研究誌 「アジア新時代と日本」

第165号 2017/3/10



■ ■ 目 次 ■ ■

編集部より

主張 日本の国益第一を考える

議論 沖縄か、アメリカか、どちらの利益が日本の国益か

議論 グローバル化と自国第一主義

寄稿 キャンドル革命第一段階勝利!

転載 拝啓・民進党の蓮舫さん

詩 ニッポンは?




 

編集部より

小川淳


日本を東芝の二の舞にさせてはならない
 東日本大震災から6回目の3・11を迎えた。遅々として進まない福島の復興は、一度放射能に汚染された大地と人々の生活をもとに取り戻すことがいかに難しいかを、そして福島の原発事故が終息にほど遠く、いまなお「進行中」であることを物語っている。
 東京電力福島第一原発事故の損害賠償費は7、9兆円。そのうち5、5兆円は「一般負担金」として東電以外の電力会社が、家庭料金に上乗せして回収しているという。関西電力で言えば、1世帯当たり年間1211円というからびっくりだ。「絶対に事故は起こさない」と言っていた原発が取り返しのつかない事故を起こし、事故を起こした東電が全額負担すべき賠償費用を、知らぬ間に電気料金に上乗せられて私たちが支払わされている。まるで詐欺ではないか。
 3・11以前から、原発が「時代の最先端」の技術であるとされた時代はとうに終わっていた。3・11原発事故は、すでに時代遅れの原発事業への文字通り「とどめの一撃」となった。原発が停止しても電力供給になんの支障もなかったし、3・11後、原発に代わって世界におけるエネルギーの主役は太陽光など再生エネルギーに移っており、その普及は加速的に増えている。原発の発電費用が最も安いという推進派の論理も、福島の事故処理費用が21兆円を超え、廃炉費用や最終処分場問題などを考慮するならとうに破綻している。民意の圧倒的部分も原発にNOを突き付けている。このような原発を日本の国策として推進する理由など何一つない。
 原発の東芝が巨大損失に揺れている。追い詰められた東芝は原子力発電子会社のウエスチングハウス(WH)社の保有株を売却して連結子会社から切り離し、WH社の巨額損失の穴埋めに「虎の子」の半導体事業を売却せざるを得なくなった。WH社に破産法が適用されるなら東芝の損失は1兆円に膨らむ。「世界の原発建設を担うと決めてしまい、引くに引けなかったのだろう。まっとうな経営センスを持っていたら、福島の事故以降はやめる」(東芝の原発部門OB)。撤退時期を誤り、追加投資を注ぎ込んで破綻寸前に追い込まれた東芝。福島原発事故に懲りず民意に反して原発推進を掲げる安倍政権。破綻寸前の東芝は日本の未来を暗示していないか。
 民進党の蓮舫代表が「2030年原発ゼロ」方針について、3月12日の党大会での表明を断念した。脱原発を求める民意よりも支持母体の連合に配慮した結果だ。日本を東芝の二の舞にさせてはならない。政治家にはその責任がある。



主張

日本の国益第一を考える

編集部


■今なぜ「国益」なのか?
 トランプ政権による「アメリカ・ファースト(米国の国益第一)」の政治が始まった。TPPからの離脱、大手自動車会社工場海外移転への大統領直々の反対、メキシコとの国境沿いの壁建設とその費用負担請求、中東・アフリカ7ヶ国からの入国禁止措置、等々、「米国の国益第一」を掲げての「トランプ政治」は、これまでの「グローバリズム政治」とことごとく食い違い、連日物議の連続だ。「国」を単位に、「国益」第一に政治をするのか、「国」を否定し、「国益」軽視の政治を行うのか、その違いがどれほど大きいのかがそこによく示されていると思う。
 そうした中、先の安倍・トランプ会談を契機に開かれた「日米新時代」。この新しい時代を開くに当たり安倍首相は、「強い米国は日本の利益だ」と、米国に51兆円の投資と70万人の雇用創出を約束する日米経済協力案を「手土産」にした。当然のことながら、首相側近の間からさえ湧き上がる「擦り寄り過ぎ」「朝貢外交」「難民や移民締め出しへの批判はしないのか」、等々の異議、批判の数々。だが、それに対し安倍首相は言ったものだ。「トランプ氏に文句を言っても自己満足にしかならず、日本にとっては何の得にもならない」と。
 こうした安倍首相の言動には、「国益」についての二つの思想が込められていると思う。一つは、日本の国益が、覇権国家、米国の強さの下でのみ守られ保障されるという思想であり、もう一つは、国益とはどこまでも実利だという思想だ。
 これは、「日米新時代」がどういう時代であり、そこにおける日本のあり方がどういうものになるのかを決定づける思想ではないかと思う。だからこそ、この「国益」に関する思想を看過することはできない。今、「国益」を問題にするのは、何よりもそのためだと言うことができる。

■「国益」とは何か?今、それを突き詰める時
 これまで「国益」は、往々にして、政治の口実、道具にされてきた。すなわち、「国益」を実現するために政治が行われてきたと言うより、一部支配層による政治を実現するために、その口実、道具として「国益」が使われてきた。
 「日米同盟」や「安保」など、政府が提唱した政治の目的や体制、政策が「国益」とされ、全国民的な論議も検討も十分に講じられないまま、それが暗黙のうちに、政治の前提とされ、異論はタブーとされて、押しつけられてきた。そうした中、少なからぬ人々、とりわけ進歩的な人士の間に、「国益」に対し、違和感や反発を覚える空気が生まれたのは当然だったと言うことができる。
 だが今、われわれの眼前に繰り広げられているのは、もはやグローバリズムの政治ではない。自国の国益第一の政治だ。政治の基準も手法も、いつの間にかすり替えられてきている。この無節操の極みを行く安倍自民政治を前にして、われわれは、「国益論争」を避けるべきではないと思う。安倍首相の言う「国益」は本当に日本の国益か、真の国益は何か、「論争」をむしろ受けて立ち、うち負かすことこそが問われていると思う。
 そこで問題とすべきは、何よりも、日本の「国益」を「強い米国」を支えるところに求めるという考えだと思う。これは果たして正しいのか。安倍政権による日米経済協力は、間違いなく、「51兆円のインフラ投資、70万人の雇用創出」に止まらない。トヨタやソフトバンクが先鞭をつけた大企業による米国への投資を奨励督促しその道をさらに広げるものとなるだろう。一方、アベノミクスがつくった至れり尽くせりの外資活動条件をさらに完成させ、外資による日本経済、地方・地域経済活性化の促進を図るようになるのはほぼ間違いない。それが日本経済を「強い米国経済づくり」に動員し、そこに組み込むものとなるのは、容易に推測できる。
 もう一つは、軍事の「一体化」だ。こちらの方は、一昨年の安保法制化で、日米共同戦争体制がすでに基本的にできあがっている。残るは、防衛費倍増、9条改憲、そして日本が矢面に立っての米軍に代わる代理戦争の開始だけだ。この間、朝鮮敵視が煽り立てられ、「敵(ミサイル)基地攻撃」が公然と叫ばれるようになっているのは、決して看過してはならないことだと思う。
 いずれにしても「強い米国」に基づく米覇権の再構築、そのための日本の経済・軍事力の動員はすでに「規定の路線」にされている。あのトランプによる安倍に対する最上のもてなしと「19秒間の握手」は決してただではなかったのだ。
 「国益」を実利と見る見方は、覇権あっての「国益」と見る見方と一体だ。安倍首相は、トランプ大統領の移民・難民政策を不問に付しながら、それに「文句を言っても、何の得にもならない」ともっぱら実利をとる姿勢を強調した。そこに安倍国益観が示されていると思う。それは、自国第一主義の時代をイデオロギー対立ならぬ国家エゴ対立の時代と見ながら、エゴとエゴとの国家間対立抗争の中、自国のエゴとしての「国益」を「国家エゴのチャンピオン」米国の覇権の下に守り実現しようという考え方につながっている。
 この安倍首相の国益観は、今欧州などで生まれてきている自国第一主義の国益観とは明らかに違っている。後者のそれは、基本はEUなど国家の上に君臨する覇権に抗し、それを打破しそこから脱して守る国益観であり、実利とかエゴとか言うより、自主独立の国権としての国益観だ。

■今問われる。何が日本の国益か?
 自主独立、国の権利としての国益は、政治を行う上での口実や道具としての「国益」ではない。それは、政治によって実現されるべき国民の意思、要求としての国益だ。トランプ大統領の言う「アメリカ・ファースト」の「国益」も、確かに当初、ラストベルト地帯の労働者など、米国民の意思と要求としての「国益」の性格を少なからず持っていたのではないかと思う。しかし、今、それは米支配層の覇権へのエゴを反映したものへの傾斜を強め、全面的に変質してきているように見える。安倍首相の「国益」は、まさにそれに従ったものになっているのではないだろうか。
 今、われわれが考えるべきは、1%ではなく99%、絶対多数国民大衆の意思と要求であり、それに基づきそれを反映した「国益」だ。だが、それが難しい。何が国民の意思、要求なのか。そもそも、「国民」などという抽象的存在自体実在するのか。あるのは、具体的な一人一人ではないのか。だが、一方、人間が一人では生きられず、集団をなし、その集団に、多かれ少なかれ、共通した意思や要求があるのも事実だ。
 しかし、その99%に共通する意思や要求、すなわち民意がどこにあるか見つけ出すのは容易ではない。だがそれは、必ずあるはずだし、見つけ出すことができるはずだ。
 そのためには、皆でともに行う運動、平和や安全、繁栄などを求める議論や闘いが決定的なのではないか。そこにこそ、米軍基地反対など長期にわたる闘いに基づいた「オール沖縄」の形成、等々に見られるような、民意の形成が可能なのではないだろうか。
 こうした見地に立ったとき、今、防衛問題や平和問題などに関わる国益問題について若干の問題提起ができるのではないかと思う。
 周知のように、防衛や平和の問題と関連して、日本における闘いは、憲法や安保をめぐる闘いを軸としながら長期にわたり推し進められて来た。
 70有余年前、第二次大戦という有史以来の大惨劇を経験した日本にあって、戦争と平和の問題に勝る大問題はない。自衛戦争まで含めあらゆる戦争を放棄し、そのための戦力保持、交戦権を否認した憲法9条がいまだ大半の日本人の支持を受けている理由はまさにそこにある。一方、国の防衛を否定する人がいないのも事実だ。多くの人々が自衛隊の存在を認め、日米安保の役割を否定しないのも、そのためだと思う。
 この一見相矛盾する二大問題を抱えながら、日本国民は、この問題と関連する統一した共通の「国益」観を持てないままに来たと言うことができる。しかし、それももう限界に来ているのではないだろうか。日米軍事一体化による戦争の危機が朝鮮問題をめぐって、決定的段階に入ってきている。
 今こそ、平和と防衛、国民の二大要求にともに応える真の「国益」は何か見つけ出すことが問われていると思う。それと同時に、もう一つ、問題はこう提起されているのではないだろうか。「朝鮮との敵対か友好か、どちらが日本の国益か」と。
 日本の命運を分ける焦眉の諸問題が、こうして国益問題に帰着するのは偶然ではない。何を「国益」として第一にするのか、国民的大議論が生まれることが切実に待たれていると思う。



議論

沖縄か、アメリカか、どちらの利益が日本の国益か

東屋浩


■新たな段階に入った辺野古基地問題
 2月6日、政府は突然、沖縄辺野古基地の海上工事着手を強行した。これまでは陸上部にとどまっていたが、海上と護岸工事の開始は現状復帰が困難となるだけでなく、新基地建設の本格化を意味する。
 安倍政権が強行策にでたのは、数日前に来日したマティス米国防長官が辺野古基地建設を督促したことと、数日後にトランプ大統領との最初の日米首脳会談があったからだ、と私は思う。
 辺野古基地問題は新たな段階に入った。
 沖縄基地問題は、本質的にはアメリカの主権侵害であり、日本の独立と関わる問題だ。それは沖縄が、サンフランシスコ条約でアメリカの国連信託統治に委ねるということから始まっていることを見てもそうだ。72年本土復帰後も何も変わらなかった。米軍基地の存在の根拠としてある安保条約が、日本の憲法の上にあり主権侵害する元凶だからにほかならない。沖縄から見れば、45年の占領体制と何の変わりもない。
 72年以降、沖縄における米軍基地は、日米間の安保条約にもとづくものとして、沖縄県市町村と国側との交渉、争いとして処理されてきた。沖縄県が米軍に基地縮小を申し入れても、日本政府に言ってくれと門前払いが繰り返えされてきた。
 沖縄県民は長年の基地撤去の闘いの末、基地撤去ないし移転への県知事以下オール沖縄の民意を確立した。それは沖縄のアイデンティティに根ざし自己決定権を主張するという画期的な出来事だった。自己決定権は沖縄のことは沖縄県民が決定するという主権者としての権利だといえる。
 辺野古基地建設は単に普天間基地の移転ではなく新たな基地建設として、基地撤去、移転の民意に逆行するものとして県民は自己決定権を掲げこぞって反対闘争を展開してきた。
 米軍基地撤去問題は、沖縄県の自己決定権と国の決定(国益)に従うべきということの対立として争われてきた。県の自己決定権を尊重しない国の決定、国益というものがあるはずがない。
 にもかかわらず、安倍政権が裁判にもちこみ、国の決定に県が従うべきという判決が下りたが、沖縄県民の民意を否定する判決ゆえに、沖縄県民が受け入れるはずがなく、膠着状態にあった。
 今回の政府側の強行策は、これまでのように国側が沖縄県民の意思を踏みにじるというだけでない。安倍政権は「強いアメリカが日本の利益」(安倍首相)という観点から、アメリカの意図を日本政府が執行していく立場を鮮明にした。それにもとづく辺野古基地建設の強行である。もはや、基地撤去問題が形式的にも県と国との対立問題ではなくなり、国が沖縄県民の利益を尊重するのか、アメリカの利益に従うのかという日本の国益をめぐる問題になったと言える。

■沖縄の利益こそが日本の国益だ
 安倍政権は露骨なまでに沖縄の利益よりもアメリカの利益優先だ。それが安倍政権にとっての「国益」と言うことか。
 しかし日本には日本の国益がある。日本の国益は国民の幸福であり平和であり、それを保障する国の自主独立だ。もしアメリカの利益がすなわち日本の国益であると言うのであれば、日本は国ではなくアメリカの属州になるというのに等しいことではないだろうか。
 沖縄県民の自己決定権を尊重、保障することが国の役割であり、沖縄県民の意思を実現していくことが、国民の幸福と平和、国の自主独立のための日本にとってもっとも中心の問題だと思う。
 10日の日米首脳会談では、朝鮮にたいする軍事的圧力をいっそう強める方針を打ち出し、現在、史上最大規模の米韓軍事演習がおこなわれている。これに対し、朝鮮は在日米軍基地を標的とするミサイル部隊の発射訓練を行い、朝鮮半島をめぐる緊張がさらに高まっている。
 日本政府・与党内では自衛隊のミサイル基地にたいする先制攻撃論が高まっている。政府は自衛権の行使として朝鮮のミサイル基地攻撃を云々しているが、それは米軍基地を守るための行為だ。
 米軍基地のために日本があるのか? もし朝鮮との戦争が勃発すれば、日本もその戦禍の犠牲となる。核戦争になればもちろん、核戦争とならなくとも、日本が壊滅するのは明らかだと思う。こうしたことが本当に日本の国益なのだろうか。
 沖縄県民の基地撤去、移転の民意を尊重することこそが、日本の国益であると思う。


 
議論

グローバル化と自国第一主義

永沼博


 今、米国や欧州で、自国第一主義が勢いを増す中で、リベラルな人たちが反対の声をあげている。
確かに、自国第一主義はネオナチや白人優越主義を連想させ、彼らの気持ちも理解できる。
 しかし、自国第一主義を支持する人たちは、それが反グローバリズムだからであり、決して白人優越主義やネオナチ的な排外主義、差別主義として支持しているわけではない。
 それは米国のトランプ現象や英国のEU離脱を見ても明らかである。
 トランプ現象を引き起こしたラストベルト地帯の惨状。街にはさび付いた工場の残骸が広がり、職もない。そうした絶望感から自殺やアルコール、麻薬依存の「緩慢な自殺」の増加によって白人中年層の寿命が低下しているという現実。こうした絶望的な状況をもたらしたものはグローバリズムであることを人々ははっきり認識している。
 トランプ支持者の多くが言う言葉、「トランプに問題があるというのは分かっている。しかしトランプしかいないじゃないか」。その言葉の中に、彼らの排外主義や差別主義ではなく、グローバリズムをこそ敵視し、それを何とか変えたいという切迫した思いを読みとらねばならないと思う。
 今日の民意の求めている自国第一主義は、徹頭徹尾、反グローバリズムの自国第一主義なのである。
 そして、それはリベラルな人々にも共通する全国民的な民意ではないだろうか。
 そのことは米国大統領選において99%のための政治を掲げ、「もう一つの旋風」を生んだサンダース現象を見ても、あるいは欧州で格差拡大やEUの緊縮策強要に反対し「新しい民主主義」を模索するスペインのポデモスなどの運動を見ても容易に分かることである。
 それにも拘わらず、リベラルな人たちが自国第一主義に対して批判的になる要因の一つに、「国境に壁を」ということなどをもって、自国第一主義が、排外主義でグローバル化に反対していると思っているのではないかということがある。

■グローバル化とグローバリズムは違う
 グローバル化とは、通信技術や移動手段の発展によって、モノ、人、カネ、そして情報が国境を越えて往来し人々の関係が地球的範囲で緊密になったという状況を指す言葉である。
 一方、グローバリズムは、70年代の米国で、多国籍化した巨大独占とその代弁者が唱えだしたものだ。それは、「もはや国とか民族にこだわる時代ではない。これからは地球的視野で考えるべきだ」と言いつつ、人々の生活単位としての国を否定し、多国籍化した巨大独占が他国に自由に入り込んで富を吸い上げるための論理であった。そして、そうした巨大独占を擁する米国が覇権国家として他国を支配従属させる米国覇権秩序を形成する論理でもあった。
 すなわちグローバリズムの本質は、「国を否定し、他国の自主権を否定する」ところにある。
 もちろん一般的にはグローバリズムとグローバル化は同義語のように使われる。しかし国を否定することで侵略と略奪を行う支配様式であるグローバリズムの本質をしっかり捉えるためには、これを明確に区別する必要があると思う。
 とくにリベラルな人たちは、移動の自由や国際的な連携、多様性の容認などの価値観を強く持っている。それは正しい価値観でありグローバル化の発展と共にますます強まる。
 グローバル化の発展は、各国が互いの自主権を尊重し、協力関係を一層深めることを求める。国を否定し国境をなくすグローバリズムでは世界の二極化をもたらすだけで世界の発展を阻害する。
まさに国際主義、インターナショナル、これこそが反グローバリズムでありながらグローバル化を発展させる自国第一主義の国際関係だと思う。
 EUでも、これまでの主権制限論を弱め、主権行使を容認しようという考え方が強まっている。
 日本もグローバリズムの結果、産業の空洞化、経済の疲弊、格差拡大、貧困化が進み、反グローバリズムの気運が高まっている。
 こうした中、マスコミなどの「分断」を煽るかのような報道ぶり。自国第一主義は反グローバリズムなのであって、グローバル化に反対するものではない。それ故、リベラルの人々と自国第一主義の人々は、元来対立するものではない。



寄稿

キャンドル革命第一段階勝利!

平和好


■韓国民衆に最大限の敬意を
 3月10日、韓国憲法裁判所は8人の判事全員が一致して朴槿恵大統領弾劾・罷免の決定を行った。この弾劾は韓国民衆の勝利である。まず、国会での弾劾決議が大差で可決されたことに、第一の関門があった。野党が選挙で多数を占めているもののそれだけでは弾劾決議成立要件の3分の2に足りなかった。そこで発議しても無理ではないかとの弱気の意見も野党にあったほどだ。しかし、それに圧力をかけ続けたのがキャンドルデモだ。毎週、集会・デモを続けるうちに参加人数が何倍増で膨れ上がっていった。これを無視するのはまずい。野党の中で日和見主義傾向のある議員もだんだんそう思うようになった。次は朴槿恵与党の議員が焦点となった。与党が団結してこれに当たれば否決する可能性もあった。しかし崔順実というカルトシャーマンに操られていた実情や、セウォル号沈没事件への無策が露見するに至って与党議員も心が離れて行った。
 その末に国会では誰もが驚く大差で弾劾訴追が決議されたのである。

■朴槿恵前大統領の実像
 穏やかそうな微笑、ちょっと美人のおば様は一見民主主義の顔をしていた。しかし就任後やったことはひどかった。労働組合を弾圧し、全教組を非合法化し、各労組の指導者多数を投獄したり、野党議員をでっちあげの罪に陥れて、議員の身分をはく奪し、重刑に処するなど、父親・朴正煕ばりの苛烈な政治手法も大きな批判を浴びた。いや、大統領就任早々、統合進歩党を解散させ、5人の議員を丸ごと失職させた挙句、李石基議員を懲役9年の刑に処するような暴政はあの世にいる父・朴正煕氏も驚いているだろう。父親の非業の死を全然教訓化しなかったからだ。放水を受けて猛烈な水圧で吹き飛ばされて亡くなったデモ参加者の事も大統領への憤激を呼ぶ事となった。また忠誠を誓う自分の腹心だけを優遇することで与党内にも反発が広がった。圧政と暴虐を欲しいままにした挙句、側近のKCIA部長に宴会の席で射殺された父親と共通するものがある。付言すると崔順実の父親もシャーマンで大統領府への介入を深めていたが、その不正をKCIA・金戴圭部長が進言したときに若き日の朴槿恵が泣きわめいて阻止しようとした。不興を買った金部長に朴正煕大統領がつらく当たり、敵意を募らせた挙句に凶行に及んだというから、運命は皮肉だ。
 外交の面でも訪中するかと思えば、THAADミサイル配備を強行して中国・ロシアを怒らせ、朝鮮政策でも北進軍事演習を年々強化して「指導者暗殺」部隊まで作る本性をあらわにして南北対立を激化させた。国家暴力と政治的無能と定見の無さを存分に発揮した末に「崔順実ゲート」事件で相応の結末になったと言える。

■勇気ある憲法裁判所
 実はこの裁判官らにかけられた圧力は想像を絶する。弾劾妥当決定などしたら命はないぞと脅す勢力が70年間、韓国に存在する。梁石日氏の小説「Z」冒頭、後ろ手に縛られ椅子に座らされた民主活動家を国軍幹部がナイフで脅し、自白を拒否したら首を刺して次々殺す場面、在日韓国人政治犯が書いた小説での獄中の暴行・抹殺場面などは事実なのだ。
 しかもこの憲法裁判所は3年前、統合進歩党強制解散をおこなった。その超反動裁判官達が圧力をはねのけ、民意に従う「罷免決定」をした意義は特大だ。平和的百万人デモで、「裏切ったら承知しないぞ」と迫った韓国民衆に大きな拍手を送りたい。わずか半年前には想像もできなかった事態が民衆の努力で引き起こされた。異郷における朝鮮公民の不幸を弾劾阻止に利用しようと企む勢力がいた事が容易に見れるが、そういう大細工・小細工をはねのけて、緊張のあまりヘアカーラーを巻いたまま出廷し「大統領を『罷免』したキュートな女性裁判官から百万人デモ参加者にいたるまで、韓国民衆に最大の敬意を贈るとともに、わが日本もしっかりしなければならないという思いでいっぱいである。
 韓国から来日した青年に昨年「パククネ テジン(朴槿恵退陣!)」と声をかけたら「アベド テジン(安倍も退陣)」と言い返されてしまった。がんばろう!5月には自主の国作りのできる大統領で韓国が再出発できるよう、日本からもエールを送ろう。



転載

拝啓・民進党の蓮舫さん

本澤二郎の「日本の風景」より
2017年3月13日記(政治評論家・日本記者クラブ会員)


<原発ゼロ政策は民意・天の声>
 3月12日の民進党大会で、筆者が誉めたことのない蓮舫代表が、原発ゼロ政策を推進すると公約した。これは全く正しい。民意・天の声でもある。必ずや道が開けてくる。ただし、これを一人でやろうとしないで、野党の統一公約として、自公と対決するのである。

<健全な連合執行部づくり目指せ!>
 外野席から見ていて感じることは、昨年秋の「戦争法」に対抗した時のような雰囲気が、今の民進党から消えてしまったことだ。これでは3分の2の議席に対抗することは不可能である。
 4党を束ねる、そのためには他党に対して、三顧の礼を尽くさねばならない。他党には、諸葛孔明のような人材が多く眠っている。彼らの知恵を借りればいい。
 できれば、足元の嘘つきを、要所からはずすことも大事であろう。そして支持母体の連合に対して、この危機的な日本の厳しい事態を考慮すれば、手を突っ込んで、改革のエネルギーのある勢力と提携して、執行部の衣替えを実現するのである。財閥の犬同然の執行部と渡り合っても、時間の浪費である。
 かつての総評に戻すことは土台、無理なことだが、平均的日本人と同じレベルの価値観のある組合リーダーを、執行部に輩出すればいいだけのことである。日本国憲法を擁護する、健全な労組の連合体にするのである。そのためのチームを党内に結成して、当たるのである。

<無党派こそが政変の鍵を握る>
 かつて土井たか子が社会党委員長時代、山を動かしたことがある。その原動力は、無党派層であった。無党派を動かしてこそ、政変は起こる。
 原発ゼロは、その有力な武器となろう。連合右派の執行部など相手にしている時間もない。福島東電3号機の東芝原発は、核爆発を起こしている。一番危険な中性子が放出している。これに東芝の道義的責任は免れない。反省と謝罪を求め、真相を明らかにさせる責任もある。
 原発ゼロ政策には、東北から首都圏の無党派層は、鋭く共鳴することになろう。小泉純一郎の呼びかけは、まともである。無党派が政変のカギを握っている。このことを、常に肝に銘じて置く必要があろう。

<安倍スキャンダルの徹底追及>
 正直に言うと、無党派の最大の弱点と強みは、政治スキャンダルに異常な関心を示す点である。民衆は正義を好み、不正義に怒り出すものだ。いまの安倍スキャンダル、国有地払下げ事件の発覚で、追い詰められてる心臓は止まりそうになっている。
 籠池・国会招致から安倍妻の招致、さらに国会での喚問である。多くの国民は「安倍の犯罪」と受け止めている。大胆不敵な手口から、間違いのないところだろう。
 安倍スキャンダル追及こそが、野党に好機を与えてくれている。

<野党の連携で体当たりが良策>
 これを野党バラバラの追及を止めて、野党が結束して体当たりするのである。晋三の嘘の答弁に対して、堂々と審議を止めて、国民に晋三の悪辣さを見せるのである。
 解散を受けるのではなく、解散に追い込む野党の大将となれ、といいたい。ジャンヌダルクになればいい。週末は追及集会を全国で開催すればいい。

<ソウルを視察しなさい>
 韓国の今回の政変劇は、これが民主政治であることを内外に示した。近いのだから、視察するといい。いい勉強になるだろう。極右政権をこれ以上、のさばらせる必要はない。
 このままでは大変なことになるのだから。

       


ニッポンは?

金子恵美子


ペラペラペラ 薄っぺらな言葉
美しいニッポン 一億総活躍ニッポン
全ての女性 輝くニッポン
どこにある?

アルアルアル あそこにある
教育勅語 ガンバレ安倍首相
昭恵夫人 涙するニッポン
安倍首相 ほほ笑むニッポン

ペラペラペラ うすっぺらな言葉
美しいニッポン 一億総活躍ニッポン
全ての女性輝くニッポン
どこにある?

アルアルアル あそこにアル
日本人の芯をつくる学園
剣を片手に勇ましい日本男児
健気におにぎり渡すなでしこ女児
昭恵夫人 涙する ニッポン
安倍首相 取り戻したい ニッポン

「家庭内野党」どこ行った
同床同夢 夫唱婦随

誰が決めた? 誰が許可した?
  誰も分からない 無責任ニッポン

美しいニッポン
総活躍ニッポン
全ての女性 輝くニッポン
言葉で実相は覆えない
その薄っぺらな言葉の膜はすでに
あっちでもこっちでも
ほころび始めている
それはそうだ
言葉で事が運ぶならこんなたやすいことはない
一番のペテン師が権力の座に居続けられる
実態の伴わない言葉の効力は続かない
言葉に騙されるのはもう終わりにしよう
自分の頭で考え実相をしっかり見極めよう
二度と同じ過ちを繰り返さないために

ニッポンは美しいですか
総活躍していますか
全ての女性が輝けそうですか
原発はアンダーコントロールされていますか
平和ですか
民主的ですか
安全ですか
未来がみえますか
幸せですか


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