議論 保守とリベラルが一つとなり、共に立憲民主国家をめざす闘いへ!
自民の圧勝に終わった今回の総選挙。注目したい数字が二つある。
一つは、自民党の比例区での得票率だ。小選挙区に比べて実質的な支持率が現れる比例区で自民党は得票率33%を得ている。投票率を掛け合わせた「絶対得票率」でみるとわずか17.9%だ。安倍自民の「圧勝」と言われているが、国民の17.9%の支持でしかない。立憲民主党と希望の比例区の得票率(反安倍票)を合わせると37%あり、自民支持(33%)より圧倒している。それでも自公で313議席を取れたのは、野党が分裂した226選挙区の内、183選挙区で与党が勝利した、勝率81%という数字が示すように、野党が分裂した小選挙区制のお蔭である。
もう一つ注目したいのは公明党の得票率だ。6議席も減らし、今回、697万票と初めて700万票を割った。この中には連立を組む自民票も含まれるから、この数字のすべてが公明支持票ではないのは勿論だが、支持母体である創価学会の集票力が落ちているのは間違いない。今回、立憲民主党に投票した学会員も相当いたという。その理由は公明党の変節だ。自民と連立を組み、安保法だけでなく、国家機密法、共謀罪成立に協力した公明党に、かつての平和と公正を求める党の姿はなく、学会員が公明党から離反するのはある意味当然だった。
日本の政治状況を政治潮流という視点から分類すると、新保守主義勢力(安倍自民、公明、希望、維新、日本のこころ)とリベラル勢力(立憲民主党、共産、社民、自由など)大きく二つに分けることができるのではないか。選挙で鍵を握るのは、二つの潮流に分類されない無党派層だ。今回はおよそ半分の有権者が棄権したがその大部分はこの無党派層と重なる。もしリベラルに勝運があるとすればこれら無党派の人々の支持をいかに得るかに掛かっていることは明らかだ。
18,19歳の有権者に限ると、出口調査ではその52%が安倍首相を支持(不支持32%)している。全有権者では支持は37%、不支持48%で、若年層の安倍支持が高いのが特徴だ。全有権者の政党支持率で見れば、自民が36%と他を圧倒していて、自民の小選挙区での「圧勝」を裏付けている。
一億総中流の幻想が崩れ、日本社会は上層と下層の分断社会に突入している(井出英策・慶大教授)。今、新保守主義を支えているのは上層だけでなく、いわゆる無党派の庶民・下層の人々である。かれらをいかにリベラル側に惹きつけるか。その意味で、立憲民主党を軸にした新しい政治潮流を作り出していけるのか、「ポスト戦後政治の闘い」(「主張」)が始まっている。
主張 総選挙分析
総選挙の分析が今も続いている。今回の総選挙の予想外の展開と結末に、多くの人が政治の地殻変動を感じとっており、それが今後の政局に多大な影響を与えるだけでなく、日本の生き方にまで影響を及ぼすものとなると見ているからであろう。では、今回起きたその地殻変動とは何であったのか。
■予想外の展開と結末
今回の総選挙は、始めから終わりまで「予想外」の出来事の連続であった。
安倍首相の「大義なき解散」表明。それを見計らっていたかのような小池百合子氏の「希望の党」立ち上げ。それに続く民進党の前原代表の「希望」への合流宣告。
こうして「小池旋風の再来か」「自民大敗か」の観測さえ流れたが、小池氏が「排除の論理」を持ち出し、「改憲・安保法制」への姿勢を踏み絵にして、「排除・選別」を行うや風向きが変わった。その結果の自民大勝。解散直後の様相とは一変した結果に自民党も「オウンゴール」「敵失」と、喜ぶ顔は見られなかった。
今回の選挙で小池氏が登場した辺りからネットなどでは「ジャパンハンドラー」という言葉が語られた。すなわち、こうした一連の政治劇の背後には米国が居り、これを繰っているという見方である。実際、そうとでも考えなければ理解できないことの連続であった。
だとすれば、その米国の狙いは何であったのだろうか。それは小池氏の言動を見れば推察できる。氏が主張したことの大意は「日本のリセット」だった。「しがらみ政治から日本をリセット」「規制緩和して日本をリセット」「地方から日本をリセット」などなど。
米国は自身の覇権崩壊を前にトランプ政権を誕生させ、ファースト覇権という覇権回復戦略を打ち出した。そのために各国にファースト政治をやらせ、自らの意志で米国を支えるようにする。その中で日本は決定的だ。その経済力や中国台頭に対する地政学的位置からも、そして歴史的に形成された対米従属性から見てもそうだ。
それは「米軍の下で共に戦争する日本」の完成であり、経済面では、さらなる融合一体化を進め、日本を「51番目の州」にしてアメリッポン化することにある。
その実現のためには、自民党のような「しがらみ」政治では困る。だからファースト主義の小池氏を後押ししてということだったのではないだろうか。
■米国の意図を挫いたのも「あなた」
だが、それは失敗した。
小池氏が「排除の論理」を振りかざし、民進党出身の細野氏や長島氏をして「昔の仲間を選別」させた「人でなし」ぶり。それに唯々諾々と従う民進党候補者たちの当選第一の私利私欲を見せつけられ、希望は幻滅に。
こうした中での枝野氏の立憲民主党の立ち上げは多くの人の喝采を得て当然であった。
とりわけ、その「排除・選別」が「改憲・安保法制」を踏み絵にしてのそれであり、それをもって、「議会からの改憲反対勢力の一掃」、「リベラル勢力の最終撲滅」などという声が聞かれるようになったのだから、なおさらであった。
枝野氏の立憲民主党の立ち上げは、「筋を通した」「信念を曲げなかった」として、安倍暴走に歯止めをかける「受け皿」として熱狂的な歓迎を受けた。枝野氏の街頭演説では各地で「歓迎」の人波が取り囲み、「ありがとう」の声が巻き起こった。
枝野氏も、その声に「私の背中を押していただいた国民の皆さんが党を作ったんです! 立憲民主党はあなたです」と応えた。そして実際に、ここでは2年前の安保法制反対で国民的な運動を展開したシールズや市民連合などの支援があった。
立憲民主党躍進の要因は、その「立憲民主党はあなたです」という国民への信頼、それに依拠するしかないと訴えた、その姿勢にあり、初歩的ではあれ市民連合など国民との結合にあったと見ることができる。そして、これが米国の企図を挫折させた。そのように見れば、米国の企図を挫いたのも「あなた」なのであり、国民だったのだということを戦後政治史上の特記すべき出来事として捉えなければならないと心底思う。
■「ポスト戦後政治」をめぐっての戦いが
今回の選挙の自民大勝という結果に、「大山鳴動してネズミ一匹」、何も変わらなかったという声も聞かれる。しかし、そこには、これまでの政治が依って立っていた地盤が揺らぐような「地殻変動」が起きていたのではないか。それは何かを探らなければならない。
そのために先ず、何故、米国は今回の政治劇を「仕掛けた」のかを考えてみよう。米国にしてみれば自身の覇権の崩壊は、米国を頂点とする世界的な「戦後政治構造」が崩壊したということであり、それを立て直して、いわば「ポスト戦後政治構造」を早急に構築することが問われていたということである。
この「ポスト戦後政治構造」構築に合わせて日本にも「ポスト戦後政治」体制を作らせる。それも一刻も早く、というせっぱ詰まった状況の中で、今回の政治劇が仕掛けられたのだと見ることができるであろう。その狙いは、改憲して「米軍の指揮下に戦争する国」を完成させ、経済的にも融合一体化させてアメリッポン化することであるのは上で見た通りである。
日本の「戦後政治」は、敗戦とそれによる米国の軍事占領の下で始まったが、51年のサンフランシスコ講和条約締結によって「独立」を果たした時、人目に付かないようにさりげなく調印されたのが「日米安全保障条約」だった。
こうして日本の「戦後政治」は、「憲法と安保」が並立したものとなり、「改憲か護憲か」「反安保か安保か」が対決軸となっていった。
しかし「ポスト戦後政治構造」構築のために日本に改憲させて、これに協力させる体制を作ろうとするとき、米国にとって頭の痛い問題は、国民の強い憲法意識である。これを一挙に葬り去ろうとしたのが小池氏による「排除・選別」であったろう。
しかし、それは裏目に出た。2年前、60年安保闘争を凌駕する安保法制反対の運動を展開したシールズや市民連合を中心とする国民的な後押しと支援によって立憲民主党が立ち上げられ野党第一党に躍進したのだ。
立憲民主党の誕生は、「改憲・安保法制」に反対する国民が、これまでの街頭から国会内に、国政の場に足場を築いたと見ることができる。
そして、この国政の場では、これから「ポスト戦後政治」をめぐって、米意のそれか、民意のそれかが争われることになる。
■立憲、そしてオール・ニッポンこそ
戦いはこれからだ。何よりも国民の側が政権をとらなくては、民意の「ポスト戦後政治」を実現することはできない。この戦いを前進させる上で旗印は立憲だ。
元々、立憲は「安保法制」成立の過程で安倍首相が米国議会でその成立を約束したことをもって、日本国民より先に米国に約束するのはおかしいではないか、日本のことは日本国民が自国の憲法に従って決めるとして掲げられたものであった。
もちろん立憲主義には「権力を縛る」という面もあるが、今日的には日本の政治は、日本国憲法に基づいて行うということに大きな意味がある。
それは一面では、「憲法を実現する」「憲法を生かす」ということである。全ての政策を憲法に基づいて考え立てる。対米関係でも外交でも、憲法第一で行く。経済も国民生活も人権も地方再生など全ての政策を憲法に基づいて考え政策的に打ち出していく。対決軸も、これまでの「護憲か改憲か」ではなく、それを乗り越えた「立憲か改憲か」になるのではないだろうか。この戦いは決して容易ではない。そこで問われるのは、国民の力である。今回、米意を挫折させた、その力はかつてなく大きい。
立憲民主党は、それを信頼し、それに依拠する姿勢を堅持し、国民は、それをしっかり支えなければならないと思う。そうすれば、国会内での改憲反対勢力の結集も進むと思う。
そのためにも立憲主義の意味も内容も充実させて憲法意識をさらに強めなければならないし、右や左もない「オール・ニッポン」的な国民的連合を形成していかなければならないと思う。
枝野氏も「20世紀型の右か左ではない。上からのトップダウン型か下からの草の根民主主義か」と述べている。この草の根である私たちの力が今、試されている。
議論
この間ほど、保守とリベラルという言葉が行き交ったことはなかった。メディアやいろいろな人がとりあげ、論じている。それは、保守二大政党制を唱えた希望の党が登場したことと、それに反発し、リベラルの党として立憲民主党が生まれたことと関連している。
今日における保守、リベラルの意味を考えながら、いま何が政治の対立軸となっているのかについて検討してみたい。
■保守とリベラルの垣根をとりはらった立憲民主党
かつて自民党と社会党で争ったことをさして、保守と革新が政治の対立軸だと言われてきた。
この場合の保守とは革新に対する言葉で、改憲派であり、現体制(資本主義)の維持派だった。大企業のほか中小企業家、自営業者(農民も含む)などを基盤にしていたといえる。一方、革新は、護憲派であり、労組や市民団体などを基盤にしていた。その後、左の弱化で、保守とリベラルが対立軸になっていた。
他の資本主義国を見ても、イギリスの保守党と労働党、フランスの共和党と社会党、アメリカの共和党と民主党というように、保守かリベラルかを対立軸にするという点で共通していた。
今回、立憲民主党は、小池氏により排除されたことを契機に、「枝野立て」という国民の声に押されて生まれた。小池氏が改憲と安保法制を踏み絵にしたことにより、かえって反改憲・反安保法制、さらには格差是正を鮮明にした党を国民が求めたからだといえる。
この立憲民主党をさしてリベラルの党だと指摘する人が多い。そこから、大勝した自民党と野党第1党となった立憲民主党の対立軸を、旧来の自民党VS社会党に戻ったのではないかという識者もいる。従来の保守とリベラルの対立軸で見たら、そう見えるかもしれない。
枝野氏自身が「日本は戦後、お互いに支え合うリベラルな価値を積み重ねてきた。それこそ、保守じゃないか」と言いながら、戦後レジームからの脱却を訴える安倍晋三こそ「保守ではない」と突き放し、自身は保守であるとしている。
小林よしのり氏は、「安保法制というのは安倍晋三がアメリカの議会に行って約束してきたことなんですよ。日本国民を置き去りにして、アメリカで約束して、それを日本で勝手に作ってしまったんですよ。こんなもののどこが保守だ!」と保守の立場から、立憲民主党への支持を訴えた。
かつて反改憲はリベラルだったが、今や、同時に保守でもあるということを物語っているのではないだろうか。また、枝野氏が「二〇世紀型の右か左ではない。下からの草の根民主主義だ」と言うように、保守かリベラルかではなく、トップダウン(独裁)か下からの民主主義(民意)かの対立軸になっているといえる。
国民の大多数が反対した安保法制や原発政策、社会保障切り捨てを行っていく安倍政権の運営にたいし、「独裁」が過言でないほどに国民は怒りを感じている。もはや保守かリベラルかが国民の選択肢になりえず、国民の声を聞き、国民とともに政治をおこなうかどうかが国民の選択の基準になっているのではないだろうか。
もともと保守は異なる考え方を排除せず熟議して漸進的改革をはかり、リベラルは個人の自由や多様性を尊重するというところに力点がある。西部邁氏によると、保守とリベラルは共存できるどころか一体と考えるのが妥当だという。そこから言えば、保守を自称しリベラルとみられる枝野氏は、これまであった保守とリベラルの垣根をとりはらったことになる。
もはや保守かリベラルかが政治の対立軸になってはない。それでは、何が現在の政治における対立軸となっているのだろうか。
■対米追随改憲と立憲民主が対立軸
小林よしのり氏や枝野氏が「安倍政権は保守でなく対米追随だ。立憲民主党が保守だ」というように、今や、「対米追随」と「立憲民主」が政治における対立軸となっていると思う。
安倍自民党や小池希望の党は、アメリカの要請を受け9条改憲を主張する点で、同じ対米追随だ。
小池氏は保守2大政党制をめざしたが、その企図は見事に破綻した。対米従属の改憲のもう一つの自民党を誰も望まなかったからだ。小池希望の党や維新は自民党に吸収されるか、自民党の補完の役割を果たすしかないだろう。
なぜ、小池氏が自滅したのか? 以前なら改憲は保守の看板だった。保革の対立は憲法をめぐってあった。この場合の改憲の保守は、冷戦体制において現資本主義体制の維持であり、日本という国、その秩序を守るという意識が基底にあったと思う。しかし、現在の改憲の意味は、アメリカとの共同戦争体制を築くためのものになっている。これは、日本のためではなくアメリカのための改憲だ。このため、従来の保守が反改憲になりつつあり、政治の対立軸が変わるようになった。小池氏や前原氏はこの保守の変化を見誤った。変化はすでに2年前の集団的自衛権容認にもとづく安保法制に反対する闘争に表れていたといえる。
従来、改憲保守だった小林節慶大教授が反安保法制の闘いの先頭に立ち、今や、「立憲デモクラシーの会」に参加している。保守の長谷部早大教授も反安保法制の鋭い論陣をはった。国民的運動の牽引的役割を果たしたシールズは、現状の生活と平和を守ろうとする保守的な意識に基づいていた。
今回の総選挙で自民党は、基盤とする保守層からも強い支持を受けなかった。多くの人々がとりあえず現状維持を望み、自民党にたいする支持が弱かったということは自民党関係者も認めている。もはや保守層は自民党支持の岩盤ではなくなっている。それは、アメリカの言いなりになって戦争の危険性を高め、生活では格差をいっそう拡大させていっているからだと思う。保守層が反改憲に大きく変わりつつあるといえる。
他方、「立憲民主」は2年前の安保法制反対の闘いのなかで生まれた理念だ。これは日本国憲法を国の柱とし、そのことにより民主主義を保障し、国民大衆自身が主権者として政治に参加していくというものである。
この理念に基づく「立憲デモクラシーの会」「安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合」は、その後野党共闘を実現する活動を続けてきた。それが今日、「立憲民主」の政党の誕生に繋がったといえる。立憲民主党の躍進にかつてのシールズの学生たちが寄与したそうだ。そういう意味では、「立憲民主」をめざす勢力が、以前の知識人の組織や市民団体、学生運動からさらに、「立憲民主」の政党を求め、作ったことになる。国民大衆の熱い声援を受けたから、立憲民主党は議席数の上では自民党と大差で負けたが、敗北感はない。この理念を進めていく核ができたからだ。
では、「対米追随」の改憲に反対し、「立憲民主」を実現するうえで、何が問われているだろうか?
■日本の国益第一で国民的団結を!
その鍵は、保守とリベラルを分けずに国民的な団結を実現することだと思う。
「対米追随」の改憲は、アメリカのために日本を「戦争する国」にして差し出すという「売国」である。トランプ大統領の武器購入要請にたいし即、無条件に兵器の追加購入で応えたところにも、安倍首相の従米ぶりが表れている。
こうした安倍政権の「売国」にたいし、「真の国益」で広範な国民の団結を実現することが重要ではないだろうか。
元来、保守は国を守るという意識が強く、国を想うからこその改憲という側面が強かった。一方、リベラルは国の束縛を嫌い、個人の自由と多様性を求めたが、今日、対米従属に反対し立憲民主の国の実現なしには、自由とその前提である平和がありえないという意識変化をもたらしている。
今や、保守もリベラルも国を考え、日本の真の国益を考えることでは一致してきているのではないだろうか。
世界的にみても、国を否定したグローバリズムが崩壊し、国家主権の擁護をめざす自国第一主義が大きな時代的趨勢となっている。そのため、各国の政治において保守とリベラルの対立軸がくずれ、代わって国益をめぐる対決となってきている。
自国第一主義には覇権の第一主義と国民のための反覇権の第一主義がある。日本の場合、アメリカに従って行くことを国益とするか、日本の憲法を上位におき国民を第一とすることを国益とするか、「従米改憲」か「立憲民主」かの対立になっている。保守とリベラルの垣根がすでにとりはらわれた今、日本の真の国益第一で国民的団結を実現し、立憲民主国家をめざし闘っていく時だと思う。
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■ドタバタ劇開始
堺市長選終盤、解散風が急に来た。野党は準備不足、野党共闘の選挙協力作業も進んでいない。しかし、それが安倍の付け目。なれど、受けて立たねばなるまい。
民進党の幾人かからお声掛けがあった。自由党元職の有力支援者からも。その中で自由党の人を応援してほしいと言う政治的盟友の依頼が一番具体的だった。相手は大阪で「常勝」を誇る公明党。勝ち目はかなり少ないのが明らかだ。でも他の予定候補からは具体の要請が無いので応援する事にした。しかし勝てる確率はゼロとは言わないが1%くらいか。
定期券を買い、事務所へ毎日通う事にしたのだが、そこへ降ってわいたのが「希望の党」騒ぎ。自由党も合流の意向らしかった。自由党の名前が入ったビラもポスターも使えなくなった。準備活動が止まってしまい、することが無い。「さあ、緑の運動員ジャンパー買いに行こうか。」と相談しながら夕方まで事務所に座っているだけだ。翌日も同じ。方針が出ないのだから仕方ない。翌々日は夕方街宣をする予定なのでその時刻に参加する事にしたが、その朝、電話がかかって来て「中止になりました。」「えーーっ」
■小池さんありがとう
さらに合流の覚悟を決めた次の日、緑の服のおばさまが艶然とほほ笑みながら「リベラル排除」宣言。前原氏は「そこを何とか」と頼まずに、自党の予定候補に「選別を受けて通ってほしい。」としか言わず。何ちゅう無責任なやつ。自由党系も選別対象! 隣の市の自由党予定候補は地元で1年以上頑張って来たのに、選別に合格したとたん、神奈川「進次郎」の選挙区へ国替えさせられ、当選確率1%の戦いを強いられることになった。希望が絶望に!
うちの先生はリベラルとは言えない分類だが、意外やリベラルの被排除組と運命を共にする覚悟を決めたらしい。それを聞いた共産党は候補を下ろし、先生の支援に。ろくでもない緑のおばさん、リベラルに活を入れてくれてありがとう!
■決断が明暗をわける
「無所属で立つ!」ときっぱり宣言した先生。しかし到底、常勝党を上回るとは見えない。「先生、枝野新党に入ったらどうです。もともと小沢派民主党だし。」「いや実はもう頼んでるんです、辻元さんに。」
おおっ素早い。いいぞ先生。とにかく所属が決まらないと準備行動できず、ドン・キホーテ選挙しかなくなる。そこで辻元事務所などに電話をかけ、可及的速やかに公認してくださいますように、と嘆願。いつもは早くない手続きを誇る党中央、しかも出来立てほやほやで大混乱。ところが今回は文字通り電光石火だった。公認願状を持った人が新幹線で上京してから3時間も経たないうちに「立憲民主党公認決定」の報がもたらされた。私は内心「これで当選確率5%になった」と思った。事務所はまるで当選した時みたいな拍手。のちのちそれは巨大な有難みとなった。何しろ基本費用以外のお金も、組織の大応援も、後援会組織も無いに等しい。私の経験からすると泡沫みたいな雰囲気と実体なのだ。
■決死のたたかいが勢いを呼んだ
選挙公示後、当選予想確率は10%に上がった。逆に言うと腕の振るい甲斐がある。人をかき集め、ボランティア部隊を作った。もともと少ないから少し集めると大きな力になる。街宣・駅立ち・ポスティング・ポスター貼り。雨でずぶ濡れも気にしない。普段ビラを取りそうにない若い女性や青年、ネクタイのサラリーマンが受け取ってくれる。新聞の予想も無印から黒▲(穴馬)になって来た。ひょっとしたら選挙区で常勝党に勝つのではと言う幻想も持ったほどだ。当選予想確立は一気に50%。1→5→10→50だから驚異の伸びである!
無我夢中の内に迎えた開票日。現実は厳しく、開票まもなく常勝党候補の当選速報がテレビに出た。しかし、その何時間も後に比例復活当選。多分、今までの支持層ではない人も立憲民主党に入れてくれている。3無い選挙のドタバタはひどかったが、無党派市民の新たな票も得て、先生、それを裏切らないように頑張ってもらいたい。それにしても、今年最後の時ならぬ選挙は勝てると思っていなかっただけに、事のほか嬉しい。何でも必死に、かつ効果的にやってみるものだとあらためて確信した。
映画
10月15日、降り続く雨の中、龍谷大学響都ホールで行われたNPO法人丹波マンガン記念館主催によるドキュメンタリー映画2作品を観て来ました。
一作目は、丹波マンガン記念館を立ち上げた初代館長李貞稿(リ・ジョンホ)さんの晩年を追った「生きた闘ったそして倒れた」です。
李さんは日本の朝鮮植民地支配期の1935年に、両親とともに2歳のときに日本に連れてこられました。
京都丹波地方は、国内有数のマンガン埋蔵地帯で、かつては一鉱山5〜10名の工夫が働く小規模鉱山が数多く、その数は300余もあったと言います。そこで働く多くが朝鮮人工夫たちでした。横1メートル、高さ90センチのマンガン鉱に入り込み、ヘルメットの着用もマスクもなく、もちろん機械堀でなく一日中手堀の作業で腰を伸ばすことも出来ず過酷を極めたといいます。
同胞の元工夫を訪ねた聞き取りでは、「仕事中に倒れた、じん肺やった。石炭やマンガンの粉やら、何十年と吸ってきたから、もう肺の中は無茶苦茶や」と話す鄭さん、「戦争が終わっても、金がたまらんし、帰れんかった」と悔しがる金さん、どの発言も朝鮮の人々の苦渋の生涯を物語っていました。
二作目は、記録作家林えいだいさんの記録映画「抗い(あらがい)」です。
福岡県筑豊の旧産炭地には、今もアリラン峠と呼ばれる場所があり、そこは、かつて日本に徴用された朝鮮の人が炭鉱に向かう時に歩いた道だそうです。林えいだいさんはその近く福岡県香春町生まれ。
神主だったお父さんは、脱走してきた朝鮮人炭鉱労働者を匿い、特攻警察に検挙され、1週間の拷問を受け、亡くなりました。匿った人は延べ四百余名。食事と寝床を与え、元気になってから送り出したそうです。
林さんは北九州の公害問題や、朝鮮人強制連行、戦争の実相など、歴史に翻弄された人々をテーマに、虐げられた人々の無念の記憶を数多く書き残されました。
「歴史の教訓に学ばない民族は、結局は自滅の道を歩むしかない」と今日の為政者たちに警鐘を鳴らしています。
「主張」読ませていただきました。稿に述べられているように今回の衆議院解散を契機にして全く思いがけない事態が次々に起こりました。その本質は今回の論文にまとめられている通りだと思います。
ただ、この論文が書かれた時点で既に小池新党失速の気配はありましたが、ここまで国民の支持を失うとは予想外のことでした。私は元々小池氏の政治姿勢については全く評価していないし、期待もしていませんでした。
豊洲の問題にしても本質的なところでは何の進展もなく、まさに時間の無駄であっただけです。都知事になってからの実績を考えるならばその思想のみでなく、行政手腕にも疑問を持たざるを得ません。
この点については橋下徹氏も同様であり、彼の言動はいまだネット上で一定の影響力を持ってはいますが、行政官としては何の実績も残していないと思っています。
もっと小さな市町村の首長で、コツコツと地道な努力を積み重ねて頑張っている人を幾人か知っています。このような人々が日本の政治行政を支えている面があり、これからの日本に最も必要とされているのではないでしょうか。そのような意味で、志を変えない立憲民主党に期待しています。
論文に書かれているように「米国に従って戦争する国の深化完成。まさに従米右派の二大政党の出現なのである。」という点について非常に危惧するところですが、民進党の内部矛盾はいつかは組織を破綻させるものであったと思いますので、受動的な形ではありますが、今回の分裂はかえってすっきりした面もあるのではないでしょうか。明日が投票日です。どのような結果になり、またどのような新たな動きが生じるのか。長い目で見れば、今後国民は予想外に冷静な判断を下していくのではないかと期待しています。」
「議論」読ませていただきました。「わしらはどんなことがあっても喧嘩しちゃあいけんのです」。これは広島やくざの映画「仁義なき戦い」の中での、菅原文太の台詞です。
これが現在の私の正直な気持ちです。筆者も同じ気持ちだと思いますが、もちろんそのような思いだけで収まってしまうようなことではないことは私もよくわかっています。
米国が朝鮮の目の前であれだけの軍事訓練を敢行しながら、自国に対するミサイルや核の脅威のみを強調するのは明らかにおかしい。これは客観的に見れば世界が認めざるを得ないことだと思います。
日本でも今回の選挙でもう少し北朝鮮の問題を焦点にして欲しかったと思いますが、各党派もマスコミも本質的な論議が全くなかった事は非常に残念です。これからの日本の自立ということを考えると、今回の朝米対立に日本がどう関与するかは非常に大きな試金石になる。「日本の国民自身がひとりひとり問われている」というのはまさに筆者の主張している通りだと思います。
そのためには、現在の「ミサイルを発射した」「核実験をした」という事象だけをとらえるのではなく、論文で強調されているように、歴史的な事を振り返らなければいけない。この点が日本国内で決定的に欠如している。
安倍首相のいう、「日本国民の安全と財産を守る」という主張は一般論としては当たり前のことで、具体的にどうやって守るのかが全く示されていないと思います。
論文に書かれた、その後勃発した朝鮮戦争。その決着が、戦争終結後64年を経た今もついていない。停戦協定が平和協定に変えられておらず、朝米間の国交も正常化されていない。それを拒否し続けているのは朝鮮ではない。米国だ。
朝鮮戦争については日本も深く関与していたことは周知の事実です。現在の日米関係の基本はこの時点で形成されたのではないか。
今日は衆議院選の投票日です。瓢?から駒ですが、日米関係を基盤とした、憲法改変ならびに集団的自衛権、安全保障政策について問われる選挙になりました。これは現在の朝鮮問題をどう考えるかということに深く関わっています。
どのような審判になるのか、その後どのように事態が進展していくのか、戦後の大きな大きな分岐点を迎えているような気がします。また意見を聞かせて下さい。
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