研究誌 「アジア新時代と日本」

第161号 2016/11/10



■ ■ 目 次 ■ ■

編集部より

議論 国民のための自国ファーストへ

議論 天皇の「人間宣言」を考える

議論 不戦も自衛も共に実現!交戦権否認の防衛、9条自衛

時評 世界は不変ではないのだ

オールド・ニューウェーブ 新9条の詩

手記 工場労働者物語 前史(1)




 

編集部より

小川淳


 圧倒的な民意に依拠すれば自民に勝てる
 10月の新潟知事選では、社民、生活、共産党の3党が公認、柏崎刈羽原発の再稼働に反対した米山氏が原発推進派の自公候補を大差で破り当選した。
 知事選に限れば、自民は5連敗中だ。2014年の卒原発を掲げた三日月氏が当選した滋賀知事選、基地建設反対を掲げた沖縄知事選の翁長氏、15年には「オスプレイ」「TPP」「玄海原発」が争点となった佐賀知事選、16年には川内原発再稼働が争点になった鹿児島知事選、そして今回の新潟知事選でも反自民、野党の候補が勝利している。
 国政選挙では4連勝中の自民が、知事選では5連敗した。これら知事選を分析すれば、なぜ野党は自民に勝利できたのかが分かる。「原発再稼働に反対か賛成か」「沖縄に新たな基地は必要か」「TPPに賛成か反対か」など、自民政権との対決軸がうまく設定できれば、自民に勝てることを実証している。
 もう一つは野党共闘だ。新潟で講演した小泉元首相は、新潟連合の反対で野党共闘に乗らなかった民進党に触れて、「電機労連50万票より反原発5000万票をなぜ獲得しようとしないのか」、「原発反対で野党の一本化を」と熱く訴えている。
 新潟知事選の出口調査では民進党支持者の85%が民進党が公認しなかった米山氏に投票している。つまり原発再稼働反対、原発は必要ない、これが民意なのだ。民進党は「2030年代原発ゼロ」を政策に掲げている。「安全確認を得ていないものは再稼働しない」とも言ってきた。連合に遠慮して「脱原発」を曖昧にするなどあってはならない。それは民意に対する裏切り行為だ。
 「変化を起こす唯一の方法は、大勢の人々を呼び集め立ち上がり反撃することだ」(サンダース上院議員)。民主党予備選挙で彼は、公立大学の授業料無料化、男女の賃金平等、最低賃金時給15ドルへの引き上げ、医療制度メディアケアの充実などを掲げ、敗北したものの30歳以下の4分の3近くの若者の支持(1200万票)を勝ち取っている。圧倒的な民意に依拠すれば、社会主義者でも旋風を巻き起こせることを示している。
 今回のトランプ勝利は、反グローバリズム、反新自由主義の民意の現れと、私たちは見ている。一握りの富裕層だけが富み、中産階級が崩壊し、充満した大衆の不満が爆発した。世界で反グローバリズムの動きが加速する中で、民意が反対するTPPを強行批准する安倍政権。こんな異様な政権は一刻も早く辞めさせるべきだ。



議論

国民のための自国ファーストへ

東屋浩


 注目されていたアメリカ大統領選において事前の予想を覆してトランプ氏が勝利した。
 トランプ氏は「TPP脱退」「イスラム教徒の入国を禁止する」「メキシコとの国境に壁をつくる」などと発言し、物議を醸しだし、大統領候補の資格がないと言われてきた人物だ。そのトランプ氏が、貧困層、白人労働者、中間層の圧倒的支持を受けて、大統領選で勝利を収めた。トランプ氏の圧倒的勝利について、「驚くべき出来事」「不安で恐怖を感じる」などの声が聞かれた。
 しかし、これはイギリスのEU脱退と同じ現象だ。EUは欧州でのグローバル経済の核をなし、TPPはアジア太平洋地域の大きな自由貿易圏を実現するものだ。それらが市場競争原理の新自由主義、グローバル化を牽引してきた国、当の英米で否定されたのだ。
 言うまでもなく、このことは、国際政治および日米関係、日本に大きな影響を及ぼす。
 このなかで日本が進むべき道について考えてみたい。

■トランプ勝利の意味するもの
 トランプ氏は、「アメリカファースト」を叫ぶだけで、政策らしいものを打ち出しているわけではない。しかし、「米軍基地負担費を払わないなら、日本、韓国など自分で防衛しろ」「移民を送り返す」「メキシコとの国境に壁をもうける」などの発言は、貧困層、白人労働者の心をつかんだ。彼らは、トランプ氏の政策を支持したというより、現状にたいする怒りを氏と共有したといえる。
 怒りは変化への要求だ。「ステータス・クオ(現状)の打破」が共通の言葉だった。トランプ氏は政治家としての経験はまったくない。「だからこそ、これまでの政治家と異なった政治をやってくれる」という声。8年前、オバマ氏は「チェンジ(変化)」を掲げ大統領になったが、言葉だけに終わった。ヒラリー氏はオバマ氏と同類の政治家だ。それゆえ既成政治家ではないトランプ氏に、変化を期待したといえる。
 これまでの政治を劇的に変える変化への期待、これがトランプ氏勝利の原動力だったのではないだろうか。
 では、否定されたこれまでの政治はどういう政治だったのか?
 それは第一に、1%の富裕層のための政治だと言われている。新自由主義、グローバリズムの自己責任により、雇用、社会保障、教育が保障されず、大多数の人々が置き去りにされた。貧困層は絶望にあえぎ薬物、アルコールに苦しみを紛らし、中間層はそれが自分の明日の姿と感じとっていた。
 第二に、世界をリードするとしながら、内をなおざりにする外向けの政治だといえる。世界各地に軍隊を派遣し金をばらまき、国内では難民受け入れと移民にたいする保障をしていった。それゆえ、世界に干渉する覇権のためにではなく自国のために金を使うべきではないかという怒りが鬱積していた。
 これにたいし、トランプ氏は「アメリカファースト」を掲げ、現状のアメリカに変化をもたらすとして登場した。すなわち、金、人、物の自由な移動であるグローバリズムを止め、国内の雇用創出を基本とし、国民のための政治おこなうことであり、海外に基地、派兵で金をばらまかないでアメリカのために金を使うということだ。
 グローバリズムと一極支配が行き詰まり、それがもたらした貧困と停滞、格差によりアメリカが没落していった。トランプ氏の勝利は、その政治を変えてくれという叫びに応えるものだったといえる。

■アメリカのグロ?バリズム支配、覇権の崩壊
 貧困と格差はアメリカだけでなく、欧州各国での債務危機と格差、ひいては途上国の貧困と世界に蔓延していった。それがテロと戦争の温床となり、世界各地で戦乱が起こり、大量の難民が欧州に押し寄せるようになった。
 その結果、各国においてグローバリズムから脱却し、自国、自国民のための自国ファーストが台頭するようになった。イギリスのEU離脱はその象徴だ。フィリピンのアメリカ離れもその動きの一環だと言える。
 今やメリカが「国際社会の要求」「国際秩序」と叫んでも、見向きもされなくなった。南シナ海についての国際仲介裁判所の決定は一切れの紙切れとして捨てられた。
 この事はもはやアメリカが世界のリーダーとしての役割を果たせなくなった、アメリカの権威が通用しなくなったということを示している。一言でいって、アメリカのグローバル支配、覇権主義の崩壊が音をたてて進行しているということだ。

■生まれる二つのファースト
 トランプ次期大統領確定を受けて日本では、「もはやアメリカに頼っていてはだめだ」「自分の頭で考え政治をおこなっていかなければならない」とし、「これを好機とし、自主防衛すべき」「九条改憲する時が来た」という、日本が軍事強国として台頭すべきだとする声が高まっている。
 他方、日本ファーストを求める動きは国民の中でも巻き起こっている。その典型が安保法制に反対する立憲主義確立を求める国民大衆の闘いだ。それは高い主権者意識にもとづく新しい民主主義の運動であると共に、アメリカ言いなりに反対する日本の主権を求めての闘いだった。東京都知事選、新潟知事選でも都民ファースト、県民ファーストを掲げた候補が、政党候補者にたいし都民、県民の支持を受け圧倒的に勝利した。
 この二つのファーストは日本だけでなく、アメリカにもある。トランプ氏の言う「偉大なアメリカの再生」というのは、自国優越主義、国家主義のファーストと、国民のためのファーストという二つに跨っていると言える。
 トランプ氏は首席補佐官、財務長官などの要職に、共和党主流派、ネオコン「金融界の帝王」を指名する一方、首席戦略官に従来のトランプ陣営を担った人物を指名した。相容れない二つの勢力を抱えているところに、トランプ政権の性格が表れている。
 今後、アメリカ政治がどういう展開になるのか見ていかなければならないが、いずれにせよアメリカがファーストを掲げた政治を行っていくということであり、そこでは覇権のファーストと国民のためのファーストがせめぎ合うようになる。
 二つのファーストのせめぎ合いは、世界各国でも繰り広げられている。ドイツでもスペインでも左右のファースト政党が競っている。
 グローバリズムの崩壊が、自国ファーストを生みだし、覇権の時代の転換を促している。

■日本主導で国民のためのファーストへ
 覇権のためのファーストか、国民のためのファーストか、日本は、今、その岐路に立っていると思う。
 覇権のファーストは、日本がアジアや世界の上にのし上がっていくというファーストだ。アメリカが自分で防衛しろと言うのを奇貨とし、「自主防衛」を口実にした九条改憲。日本を「戦争する国」にするというのが、その典型だ。経済力をもってアジア、アフリカ諸国、インドなどに影響力を強めようというのもある。 一言で軍事力、経済力で日本が覇を求めるというファーストだ。問題なのは、それがアメリカの後退でできた空白を埋め、アメリカの覇権を支えるためのものであるということだ。
 国民のためのファーストは、国民にとって自分の国が一番大切であり、自国を第一に、誰かの意思でなく自分の意思と力で自分の国を建設していくということだ。これまで、日本の重要政策は「年次報告書」などにより、アメリカに決定され押しつけられてきた。その結果、貧困と格差が生まれ、原発、基地が拡大されてきた。それでは、日本のための政治を行うことができない。
 日本のことを自分の意思で決定し、自力で実現していってこそ、国民のための日本ファーストを実現していくことができる。例えば、懸案となっている原発、地方消滅、米軍基地、貧困と格差問題などを、自国の憲法を尊重し、国と国民の利益にもとづき決定し、日本の実情に合わせ実行していくことだと思う。
 自分の国を第一に大切にしていけば、他国の人々がそれぞれの価値観を大切にし自国のために尽くすということを理解し、各国の多様性を尊重し、友好と連帯の関係をつくり、世界平和に寄与していける。
 世界が民意に沿って国民のためのファーストになっていくというのは、時代の趨勢だ。
 今、日本が率先して国民のためのファーストを主導的に拓いていく時だと思う。



議論

天皇の「人間宣言」を考える

K・T


 「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」で16名の専門家を対象に行うヒアリングが始まった。その内容を公表し、天皇の「8月8日ビデオメッセージ」を主権者である国民がよく理解できるようにするためだという。
 そこで問題なのは、世論調査で86%という圧倒的多数国民が賛意や尊重の気持ちを表した「メッセージ」に対し、ヒアリング対象に選ばれた専門家のほとんどが同意していないという事実だ。では一体、何のための「公表」なのか。政府が民意の上に立ち、「無知な国民」を教育しようということなのか。
 「メッセージ」に対するに当たり、何よりもまず大切なのは、そこに込められた天皇の真意だと思う。それを神棚に祭り上げて、「生前退位」の「法的是非」等々についてあれこれ論じるのは正しい態度だと言えないと思う。
 「メッセージ」に接して明らかなのは、天皇が象徴天皇の地位とその地位に基づく活動について、それらが一体不離であり、高齢などにより活動ができなくなった場合、天皇はその地位にとどまるべきではない、それが日本のため皇室のためだと言われていることだ。そこに「メッセージ」の核心があり、「生前退位」に対する理解を広く国民に求める天皇の真意があると思う。
 戦後新たに制定された皇室典範でも、明治22年制定の旧皇室典範同様、「生前退位」は認められていない。旧「典範」制定当時、天皇の「適格性」が問題になったとき、法制定の中心にあった枢密院議長、伊藤博文は、「(天皇は)いればよい。適格性が問われることはない」と言ったという。すなわち、天皇はあくまで政治のために担がれる存在であり、天皇自身、その役割を果たせるかどうかなど問題にならないということだ。
 人間誰しも、国と社会にあって、自らの地位を持ち役割を持っている。国民主権の今日、同じ主権者として、労働者には労働者の、会社役員には会社役員の地位があり役割がある。そして、役割が果たせなくなったら、その地位から退くまでだ。それが人間というものではないか。
 天皇の場合もまったく同じだと思う。憲法で定められた象徴天皇としての地位があり、それに基づく役割がある。それを果たせなくなったとき、その地位から退くのは当然だ。
 あの敗戦とともに、天皇の神格は否定された。いわゆる昭和天皇による「人間宣言」だ。その上に立って、今回の「8・8ビデオメッセージ」は、天皇が人間として、象徴天皇としての自らの役割を果たす意思を表明したもう一段深い真の「人間宣言」ではないかと思う。
 そこで天皇は、果たすべき天皇の役割について、実際の体験に基づき、その内容を「象徴的行為」として述べている。何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ること、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うこと、そのためにも、日本の各地へおもむき、その地域を愛し、その共同体を地道に支える人々のあることを認識し、それをもって天皇としての務めをなすこと。
 今日、天皇のこの「メッセージ」に対して、政府、「有識者」の間で異論が少なくない。「天皇の公務など不必要」「公務困難で負担軽減や退位もあり得る。ただし今上天皇一代に限るべし」等々。その多くがあの伊藤博文の考え方に準ずるものだ。
 そこで考えるべきは、天皇の人間としての意思を無視し、天皇を政治の道具として利用するような政治がどのようなものになるかということだ。人を人として認めない政治の誤りは明らかだ。それは、「天皇神格化」に基づく第二次大戦の惨劇が何より雄弁に物語っているではないか。
 民意の「メッセージ」への賛同は、どこまでも国民とともに歩む人間天皇への親しみと共感の表示であり、そのような天皇の意思を尊重しようという国民的意思と政治への要求の表明だと思う。
 国民主権を定めた日本国憲法の下、この問題に結論を出せるのは、政府でも「有識者」でもない。決められるのはただ民意のみだ。広く国民的議論を起こし、あくまで民意に学び民意に基礎して結論を出すこと。天皇が「国民の理解を得られることを、切に願っています」と「メッセージ」を締めくくられたのも、そのような見地からではなかっただろうか。天皇の「生前退位」を認めるか否か。それは、これからの政治のあり方に関わるきわめて重大な問題ではないかと思う。


 
議論 起こせ防衛論議!(その2)

不戦も自衛も共に実現!交戦権否認の防衛、9条自衛

吉田寅次


■いま防衛論議の焦点は交戦権
 前号で述べたように、「北朝鮮の核とミサイルの脅威が新たな次元に入った」ことをあげての稲田防衛相の発言、それを受けた読売社説(9/25)、いずれも「敵基地攻撃能力を検討したい」と新たな防衛体制の確立を訴えた。
 自衛隊に「敵基地攻撃能力」、すなわち敵国打撃の交戦力を与えたいということだ。すでに南スーダン国連PKOで自衛隊の「駆けつけ警護」を実施、海外での交戦力行使は実現段階に入っている。この先にあるのは、憲法9条第二項、交戦権の否認を肯定に変えること、改憲だ。

■憲法9条は交戦権否認の防衛を日本に求めた
 「自衛隊は専守防衛の『盾』、米軍は報復攻撃の『矛』の役割を担う」−これが今日に至る戦後日本の防衛体制だとされてきた。
 交戦権を認めない憲法9条下の自衛隊は(敵国)攻撃能力を持てないから、単独で日本を守れない、だから交戦権を持つ米軍が「矛」の役割を受け持つ。このように説明されてきた。
 しかしながら立憲主義の見地から言えば、日本の防衛体制は、憲法の規定通り「交戦権なしの防衛」として築いていくのが筋ではなかったのか? それで日本防衛ができないとするならば、憲法に交戦権否認の条項を入れた意味がないだろう。
 ではなぜ憲法9条第二項に「交戦権の否認」を入れたのか? それは、9条の基本精神である「戦争放棄」を具現するためだ。他国と交戦しない、それが戦争放棄意思の具体化だからだ。
 先の戦争でアジアに亡国の悲劇と戦禍をもたらし、日本国民も玉砕、特攻、飢餓、被曝など様々な無益で報われることのない死や犠牲を強いられた。二度と戦争をする国にしてはいけない! この不戦の誓いが戦後、日本国民の悲願、日本の総意だった。憲法9条を国民が大切にしてきたのは、この悲願、民意が反映されたものだからだ。

■不戦も自衛も共に実現―交戦権否認の9条自衛
 戦後の民意は、日本の防衛に何を求めたのか? 不戦も自衛も共に実現、すなわち戦争しないで日本の自衛を実現することこそが、戦後の民意が求める日本の防衛ではないだろうか?
 自衛は主権国家の国民として当然の要求であろう。問題はその自衛がどのようなものでなければならないのか? だ。二度と戦争する国にはならない、戦争しないで日本の自衛を実現する、この民意に即した不戦の自衛でなければならない。
 「戦争放棄」の9条は、自衛を否定したものではない。これには様々な議論があるが、マッカーサーノートの「草案」にあった「日本は、その防衛と保護を今や世界を動かしつつある崇高な理念に委ねる」を条文から削除するなど、自己の防衛を「他人任せにせず」自分の力で守る自衛意志を9条は堅持している。
 そのうえで憲法9条は不戦の自衛を実現する要として交戦権否認を明記したのだ。
 交戦権否認の自衛とは、一言でいって、相手国と交戦に至る前の段階にとどめる自衛だ。具体的には、自国の領海、領空、領土からの撃退にとどめ、一歩も域外には出ない撃退自衛だと言える。保持すべき自衛武力も核兵器、航空母艦、長距離爆撃機といった類の他国への報復攻撃のための戦力を排除した撃退武力にとどめるというものだ。
 今もそうだが全ての侵略戦争は自衛の名によって行われる。それを許したのは、自衛のための交戦権が認められ、他国への報復攻撃、自衛戦争が公認されているからだ。9条はこれを否定した。
 交戦権否認を要とする9条自衛は、自衛の名による戦争を否定した徹底した不戦の自衛だと言える。これは侵略戦争を行うこと、さらには覇権の行使自体を不可能にする。その意味では、脱覇権時代の国際平和を築く模範を示すものでもある。
 この9条自衛論を武器に、交戦権をめぐる防衛論議を起こし、9条改憲に打ち勝とう。



時評

世界は不変ではないのだ

金子恵美子


 不変のように思われていたものが崩壊するのは意外とあっけない。すべてのものは始まりがあり、終わりがあるようだ。このことを衝撃をもって実感したのはベルリンの壁の崩壊であった。そして、二度目が今回の米大統領選のトランプ候補の当選。切迫戦ではあっても、最終的にはクリントンに落ち着く、トランプになることはまず無い、というのが大方の予測であったのではないか。世界は変わらないという安心感と倦怠感、大いなる失望と諦め的気分が世界を覆っていた。つい三日前までは。
 しかし、世界は私たちが予想していたよりはるかに深く変化を求めていた。グローバリズムの終焉の声が一段高まった今年、世界変動の兆しを多くの人が実感しだした今年、変動は兆しではなく地殻変動を起こしたと言えるのではないだろうか。
 今年世界は「自国ファースト」で溢れ、日本も小池都知事が「都民ファースト」を掲げて当選した。グローバリズムによる中産階級の没落、1%対99%という格差の拡大。これが行き着くところまできて、もうこれ以上はムリ!という国民の選択がイギリスとアメリカという二大グローバリズム国家で起きたEUからの離脱であり、トランプ氏の選択であったということなのだろう。
 今アメリカでは「反トランプ」のデモが起きており、トランプによって米国が分断されたと論評しているメディアもあるが、「米国を分断したのはトランプではなく<格差>である」という米市民の言葉にはその何十倍もの説得力があった。こうした米国市民の骨身に染みた覚醒が、今回の大統領選挙結果をもたらしたと言えるのではないだろうか。
 戦後71年、日本の歴代政権は「強固な日米同盟」を日本政治の基本に置き、経済も国防も政治も米国と歩調を合わせ、米国に頼り生きてきた。しかし、この関係も不変ではありえないのだ。米国次第で振り回される、米国に頼った日本から、元来脱却しなければならないし、今回はその大きなチャンスでもあり、客観的情勢がその歴史的転換を迫ってきている。
 日本独自の政治、経済、国防をどう打ち立てていくのか。「日米安保」という古い枠組みにがんじがらめに縛られ、それにしがみつく安倍政権をはじめとする古い政治勢力には絶対にそれはできない。既成成政治に「NO!」を突き付け、グローバリズムに代わるまた新たな覇権世界ではなく、平和と自主、民主と平等が実現される公平な世界を目指し、「世界は不変ではなく必ず変わる」という確信をもって、決して諦めずに進むことが大切だと思う。
 アメリカが、世界が、そして日本が変わる歴史的分岐点に私たちは生きている。これを大いに悦び、大いに愉しみ、その分岐点で小さな一歩を踏み出し、踏み出している人はもう一歩進め、皆が何かを成した人になろう。



 

オールド・ニューウェーブ

 


 

 シニア世代のパワーというかしぶとさは凄い。まだまだやるぞ!という気概にあふれた運動体が結成されようとしている。その名も「怒れる60年・70年代を闘った世代の会」(略称・怒れる世代の会)。掲げているのは「改憲阻止・戦争法廃止・原発稼働阻止・沖縄連帯」「声は挙げられる、1票も行使できる」だ。  この会結成のきっかけになったという詩を紹介したい。

新9条の詩 (15年版)

下山 保(九条改憲阻止の会)


 60年安保の友がらよ いよいよあの世がちかづいた
 仲間の数が減ってきた 閻魔がおいでと待っている
 でもまだ未練が断ち切れない この世でやり残したことがある
 俺たちの敵だった 岸信介 その孫 安部も許せない
 衆院で・参院で三分の二勢力 それにひるまぬ民衆の声
 官邸を取り巻く民衆の渦  改憲そんなことにはさせられない
 昨年夏 国会議事堂前 戦争法が通ったという
 理不尽採決に抗議した 民主主義って何だ これだ
 久しぶりの全学連 いや間違えたシールズだ
 65年前の俺がいた 待ちに待った若者がいた
 ようやく反撃できそうだ 市民の連帯も始まった
 ザマーミヤガレ?みんなで選挙? 変な名前が頼もしい
 地震大国で福島原発事故が出た 汚染水は垂れ流し
 居住可能と言われても汚染物は山済みで 人影もなく死の街だ
 俺は昨年喜寿になり 平均寿命まであと2年
 くたびれ 息切れ 金が切れ  前立腺肥大で 脳縮み
 でもあと2年はやるっきゃない よたよた歩きでデモ集会
 今後は参院・衆院選にむけ 9条改憲阻止に向け

*   *   *

 呼び掛け文には、「前文の詩は見事に、オールド世代の想いと、実態を表現していて、私たちやれることまで示唆していると思います。政治不信・政党不信が蔓延し、反原発・戦争法案反対・改憲阻止、さらには待機児童問題でも、市民一人一人が声を挙げる状況になっています。
 戦争と敗戦、焼け跡からの復興、戦後民主主義と平和を求め、60年安保・全共闘70年安保を闘ったシニア世代も、文頭の詩で描かれた実態であるにせよ、黙することは許されません。老人の怒りの声を挙げ、各層にも広げることを決意しました。
 60年・70年を経験した世代は総人口の四分の一だ。
 身体はヨチヨチ老人でも、声は挙げられる。
シニアには大きな武器がある。敗戦後を生き抜いた体験と投票権だ。
 最大限にこの一票を行使するぞ!」とある。
 11月13日(日)午後2時から、キャンパスプラザ京都にて結成集会。
 賛同人募集中!
 今後の活動に期待したい。



手記 工場労働者物語 前史(1)

「公務員試験」

平 和好


 私は本当は公務員になりたかった。なぜか。答えは単純。高校生の頃始めた活動で、周囲に公務員がたくさんいたから。ヤンチャしている先輩達には、府市の職員、裁判所書記官、郵政労働者、労金、電電公社などの正規職が多くいた。また運動で集会・デモに行くとそういう組合の旗がたくさん翻っていたのだ。ところがそこから排除される要因を自ら作り出してしまった。排除されているのは薄々感じていたが決定的なのは、仕事帰りに職場の退勤ルートに待っている、刑事の言葉だった。彼らは二言目には「話しよう」「君の就職が心配や」と言う。
そしてある日「そんなに心配なら、何で公務員試験ぼくは軒並み落ちるんですか!」と聞くと「あーそれはあきらめなさい。リストに載ってるから」と簡単明瞭な答えが返って来た。「やっぱりな!」大学時代に受けた試験で軒並み不合格、ところが一緒に受けた交際相手は国・地方・郵政トリプル合格。答え合わせをしてみるとこちらの方がはるかに点数が高いのに。まあ、しかしリストに載るのは身に覚えがない事もなかったから、あきらめよう。

「退屈したことのない青春時代」
 事は今から45年前にさかのぼる。日本全国でベトナム反戦運動が燃え盛っていた。私は中学の社会科教師が自費自主プリントで教えてくれた沖縄問題、部落差別を解決するための行動に、高校生の時に入った社研部で立ち上がりつつあった。高校の部室を起点にそういう活動に関わって行ったのだが、これはやはり外へ出なければいけないと考えた。家から1キロほど離れた十三駅の近くにあるお風呂屋さんがわれらのリーダーの家。洗面器を持って、お風呂に行ってくると偽ってはそこで集合して次の行動計画をみんなで練るのだ。リーダーの両親は我々の顔をちらっと見て「まーた悪さの相談してやがる」と言う表情で通り過ぎるのが常。そこが第一拠点。隣の区にある民家が第二拠点だった。 そこでは他校の仲間や先輩(学生・労働者)も来て学習会を継続開催した。硬派の我々は終わったらすぐ辞去したが、どうやら半分住み着いている人もいたらしい。聞くところによると男女事案にまで発展したこともあったそうだ。運動が退潮するにつれ多分いい加減な終了の仕方になっているはず。持ち主さん、すみません、同志になり代わり謝罪します。

「ヘルメットに千円札」
 カンパは、梅田の地下街に、ヘルメットを持って立つ。新聞に三里塚や水俣のニュースが大きく出た翌日は、百円札がバンバン、千円札もちらほら入った。その頃の千円は今の1万くらいの値打ちがある。 サラリーマンからしたら可愛い高校生なのだろう。しかも生活があるから闘争できない自分たちの代わりにやってくれてると思ってカンパしてくれるようだった。夜遅くなり前面に立てている女子高生に酔っ払いが絡みだしたら、カラの大きな級友が出て行って「おっちゃん、ええ加減にしいや」とすごむ。女子と男子に囲まれたおっちゃんはかなり出す羽目になる。そうして集めたお金はもちろん、アジトの維持費と、近隣あるいは東京行きの交通費に化ける。第二拠点の学習会会場の持ち主にはたぶん払っていないだろう。3年上の上級生は集まったカンパを100万くらい持っていて、淡路にもアパートを借りて「アジト」にしていた。ただその敷金をはじめ、相当額あった残金はいつの間にか使途不明となったようだ。

「高校生の分際で豪華一週間旅行」
 私の高校は新大阪駅のすぐそばにあり、とても便利だ。学校の朝礼が終わるやいなや走って5分、新幹線改札に入場券で入る。トイレに隠れたりして2回ある車掌検札をやり過ごして、東京に着くと仲間が東京の入場券を用意して待っていてくれた。ご丁寧にもハサミで時間帯によって変わる切り込みをしてあるから改札通過はスムーズ(昔はよかった!)これで120円新幹線の旅!
 ある日、手違いで迎えが来ない。そういう時は忍耐強く改札横に待機して、手薄な時間帯を待って誰も見ない瞬間を見計らって、関係者出入り口の金具を外してス―っと出る。東京での宿泊が豪華だ。初日のデモ集結基地もかねている東大駒場の大教室に雑魚寝。翌日から拠点校の明治大学に連泊。夜はささやかながら宴会付きだった。どこからおカネが出てるんやろう?!
 ささやかな大名旅行だから夕食はラーメンライス200円也で我慢。昼はデモ待機時間に隊列の前から回ってくる牛乳ミニパックとパン。充分だ。帰りは京都に立ち寄り、天下の京大に1泊!
 こうして私は関大・関学・府大などを含め有名大学へオープンキャンパスした事になる。旅行が終わったら何食わぬ顔で帰宅か学校だった。(続く)


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