研究誌 「アジア新時代と日本」

第148号 2015/10/10



■ ■ 目 次 ■ ■

編集部より

主張 今、新しい政治が時代を開く

議論 マイナンバー―問われる誰のための国家

議論 難民問題、問われているのは「国を開く」ことか?

投稿 戦後70周年 安保体制からの脱却、アジアの安定と共栄へ

闘いの現場から 安保法案可決の日の国会前 大同団結でペテン師政治完全消滅を




 

編集部より

小川淳


 沖縄の闘いで、安倍退陣の第2幕が上がる
 安保関連法案廃止、脱原発の闘いとともに、日本の平和と民主主義をめぐるもう一つの重要な闘いが沖縄だ。
 10月13日、沖縄県が米軍普天間基地の移設先としている名護市辺野古沖の埋め立て承認の取り消しを決定した。国は直ちに行政不服審査法に基づく審査、取り消しの効力を止める執行停止を求めている。私人でもない国が国に救済を求めること自体が異常なのだが、国民の大多数が反対する安保法を成立させ憲法でさえ踏みにじった安倍政権のこと、なりふり構わず工事を「粛々と」強行するのは間違いない。
 だが翁長知事には「県外土砂規制条例」もある。県内に持ち込まれる土砂について、特定外来種の侵入を規制する為のものだが、当然、辺野古沖で使う土砂も対象となる。辺野古の埋め立てに必要な土砂(東京ドーム17個分)は、県外調達が見込まれている。持ち込まれた土砂を調べる県の審査だけで5〜10年かかるかもしれない。その間、辺野古埋め立て工事は止まるのだ。
 国際世論に訴える動きも加速している。9月21日には翁長知事がジュネーブの国連人権理事会で演説し、改めて、戦後70年にわたる沖縄の現実と辺野古移設を止める覚悟を示した。オール沖縄の闘いへの連帯も広がりを見せている。アメリカのバークレー市議会、吹田市、尼崎市、岩倉市、武蔵野市、白馬村の各議会は、沖縄の自治の尊重を求め、沖縄の人々を支援し、辺野古・大浦湾の新基地建設に反対する決議をあげている。
 沖縄の基本的人権や自己決定権を確保するために、そして何よりも日本の民主主義を成熟させるために、私たちは辺野古への基地移設を止めなければならない。
 日本の近代史を振り返るなら、日本の台湾、朝鮮、中国へと向かう、その第1歩が1879年の「琉球処分」だったことがわかる。戦争では本土決戦の「捨て石」となり、戦後は米軍占領下におかれ、復帰後も「基地の島」となり、そして再び美しい海岸を米軍に奪われようとしている。辺野古移設を許すなら、この理不尽な「琉球処分」にまた新たな1ページを加えることになる。
 今、将来の沖縄独立を視野に入れた議論が始まりつつある。「琉球民族独立総合研究学会」が9月27日に、米ニューヨーク大でフォーラムを実施し反響は大きかったという。沖縄(琉球)への借りを清算することなしに、日本の「戦後」は終わらない―それが日本人にとっての沖縄問題なのだと思う。



主張

今、新しい政治が時代を開く

編集部


 日本でも世界でも、今、政治が変わってきている。安保法制や米大統領選、EUなどをめぐる日本や米欧、世界の政治状況は、従来の「常識」からは考えられない想定外の様相を呈してきている。それが何を意味するか、見極めることが問われていると思う。

■「廃止」「退陣」へ、闘いはこれから
 今夏の安保関連法案反対の闘いは、あの60年、70年安保闘争を彷彿とさせる盛り上がりをみせた。だがその一方、かつてと今回、両者の間に大きな違いがあったのも事実だ。違いは、法案が強行採決されたとき決定的に現れた。「安保強行」とともに運動が急速に終息してしまった前二回の闘いに対し、「闘いはこれから」、それが今回だった。
 実際今回、強行採決の前からそれを見越した闘いが準備されていた。成立した法案を廃止に追い込むための安保法の違憲確認を目指す各種訴訟が法律家千人規模の弁護団や原告団の組織というかたちで始まっていたし、来年の参院選、その先の衆院選まで射程に入れた「賛成議員を落選させる」運動が呼びかけられ、全国各地に「安倍政権退陣」を掲げるデモと集会、学習会が雨後の竹の子のように組織され、その気運に後押しされるかのように野党各党に選挙協力に向けた動きが生まれた。そして、強行採決四日後の集会で二万五千参加者を前にシールズの奥田愛基さんは、「メンバーは悲壮感を感じていない。もう次の闘いの準備はできている」と挨拶し大きな拍手を浴びた。

■闘いの根底にあるもの、新しい民主主義
 前二回の闘いと今回、両者の間にある違いはどこから来るのか。それについて哲学者の西谷修さんが面白いことを言っていた。昔運動を引っ張った学生は、日常生活への埋没を拒み政治に乗り出した「前衛」だった。だが今は違う。「ごく普通の学生」が自分たちの日常生活の場に政治を引き寄せている。まさにそのためだろう、彼らが主導する運動の輪は昔とは比較にならない幅を持って広がっている。子ども連れのママさんから中学、高校生、学者、自営業者まで、誰もが理解できる言葉で互いに共感し合いながら結びついている。
 そうした中、民主主義が変わった。「選挙が民主主義」から「デモが民主主義」へ。デモも、「ラップでアジテーション」、新しいデモへ。さらには、選挙もその意味が違ってきている。「賛成議員」落選運動、参院選へ「野党協力」、等々。民意が政党、政治家を動かし、政治を決めるための選挙へ。
 民意無視の安保国会、「民主主義の死」から何が生まれたか?民意の受け皿不在で死んだこれまでの古い民主主義、政党、政治家に任せきりの「おまかせ民主主義」から、生活者である国民自身が生活に根ざしながら、主権者として彼らを動かし政治を決める新しい民主主義へ。「決めるのはわれわれ」、それが合い言葉だ。
 この大いなる変化は偶然ではない。そこには日常生活の足元からの崩壊という厳然たる現実がある。経済の長期停滞と格差・貧困の深刻化、それに加えて「戦争する国」への転落、そして地方の疲弊・・・。生活基盤の崩壊が、「日常生活への政治の引き寄せ」を必然的なものにした。変化を生み出した現実はそれだけではない。IT産業の発達に基づき皆が瞬時に結びつくネット社会の出現。民意の受け皿が消滅した「民主主義の死」を乗り越え、自分たち自身が政党、政治家を動かし政治を決める国民的意思のかつてない幅を持った高まりは、まさに歴史の必然に他ならない。
 この全国、全国民に広がり、生活に深く根ざしながら、国民自身が「政治を決める真の主権者」として登場した新しい民主主義こそが、「安保強行」を乗り越え、闘いの新しい出発を生み出す原動力になっている。

■世界が志向する新しい政治
 新しい民主主義への志向と要求は、日本だけではない。世界の至る所で噴き出し、従来の政治のあり方を変えるうねりをなしてきている。
 高まる民意と民意の受け皿の不在、もはや民意を反映できなくなった米国式二大政党制、古い民主主義の時代は終わった。スペインのバルセロナ市議選で二大政党、国民党、社会労働党を破り第一党となり、今年末の総選挙では「反欧州統合」「変革のための連立」の旗の下、新政権樹立が確実視される新党「ポデモス」(スペイン語で「われわれはできる」の意)の躍進はその象徴だ。
 異変は、二大政党制の本家本元、米英でも起きている。従来の米国式政治を変えることに賛成66%、反対28%。共和党・大統領選候補者選びで、古い政治の転換を叫ぶ「非政治家」、トランプやカールソンが「政治家」ブッシュを圧倒。公立大学無償化やウォール街規制強化などを掲げる急進左派、サンダースによる民主党本命、クリントンへの肉薄。一方英国でも、「大きな政府と公平な社会」を掲げ従来の新自由主義政治を真っ向から否定するコービンの労働党党首選出。これら異変の根底に、「99%のための政治」を求める民意と「1%のための古い二大政党政治」の誰の目にも明らかな乖離があるのは言うまでもない。
 新しい政治への志向は、新しい民主主義を求めるうねりとともに、それと一体に、人々の生活と運命開拓の拠り所を国と民族に求める新しいナショナリズムへのうねりとして現れている。
 今日、弱肉強食の覇権政治の極致である米国発新自由主義、グローバリズムの政治は完全に行き詰まっている。全世界を覆う経済の停滞と格差と貧困、テロと戦争、等々、人々の生活基盤そのものの崩壊、それにともなう数千万難民の流出など、国と社会の根底からの崩壊を生み出すこの未曾有の危機は、その現れ以外の何ものでもない。
 どうしたらこの危機からの脱出は可能か。それは、人々の生活のもっとも基本的な場である国と民族に拠る以外にあり得ない。このかけがえのない拠り所を否定し破壊するグローバリズムの幻惑を突き破り全世界至る所に噴き出るナショナリズムの奔流はそのことを示している。
 世界に強まるナショナリズムの潮流。それを危惧する声は根強い。だが、それは弱肉強食の覇権抗争をこととした古いナショナリズムではない。自らの生と運命開拓の拠り所を国と民族に求め、その自主権、自己決定権を要求する反覇権自主の新しいナショナリズムだ。
 新しいナショナリズムは、覇権の極致、新自由主義、グローバリズムに反対する闘いとして、新しい民主主義と一体だ。それはスペインの「ポデモス」だけでない。民意に訴え民意に依拠して推し進められる、EUの主権制限に反対するギリシャなど「反欧州統合」の波。スコットランドやカタルーニャの独立運動。自らの自己決定権を求め、「オール沖縄」で推し進められる辺野古の反基地闘争は、まさにこの世界的趨勢に合流している。
 新しいナショナリズムと新しい民主主義の結合、世界は、今、この新しい政治によって大きく変わろうとしている。

■新しい政治が日本を変える
 今日、日本でも新しい民主主義とナショナリズムは結びつき、一つの新しい政治、民主・自主の政治をなして、これまでの日本と日本政治のあり方をその根幹から揺るがしてきている。
 「オール沖縄」の闘いに始まり、「オール佐賀」など、民意が政党、政治家を動かし、地域主権の政治を決める闘いは、その先駆けだったのではないか。イデオロギーでなく沖縄人としてのアイデンティティを先立て、「オール沖縄」で全野党を結集し動かして、辺野古反基地闘争、沖縄の自己決定権実現の闘いを推し進める翁長沖縄の新しい政治は、日本を変える可能性に満ちている。
 新しい民主主義とナショナリズムで日本の未来を開く闘いは、今何よりも、「立憲主義」の旗の下、「戦争法廃止」「安倍政権退陣」を目指す闘いとして推し進められている。憲法をないがしろにし、米国の言いなりになってつくられた安倍政権の「戦争法」に反対し、憲法を尊重して平和を志向する「立憲主義」は、対米自主の新しいナショナリズムであり、それを新しい民主主義で実現する民主・自主の新政治に他ならない。
 この新しい政治による反戦争、反基地、そして反原発の闘いが、今、安倍政権を根底から揺るがせている。それを通して、民意が野党を動かし、その協力・結束を促し、全国、全国民が力を合わせて、「国民連合政権」を樹立するための闘いが促進されている。
 生活に根づいた力強さ、全国、全国民が立ち上がった幅の広さ、「われわれが決める」という高い主権者意識。米国覇権の衰退という時代的現実を背景とする自主意識の高まり。新しい民主主義とナショナリズムに基づく新しい政治には、日本を変え、時代を開く力があると思う。



議論 マイナンバー

問われる誰のための国家

東屋浩


 2013年5月にいわゆる「マイナンバー法」が成立し、今年9月「マイナンバー」の利用範囲を預金口座や特定健康診査にも拡大する「改正マイナンバー法案」が成立した。来年1月より「マイナンバー」利用が始まる。年金・雇用保険・医療保険の手続、生活保護など他福祉の給付、確定申告の手続など、勤務先からの給料受け取り、銀行利用で「マイナンバー」が必要となる。「マイナンバー」なしに人々は生活できなくなる。
 「マイナンバー」とは国民背番号制のことだ。「マイナンバー」には、家族構成から税金の支払状況、給料や預貯金、不動産などの資産情報、生命保険や医療に関する情報、犯罪経歴など合計で93項目にも渡る個人情報が網羅されている。
 各国の国民背番号制は社会保険型、税型、住民登録型などに分かれるが、日本の「マイナンバー」はそれらすべてを統合し、できるかぎりの多くの個人情報を一つに網羅し、すべての機関で利用できるようにしたものだ。そういう意味で個人情報をすべて網羅した究極の国民背番号制だといえる。

「マイナンバー」制度の危険性
 国民背番号制の危険性についてこれまで多く指摘されている。国民の管理、監視、プライバシー侵害などなど。とくに「マイナンバー」は93項目にもなる個人情報があり、そこに個人の好み、趣味、何を購入したのかなどの他の情報までヒモづけされることになっている。
 これについて、「共通番号いらないネット」代表世話人の白石孝氏は「民間分野に同じ番号を使ってヒモづけすることを安倍政権は成長戦略と言っている。成長どころか国が亡びる」と強く危惧している。個人情報を国家だけでなく、企業が握るようになるからだ。しかも、番号の流出事故が各国でも問題になっているほど、絶対安全とはいえない。流出した番号を悪用すれば、人の財産を盗むなど簡単にできる。白石氏はそうした混乱が避けられないというのである。まさに、国民の財産を国や企業が収奪するための究極の番号制だということである。
 さらに危険なのは、国民管理、監視のツールとして利用されることだ。できるだけの個人情報を網羅したマイナンバー制の導入により、秘密保護法とあわせて国民監視制度を基本的に確立することができる。元CIA職員が証言したようにアメリカが日本国民を盗聴し、個人情報を収集している現実がある。そのことは、日本政府とともにアメリカによる国民監視体制が確立される危険性があることを意味している。

■問われる国家の役割
 どの国も多かれ少なかれ国民番号制を導入している。国民番号制はツールにすぎない。問題はそれがどう使われるかであり、それが国民に服務するものなのか、国民を監視するものなのかという国の姿勢にかかっている。
 スウェーデンの場合、医療や無料教育の実施など社会福祉制度の活用に使用され、国に対する国民の信頼も高い。行政サービスのための番号制だということができる。国家が国民に奉仕する機構であれば、番号制はそのために使われる。
 国家が国民を管理、収奪する機構であれば、「マイナンバー」は強力な国民監視の手段、国民収奪の道具になる。まさに、日本の場合がそうだ。
 現在、下層老人が問題となり、若い非正規労働者の多くは5年先の生活を描けないとして年金に加入しようとしない状況だ。今、社会福祉制度で問題なのは行政サービスの効率化をはかることでなく、社会福祉の手厚い実施と労働条件の改善で、二極社会を是正することではないか。だが、政府は「自助努力」を掲げた福祉の切り捨てと「改正派遣労働者法」でさらに二極化をすすめている。
 日本の場合、「マイナンバー」は国民の福祉行政サービスのためではなく、他の目的、すなわち国民監視と収奪のためだということは明らかだ。それは行政サービスに不要な医療、学歴、結婚歴などあらゆる情報をマイナンバーに連結させようとしているところにも表れている。
 誰がこの情報を握りどう利用するかで、マイナンバーは恐ろしい危険なツールになる。
 そうであればこそ、国家の在り方が問われなければならない。国民に奉仕する国家を確立するためにも、安倍自民党政権を倒し、民意を体現する国民の民主主義政権を樹立しなければならないと思う。


 
議論

難民問題、問われているのは「国を開く」ことか?

永沼博


 今、難民問題が大きな国際問題になっている。とりわけシリア難民。すでに欧州に入国した数50万人、今年中に100万人を越えると予想されている。この膨大な数も氷山の一角。シリア難民だけで国内に700万、周辺国に400万人。今や紛争地を逃れて難民になった人は全世界で6000万人。この収拾不可能なほどの事態の出現。難民問題解決は緊急の課題だ。

■これを「チャンス」などと言ってよいのか
 こうした中、安倍首相が国連総会でシリア、イラクの難民支援に970億円の拠出を表明したことを受けて、朝日新聞(10月1日)が社説で「いかに『国を開く』か」だという問題提起をしていた。
 社説氏の言わんとすることは、日本が難民受け入れに消極的(シリア難民の認定は3人)だが、それは日本の閉鎖性による、だから「国を開く」という意識をもたなければならないということだ。
「難民受け入れ」に関してEU大学院大学学長という人が「これはチャンスだ」と言っている。彼によれば、欧州も人口減が進み、労働力人口は減少する、そうなれば経済発展は望めない、だから難民の流入は欧州にとってよいこと、ドイツの企業家も歓迎している、と。
 日本でも少子高齢化が進む中、経済界では移民受け入れ要求が高まっており、彼らの中からも、「難民受け入れ問題」をチャンスと捉える声が出ている。
 まさに、それを視野に入れた社説なのだろう。しかし、難民の流入を「チャンス」と言うのは、いかがなものか。そこには難民の苦痛を思いはかる人間的な心が感じられない。
 難民問題の解決の為に先ず考えなければならないのは、難民自身の要求だろう。
 シリア難民のある男性は「今でも祖国を愛している、祖国を離れたくない。でもこうするより仕方ない」と語っている。彼らが通過するハンガリーのある女性も「母国で幸せな暮らしをしてもらうことが皆にとってもいいことなのに」と言う。
 この当たり前と言えば当たり前のことが今、まさしく提起されていると思う。

■難民問題から何を学ぶべきか
 シリア難民は年末までに100万人がドイツなどに入国することが予想され、その内、難民として認定されるのは35万から45万人程、残りは滞在許可証をもらうか不法滞在するしかなく、認定されても職には中々ありつけない。結局多くの人が「闇市場」に流れるしかないという。しかも難民の数は今だけでも6000万人。
 何をみても、どこを見ても「母国で幸せな暮らしができるように」するのが唯一・最良の方策なのは明らかだ。
 この厳然たる現実が示すのは、「国とか民族とかは、もう古い、そうした枠はとっぱらわなければならない」としたグローバリズムがいかに間違っており、悪辣なものかということである。そして、それは、古いとされた「国」というものの存在意義を浮かび上がらせている。
 今、難民問題から学ぶべきことは、人々の生活の基本単位である国民国家、それが我々にとっていかに大事なものなのかということである。
 国の自主権を守り、自国産業を保護育成して国民経済を発展させていかねばならない。その上で他国と互いに主権尊重しながら協力を深めて共に発展するという、これまでの米国覇権の世界ではない新しい世界をつくっていかねばならない。
 それにもかかわらず、朝日新聞の社説が説くように「開国」をやればどうなるのか。それは日本自身の国民国家をさらに解体させてアメリッポンにされ、米国のグローバル覇権戦略に深く組み込まれる。それは、難民発生をもたらした米国の反テロ戦争を助けるものとなり、難民発生をさらに助長するものとなってしまう。
 「国を開け」ではない。難民問題を解決するには、「国民国家を建て直し発展させる」こと、これ以外にない。
 シリア問題でも、アサド政権を核にして内戦を終結させ国を立て直すしかないという見方が欧州を含め支持を広げている。日本としても、当面、「難民受け入れ」を拡大しながら、アサド政権を核にした国民国家の建て直しを積極的に支援すべきではないだろうか。



投稿 戦後70周年

安保体制からの脱却、アジアの安定と共栄へ

 


 戦争法案を巡る闘いを「敗北ではない」と言ったばかりにいろんな人から御意見批判を頂きました。 余り真面目な論争は苦手なのでその根拠を少し書いてみます。

 戦後70年の意味
 この議論が様々な場面で語られていますが、なぜこれが節目の年なのか大変理解に苦しみました。70年間の「平和と民主主義」に至っては、大きな疑問を持ってしまいます。平和憲法守れ!9条壊すな!に何の異議もありません。私自身が街頭で叫んでいました。しかし、それが60年代後半から70年の闘いを黙殺するように聞こえたのも事実です。ここに疑問の原点があったのでしょう。
 戦後70年と言っても正確には憲法制定は1946年11月3日:公布 は翌年ですから、戦後平和憲法下では68年です。更に占領の終結と「日本の独立」を決定したサンフランシスコ条約から64年、新安保条約、日米地位協定からは55年となります。これらを含めて敗戦から70年ならば理解できます。そうであるなら「敗戦の意味」が議論の中心であって良かったはずです。それが戦後だったはずだ。だから何かちぐはぐな議論のように思われてしまう。敗戦の意味をトコトン深めて行けば憲法の問題に行きつき、戦争責任の問題と天皇制の問題に繋がって日米安保の問題にいくはずです。この戦争責任と戦後憲法と安保の連続性が余り議論にならなったのは残念です。同時に大きな危惧を抱きます。それこそが戦後日本資本主義の再生と発展を解き明かすことにも繋がったからです。戦後日本資本主義の復活と成長は冷戦と米国の戦争、安保体制によってもたらされたこの件については誰も異論を差し挟まないでしょう。朝鮮戦争(1950年6月25日 ? 1953年7月27日休戦)、ベトナム戦争(65年〜73年)、そして第一次(48年)、第二次(56年)、第三次(67年)、第四次(73年)中東戦争。これらの戦争の背後で常に日本は米国の後方支援基地であり、資本蓄積を急増させ、時には公然と時には隠然と利権を求めて「暗躍」「加担」したのも史実だったはずです。当然米ソ両陣営の対立が背景にあったことは言を待つまでもないことです。しかも、日本はこの日米安体制をもって自国の利権を求めたはずです。分けても朝鮮戦争時には日本全体が後方基地と化し他方では戦後経済再生の梃(てこ)としました。ベトナム戦争での戦争加担は多くの民衆の眼に見えるものでした。民族解放闘争が歴史的必然であり正義の戦争として認知された時代です。沖縄からはB52爆撃機が直接ベトナムへ飛び立ち、首都圏の王子・相模原・厚木基地が侵略戦争の実感をもたらします。それはやがて戦後民主主義への疑問と懐疑に繋がって行きます。70年の平和を語るならば、このベトナム戦争加担と果敢に闘った歴史の意味をしっかりと踏まえておくべきでしょう。
 一国平和主義(安保と個別的自衛権容認)との主張が保守系革新系の論調にあります。内容の捉え方では随分と異なっていますが、一面ではこの70年間はそのように見ることもできます。しかし、その平和自体を世界的に見た場合はやはり「平和」と呼ぶにはふさわしくないことが証明されているようです。この保守革新が共に共有していた認識の違いを明確に区別したのが今回の集団的自衛権行使を巡る対立の原点にあったのかもしれません。少し意地悪な見方をすれば「護憲・9条守れ」の運動の中から安保問題が全く聞こえてこなかったことの根拠もここに(安保容認)あったようです。自国の平和が日米安保によって守られている、この観念は今では支配的な考えになっています。その日米安保を実質的に変更したのが今回の「戦争法案」だったはずです。
 反安保の声が全く聞こえてこない反戦平和護憲運動に違和感が残ります。

 戦後レジームからの脱却と言う改憲論
 この言葉が最初に安倍首相から語られたのは、2007年、1月26日の施政方針演説でした。内容は「憲法を頂点とした行政システム教育・経済・雇用・国と地方の関係、外交安全保障などの基本的枠組みの多くが21世紀の時代の大きな変化についていけなくなっていることは明らかです」と。
 ここには幾つかの問題があります。「21世紀の時代の変化」がどの様なことを内容としているかは現在に至るまで一度も語られることはありません。そして「憲法を頂点」とした戦後体制を否定しているのですから、改憲こそが戦後レジームからの脱却と主張したと言えます。しかし安保は国是とでも言うのでしょうか何も語られていません。ただ公然たる改憲を掲げただけです。
 ですが、改憲論は古くは1961に中曽根から始まり幾たびか話題となった議論です。2004年には自民党が「憲法改正草案大綱(たたき台)」を公表してきた経過も存在しています。
 しかし、これらの改憲議論は現実社会・日本資本主義との整合性を持たせることに力点が置かれ「反動的社会変革」との色合いは薄いものでした。もちろん自民党案の中心は9条改憲と天皇元首化となっていますがあくまでも(たたき台)と断り書きを付けて論争の中心としてはいません。
 今回の改憲論にはそれ以前の改憲論と根本的な違いがあります、「戦後レジーム」の言葉がその事を象徴しています。安倍の戦後体制(レジーム)には二つの側面があります、一つは戦後民主主義(国民主権・立憲主義・基本的人権)の否定であり、戦後の民衆運動で獲得してきた諸権利の剥奪、具体的には教育改革(教育基本法の改正)、労働法制の改悪、社会保障費の削減 消費税導入等々と庶民の生活の末端にまで及ぶものです。そしてその法的担保が改憲となれば戦前、戦中回帰を意味すると読んだ方が妥当です。すなわち国家主権、立憲主義否定、基本的人権抑制です。
 他の側面は安倍が戦後世界秩序の中での「21世紀の時代」をどの様に認識しているかでしょう。この点は結構分かり易いシェーマではないでしょうか。冷戦構造の崩壊を1990年としておきます。これ以降の世界的な権益と覇権を巡る闘いは米国の独り勝ちになるかと思われました。しかし、既に米国はその力を失くし始めていました。そこに台頭する中国、アジア諸国、EU内の経済的連携強化等が出現し、グローバル資本はこの多極化への対応が迫られます。そこで93年有名なワシントン・コンセンサスを持って新自由主義と市場原理主義での覇権を目指すのですが、グローバル金融資本は暴走し、多くの国で格差が生まれ、国際的にも富める国と最貧困国の間の矛盾が爆発します。しかもこれが米国にとって世界秩序の再構築へと向かわせます。それは同時に自国の財政収支の改善を目指す独善的な世界戦略の見直しに繋がったことでもあります。米国の悪夢は2001年9月11日に始まったと言えるでしょう。これ以降、第二のベトナム戦争とも言える「対テロ戦」「イラク・アフガン戦争」とその後の中東での泥沼の戦争に突入します。米国は石油産業と産軍複合経済を世界覇権の土台としていたが故に泥沼に入ってしまいます。2008年にノーベル経済学者スティグリッツ氏はこれらの戦争関連経費は2017年までに実に300兆円に達すると警告を発しています。
 米国は疲弊し、この国の価値観「政治システムでの民主主義と経済の市場原理主義」は破綻してしまいます。米国の中東、アフリカ諸国への「民主主義の輸出」はことごとく破綻し政治的経済的混乱を収拾させることが不可能な状態です。それに連動するかのように今では国連もその機能を劣化させ世界の安定・平和の国際機関として役割が問い直されています。米軍の肩代わりをPKOの拡大で補てんしていますが、それが早晩中東アフリカで台頭する武装勢力の「敵意の対象」に転嫁する危険は充分に予想されます。

(次号につづく)



闘いの現場から 安保法案可決の日の国会前

大同団結でペテン師政治の完全消滅を

平 和好


 1年に3回も大きな選挙があると大変だ。しかし、どれも大切な政治選択なので、パスできない。すると家族から「おとーさん、誰も頼んでないのに勝手に行ってるだけでしょ。また紙撒き散らしてゴミ増やしに行くの?」とキツイお言葉。うむむ、鋭い。しかし、ほんとに大事なんだってば。「大事、大事と騒いで、この2ヶ月に3回も東京行ってたのは誰? しかも2週間も日本から消えてたでしょう」と追撃の矢が激しい・・・。いや東京は4回、日本から消えたのは1週間だけですが・・・(もごもご)。

 またまた選挙です
 昨年末ギリギリの総選挙、この春の統一自治体選挙、大阪都抗争(大阪都妄想)住民投票、そしていよいよ11月22日には大阪府知事・大阪市長選挙が迫っている。先の事と思ってはいけない。11月5日には知事選挙が始まるので色んな活動に制限がかかってしまうし、告示の日には勝負があらかたついている。つまり我々一般市民が維新詐欺政治を終わらせる為に活動できる日はあと半月しか無いのである。5月17日の敗北で「大阪都構想は終わり、橋下は引退」と公約したのが大嘘であることがはっきりした。
 こういう政治ペテン師に府政・市政を牛耳られた7年間。いや、わけもわからない熱狂の中で彼らに牛耳らせた市民の責任は大きい。維新が勝った枚方市長選(8月)、維新候補8人全員が当選した東大阪市議選(9月)を見ても大阪の眼はまだ覚めていない。

 舞台は整い、開始ベルが
 府知事には栗原貴子・自民大阪府議、大阪市長には柳本顕・自民大阪市議が名乗りを上げた。戦争法を強行可決し、派遣法改悪をすすめ、TTPで国民生活を破壊する自民党だが支持できるのかと、友人が言ってきた。一瞬考え込んだが、5秒後に即答した。「そうです!統一候補だから」ここはまず、ファシスト集団であり、大阪に独裁政治を根付かせようと必死になっている橋下(そのバックに隠れている安倍・菅)の野望を撃ち砕くたたかいと位置づけなくてはならない。すでに共産党はいち早く支持を決定している。
 「この最悪の敵と対峙するためには橋下がたもとを分かった維新の党とも組む用意が我が党にある」=宮本たけし・日本共産党参議院議。大阪の自民は首相官邸の権力を使った脅し・圧力に屈せず、橋下との断固対決を選択した。資本家をバックにする政党の幹部としては極大な勇気のいる決断だ。そして彼らに決断させたのは5月住民投票の1週間前、自民から左翼までが扇町公園を埋め尽くした集会参加者に見られるような「大阪の民意」の高まりだっただろう。
 違いを強調して、団結を回避し、橋下「おおさか維新」最終的打倒の11・22決戦に参加しない、あるいは形だけの取組みをするだけの政治行動を取る政党・党派・集団・個人があるとすれば「大阪の民意」に背を向けた勢力として歴史のくずかご直行となる。

 前進、前進
 「自民と組むんですか」と聞いてきた友人は、説明に「わかりました、やります」と答えてくれた。11月4日までにやれることは一杯ある。橋下・おおさか維新の罪状を口コミ、ネット、街頭行動参加などあらゆる手段で広げることができる。柳本顕さんの対抗馬・吉村氏は維新的デマの名人で「柳本一家が市議会にいたから西成は生保不正がはびこる街になった」などと許しがたい中傷を流した。これへの反論を広めるのも大事。
「特定の人を当選させようと事前に運動すると公選法違反だが、特定の人への落選運動は合法」である。創意工夫をこらし、11月4日までにあらゆる手段でおおさか維新・橋下・松井ペテン師政治のお墓を準備しましょう! 
 さあ、今日もご家族の暖かい思いやりある言葉を背に受けて、「出陣」します。


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