっぱり込もうとするのも、アジアがずるずるとアメリカに引きずられる日本に警鐘を鳴らすのも、米国を中心とする一極化か多極化かの攻防が、あいまいさを許さないほど煮詰ってきていることの表れであるだろう。
事実、アジア自身が、アメリカに政治的、経済的につき従うのでなくアジアはアジアでという自主的志向を強めてきている。
 最近の動きで言えば、中国、インド、ロシアが「三角同盟」形成に向けて活発な動きを示している。10月にロシア・プーチンが中国を訪問したのに続き、中国外相がインドを訪問した。中印両国は、カシミール問題をはじめとする懸案問題解決に向けて歴史的和解の道を進み始めている。その後に開かれた3ヶ国外相会議では、イラク問題をはじめ、国連安保理改革問題などが討議され、今後も三カ国の緊密な連携で合意したという。
2003年の防衛白書から北朝鮮を主敵とする概念が消えた韓国では、今年7月、黄海で韓国警備艇が北朝鮮艦艇に発砲した事件で、盧大統領は国軍の中枢部に対し激怒したという。周知のように韓国では軍に対する指揮権は韓国大統領にはない。盧政権の姿勢には韓国軍に対する在韓米軍の指揮権を実質的に骨抜きにする意図があったという。米国の支配から脱し、北朝鮮との対決を避け、あくまで和解協力を貫こうとする盧政権の姿勢もまた、アジアはアジアでという新思考を示すものだ。
ASEAN、中国、ロシア、インド、南北朝鮮と、アジアがこぞって独自のアジア志向・新思考外交を強める中で、一人日本だけがブッシュ・ネオコンの一極化への追随志向を強めている。
 欧米に追随し、アジアに敵対する道を選んだ明治維新と戦後、そして、今また同じ愚を繰り返すのか。日本の選択を巡って、その基準はアメリカの要求でもなければ、アジアの要求でもない。基準はどこまでも日本にとって何がベターかである。今日本にとって、米と運命をともにする一極化か、アジアともに進む多極化の道なのか、どちらが日本にとって利益になるのか、今後この選択が決定的に問われてくるだろう。


 
研究

「三位一体改革」と真の地方自治

魚本公博


 「三位一体改革」とは、「@地方向け補助金の削減、A国から地方への財源委譲、B自治体の財政不足を補う地方交付税の見直しの三つの改革を同時に実施するもの。国と地方のリストラを進めひっ迫している財政を健全化すると同時に地方分権を推進し自治体の行政サービス向上につなげるのが狙い」(日経新聞)などと説明されている。
 三位一体改革という言葉は、小泉内閣の下で02年の6月に出され、04年から4兆円の補助金を削減することが決定され、04年度予算で実地に移されてきたものである。
 その、昨年の1兆円の削減の結果について、「世界」11月号の「『三位一体の改革』はこれでよいか」という文章は、昨年、地方交付税が2兆9000億円、補助金が1兆円削減され、税源委譲は6500億円であったこと。その結果、市町村段階では、平均4億4000万円の削減になっていること。それを人口一人当たりの減少額でみると高知県で4万9000円、神奈川県で6500円となり7倍の格差が生じていること。とりわけ小規模の過疎市町村では、その影響をもろに受け、人口一人当たりの減少額は5万2400円であり、非過疎市町村(1万6300円)の3・2倍にあたることなどを指摘している。
 また朝日新聞は、各自治体で生活保護が減らされ、その状況を見るケースワーカーの「申請件数をどれだけ少なくしたか、どれだけ保護を打ち切ったかで評価されるのが実態」(京都市のケースワーカー)という声や「ごみ行政」での環境庁の補助金の削減、保育所助成の削減、弱者保護のための一時保護施設(シェルター)への補助削減などが行われている実態を紹介している。
 今回の「三位一体改革」では、義務教育への補助金削減が焦点とされたが、共産党の試算によれば、改革によって額が増えるのは7都府県だけで40道府県で減少するという。また、国民健康保険の地方の分担率の増加が一方的に決められた。
 こうしたことをみれば、「三位一体改革」とは、まさに「痛みを伴う改革」として、大多数の弱い県に、そして下部の自治体に、その中でも小さな過疎自治体にいくほど痛みを強いるものであり、それは地域住民やその中でも弱者を直撃するものだということができるだろう。
 元々、「地方分権」は、構造改革の一環として考えられ、その源は、80年代の後半に米国で起きた日本異質論、それに基づく日米構造協議にある。すなわち、「日本株式会社」と言われるように国家一丸となった国とは、まともな競争はできないとして、これを破壊し日本を市場原理が貫徹する国にするために「構造改革」せよということである。これを受けて、90年代に入り、歴代の内閣は「構造改革」を掲げてきたし、そこでは常に「民営化」や「地方分権化」が課題とされてきた。
 小泉「改革」はその集大成である。その手法は、「骨太な改革案」を打ち出し、さまざまな疑問や反対は後で調整するとして、その方向を確定してしまうというものである。
 米国発の市場原理に基づく構造改革が地方経済にもたらしたものは深刻であった。地場産業、中小企業の倒産と大企業まで含めての海外移転など、産業の空洞化とそれにともなう地方自治体の財政のいっそうのひっ迫化、そして少数の強い自治体と多数の弱い自治体の格差の拡大・・・。
 「三位一体改革」は、この市場原理、競争原理に基づき優勝劣敗をさらに促進しながら、各自治体の抱える問題を自己責任に転化して、弱い県や小さな自治体がやっていけなくなるような状況にして、道州制や「平成の市町村大合併」を促進し、「分権化」を方向づけるものとなっている。
 市場原理による「地方分権化」が大部分の地方・地域の自治体・共同体を追いつめ、その自治を困難なものにしていくのは自明なことであるが、そのような「地方分権化」が地方・地域のためのものでないのは明らかだろう。
 求められているのは、「地方分権」それ自体ではなく、地方自治である。
 地方自治といったとき、何よりも重要なことは、地方・地域の住民がいかにその主人になり、自治体を自らの力で築いていくことができるかどうかにあるのではないだろうか。
 そうであれば、全国知事会やその中でも裕福な県の知事の声を「地方の声」とするのではなく、地方地域の住民の声、その実際の動きに耳を傾けなくてはならないだろう。
 今、日本では、米国式市場原理の導入によって空洞化した地方・地域で地域再生の動きが起きている。その特徴は、地域を共同体と考え、人々の共同的な関係を強化することによって地域を再生しようという動きが、普通の住民が主体になった運動として展開されていることである。
 長野県栄村のように住民が在宅福祉サービスに参加する「下駄ばきヘルパー」制度など、あるいは各地の特色を生かした観光や特産物の販売、あるいは地産地消を奨励し、地域の自治体、学術機関、金融、地場産業、農業、漁業が互いに有機的に結合した地域再生の動きなど・・・。
 地域の再生は、地域住民が主体となって、地域の共同的性格を強める方向で自治を発展させるものとして進められている。国がそれをよく助けるようにしていくことこそ地方自治の本旨であろう。
 しかるに「地方分権」のための「三位一体改革」は、それを破壊している。小さな過疎自治体にとって、それは「危篤状態の病人にムチをふるうようなもの」となっている。
 しかし、それでも下部自治体とその住民は生き残りをかけて必死の努力をしている。平成の大合併の号令にもかかわらず、人口1万未満の町村が400余り残っている。この10月、群馬でこうした自治体150の代表が参加して「小さくとも輝く自治体フォーラム」が開かれ、それぞれの取り組みや合併ではなく広域連合の方式による生き残りなどが討議された。
 住民にとって自身の生活と密着した下部自治体はもっとも確かな共同体である。フランスは今でも(政府の合併政策にもかかわらず)3万6400もの「コミューン共同体」があるという(そのうち76%が人口千人未満)。こうした下部自治体と住民が望み、「互いに助け合う」共同原理を生かした自治への取り組みが行われているとき、それを生かし、それを基礎にした地方自治のあり方が模索されなければならず、国はそれを助けるべきである。そこにこそ地方・地域政策の発展があるのではないだろうか。


 
文化

「オニババ化する女たち」を読んで

森 順子


 女性をぎょっとさせる題目で、思わず自分の顔を鏡でそっとのぞいてみようという気にさせます。
 さて、オニババ化とは何か。なぜオニババ化なのか? 女性は子どもを産み次の世代に継いでいく力を持った存在であり、それを目的に生まれてきたのだから、その力を使わずにいると女性としてのエネルギーの行き場がなくなりオニババになってしまうということです。それは、女性は自分のからだの声を聞き、女性としてからだをいとおしんで暮らすことができれば、いろいろな変革をとげることができ、それがまた女性の成長であり楽しい経験でありうるが、今の日本では、女性は自分の性、つまり月経や、性経験、出産といった自らの女性性に向き合うことが大切にされていないからだということなのです。それだけではなく、女性の性と生殖を軽視しこのままほうっておくと、「一億総オニババ化」するのではないか、と著者は言っています。オニババ社会が優しさや温かさのない冷たい社会、不安と苛立ち、キレそうな社会だということが優に想像できますが、それじゃ、オニババ化しないためには?・・・。
 オニババになりたくないのなら、女性たちは「何よりも相手(異性)がいることが肝心なのだから」、どしどし早婚し不倫をし、めかけになるべしということです。同性の私としてはずいぶんと無茶なことをと思いますが、著者がこのように言うのも無理もないことなのかも知れません。市場原理の要求のままに母性保護が無視され、男女の別なく競争し働かなくてはならならず、以前より結婚や出産、育児を肯定的なイメージとして持てず、非婚率、非出産率は高まり・・・。こうであったら、女性自身が先頭になってからだを張ってでも総オニババ化への道を阻止しなければ日本の未来などないのよ、ということなのだと思います。
 しかし、実際のところ、早婚や不倫をし、めかけになることで問題が解決できるのでしょうか。今日、日本で非婚率、非出産率が高まっているのは、雇用の不安定化による経済的不安や家族、地域、職場など、出産、子育てで依拠すべき共同体の崩壊のためだと言います。ならば問題は、早婚や不倫でこうした問題を解決できるかということですが、そんな保証はどこにもありません。それどころか、普通以上に、家族や社会、周囲の理解や助けを得られなくなるかも知れないし、経済的条件はもっと悪くなるかも知れません。また、めかけになることで一定の解決ができたとしても、そんな例は極少数でしょう。それに不倫やめかけは、身近に悲しむ人が出てきます。
 女性性の問題は個別的でなく社会的に保護され守られるべきだと思います。それは社会の中で重要な役割とポジションを担っている女性たちの当然の権利でもあります。
 もちろん、女性をとりまく社会環境の悪化をいますぐ解決できるとは思えません。しかし、「女性に『中性として生きろ』を強要する社会、それでいいのですか」と、痛烈に日本社会を批判する著者たちとともに、あきらめず、新しい女「性」擁護の道を模索していくことが問われていると考えさせられました。


 
朝鮮あれこれ

ある医学者の夢

赤木志郎


 「これまでは西洋医学中心だったが、これからは東洋医学が世界の趨勢になる」と熱っぽく語るある医者は、病気になるまえに定期的に診察し適時に治療し、皆が健康で長生きできるような社会を目指している。その方法は、治療器の「鏡」の前に立てば、瞬間的に異常な箇所が発見でき、薬を使わず治療できるというものである。
 こんな話を聞くと大抵の人が眉唾ものだと頭をかしげる。実際、薬の使用に反対する、すなわち西洋医学に反対するこの医者先生の話を理解できないという人は多い。しかし、実際に薬で治らない病気を治していくので、治療を受ける患者が増えていっている。
 私も三叉神経痛という病気にかかり、神経科の先生はただ痛み止めの薬をくれ、赤外線を患部にあてろというだけで事態は何も変わらず、目まで視野が狭まるなど痛みがおさまらなかった。退院する前日にコンピューターで治療するという先生が同じ病院にいると話を聞いて、藁をもつかむ思いで訪ねていった。この先生が低周波を出す極棒を身体にくまなく当てていくと、反応する場所がコンピューターに記され、どこが悪く、どういう病気なのかを的確に探っていくのである。
 まずへその下には回虫が多数いるのですぐに虫下しを飲むこと、肝臓が少し肥大していること、三叉神経痛は長い期間に亘って患ったので治療に時間がかかることなど、指摘された。回虫はすぐに対処したので、下腹部の痛みがなくなった。問題の三叉神経痛も、足と手にある経絡(つぼ)に低周波を送って、次第に治していった。まだ顎と目の下に痛みが残っているがずいぶん良くなった。
 9月に冷房に当たりすぎて熱を出しひどい下痢をして入院したときも、内科では下痢の症状を回復させる点滴などの通常の措置をとるだけだが、この先生は例の極棒を当てて胆のうが冷房のため機能していないこと、そのため胆汁が分泌されず摂取した脂肪を消化できず、下痢を起こしたと教えてくれるのであった。
 「人間には病気を治癒する力がある。大抵の病気は外からの病原体などの異物が体内に入ることで生まれるが、それを克服する免疫力のバランスが何かの原因で崩れると弱まり、病気になってしまう。薬は免疫力をなくすものだ」と、いったん話し始めると熱を帯びる。日本の安保(あぼ)新潟大学教授と同じような考え方である。その話をすると、すでに安保教授の本を読んでいて、「安保教授の考え方は正しいが、指先をもむだけで治癒方法を発見してない。自分はそれを発見した」と言うのである。
 この先生の治療方法は鍼の経絡など東洋医学、理学治療という物理学、そして医学などの知識が求められ、かつ、考え方の基礎を西洋医学ではなく東洋医学におくので、これまでの「常識」を越えなかなか理解されにくい。しかし、五カ国語に通じ世界の医学界を論じ、朝鮮の医学を世界一にしようという抱負をもつこの医者先生は熱烈な愛国者でもある。二〇世紀までの近代医学を超え新しく革新を起こそうというその「夢」はいつか実現されると私は思っている。


 
 

編集後記

小川 淳


 1922万と1790万。この数字、何の数字か分りますか。日本のペット数と15歳未満の子供の数です。昨年、史上初めてペット数が子供数を上回ったそうです。人間関係の希薄化が思いはかられます。
 一方、中越地震に全国から駆けつけたボランテイアたち。血縁、地縁とは別の次元でカラッとした人間関係を作り出していて、見ていて気持良いものでした。
 ネット自殺の多発など暗澹たる気分になりますが、どん詰まりの日本を変えていくのは、彼らのような新しい世代かも知れません。そう期待したいものです。


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