研究誌 「アジア新時代と日本」

第169号 2017/7/10



■ ■ 目 次 ■ ■

編集部より

主張 東京都議選結果から考える 何が新しいのか、それが問われている

議論 米覇権崩壊と日本の生きる道

運動 日本の「左翼・リベラル」はセクト主義・内ゲバを乗り越えていない

資料 大衆の怒り爆発! 7・2 都議選をふりかえる

資料 ABE IS OVER




 

編集部より

小川淳


 自民が大敗した都議選
自民党の石破は都議選をこう振り返る。「街頭演説中、実に怖かった。見向きもされないどころか罵声も浴びせられることすらあった。恐怖心が払拭できなかったが、自民党はどん底に突き落とされた」。
 自民党の村上誠一郎は「都議選は安倍一強政治に対する都民の怒りの声だ」と総括している。
 安倍政権が誕生してから4年半の間、戦後日本を支えてきた憲法体制の空洞化が一挙に進んだ。特定機密保護法、集団的自衛権(安保法制)、共謀罪(テロ等処罰法)は、いずれも戦後憲法の三本柱である主権在民、平和主義、基本的人権の否定につながる暴挙だ。
 機密保護法も集団的自衛権も、国民の反対を押し切って採決が強行された。共謀罪に至っては、参議院での充分な委員会審議にも応じず「中間報告」という奇策を使って審議を打ち切り、参議院本会議で強行採決を行っている。ある与党関係者は、「(加計学園等)このまま国会での追求が続けば政権に大打撃になりかねない。それで国会を閉じることを決めた」という。国会での追求を怖れたから(共謀罪という重要法案の審議途中にもかかわらず)国会を閉じたと公言しても憚らない。
 もはやこの政権は、政権維持そのものが目的と化しているのではないか。あるはずの資料も破棄してないと言い、荻生田など関係者は何を聞かれても一様に記憶にないととしらを切る。森友問題では核心を握る首相夫人の証人喚問には絶対に応じずなどなど、安倍首相を守る為なら「何でもありき」の政権だ。そこには政治家としての良心や責任感は微塵も感じられない。このような政権は一刻も早く退陣してもらう他はない。このおごりに対する都民の怒りが都議会選挙の結果だった。
 報道各社の世論調査で安倍政権への支持率が急落している。第2次安倍政権で最低だったこともあり自民党にも危機感が広がっている。政権への支持率低下を受けて安倍首相は早々、内閣改造に着手、支持回復を図ろうとしている。
 この政権に反省の姿勢はまるで見えない。麻生は早々に新しい派閥(59人が所属)を組織し、今の安倍政権を真中で支えていくと宣言した。安倍―麻生連合は40%の議員が所属し、党内の反安倍の動きに睨みを利かす。
 だが党内の求心力をいくら高めても安倍に対する国民の不信は払しょくできないだろう。いよいよ安倍退陣の時が迫っている。



主張 東京都議選結果から考える

何が新しいのか、それが問われている

編集部


■うち砕かれた「安倍一強」神話
 都議選の結果は衝撃的なものだった。それは何よりもまず、「安倍一強」と言われ、高い支持率を誇った自民党が惨敗したことである。
 自民党は、過去最低だった38議席をさらに15議席も減らして23議席に激減するという、まさに「歴史的な惨敗」を喫した。
 今回の都議選は、都議選前の国会で、共謀罪法案を常軌を逸した強硬手段で成立させたことや森友、加計学園問題など安倍政権の強権性、傲慢さ、国政の私物化などが問題視される中で行われた選挙として、安倍政権への信任を問う選挙となるとされていた。
 さらに言えば、一昨年の秘密保護法、昨年の安保法制、今年の共謀罪法などの諸悪法を成立させ、日本を米国と共に戦争する国にし、異次元の金融緩和で株式バブルを演出しただけで一般庶民には一向に「実感が沸かない」ものでしかないアベノミクスに固執する安倍政権への信任を問うものでもあった。
 安倍政権は、自身が国民の圧倒的で強固な支持を受けているという「安倍一強」神話に依って、こうした政策を強行してきた。
 はたして、そうなのか。これに対して民意はNOを表明し、「安倍一強」は決して民意の強い支持に基づいたものではないということを突きつけたのだ。
 選挙期間、反自民の風向きは「逆風どころか暴風だ」と言われるほどになり、自民党候補者の事務所には抗議の電話が鳴り続け、候補者が握手を求めても拒否され、話しかけても目をそらされるという状況が。
 そして開票前日に秋葉原で行った安倍首相の応援演説では、ついに「安倍辞めろ」「安倍帰れ」コールが起きた。「安倍一強」本人への「辞めろ」コールは、まさに「安倍一強」神話の崩壊を象徴するものであった。
 自民党惨敗の原因を党関係者は「Thisis 敗因」だとして、豊田、萩生田、稲田、下村などの不祥事にあるとしている。
 勿論、それもあるだろう。しかし、大事なことは安倍一強とは民意の積極的な支持に基づいたものではなかったという、そのことなのだ。
 これまで進歩的な人たちの中では、「安倍一強」が民意であるかのように捉え、民意はどうしようもないと見るような考え方があったが、そうではなかったことを民意は自ら示して見せた。
 「安倍一強」とは、それに代わるものがないから仕方なく支持したのであり、安倍政権支持の理由の第一が「他の内閣より良さそう」であるように、まさに消極的支持にすぎなかったことを都議選は赤裸々に描いて見せたのだ。

■問われていたのは、やはり受け皿
 都議選の衝撃。それはまた、「都民ファーストの会」という新しい党が躍進し、一挙に第一党に躍り出たことである。
 選挙実績もなく組織基盤もない会が、これほどの躍進をするとは、一般の予想をはるかに超えたものであった。
 「安倍一強」神話を自ら否定した民意は、自民党を離れ「都民ファーストの会」支持に回ることで幾何級数的に差が生じたのである。
 「安倍一強」の原因について、これまで安倍に代わる「受け皿」がないからだということが一般的にも言われてきた。
 安倍政治を批判するにしても、それに代わる受け皿がない。こうして民意は消極的に自民党を支持してきた。  こうした中、「都民ファーストの会」は安倍政治批判の受け皿になったのである。
 都議選での「都民ファーストの会」の圧勝は、この会は自分たちの民意を受け止めてくれるもの、自分たちの意志を託せるものと受け取られたということである。

■何故、受け皿になれたのか
 「都民ファーストの会」は何故、受け皿になれたのか。言葉を代えれば、民意は小池氏や「都民ファーストの会」の何を支持したのか。
 「安倍一強」神話がうち砕かれ、それに代わる受け皿として「都民ファーストの会」が大躍進した中で、それを解き明かすことほど重要なことはないだろう。
 小池氏自身は、「都民ファーストの会」の勝因について、「『東京大改革』への期待を受けての結果だ。(勝因は)都民の目線で都政を一つ一つ語ったことに尽きる」と述べながら、「古い議会を新しい議会に」と訴えてきたが、それを(都民は)分かってくれた。「新しい都政、新しい議会で、新たな第一歩」だと強調した。
 そして都民は、それを支持した。すなわち古い都政を改革し、都政を都民の手に取り戻し、自分たちのための新しい都政を実現するということに圧倒的な支持を表明したということだ。
 民意は、それを小池氏や「都民ファーストの会」が示す、「新しさ」の中に見いだし、それを支持した。
 小池氏は、知事選や就任して以降の1年近く、古い議会を批判しつつ、それに代わる新しさを提起してきた。豊洲移転問題における石原都政での不透明さを問題視し、汚染の問題を俎上にあげ、オリンピック会場の見直しなども提起した。
 そして、今回の都議選では、「希望の塾」で育成した新人を候補者に立て「新しさ」を押し出した。公認50名のうち新人は40名。その内、政治経験なしの「素人」が20名(会社員14名、弁護士2名、医師・大学教授・公認会計士、歌手が各1名づつ)であった。また女性は18名を擁立。その多くは子供を抱える主婦であり、中にはダウン症の子供を抱えた人もいた。
 まさに、庶民の目線、都民の目線を備えた、これまでにない「新しい」形の候補者。そして彼らは圧倒的な支持を得て多くの選挙区でダントツのトップ当選を果たした。
 小池知事も精力的に動いた。自派の候補者だけでなく公明党の候補の応援にも駆けつけ、その数、実に101回、一日に10回もの応援演説をこなしたことになる。
 それは、古いものを改革して新しいものを作り出すという姿勢を印象づけただけでなく、そのための力=指導力をも感じさせ、会の大勝利をもたらした。
 「都民ファーストの会」を圧勝させた民意は、古いものを改革して新しい都政、新しい政治を作ろうとすることへの期待と支持であった。
 小池氏と「都民ファーストの会」は「新しさ」を強く打ち出したが故に、そうした民意の受け皿になりえたのである。

■問われる、民意が求める真の新しさ
 今回の都議選は、国政と密接に関係していた。そのように見れば、民意は都政段階にとどまらず、国政においても「新しい政治」を求めたと見ることができるだろう。
 これから国政が問題になる。小池氏自身は、国政に打って出ることを否定し、都政に専念することを再三表明しているが、小池氏の側近の一人である若狭氏は新党立ち上げを表明した。しばらくは東京都知事に専念したとしても、いずれ小池氏は国政に打って出るだろう。
 すでに安倍政権の支持率は31%にまで低下し下降の一途をたどっている。その上、加計学園、森友学園の問題の行く方によっては、安倍弾劾から内閣総辞職、総選挙といった事態も予想される。政界は激動し、小池氏がその焦点になっていくだろう。
 そうした中で、小池氏は、どのような「新しさ」を打ち出すのだろうか。
 都政では新しさを打ち出しやすい。小池氏自身、都政に専念するとしながら、待機児童、介護、空き家問題、流通問題などに興味をもっており、これらの問題を条例化して解決して行きたいと語っている。
 しかし、国政では異次元の問題が提起されている。
 何よりも日本の国政では米国との関係が問われる。激動する世界にあって、日本はどのような道を進むのか、経済をどう立て直すのか、地方再生、社会保障は・・・。
 改憲論者であり右派政客であり親米的傾向を持つ小池氏が、果たして民意に応える「新しさ」を打ち出していけるのだろうか。
 民意が求める真の新しさとは何なのか、それを見い出し、形にする営為が今、切実に問われていると思う。



議論

米覇権崩壊と日本の生きる道

K・T


 「パクスアメリカーナ」の終焉は、何も今言われ始めたことではない。大分前から、そうした声は出ていた。しかし、トランプ政権がそれを一層顕在化させたのは事実だ。
問題は、この「終焉」に日本がどう対するかだ。

■一層顕在化する米覇権の崩壊
 世界に国が生まれてこの方、国々の上に君臨する覇権も生まれた。国と覇権の誕生日は、ほぼ同じだと言って差し支えないと思う。
 覇権は、覇権国家自身の野望であると同時に、互いに抗争を繰り返して傷つき、平和や安定した国際秩序を求める国々とその国民自身の要求でもあったと言えるのではないか。
 「パクスロマーナ」(ローマ帝国の下での平和)、春秋戦国の大乱を終息させた秦帝国による中国統一、そしてわが日本においても、戦国の世を終わらせての「江戸の太平」、等々。洋の東西を問わず、覇権とその下における国々の「統一」と「平和」の歴史は数千年に及んできた。
 覇権の下における国際秩序の安定と平和、それは、誰も楯突くことを許さないダントツ最強の覇権国家による支配の下、その意向のままに世界が動くことによってのみ可能だった。
 「覇権」というものをそのように見た時、厳密な意味で戦後世界は「パクスアメリカーナ」(米覇権による平和)とは言えないのではないか。また、米ソの冷戦を考慮して、「パクスルッソアメリカーナ」(ソ連とアメリカによる平和)とも言えないと思う。
 なぜか?それは、戦後世界が米国、あるいは米ソの意思、意向で動いて来たわけではないからだ。戦後世界を揺さぶり、その基調を成したアジア、アフリカ、ラテン・アメリカにおける国と民族の独立、解放の闘いは、当時よく言われた「米ソの代理戦争」では決してなかった。それはどこまでも、それぞれの国と民族の主体的な闘いであった。米国はあくまで受動的にその闘いの圧殺に狂い立ち、すべてで敗退した。そして、ソ連。朝鮮でも、ベトナムでも、どこにおいても、彼らは、闘いを後ろから、それも極めて消極的に助けただけだった。それが偽らざる現実だ。
 今日、米覇権の崩壊は一層鮮明だ。朝鮮の核とミサイルは、その象徴だと言えるだろう。米国による最大級の脅しと制裁にもかかわらず、朝鮮による核・ミサイルの開発は加速の一途をたどっている。覇権国家としての米国の権威と威信の失墜は、それに止まらない。地球温暖化防止のための「パリ協定」脱退を宣言した米トランプ政権の「国家エゴ」に対し、メルケル独首相が言った「もはやわれわれは誰にも頼らない。われわれの道をわれわれだけで進むだけだ」という発言は、その端的な現れだと言うことができる。
 トランプ政権の登場とともに一層顕在化する米覇権の崩壊。これからの世界はどうなるのか?
歴史はこれまで、覇権交代の歴史だった。弱肉強食の動物の世界、ジャングルの世界がそうであるように、衰えたボスは、新たなより強力なボスに取って代わられてきた。
 では今はどうか。今もその歴史は流れているのか。そこでよく言われるのが中国の台頭だ。ロシアの動向も注視されている。だが、それを新たな覇権と言えるのか?

■「日米一体化」での米覇権擁護は正解か?
 「パクスアメリカーナ」の終焉が言われる時、決まって出される設問がある。「米国か中国か」だ。米覇権は終焉した。ならば日本はどうするのか?中国の覇権の下に入るのか?それをよしとする日本人は一人も居ないだろう。実を言って、それはこの設問に織り込み済みだ。答えは予め想定されている。「衰退した米覇権を強化し建て直すしかない」だ。設問は、完全に「誘導尋問」だ。
 「強いアメリカは、日本の利益だ」と言った安倍首相の発言は、このことを言ったものだ。だから彼は、「51兆円のインフラ投資、70万人の雇用創出」を「手土産」に、世界の首班に先駆けて、「トランプ参り」の挙に出たのだ。
崩れ去った米覇権の建て直しは並大抵ではない。「国家エゴ」丸出しの「アメリカファースト」を世界が認め、盛り立ててくれなければならない。だが、そんなことをしてくれる国がどこにあるか。盛り立てるどころか、「ファースト」の名による「国家エゴ」に非難ごうごうだ。
 そこで、米国にとって一番頼りになるのが日本だ。トランプ大統領による安倍首相の大歓待。マティス国防長官やティラーソン国務長官の就任早々、他に先駆けての日本訪問。これら異例ずくめの特別待遇の裏に法外の「特別要求」が隠されているのは目に見えている。だが、彼らは今のところ何一つ明らかにしていない。
 「強いアメリカ」の再建。そのための軍事予算の大幅増。一方、大々的なインフラ投資、エネルギー開発、法人税大幅引き下げ、金融自由化など、経済グローバル化で空洞化し疲弊停滞した米産業経済の活性化に力を入れるのも、「雇用創出」より何より、強い覇権経済再構築のためだ。
強い覇権軍事、経済の再建を米国一人でやるのは困難だ。そんな力はもうない。そこで白羽の矢が立てられたのが日本だったのではないか。
 聞こえてくるのは、「日米一体化」、軍事と経済の一体化だ。軍事の方は、一昨年、安保法制化で基本的に完了した。第二次朝鮮戦争など日本をその前面に立てての日米共同戦争のため、あと必要なのは、「改憲」と大々的な軍備増強くらいか。
問題は経済だ。二国間FTA協定、日本による対米インフラ投資、米系外資の日本浸透など相互投資、等々、日米経済の融合、すなわち、日本経済の米国経済への組み込みが新たな装いで大々的に計画されているに違いない。
 米国「51番目の州」へ。「日米新時代」「新しい日本」の実現が、「改元」や「改憲」、オリンピック・パラリンピックなどをともなって、周到に準備されて行っているのではないか。
 これがどのような意味を持つか。それは、一言で言って、米覇権という「泥船」への「日本丸ごと乗り込み」だと言えるのではないか。

■自分の道を世界とともに!
 先述したように、戦後世界を動かしてきたのは、米国でもソ連でもない。国と民族主体の独立、解放をめざす闘いだった。では、ほぼすべての国々が独立を勝ち取った後はどうなったのか?世界を動かしてきたのは誰であり何だったのか?
 それは、自主と独立の新しい世界を古い覇権の世界に引き戻そうとする米覇権回復に向けた策動とそれに抗する新たな反覇権の闘いだったと言える。すなわち、国と民族自体を否定する究極の覇権、グローバリズムに反対する闘いだ。
米国が国境を無視し宣戦布告なしに引き起こした新たなグローバル反テロ戦争、それに抗するイラク、アフガンの闘いがリーマン・ショックとともに「米一極世界支配」をつかの間の「夢」にした。そして、今日、新自由主義・グローバリズム支配に反対する「99%のため」の闘い、「EU離脱」「自国第一主義」の闘いが古い政治、経済をその根底からを揺るがせている。
 オール沖縄の闘い、SEALDsの闘い、はたまた、「小泉現象」「民主党政権交代劇」「橋下現象」そして今、「小池百合子現象」に至るまで、寄せては返す日本の国民的運動の波にも、世界の運動とその奥深いところでつながり相通じる何かが感じられる。それは、これまでの古い政治ではどうにもならない現実への国民的苛立ちであり、古い世界を変える新しい政治への希求、変革への強い願いだと言えるのではないだろうか。
 既存の政党、政治家に委ね任せる古い民主主義から、自分自身が政治を直接握って推し進める新しい民主主義へ、政治の転換を求める主権者意識の高まり、自分の地域、自分の共同体、自分の国を自分たちの手で良くしようという共同体意識の高まり、世界と日本に共通するこの国民的意識の高まりを、「大衆迎合」「大衆扇動」のポピュリズムと見るのは間違っていると思う。今日、政治の主体は国民大衆であり政党ではない。政党が大衆に合わせ大衆を扇動しているのではなく、大衆が政党を動かし引っ張っている。
 覇権ではなく民意が世界を動かす歴史の新時代、脱覇権時代の深まりの中にあって、日本の生きる道を再考する時が来ているのではないか。
「日米新時代」「新しい日本」、そこで求められるのは、日米一体化で日本の軍事、経済を米国のそれに組み込まれ、その覇権の「泥船」もろとも海の藻屑となることではない。古い覇権の道と決別し、新しい「自分の道」を「世界とともに」進むこと、そこに国民皆が求める日本の生きる道があるのではないだろうか。

      

 
運動

日本の「左翼・リベラル」はセクト主義・内ゲバを乗り越えていない

平 和好


 恐ろしい事に最近気がついた。世の中を変えたいと思い、運動に飛び込んで、あと数年で50周年になる。何と半世紀ではないか。そのあいだにどれだけ世直しに貢献できたか自省すると、はなはだ心もとない。
 社会変革の志に燃えた人はもっと昔から無数にいた。NHKの昔の映像を記録した「アーカイブ」に70年前のメーデー記録があった。「皇居前広場を埋め尽くした労働者が人民民主政府樹立を要求しました!」と結んでいた。しかしそれは結局実現していない。誰かの責任にしたり、最近は近隣国のせいにしたり、嘆かわしい現象が起こっているが、真剣に見つめるべきではないか。

■セクト主義の魔力
 セクトと言う言葉が市民権を失ってから久しい。しかしセクト主義は左右もノンポリも関係なく広く深く浸透している。自由・平等・博愛を掲げるわが勢力も同じだ。いくつかの勢力に分かれ、自派の利益を考える。それは当然なのかもしれないが、それで終わってしまっているのではないか。共産党は、民進党は、と大声で言う人ほど、そういう状況を乗り越えて大きなものを作り出す事が出来ないままだ。「人々は互いのために全てを捧げ、心を合わせてこの地を育てていく」と言う歌があるが、社会的に物心ついた頃にいだいた、そういう社会主義の理想が実践できていないもどかしさを感じる。どうやら先輩方も後輩の皆さんもそういう精神を持てなかったのか、忘れてしまったのか・・・なのだろう。自省の念があればまだ良いほうだが。もちろんこれは左翼世界だけでなく、資本主義社会もそうだ。会社内で仲良く、いたわりあって生産に励む光景を探すのが難しい。同僚の悪口を話し続けている人が多いし、友達関係でもそうだ。先週、テレビのマツコさんが言っていた。「友達とか言ったって、飲んで帰るとき、いない人の悪口ばかり言っているでしょ」

■内ゲバは終わっていない
 30年前ごろまで日本では陰惨で悲惨な内ゲバと言うものが流行った。私も若気の至りで、大いに参加し、真面目に取り組んだ「闘争」だった。ベトナムの人たちの頭上に降る爆弾を減らさせるためと信じて参加した運動が、内部に敵を見出すようになり、肝心の反戦運動をせずに熱中していた時期があり、しかしだんだんその事に気づいたので辞めた。辞めてよかった。その後、ますます陰惨に悲惨になって行ったからだ。あとはひたすら平和な運動に徹している。先日、同時期に辞めた1年先輩が急逝した。私は棺に「みんなで一緒に走り、一緒に生き残って来たのに、死んだらあきません!」と涙ながらに語り掛けた。今、社会運動を見ると、陰惨な事件こそ無くなったが、内ゲバ主義は無くなっていない!
 違うグループ同士が力を合わせる光景もよく見られるが、相互の利害がぶつかり、火花を散らしたり、「あいつらは」などと言いあう事のほうが多い。安倍を支持するのは自民・公明・維新それに在特会・ヘイト勢力・ネトウヨぐらいなものだ。基本、利益のために団結が固いのだ。翻って左翼・リベラルは五流20派とか言ったりしたが、今種類は減っていない。一人一派も増えている。この一人一派が、既成政党や各党派を自由に執拗に攻撃する。
 もともとお金と権力を持っている安倍勢力が大きく分けて4つくらいにしか分かれていなくて、対する反安倍勢力はお金も権力も無いから大同団結と創意工夫が必須なのに、分裂と人数減少で加齢とともに消滅の危機。これでは勝てるはずがない。
 「は-―」と言いそうになるが、ため息からは何も生まれない。「互いのために尽くし、力を合せて助け合ってこの地を育てていく」活動をするように一層の努力をするしかない。
 ミュージカルの歌で今日の戒めとしたい。

♪ たたかう者の歌が聴こえるか?
♪ 鼓動があのドラムと響きあえば
♪ 新たに熱い命が始まる
♪ 明日が来たとき
♪ そうさ明日が
♪ 列に入れよ我らの味方に
♪ 砦の向こうに世界がある
♪ 悔いはしないな
♪ たとえ倒れても
♪ 流す血潮が潤す祖国



資料

大衆の怒り爆発! 7.2 都議選をふりかえる

レイバーネット 2017年7月3日


■自民党―自業自得の歴史的大惨敗
 都議選の最終日、秋葉原の街頭演説で司会の石原は何を思ったのか、「ただいま安倍首相をオマヌケ、いやオマヌキ、あのオマオマ」と連呼。出だしからイヤな予感が当たって、「辞めろ!帰れ!」の大合唱でお招きされたのであった。籠池夫人の「お父さんは詐欺師なんかじゃない!」という怒髪天を衝く叫びに「アベこそが詐欺師だ」と反応した人も多いのでは。大衆の怒りの決起に、日の丸を振る人もなんだかおとなしく、応援しているのか、そのとおりと思っているのかわからなかった。結果、34議席減の大惨敗。 千代田区の自民女性候補中村は「人を罵倒したり、お金の問題をおこしたり、国民の代表としてありえないことをやっている。そういう自民党を正すべき」と敗戦の弁。これが自民党で一番まっとうな発言だった。肝心の親分は料理屋から雲隠れして、記者会見に応じず。卑怯な人間である。

■都民ファーストー自分ファーストで圧勝
 小池ブームに便乗して、とにかく勝ち馬に乗ろうと殺到した候補者たち。なかには民進党からさっさと鞍替えした恥も外聞もない議員もいる。民進党を離れた長島昭久や維新の会から除名された渡辺喜美がすり寄っているが、小池自身が機を見るに敏な政界渡り鳥として有名な女性。上が上なら、下も下でまあしかたないか。理念も思想もない集団だが、真の都民ファーストを発揮すれば、それは評価するが、まだその行く先は不透明である。

■公明党―ヌエ的功利主義で全員当選
 選挙中、共産党を3K「汚い、危険、北朝鮮」と口汚く誹謗していたが、自分たちにこそ当てはまるのでは。国政は自民、都政は都民ファーストと、ヌエ・コウモリのように抜け目なく、危険な共謀罪法案は推しすすめ、上意下達でどんなことでもやる。とにかく23名全員当選、おめでとう。とにかく自分だけ安泰ならそれでOK。いるよね、こういう奴。でも、この党はいつ竹入・矢野のような功労者でも「犬畜生」呼ばわりされるか、わからないから今が花と思ってがんばってくださいね。

■共産党―大健闘の2議席増
 予想では自民党と都民ファーストの間に埋没して、現有議席の維持は無理と伝えられていたが、2人区でも健闘した。最近、「しんぶん赤旗」で元号を使ったり、女性宮家の問題等でいささか物わかりがよすぎるのではと疑問に思っていたが、都政における共産党の活躍は特筆すべきものがある。豊洲市場の盛り土や猛毒を暴露し、その危険性を世間に訴えた功績は大きい。結果、石原・猪瀬・桝添ら三代の都政の闇を暴き出した。労働者・市民・学生、そして高齢者から乳幼児にいたる様々な課題にこまめな政策と実践力を持っている。共産党に対するイデオロギーや戦術への批判を控える必要は全然ないが、今はブレずにスジを通す都議会共産党に期待したいと思うのだが、どうだろう。

■民進党―なんとなく踏みとどまって5議席
 中野の選挙区で長妻・辻元・枝野が西沢候補を応援していた。「一時のブームに乗って投票したら、大阪みたいにえらいことになりますよ」と辻元。「出ていきたい人は出て行けばいい。志のある人が残ってやるのが本当の政治」と枝野。これを聞いていて、私は感心した。西沢は民進党を裏切らなかった。そして、見事当選。ここに民進党のこれからがあるのではと思った。予想では都議会民進は壊滅と言われていたが、5議席もとったのでなんとなく踏みとどまった感はある。

■その他の党派―がんばれ社民党!
 今回の選挙で一番残念だったことは、社民党が1議席もとれなかったこと。それ以上に腹立たしいことは維新が1議席とったことだ。ネットがなんとか1議席とったことはよかったが。それで社民党再生の道として、なぜ新社会党と合同しないのだろうか。新社会党は共産党の候補を応援しているのだから、社民党とはもっと協力できるのではないかと思うのだが。事情を知らない人間が勝手なことを言うのはよくないのだが、知らないからこそまた言えるのだ。 とにかく、社民党・自由党・新社会党・緑の党・ネット、それから革新系無所属や市民の会などが団結し、区議や市議などで活躍してほしいものだ。社民党よ、捲土重来を期して次期選挙に備えてほしい。

■最後にー我々の役目
 主権者である私たちは地元選出の都議会議員の言動に目を光らせて、憲法守れ、生活守れ、と公約の実現を迫っていこう。予想外の大敗を喫した自民党は国政選挙まで反省のポーズと甘言でまた国民をだまそうとするに違いない。また都民ファーストへの懐柔や変節もあるかもしれない。今こそさらに野党共闘・市民共闘の輪を拡げていこう。



資料

ABE IS OVER

〜たたかうあるみさんのブログより


 浪速の歌う巨人、パギやんこと趙博さんが「ABE IS OVER」という歌を歌っている…これがYou Tubeにアップされているので、紹介したい。

ABE IS OVER 遅すぎたけど
終わりにしよう 切がないから
ABE IS OVER 訳などないよ
唯一つだけ 日本のため
ABE IS OVER 悪い過ちと
笑っていえる 時が来るから
ABE IS OVER 泣くな無様だろ
憲法のことは 早く忘れて

私はあんたを 忘れはしない
誰に替わっても 忘れはしない
きっと最後のファシストと刻むから

ABE IS OVER 私はあんたの
トドメを刺すよ ぐっと心に
ABE IS OVER  最後に1つ
国民騙しちゃ いけないよ

下手な答弁で 誤魔化さないで
本当のことを 早く喋って
きっとあんたにお似合いの墓がある

ABE IS OVER 嬉しいよ
早く出てって 振り向かないで
ABE IS OVER サヨナラしてね
ABE IS OVER !


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