主張 積極的防衛論争で政治の大転換を! 日本最強の国防路線、「九条自衛」
ダメなものはダメ!憲法変えるな 5・4集会日本最強の国防路線、「九条自衛」
いたみホールでおこなわれた5・4憲法集会は、人気の作家・高橋源一郎さんと、若手憲法学者・高作正博さんの講演に、集まった900人は大満足の集会となった。
前半の高作正博関大法学部教授は、昨年7・1閣議決定というクーデター以降、この国で進む戦争法案の整備に対して、判りやすく50分の授業をしてくれた。安倍政権のもとで激しくすすめられる戦争国家化に対し、複雑な法体系を可能な限り判りやすく展開してくれた。それでも判らない人は、今後も高作正博さんの憲法教室などが、神戸YWCAなどで行われるので、引き続き追っかけてほしい。
一方、文芸評論家・社会評論家である高橋源一郎さんの話は、身近な子育て・アトピーの話から、民主主義・人と人とのコミュニケーションの課題、そしてこの国を壊れかけさせようとしている安倍政治、と縦横に展開され、随所に笑いを取り、さながら第一級の噺家としての60分であった。
市民アピールも憲法、派兵、労働法制、生存権、原発、沖縄、女性のそれぞれの課題から今後の憲法と闘いの方向を訴えた。そして集会アピールが採択され、3時間弱の集会を終えた。
会場では土井たか子さんの展示もあり、たくさんの人が次の行動情報を求めて、ごったがえした。
さらに圧巻だったのは交流会。呼びかけ人は阪神間を中心とする社会運動家30人だが、ほぼ全員が参加。
その上で、本集会では出番のない人たちも、講師2名とともに語りあう企画だが、部落解放同盟兵庫県連委員長を務める坂本三郎三田市議、柴生進前川西市長、熊野・羽柴・吉田弁護士、本集会でも発言した水岡参議院議員や、今次選挙で4選なった大島宝塚市議員などが残ってくれ、一般参加の30名もふくめ、楽しいやりとりとなった。最後は、高橋さんの教え子の学生たちの行動様式がかぶって、大いに盛り上がった。
この集会を含め、兵庫県下の憲法集会は、2日は神戸で800人、3日は神戸で450人、尼崎で300人、さらには姫路・西宮などでも集会が開かれ、また神戸の5・3表現の自由を考える集会(高橋源一郎さんなど発言、500人参加)をあわせると、「時間差兵庫憲法統一集会」が、3000人以上の参加で行われたことになる。3日横浜での3万人集会をメインに、全国各地で、それぞれの課題を抱える現場から、安倍戦争政治を撃つ行動に立ち上がっていこう。
主張 積極的防衛論争で政治の大転換を!
「日米共同で戦争する国」への転換、日本のあり方の根本的転換が目前に迫ってきている。安倍首相は、先の訪米の際、日本国会での審議決定を待たず、米両院合同会議で自衛隊の地球規模での米軍への協力を約束した。集団的自衛権行使の容認、ガイドライン改定、そして安保法制化と「暴走」が重ねられて来た「戦争する国」への日本のあり方の転換は、その総仕上げとしての憲法九条改定を残すのみとなっている。
日本の国としてのあり方をどうするか。来年、その実施がすでに公表されている改憲をめぐる国民投票がその決戦場となるわけだが、それに向けどう闘うべきか。すべての政党、政治勢力、国民自身にそのことが切実に問われている。この問題について、九条改定の根拠にされている焦眉の課題、日本の防衛問題から考えてみたい。
■「米国あっての日本の安全」なのか?
今の防衛論議は、「日本の安全は日本一国では守れない」が大前提にされている。だが、この大前提自体、正しいと言えるのか?いろいろ言われている「大前提」の根拠について考えてみたい。
「戦後日本の平和は、憲法と安保セットで守られてきた。憲法だけでは平和は守られない。安保があっての日本の平和だった」「戦後、日本防衛の盾になってきたのは自衛隊だ。だが、国の安全は盾だけでは守れない。矛が必要だ。九条により自衛隊が矛になれない条件で、その矛役を担ってくれたのこそ米軍だ」「戦後、日本が核と戦争の惨禍を免れ得たのは、米国の核と軍隊という抑止力があったからに他ならない」。等々。
これらに共通しているのは、戦後日本には、交戦権否認、戦力不保持の九条があった。だから、米国の力を借りることなく自国を守ることができなかったということだ。防衛論議の「大前提」は、この「論理」に基づいている。
だが、本当にそうなのか?日米安保、米軍は、本当に日本の防衛のためのものなのか?
そんなことはないし、また、あるはずもない。そもそも、自国の国益を犠牲にして他国の安全を守る国などあり得ない。実際、日米安保は日本を守るためのものではなかった。
■日米安保は何のためのものか?
1951年締結された日米安保で約束されていたのは、日本の米軍基地としての利用だけだ。日本を守ることなど約束事項になかった。その後の改定安保でも同じことだ。日本の防衛に関する具体的な規定などどこにもない。
事実、日米安保によって日本は、米軍基地として利用されてきただけだ。朝鮮戦争、ベトナム戦争、皆そうだった。イラク、アフガン戦争では、その上に、1997年の日米防衛協力の指針(ガイドライン)改定とそれにともない成立した周辺事態法で自衛隊の後方支援が付け加えられた。
そして今度の集団的自衛権行使容認以下一連の法改正だ。これによって日米安保は、日本を米国に守ってもらうどころか、米国の覇権のための戦争に、日本列島を基地として提供するだけでなく、自衛隊をその先兵、下請け軍隊として捧げるためのものとなる。
■現時代、日本最強の国防路線
もともと誰かに自分の国を守ってもらおうとすること自体間違っている。自分の国は自分で守らなければならない。
では、そのためにはどうすればよいか。そこでまず考慮すべきだと思うのは、これまでの防衛論議の「大前提」、「日本の安全は日本一国では守れない」の根拠にされてきた「論理」、すなわち、九条と自衛を対立させ、九条があっては自衛できないとする「論理」だ。しかもこの「論理」は、同時に、改憲、「自主防衛」論の根拠にもされている。日本を「戦争する国」にするため、よってたかってその根拠にされているこの「論理」自体の正否を問うてみるのは、だからこそ、今もっとも切実に求められているのではないかと思う。
この「論理」を検証する上で、何よりもまず確認する必要があると思うのは、九条には自衛や自衛権を否定した箇所などどこにもないという事実だ。それどころか、憲法草案の下書きになったと言われる「マッカーサー・ノート」に明示されていた自衛と自衛権否定に関する部分が九条においては意識的に削除されている。こうした事実は、少なくとも、九条が自衛や自衛権を否定したりなどしていないということを教えてくれる。
一方、周知のように、九条がその第二項で交戦権否認、戦力不保持を明記し、戦争自体を放棄しているのも事実だ。これこそが、従来侵略戦争に発展するのが常であった自衛戦争まで否定したかつてない画期的な不戦の条項だ。
自衛、自衛権の肯定と自衛戦争の否定、この一見矛盾しているように見える九条をどうとらえるか。そこで提起したいのは、九条は従来の自衛戦争とは異なる種類の「自衛のための闘い」を要求しているのではないかということだ。
これまで往々にして侵略戦争に転化発展して来た自衛戦争は、「自衛」の名で相手国やその軍事基地を攻撃するのが常だった。そして、まさにそこに「転化発展」の契機があり要因があった。言い換えれば、自衛権の行使が従来の自衛戦争とは異なる決して侵略戦争に転化することのない徹底した「自衛のための闘い」になるための決定的なポイントもこの辺りにあるのではないか。すなわち、闘いを自国領域内に侵入してきた敵を撃退するにとどめ、決して領域外に出ない、そうした透徹した撃退戦、それこそが九条が求める「自衛のための闘い」ではないかと言うことだ。
そうなれば、九条と自衛は対立も矛盾もしなくなる。だが、そこにもう一つ問題があるのも事実だ。ただひたすら撃退に徹する防御で日本の安全は果たして守れるのかという問題だ。攻撃は最大の防御。相手に対する攻撃の手を完全に縛ってしまった防御は防御足りうるのか。
そこで論議される必要があると思うのは、現時代の時代的特性だ。今は、世界的に覇権が通用しなくなった脱覇権自主の時代だ。世界の至る所で、覇権グローバリズムに対する反覇権民族自主の伸張が著しい。中東やアフリカなど、国と民族の主権、自主権を擁護する国軍、民兵の勢力拡大、EUやASEAN、中南米など、経済や財政の主権を求める動き、ウクライナやスコットランドなど、主権、自治権を要求する闘い、そして、金融や核・ミサイルなど、米覇権、独占に挑戦するAIIBや朝鮮、イランなどの闘い、等々。
こうした脱覇権自主の世界的な趨勢にあって、撃退戦に徹する「九条自衛」が、日本に「歴史認識」を求めるアジアをはじめ世界的な範囲で圧倒的世論の支持をもたらし、それが日本の国防にとって大きな力の源泉になるのは確実だ。
ところで、ここでも決定的なのは自分自身の力だ。脱覇権自主の時代的趨勢が日本国民自身の撃退戦への信念と意志を強めるのが重要だ。九条を掲げての脱覇権不戦の闘いが時代の先端を行き、世界の支持を受けており、必ず勝利するという信念、自身の歴史的使命を果たさずにはおかないという意志、この全国民的な信念と意志こそが最強の国防力を産み出す何よりの源泉になる。
もう一つ、「九条自衛」を最強の国防路線にする科学技術の時代的発展があるのを忘れてはならない。今日、日本の国防を限りなく脆弱にしているものとして、全国の海岸線に無防備に配置された五十数基に及ぶ「原発」と徹底して侵略型に準備された自衛隊の装備がある。その「自然エネルギー」への全面的転換と透徹した撃退装備への転換は、脱覇権自主の時代の新しい科学技術の発展によって最高の水準で実現されるようになる。
■「九条自衛」・防衛論争で日本大転換を!
今こそ、「九条自衛」路線を高く掲げた積極的防衛論争を全国民的に巻き起こしていくときだ。
世論調査で、改憲が必要か否か、賛否が拮抗している中、九条に関しては、60数パーセントの割合で改定反対が圧倒的だ。だから安倍政権は、今、からめ手から改憲を進める作戦だ。来年、差し当たり、緊急事態や環境権などの条項から改憲に手を着け、国民の間にある「改憲アレルギー」をなくしておいて、数年かけ九条改憲に持ち込むなど、姑息な策略をめぐらせている。
こんな時であるからこそ、今、国民的関心が高まっている防衛問題を憲法闘争の主題に積極的に取り上げ、安倍政権をその土俵にこちらから引き出していくようにすべきだと思う。この国論を二分する闘いでの勝利、それこそが、古い日本の変革を切実に求める民意に政治が応え、戦後、いや明治以来の日本のあり方に大転換をもたらす広範な国民運動の新しい地平を切り開くのにつながっていくのではないだろうか。
議論 戦後70年に思う(1)
すでに数年前になるが、あるラジオ番組で寺島実郎氏が「靖国は(米国の)アーリントン墓地とはちがう」と述べた。氏の意図するところは日本の首相の靖国参拝がアジア諸国の反発を生むことを危惧するものであり、米国の大統領がアーリントン墓地に献花してもそれを批判する国はないというものだろう。また単なる戦没者墓地であるアーリントンと国家神道という軍国主義イデオロギー拠点としての靖国神社では性格が異なるのも事実だと思う。でも何か釈然としない。日本の首相はアーリントン墓地を訪れるだろうが、ベトナムの国家元首がベトナム戦没者を祀るアーリントン墓地に献花できるだろうか? アメリカは「歴史の反省」を求められることがないのか?
また日本の戦争責任問題でよく言われる言葉、「ドイツは日本よりよく反省している」にも同様のものを感じる。たしかに「南京虐殺」や「従軍慰安婦」問題での日本政府の煮え切らなさ、さらに安倍政権のような開き直りぶりに比べれば、ナチスドイツの戦争犯罪への糾弾、特にユダヤ人虐殺への反省は徹底していると思う。でも戦後のドイツはアフガニスタンに派兵したり、セルビアへの空爆に参加したりしている。これはどういう「歴史の反省」から来るものなのか?
安倍首相の「戦後70年談話」有識者会議では欧米豪との和解について「よくやってきた」と評価、「日本が基本的価値を共有する国になっている」「未来に向けて共通の利益を持っている」との見方が示された。安倍首相は訪米時の上下両院合同会議での演説で「かつての敵が友に、強固な同盟国にまでなった」と胸を張った。「和解の力を示す模範」と日米共同ビジョン声明は謳った。要するに日本は欧米、特に米国との間では「戦争の反省」に関する歴史認識に何ら問題はないのだ。
歴史認識で日本にいま問われているのは、対アジア、中国、朝鮮などへの植民地支配、侵略の総括がないということ、これが基本問題なのだ。そういう視点からみれば、「ドイツの反省」にアジア、アフリカへの植民地支配、侵略野望に対する総括はあったのか?
第二次世界大戦は、その本質において植民地再分割のための帝国主義間戦争であり、「強盗同士の戦争」であった。負けた日独伊も勝った英米仏など「連合軍」のどの「帝国主義国」も「植民地支配」「侵略」を総括などしなかった。そういう不十分な歴史認識で「戦後」は始まったのだ。
事実、先の大戦で「反ファシズム連合軍」だったアメリカは朝鮮、ベトナム、イラク、アフガニスタンその他、戦後のほとんどの侵略戦争をやってきた。ナチス占領から解放されたフランスは第二次大戦後、インドシナ(ベトナムなど)戦争、アルジェリア戦争など旧フランス植民地では残忍な侵略者、民族解放闘争の弾圧者であった。ファシズム側にあって「反省の模範生」だと言われるドイツも先述のようにセルビア、アフガニスタンでは侵略軍としての負の歴史をくり返している。
米国もドイツも先の大戦の反省においては植民地主義、侵略、覇権主義は悪であるという総括がなく、歴史認識を正しくやっていないのだ。
その点から見れば不戦の誓いを国是としようとしたわが国は、米国よりもドイツよりも先進的な反省国、歴史認識の国となっていたはずなのだ。世界に先駆けて「戦力不保持」「交戦権否認」を謳った憲法九条を持ったからだ。日本は憲法で他国と交戦(外国に攻め込む戦争)する権利と交戦(攻め込む)戦力を持つことを否認、放棄を世界に誓った。かつての帝国主義国家が侵略戦争につながるいっさいのものの放棄、言い換えるならば覇権の放棄を世界に宣言したのが憲法九条だった。
ところが戦後日本の歴代政府は、憲法九条ではなく日米安保という防衛体制をとることによって、憲法より日米安保を優先させてきた。日米安保体制は、アジアと世界に覇を唱える米軍への協力を強い憲法九条を無力化することで、日本を朝鮮、ベトナム、アフガン、イラクなどで米国の侵略戦争加担国家にし、そして戦後70年の今日、日米共同の戦争のできる日本に変えようとしている。
戦後70年にあって、日本にとりもっとも重要なことは、日米安保優先を改め、先の戦争の総括である憲法九条を真の国是とすることであり、脱覇権の最先頭に日本が率先垂範して立つことであると思う。
時評 戦後70年に思う(2)
前号にて「それぞれの戦後70年」の投稿呼びかけがあったが、私は対米意識について考えてみた。それは、戦後70年間、日本人の精神意識のうえで大きな位置を占めていたのは対米意識だと思うからだ。
戦後そのものがマッカーサーと天皇の会見時の写真から始まった、と言えるくらいだ。「神」だった天皇が背丈の大きなマッカーサーとともに写った写真は、日本の上にマッカーサー元帥、すなわちアメリカが君臨しているということを国民に嫌がおうでも知らしめた。日本が強大なアメリカと戦争をしたことは間違っていた、アメリカは自由と平等の民主主義の国で豊かな国だ、これからはアメリカに従い、アメリカに見習い、アメリカのような発展した国にならなければならないというのが、当時の最も支配的な意識だったと思う。
終戦直後生まれの私も、小学生の時にアメリカの軍艦に上って圧倒され戸惑ったし、アメリカのTVドラマにどっぷりつかってアメリカに親しみと憧れを感じながら育った。
ところが、高校生のときベトナム戦争の実態を知り、アメリカが侵略戦争を世界各地でおこなっている帝国主義国であり、決して良い国ではないと思った。また、日本の過去の戦争を知るにつけ侵略戦争を絶対にしてはならないと思った。今度は、日本がアメリカの侵略戦争に荷担し特需を得ている。私はそれに怒り、大学生のとき学生運動に参加するようになった。
しかし、そのときでも映画「明日に向かって撃て」などに大きく影響を受けていた。まだまだ精神的にはアメリカ式の個人の自由と平等の価値観であり、欧米志向だった。
1973年のドルショックと経済恐慌を経てバブルに到る80年代の高度成長のなかで、日本の経済大国化に比してアメリカの凋落を感じ始めた。ところが、東西冷戦の終息とともにアメリカが世界の盟主であるかのように登場し、しかもアフガン戦争、イラク戦争と圧倒的な力を見せた時、アメリカにひれ伏すべきだという論調が一時、表れた。しかし、アメリカが世界を支配するモンスター(怪物)に見えたのは一瞬だった。「黄昏の帝国」(進藤榮一)、「貧困大国」(堤未果)と呼ばれるようになったように、アメリカ社会内部が腐敗し、軍事的にももはや侵略戦争を起こすこともままならなくなり、経済的にもリーマンショック以降、解決できない矛盾に陥っている。
今回、安倍首相は訪米して日米同盟を「希望の同盟」と謳ったけれど、果たしてそのように思っている日本国民はどれだけいるだろうか?実際、そのような反応を聞く。アメリカと一体になれば海外派兵やTPPなどで犠牲を強いられるだけではないか、むしろアジア諸国との関係を良くした方が日本のためになるのではないかなどなど。こうした考え方が増えているのでないだろうか。アジアインフラ投資銀行の件でも日本がアメリカの顔色を伺ってばかりでアジアから孤立していくのではないかとの憂慮の声も多い。
もっと言えば、明治以来の脱亜入欧という考え方、欧米中心に見るというのも薄くなっているように感じられる。だからといって、中国についていくというのでもない。アメリカでもなく中国でもないということは、もはや誰かについていくのではなく、日本自身の道への模索が始っていると言えるのかもしれない。
私自身、アメリカは依然として大国ではあるが凋落していく国であり、アメリカと一体となるのは日本をさらに悪くするだけで、日本という自分の国と国民を中心にし、アジア諸国をはじめ各国との友好関係を深めていくことが日本の平和と国の尊厳と繁栄をはかる道だと考えている。
それは人口減や地方消滅、貧困化と格差拡大などを根本的に克服していく新しい国のあり方の創造と結びついているはずだ。
統一地方選で投票所に行かないし、候補者になる人も少ないのは、人々が政治に期待して何かできるとは思っていないことにあると思う。民主党の政権交代があっけなく終わってしまった経験は日本国民に政治への期待というところで大きな傷を残した。しかし、国の在り方、社会の在り方、自分たちの生活の在り方が政治を離れてはありえない以上、新しい政治への期待、望みは普遍的、潜在的に人々の心の中にあると言えるのではないだろうか。そして、その期待や望みの中身は対米意識一つとってみても、かつてものを凌駕するものになってきていると言える。
その高い民意に対していかに応えていくかということにこそ、時代に逆う安倍政権の専横を打破する鍵があるのではないかと考えている。
闘いの現場から
■ほとんど病気
あ−眠い。昨日も睡眠4時間だ。
なぜいつも時間に追われているのかと思うが、しかし誰にその責任を求める事も出来ない。自業自得だからだ。
いやならやめたらいいのだ、選挙にかかわるのを。実は少し前に「ひょっとしたらそうなのではないか?」と思っていたが最近その命名に確信が持てた。好きとか趣味とかいうレベルを軽く超えてしまっている。
そういえば、長男が生まれた時に産科病院で付き添っていたが、選対から緊急事態の連絡が入って深夜に妻を放置して選挙区へ走って行ったのを思い出した。長男をベビーカーに乗せて鶴見緑地であった花博を見に行った。そのあとに選対会議があるのを思い出して、折悪しく雷鳴とどろき、強めの雨も降って来た鶴見緑地に妻子を残し「あとごめんね」と会議場へ急いで行ったのも思い出した。
共働きなので、子どもを見る番の日に、選挙の駅立ちにベビーカーを押して駆け付け、右手にべビーカーの取っ手を握り愛児をあやしながら左手にマイクを握ったが肌寒い日で、風邪をひかせてしまったのも思い出した。
早い話、ロクな親ではないのだ。今だにそれらの思い出を吐き捨てるように語る家族の「静かな怒り」に私は身が細る思い(思いだけであり、実際には…)。
■選挙な日々
さて実はこの半年以上選挙漬けだ。意中の人を議員にしたいと熱望して準備に奔走し出したのが昨年10月。用意が少しずつ整いだしたと思ったら、暮れの安倍突飛解散で総選挙に駆り出されてしまい(走って行ってしまい、が正しい)、師走の半月が吹き飛んだ。年末年始は市会議員選挙の準備で休みが1日だけ。それも親せき付き合いであっという間に終了。選挙準備は思いのほか戦力が確保できず、準備作業と行動と無数の会議で一日の休みも取れず、4月前半の本番突入。
もちろん、自身の生活維持と、担当するブログ、ホームページ作成、メール連絡、各種工作活動も必要なので毎日がつぶれてしまった。いやいやそんな事を言ってはいけない、充実した毎日×24時間を送らせていただいた、と思わねば。
4月後半戦は街宣車の整備と貸出、選挙準備の部分的お手伝いだけして、優雅に暮らしたいというささやかな願いがはかなくも消えて、紹介した運転手の事故に伴う代打出場が加わり、2日徹夜。それが終わった翌日から大阪市廃止を阻止し、橋下を終了させるたたかいに突入してしまった。
やれる事だけしたらいいと思うのは甘かった。やるからには勝たねばならないのだ。それには最大限の工夫と活動量が必要となる。かくして、またもや24時間体制に近い「選挙な日々」に自ら飛び込んでしまった。
この原稿を完成した段階で結果は出ていないが、発行時には出ているだろう。労働運動、解放運動を敵視し、大阪市つぶしの次には改憲勢力の一翼として登場を狙う橋下の野望がとん挫する事を強く願うのでこの取り組みにもさらに熱が入ってしまい、かくして休みなしの半年が過ぎてしまったが、動き続けているせいか病気にはかからない。
■選挙依存症
薬物依存の予防策は「ダメ、絶対」と書いてあるように、手を出さない事が必要だし、ギャンブル依存のように「ほどほどに」が求められるのだが、「選挙中毒」は、みずから行ってしまう。社会悪と認知されておらず反省しない。これほど働けば普通なら収入も会社での地位もスゴイ事になるのだが、世間でありがちな悪事にかかわる時間とお金が無い、と自分で評価してしまっているから、「家族」からすれば、以前に紹介したように「やくざよりタチガ悪い」と言う事になる。
先日も同病の相当重症者複数から「あなたはほんとに選挙すきやねえ」と言われてしまった。実はこの選挙依存症あるいは選挙中毒は伝染する。感染力は強くはないが、感染者のかなりの人が重症化し、死者はあまり聞かないが不治となる人もいる。
この過程の中で何人か、症状が出た人がいる。あ〜こわい。あなたも気をお付け下さい。「ところで今週末はお忙しいですか」。
時評
もはや事実上の自民単独政権の好戦的本性が剥き出しになるまで、ISISの日本人人質見殺し事件の勃発から実に早かった。2月19日の衆院予算委員会での民主党議員への日教組に関する理解不足プラス思い込みによるヤジ飛ばし。これには作家・評論家の柳田邦男氏も「総理の品格と責任を問うべき問題。総理も自民も絶対多数に胡坐をかいているのではないか。何をやっても最後は数で押し切れるという傲慢が態度に表われている」と痛烈な批判をした。お次は労働関連法案への改悪挑戦。これは前回の安倍政権で世論の痛烈批判を浴びて退いたと思いきや、安倍総理と自民党の奥深くに疥癬菌のように潜んでいた。
その菌の正体は米国が発生源のホワイトカラー・エグゼンプション(事務労働者層の義務や法の適用免除)だ。働き過ぎの防止策?聞こえのいい言葉に思えるが、残業代をゼロにして大手資本の人件出費を抑える目論見が、気持ちのいいくらい見え透いている。すでに昨年の「成長戦略」で大枠が決定済みとなっているが、脱原発に難色を示す最大手労組 連合もせめてこれだけは都道府県のブロック単位ごとに分散せずに、統一見解として絶対反対を貫いて貰いたい。一応は「年収1千万以上で高度な職業能力を有する者」とはあるが、法案通過すれば蟻の一穴となる事ほぼ間違いなしだ。なぜなら、そんな人が全事務系労働者人口の何割いると言うのか。やがて総崩しにして、年収幅を引き下げにかかるだろう。
そして目玉は、沖縄の市民感情と歴史など完全無視の、米軍沖縄駐留基地の普天間から辺野古への強制移転作業の測定調査進行に尽きようか。市民感情を傷つける事など造作ない安倍総理の名参謀、菅官房長官殿の「粛々と工事進めるだけ」発言には、翁長知事も稲嶺名護市長も堪忍袋が臨界点に達した。加えて奄美大島と並んで「東洋のガラパゴス」といわれる琉球岩礁地帯に生息する、世界有数といわれる貴重なハナサンゴ類が海上重機で何体潰されようがお構いなしの無頼ぶり。国内外の31もの環境保護NGO団体が辺野古基地建設に猛反対を表明しようが、全くどこ吹く風の厚顔ぶりに徹している。
その辺野古では、基地建設の海域周辺で建設反対派と海上保安庁との凄まじい緊張が、海と陸で連日続いている。海の上では、反対派はゴムボートを搭載した船舶で建設区域を示す洋上ブイの際まで進行し、中止要請の声を張り上げる。海保と沖縄県警は彼らが少しでも境界を越えれば排除しようと待ち構えている。即時逮捕、拘留しようという目論見だが、当然、ニュースに報道されているように衝突が起こっている。そのニュース報道も、裁判にまでいったケースを含めた僅かだ。
そこまでして日本政府は、一体何を守りたいのか。少なくとも沖縄の住民と自然でない事だけは確かだ。仮にどう庇っても、米国と日本の共同軍事利益を守る為としか結論付けられない。中国の脅威から沖縄を守る為?極東軍事基地を未来永劫不動のものとし、『赤色チャイナ』からの軍事侵攻阻止の名目で、巨大な日米混合・軍産複合体を形成させる目的しか連想させない。
安倍内閣が真に『世界平和連合』を望むなら、事を構えるのを前提とした対中路線でなく、納得いくまでとことん話し合う対話最優先のそれに向かうはずである。だが現実は、世界的規模の対テロ戦争を口実に過去の歴史へのバックギヤを猛スピードで突き進み、近頃は加速度が加わっている。その行き着く先はチェッカー・フラッグの振られた明るい未来のゴールでなく、光の届かぬ暗澹とした薄暗い過去への落とし穴へ真っ逆さまとなるだけだ。もはや手遅れを実感しない今のうち、心ある政治家と国民が総体となってブレーキを強く踏み、ギヤを正常に戻す時が遂にやってきた。
詩 母の日に
花かんざしは
蕾から花咲くまでが長い
毎日毎日毎日水をあげる
もう咲かないのかな、と思った頃に
パーと可憐な真白い花を咲かす
チューリップは
冬の寒さに当ててこそ美しく咲く
本当に芽が出てくのかな?
しかし、春になると土を破り
にょきっと芽を出し色鮮やかな花を咲かす
打ち捨てられていた
シクラメンも
光を当て 水をあげ
優しく眺めていたら
しっかり 立派な 花を咲かせた
何かなー
子育てのようだなー
信じ続けること
厳しさも経験させること
いつも太陽のにおいのする布団と
土の香りのする食べ物は欠かさずに
これができれば 子供たちもみんな
きっと美しい花を咲かすことだろう
この美しい愛しい花たちが
平和な空の下で
いつまでも咲き続けることができるように
他国の美しく愛しい花たちと争う事がないように
母たちよ
私たちは行動する赤いカーネションとなって
街頭に出よう
さわやかな五月晴れの大阪扇町公園。続々集まる市民の列。のぼり旗は、自民党・民主党・共産党・労働組合・地域団体など多士済々。集会は笑福亭竹林の司会で、発言者は商工団体・医師会・地域住民組織・子を持つ女性・竹山堺市長、各政党代表には公明党の前議員も参加するなど、これまた多士済々。
本当に心ある大阪市民が、大阪市が消滅することに怒りと危機感をみなぎらせて集まっていることが判る。
発言では、大阪市をなくすな!橋下はサギ師といった発言に拍手が一番多かった。広い扇町公園の半分近くが埋まり、周辺の木陰で聞き入る人も含めると、その数ざっと5千人。
デモ・パレードも、市民グループから始まり、自民党・商工業者、民主党・自治体退職者・社民党・新社会党、労働組合(関西生コン・全港湾・港合同・関西合同・教育合同など)、新婦人・年金者組合、府職労・国労・自治労連、共産党、弁護士会・歯科医師会などがそれぞれ梯団をつくり、ざっと3000人が、西梅田まで行進した。
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