研究誌 「アジア新時代と日本」

第157号 2016/7/10



■ ■ 目 次 ■ ■

編集部より

主張 参院選総括 敗北を勝利に変えるために

議論 「自国第一主義」は排外主義ではない

議論 EU離脱 主権否定か、主権擁護か、問われる共同体のあり方

時評 「参院選」、闘いの現場からの総括

第二回・学習会 よみがえる科学者、水戸巌を学ぶ




 

編集部より

小川淳


 戦後政治に終止符を打つために
 参院選は惨敗に終わった。前回、「安倍政権への巨大な怒りの渦を巻き起こそう」と書いたが、「巨大な怒りの渦」は巻き起こらなかった。野党4党は「市民連合」との政策協定に合意し、32の一人区では野党共闘が実現していたにもかかわらず、有権者の支持は期待したほど集まらなかった。敗因の分析は、「主張」や「時評」に書いているので、是非参照して欲しい。
 自民党は、全体で56議席を獲得し、自公を含めた改憲派がほぼ3分の2を占めたこともあり、「圧勝」と言われているが、全有権者の中での得票割合を示す「絶対得票率」を比例区で見ると、約18,8%に過ぎない。これも前回書いたことだが、過去12回の国政選挙での自民党の絶対得票率はほぼ16から17%を推移しており、今回は今までより大きく票を伸ばしたわけではなく、この数字が示すように自民党への支持が回復しているわけでもない。
 注目したいのは54,7%という低い投票率だ。有権者の約半分の人が棄権している。大ざっぱな分け方だが、約3割の人が安倍政権を支持し、約2割が野党に投票し、約半分の人が棄権していることになる。安倍政権を倒すためには、この約5割の無党派層を動かすしかない。今回、これだけの人が棄権したのは、今回の参院選に有権者の半数はあまり期待していなかったことを示している。54,7%の投票率は、野党の安倍政権批判の呼びかけ(立憲主義や安保法案批判、反アベノミクス)では、無党派層の心を動かすことができなかったことを示している。
 戦後一貫して続いた55年体制が崩壊して、ほぼ25年が過ぎている。憲法よりも安保、対米関係を優先する自民党政治はとうに賞味期限を過ぎているにもかかわらず、その自民党政治がしぶとく生き残っているのは、自民党政治に代わりうる新しく魅力ある政治を野党が作り出せていないことに原因がある(とりわけ民進党の責任は重い)。安倍政権の政治を根本から批判しながらも、この無党派層の心に響くような魅力ある対決軸(立憲主義や経済を柱にした総合的な政策のパッケージ)を提示できていたなら、このような選挙結果にはならなかったはずだ。たとえそれが不十分なものであれ、提示すべきだったと思う。
 立憲主義や反安保法案は極めて重要な問題だが、風は起きなかった。市民連合と野党共闘という新しい民主主義の器(うつわ)はできつつある。問題は無党派層の心を動かす自民党政治に代わる魅力ある政治の「中身」を私たちが作り出していけるかどうかだ。



主張

参院選総括 敗北を勝利に変えるために

編集部


 参院選の結果は、自民56、公明14、おおさか維新7、民進32、共産6、生活1、諸派4。
 安倍政権は、自らが設定した勝敗ライン「改選議席の過半数」61を越え、27年ぶりの自民単独過半数まであと一つに迫る議席を獲得。そして改憲勢力3分の2も越えた。
 数字だけ見れば安倍政権の「圧倒的勝利」。早速、安倍首相は「国民の信任を得た」としてアベノミクスを加速させ、改憲作業を進めることを打ち出した。
 「安倍人気」の下での連敗。しかし、投票率は54%で戦後4番目の低さ。ということは「安倍人気」も相対的なものに過ぎず如何様にも逆転できるということだ。どうすれば、それができるのか。厳しい結果であるからこそ、そのことを真剣に分析し探し出さなくてはならない。

■「統一すれば勝てる」を巡って
 先ず確認すべきは「統一」すれば勝てるということ、ここから分析を始めよう。
 何としても「3分の2」を阻止しなければならないという思いの中で、市民連合などの積極的な働きかけによって、史上初の「統一候補」が32の一人区で実現し、11の議席を獲得した。
 世論調査によっても自民優勢が言われ、野党はせいぜい4議席ほどではと予想されていた中での11議席。それは、まさに「統一」の勝利と言っても過言ではない。
 統一が複数区、比例区でも実現していれば、結果はまったく違ったものになったであろう。「統一すれば勝てる」。これが参院選を通じて証明され、誰もが、「勝利のためには、それしかない」という思いを持つようになった。  こうして東京都知事選でも、鳥越氏が4党統一候補となることが決定した。
 今回の参院選から始まった「統一すれば勝てる」ということが、参院選に続いて都知事選でも当然のこととなり、よりすっきりした形で実現された。これは、参院選を通じて得られた大きな成果だと思う。
 「統一すれば勝てる」というのは、ある意味、単純な算数問題だ。見るべきは、その分かりやすい問題提起の中に込められた、より本質的な問題は何なのかを探り出すことにあると思う。
 その一つに、市民連合などの主体的な働きかけによって、政党がこれまでのやり方を変え、「統一」を実現したということがある。
 共産党は「皆さんのお陰で我々も変わることができた」と述懐した。その本質は、一言で言えば「民意に従う」ということであろう。それによって共産党も人気があがり、議席も増やした。

■民進の「一人負け」を考える
 だが野党第一党である民進はどうか。一人区での「統一候補」が実現するや複数区、比例区でも「統一」の声が強まったが民進党は応じなかった。その理由たるや、「今は、民進という名を浸透させるべきときだが、選挙法の規定で民進の名を使えないから」(岡田代表)というものだった。まさに党利党略。
 その結果、民進は43の改選議席を32に減らした。まさに民進の「一人負け」。一人区の「統一」が実現せず、それによる市民の積極的な支援活動もなければ、その惨敗は目を覆うものになっていただろう。一体、この不人気の原因はどこにあるか。よく、「政権担当時の失政」と言われるが、それは何だったのか。
 民進の前身である民主党が政権を握ったのは、小泉内閣の郵政民営化や安倍一次内閣の従米的な政治に対し、それに代わる新しい政治を示したからだ。それを「対等な日米関係」として選挙マニュアルに掲げた。しかし、鳩山内閣は、その立場から沖縄普天間基地移転問題で「国外移転、少なくとも県外」としていたものを貫徹しきれず、「認識不足でした」として突然辞任。次ぎを受けた菅内閣は所信表明で唐突にTPP参加を表明。前原国土相の陣頭指揮による尖閣問題の紛争化も、「アーミテージ・ナイ報告」で米国が「戦争できる国」になることを要求してきたことに応えるものであった。
 米国に睨まれたらやっていけない。その恐米、従米思想から来る民進の及び腰。戦争法についても市民連合は廃案だが、民進は「白紙撤回」。審議過程が民主的でなかったのが問題だからひとまず白紙に戻そうということでしかない。改憲についても、態度はあいまいだ。
 そうしたことを国民は鋭く感じ取っている。だから言葉だけであれ、「戦後レジュームからの脱却」「日本を取り戻す」と言う「安倍の方がまし」なのだ。
 参院選では沖縄、福島で現職大臣が落選し、東北6県のうち5県で「統一候補」が勝利した。これらの地域では米軍基地撤廃や原発・震災復興、TPP反対が切実な問題として提起され、安倍政権の従米姿勢が浮き彫りになったからである。
 欺瞞的な言葉で国民を愚弄し、民意に背き続ければ、いずれまた大逆転が起きるしかないのだ。

■旧さと新しさが鮮明になってきた欧米
 今、欧米では、グローバリズムや新自由主義を排斥する気運が台頭している。
 英国のEU脱退は、「イギリスがイギリスでなくなる」「EU官僚の押しつけで民主主義が損なわれている」というイギリスという「共同体」と主権・民主主義の回復要求である。ギリシャのチプラス政権。スペインのポデモスの躍進。イタリアでも反EUの「五つ星運動」のローマ市長が生まれた。ドイツ、オーストリア、北欧諸国でも、反EU・反グローバリズムの政治勢力が台頭している。米国でもサンダース氏が99%のための政治を唱えて善戦し、共和党候補になったトランプ氏も「アメリカ第一主義」を掲げ「世界の警察官をやめる」と言っている。
 注目すべきは、それが、これまでの二大政党制の枠外から、すなわち国民自身の直接の声として噴出してきたということだ。考えてみれば、二大政党制とは戦後の米覇権時代の産物ではなかったか。米国覇権を前提にして冷戦下では右か左かを争い、冷戦後は、その米国覇権の下でどちらがグローバリズム、新自由主義を徹底できるかを競うか、その弊害に対する小手先の収拾策を提示するだけのものになり果てた。
 それでは何も解決できないだけでなく、格差拡大、難民問題の発生など事態は深刻になるばかりだ。その現実を前に、これまで新しいものとして喧伝されてきたグローバリズム、新自由主義そのものを旧いものとして否定・排斥し、それに代わる新しいものを求める志向が台頭してきたのだ。
 勿論まだ、グローバリズム、新自由主義に代わる新しいもの、特に新しい経済を明確に示すことは出来ていない。しかし、フランス国民戦線のルペン党首が「今は左か右かが対立軸ではない、グローバリズムに従う政治なのか、国を守る政治なのかである」と言うように、まず国の在り方を考え、自国の主権を大事にし、その主権者である国民自身が自国のことを決めることができるようにすることが先決なのだ。こうすれば、グローバリズム、新自由主義に代わる「新しいもの」も国民自身が作り出していく。今は、そうした段階にあるということだ。

■オール東京からオールニッポンへ
 参院選で明確になった「統一すれば勝てる」を受けて東京都知事選でも「統一」が実現した。
 当初、俳優の石田純一さんが市民連合の意向を背景に「野党統一候補になれるなら立候補したい」と表明。個人的事情で辞退した後を受けた鳥越俊太郎さんの立候補表明と「野党統一」の実現。
 参院選を通じて証明された「統一」の威力。そのために、自分は何ができるかを考え、覚悟を固め、「自己犠牲」的に名乗り出る。
 そこには、安倍政権によるアベノミクスの加速、改憲策動を何としても止めなければならないという決死の思いがある。
 その思いを共にし、参院選のように、市民連合、野党の活動家、都民が一体となって、ネット選挙、選挙フェスなど、様々な方法を駆使して選挙運動を展開していけば、分裂選挙を余儀なくされた自民党候補に勝利することは十分に可能である。
 沖縄が闘いの中でオール沖縄になったように、東京都知事選の中でオール東京を実現していかねばならないと思う。
 東京が変われば日本が変わる。オール東京はオールニッポンに繋がっていき、日本のことは主権者である日本国民が決めるという国の在り方、立憲主義の日本を切り開いていく。
 それが参院選の敗北を勝利に変えるものになるのではないだろうか。



議論

「自国第一主義」は排外主義ではない

KT


 

 前号の私の問題提起、「『自国第一主義』こそ新しい」に、「『自国第一主義』は排外主義ではないのか」との反論があった。もともと、そうした説への反論のつもりで提起したのだが、意を尽くせなかったようだ。それで、少し違った角度から、改めて議論を提起させていただきたいと思う。
 最初に確認したいのは、同じ「自国第一主義」でも主張点はそれぞれ異なるということだ。他国と比べて、自国の優越を誇る「第一」もあるだろうし、物事を考えたり政治を行ったりするに当たって、自分の国のことをまず第一に考えようという「第一」もある。
 こう見たとき、今欧米などで言われているのは、主として後者の「自国第一」ではないかと思う。難民、移民の受け入れへの反対、ユーロ圏財政破綻国に対する緊縮財政押しつけやその救済のための資金拠出への反対、あるいは「世界の警官」、海外軍事基地維持のための経費負担反対、等々、それらは多かれ少なかれ、就職事情や治安の悪化、国の雇用や教育、社会保障へのしわ寄せなどを問題にしながら、「世界のため」「EUのため」もいいが、もっと自分の国のことを考え、その利益を図るべきだというものだ。これらは明らかに、「ゲルマン民族第一」「大和民族第一」など、他と比べ国と民族に優劣を付けて自らの優越を誇ったかつての「第一主義」とは異なっている。
 その上で次に問題にしたいのは、こうした「自国第一主義」の違いがどこから来ているのかということだ。それは何よりも、それらがなぜ生まれて来るのかその要因の違いによっていると思う。かつての「自国第一主義」は、覇権と覇権抗争のため、その正当化や勝利の根拠を求めるところから生まれて来たと言える。すなわち、優等民族、強大国が劣等民族、弱小国を支配するのは当然であり、その支配権抗争、覇権抗争で勝利するのは必然だということだ。
 それに対し、今の「自国第一主義」はどうか?今日、米国による覇権は、「米国第一主義」でやられているか?そうではない。トランプが「米国第一主義」を言っているのは、逆に「世界の警官」をやめて、カネと力をもっと米国自身のために振り向けるべきだということだ。この間米国は、圧倒的な核軍事力を背景に、国と民族、その主権、自主権を否定するグローバリズムを掲げ、失われた覇権の回復のため血眼になって来た。そのグローバリズムが世界的範囲で支配的思想となっている今日、EUではそれが原因となって矛盾と対立が限界点に達しており、当の米国でも、それを根因とする病理が全社会に蔓延している。今、自分の国のことを第一に考えようという「自国第一主義」が生まれて来ている要因はまさにこのような状況から抜け出ようというところにある。
 「自国第一主義」の違いは、また、それぞれを主張する主体の違いにもよっている。覇権と覇権抗争のためのかつての「自国第一主義」は、当然、それによって利益を得る独占大資本家など帝国主義者たちによって唱えられた。今も昔も、一般国民大衆が覇権によって得るものは何もない。広範な国民大衆がかつて「自国第一主義」を唱和させられ、戦場に送られ戦災に苦しめられた血の教訓は決して忘れられてはならない。
 グローバル覇権に反対する今の「自国第一主義」の主体は、他ならぬ国民大衆自身だ。難民、移民の受け入れや緊縮財政による雇用や社会保障の削減に反対して、広範な国民大衆が街頭に進出し、「極右」政党を国政を左右する大政党に、トランプを大統領候補に押し立てている。
 かつて見られなかったこうした新しい流れをどうとらえるかはきわめて重要だ。周知のようにマスコミは、これを大衆自身が政治を直接握り動かす新しい民主主義と「自国第一主義」の結合だとしながら、「右翼ポピュリズム」と烙印している。このレッテルは果たして正しいのだろうか?
 覇権や覇権抗争に無縁な国民大衆が求めるのは、自分の国の幸せな発展だ。難民、移民の受け入れに反対するのもそのためだ。決して彼らの排斥ではない。そうした中、仏国民戦線など「極右」政党が排外主義を捨て広範な国民政党に「変質」してきているのなどは注目すべきことだと思う。米国による覇権が行き詰まり、覇権そのものが通用しなくなっている今日、「自国第一主義」を求める新しい民主主義の流れは決して排外主義ではない。それどころか、グローバル覇権を最終的に打ち破る最強の力になるのではないか。


 
議論 EU離脱

主権否定か、主権擁護か、問われる共同体のあり方

東屋浩


 6月23日イギリス国民はEUからの離脱を選択した。それは、単に「前代未聞の出来事」「世界経済と日本経済に大きな混乱をもたらす事件」だけではない。それが意味する本質的なことは何か? それを考えたい。
 識者、マスコミは、EU脱退がイギリス経済に大きな打撃を与えると警告してきた。また、国民投票直前には残留派議員が殺害され、世論は残留に傾いた。にもかかわらず、国民は離脱を選択した。72%の高い投票率のもと51,9%対48,1%の差である。しかも、スコットランド、北アイルランドはEUに依存してイギリスから独立したいという意味合いから残留を支持した。それゆえ、それを除けば国民の離脱の要求はさらに高いものとなる。
 なぜ、国民は離脱を強く要求したのか?
 残留を望んだのはロンドンに居住する資産家と自由な移動を求める高学歴層であり、地方の一般の労働者、下層、年輩層の人々が強く離脱を望んだという。
 ジャーナリスト山田厚史氏(元朝日新聞編集委員)は「自動車産業など企業にはEUの恩恵の実感があるかもしれないが、大多数の勤労者にとっては移民、職業、社会保障など不満、EUの恩恵を実感しない。中間層の没落。これにEU官僚が偉そうにしている」と述べている。
 一般の庶民は東欧からの移民の流入により、職場が奪われ、学校・医療のサービスの機会も制限されてきた。東欧からの移民を制限し職場を確保し、学校・医療の恩恵を以前のように受けたいという生活上の要求が根底にある。
 その要求を実現できないようにしているのが、「人、物、カネの自由な移動」というルールを押しつける超国家組織EUだ。
 そこから、「イギリスがイギリスでなくなる。自分で決められない」と一市民が言っていたように、イギリスという国がなくなり、国民の意思で決定する民主主義がなくなるという危機意識がある。つまり、主権をとりもどし自分のことは自分で決める民主主義を実現していくという、主権意識と民主主義が結びついた強い動機によって離脱を選択したといえる。
 これに対する「右翼ポピュリズム(大衆迎合主義)が混乱をもたらしている」という非難は当たっているだろうか。グローバリズムに反対する国民の意思を見ようとしていないのではないか。
 山田氏が「グローバルな枠組みが変わっている端境期に、時代の節目に大衆が動き出して、秩序の崩壊が始まった」と指摘するように、イギリス国民のEU離脱の選択はグローバリズムの破綻を告げ、国家主権の擁護、尊重が時代の趨勢であることを示した歴史的な出来事だといえる。
 EUの理想の原点は「資源を奪うための戦争をしない」ことだった。また、アメリカに対し欧州の独自性を発揮する意味もあった。しかし、EUは国家主権を制限する、「人、物、金の自由な移動」というグローバリズムの地域共同体となった。
 その結果、安い労働力で利潤を得るのは巨大多国籍資本であり、勤労人民にとっては失業、福祉切り捨てによる格差の拡大でしかなかった。イギリスでは移民受け入れを、スペイン、ギリシャでは緊縮政策を押し付けられている。グローバリズムは、国の自主権を否定することにより諸国民を最大限、収奪する覇権の極致だ。
 ティエリー・ボデさん(オランダ・国民投票を呼びかける市民グループ)は「国家を超えて一つの共同体になるという考え方は間違っています。別々の国家として存在しながら協力しあえば良いのです」と述べている。
 国家は、人々の運命を拓いていくための基本単位となる政治共同体だ。だから、国民の意思で国家を運営していくことを保障する国家主権がもっとも大切だ。
 「平和と繁栄」というEUの理想は、国家主権の擁護・尊重と各国の協力をはかる地域共同体によってはじめて実現されると思う。
 反グローバリズム・国家主権擁護は、押しとどめることのできない時代の流れだ。



時評

「参院選」、闘いの現場からの総括

平 和好


 

 参議院選挙は大方の事前予測通り、わが野党勢力が負けた。最大野党の民進党の立場に立って総括を試みたい。

■敗北は自然現象ではない
 まず、敗因の1は、政権を滑り落ちて以後の政策的路線的総括が不十分なまま、選挙に突入してしまったことであろう。何といっても自滅か禅譲のような形で4年前の暮れに突如、解散を行い、みすみす安倍に「政権を譲った」野田政権の根源的誤りを全然総括できなかったことがそもそもの敗因だ。その前の菅政権は少しましであったが、それでも財務官僚に踊らされて消費税アップを提起した6年前の参議院選挙で政権党凋落の始まりを作ってしまった。野田に至っては政権を譲る条件として、消費増税(社会保障改革とのセットとはいえ)と国会議員定数削減という国民的利益に反する事を安倍に提示したのであるから利敵行為と言うべきだ。この二人を代表に選出することに国会議員と地方議員の多数が協力して、なおかつ小沢一郎氏を民主党から追い出す、あるいは出て行くように仕向けたのだから今日の事態は自業自得ともいえる。敗北した現職議員たちがインタビューで述べた「力不足」は実はそういうところにある。

■生活課題解決方針の不足
 敗因の2は困窮する市民生活を救う具体策を選挙戦・事前の政治活動で示せなかった事だ。  佐々木さんという人がある媒体で「アベノミクス資金残金の半分120兆円を1億2千万人に分配すれば4人の家庭なら400万円給付できる。」という提案をされていた。これは良いと思って野党各党にお送りした。共産党はそこまで極端でなくても近いものを出していたので言わなかったが・・・。これぐらい夢のあるものを打ち出さなければ投票行動を起こさない。驚くべきことに送った4陣営・政党とも、一切の返事がなかったのだ。今時反動安倍政権ですら「貴重なご意見ありがとうございます」だけは自動返信で送って来ると言うのに。「その案はダメです。」と言うならその党なりの違うプランを呈示してくれれば納得もできるのだが。憲法擁護もナチスばりの緊急事態条項反対も、アベノミクス批判も大事には違いない。しかし、明日の暮らし、今月末の支払いをどうするか途方に暮れる市民がそれらを訴える街頭演説を聞いて、さてここから自分の暮らしを改善してくれる演説が始まるのでは、と耳を傾けたら「ということでわたくし※※をよろしく!」で終わりになり、肩を落として去る市民の耳にそのあと大音量で入ってくる「強い経済」「教育無償化」などのインチキスローガンにコロッとだまされ、自公やお維に入れてしまう悲しい姿があったのではないか。

■安倍別動隊おおさか維新
 敗因の3は、そのおおさか維新だ。大阪・兵庫の民進党がお維にスッテンころりんさせられたのは維新を叩き潰しておかなかったからだ。もっと言えば民主党政権がきわめてよくない経過で瓦解していく過程で維新が息を吹き返した。民主党政権が正しく頑張っていれば安倍勢力と並んで橋下勢力もショぼーーんとなって金の切れ目は命の切れ目、今頃干からびて絶滅しているかもしれないのだ。直近の大阪府知事・市長選挙で共産党や市民団体勝手連がその体力一杯に頑張って反維新の活動をしたのに、当時民主党だった党組織、自治体議員・元議員、連合本体などの動きは鈍く、自由に宣伝活動もできなくなる本番になってから動き出すありさまであった。ここが僅差で勝てた大阪都住民投票との違いだ。

■本当のたたかいがこれから始まる
 これらの敗因を冷静にしっかり見れば、「不思議の負け」無しなのだ。実はぼろぼろの状態だったにも拘わらず、大阪34万票、兵庫42万票を獲得したのはよく頑張った成果には違いない。全国11の1人区での勝利は野党共闘の大成果だ。自公の金力権力に及ばなかった残り21の区でもかなりの接戦になったところが多い。民進党一部幹部には「党勢回復」と捉える人がいるかもしれないが間違っている。野党共闘を進めた岡田路線を評価してかなりの有権者が入れてくれたのであり、連合会長が「32議席は話にならない。根本総括が必要」とコメントしたのが正しい。しかしそれは連合が実際野党票拡大のために総力をあげてたたかったのかという総括でなければならない。
 要はこれからが大事だ。この野党共闘をあらゆる政治選択の場面で大きく広げていく、そしてそのためにすべての人が努力しなければならない。たとえば大舞台の東京都知事選挙、じっと黙視するなどは下の下だ。だれでも東京に多少の差はあっても知り合いか家族がいるはずだ。いよいよいなければ埼玉都民、神奈川都民、千葉都民がいる。その人たちに根こそぎ電話を入れよう。その人たちは東京に必ず知人・親せきがいる。「分かっているはず」は甘い。
 なお、憲法改悪はできなくなった。「憲法は争点ではない」と安倍や自民党が言い、マスコミもそれを大々的に報じて争点隠しに協力した。と言うことはこの参議院選挙で改憲勢力が3分の2を上回ったけれども改憲してはいけないのだ。どうしてもしたいなら、改憲項目を明示した総選挙で信を問い、国会審議・市民意見聴取を経て、合意できた分(強行ではなく)についての発議を数年かけてでも検討するべきだ。
 以上、今回の選挙結果についての一考察を出させていただいた。ご意見があればお聞きしたい。



第二回・学習会

よみがえる科学者、水戸巌を学ぶ

文責・金子


 6月18日、本紙主催の第二回学習会が開かれました。
 講師は、高浜原発再稼働さし止め訴訟で先頭に立ち、現在は「子ども脱被ばく裁判」を支える会・西日本の代表として日夜奮闘されている水戸喜世子さんです。
 水戸さんの夫は、原子核物理学者の水戸巌氏です。巌氏は70年代より「原子力発電は永久の負債だ。原発は原水爆時代と工業文明礼賛時代の終末を飾る恐竜である」と原発に警鐘を鳴らし、現地調査や法廷闘争で反原発の最前線に立ちながらも、チェルノブイリ原発事故のあった1986年、厳冬の剣岳で二人の息子さんと共に帰らぬ人となりました。ご自身安保闘争やベトナム戦争反対に携わる一方、逮捕者への支援も行い、救援連絡センターを築いていかれた方でもあります。  今年は巌さんの没30年ということで、「よみがえる科学者・水戸巌と3・11」―<水戸巌が目指したもの>という題目でお話して頂きました。
 初めに、今年3月「映像'16」関西ドキュメンタリー番組で放映された「よみがえる科学者〜水戸巌と3・11」(MBS放送)を喜世子さんの解説を交えて皆で見入りました。
 番組には、いろいろな形で生前の水戸さんと関わりをもたれた方々が出演され、水戸さんについて語られていきます。
 浪江町から避難され二本松市の仮設住宅で暮らしている漁民の桜井さんは、38年前、水戸さんが学生をつれて福島第一原発周辺の海の調査に来られ、ホッキ貝から放射能物質を検出。安全と言われていた海の放射能汚染に漁民たちが衝撃を受けたこと、桜井さんの兄などが原発反対の先頭にたち、水戸さんがそれを科学者としての専門知識で支援されたこと。「事故が起きたら、(国道)6号線の東側は無人になる」と言った水戸さんの言葉が現実となった今、桜井さんは「これは運命じゃない」とつぶやきます。
 また、元東芝の原子力技術者の後藤さんは「炉心溶融、水素爆発。福島原発事故で起きたことの9割がたが(水戸さんの文章には)出ている。予言の書だ」「安全への引き続きの努力などという精神論で乗り越えられるほど原発は甘くない」と語る。
 私が一番衝撃をうけたのは、東海村の話でした。行動する科学者水戸巌氏の原点と紹介されている東海村は、日本で初めて原子の火がともった場所です。1957年、米国の「原子力の平和利用」政策を取り入れた政治主導の国策により、ありふれた農村から原子力の町へ姿を変えた東海村。戦前は軍事基地が置かれ、戦後にはそれが米軍基地に変わり、爆撃練習の誤爆により1960年までに住民20名が亡くなる。基地反対闘争が起き、次第に基地は縮小してゆきましたが、それと引き換えかのように、隣接する松林が研究用原子炉の拠点になり、米軍基地から核燃料基地へと。その頃は、最先端技術が来ると住民の間ではバラ色の未来を描くものが大半であったと語る村会議員を3期務めた相沢さん。
 その相沢さんたちが1973年に、国内最大級の出力を持つ東海第二原子力発電所の設置許可取り消しを求め裁判を起こします。この時に、東京から手弁当で足しげく通い、専門用語をかみ砕いて、分かり易く、明確にきちっとその論拠を説明してくれたのが水戸さんであったと言います。水戸さんは、大都市を周辺に置く東海村の原発は「日本で一番危険な原発」と指摘。その言葉が、まさに3・11の東日本大震災で実証されていたこと。あの日、福島だけでなくここ東海村の第二原子力発電所でも2系統あった外部電源がすべて喪失し、非常用の発電機が作用したが、津波で一部がダウン。炉内の温度が安定せず、福島と紙一重の状態になっていたというのです。その後外部電源の1系統が回復して4日後に冷温停止して惨劇を逃れたとのことです。5・4メートルの津波を1メートルの妨壁で防いだという事実を知った時には寒気がした。30キロ圏内には100万人の人々がいる。ぞっとする。原発は電気と水がないとコントロールできないと語る相沢さん。かつて原子力と共に生きると誓った東海村に、「日本一危険な村」「原発断固反対」の看板が掲げられるように。しかし、再稼働を目指す「日本原子力発電」は、緊急用の電源車を設置し、万が一に備えており、テロ対策として周辺警備を一層厳しくしています。「原子力発電は人間を縛るようになる」という40年前の水戸さんの言葉が3・11以降東海村で言われ始めているとのことです。しかし、相沢さんは言います。今だから水戸さんの言葉も花開いている。水戸さんのような人が現れない。科学者や法律家が発言してくれればもっともっと(反原発の闘いも)変わったものになると。
 映像では、米軍から資金援助を受けた日本物理学会を、軍との関係を拒否する学会へとするために果敢に闘われた水戸さん、また、チェリノブイリ原発事故後の日本への影響を調べるための水戸さんの奮闘が描かれ、最後は冬山で命を落とす前に若い学生たちに語った「現在日本は25%を原発に依存している。もう引き返せないと言う言葉もきく。チェリノブイリ級の事故が10年に一回、20年に一回起きる覚悟して生きるのか。私はそういう生活は拒否すべきだと思う。今が引き返す最後のチャンスである」という30年後を予見したかのような言葉が今よみがえるというナレーションでしめくくられます。
 常に民衆の側に立ち物理学者として言うべきことは言う、たとえそれが科学者として不利な状況におかれようとも科学者はそこから逃げてはならないと主張し、全身全霊を傾けた水戸巌という稀有な物理学者の妻として、そんな父親の後を追う二人の息子の母として生きた水戸喜世子さん、そしてこの最愛の存在を突然奪われてしまった喜世子さんの悲しみと絶望はどれほどのものであったか。事故以来社会とのかかわりを断ってきた喜世子さんに心境の変化をもたらしたのは3・11の福島原発事故でした。「巌の言ってきたことを今こそ伝えていかねばならない」この使命感が、喜世子さんに新たな命を吹き込んだのだと感じました。
 後半は、こうして開始された喜世子さんの今日までの活動、即ち高浜原発運転さし止め仮処分裁判のこと、「子ども脱被ばく裁判」の活動のこと、ニュージーランドへ避難した福島からの避難者との交流の話などなど、興味深いお話を聞くことができました。
 質疑応答では参加者との話が尽きず、二次会、三次会と続きやっとお開きになりました。
 「よみがえる科学者・水戸巌」という表題ですが、福島の原発事故があり、それを警告していた水戸巌さんの発言や文章がもう一度注目されているという客観的な背景あると思いますが、私には巌さんが喜世子さんを起ち上がらせ、その喜世子さんが巌さんをよみがえらせているように感じられました。喜代子さんの情熱的な溌剌とした姿に触れ「使命感ってすごいな」と改めて感じさせられた一日でした。


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