研究誌 「アジア新時代と日本」

第164号 2017/2/10



■ ■ 目 次 ■ ■

編集部より

主張 「トランプ時代」と日本の国益

議論 誰が「分断の時代」を作り出しているのか

報告 泥さんの講演会、すごく勉強になりました

投稿 上原公子・元国立市長 支援基金運動

資料 「社説」民意踏みにじる愚論だ




 

編集部より

小川淳


 憲法9条と自衛
 アジア新時代主催の「憲法9条を堅持すれば国を守れる」と題した元自衛官、泥憲和さんの勉強会(1月28日)は、質疑を深めることができ有意義なものとなった。(詳しくは6P参照)。
 「憲法9条を堅持すれば国を守れる」というテーマはかなり大胆なものと自認している。それは何よりも「憲法9条では国は守れない」という右派(国会の3分の2を占める改憲派)に対するアンチテーゼであると同時に、「自衛権も自衛戦争も認められない」という左派・護憲派に対するアンチテーゼでもあるからだ。
 「憲法9条を堅持すれば国を守れる」というテーマには二つの考え方がふくまれている。自衛隊の存在を認め、国防の重要性を認める。同時に憲法9条こそ平和国家、日本の要であるという二つの考え方だ。元来、この二つは矛盾するものと捉えられてきた。改憲派は自衛隊は認めても憲法を認めず、護憲派は護憲の立場から自衛権と自衛隊の存在意を認めてこなかった。自衛権と憲法は矛盾しない、という泥さんのような考え方は、自衛隊を認める人たちの中においてもまだまだ少数派なのだ。アジア新時代は、この泥さんの考えと(今の自衛隊を容認はできないが)ほぼ同じ地平に立っている。その意味では、私たちもまた、護憲派の中での少数派である。
 しかし、このような考え方は、市井の人々の中ではきわめて「常識」に近いものだ。憲法9条の平和主義は絶対に守るべきだし、国の防衛力も必要であり、侵略に対しては自衛戦争も許される、それが大多数の人々の考え方であって、憲法と自衛隊の存在の間に何も矛盾はない。国民の間では「憲法9条を堅持すれば国は守れる」という考え方は普通な考え方であり、多数派なのである。
 私たちの問題意識は、改憲派が国会の3分の2を占めるという危機的な状況の中で、国防や自衛権論争を避け、「憲法9条では国は守れない」という改憲派の議論に対して、「憲法でこそ国を守れる」ということを声を大にして言わない限り負けてしまうのではないか、ということだ。彼らは、中国や朝鮮の脅威を唱え、いまや集団的自衛権が容認され9条改憲が目論まれている。この壊憲的状況に護憲派はどう切り込んでいくのか。
 護憲派の中にも自衛権も自衛戦争も認める人からあらゆる戦争はしないという人まで様々な立場の人がいる。昨年の8月には「デモクラテレビ」の討論番組でジャーナリストの今井一さんが「自衛戦争の可否を論ぜよ」と問題提起し論争になったというのも一例だ。改憲との闘いに、「9条と自衛」は避けては通れない。



主張

「トランプ時代」と日本の国益

編集部


かつてない喧噪の中、「トランプ時代」の幕が上がった。日本にとってこの「時代」は何を意味しているのか。そこでどう闘うことが求められているのか。

■グローバリズムの終焉と「トランプ時代」
 トランプは、その大統領就任演説で今回の政権交代がこれまでのそれとは違うことを強調した。「就任」後の事態の進展は、それが単なる「言葉」ではなかったことを物語っている。
 矢継ぎ早に出される「大統領令」。世界を右往左往させる毎朝の「つぶやき」。その仕事ぶりだけではない。問題は、その内容だ。「まさか本当にやりはしないだろう」と思われていた公約が次々に実行に移されて行っている。TPPからの離脱。自動車会社の工場海外移転への大統領自身による公開反対。メキシコとの国境沿いの壁構築とその費用のメキシコへの請求。それへの拒否に対する「20%関税課徴」攻撃。中東七カ国の人々への入国禁止令。等々。すべて、異例ずくめだ。
 そこには明らかに、政治のあり方自体の原理的な違いがある。それは、「グローバリズム」から「ファースト」への転換と言えるものだ。
 なぜそのような転換が生まれたのか。それは、トランプ政権誕生の要因を見れば、何も不思議ではない。米国民の多くが政治の「変化」を求めたこと。トランプがそれに「反グローバリズム・米国ファースト」を掲げ応えたこと。誰が見ても明らかなこのトランプ勝利の要因に転換の理由が示されている。
 だが、理由はどうやらそれだけではなさそうだ。それだけでは、選挙戦最終盤、FBI長官がヒラリーのメール問題などをなぜ持ち出したのか説明がつかない。そこでもう一つあるのは、「勝利」の要因に、米支配層主流もまた「変化」を求めたということがあったのではないかということだ。
 今日、全世界のグローバル化の進行の中、米国は急速に国として衰退、崩壊してきている。かつて隆盛を誇った産業は、安い賃金を求め先を競って海外に移転、流出し、国内はさびれ空洞化するにまかされている。その下で、米国の象徴だった豊かなミドル層が音を立てて没落し、格差と貧困が全社会を覆っている。さらには、イラクやアフガンなど、国境も大義もないグローバル反テロ戦争の泥沼の中、米軍は、何よりも精神的に衰弱し、戦闘力を失ってきている。
 米国の崩壊、それは米覇権力の崩壊に他ならない。国を否定するグローバリズムにより、世界中の国という国をすべて崩壊させて、世界支配を達成しようと目論んだ米支配層は、それによって何よりも、その支配の拠点であり武器である米国そのものの崩壊の危機に直面するようになった。
 「米国ファースト」を求めたのは、米国民だけではなかった。いや、それにも増して、支配層にとって一層切迫した要求になっていたのではないのか。グローバリズムの終焉と「トランプ時代」の幕開け、この時代的転換に対処するに当たり、この認識が決定的に重要ではないかと思う。

■安倍・トランプ会談の意味
 新しい時代の日米首脳会談、安倍・トランプ会談に対し安倍首相はどう臨もうとしたか。「日米同盟がゆるぎないことを世界に示す」。これが事に当たっての「決意」だった。この間、「米軍撤退」や「円安批判」など、トランプによる対日揺さぶりや攻撃を受けてきた日本の首相としては、まずこのことが最重要課題になったのかも知れない。
 しかし、この「課題」について言えば、もうすでに米国の方から進んで遂行してきてくれているのではないか。米新閣僚として、国防長官マティスが、最初の外遊先として日本を、しかも就任後2週間という異例の早さで選んだこと。先の参院予算委員会で、トランプ外交の指南役、キッシンジャーと親しく懇談して帰国した自民党参院議員、片山さつきの「首脳会談で日米が協力して成長するための対話を提言してはどうか」との質問に積極的に応じた首相答弁が広く報道されてからわずか3日後、「向こう10年間で51兆円インフラ投資、70万人雇用創出」を骨子とする首脳会談に向けた「日米経済協力案」が発表されたこと。さらには、今回の首脳会談が、大統領専用機でのフロリダ・トランプ別荘への招待など、最上級待遇で準備されていること。等々は、そのことを雄弁に物語っているように思われる。
 その狙いは、日本の経済、軍事力を「強い米国」づくりに徹底的に動員するということ以外にはあり得ない。おそらく米側から要望されたのであろう「経済協力案」は,その一端に過ぎないと思う。

■自国第一主義の時代における覇権のあり方
 トランプの大統領就任演説は、識者たちの間で、おしなべて不評だった。理由は、演説が「自由」や「市場原理」など、「普遍的価値観」への言及が全くない、「内向き」なものだったことにある。
 だが、果たしてそうか。「演説」には重要な外交原理が唱われていたのではないか。「すべての国々が自己の国益を第一に考える権利がある」「私たちは米国の生き方を誰にも無理強いしようとはしない」は、これまで「普遍的価値観」を他国に押し付けてきたグローバル外交には絶えてなかった新しい外交原理ではないのか。
 問題は、各国がそれぞれ第一とする国益が相容れず衝突した時、どうするのかということだ。それについてトランプは、自らの実際の政治で示して見せた。メキシコとの国境の壁問題だ。壁の建設費を出すのか、それとも20%関税を払うのか、どちらが国益かと迫り、それをメキシコ自身の選択に委ねたということだ。
 これは明らかに、その本質において、「演説」で言われた「自国第一主義」ではない。同じ「第一」でも、他国が自分の国の利益を第一にするのを認め尊重する「第一」ではない。自国を他国の上に置き、自国の利益を第一として他国に押し付け、それに従って生きるのを他国の利益にせざるを得なくする「第一」だ。これは、弱肉強食、覇権の論理、覇権の「自国第一主義」に他ならない。
 他の国々が覇権の下で生きるところに自国の国益を見出し、覇権国家の「ファースト」を自国の「ファースト」にするようにするためには、覇権国家の比類なき圧倒的国力が決定的になる。トランプが呼号する「偉大な米国」「強い米国」とは、まさにそのような米国ではないのか。世界経済が米国を中心に循環し、世界中の資本と頭脳が米国に吸い寄せられるような経済の発展と繁栄。世界中を震え上がらせ、手も足も出せなくする圧倒的な軍事力。トランプは、そのための経済、軍事政策をねりながら、それを補完する力として日本を当てにしているのではないのか。

■日本には日本の「ファースト」がある
 国を否定するグローバリズムの時代の終焉と自国の利益を第一にする自国第一主義の時代の到来、今日、この時代的趨勢を取り込み覇権する「トランプ政治」。この矛盾に満ちた「トランプ時代」にあって問われていること、それは、錯綜する情勢に翻弄されることなく、何が日本の国益かしっかりと見極めることではないだろうか。
 安倍政権は、「強い米国」が日本の利益だと「実利」を基準に日米一体化への道を、これまでこだわってきた「グローバリズム理念」などどこ吹く風、トランプと手を携え突き進もうとしている。
 だが、それでよいのか?世界中の国々が自国の利益を第一に国づくりをして行く今日、それを尊重し、その実現のため協力するところに自国の利益を見出すのではなく、それとは真逆に、米国こそ世界一だと、その覇権国家としての利益を世界に尊重させ、その実現のため服務するところに各国の国益もあるのだと認めさせようとする「トランプ政治」が果たして通用するだろうか?
 だが、安倍政権はそのような「政治」の片棒をもっとも親しい「同盟者」として担ぎ、「米国ファースト」を即「日本ファースト」として受け容れようとしている。それが真に日本の国益なのか?
 実際それは、大きな時代発展に完全に逆行する道であり、大多数の国々を敵に回してしまう危険性と不当性に満ちた道だと思う。確かに、金ぴかの「トランプ・アメリカ」とともに、一時的な繁栄はあるかも知れない。だがそれも、自国第一の巨大な時代的趨勢を利用して咲く歴史のあだ花に過ぎない。結局はそれが、「51兆円」どころか、日本の富という富をすべて吸い取られ、挙げ句の果ては、米系外資に逃げられてしまう道、世界の大多数の国々との国益の衝突と米国の陰謀により、先の大戦にも増した戦禍が日本にもたらされる道にならないという保証はどこにもない。
 この歴史の岐路にあって、日本には日本の「ファースト」がある。何が日本の国益か、国の総力を挙げ見極めることが問われている。



議論

誰が「分断の時代」を作り出しているのか

東屋浩


■「分断」がなぜ生まれたのか?
 今日、トランプ登場とともに、「分断の時代」という言葉がさかんに使われている。正月の新聞だけでなく、トランプ大統領就任演説に際しても「熱狂と反発 分裂の船出」(産経)、「分断 深まる国で」(朝日)などなど。そして、アメリカでの世論調査でも支持率40%と、歴代大統領の就任時ではもっとも低い。トランプ大統領反対デモや中東諸国からの入国禁止の大統領令にたいする抗議が世界に広がっている。
 トランプ支持派と反トランプ派、自国ファーストとリベラル、アメリカと世界が二つに割れた「分断の時代」かのように見える。
 「分断」は初め、イギリスのEU離脱派と残留派、アメリカ大統領選における自国ファーストのトランプ派とグローバリズムのヒラリー派で現れた。
 「分断」という言葉は、社会の二極化という意味でとらえられた。すなわち、1%と99%の対立と言うふうに。
 社会の二極化はグローバリズムによってもたらされたので、グローバリズムをめぐって反グローバリズムの自国ファースト派とグローバリズム派との対立がおこった。反グローバリズム派は、EUから脱退しブリテンファーストで行くべき、あるいは普遍的価値や世界の盟主を掲げずにアメリカファーストで進むべきと主張した。
 ここで、リベラル派は主として多様性や個人の自由などの共通性をもつグロ?バリズムと繋がったし、自国ファーストは排外的な自国優越主義を叫ぶ極右と繋がった。
 こうして、自国ファーストとグローバリズムとの対立が、自国ファーストとリベラルの対立に変化してゆき、国民の間に「分断」が広がっていった。
 そして、イギリスとアメリカにおいて自国ファースト派が勝利し、その政策(メキシコに壁を設ける、イスラム7カ国からの入国を禁止する等)を実行していくなかで、現在のようなリベラル派との対立がいっそう深まったといえる。それを右翼と左翼の対決であるかのように見る人もいる。

■「分断」によって何が生まれたのか?
 昨年以降、新聞、TV、雑誌を通じ「分断の時代」「亀裂と分裂」「分断を抱いて」など、「分断の時代」が騒がれ続けた。そのことによって自国ファースト派とリベラル派との「分断」が一層拡大していったようにみえる。
 その結果、何が起こったのか?
 まず第一に、国民大衆の分裂だ。
 たしかにメキシコとの国境に壁をもうける、イスラム7カ国からの入国を禁止するなどトランプの差別的政策は、リベラル派の人々にとって、ヒットラーがユダヤ人排斥を叫んだ記憶を思い起こさせる。実際、欧州やアメリカの自国ファーストを掲げる勢力の中には、ネオナチや白人優越主義団体も入って気勢を上げている。
 格差を生み出すグローバリズムには反対だが、排外主義的傾向には危惧を覚え、自国ファーストには到底、賛成しかねる。そうした人々が多いと思う。
 しかし重要なのは、トランプの政治的手法よりも、トランプを大統領に押し上げた民意を見ることだと思う。
 トランプを大統領に押し上げた自国ファースト支持の民衆は、グローバリズムの国家否定にたいし、国を取り戻すことを求めているということだ。政治から排除され忘れられた人々が、自分の手に国を取り戻し、ごく少数の億万長者、エリート層のための政治ではなく国民のための政治を行うことを求めているのだ。「反移民、国境に壁を」というのも、雇用を守るためであり、それは主権者としての正当な要求ではないだろうか。
 トランプ支持者の大多数は排外主義、差別主義を求めているのではない。排外主義、差別主義は極右勢力がそれに便乗しているのだ。
 両者のデモが対峙したとき、トランプ支持の人が反対派の若者に「なぜトランプに反対するのか、元来、(格差のもとにある)君たちこそ参加すべきではないか」と言っていた。
 自国ファースト支持の民衆は、グローバリズムに反対し国を取り戻そうとすることが目的であり、反トランプ派は多様性と寛容を求め差別に反対している。この二つの要求は決して対立関係にあるものではない。
 にも拘わらず、現在、排外主義をめぐって国民がファースト派とリベラル派に分裂させられている。
 第二に、問題の所在と闘うべき対象が分からなくなっていることだ。
 リベラル派は自国ファーストに反対するが、そこには覇権のためのファーストと国民のためのファーストがあるのに、それを区別しないで、あたかもファーストを支持する国民に問題があるかように見ている。「右翼ポピュリズム」という非難がそれだ。排外主義に国民が乗ってしまっていると見ている。
 一方、自国ファーストをめざす民衆は、リベラル派との対立に巻き込まれていっている。
  日本の場合、自国ファーストの勢力が明確にあるわけではなく、ファーストとリベラルの「分断」を人ごとのように見ながら、多くの人々が、トランプの自国ファーストに不安を抱いているというのが現状だと思う。
 事態は錯綜し、一体、何が問題なのか、グローバリズムが問題なのか、反グローバリズムが間違っているのか、闘うべき対象は自国ファーストなのか何なのか分からなくなっている状況だと思う。
 マスコミを動かし、民衆を分断し、何が問題なのか、闘う対象が何なのかを不明確にすることによって、もっとも利益を得ているのは誰なのか?
 それは、覇権の自国ファースト勢力である。
 グローバリズムの総本山であるアメリカとイギリスが自国ファーストに転換したということは、民衆の勝利であるとともに、一方で支配階級がグローバリズムを放棄し、「偉大なアメリカ」「ブリテンの栄光」という強い国家を看板に支配と覇権をおこなっていく路線に転換をしたということを意味していると言える。
 民衆の力によって自国ファーストが推進されていくなかにあって、支配階級の覇権のファースト勢力が力を注ぐのは、民衆の進出を押さえ、国民のためのファーストではなく覇権のためのファーストを実現していくことだ。
 「分断の時代」の真の演出者は、新たな支配者となった覇権ファーストではないだろうか。

■「分断」を乗り越えるために
 本来、利害を共にする国民大衆が、「分断」を乗り越えていくためには、まず何が問題であり、誰が闘うべき対象であるかを明確にすることだと思う。それが明らかになってこそ、共通の目標と闘う対象をもって団結することができる。
 現在の対立は、グローバリズムをめぐってではなく、ファーストをめぐっての覇権のファーストか国民のためのファーストかの対立だ。したがって、闘うべき対象は、覇権のファースト勢力だと言える。
 日本の場合、安倍政権は「アメリカを強い国にすることは日本の利益になる」(国会答弁)と述べ、アメリカファーストにたいし、それと一体となり、貢献することは日本の利益としている。その表れが、安倍首相の訪米土産として準備された70万人の雇用創出とそのために51兆円を差しだすという経済協力案だ。その財源は国民の血税と老後の蓄えである年金基金である。
 しかし、アメリカにアメリカファーストがあるように、日本には日本ファーストがあって然るべきだ。アメリカと日本は個別の国であり、歴史も発展程度も、実情も異なっている。しかし、安倍首相の口からは日本ファーストは聞かれない。この間一貫して強調しているのは「強いアメリカは日本の利益」である。なぜ、アメリカファーストが日本の利益となるのか、安倍首相の言っていることは「アメリカあっての日本」「アメリカファースト、日本セカンド」これが日本の生きる道、国益だという事だ。
 これが本当に日本の国益なのか、何が真の国益か、今が思案のしどころである。
 保守、リベラルを問わず国民大衆が一致団結して、何が日本の国益か国民の総意を集めて政策化し、そのために闘っていくことだと思う。世界からどう思われようが、国民の財産を犠牲にしようが、何があっても先ずアメリカ様の安部政権、追従政治か、今こそ脱却しなければならないと思う。


 
報告 第4回勉強会

泥さんの講演会、すごく勉強になりました

金子恵美子


 1月28日、大阪市東成区民センターというローカルな公共施設の一室で、非常に中身の濃い講演会がもたれました。
 テーマは「憲法9条を堅持すれば国を守れる」。これまで本紙において、何度となく「9条自衛論」を展開してきましたが、元自衛官である泥憲和氏の説く「憲法9条のもと国民が安心できる安全保障政策」「護憲的安全保障論」に興味を引かれ、今回のアジア新時代での勉強会となったわけです。
 事前にこちらの主旨をよく伝えられていなかった為、泥さんの講演自体は日本を巡っての安全保障環境の実態(中国、ロシア情勢)や集団的自衛権と自衛隊PKOの実情などなど、もう少し広範囲に渡るお話しとなりましたが、これはこれで、「集団的自衛権」の欺瞞性を分かる上で、多くの客観的資料に基づく、説得力のある内容で講演に引き込まれました。数年前まで人前で話すことなど考えてもいなかったとのことですが、そのお話は具体的で現実的で論理的。何よりも、日本のマスメディアには載らない中国やロシアそして米国の公開資料(英語やロシア語)を丁寧に読み込んで、常に新しい内容を補充されながら論理的に分析されている根気と努力に頭が下がりました。
 そして泥さんともっとも意見を交わしたかった「9条自衛」問題は、休憩を挟んでの後半の質疑応答の時間にかなり突っ込んだ討議をすることができました。(他のテーマでの質疑もあったのですが紙面の関係上このテーマに絞らせてもらいます)
 先ず9条と自衛権問題。憲法は自衛権を認めているのか。これに対する泥さんの見解は「憲法は体系的に整合性がとれたものでなければならない。憲法では国民の基本的人権の擁護を国に義務づけている。国民の生命や権利や財産を守ることを付託されている国が他国の侵略があった時に自衛権がないとするなら、これらを守ることができない。憲法9条が他の条項と対立関係にあることになり、背理である。9条は自衛権を否定していない」
 次に自衛するためには自衛力、即ち自衛武力が必要だが、それと9条2項の戦力不保持との関係。また自衛するには相手国との武力的衝突があるわけだが、それと交戦権否認との関係について。「<国権の発動たる戦争と武力による威嚇または武力行使は国際紛争を解決する手段としては永久にこれを放棄する>ということであり、これは歴史の教訓に基づいている。戦争と言わずに行う戦争の抜け道や自衛の名目で行われる侵略戦争の歯止めになっている。<前項の目的を達するため陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権はこれを認めない>ということは、国権の発動たる戦争や国際紛争の解決手段としての武力ということであり、自衛戦力、自衛戦争を否定したものではない」「自衛戦争は他国に攻められてから発動する受動的な対応で、緊急避難であり、国民の生命・財産を守ることを付託されている政府にとっては憲法上の義務の履行である。国権の発動たる戦争とは言えないものである」
 しかし、その上で、それが「自衛」の範囲を超えない歯止めはどこで利かせるのか?
 本紙が主張してきたのは、「自国領土・領海・領空を出ない強力な撃退武力と撃退戦」である。こうしてこそ、憲法9条と自衛という日本国民の要求を実現できるのではないかと。しかし、泥さんの見解は、「領土・領海・領空を一歩も出ないというのでは、自衛はできない。排他的経済水域など守れず漁獲が激減する。またベトナム戦争の時北ベトナムは南ベトナムに深く入り込んだがこれは自衛戦争である。問題は、他国の国家的意思を武力でねじ伏せることが侵略なので、それができなくすればよい。一つは侵略的武力装備(具体名を上げられたが省略する)を保持しないこと、もう一つはこれが決定的だが、陸軍を派遣しないことである。いくら空から爆撃をしても陸上部隊が攻め込み占領しない限り他国の国家的意思をねじ伏せることはできない。」(要約)とのことでした。このような意味でこれまでの「専守防衛」の自衛隊は合憲であるというのが泥さんの見解です。だから、自衛隊のPKO派遣(陸上自衛隊の派遣)は反対であり、集団的自衛権は「他人の喧嘩を買うこと」で自衛隊の仕事ではないと主張しています。泥さんは自衛隊を日本最大の反戦組織とも言っていますが、自衛隊が「専守防衛」に徹する時には、それは、平和憲法を武力で支える組織として「反戦組織」と言えるのかも知れません。しかし、現状の自衛隊はアメリカの要請により作られ、アメリカの補完軍隊として生成発展してきたという歴史的過程もあり、違憲であるという護憲派からの主張も間違っていないと思います。
 こうした護憲派からの主張と衝突しないのかという質問に対して、具体的例を出しながら左右両方から「講演を聞いて考えが変わった」という反応が多い、現実に即して具体的、論理的に話せば分かってもらえると話されていました。
 世論調査でも明らかなように、国民の多くは9条の改憲を望んでいない一方で、自衛隊の存在を認めています。戦争には絶対反対だが、自衛は必要。特に中国や「北朝鮮」の脅威が煽られている中でその思いは強くなっており、それが安倍政権の集団的自衛権などに利用されているのですが、世界から侵略的意図を持った国が亡くならない限り、自国の自衛的措置は必要と言うのが国民の自然な感情だと思います。だから、自衛の問題は避けて通れないにも関わらず、これまで特に左翼や護憲派の間では突っ込んだ論議ができてこなかったのではないでしょうか。しかし、憲法9条を土台にした日本の安全保障政策をださない限り日本を「戦争する国」に持っていっている安倍政権の暴走を止め、国民からの支持を得ることはできないのではないかと思います。
 参加者の方から「講演会を主催した側からすれば参加人数が少ないというのは気になることだと思うが、運動というのはいつも満席ということではないと思う。それよりも、泥さんのような講演会を開いてくれたことが貴重だと思う」というお言葉を頂き、励まされたのですが、9条と自衛問題を真正面から取り上げ、緻密に研究し、発信している泥さんの活動は本当に貴重であると思います。この議論がもっともっと活発になされることを願ってやまないし、私たちもより具体的に、現実的に研究を深めていかなければならないと実感しました。
 質疑応答は多岐にわたり現実に即した具体的で論理的な泥さんからの回答を得て、大変勉強になり充実した時間となりました。また、もう一度今度はもっと勉強したうえで泥さんと討議したいものです。その時はより多くの方がたの参加を願っています。

泥さんの本の紹介
「安倍首相から日本を取り戻せ!!」
(かもがわ出版 1800円)
 日本を考える人にお勧めの一冊です。



投稿

上原公子・元国立市長
支援基金運動

 


■住民に求められ、景観守った市長 それを逆恨みした業者の訴訟
 国立市では高さ20メートル以上のマンションを作らせない条例があった。ところがマンション業者が44メートルのものを建てようとした。当然住民の反対運動が起こる。市長は景観条例を駆使したので業者は怒り、営業妨害だと市を訴えた。そんな訴訟は普通敗訴する。ところが何と裁判所が訴えを認める判決を出してしまい、市は賠償金を払った。上原さんが2期務めた後の市長も市議会も、元市長にそれを請求するのはダメと言っていた。
 ところが次の選挙で通った新市長と、議会構成の変わった市議会が「上原さんへの損賠訴訟」を起こした。景観条例はもちろん議会の賛成がないと通らない。市議会の責任は問わずに、市長一人に責任を押し付けた「いじめ」そのものだ。
こんな不当判決がまかり通れば「勇気ある市長」などいなくなる。
 そしてくだんの業者は得られた賠償金を「お金が目的ではない」と市に寄付したのにである。元市長に相当憎しみを抱く一部住民と新市長・議員らが共謀した上原公子元市長憎しの騒動と言える。
 上原さんは市長を2期務めた後、護憲・反戦・脱原発の講演などの行動を積み重ねていたので、それを快く思わない勢力から狙われた可能性がある。
 一審東京地裁は上原さん勝訴、しかし東京高裁が逆転敗訴不当判決、最高裁は昨年12月に上告棄却で、なんと上原公子さんの賠償義務3千万円が確定してしまった。許しがたい事だが、腐敗した司法のもとでは、いかんともしがたい。

■上原さん一人に賠償おしつけさせるな
 しかし! 応援する市民がここに立ち上がった。上原公子さん一人に負わせるわけにはいかない。みんなで賠償金基金を集め、訴訟の相手にたたきつけてやろうとの趣旨である。こんな事がまかり通れば住民の願いを実現する市政などできなくなる。
 2月11日に開かれた支援集会にはジャーナリストの鎌田慧さんはじめ多くの著名人、市民160人が集まり、1万人の基金を集めきろうという決議がなされた。全国に縁が深い上原公子元市長を広く厚く支えよう。

ホームページはこちら  http://www.ueharafund.org/
当面の振り込み口座は
みずほ銀行 日野駅前支店普通1222665  日野市民法律事務所 弁護士窪田之喜



資料

「社説」民意踏みにじる愚論だ

琉球新報 2017年2月5日


 稲田朋美防衛相とマティス米国防長官が初めて会談した。マティス氏は前日に安倍晋三首相とも会談した。これらの会談では日米同盟の一層の強化に取り組む方針を確認した。さらに米軍普天間飛行場の移設に伴う名護市辺野古への新基地建設について「唯一の解決策」との認識で一致したという。県民世論調査では7〜8割が辺野古移設反対を示している。「唯一の解決策」との認識には断じて同意できない。
 訪米中の翁長雄志知事は「辺野古に固執すると日米安保体制に大きな禍根を残す」と批判した。当然だ。翁長氏は2014年11月の知事選で、辺野古移設反対を公約に掲げて圧勝して当選した。
 県内では14年1月の名護市長選、12月の衆院選全選挙区、16年7月の参院選のいずれも新基地建設を拒否する候補が当選した。16年1月の宜野湾市長選は現職が勝利したが、選挙戦で辺野古移設の賛否を明言していない。6月の県議選では翁長県政与党が圧勝した。
 これらの選挙結果を見ても、沖縄の大多数の民意は「新基地建設拒否」であることは明らかだ。それにもかかわらず、日米両政府は辺野古移設で強硬姿勢を取り続けている。沖縄の自己決定権を踏みにじる行為が民主主義社会でまかり通っていいはずがない。
 トランプ大統領が選挙中に増額要求を示唆した在日米軍の駐留経費負担に関しては、一連の会談で議題にならなかったようだ。15年度の日本側負担は約1910億円で、負担率は86・4%だ。これに対して韓国は4割、ドイツは3割程度だ。マティス氏も会見で「日本は負担の共有モデル」と評価しており、負担増など応じられるはずがない。
 増額要求がなかったからと喜ぶわけにはいかない。なぜならば、日本は16年度から5年間の経費を削減するよう米側に要求していたからだ。今後は減額要求すら困難な情勢になってしまった。すでにトランプ流の「取引」に引き込まれているではないか。
 外務省によるとマティス氏は普天間移設について、こう述べたという。
 「プランは二つしかない。一つは辺野古。二つ目も辺野古だ」
 民意無視の愚論だ。沖縄からマティス氏に、言葉を投げ返したい。
 「プランは二つしかない。一つは県外。二つ目は国外だ」


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