研究誌 「アジア新時代と日本」

第144号 2015/6/10



■ ■ 目 次 ■ ■

編集部より

主張 戦後体制からの本物の脱却を!

議論 「戦争をしない国」の防衛戦略、「九条自衛」で国民的団結を!

議論 「地方の力」を考える

戦後70年に思う(3) 真の国富とは何か

闘いの現場から その後の「大阪都妄想」

インタビュー 

読者から




 

編集部より

小川淳


 集団的自衛権行使を可能にする安保関連法案の条文が示された。関連する法案だけで11という膨大なものだ。国会論戦や新聞の解説記事などを読んで感じるのは、この安保関連法案の中身をきちんと理解できる人が国民の中にはたして何人いるのか、ということである。
 例えば「存立危機事態」と「武力攻撃切迫事態」という概念がある。「存立危機事態」は、「わが国の存立が根底から覆される明白な危険がある事態」で集団的自衛権が行使できるという。一方、「武力攻撃切迫事態」は「「武力攻撃が発生する明白な危険が切迫していると認められる」が実際には日本が攻撃されているわけではないため、武力行使はできない。どちらも直接攻撃を受けていないのに「存立危機事態」では集団的自衛権を行使でき、「武力攻撃切迫事態」では行使できない。ではその違いは何か?そう聞かれた中谷防衛相でさえ答えに窮している。まるで笑い話だ。
 ここにもう一つ「重要影響事態」という概念が加わる。武力攻撃事態は、直接攻撃を受けた場合、存立危機事態は他国への攻撃でも日本の存亡に関わるような場合、重要影響事態は放置したら日本への攻撃が予想されるような場合という。むむ・・なんのこっちゃ、と言いたくなる。麻生副総理も「わかりにくい」とぼやいたそうだ。
 そもそも安保関連法案がなぜ「わかりにくい」のか。日本国の法理の土台にあるのは憲法である。平和を求める憲法9条の法理と戦争のできる集団的自衛権行使の法理はどうあがいてもぴったり当てはまるはずがない。矛盾している二つの法理を無理に一致させようとするから概念がぐちゃぐちゃになる。「わかりにくさ」はそこから来ている。
 バロック、ルネッサンスなど様式美で統一されている建築物は美しい。建築に例えるなら、憲法9条下での集団的自衛権行使容認というのは、ギリシャ建築の土台に神社仏閣を建てるようなものだ。そこには統一性も様式美もなく、醜悪なものになる。
 参考人として出席した3人の憲法学者が安保関連法案は憲法違反と断言したことで、世論の流れは変わりつつある。集団的自衛権を認める学者でさえ、憲法違反と断じている。憲法9条を「改正」できない、だから解釈を変えて「戦争できる」国にするというごまかしは通用しない。憲法学者たちが呼びかけた「廃案」を求める声明にわずか1週間で賛同した学者は186名に上る。廃案へ向けて反転攻勢へ、機は熟しつつある。



主張

戦後体制からの本物の脱却を!

編集部


 「戦後レジーム(体制)からの脱却」。ひと頃安倍首相がよく口にしていた言葉だ。それを今、彼は実行に移しているつもりなのだろう。戦後70年を迎えての「8月首相談話」でもその思いが吐露されるのではないかと思う。
 そこで、来年、改憲をめぐる国民投票の実施が公表されている中、その根本にある「戦後体制からの脱却」について考えてみたいと思う。

■今こそ求められる「戦後体制からの脱却」
 「戦後体制からの脱却」は、決して安倍首相個人の主観的願望ではない。その内容の違いはともかく、現状からの脱却を願う思い自体は、広く国民の意思、民意に共通したものだ。
 早い話し、橋下大阪市長の盛衰などは、そのことをよく物語っている。彼の人気の秘密は、一にも二にも、その「決める政治」で大阪を変え、日本を変えてほしいという期待にあった。その人気がなぜ一夜にして失墜したのか。その理由もそこにある。期待が幻想だったと判明したからだ。
 09年政権交代とその結末も同様だ。6年前、あの熱気は、現状変更への全国民的熱望の現れだった。あのとき、それを「国民の勝利」だとした鳩山民主党代表の勝利宣言にもその思いがこもっていた。だが、転換は起こらなかった。沖縄普天間基地移設問題での民主党政権の腰砕けとその後の変質は、今の「一強多弱」と国民の圧倒的政治離れの根因になっている。
 「戦後体制からの脱却」は、民意の要求であるとともに時代の要求だ。戦後70年、時代は大きく変わった。誰の目にも米国が世界を支配した時代は終わった。この時代の大転換にともなって、当然、日本にも転換が求められてくる。
 民意と時代の要求、問題はこれをどうとらえ、戦後体制からの脱却をどう図るかだ。

■安倍「戦後レジーム脱却」のまやかし
 12年末総選挙から始まり、以後の国と地方ほとんどの選挙で安倍自民は連戦圧勝した。それが主として、野党側が「民意の受け皿」たり得なかったことによっていたのは事実だ。だが一方で、安倍自民が「現状脱却」への民意と時代の要求に応える期待を多少なりとも抱かせたのも事実だ。
 しかし、安倍「連戦圧勝」の影で、投票率の大幅な低下、国民の政治離れの進行が続いているのもまた事実だ。この国民の間に深く広がる政治への絶望はどこから来るのか。その根源には、民意と時代の要求に応えようともしない日本政治の現実がある。実際、安倍政治自体そうなっている。
 何よりも、高まった民意に敵対するファッショ的な対応だ。これまで安倍政権ほど民意対策に神経を使う政権はなかったのではないか。マスコミに対する異常なまでの統制、秘密保護法やマイナンバー制など、民意を管理、統制、圧殺する策動とともに、「アベノミクス」など「経済」を露骨なまでに前面に押し出し、選挙での圧勝を図りながら、「民意」の名の下に「戦争する国」に向けた政策を強権的に推し進めていく手法は、民意に敵対し、民意を愚弄、欺瞞しながら利用するファシズムそのものだ。
 民意の高まりに敵対する安倍政権は、時代発展の現実に対しても敵対している。彼らは、米国の衰退を覇権時代自体の終焉とではなく、「新たな覇権時代」の到来と見、脱覇権への時代転換にも敵対している。彼らが掲げる「日本の取り戻し」や「改憲」「安保双務化」などはその現れだ。
 しかも彼らは、その「覇権国家日本」の「取り戻し」を、米国覇権再構築の下でやろうとしている。集団的自衛権行使容認など「日米共同で戦争する国」、アベノミクスなど「世界で一番(米国)企業が活躍しやすい国」を目指す「日米軍事・経済の一体化」が日本丸ごとの米覇権グローバル戦略への組み込みを意味していることなど、彼らも知らないわけではないだろう。
 安倍首相が構想する「戦後レジームからの脱却」、その中味はこうだ。これがどうして対米従属の体制、戦後体制からの脱却などと言えるだろうか。これは、対米従属の極致であり、「極悪の戦後体制への転落」に他ならない。

■本物の「脱却」を考える
 今、世界を見たとき、客観的現実は、一言で言って、覇権グローバリズムと反覇権民族自主の闘いにあると言えるのではないか。実際、ウクライナやギリシャ、台頭するスコットランド民族党やフランス国民戦線など、EU等をめぐるヨーロッパの動き、中東やアフリカ、南シナ海、中南米などでの事態の発展、等々、今世界は、覇権グローバリズムによる主権、自主権の否定と蹂躙に抗し、それを打ち破る闘いの様相を呈している。そして、その反覇権民族自主の闘いを推し進めているのは民意だ。国と民族の主権、自主権、地方地域の自治権など反覇権自主への要求は、誰よりも自分の国と民族、地方地域を愛する民意の要求だ。
 今や時代は、世界を覇権国家が動かしていた覇権の時代から民意がこれを動かす民意の時代へと大きく転換している。この時代的大転換の要求、民意の要求に応える戦後体制からの脱却、それこそが本物の「脱却」だと言えるのではないか。

(1)米意でなく民意で動く民主・自主の日本へ
 戦後民主主義の体制、戦後体制を動かしてきたのは民意ではない。米意だ。この欺瞞的現実の本質が浮き彫りにされたのが民意による初めての政権交代を通してだったのは皮肉だった。民意で動く民主日本実現への闘いは、米意で動く対米従属の日本の現実によって押しつぶされた。民意による民意のための民主日本への転換と脱米、脱覇権の自主日本への転換とは一体だ。この二つを統一的に実現することこそが求められている。
 この容易ならぬ問題解決のため、まずやるべきは、鳩山民主党政権挫折の総括ではないだろうか。
 民主・自主日本への転換のため、鳩山民主党政権に問われていたのは何よりも、米意で動く戦後日本の現実への一点の幻想もない透徹した認識だったろうし、その現実をただひたすら広範なオール日本の民意で覆す覚悟と胆力、民意の力への揺るぎない信念だったと思う。その上でさらに、折り重なる難関を乗り越え「転換」をあくまで成し遂げる展望的な路線、巧みな戦略戦術が求められた。そしてこれらすべてのためにも、その根底に、今現在進行する時代の大転換を生きた現実として見通す深い洞察が問われていたと思う。
 もう一つは、鳩山指導部を中心とする党と政権内の結束力の弱さ、そして党、政権と広範な国民大衆との結びつきの弱さが問題だったのではないだろうか。米国の圧倒的な圧力に直面し、沖縄辺野古問題が暗礁に乗り上げたとき、孤立無援になった鳩山指導部には、圧力に抗し闘う何の力も残されていなかった。

(2)九条平和、ウィンウィンの日本へ
 「平和国家日本」「豊かな経済大国日本」、今盛んに流されている戦後日本のイメージは、現実に即したものと言えるだろうか。
 戦後70年、確かに日本は戦火にまみれることはなかった。経済は世界第二のGDPを誇るまでになった。しかし、米国が引き起こした朝鮮戦争、ベトナム戦争、イラク、アフガン戦争など、侵略戦争、覇権戦争には米軍基地提供国として加担し続けてきた。一方、戦争特需で膨張した経済は、この三十年近く、破綻と停滞を続け、光を失って久しい。そして今、安倍政権の下、欺瞞と矛盾に満ちた戦後体制は、その極致に至り、一大破滅の時を迎えている。
 「戦後体制からの脱却」、その本物が今ほど切実に求められているときはない。そのために、民主・自主日本の実現に基づき、九条平和日本、皆が豊かになるウィンウィンの日本への転換が問われているのではないかと思う。
 九条平和日本については、既に本誌前号、前々号の主張で述べた。現時代日本最強の国防路線、「九条自衛」による真の平和・安全体制の確立だ。
 一方、ウィンウィンの日本について言えば、それは、古い覇権時代の経済、弱肉強食の覇権経済を皆がともに豊かになるウィンウィンの経済、新しい民意の時代の経済に転換させることではないか。実際、競争原理で外へ外へと膨張して来た覇権経済は、今や「フロンティア」の消滅に直面する一方、その内から生まれた甚だしい格差と不均衡により泥沼の停滞と破滅の危機に陥っている。この破局からの脱却は、弱肉強食の競争から皆でともに勝つウィンウィンの協調へ、外へ外への膨張からまず内部を重視する均衡的な発展へ、等々、経済のあり方自体の根本的な転換を要求している。そこにこそ、国民一人一人の生活の向上と国民経済全体の発展、そしてアジアと世界の経済繁栄への寄与をウィンウィンで統一的に実現するための鍵があるのではないかと思う。



議論

「戦争をしない国」の防衛戦略、
「九条自衛」で国民的団結を!

東屋


求められている「戦争をしない国」の防衛戦略
 戦後70年を迎えつつ、現在、安倍政権により安保法制法案が国会に提出されている。福島瑞穂氏が「戦争法案だ」と喝破したように、安倍首相が言う日米安保の抑止力による「平和」というのは、相手を「これからは戦争も辞さないぞ」と恫喝し、緊張を激化させ、海外派兵をおこなう、「戦争する国」の防衛戦略である。
 安保法制法案を阻止し、日本を「戦争をしない国」とするためには、「戦争をしない国」を願う人々が一つに団結することが最も重要だと思う。
 今日、「戦争をしない国」を願う国民大衆は圧倒的多数をしめている。戦争を願う人は数%にもならないだろう。にもかかわらず、これまで集団的自衛権行使容認の閣議決定がなされたり、安保法制法案が出されたりし、日本がますます「戦争する国」になっていこうとしている。それは、「戦争をしない国」を願う人々の声が一つになれていないからではないだろうか。
 「戦争をしない国」を願う人々のなかで、自衛武力は持つべきだとし改憲に賛成する人々と、自衛武力は持つべきだが九条は守るべきだという人々、さらにすべての武力は悪だからあくまで非武装に徹すべきだという人々に大きく分かれ、互いに譲らないでいる。これが続く限り、「戦争をする国」の防衛戦略を打ち砕くことはできない。
 この状況には「戦争をしない国」を望むすべての人々が危機感を抱いているのではないだろうか。
 そこで今、切実に求められているのが、このような国の防衛に関して見解の違いを克服する「戦争をしない国」の防衛戦略であると思う。
 それを持ってこそ、国民大衆が防衛問題ではじめて一つの意思で団結することができる。
 とくに、安倍政権が国の防衛戦略として安保法制法案を提出しているもとで、これに対し「戦争しない国」の防衛戦略を確立していってこそ、有効に闘っていくことができるのではないだろうか。

「九条自衛」こそ「戦争をしない国」の防衛戦略
 防衛に関して見解が分かれる原因は、現憲法が「国の防衛自体を否定し、自衛武力をもつことまで禁じている」と解釈されることが多々あったからだ。これに対し、独立国として当然、国の防衛をおこなうべきだという人々が過半数をなしている。ここから「戦争をしない国」をめざす人々の中で見解の相違が生じてきた。
 現憲法は、当時、日本を再武装させないというアメリカの意図を一定反映してつくられた。しかし、国のために侵略戦争に動員され悲惨な戦争を体験した国民は、二度と戦争をしないという気持ちから、「自衛」の名において侵略戦争をしないために交戦権を放棄し戦力を保持しない現憲法を歓迎し、支持した。現在なお、憲法九条を、改正賛成29%に対し反対63%(5月朝日新聞社調査)と、変えるべきでないという方が多数をしめている。まさしく、現憲法は圧倒的多数の国民が支持する「戦争をしない国」の憲法だ。とすれば、その憲法の趣旨を実現する防衛戦略の確立こそが求められている。
 防衛戦略は「防衛線」をどこに引くかによって大きく規定される。従来は国境を越えて「防衛線」を引いてきた。かつて「朝鮮半島」や「満蒙」を「防衛線」「生命線」とし、「自衛」の名で侵略戦争をおこなった。今日、ペルシャ湾のホルムズ海峡の確保を防衛線に設定したり、同盟国アメリカが朝鮮軍事分界線を防衛線に設定している。もしこのように国境外に防衛線を引けば、侵略戦争や国同士の戦争になるのは自明だ。憲法の趣旨を実現する「九条自衛」は、防衛線を日本の国境とし、自国領域内で撃退戦をおこなう防衛戦略である。
 現憲法が放棄した交戦権とは国境外での戦争や武力行使に対するものであり、保持を禁じた戦力とは国境の外に出ていく武力である。自国領域内で防衛する撃退戦は他国と交戦する戦争だと言えず、その武力は交戦のための戦力ではない。こうしてのみ、「自衛」の名による他国への侵略戦争を防止でき、自国の自衛権を行使していけると思う。
 したがって、「九条自衛」こそ、憲法九条を実現するための防衛戦略であり、民意を反映した「戦争をしない国」の防衛戦略だと言える。
 「九条自衛」を掲げることにより、自衛武力をもつべきという人々も、いっさいの軍隊をもたないという人々も一致して団結することができ、安倍政権の安保法制法案を阻止し、「戦争をしない国」を実現していくことができると思う。


 
議論

「地方の力」を考える

永沼博


 貴誌142号のS・Aさんの「地方から日本を変えていく出発に」に賛成。そこで、「地方の力」について考えてみた。

■惨憺たる現状の中で
 昨年5月、元岩手県知事の増田寛也さんが日本創生会議の人口問題検討分科会の報告として「消滅可能都市」を発表して衝撃を与えた。このまま放置すれば消滅可能の市町村の数は896(全市町村の49・8%)にのぼると。
 こうした惨憺たる状況は、米国の要求を受け入れるしか能のない中央政治による新自由主義的政策がもたらしたものだ(それはS・Aさんばかりでなく、多くの人が指摘すること)。そして、こうした地方の荒廃状況がビジネスチャンスとして狙われている。
 堤未果さんの「貧困大国 アメリカ」は、農業メジャーや遺伝子組み替え種子会社のモンサントなどが地方の中小農民を食い物にしている現状が書かれている。そればかりか貧困層向けの食糧支援や保険(オバマ・ケア)、公教育、医療、果ては破産自治体の再建請負ビジネスまでが・・・。その背後にはJPモルガンなどの巨大金融。
 安倍政権のTPP対応やアベノ特区構想などを見ても、安倍内閣の地方政策は、アメリカ式の導入にあるのだと思う。堤さんの本の帯には「TPPは序章だった・・・」とある。

■地方の力
 今、地方では、惨憺たる状況の中で地域再生、地域振興の様々な取り組みが行われている。それらを俯瞰するとある共通性が浮かび上がってくる。
その第一は、「地域主権」である。
 この言葉は、前滋賀県知事嘉田さんなどが提唱してきたことだが、「地域のことは地域住民が決める」ということである。
 これまでの地方行政は中央からのカネに依存するものであった。経済衰退でそれができなくなっての新自由主義(自己責任)強要の下で、もう自分たちでやるしかない、地域のことは地域住民が決めるという主権者意識、自主自立意識が高まっているということだ。
 これに伴って第二に、コミュニティー志向が強まっていることも注目される。東北震災復興でもコミュニティーを再生した地域ほど成果を上げていることが明らかになり、「コミュニティー再生・強化こそ地方再生のカギ」という意識が幅広く共有されるようになっている。
 実際、行政、企業、商業、農漁業、大学、研究機関、地域金融などの連携を深めて地域の力を結集してやっていこうという試みが各地で行われている。集落単位でも自力で助け合う方式が取り入れられ、農村では土地や機械を集落として共有化する集落営農などが増えている。
 荒廃させられた地方の中で、生き残るための必死の思考と営為の中で、地方自身の中から、それらは芽生え育っているのだ。

■これを育くみ、さらなる「力」を
 私が「主権」と「コミュニティー」に注目するのは、それが利己主義競争の新自由主義と真っ向から対立するものであり、新自由主義とは対比的な生き方を示すものだからだ。
 「主権+コミュニティー」による地方再生の努力の中で、それがますます実体化し強化されていくこと、それが地方の「力」になり、日本を変える力にもなると思う。心強いのは、これが地方の共通する合意になっていることだ。東北震災復興など実際に力になることが証明され、皆が確信をもって、この方向を押し進めている。
 地方再生に右も左もない、上も下もない。知事や市町村長も議会も必死。企業も商店業も農漁業、地域住民も必死。「地域活性協議会」(根っこの会)を立ち上げた亀井静香さんや増田氏の取り組みもそうした動きに根ざそうとしているのだろう。
 増田さんは「地方再生のカギは20代、30代の声を聞くことです」と述べているが、それは言わずもがな。必死の取り組みの中で皆が若者の声を聞きたがり期待している。
幕末群像を描いた司馬遼太郎さんが、日本には危機の時、若者を登用する伝統がある、というようなことを言っていたが、今はそういう時代。若者に期待する所、大である。



戦後70年に思う(3)

真の国富とは何か

田崎哲史


■それはアーミテージ・ナイ報告から始まった

 ここに本誌12年9月5日発行の111号誌上に―原発推進のすすめ―「アーミテージ・ナイ報告を読む」と言う記事が掲載されている。僕の脳裏には何故かこの記事が印象深く記憶されていて、この記事を改めて読み返すと現在起きている改憲、安保法制、原発再稼動等の事態は正にこの内容が指し示していた通りに進行している様に思われるのである。
 報告書は「日米同盟アジアの安定をつなぎ止める」と題して日米のエネルギー分野及び経済貿易分野での協力強化と韓国、中国など隣国との関係のあり方、日米の新たな安全保障戦略についての提言を柱としている。中でも日本への要望として強い日本、一流国家(覇権国家)軍事力(自衛隊に集団的自衛権の行使を認めること)であり、もうひとつは原発発展の継続である―との主旨である。
 この提言のあった12年は夏に安倍が自民党総裁に返り咲き、民主党政権では親中国寄りだった小沢、鳩山から親米の菅、野田に移りその年の12月の総選挙で自民党に政権奪還を許した年である。既にこの時から今日に至る過程は用意周到に準備されていたのだ。

■なぜ急ぐのか
 戦後レジームからの脱却、戦後最大の大改革は、祖父岸信介からの使命遂行を悲願とする安倍には恰好の舞台が整ったわけだ。その為には先ず国会内の議席を絶対多数に安定させなければならない。昨年暮れの抜き打ち解散総選挙がそれを如実に物語っている。
 今の安保法制論議を見て誰もが思うであろう疑問は「なぜ今、戦争」なのだという肝心のところがないのでは?と言う事である。急ぐ理由に、世界での米国の立ち位置が変わってきた、北朝鮮への抑止力への必要性、地域全体の軍事バランスを取る重要性、日本の安全を確保する現実的な選択肢として日米協力強化により抑止力を発揮する事が大事等々、挙げているのだが果たして民意はそこまで感じ取っているだろうか?
 数々の法案が現在論議されているがどう言い逃れても、日米ガイドライン改定に踏み切る所謂「対等な同盟」を目指すものであり「戦争法案」であることはまちがいない。
 安全保障とは他国といい関係を作ることで保たれるのであり、武力行使は解決策とはなり得ず刺激を与えるだけであり、国際社会と連帯し平和を築く方法を今こそ模索すべきである。

■現代学生の憲法意識
 各種世論調査によると、改憲、集団自衛権の行使には4割強、原発再稼動には6割の反対がある。では将来、憲法、原発が与える影響の多い学生の憲法意識はどの様なものであろうか?ここに本年5月3日付けの地元紙宮崎日日新聞の掲載記事から引用したい。
 憲法記念日に合わせ宮崎日日新聞社と宮崎大は合同でゼミや講義で憲法を学ぶ学生368人を対象に意識調査をした。このうち307人から有効回答を得た。
 現行憲法の内容を7割以上が「知らない」と回答し、改憲議論に関心を持つ学生は6割を超えた。改憲については賛否が割れ「どちらとも言えない」が4割弱を占めた。その理由を見ると憲法9条をめぐる意見の違いが浮き彫りとなったほか議論不足や知識不足で判断できない現状も示された。
 改憲理由について賛成では「軍を持つことは国を守るために必要」「集団的自衛権は容認すべきだ」。反対は「戦争しないと決めていることこそ日本の美徳」「戦争に向けた憲法改正には反対」などの意見が見られ「どちらとも言えない」とした学生の中にも「9条改正は反対だが基本的には時代に合わせた変化が必要」と条文ごとの改正を訴える意見があった。「知識が少なく判断できない」との理由も目立った。地方大学での調査だが多かれ少なかれ全国の学生のほぼ共通した意識度ではないだろうか?

■今こそ真の国富論議を
 昨年5月、今年4月と原発差し止めを認める判決を出した福井地裁の樋口英明裁判長の論旨に大いなる感動を覚えた。それは単に一原発の稼動の是非という次元にとどまらずこの国の在り方を根源的に問う見解を打ち出したという点で画期的なものである。憲法で保障された人格権、生存権を至上の価値として掲げ経済的な価値を劣位に置きあるべき姿を示し、豊かな国土に国民が根を下ろして生活していることが国富でありこれを取り戻すことができなくなることが国富の喪失であると断じている。真の国富とは何か、現在安倍政権により進められている集団的自衛権容認の安保法制案、この延長にある改憲が、真の国富であるのか国富の喪失であるのか、今こそ真摯に議論すべきときではないだろうか?



闘いの現場から

その後の「大阪都妄想」

平 和好


 5月17日の住民投票で「大阪市の廃止・分割」が否決されて以降、これまた色々な事があり、それは日本の政治全体にも影響を与えかねないので、「終わったことだから」で済ませずに、その後の事をレポートしたい。橋下徹・大阪維新の会代表はすっかり影が薄くなった。しかし忘れてはならない。ダブル選挙で勝った4年前には「負けた一族郎党がどうなるか見ておけ」などと、「皆殺し」を示唆したし、実際に労組、教育現場、地域協議会(町会)、民族学校、障がい者施策への締め付けなどに、子分の松井一郎知事と協同で猛威をふるった4年間であった。
 それなのに今回負けたら「これだけ大きな喧嘩をして負けても命を取られることがない。民主主義だ。」と勝手なことを放言している橋下氏には呆れる他ない。まじめな話、それで済むはずがないではないか。

■被害補償・原状回復が「ノーサイド」の必要条件
 労組迫害には労働委員会・裁判所とも全敗であったのに無駄な控訴で悪あがきを続けている。教育もあのパワハラ教育長・中原徹氏の件は辞任で済ませているし(その後ギャンブル機械製造会社に就職)、その「被害者」への謝罪・補償はゼロ。いや、被害者に非があるというのが橋下・松井両氏の見解であり、セカンドレイプに等しい。裁判といえば、平松前市長が町会幹部に領収証不要の100万円を配ったというデマ宣伝も、起こされた名誉毀損訴訟にあらがっている。ほとんど汚職に近い交通局長も気に入らない職員を処分したのを提訴され、近々敗訴の色が濃厚だという。民族学校の中で朝鮮学校だけを標的にして、補助金カットで全国に悪例を示したのも維新・橋下・松井悪逆コンビの仕業だ。それへの抗議行動が毎週火曜日に行われているが、通算150回を超えた。それも裁判を起こされ、市側の反論が「教育補助金は行政の義務的支出ではなく、お小遣いのようなもの。出すか出さないかは行政の裁量」などと開き直った。障がい者施策・地域の会館事業なども、削られたものはそのままなのだ。「負けて爽やか。命を取られないのが民主主義。さようなら。」と、あとは12月の任期切れを待つのみと思っているだろうが、それで済むものか。上記だけでも膨大な被害補償、原状回復を11月までにさせなければならない。裁判は全て取り下げて、敗訴した判決に服さなければならないはずだ。それで初めて「ノーサイド」にできる。

■懲りない維新信者
 橋下を応援しているお笑い芸人・たむけんが(その「芸」はあまり面白くない)「賛成してくれんかった大阪なんてどうでもいい。橋下さん、安倍内閣の大臣にしてもろたらええやん」と放言した。辛坊治郎は「若者が賛成したよりも多く、感情に流されやすい暇な老人が反対した結果がこの否決」などと勝手な自論を一方的にテレビで述べた。低俗芸人や維新お抱えタレントの負け惜しみと思っていたら、安倍首相が「辻元と一緒に反橋下で動いた大阪の自民はけしからん!」と公言した。維新・橋下の本音は軍拡と改憲に賛成だからそうなるのだろう。いや、大阪の住民投票は改憲への一里塚だったから、大阪市民の薄氷の勝利は実は日本を戦争になだれ込ませるのを阻む貴重なたたかいだったのだ。
 大阪市の住民投票を改憲国民投票の予行演習にしようとした安倍首相や菅官房長官の思うようには運ばない。運ばせてはならない。そしてもう一度言う。維新信者はへこたれていない。反省もしていない。焼肉屋での乱痴気騒ぎを週刊誌に暴露された維新市議たちの弁明を紹介しよう。城東区選出の本田リエ市議の体を触りまくった都島区選出の井戸正利市議「私は医師だから触診しただけ」。触られて嬌声を上げていた本田市議は「こんな写真誰が週刊誌に出した!?」 同じく乱痴気騒ぎに参加していた東住吉区の田辺信広市議は、沈黙のすえ、教育こども常任委員長を辞任。 このレベルの話は枚挙にいとまがない。
 政治の正常化と平和で民主的な未来のために。
維新熱の呪縛が少し解けたいま油断することなく、維新政治の害悪を徹底検証し、その被害補償を行わせること、維新・橋下の影響力を極小化すること、軍拡・改憲安倍政治との合体を阻止することが必要だ。そのためにもオール大阪の「反ファッショ統一戦線」はできるだけ維持しなければならない。そして年末の大阪市長・府知事ダブル選挙へ、たたかいはまだまだ続く。皆さん、がんばりましょう。



 

読者から

 


 前号(143号)の主張「日本最強の国防路線、『九条自衛』」に多くの意見が寄せられました。以下に紹介し、この問題に対する更なる議論の深まりを期待し願うものです。(編集部)

(1)「9条自衛論大変説得力あるものです。アメリカの核の傘のもとにおける戦争放棄を是とする「平和主義」に違和感をもっていましたが、日本領土に限定した、侵略に対する自衛の戦闘は9条と抵触しないと明言することは新鮮な衝撃をもたらします。  自衛隊による、アメリカに拠らない国防を積極的に打ち出すことが日本の主体性を確立することであり、いまだに占領体制のままであるアメリカの基地だらけの状況をかえる論拠になり得るでしょう。  一方で、戦争概念が変容していることとの整合性が問われます。対テロ戦争ということで、国対国の戦争ではなく国境をこえて空爆という戦争行為が臆面もなく繰り広げられています。これはアメリカの反テロ戦争が代表的ですが、もっとも侵略的な戦争行為だと思います。それと連携して"積極的平和主義"などと平和概念も変容しようとしています。そのあたりをきちんと論じなければと思います。 それにしても、9条は自衛を禁じていないと積極的に打ち出していくことは良い主張ですね。アメリカの核の傘にいるよりは自衛のための核武装もありではないかとすら考えます。」   (O)

(2)「ついに安保法案が国会に提出されました。安保政策の大転換ですが、表面的には国内で大きな騒ぎにはなっていません。  法案成立の後には米国の戦闘に巻き込まれることは明らかであると思いますが、若い人も自分自身の事としてとらえる意識が薄弱なのでしょうか。 私は今後当事者となりうる自衛隊の方々がどのように考えているのか、真実を知りたいと思います。自分たちが今の安倍自民党の言うままに、戦地に赴く事に疑問を持たない訳がない。必ず『舌先三寸』の安倍首相の本性が暴露されるような事態が生じると思いますが、幾人もの犠牲者が出てからでは遅い。  『自国の国益を犠牲にして他国の安全を守る国などあり得ない。実際、日米安保は日本を守るためのものではなかった』  『そして今度の集団的自衛権行使容認以下一連の法改正だ。これによって日米安保は、日本を米国に守ってもらうどころか、米国の覇権のための戦争に、日本列島を基地として提供するだけでなく、自衛隊をその先兵、下請け軍隊として捧げるためのものとなる』  その通りだと思います。そして『積極的防衛論争を全国民的に巻き起こしていく』ことが全国民が当事者意識を持ち、自らのこととして考える端緒になると思います。」  (Y)

(3)「送られてた論文(主張)拝読。全面的に賛成。同様な意見がメディアでも表出して来ました。P3の「ところで〜」以下は全く異議ナシです。日本の若者が理解してくれるといいのですが。 6月、少々重いシンポジウムをやります。真剣に論議してみるつもりです。」  (O)

(4)「アジア新時代の『9条論』、今朝届いたので電車内で読みました。非常にわかりやすいし、何より日米防衛協定の改正や改憲の動きが加速しているこの時期に出すべき内容であると思います。」  (K)


ホーム      ▲ページトップ


Copyright © Research Association for Asia New Epoch. All rights reserved.