研究誌 「アジア新時代と日本」

第141号 2015/3/10



■ ■ 目 次 ■ ■

編集部より

主張 闘いはこれから!民意による反撃を!

議論 格差社会をいかに克服するか

議論 テロ対策とは?

コラム こんなパワハラ常習犯教育長を任命したのは誰か

時評 せめて、この日は、福島を深く想おう

時評 「偽装経済大国」の危うい行き先




 

編集部より

小川淳


「歴史認識」なしに未来はない
 戦後70周年に合わせて安倍首相が出す「安倍談話」。その「21世紀構想懇談会」の2回目会合が首相官邸であった。五つの論点のうち、「20世紀の世界と日本の歩みをどう考えるか」について意見を交わし、座長代理の北岡伸一・国際大学学長は先の大戦について「侵略戦争であった」との認識を示したという。
 安倍談話をめぐる有識者懇談会が発足したのは2月20日。座長は西室泰三・日本郵政社長、座長代理の北岡伸一は集団的自衛権をめぐる私的諮問機関でも座長代理を務めた首相のブレーンだが、有識者懇談会メンバーには中西輝政、外務省OBの岡本行夫、元防衛大学長など安倍首相の「お友達」と共に、学者やメディアなどの出身者もメンバーに名前を連ね、「バランス重視」というのが概ね新聞の評価だ。
 50年の村山談話でも、60年の小泉談話でもこうした有識者懇談会は作られていない。今回も「有識者懇談会は談話を書くことが目的ではない。あくまでも談話を作るのは政府」(菅官房長官)との立場だ。では、何のための懇談会なのか。有識者懇談会の設置は、「植民地支配と侵略、お詫び」というキーワードを排除した「未来志向」の70年談話を作るに当たって、「バランスの取れた有識者から意見を聞いた」というアリバイ工作の為か?
 村山談話は、先の大戦に対して十分ではないが初めて日本政府として見解を示し、アジアに謝罪した。「侵略戦争があった」という認識に立つからこそ、不戦憲法があり、不十分であれ戦後の平和も民主主義も経済発展もあったのではないか。未来志向であればこそ、きちんと自らの過去に向き合う必要がある。その努力なしに未来などあろうはずはない。
 2月20日の同じ新聞に春節で訪れた中国人観光客の「爆買い」が載っていた。政府統計によれば、日本に来る外国人の中で中国人の買い物代は突出しているそうだ。2万円台の韓国人、5万円台の台湾人に比べて中国人一人当たりの買い物代金は14万円と一桁違う。昨年、外国人が日本に落としたお金は初めて2兆円を超え、過去最高となっている。総額の4分の1は中国人だ。
 高齢化、賃金や年金の減少で、国内需要は減る一方だ。いまや疲弊した商店街を下支えするのはアジアからの観光客となりつつある。歴史に背を向けずアジアときちんと向き合うこと。それがアベノミクスよりは効果的なのだ。村山談話からの後退を許してはならない。



主張

闘いはこれから!民意による反撃を!

編集部


 国のかたちの転換が迫っている。軍国日本への転換だ。その総仕上げ、改憲が公然と予告された。
 この転換は、よく言われる「安倍の暴走」などといったものではない。その背後には失われた覇権を取り戻そうと狂い立つ米国の意思、米意がある。米意による米覇権回復のための日本の軍国化、まさにここにこの転換が持つ亡国的本質がある。
 今日、なす術もないままに進行する事態の展開を前に、あきらめにも似た雰囲気が深まっている。衆院選二回、参院選一回、連続した安倍自民への歴史的惨敗により、反安倍政権の意思は最終的に萎えてしまったかに見える。
 だが、ここであきらめるのはまだ早い。あきらめは死だ。最大の危機は最大の好機だと言うではないか。好機だと言える根拠は「安倍政権を選んだ」民意にこそある。民意を信じ、民意に依拠すること、そこにこそ活路は開ける。なぜそんなことが言えるのか。それについて見ていきたい。

■目前!軍国日本
 安倍政権の登場から二年、日本は大きく変わった。「日本を取り戻そう」の掛け声の下、甚だしいものとなった格差と暴力。それとともに戻って来たのは軍国日本だ。元自衛官、泥憲和さんが『安倍首相から「日本」を取り戻せ!!』と呼びかけていたが、まったくその通りだと思う。
 今、その総仕上げが図られてきている。集団的自衛権行使の容認、日米防衛協力の指針(ガイドライン)の改定、自衛隊海外派遣の恒久法化など安保法制化、そして後藤さん、湯川さんを見殺しにしての「テロ対策」、米国主導の「イスラム国」掃討有志連合への参加、「参戦」。その脈絡の中で位置付けられた八月首相談話。そこで語られるのが「積極的平和主義」という名の軍国日本の正当化であるのは目に見えている。
 総仕上げの最後は、もちろん、改憲だ。これで最終的に日本の国のかたちが転換される。そのための国民投票が、来夏、参院選の後に設定されている。参院選はその前哨戦だ。圧勝を期し、「選挙権18歳以上」の実施が早々と決められる。

■米意による、米意のための転換
 軍国日本への転換は、安倍首相積年の悲願だ。だがそれをもって、この間の暴挙を単純に「安倍の暴走」ととらえるのは誤っている。
 考えても見よう。安倍政権誕生の出発点は、「強い米国」のため「強い日本」を求めて来た米戦略国際問題研究所=CSIS第三弾報告、「アーミテイジ・ナイ報告」にあった。
 誕生した安倍政権を政治的、経済的に支えて来たのも米国だ。TPP交渉で日本の自主性を認め、「戦後初の自主外交」と安倍政権を持ち上げるようにしたのも米国だったし、円安、株高、デフレ脱却のアベノミクスを支えて、安倍自民、国政選挙連続圧勝の基礎を保障したのも米国だった。
 だから、米意による日本の転換、日本軍国化の目的も、当然、米意にある。ガイドライン改定、アベノミクス、TPPなど、この間推進されてきた安倍政治のすべてが、多かれ少なかれ、日米軍事、経済の一体化を完成段階に押し上げ、日本の軍事と経済を米覇権回復戦略、反テロ戦争戦略に完全に組み込むためのものであることに、それは端的に示されている。
 日本の転換、軍国化を後押ししてきた米国の意思がその正体をさらけ出したのが今回、「イスラム国」による後藤さん、湯川さんの殺害だ。米国は、日米協力しての二人の救出を約束しておきながら、一方で、「イスラム国」から人質交換を要求されたヨルダンには、それに応じることを固く禁じた。それが「イスラム国」による後藤さん殺害と「対日宣戦布告」、さらにそれを受けての日本の対「イスラム国」反テロ有志連合への参加、「参戦」へと、「憎悪の連鎖」を生み出して来ている。

■民意にこそ反撃の力
 目前に迫った日本の軍国化が日本と日本国民にもたらすのは何か。未曾有の惨劇が見えている。今問われているのは、それを阻止することだ。そうした中、少なからぬ識者が声をあげている。
 だが、軍国化を阻止する力が見えてこない。野党は自民党の対抗勢力としてもはや役に立たない。マスコミは反権力の機能自体を失ってしまった。残るは大国による外圧しかない。それで、識者による、安倍暴走阻止を願う中国詣で、米国詣でが始まっている。「無条件降伏した日本に民主主義を持ち込んだのが米国なら、平和を破壊しようとする戦後最悪の首相の暴走を止められるのも米国」、等々、そこには、「泥棒に留守番を頼む」式の笑えない願いさえ込められている。
 彼ら識者の目には、「暴走」を止める力として、民意は入って来ないようだ。そうなるのにも根拠がある。民意は安倍政権を選んだ張本人だということだ。識者たちの「絶望」の核心もそこにある。折角の民主主義も「猫に小判」。民意への絶望だ。
 そこで一つ想起を促したいことがある。この間、三度にわたる国政選挙で、民意は本当に安倍自民を選び支持したのかということだ。三度の選挙で特徴的だったのは、投票率がいずれも史上最低水準を記録したということ、自民党の得票率が20%ラインを下がり続けたということ、そして三度とも、「自民党の勝利と言うより野党の敗北だ」と言われたことだ。一言で言って、国民は一度たりとも、安倍政権を信任していない。むしろ、不信任の烙印を押したのだ。
 だが何はともあれ、安倍自民が連戦圧勝したのは事実ではないか。それはなぜなのか。その理由についてもよく言われている。すなわち、民意の受け皿がなかったからだ。安倍政権が民意に支持されたのではない。民意に応える野党がなかった。圧勝の真相はまさにそこにこそあった。
 問題は受け皿の有無だ。この間の沖縄、滋賀、佐賀の県知事選での反安倍陣営の連勝、昨年末総選挙での沖縄全四区、反安倍自民「オール沖縄」の全勝がその証だ。民意に応じて争点が定められ、民意に応える政策、方針が打ち出されたとき、民意は反安倍政権の側に微笑むのだ。

■最大の危機は最大の好機だ
 「安倍の暴走」、いや、安倍政権の背後にあって米覇権の回復のため、日本の転換、軍国化を推し進める米国の意思、米意を打ち破る力は、唯一、民意にあって民意にしかない。
 それはあまりにも当然のことだ。格差と暴力、戦争と破滅の日本の軍国化にもっとも切実な利害関係を持っているのは、他の誰でもない、日本国民に他ならず、それを阻止する他の追随を許さない強い力を持っているのも日本国民だからだ。
 実際、民意が動けば、それを止める力はこの世にない。「世界最強」を自称する米軍事力をもってしてもそれは不可能だ。イラク、アフガン戦争を見るまでもなく、朝鮮戦争、ベトナム戦争、等々戦後70年の歴史がそれを証明している。
 民意が覇権を凌駕し打ち退けるこの民意の時代にあって、決定的なのは民意を反映し民意に応える闘いが組織・展開されるかどうかだ。日本の軍国化が目前に迫った今日、それは、一言で言って、採るべき方針、掲げるべき政策やスローガンを、危機に直面し苦しむ日本国民、民意の中に求める闘争だと言うことができる。
 たとえば憲法だ。今日、平和への国民的要求はいつにもまして強まっている。「イスラム国」との戦争、反テロ戦争の泥沼に入っていくのを望む人など一人もいない。だが一方、世界的な戦乱の様相が深まっている今、誰もが国の防衛を切実に感じるようになっているのも事実だ。かかる時点にあって、九条第二項で交戦権否定を明確にしている日本国憲法を、侵略戦争の口実にされるのが常だった「自衛戦争」まで否定したもっとも徹底した不戦の大典として固守すると同時に、一方で、侵攻してきた敵を、自国領域の外には一歩も出ず、相手国領域を攻撃する戦争には決して発展させない、徹底した「撃退戦」で打ち退け、国の自主権を守る最強の防衛大綱として擁護し闘うことが問われてくる。そうしてこそ、改憲による国のかたちの軍国化を阻止し、日本の軍事、経済をその覇権回復戦略、反テロ戦争戦略に組み込み、動員しようとする米意を破綻させることができる。
 採るべき方針、掲げるべき路線・政策を民意の中に求める闘いは、憲法をめぐる闘いだけではない。あらゆる分野、すべての領域にわたっている。経済や地方地域、教育、社会保障など、求められる日本のあり方のすべてが民意の中にある。そこにこそ、米覇権回復のための米意による日本のかたちの転換を打ち破る民意による日本と日本国民のための真に新しい日本のかたちの根本的な転換がある。最大の危機は最大の好機だ。民意による要求が最高度に高まった今、それに応える闘いを力強く展開する時だと思う。



議論

格差社会をいかに克服するか

S・A


 現在、トマ・ピケティ、パリ経済学校教授「21世紀の資本」が世界的ベストセラーになっている。日本でも大きな話題となっているのは、実際に日本社会の格差が急速に拡大しているからだろう。昨年度の企業利益は史上最高の26兆円で0.01%の金持ちがますます富む一方、勤労者の実質収入は下がり続けている。今や深刻な段階に達した格差をいかに克服していくかについて考えてみたい。

■格差拡大の原因はグローバリズムと新自由主義
 格差は資本発生とともに生まれ、第1次大戦と第2次大戦の後、1960年ごろまで拡大してきたが、それほどではなかった。とりわけ急速、かつ甚だしいものになったのは、96年以降だ。所得下位90%の人々は92年の年間平均所得220万円をピークに下がり続けている。日本でも96年以降今日まで、急速に格差が拡大してきた。
 情報と交通手段の発達自体は経済発展の有利な要因であるが、国境を越えたグローバルで自由な資本の行動と弱肉強食の新自由主義が世界的な格差を生みだしている。発展途上国における格差をつくり、資本主義国において海外投資と国内産業の衰退により中小企業と勤労者が仕事と職を失い、格差が大きく広がった。富める者は世界的な金持ちに、貧しき者は発展途上国の貧困者に近づいていっている。アメリカや日本がその典型である。
 安倍首相の成長経済戦略は、アメリカ大資本に活躍の場を提供する一方、日本独占企業のさらなる海外投資を促進するものとなる。安倍首相はそのうえ、企業減税、金持ち減税の税制改革と受益者負担の原則で医療福祉政策をやろうとしている。格差がいっそう拡大するだけだ。その結果、ますます金持ち集中、東京集中となり、絶対多数の人々はいっそう貧困化し、地方・地域が消滅していく。

■格差社会克服の基本政策
 今日の格差拡大がグローバリズムのもとでの新自由主義を要因としている以上、それを転換してはじめて格差問題を解決していくことができる。アメリカにたいする市場開放、国内産業の空洞化と輸出依存の経済構造などの経済の在り方を全面的に変えていくことなしに、勤労者の貧困化と地方消滅を克服しえず、格差を解消できない。
 格差を縮小するために、一般的に累進課税の強化の政策がある。自由競争と結果における平等を主張する学派は、累進課税で得た税金を国家が再分配することによって「福祉国家」の実現を主張した。ピケティも税の累進性強化が格差をなくす基本方途だとしている。それも一つの重要な政策であるが、グローバリズムのもとでの新自由主義を否定し、国の経済の在り方を根本的、全面的に変えていくことが優先すべき基本政策だ。
 格差社会を克服するために国の経済の在り方をどうすべきか?
 最も重要なのは経済を均衡のとれた国民経済に変えていくことだ。
 国境のないグローバル経済でなく、国民経済を単位として経済の均衡的な発展をはかっていってこそ、破壊された循環を回復させ、たえず経済を発展させることができ、日本と全国民を豊かにしていくことができ、それを通して格差を克服することができる。
 都市と農村、首都と地方、大企業と中小零細企業、輸出と輸入などの富の均衡が破壊されていること自体が格差であり、格差を生み出す直接的な要因だ。均衡のとれた国民経済とは、過度の原料・資源の対外依存の克服と国内での原料・資源の開発と依拠、農業・林業の発展と工業との均衡、地方・地場産業の発展、中小企業と大工業の均衡、地方と都市の均衡などである。
 経済の均衡のとれた国民経済を発展させていくことには、ほとんどの企業と人々が合意することができる。他の部門が発展しなければ均衡が破壊されるゆえ、国民経済全体の発展に利害関係をもつからだ。
 経済を均衡のとれた国民経済に転換していくということは、日本経済をグローバル企業のためではなく、日本と全国民のためのものに転換していくということを意味する。グローバル企業は格差拡大で利益を得るが、日本と全国民は均衡のとれた経済発展による格差縮小によって利益を得る。
 日本と全国民のための均衡のとれた国民経済への転換こそ、格差社会克服の基本政策だ。


 
議論

テロ対策とは?

東屋浩


 現在、「イスラム国」テロ集団にたいする対策が緊迫した大きな問題となっている。このテロ対策について考えてみたい。

■安倍首相の「強硬姿勢」はピエロのポーズ
 2月1日、後藤さん殺害の画像がインターネット動画サイトで流された直後、安倍首相は「罪を償わせる」と、すぐにでも軍事行動にでるかのような姿勢を示した。そして、中近東、アフリカ各国に自衛官を常駐させて情報収集体制を確立する指示を出し、邦人救出のための自衛隊派兵を実現するための法整備を言明した。
 安倍首相の「強硬姿勢」をアメリカは歓迎し、本来、軍事行動に参加する国だけの「有志連合」に日本をその一員として認めた。
 この事件は昨年の集団的自衛権閣議決定を「正当化」させ、邦人保護や反テロ戦争参戦を理由にした自衛隊派兵の機運を高めるものとなった。
 すでに指摘されているように、安倍首相は後藤さんらの拘束を知りながら、中東諸国を訪問し「イスラム国と戦う周辺諸国への援助」として2億ドル資金援助を表明した。そこから「イスラム国」による2億ドルの身代金要求となった。この交渉にアメリカから「イスラム国の要求に応じないように」と幾度も釘をさされ、解放のための交渉を日本政府は本気で行わなかった。「イスラム国」テロ集団を挑発し、実質交渉に応じなかったことは、安倍首相が後藤さんらに犠牲を強いたのも同然である。
 その安倍首相の勇ましい姿勢の背後にはアメリカがいるといえる。反「イスラム国」への資金援助もアメリカの要求と同意なしにありえないし、解放交渉をさせないようにしたのもアメリカである。(「SAPIO」4月号参照)
 安倍首相の「強硬姿勢」はアメリカに糸で繰られるピエロのポーズにすぎない。けっして国民の要求から出発したものではなかった。

■テロはアメリカの覇権の道具
 アメリカは覇権を実現していく道具として、かつて植民地主義、傀儡政権を立て経済的浸透を通じて政治的にも支配する新植民地主義を採用してきた。今日、新興独立国がさらに台頭する一方、アメリカの力が弱化してきたもとで、もはや自主独立国家の主権を犯してまで侵略戦争をおこなうことができなくなった。そこで、今や経済制裁や反対派への支援によるオレンジ革命などあらゆる方法を活用するようになっている。その中でも特出した基本方法が反テロ戦争だ。
 この十数年間、テロを演出し反テロ戦争を基本にしてアメリカは覇権を実現しようとしてきた。アルカイダを匿っているという口実でアフガニスタン、大量破壊兵器の所持でイラクに侵略したのがそれである。反テロを口実に国家主権を認めず、国連などの決議もなしに、地球上のどの国、地域にたいしても進攻していくのがアメリカの覇権戦略である。
 アフガニスタン、イラクから撤退せざるをえず、その覇権実現に失敗したアメリカの今日の反テロ戦争は、「イスラム国」(ISIS)、「ボコ・ハラム」という外人部隊からなるテロ集団を新たな覇権の道具としている。
 その特徴は、第一にイスラムのカリフ制を掲げ国境を越えたテロ集団を利用することによって、主権国家を無視しシリア、イラク北部など国境を侵犯して攻撃していることだ。
 第二は、「有志連合」を率い欧・中東各国を反テロ戦争に動員し主導権を握っていることだ。
 第三は、アメリカは損失の大きい地上部隊を派遣せず空爆を主にし、クルド人、イラクスンナ派民兵など現地部隊を訓練し戦わせ、戦乱を拡大させていることだ。
 第四は、テロ集団の残虐さで世界各国を憤激させていることだ。その残虐さはアメリカが朝鮮、ベトナム戦争、イラク戦争で示したものと同じだ。
 第五に、イスラム教を利用し、資本主義国の移民の若者、ロシア・中国・インドネシアなどのイスラム教徒から志願兵を募り、またテロ行為を誘発させ、戦乱を世界中に拡大していることだ。
 今日、テロを道具にすることにより国と民族を否定し、グローバリズムによる覇権をめざしているのが、アメリカの覇権回復戦略であると言える。
 それゆえ、「有志連合」への参加は「テロ対策」どころか、それに手を貸すものである。



コラム

こんなパワハラ常習犯教育長を任命したのは誰か?

平 和好


■これ以上の反面教師はいない
 中原徹・大阪府教育長は教育者としても管理職としても抜群の手腕を持っている事が、パワハラによる辞任劇で明らかになった。ほとんど言葉の暴力と言ってもよいパワーハラスメントが日常的に日本社会に蔓延している事を満天下に知らしめてくれた功績は右に出る人がいない。職務上の意見を言った教育委員と職員に「誰のおかげで委員でいられると思ってる」と恫喝し、「あなたは目立ちたいだけでしょう」と侮辱し、「精神鑑定受けさせます」「知事に言いつける」「罷免要求を出す」「告訴する」など脅しつける事が維新の共通言語である事を一般市民に知らせてくれたのだから、第一級の貢献をしたと言える。反面教師のトップとして、永久に名前が残る。ひょっとしたらパワハラの典型として教科書に載るかもしれない。さすがはあの厚顔無恥な橋下氏の早稲田大学時代のご学友だけの事はある。

■同じ穴のムジナである橋下・松井両氏の沈め石になれる
 かつての勢いも今は無く、ボロが目立つ維新勢力。橋下・大阪市長と松井一郎知事の評判は大いに低下しつつあるが、厚顔無恥が背広を着て歩いているような二人は容易には脱落しない。きっかけが必要なのだ。連続殺人を引き起こし、ついに逮捕された犯人が「捕まってホッとした」とつぶやく画面がよくあるが、似ているのではないか?! 年貢の納め時は何かのきっかけが必要だ。パワハラをする時には疲れ知らずだった中原氏も今は憔悴が見られるという。そこで辞任を決意したと思われるが、連続殺人犯が警察への自首をする時に近い心境ではないか。ここで特徴的なのが論理の完全矛盾。自ら辞職と言うのは非を認めたと解するのが常識だが何と、パワハラを認定した委員会の報告を「矛盾だらけで納得できない」と捨て台詞を吐いている。我々一般市民から見ると理解不能だが、橋下市長・松井知事は彼を擁護している。つまりはパワハラ行為を非難しない、パワハラを是認すると言う事だ。現代社会では非難されるパワハラを容認するパワハラ三人男の団結は固い。そもそも橋下氏こそは誰もが認めるパワハラ男の代表格、東の石原・西の橋下なのだ。橋下の腰ぎんちゃく松井一郎。この3氏がコメントを完全に一致させ、「パワハラしたってええじゃないか」と踊っているのだから確信犯この上ない。しかし、奈落の底へ人が落ちる時は自らやってしまう事も多い。中原氏が「お先に」と言えば後の二人は「いずれ我らも」と近い将来の後追いをしてしまう。最期の時まで一蓮托生の美学を貫けるよう、一般市民の私たちは努力しよう。

■維新の実像を市民にくっきり見せてくれた「功労」は第一級
 維新の人気取り政策は「税金浪費の中止」であるが多くの反面教師の「努力」でそれが嘘である事が判明した。PTAのお母さんや女性職員のお尻をなでた校長、万引き校長、給料が思ったほど高くないからアホラシイと言ってさっさと途中退職した校長、市長特別秘書になり、年収600万円以上をもらいながら何の業務をしているか明らかでない橋下後援会長の息子は維新の選挙のたびに休職させてもらい、その専従になっている。年の半分は休職するから平均すると月30万円の給料を大阪からもらって維新の選挙運動だけをしていることも十分に想像できる。低賃金派遣労働者の私からするとかなりおいしいと思える。維新の議員は飲酒ひき逃げや政治資金疑惑など問題議員が多い。橋下市長や維新が情実採用した特別顧問は時間給数万円だ。そしてそれらの維新の不祥事の総代表が中原教育長と言っていい。
 こういう構図を自身の不可解な言行を持ってハッキリ示してくれたのが中原氏であるから、鈍感であった市民も相当数がおかしな維新の実態に気づきつつある。維新催眠術の呪縛を解く成分を中原教育長が代表して示してくれたのである。つまり、粗野で乱暴で差別意識に満ちあふれたその姿をオブラートに包むことなく市民にハッキリ示す事に成功した中原氏の功績は大きいと思わねばならない。中原氏の辞職は無駄ではなく、維新勢力の没落、早期の壊滅への号砲と言える。「ありがとう、中原徹さん」!



時評

せめて、この日は福島を深く想おう

金子恵美子


「本当は、頑張りたくなんかねえ」。福島の86歳のじっちゃんが言った。
「だけんど、仕方がねえ、自分しかいねえんだからな」。
 じっちゃんの連れ合いのばっちゃんは83歳。震災までは日本舞踊のお師匠さんをしていた、じっちゃんの自慢の女房。40歳の時に事故で次男を失くし、4年前の震災で長男を津波にさらわれた。家も流され、畑も流され、じっちゃんとばっちゃんは二人だけになってしまった。提供された借り上げ住居は段差が多く、ばっちゃんは躓いて腰を痛め入院。望みも希望も失くし空ろになってしまったばっちゃんを、毎日、朝昼晩、軽トラックを運転し病院に見舞うじっちゃん。「頑張れ!」と励ますじっちゃん。「頑張れねえ」と答えるばっちゃん。
 じっちゃんは、どうしたらばっちゃんを元気にできるかと、考えに考えて、家を建てることにした。長年コツコツと貯めた預金をはたいて土地を買い、段差のないバリアフリーの家。リハビリのできる長い廊下、ばっちゃんが苦労することなく炊事のできる最新式のキッチン。図面はじっちゃんが自分でみんな引いた。この家にばっちゃんを連れてくれば元気になるっぺ。病院で図面を見せながらばっちゃんを元気づけるじっちゃん。寝てばかりいたばっちゃんが少し起き上がり、リハビリをするようになる。
 ばっちゃんの退院の日が来る。今の家での介護はじっちゃんには手に負えない。ヘルパーさんが来てくれることになった。でも一日二回の食事の時だけ。人手がないのだ。一回はじっちゃんがご飯を作り、ばっちゃんをベットから起き上がらせ、固定させ、食事介助しなければならない。でも自分も不自由な手足でなかなか思うようにいかない。40分もかけてようやくなんとか体位を保たせた時には食事はすっかり冷めてしまっている。こんな中、増築し床数が増えたにも関わらず、スタッフが集まらず入居できずにいた介護施設から入居可能の知らせが届く。近隣の町の介護施設からスタッフが派遣されたのだ。やっと一息入れるじっちゃん。あとは家の完成を待つばかりだ。
 だが、いつになっても家は完成されない。人手が決定的に不足しているのだ。それは、大規模復興住宅の建設、そして、東京オリンピックのための工事に人手をとられていること、さらに若い人々を中心とした人口流出が止まらないための人手不足。
 結局、ばっちゃんは、じっちゃんの想いのこもったその家に入ることなく、二人の愛する息子のいる天国へ旅立ってしまった。「これが運命だもの」というばっちゃんの言葉が辛い。
 ばっちゃんの目にもう一度光を灯したくて建てた家にはじっちゃん一人。「今となっては家なんか建てず、金をもっていた方がよかったな」とつぶやくじっちゃん。
 最後にひとすじの光明。親戚の若者が養子となって家を継いでくれることになった。
  「頑張っぺ」じっちゃんはまた起ちあがる。その瞳は悲しく、美しく、力強い。  以上は3月7日に放映された福島の今を伝えるドキュメント映像の内容だ。
 今、被災地からの人口流出が止まらないという。大きな被害がでた42の自治体の住民票に基づく人口調査によれば、39の自治体で震災前に比べ、6・7%の減少。特に津波で大きな被害を被った地域、原発周辺の地域はいずれも10%を超えている。最大の29%になった女川町。そのほとんどが住宅再建のめどがたたず、職が少なく生活の不便を訴えている。因みに日本全体の人口はこの間、概算値で0・8%の減少(総務省統計)であるから、その流出の度合いがいかに高いかわかる。そのしわ寄せがじっちゃんの話のような介護現場や建設現場での人手不足にきている。
 2594名の行方不明者。今日も海へもぐり最愛の人を探している人がいる。12万を超える避難生活者。孤独死や自死、鬱やひきこもりなど多くの不幸が続いている。そしてたまる一方の原発汚染廃棄物。これもまったく目途がたっていない。震災当時よりも4年目を迎えようとしている今の方が不安や困難が出てきているという。しかし、福島のことはもう無かったことのように、そこだけの問題のようにされている。「収束した」という首相の言葉がそれを示している。しかし、放射線物質は日本全土に間違いなく及んでいるのであり、原発再稼働を目指している安倍政権のもとで、地震の頻発するこの日本でいつ第二の「フクシマ」が起きても不思議ではないのである。
 また、自然災害(もはや二度目は自然災害とは言えない)だけではなく、「戦争する国家」化を勇み足で進めている安倍政権の下で、戦争による原発破壊だってありうることなのである。「フクシマ」は決して他人事ではないのだ。
 重い事態からは目をそむけたくなる。直接自分に降りかからないことは忘れていく。遠い話になっていく。でも、福島の事は、そうしてはいけないことなのだ。それは、日本のことであり、私たち自身のことなのだ。せめて、3月11日はしっかり考えよう。福島を想おう。そして福島の人々を自分の同胞として忘れず、自分の出来ることをしていこう。



時評

『偽装経済大国』の危ない行き先

林 光明


 勤勉・真面目・もくもくと…性格面や仕事ぶりで外国の方がよく表現する、私たち日本人に対して想起するイメージである。『アリとキリギリス』のアリに例えられ、焼け野原の戦後復興からコツコツと働いて、日本は50年も経たずに『先進(資本主義)国』の仲間入りを果たし、80年代から90年代にかけては遂に世界でベスト5に入るほどの経済大国に上り詰めた。Japan as No.1と謳われ始めたのもこの頃だ。だが、その頃から『経済戦争』・『企業戦士』なる用語も生まれ、休みなく働く日本人は尊敬と異端の裏表の見方をされるようになる。
 目覚しい戦後復興……。だがそれは、無数の大衆国民の『意欲的な』犠牲の上に成り立ってきた。欧米からの技術支援の力を借りて、『先進国』の仲間入りを果たし、しかも上位に登り詰めた。
 しかし、少し踏み込んで考えると再び先述した『アリとキリギリス』が思い浮かぶ。
 労基法で1日8時間以内と定められた労働時間だが、かつての一部の労働争議の成果を除き、実労働時間は、時間外を込めて1日12時間拘束も当たり前の環境で日本人は労働に勤しんできた。欧米と対比すると、『アリとキリギリス』よりも『ウサギとカメ』に近いかも知れない。日本と比べて格段に短い勤務時間の欧米の倍も働けば成果も倍、3倍働けば3倍になるのは自明の理だ。欧米諸国が寝ている間に歩けば、より多く進めるのは当然である。過重労働の蓄積もなく同条件で欧米『先進国』と並び、時には追い越してこそ本当の実力だろう。
 ところで、その大衆国民の勤勉さにつけこみ、諸々の法人課税と大衆課税で溜め込んだ巨額を国民福祉に重点を置かずに削減し、集団的自衛権を強引に閣議決定し、対テロ戦争を根拠にヨーロッパ・中東地域への自衛隊海外出兵の軍資金に調達せしめんとするのが、安倍政権の見え透いた目論見だ。イラク・シリア・イスラム国(ISIS)の一連の邦人人質事件はその格好の口実になった。一部の報道では、あえて国内世論を醸成する為に、あのお二人を『見殺し』にしたのではと言う信じがたい見解さえ出ている。
 『戦うつもりの装備兵力ではなく、イスラム過激派部隊からの攻撃を撃退する自衛戦力の域は出ない』…首相も防衛庁もそう言うが、一般解釈として通用しない。近頃は物騒だからといって、外出の際に薙刀やヌンチャク、木刀、モデルガンを携行しての外出を警察が黙認するだろうか。先制攻撃の意図はないが強盗に襲撃されたときの備えだと言えば、許可されるだろうか。突出した軍事装備での外地行動は、当事国からみればこれと同様のインパクトになるだろう。
 日本が経済大国になること自体は良い事かも知れない。富と益が数パーセントに偏らず、可能な限り満遍なく享受できれば、の話だが。しかし、例えそうなってもその経済力の集積した財源を戦争に横流ししては絶対にいけない。国民の貧富格差から生まれる悲劇の解消を、国是の第一義に取り組む。増してや大国の口車に乗って侵略戦争の甘い汁を吸いには行かない。本物の経済大国はそういう国家である。


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