研究誌 「アジア新時代と日本」

第142号 2015/4/10



■ ■ 目 次 ■ ■

編集部より

主張 9条平和主義による世界的包囲

研究 統一地方選によせて 地方から日本を変えていく出発に

議論  ウクライナ内戦に想う

時評 誇示されたものは欠如を表す

時評 大阪都構想 橋下維新に「NO」を突きつけよう

コラム 統一地方選前半終了、大阪とほほ構想は拮抗

維新 過半数届かず「負け」




 

編集部より

小川淳


 「それぞれの戦後70年」へ、投稿のお願い
 8月15日、私たちは戦後70周年を迎える。正確に言えば敗戦70周年である。8・15の焦点の一つは安倍談話だ。安倍政権の下で、戦後の大きな枠組みが根本から変えられようとしている中で、安倍政治ときちんと対決していくためには、この戦後70年をどう捉えるのかが重要となる。
 政治的に見れば、戦後70年間、憲法か安保かの二つの路線の鋭い対決のなかで、日本の政治が憲法よりも安保体制を基本としてきたことは明らかだ。冷戦終結後、基地縮小に向かうどころか、日米安保体制は一段と強化された。辺野古に基地を作らせない、オスプレイを飛ばさせないといくら沖縄や自治体が民意を示しても、アメリカがそれを要求するなら日本政府にそれを拒む権利はない。沖縄の闘いは戦後の日本が主権国家でないことを照らし出したといえる。このような屈辱的なことがこれからも永遠に続くことはありえない。民意が示すように戦後安保体制が破綻していることは明らかだ。
 経済的にはどうか。戦後の荒廃から立ち直り、高度経済成長を遂げ、世界有数の経済大国に上り詰めたが、いまやその面影はない。日本経済の低迷が続く。GDP拡大を目標とし、大量生産大量消費を基本とした成長神話がとっくに破綻していたことは、膨大な財政赤字や格差拡大、地方の疲弊、3・11を見れば明らかだ。アベノミクスはいわば成長神話に基づく戦後経済路線をより徹底した新自由主義路線に過ぎない。
 外交的には、戦争責任を取ることも、きちんとした歴史認識もなく、侵略戦争を正当化し、歴代政権は靖国参拝を繰り返し、対米従属一辺倒の外交路線によってアジアの中で孤立してきた。
 この文脈でみるなら、民意に反して辺野古移設=米軍基地の固定化を強行する安倍政権が目指すのは、戦後レジームの転換ではなく「固定化」であることは明らかで、その結果、アジアと世界の中で日本が孤立を深めていくだろう。
 日本はいま、大きな歴史の転換点にある。言い換えるなら、この破綻した戦後70年の延長に日本の未来を託すのか、それとも戦後にはっきりと終止符を打ち、新しい日本を構想するのか。
 8・15に向け、安倍が描く談話。それに抗するものとして、私たちは読者の方々に「それぞれの戦後70年」の投稿を呼びかけたいと思う。それがこれからの日本の構想の一助となると思うからだ。是非、多くの方に参加して頂ければと思う。



主張

9条平和主義による世界的包囲

編集部


 残虐非道なテロと戦争が蔓延している。その時代的風潮に応えるかのように、安倍政権は「積極的平和主義」を提唱した。集団的自衛権行使を容認し、日米防衛協力の指針を改定し、安保法制化を進めるのと一体にだ。
 今、日本と世界で求められているのは、米国と共同で戦争する「積極的平和主義」=戦争主義ではない。テロと戦争の危機に打ち勝つ真の平和主義だ。

■憲法、安保体制の並存と虚構の「平和国家」
 戦後70年、古きよき日本が世界の平和に貢献した「平和国家」として懐古されることが多くなっている。戦後の日本は、交戦権放棄、戦力不保持の平和憲法を掲げながら、日米安保に守られて世界に類い希な平和国家としての幸福を享受してくることができたということだ。
 しかし、今やそれもかなわなくなった。覇権国家、米国の圧倒的な地位が揺らいできている。いつまでも米国におんぶにだっこではいられない。その上、今やテロと戦争の時代だ。世界の平和と安全のため、日本がより積極的な役割を果たすことが求められてきている。積極的平和主義提唱の根拠は大体この辺にあるようだ。
 そこで、第一に提起したいのは、日米安保に守られて「平和国家」たり得たという戦後日本のとらえ方自体への疑問だ。この問題を考えるに当たって何よりも考慮すべきは、日米安保はもともと日本を守るためのものではなかったという事実だ。
 周知のように、安保条約は、1951年、朝鮮戦争のまっただ中、日本の独立を認めたサンフランシスコ講和条約と対にして極秘裏に準備され結ばれた。条約締結のためサンフランシスコへ同行した国会議員や政府関係者にも知らされないまま、一人吉田首相がこれに署名し成立したこの条約の核は、日本の安全を保障するところになどなかった。そんな条項はどこを探しても見当たらない。では核はどこにあったのか。それはどこまでも、独立国日本に米軍を常駐させるのを認めるところにあった。その目的が朝鮮戦争、引いては米覇権戦争戦略の遂行にあったのは、戦争の予想外の長期化や中華人民共和国の成立など、当時の情勢発展から推し量られるのではないだろうか。
 だから、次に考慮すべきだと思うのは、安保が優先され憲法が蔑ろにされてきた戦後日本が決して世界平和に貢献した「平和国家」ではなかったという事実だ。
 戦後70年、日本は一貫して、米国による覇権と戦争に加担してきた。沖縄をはじめ日本列島全体が米軍の基地化され、世界有数の戦力を持つに至った自衛隊が米覇権戦争戦略遂行のため、海外派遣されるまでになってきた。

■深まる脱覇権新時代と最悪の米覇権戦争戦略
 第二次大戦を通じて、帝国主義の植民地体系が世界的範囲で崩壊し、脱覇権新時代の幕が開かれた。戦後、世界帝国主義の首位の座についた米国は、開かれた幕を再び閉じ時代を逆戻りさせるため、民族解放、社会主義圧殺の先頭に立った。朝鮮戦争、ベトナム戦争は、覇権か脱覇権か、その帰趨を決する一大決戦としてあった。
 その結果は周知の通りだ。だが帝国主義は執拗だ。二つの決戦で連敗し、脱覇権新時代の一段の深まりに直面した米国は、今度は国と民族を否定するグローバリズムに基づく新覇権戦争、宣戦布告なき「21世紀型戦争」、反テロ戦争を引き起こした。9・11テロを契機とし口実とするイラク、アフガン戦争がそれだ。しかし、米国の連戦連敗には歯止めがかからない。今、米国は、毎年250人超の自殺者を含むPTSD(心的外傷後ストレス障害)帰還兵を多数抱えながら、戦線からの撤退を余儀なくされている。
 ソ連との冷戦を制し、米国が世界一極支配の夢に酔ったのも束の間だった。今や米覇権の弱体化は誰の目にも明らかだ。だが、米覇権回復のための戦争戦略は、戦争なしには一日も生きられない肥大しきった軍産複合体の存在も相俟って、破綻するほどさらに極悪非道の一途をたどり、今日、史上類例を見ない最悪のものになっている。
 主権も国境もなく、世界中の紛争地にアメーバのごとくその支配領域を拡大しテロと蛮行の限りを尽くす、国であって国でないグローバル国家、「イスラム国」を掃討するとして、主権侵害、国境侵犯の戦闘をくり返し押し広げる米国率いる反テロ戦争有志連合。このテロと戦争の際限のない蔓延にこそ、新たな米覇権戦争戦略、「反テロ戦争新段階」があるのではないだろうか。

■積極的平和主義は破滅的従米覇権戦争主義だ
 安倍政権は、この新たな米覇権戦争戦略に完全に組み込まれている。
 執権以来二年数ヶ月、安倍政権はただひたすら軍事と経済の日米一体化を推し進めてきた。集団的自衛権行使の容認、日米防衛協力の指針改定、安保法制化は、これまで司令部から基地、軍事演習まで、統一、共同、合同してきた日米両軍が実際共同戦争できるようにするためのものであり、アベノミクス、TPPは、日本経済のあり方をすべての領域、制度、方式に至るまで全面的にアメリカ化し、そこに米系外資を大々的に呼び込んで日米経済の一体化を完成するためのものだ。
 この日米軍事、経済の一体化が米覇権戦争戦略への日本の組み込みの土台になるのは誰が見ても明らかだ。しかもこの組み込みは、これまでのような米覇権戦争のための日本列島の基地化とはわけが違う。それは、そのための自衛隊の先兵化に他ならない。
 そこで提起したい第二の疑問がある。こうした背景がある中、8月首相談話や来年あるだろう日本国憲法改正でそのバックボーン、基本精神になると言われる「積極的平和主義」が本当に世界の平和と安全のため、日本が積極的な役割を果たすためのものになるかということだ。
 その可能性は皆無だと断言できる。なぜなら、今日、「反テロ戦争新段階」に入った新たな米覇権戦争戦略こそがあらゆる戦争の根源であり、安保を「双務化」して、この戦略遂行で日本が積極的な役割を果たすようにする「積極的平和主義」が、真の平和主義どころか、最悪の戦争主義になるのは不可避だからだ。

■時代が求める真の平和主義、九条平和主義
 これまで米覇権戦争戦略は、ことごとく破綻し、脱覇権の新時代は止まることなく大きく進展してきた。連戦連勝してきた脱覇権新時代の歴史は、新たな米覇権戦争戦略との闘いでもその勝利を約束してくれている。
 脱覇権新時代、その連戦連勝の秘訣がいかなる覇権武力をもはねのける不屈の反覇権民意の発動にあるのは、もはや何によっても否定できない歴史の教訓になっている。朝鮮戦争しかり、ベトナム戦争しかり、そして、イラク、アフガンの戦争しかり、その勝利は、一つの例外もなく、国と民族の主権、自主権を守り打ち立てるための広範な人民抗戦の力強い進展に依っていた。
 無数の貴い犠牲によって購われたこの歴史の真実は、今日、「反テロ戦争新段階」にあっても生きている。悪逆非道なテロ集団、「イスラム国」を撃退しているのは、決して米国率いる反テロ戦争有志連合ではない。それは、シリアやイラクの軍隊であり、国と民族の防衛に立ち上がった大衆的武装勢力だ。自国、自民族の主権、自主権を守るための国民的力のみがテロを撃退することができる。
 では、安倍政権が参加を目指す、米国率いるグローバル軍隊、有志連合は何をしているのか。その真の目的は、テロ集団、「イスラム国」の掃討にはない。国境を侵犯しての各国主権の侵害、そこにこそある。それは、シリアやイラクでの有志連合の動きに歴然と現れていると思う。
 もはや明らかではないだろうか。テロと戦争が蔓延する今日、平和を積極的に守り実現するのは、「積極的平和主義」を掲げ有志連合に参加することではない。それは、新しい米覇権戦争戦略、反テロ戦争新戦略に組み込まれ、その先兵として使い捨てられることでしかあり得ない。
 問われているのは、各国、各民族の主権、自主権を守る闘いと連携し、浸透してくるテロと戦争を撃退して闘うことだ。
 そこで旗印となるのは九条平和主義に他ならない。かつてない人類史的大惨事、第二次大戦の惨劇を通し、日本国民とアジア人民の脱覇権、不戦への意思と願いを反映して打ち出された憲法九条こそが求められている。交戦権放棄、戦力不保持を掲げ、自衛戦争まで否定して自国領域内での敵の撃退に徹する九条平和主義の旗を世界に先駆けて掲げ、その世界的包囲を促すこと、そこにこそ、テロと戦争を世界から撃退し駆逐する真に積極的な平和主義があると言えるだろう。



研究 統一地方選によせて

地方から日本を変えていく出発に

S・A


■燃えぬ統一地方選
 統一地方選が始まった。10知事選と42道府議選、17政令都市議選、それに一般市町村長・東京都区長選とそれらの議員選である。地方消滅の危機が叫ばれ、地方が注目されている中での選挙だ。地方再生、アベノミクス評価、さらに人口減少問題、原発問題などが争点になると言われている。大阪では大阪都構想が争点になっている。
 しかし、全国が選挙戦で燃えているかと言えば、到底、そう言えない。その端的な現れが、無投票当選が増えていることだ。昨年あった市長村議選では17・2%が無投票当選だった。今回の統一地方選では過去最高の無投票選の割合になるという。とくに香川県、石川県、山形県の県議選は半数以上ないし、半数近くが無投票当選になるという。道府議選の3分の1を超す選挙区で無投票となる。議員のなり手も少ない。
 また、安倍自民党と野党が対決する選挙がほとんどないことも特徴的である。唯一、北海道知事選で自公と野党が対決する。大分は民主が独自候補を立てているが、民主党色を出していないし、自公推薦候補を村山元首相が支持している。ほかに注目しえるのは、現職に生駒市長が対決した奈良知事選くらいだ。そのほかは自公民の相乗りであり、共産党が独自候補を出しているのみ。民主党が道府議選の候補者を4割減らし、現状を維持できるかの状態であり、候補者を新たに出したり増やしているのは自民、維新、共産、社民だ。
 こうした盛り上がりに欠ける地方選挙は、組織票をもつ自民党、公明党などに有利である。しかも自民党は「地方創生」をかかげ、国による人口減対策・活性案を提示している。このままではでは、各地方が安倍政権にお墨付きを与え、来年、参院選、改憲国民投票にはずみを与えてしまうことになる。これでは余りにも絶望的ではないか。
 しかし、ものは考えよう。違う角度から見れば、力もわいてくる。

■地方から日本を変える
 人口減と地方消滅は規制緩和の新自由主義政策によってもたらされたものだ。アメリカ資本に市場を開放する新自由主義改革をさらにすすめる安倍政権のもとでは、地方が確実に崩壊、消滅していくのは明らかだ。したがって、地方が生きるかどうかは、安倍政権を倒し日本を変えていく道しかない。その力も地方にこそあるといえる。
 たとえ自民党系であっても地方の大多数の議員、住民が、安倍政権のもとで苦しめられ、反安倍になっている、それを噴出させるとき、日本を変えていく大きな力になるはずだ。
 実際、この間の知事選は、滋賀、佐賀、沖縄と反安倍勢力が勝利している。それは言うまでもなく、地方を無視した中央による国策優先にたいする反発であった。集団的自衛権にたいする反対決議や意見も全国の300近くの自治体議会から寄せられている。
 地方再生の力も地方自体にある。この間の地方再生、活性化の成功した例は、地方が主体となり自ら知恵を絞り自らの力を発揮したときである。地元での雇用作り、企業誘致でなく地域の資源を活用する、道路整備より教育による人づくり優先、ニセコ町では「ニセコ町まちづくり基本条例」という行政と住民の一体化と住民自治の実現など、地域の実情に応じて住民が立ち上がったとき成功している。
 元来、日本は地方、地域の特色が強く、それがもつ力を発揮させながら、発展してきた伝統をもっている。日本は中央集権型でなく、中央政治もその地域の力をどれだけ発揮させるかにかかっているといえる。
 したがって、地方の活性化・再生、地方自治確立の闘いはまさに日本を変えていく、日本を取りもどしていく闘いでもある。
 それはすでに開始されているといえる。亀井静香氏が提唱した「地方活性化協議会」(根っこの会)もその一つと言えるだろう。地方の声を引き出し、地方が主体になれるよう尊重し、地方の創意性と力を最大限発揮できるようにするところに、地方再生がありえ、かつ日本を根っこから強靱にし、日本そのものを変えていく道がある。
 今回の統一地方選を地方から日本を変えていく一つの出発点にしてゆきたいものだ。


 
議論

ウクライナ内戦に想う

東屋浩


■ウクライナはどういう国か?
 人口5千万人が住む肥沃な土地が広がる農業国であり、かつ石炭業、鉄鋼業が盛んな工業国で、元ソ連邦の重要な一翼を担っていた。もともと東スラブ族がロシア、ウクライナ、ベラルーシに分化し、ロシアとは同じスラブ民族として近い共通性をもち、人口構成もウクライナ人73%にロシア人が22%を占め、ロシア国内には2千万人のウクライナ人が暮らしている。
 ウクライナはポーランド、トルコ、ナチス・ドイツなどの侵略を受けてきた。革命小説として有名な「鋼鉄は如何に鍛えられたか」もポーランドと国境を接するウクライナが舞台であり、主人公もウクライナ人であった。また、ナチス・ドイツの侵略戦争ではソ連邦公民として500万人以上が虐殺されている。ロシアにとってウクライナは同じ民族であり共に戦い支え合ってきた友邦ともいえる。
 他方、大国ロシアにたいしウクライナ語の使用など民族自主、自治の志向が強くあった。
 ポーランドに接した西部では親欧米志向が強く、ロシアに接した東部では親ロシア志向が強いと言われている。
 一方クリミア半島は、戦後、ロシア領からウクライナ領に編入された歴史もあり、ロシア人が過半数を占め、ウクライナからの独立志向があった。
 この数年間、周知のように、いわゆる「オレンジ革命」により親欧米の政権が生まれ、再び親ロシア政権に交代するなど、ウクライナの政治情勢は緊張してきた。ウクライナは他国を侵略したことはなく、隣接国との友好と平和を望んでいたといえる。しかし、今日、東部の二州の独立をめぐって激しい内戦が繰り広げられており、欧米はロシアにたいする制裁やウクライナにたいする軍事支援をおこない、ロシアも強硬姿勢を崩していない。この問題があたかも東西冷戦時代を彷彿させる大きな国際問題となっている。

■マスコミ報道依存でなく民衆の声!
 3月10日のクリミア併合一周年に際し、鳩山元首相はクリミアを訪問したことで、安倍政権の批難とバッシングを受けた。アメリカがクリミア問題でロシアに制裁を科し、日本がただそれに従っているという対米追随外交の典型である。
 ヤヌコビッチ前政権が倒されたのは、政権が腐敗しロシアを後ろ盾にしていたことに民衆が反発していたことにも確かに原因がある。しかし、直接的には国民のその反発を利用して米ドルで買収されたデモ隊、EUの反政府デモへの煽動、親ナチ分子の突入など欧米の干渉によって引き起こされたクーデターによるものだった(塩原俊彦「ウクライナ・ゲート」)と言うことができる。そのことは、クーデター1周年の11月19日、ジェフリー・パイアット米国大使が、「ロシアの戦車に脅えるな」とウクライナの政財界人に檄を飛ばしたことや、オバマ大統領がCNNインタビューで「われわれはウクライナで権力を移行する裏取引を取り計らった」(1月31日)と口を滑らしたところにも表れている。
 現政権は元アメリカ国務省職員など外国人4名が入閣しているなど、ウクライナ民衆の政権でなく、アメリカのかいらい政権だと言っても言い過ぎではない。こうした欧米の露骨で激しい干渉について日本のマスコミで一切報道されていない。
 アメリカの干渉は「民主化」を言い、あたかもウクライナ人民の要求を反映しているかのにようしながら、実際はウクライナの民主主義を破壊し、内乱を誘発させ、ロシアへの制裁を加え、欧州に戦乱を引き起こすためのものである。一見、米ロの勢力圏争いと見えるその実態は、アメリカ主導の覇権回復策動であると言える。
 侵略と武力干渉が通じる時代が過去になったように、アメリカの内政干渉と覇権策動は、ウクライナ人民により失敗を免れないだろう。4月6日ドネツクなど2州で住民が州政府庁舎を占拠し、独立を宣言してから一周年の祝賀行事が行われたこともそのことを示している。
 戦乱が拡大する今日の激動する世界にあって、その真実を知るために、アメリカやそれに追随する日本政府・マスコミではなく、フリージャーナリスト、研究者の役割が大きくなっている。各国の民衆のナマの声を聞いていってこそ、事態の本質を見ていくことができると思う。



時評

誇示されたものは欠如を表す

金子恵美子


 <誇示されたものは欠如を表す>(フロイト)。
 この言葉を安倍首相に贈りたい。「全ての女性が輝く社会」「誰にでもチャンスに満ち溢れた日本」「積極的平和主義」、「平和主義」は「平和主義」だ。「積極的」をわざわざ付ける理由がどこにあるのだろうか。 すべてが大げさで、現実とのギャップに鼻じらむ。このような言葉を発すれば発するほど自らの「欠如」を国民に知らしめているのだということを安倍首相は知らなくてはならない。
 その最たるものは想像力の欠如だ。この事を強く再認識させたのは、米軍普天間飛行場の辺野古への移設をめぐる菅官房長官と翁長沖縄県知事の「粛々と工事を進めていく」発言問題に関する安倍首相のコメントだ。菅官房長官の「不快な思いを与えたという事であれば使うべきでない」発言にも「不快な思いを与えるに決まっているし、単に言葉を使う使わないの問題ではなく、その言葉に込められた<問答無用><聞く耳をもちませんよ>という対応が問題なのでしょう!」と思ったが、安倍首相の「やめてもらいたいということであれば、敢えて使う必要はないと私も思う」発言にはあきれて言葉もでなかった。やめてもらいたいのは、「粛々」という言葉ではなく、沖縄県民の民意を無視して行っている移設のための工事に決まっているではないか!小学生でもわかると思うこの意味を首相がわからないということは、もはや想像力の問題ではなく、立場の問題なのだという結論に至った。初めから「辺野古に移設する」という結論ありきなので、翁長県知事の真意を受け止められないのである。想像力の欠如以前の問題であるのだ。そしてそれは「辺野古への移設以外にはありえない」というアメリカの意思なのである。首相はいったい何人?
 すでに54か国が参加申請している「アジアインフラ投資銀行」にもアメリカと揃って先進国ではただ二か国だけ参加申請していない。「これで日本がいかにアメリカにとって信頼できる国であるか証明できた」と胸をはった安倍首相。新たに打ち出された「米国を攻撃してきた第三国に反撃する」「日本周辺だけでなく、世界のどこでも米軍や他国軍に給油・輸送など後方支援ができる」「ホルムズ海峡での機雷の除去、中東から南シナ海を通るシーレーン防衛の強化」などを盛り込んだ新安保法制案も、アメリカの知日派であるアーミテージ氏とナイ氏による「アーミテージ・ナイ報告」を教科書として、その道筋に沿って作られているということが明らかにされた。(3月30日朝日新聞一面)。安倍首相の「日本を取り戻す」の「日本」の中には日本国民はいないようだ。
 今年は羊年。調べていたら「羊頭狗肉」という言葉が出てきた。羊の頭を看板に掲げながら、実際には粗悪な犬の肉を売ることから、見かけと実際が伴わないことの例えとある。せいぜい安倍首相の「キラキラ言葉」に騙されないようにしたい。昨年心に残った投書欄に載った詩を最後に記したい。

 

「雨ニモマケズ」こんな国に

雨にも負けず
風にも負けず
降り注ぐ銃剣や地雷にもひるまず
いつも兵器を持って身構える
よく見聞きもせずに同盟国に同調し
東シナ海で紛争あれば
海上交易の要衝なので安全が脅かされる
国民の権利が根底から覆されると言って
これに参戦し
中東で紛争あれば
石油の確保は我が国の存立に関わる
明白な危険と言ってまた参戦する
不戦の誓い、平和主義はつまらないから
やめろといい
もうでくのぼーとは呼ばせないと
一部の国に褒められ周辺国の脅威になる
そういう国に
わたしたちはなりたい?



時評 大阪都構想

橋下維新に「NO」を突きつけよう

編集部


 大阪維新の会が掲げる「大阪都構想」の是非を問う住民投票が5月17日に迫っている。今回の統一地方選でも「都構想」を掲げる大阪維新の会は、大きな影響力を持っており、世論調査でも賛否は拮抗している。では大阪都構想の何が問題なのか。編集部でまとめてみた。

■大阪都構想とは何か
 もともと橋下維新の描いていた大阪都構想は、大阪府全域を「大阪都」として大阪市・堺市の2政令指定都市および吹田市・豊中市・東大阪市・八尾市などの周辺9市を解体し、20特別区(大阪市8区、堺市3区、周辺市9区)に再編して大阪府と一体化させるというものだった。特別区は一般市よりも権限範囲の広い中核市レベルの自治体になり、特別区には区長と区議会議員による区議会を設置し、区長と区議会議員は選挙で選出するとされていた。
 ところが、その皮切りになるはずの2013年9月の堺市長選で維新候補が敗れ、堺市が大阪都構想から離脱することになり、周辺9市の反応も思わしくないことから、橋下は大阪市だけで大阪都構想を「実現」する破目に追い込まれた。つまり「都構想」とは名前ばかりで、大阪市が五つの特別区に分解される、言い換えるなら都構想の核心は大阪市の解体・消滅ということである。当然、府議会、市議会は反対し、都構想は一度は否決されている。ところが公明党が維新に寝返り、大阪都構想の賛否を問う住民投票が実施されるようになったのだ。

■都構想で何が変わるのか
 大阪維新の会によれば都構想によって大阪は大きく変わるという。最大の売りは、二重行政の解消だ。大阪都構想が実現すると、広域行政を大阪府、基礎行政を特別区が担うことで、府と市の非効率な重複施策・事業が解消される。また特別区に中核市並みの権限と財源が移譲され、住民に身近な行政サービスを提供出来、地域の実情に応じて特色ある施策・事業の展開が図れるようになる。特別区同士が切磋琢磨することで、行政改革が進む。また、広域行政の一元化によって、大阪全体の成長・発展に向けた統一的戦略に基づく政策を、スピーディに実行出来るようになるという。
 しかし、都構想で大阪市民が一番懸念することは、大阪市が「消滅」するということへの危機感だ。大阪市は長い歴史によって形成されたアイデンティティがあり、それが大阪という都市の魅力を生み出している。都市とは単なる行政単位の寄せ集めではない、そこに住む人々がおり、都市としてのまとまりがあってこそ、愛着やエネルギーも生まれる。求心力を高めていくためには独自の財源が必要だ。大阪市が解体されると事業所税や都市計画税など約2200億円という大阪市の財源を失い、大阪府に吸い上げられる。この豊富な財源と権限が奪われると大阪市の衰退はいっそう加速するだろう。
 二重行政解消によるコスト削減によって年間4000億円の財政効果が生まれるというが、この効果はわずか年1億円だけという、驚くような試算もある。特別区分割による「非効率化」によって、行政コストはむしろ上がると見るのが自然だ。なぜなら特別区が中核市並みのサービスを保証するためにはそれぞれの区が職員を持つ必要があり、大幅な職員の削減はできないからだ。またバラバラに運営するのが非効率な業務もたくさんある。例えば、国民健康保険、介護事業、水道などは特別区とは別に、「一部事務組合」に委託されるという。しかしこれでは「大阪府」と「一部事務組合」と「特別区」という「三重行政」となり、二重行政の解消どころではなくなるかもしれない。

■「住民投票」という欺瞞
 これまで住民投票と言えば、住民要求を自治体条例として制度化させるための直接民主主義の有力な手段だと見なされてきた。ただし、条例を制定するには議会の同意が必要であり、条例そのものを住民投票によって制定または改廃することは現行法上認められていない。これが「諮問型住民投票」(議会に条例制定を諮問する)といわれる所以だ。
 ところが今回の大阪都構想の是非を問う住民投票は、「拘束型住民投票」といわれるもので、維新の会が自らの「野望」を遂げるために制定したもので、地方自治法の規定する住民投票とは全く性格が異なる。大阪都構想は、大阪市24区を5特別区に集約して大阪市を解体し、大阪府に合併吸収するという「大阪のかたち=大阪の統治構造」を根本から変える仕組みだ。本来なら拘束型住民投票は住民投票の成立条件を厳格に規定しなければならない。例えば住民投票の発議には府議会、市議会の3分の2の賛成が必要であり、有権者の過半数が投票しなければ無効、というような厳密な要件が課されるべきだ。そうでないと、低投票率であってもその過半数を制すれば大阪都構想は成立し、大阪市はこの世界から消えてしまうことになる。今回の住民投票は、真の意味で民意を聞く為のものではなく、府議会でも市議会でも、堺市でも否決され、「心肺停止」に等しい大阪都構想を、生き返えらせる橋下流の奇策だ。こんな奇策に騙されてはならない。
 深刻なのはほとんどの市民が大阪都構想によって実際の市民生活が良くなるのか、悪くなるのか、そのような議論が充分になされないままに住民投票によって「決定されてしまう」ことだ。そこにこの奇策の怖さがある。
 橋下維新が仕掛けた今回の住民投票は、議会制民主主義を空洞化させ、民意を騙った民主主義への攻撃、と言うべきであろう。「住民投票」という名のファシズムを許してはならない。



コラム

統一地方選前半終了、大阪とほほ構想は拮抗

平 和好


 統一自治体選前半が終了した。全国的には札幌市長選以外の野党は振るわず、民主の退潮に歯止めのかからない結果となった。
 また最大の関心事である、大阪とほほ構想をめぐっての維新と他党の闘いは、拮抗しているものの、「選挙上手」の橋下・松井としては、勝利とは言えず、数年がかりの自称「都構想」が、実は大阪市がなくなるだけだという現実がだんだん切迫してくるにつれて、これ以上伸びる余地はない段階にある。あとは大阪市民が、5月17日まで連続的に立ち上がり、向こうに行きかかった公明党をひき戻し、大阪市分割構想を葬り去るしかない。この点では、ある種「改憲国民投票」の先行大阪市版が、橋下というマスコミを背景にしたデマゴーグが勝つかどうかの「大戦}がこの1か月で行われるわけで、今こそ市民・住民と政党・社会運動の底力を見せる時だ。
 さて、私の応援した人たちは、尼崎の丸尾さん、神戸の粟原さん、高知の坂本さん以外は残念ながら届かなかった。いずれも新人で、県議選や政令指定都市の市議選という「大型選挙」「政党選挙」という点では(兵庫県議選、神戸・灘区の井上さんのように7000票とっても届かない)、運動の蓄積という点で住民にとって物足りない面もあることは、見ておかなくてはならないと思う(ただ、西宮の民主も含め落選した3候補などは、2人にすればそれぞれ当選できたわけで、候補者は市民運動でも、「左翼」によくあるセクト主義の変形ということを、運動全体が反省する必要はあると思う)。
 さて、いよいよ19日から後半戦。宝塚や西宮など身近なところの市議選で、前半に対し危機感を持ちながら、数票・数十票で当落が決まるわけだから、この2週間の運動がモノを言う。改憲阻止・脱原発・福祉切り捨て反対の旗をかかげる候補の当選にむけ、全力でがんばろう。



 

維新 過半数届かず「負け」

時事通信


 「大阪維新の会」の松井一郎幹事長(大阪府知事)は12日夜、党本部で記者会見し、大阪市を五つの特別区に分割する「大阪都」構想の是非が争点となった大阪府議選(定数88)で過半数に届かなかったことについて、「負け」と総括し、「幹事長である僕の力不足。都構想の中身を十分に伝えきれなかった」と敗因を分析した。


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