研究誌 「アジア新時代と日本」

第16号 2004/10/5



■ ■ 目 次 ■ ■

時代の眼

主張 反テロ戦争の危険性を考える

研究 小沢流「国連待機軍構想」に巻き込まれない護憲の論理

評論 「郵政民営化内閣」を評す

文化 「わからない」から出発してこそ

朝鮮あれこれ 第一回国際武道競技大会

編集後記



 
 

時代の眼


 「自分らしく、そのままでいればいい」「楽しくやればそれでいいんだ」「役立とうとすることなんかない。一緒に居たいという気があれば居ればいいんだよ」。
 最近のドラマの一つの特徴だと言えるでしょう。「癒し系」と呼ばれるこうした傾向の背景に苛酷な競争社会があるのは言うまでもありません。
 しかし、集団のなかでの人間の生き方、在り方を示すこうした「癒し系」には、ただ単に競争で負った傷を癒し、疲れを癒すという以上の意味があるように思います。すなわち、新しい時代の新しい人間関係を反映したなにかがあるように思えるのです。
 「男らしく」「女らしく」に対して「自分らしく」が出てきたのはもう久しい以前になります。このときは、多分に「自立した個人」などと相まって、男だとか女だとかいう以前に自分は自分だという個人主義的な意味合いでこの言葉が使われていたのではないかと思います。しかし、障害者などに対して「『正常者のように』などと頑張る必要はない。自分らしく、そのままの君でよいのだ」等々と強調されるようになるにつれ、その意味合いが微妙に変わってきたように思えます。すなわち、「自分らしく」が、自分個人の生き方というより、多分に人間集団のなかでの各人の生き方、在り方に関わるものとして、互いに認め合い、思いやる言葉へと発展してきたように思えるのです。
 「楽しめばよい」もそうです。自分自身「無理せず、楽しくやろう」から、相手に対し、仲間に対し「楽しくやろう!」「楽しくやればいい」への発展です。そこには、相手や自分の仲間に対する「(成果をあげようと)無理しなくていいんだよ」という温かい配慮や思いやりがあります。
 これは、かつて日本社会でよく言われた「頑張れ!」「○○のために」などといった言葉と対比されるものです。一方が相手の尻をたたいて奮い立たせるものだとすれば、他方は相手の辛さを思いはかり、無理するなと言ってやる言葉です。今の日本社会でどちらの言葉をかけられる方が力が湧くかと言えば、後者の方ではないでしょうか。皆がそれぞれ、自己決定、自己責任で頑張っている現代日本社会にあって、癒しの言葉こそがなによりの励ましの言葉になり、力の源泉になってきているように思います。
 実際、「ホームドラマ」や「ちゅらさん」「電池が切れるときまで」など、癒し系のドラマが取り扱った集団には、なにか新しい時代の新しい人間関係の息吹のようなものを感じます。この間、目につき始めた若者たちの経済企業体やアテネ・オリンピックの柔道や水泳などのチームが仲間を尊重し思いやる新しい人間関係に基礎して大きな力を発揮してきていることなどは、ドラマで描こうとしたものが現実となって現れたのだと言えるかも知れません。


 
主張

反テロ戦争の危険性を考える

編集部


■危惧の的中、もたげる疑惑
 イラク戦争を契機に、テロによる悲惨な事件が相次いでいます。この間、劇場占拠事件、モスクワ地下鉄爆破事件とテロの標的にされたロシアでは、先月、いたいけない多くの子供を犠牲にした北オセチアでの痛ましい事件が起きました。昨年起きた190名の犠牲者を出したスペインの列車爆破テロ、先月に起きたインドネシアでの爆破テロなど、その猛威は枚挙にいとまがありません。
 ブッシュ政権が反テロの「21世紀型戦争」を掲げ、アフガン、イラクへの侵略戦争を始めたとき、多くの人々が、「反テロ戦争はテロを世界に拡散させ、テロの連鎖を生むだけだ」と言っていたその危惧が的中した感じです。
 こうした中、大統領選挙戦真っ最中の米国では、一時、民主党ケリー候補に遅れをとっていた支持率もブッシュがしのぐようになっています。ブッシュにとっては、テロの頻発と残忍化は追い風になっているようです。
 そのように考えれば、最近の大規模で残忍なテロは、何か「作られたもの」という感じさえします。
 北オセチアでのテロもアルカイダの関与が言われます。イラクでもイラクに派兵もしていないネパール民間人を多数拉致し、派兵に反対したフランスや撤兵したスペインの記者を拉致するなど不可解なテロ、また拉致者の首を切り落とすなどの残忍なテロは、外から入ってきた「アルカイダ系」によって起こされているようです。それらは、ことさらテロの残忍性を見せつけ、結果として反テロを煽っているという印象を受けます。
 アルカイダは「今やチェーン店化」(朝日新聞)し、さまざまなテロ組織が勝手にアルカイダを名乗っているような状況なのだそうです。元々、米CIAが育成し今も関係を取りざたされるアルカイダですが、その上、それが「チェーン店化」しているのだとすれば、米国がテロを「自作自演」する余地はさらに大きくなっていると言えます。

■反テロ戦争はいつまでも続く
 世界的なテロの蔓延は、ブッシュにとって好都合でしょう。しかし、それは単に大統領選で支持率を高めるというにとどまらず、米一極支配そのものにとっても好都合なものだと言えます。
 「反テロ」の「21世紀型戦争」を打ち上げ、開始した反テロ戦争は、ブッシュ共和党政権だけでなく民主党とて踏襲しなければならない米国にとって極めて好都合な戦略的方針だと言えます。それは、ブッシュのやり方に反対する民主党のケリー候補も反テロ戦争そのものには反対していないことを見ても明らかでしょう。「対テロ戦での急速展開能力を重視するため」の米軍再編も民主党政権になったとしても変わることはないでしょう。
 反テロ戦争は、本当は誰が起こしたか分からないテロを口実に、米国が勝手に気に入らない相手を敵にできます。そして、いつでも好きなときに相手を攻撃できます。
 まさにブッシュの先制攻撃論ですが、それは反テロ戦争であれば、必然的にそうなるものとしてあると思います。
 ブッシュが言ったという「テロに勝てるとは思わない」という発言。ブッシュの失言のように言われていますが、ブッシュもテロを根絶することなどできないということは重々承知しており、だからこそテロを敵にすれば、米国が思いのままに戦争をでき、それを不断に続けることができるのであり、そのためにテロは不断に量産されるのが望ましいということが本意なのではないでしょうか。

■引き返せない米国、あとは野となれ山となれ
 なぜ米国は、これほどまでして反テロ戦争をおこなうのでしょうか。
 それは、世界で多極化の趨勢が強まるなか、米一極支配を反テロ戦争をテコに再強化する必要性が強まっているからに他なりません。
 米一極支配とは、ブッシュ政権に巣くうネオコンが自ら「米国は帝国である」というように、米国が世界帝国として世界に君臨し、他の国々は属国化、植民地化する体系です。
 ネオコンが「米国の価値観を世界に広める」と主張するように米国は、米国式市場原理を世界基準にすることによって暴利をむさぼってきました。
 すでに60年代に多国籍化した米独占資本は生産を海外に移して自国産業を空洞化させる一方、ドルを変動相場制に移行させた後は為替投機で儲けるようになり、貿易赤字は出しても米国債を高くすることで米国に資金が流入するようにし、そのカネを使ってさまざまな金融商品や手法を開発し金融を操作しながら莫大な利潤をあげてきました。最近の原油高騰も需給量から見ればせいぜい1バーレル当たり30$台になるはずなのに、それが50$にもなっているのは米系の投機筋が動いているからだと言われています。
 こうした金融操作が可能なのは、米国が唯一軍事超大国として各国ににらみをきかせているからであり、こうして各国の主権を侵害して言うことをきかせ、あるいは軍事力を背景に情報操作、謀略をもって市場を左右しているからです。
 例えば、今情報通信の重要な手段となっているインターネットも元々、世界に配備された米軍のコンピューターネットを活用したものであり、サーバーの管理は米国が行っています。さらに、このインターネットを通じて流される情報をすべて収集処理する「エシュロン」という通信傍受システムを作っています。そのすべてが「経済情報」だとか。米国は、経済的に生きていくためにも世界的な軍事支配を不可欠としています。
 しかし、このような帝国主義的なやり方を甘んじて受け入れる国はありません。米一極支配に対し、離米自主、多極化の動きが出てくるのは必然です。それは、米国経済を動揺させ、それを契機にいっそう多極化が強まるというのが、この間の趨勢だったということができます。
 そこで登場したのがブッシュ政権。そして、「自作自演」の「9・11同時多発テロ」を口実にして始めた反テロ戦争。
 かつて、米国がイラク戦争を始めたとき、「米国は帝国として崩壊段階に入ったのだ」と看破したフランスの歴史学者エマニュエル・トッド氏は、「米国経済は自律的に持続することができなくなっている。『小さな戦争』を常に必要としている」と言っていますが、多極化を圧殺する大戦争を起こすこともできず、「小さな戦争」を常時行っていく、それがまさに反テロ戦争だということができます。
 反テロ戦争は、米国の弱さと閉塞状況を現しています。ブッシュの戦争を批判的に書いた「攻撃計画」の著者ボブ・ウッドワード氏がブッシュにインタビューしたとき「歴史は結果によって評価されます」と言うと、ブッシュは「わかるものか。そのころには、われわれはみんな死んでるよ」と答えたそうです。フランス革命で処刑されたルイ16世の有名な「わが亡き後に洪水よきたれ」と同じようなセリフです。
 後は野となれ山となれ、それが世界恐慌になるのか、世界的な大戦争になるのか。それは分かりませんが、米国は、それすらも織り込みずみで対応を考えていることだけは確かだと思います。

■危うい日本
 こうした中、日本の動きはきわめて危ういものになっています。イラク派兵をして、「反テロ戦争」に参戦した日本は、今や「西の英国、東の日本」と持ち上げられ、アジアでの米軍事戦略の基軸に置かれようとしています。
 米軍再編で、中近東まで含むアジアを対象にする米陸軍第一軍団の司令部を座間に置くなどという打診をしてきている米国。このままでは、日本は米国の「反テロ戦争」の最前線基地、拠点にされてしまいます。それにもかかわらず、国連総会に参加した小泉首相は日米首脳会談の席で、これに前向きに取り組むと約束しました。それを受けて、米国は今月始め、「これが実現すれば、陸、海、空、海兵隊を網羅する統合司令部を横田に置く」とトーンを上げています。
 それは、日本が米国を背にしてアジアと対決する道です。その焦点としての朝鮮半島。この9月にもミサイル発射実験をしようとしているのではないかと騒動になりましたが、昨年、イラク戦争のおりに石破防衛庁長官が「ミサイルが屹立した段階で日本に自衛権が生じる」と発言したことを見ても非常に危いことになっています。
 かつて、イラク戦争が始まった頃、米国の元国防長官ナイ氏が「反テロ戦争が成功するかどうかの真の試金石は北朝鮮」と発言していましたが、それは、台頭著しい東アジアの多極化を抑えるために、日本をその最前線にして動員する、そのための試金石でもあるでしょう。
 日本がこうした危険な道に進まないようにするためにも日朝関係の正常化は、非常に重要な課題になってきています。


 
研究

小沢流「国連待機軍構想」に巻き込まれない護憲の論理

小川 淳


 現在、新防衛大綱の策定作業が急速に進められている。防衛大綱は、長期的な防衛の基本方針や防衛力整備の全体像を示すものであり、今回の新大綱はイラク派兵後の大綱として注目される。
 防衛庁がまとめた編成案によると、戦車、護衛艦、戦闘機など従来型装備を減らす一方、陸上自衛隊では海外派兵専門の「国際任務待機部隊」とテロ、ゲリラなどに対処する「緊急即応連隊」を新設するとしている。また、主要部隊の編成や装備の具体的規模を示す「別表」については「柔軟な防衛力整備ができない」として削除する方針だ。
 今改定の特徴を一言で言うなら、国土防衛部隊を縮小する一方で、「国際任務待機部隊」に象徴される海外派兵専用部隊を新設することに尽きるだろう。名実共に「専守防衛路線」から「海外派兵路線」への歴史的転換である。
 この動きに対して民主党内では二つの路線の対立が浮き彫りになった。
 岡田代表は、民主党代表選に先立って訪問した米国で、「憲法を改正し、国連安保理の明確な決議がある場合、日本の海外における武力行使を可能にし、世界の平和維持に積極的に貢献すべきだ」と発言して波紋を呼んだ。
 これに不快感を露にした小沢は、「憲法をいつ改正するか分らない中で、わが国の部隊は国連に参加できなくなる。現実の政治、法体系で何ができるかを論じるべきで理解に苦しむ」と、現憲法のままで自衛隊を「国連待機軍」にして派兵すべきとしている。
 防衛庁の提唱する「国際任務待機部隊」構想と小沢の「国連待機軍構想」との違いは何か。「国際任務待機部隊」は、現自衛隊の中に海外専用部隊を新設するもので、その武力行使は当然にも日本の国権の発動にあたる。だが、小沢の「国連待機部隊構想」は、自衛隊とは別組織で多国籍軍に参加する部隊のことで、自衛隊を国連指揮下で動く「待機部隊」として参加させれば、現憲法で放棄した「国権の発動たる戦争」にはあたらないというものだ。
 国連の指揮下に入れば自衛隊でないのだから、その武力行使は日本の主権の発動とは言えない、だから憲法に抵触しない、というのは、一種の国連中心主義者の「理想論」でしかない。国連常備軍がない条件で、いくら「多国籍軍」が形成されて、自衛隊が「国連待機部隊」と名前を変えても、給料を払いながら部隊を常備させているのは日本であって、そこで人を殺し、殺されるのは紛れもない日本人なのだ。
 だが、この国連待機部隊構想は一定の影響力を持つ可能性がある。今後、深まるだろう改憲論議の中で、むしろ岡田や自民党の改憲路線より危険かも知れない。というのは、「日本は戦力も持てない」とする非武装を掲げた護憲勢力の中から、「国連だったら日本の戦力ではないのだから構わないのではないか」というような議論が出てくる可能性があるからだ。すでにイラク派兵が問題になったとき、民主党の旧社民党議員の「絶対反対」に対して小沢が「国連待機部隊構想」を説明して、彼らがそれに乗る動きを見せている。
 確かに小沢の言うように「自衛隊」を派兵したところで、現憲法の下では海外での武力行使には大きな制約があることは防衛庁も認めざるをえず、いずれ憲法9条を改正せずにはその任務をまっとうできない。と言って岡田の言うような憲法改正を待っていてはいつになるやら分らない。9条改憲についてはなお過半数が反対しているが、対米協力は待ったなしなのだ。
 自衛隊の海外派兵と武力行使とは言うまでもなく、米国の反テロ戦争への加担を目的にしたものだ。その方法論をめぐって、「改憲」で行うのか、それとも小沢の「国連待機軍構想」で行うのかの違いであり、そのどちらにしても、米国の反テロ戦争に自衛隊が動員、利用されることに変りはないのだ。
 小沢流まやかしの「護憲」論に巻きこまれないためには、あくまで憲法9条を堅守し、日本の派兵を一歩たりとも認めない論理が必要だ。
 それは自衛のための「撃退武力」に基礎した最小限の武装は認めつつ海外派兵は断固として否定する徹底した自衛の論理、問われているのはまさにこの「非武装護憲」に代る「自衛護憲」の論理なのではなかろうか。


 
評論

「郵政民営化内閣」を評す

編集部


 9月27日、第二次小泉改造内閣が発足した。
 これに対する評価は、自民党内外で厳しい。野党は、「増税と改憲の内閣」「期待感ゼロのノーサプライズ内閣」等々と非難している。
 酷評の嵐のなか、当の小泉さん自身は、これを指して「郵政民営化内閣」だと自画自賛している。
 実際、内閣の顔ぶれを見ると郵政民営化支持者で固められている。特に、民営化を直接推進する経済財政・郵政民営化担当相、総務相(郵政民営化担当)、金融相は、それぞれ竹中平蔵、麻生太郎、伊藤達也と極めつけの民営化論者がなっている。加えて、幹事長をはじめ党三役まで武部、与謝野、久間と、これまた郵政民営化の積極推進論者で固められた。この片寄りのすごさに与党自民党内からまで非難の声が続出するのは当然だと言えるだろう。
 ところで小泉さんは、そんな非難などはどこ吹く風と、郵政民営化への不退転の決意を披露している。この尋常でない力の入れ方はなぜなのか。
 その答としては、一言で言って、郵政民営化こそが構造改革の「本丸」だからだということが言われている。その心は、結局、決定的なのは「金」だということなのだろう。すなわち、郵政公社が動かせる300兆円とも500兆円とも言われる金をどのように使えるようにするかですべては決まる、改革自体の成否も決まるというものの考え方だ。
 では、郵便、郵貯、簡保の三事業と三事業横断の「窓口ネットワーク」を持ち株会社のもとで一括運営するようにする民営化が資金運用にもたらす変化は何か。それは、国債購入一本だった資金運用から海外投資まで含む多様な運用への変化である。それが財政赤字のさらなる深刻化と財政投融資の大幅な縮小をもたらし、日本の国家としての存立基盤の弱体化と対米融合の促進に結びついていくのは容易に見透されることである。この持ち株会社がアメリカの超巨大金融グループなどと提携した構図などを描けば、郵政民営化がもたらす近未来像はさらに明確なものになるのではないだろうか。
 構造改革の本丸と言われる郵政民営化は、計らずしも「改革」自体の本質をより赤裸々に明らかにしてくれている。それが日本のために、われわれ自身のためになることなのか。今こそ、冷静な判断と熱い論議、そして国民的総意に基づく力強い闘いが問われているのではないだろうか。


 
文化

「わからない」から出発してこそ

森 順子


 本やドラマの「ヤンキー先生母校に帰る」で有名になったヤンキー先生こと義家弘介さんを紹介するビデオを見た。聞き手は作家の重松清氏。彼は「義家さんは昔ヤンキーだったから、すごい先生なのか。もし、そうであったらふつうの先生はやってられないじゃない。何が彼をそうさせるのか」 そんな疑問を抱えながら余市高校に向かう。
 生徒たちへのインタビュー。なぜ、この学校がいいの? 「うち、25(歳)じゃん、でも義家だけじゃなくほかの先生も話をきいてくれるから」 義家先生どんな先生? 「こわいけど、卒業するまで見守ってやるといってくれた」 いい先生とは? 「一人、一人のことを考えてくれる先生」「信じられる」「本気でやってくれる」「見捨てない先生」 将来の夢は? 「先生になりたい。恩返しがしたい」
 今の現実の教育現場を考えてみれば生徒たちのこのような答えは想像がつくことだが、落ちこぼれ、非行、校内暴力、不登校、中退、いじめまで体験した彼らが、なぜ余市高校で救われたのかだ。ひとつには、結束した教師集団がいることだと思う。義家さんは、それを「本校の場合、(教師集団と生徒たちを一つの)家族と考えている」と言う。ふたつめには「われわれの勝負は彼らと向き合うこと」と言っていることにあると思う。規律を破ったり、いじめにあたる行為をした生徒の良心を揺さぶり人間としてのあり方にまで真剣に迫り日に15時間も指導室で生徒と向き合うこともあるという半端じゃないその迫力、情熱。それにしても生徒たちに信頼される義家さんの魅力はどこにあるのか考えてしまった。
 以前に学校教育に関する本の中で、高校教師30数年という人が言っていた。「・・・正しいことや善いことが相手に伝わらないはずはない。なぜなら、かく思っている自分の思想は絶対に正しいはずであったからである。だが、生徒たちは進歩派教師のうぬぼれと思い上りと・・・軽く一蹴し、自分の教師としての力や技術ではどうにも対応できない事実に直面した」と。義家さんはこう言っている。「 生徒のことわかるわけがない。しかし、知ろうとすることはできる。わかろうとすることはできる。それがまた自分がしたいことなんだ」と。自分は正しいとして、それをわからせようとする先の教師に対して、わからないことを前提にしてわかろうと努力する義家さん。
 学校崩壊だけでなく、家庭や職場、地域に至るまで、すべての集団の崩壊が言われる中で、今、人々は新たな人間関係のあり方を模索している。そのために自分は相手のことをわからないということを前提にして、何とかわかろうとする義家さんの姿勢は非常に重要なことを示しているように思える。


 
朝鮮あれこれ

第一回国際武道競技大会

田中協子


 大国に囲まれ侵略の脅威を受け続けてきた朝鮮は壇君(BC.3OC)古朝鮮時代から武芸が盛んである。国技テコンドは高句麗時代から伝わっている。現在も共和国では子供から老人に至るまで生活の中でテコンドに親しんでいる。
 そんな朝鮮の地で9月15日から20日まで"友好・親善・平和・団結""正義の武道発展"を基調に国際的なイベントが開かれた。日本からはアントニオ猪木一行が参加すると聞き、開幕5日目の19日、皆と一緒に子供たちも連れて観覧に行ってきた。
 会場はピョンヤン市青春街のテコンド殿堂。足蹴り猛者の銅像が立つこの建物に入るのは今回が初めてだ。一般入場料は一人100ウォン(日本円で約6円)。ホールには大会ポスターが貼られ、テコンドの紹介コーナー、土産物店もある。ちなみに大会はこの殿堂を中心に周辺体育施設を利用してテコンド、空手、柔道、朝鮮相撲、囲碁(!)の競技が連日行われた。参加は40カ国、約400人という。
 2階に上がり場内に入ると客席は沢山の観客でにぎわっていた。主席壇の各国大会実行委員の中にアントニオ猪木の姿も見えた。
 その日は模範出演の日で、中央に据えられた大きな競技台では次々とテコンド、空手、太極拳など型動作が行われ、連続足蹴り、板・瓦割りで圧倒的強さをアピールしたのは朝鮮のテコンドだった。私が興味深かったのは今回初めて見たマレーシアや中国の民族武芸である。特にマレーシアのシルリドは民族衣装をまとった男女4人が、伝統音楽をバックに空手や柔道にも似た武術を見せてくれた。その攻撃的でない舞うような動作の中に長い歳月民族を守り抜いてきたマレーシア人の剛毅な精神を見たような気がした。また茶髪をなびかせながら素早い剣舞を披露してくれた中国の青年からは伝統武術が脈々と受け継がれているという印象を受けた。
 日本からの柳沢、滝沢、中村 etcといった総合格闘技の面々は観客サービス用の寸試合を見せてくれた。悪役と善役で観客を引き込み場を盛り上げる巧さはさすがだ。ふと、1995年、ピョンヤンで行われた平和スポーツ祭典で日本のプロレスの面白さをアピールし、朝鮮のちびっ子たちがプロレスごっこで遊んでいた光景が思い出された。今後、スポーツ交流が盛んになれば、いつかきっと日朝対抗の総合格闘技を熱く観戦できる日も来ることだろう。


 
 

編集後記

魚本公博


 大統領選たけなわの米国。ブッシュもケリーも反テロ戦争ということでは同じです。テロとは恐怖。テロの世界的拡散と残忍化、それを利用して、米国は世界でも国内でもやたら「恐怖」をふりまいています。
 そんな米国に一番恐れ入っているのが日本。だから日本の安保理常任理事国入りにも世界は米国の票が増えるだけだと冷淡。
 改革も郵政民営化も新防衛大綱も米国に脅されてやってるだけ。そして改憲まで・・・一体日本はどうなるのか。
 あのプロレスラーまがいのアーミテージは対日専門だとか。まずは、担当者の体と迫力で圧倒しようと米国の魂胆か。ならば、スポーツの秋、政府、自民党の政治家たちは、せめて体力、気力だけでも負けないように鍛錬に励んでほしいものだなどと「まじめに」そう思ってしまいます。


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