研究誌 「アジア新時代と日本」

第136号 2014/10/10



■ ■ 目 次 ■ ■

編集部より

主張 安倍「地方創生」を糾弾する

民族史への視点 民衆台頭の室町文化

視点 女性が輝く社会とは もしもマララ・ユスフザイがナビラ・レマンであったなら

中高年派遣労働記 一日20本のメール

時評 未来社会に人心が崩れぬよう

資料 反貧困全国集会




 

編集部より

小川淳


 松島泰勝著「琉球独立論−琉球民族のマニフェスト」を読んだ。
 松島氏は石垣島生まれ、現在は竜谷大教授。今年5月に設立された「琉球民族独立総合研究学会」の共同代表に就任。本誌97号では「琉球の自治へ『琉球弧経済学』の探求」と題したインタビューを掲載している。注目してきた研究者の一人だ。
 先月にはスコットランドで独立の是非を問う住民投票が行われ、僅差で否決されたが、私はこれを見ながら琉球の独立も決して不可能なことではないと実感した。
 本書の要旨は明確だ。琉球は大和民族とは異質の独自の民族である。1879年の琉球処分までの約600年間、東アジアの中で独自の歴史と文化、言語を持つ海洋独立国家として存在してきた。19世紀にはアメリカ、フランス、オランダと修交通商条約締結していた事実は何よりものその証だ。本書は「日琉同祖論」を厳しく批判する。
 しかし日本国に併合されてから現在に至る135年間、琉球は日本の植民地下にあると断言する。琉球人がいくら反基地の戦いを続けようと、圧倒的に民意が示されようと「沖縄県」である以上、琉球から米軍基地がなくなることはない。
 なぜなら鳩山首相の辞任が証明したように琉球には日米両政府による二重の支配体制が確立されているからだ。琉球の自治、自立の願いは日米両国家によって、ことごとく踏みにじられてきたし、安保体制が続く限りその支配は続く。
 では琉球の日本から独立は可能なのか。本書は可能だと説く。少数民族が正当な自治権を拒否され、制度的に抑圧されている場合、分離独立は国際法によって認められている。琉球よりも小さなパラオなどの太平洋諸島でさえ独立を勝ち取っている。琉球の豊かな自然、地理的条件を考えるなら独立した国家として生きていくとこは充分に可能だ。琉球が平和な島として自立していくために、唯一の方法は独立しかない。本書の核心はそこにある。
 憲法を変質させ、集団的自衛権を容認し、辺野古への新基地建設など日米安保体制強化に突き進む安倍政権下の日本にとって、琉球の独立の動きは決定的重みを持つ。琉球が永世中立国の島として生まれ変わるなら、アジア地域の緊張緩和だけにとどまらず、日本の自主、民主、平和にとって確実にプラスになるに違いない。日本人にとってこそ必読の書だ。



主張

安倍「地方創生」を糾弾する

編集部


 秋の臨時国会が始まった。名づけて「地方創生国会」。このところ「女性の輝く社会」だとか「地方創生」だとか、何かと胡散臭いスローガンが掲げられるようになったと思っていたら、それが国会のタイトルにされ、政治の中心に据えられるようになった。
 地方が衰退し、その崩壊、消滅が問題にされるようになっている今日、それは当然のことかもしれない。だが、問題はその目的だ。安倍政権は、本当に地方創生を目指しているのか。そこにはかなり不純なものが感じられる。
 その一つは、今秋政治闘争の焦点外しだ。今年の秋は、集団的自衛権行使の容認とそれを前提としそれに基づく新しい日米防衛協力の指針(新ガイドライン)の策定、原発再稼働、沖縄辺野古への基地移設、等々をめぐり、日本の命運に関わる重要な政治闘争が目白押しだ。それに加えて、福島、沖縄の知事選が、それらと深く連関しながら行われる。「地方創生」には、これら闘争の矛先をかわすための黒い底意が丸見えだ。
 もう一つは、来春統一地方選に向けての準備だ。安倍政治の下、地方衰退が一段と進行している今日、統一地方選は、国民の側が安倍政権打倒への流れをつくるための一大契機としてある。「地方創生」は、この安倍政権にとっての大きなピンチを乗り切るための巧妙な方策に他ならない。
 政権発足後、何かと目に付く安倍政権のこの狡猾さを許してはならない。秋の政治闘争の矛先を断固堅持し闘いの手をゆるめない一方、「地方創生」の欺瞞と真っ向から対決し、安倍政権の企図を徹底的に打ち破らなければならないと思う。そこからこそ、真の地方創生の道も開けて来るのではないだろうか。

■地方は死に瀕している
 米国、大企業中心の安倍自民党政治の下、日本の地方・地域は衰退するだけ衰退し、その多くが死に瀕している。近刊の「地方消滅」(中公新書・増田寛也編著)によれば、2010〜40年の間に「20〜39歳の女性人口」が5割以下に減少する市区町村数は、896自治体、全体の49・8%にものぼるという。こうした「消滅可能性都市」が域内市町村の8割を超える都道府県は青森、秋田など5県、5割以上だと24県に達する。しかも、この人口減は加速度的に進行していく。「自然減」に若者層の人口流出による「社会減」が加わるためだ。それはあたかも、東京圏をはじめとする大都市圏に日本全体の人口が吸い寄せられ、地方が消滅していくかのようだという。
 今臨時国会所信表明で安倍首相は、地方の危機に言及しながら、「人口減少や超高齢化など、地方が直面する構造的課題は深刻です」と述べた。しかし、少なからぬ地方において人口減少は、「老年人口増加、生産・年少人口減少」の第一段階から「老年人口減少、生産・年少人口減少」の第三段階へと深まっている。もはや地方そのものが無くなってしまう段階にまで達してきているのだ。

■地方崩壊の根因を探る
 何でもそうだが、問題解決のためには、それを引き起こしている原因を突き止め、それを無くしてしまうのが一番だ。病気を治すのに、熱を下げるなど対症療法だけでなく、原因となっている菌を殺すなど根治が決定的なのもその伝だ。
 安倍「地方創生」には、肝心要のこの原因の究明がない。地方・地域はなぜ衰退したのか。その原因を明らかにすることなく、そこから目をそむけ、対策をあれこれ言っても、埒はあかない。
 地方・地域の衰退は何よりも、地方から東京圏など大都市圏への人口移動に現れている。戦後、地方から大都市圏への人口大移動は、三度にわたった(同上書)。第一期は、1960〜70年代前半までの高度成長期。地域格差の拡大により、地方の若者の三大都市圏への集団就職が激増した。第二期は、1980〜93年のバブル期。サービス業、金融業の著しい発展にともない、東京圏への人口流入が大々的に進んだ。そして第三期、2000年以降現在まで。地方の経済、雇用状況の悪化により、若者層を中心とする地方から東京圏への大量人口流出が続いている。
 この三期にわたる戦後人口大移動に顕著なのは、そこに経済、雇用状況が決定的に作用しているということだ。第一、第二期には、東京圏、大都市圏の経済が上向き、雇用が拡大したため、それを求めて地方からの若者層をはじめとする人口の大移動が起こった。だが、第三期は違う。大都市圏の経済の高揚ではなく、地方の経済、雇用状況の崩壊が地方から大都市圏への人口大移動の主要因になっている。これは、第三期に至り、地方から大都市圏への人口移動が、単なる地域格差の拡大に止まらず、地方の崩壊、消滅まで引き起こして来ていることを示している。
 問題は、この地方・地域の経済、雇用状況崩壊の要因がどこにあるかだ。これを明らかにしてこそ、地方・地域はなぜ衰退したのか、その原因を突き止めることができる。
 地方経済の崩壊は、何も今に始まったことではない。それは、戦後一貫して続いてきた。大都市圏への生産・年少人口である若者層の大量流出、大企業誘致のため大企業優先に偏った地方のインフラ整備と大企業を中心とする地方経済の構造転換、そしてそれらを通しての公共事業依存の体質化、等々は、確実に地方における従来の経済循環を破壊し、地方経済を大企業や公共事業に依存するものへと寄生化、不均衡化、弱体化してきた。
 長期にわたる自民党政治の下、蝕まれ弱体化してきた地方経済が決定的崩壊過程に入ったのには、経済の新自由主義化、グローバル化が大きく関わっている。何よりも大きいのは、頼りにしてきた大企業の大量海外進出とそれにともなう地方産業、国内産業の空洞化だった。支えを失った地方経済が崩壊するのは自明のことだ。それに加えて、もう一つの支えの柱、公共事業投資までが、新自由主義の小さな政府路線の下、大幅削減されるようになった。03年度公共事業受注高は、01年度のそれと比べ、24・4%の減少であり、中でも地方の受注高の減少は北陸(31・2%)、北海道(31%)と、30%前後にまで及んでいる。これに追い打ちをかけたのが、小泉政権による市町村大合併と三位一体改革による地方向け予算のさらなる削減だった。

■無責任!安倍「地方創生」法案
 その消滅が問題になるまでに至っている地方衰退が地方の経済、雇用状況の崩壊によっており、その原因が歴代自民党政治の米国、大企業中心とその極致としての経済の新自由主義化、グローバル化にあるという事実こそが重要だ。安倍「地方創生」が実効性のあるものになろうとすれば、当然、この現実から出発し、地方衰退の原因を克服する方向で行われなければならない。
 だが、安倍「地方創生」法案はそうなりそうにない。去る9月29日行われた衆参両院での安倍所信表明演説は、「地方の豊かな個性を活かす」「若者にとって魅力のある町づくり、人づくり、仕事づくりを進める」、等々のかけ声に終始した。自分たちの政治が産み出した地方衰退への真摯な総括も、衰退の原因を克服し、地方の新たな発展を図るための科学的な方針もなかった。まさにそこに、安倍「地方創生」の欺瞞性が端的に現れている。
 真の地方創生はどうあらねばならないか。何よりも問われているのは、地方経済の立て直しと新しい発展だ。そのために地方消滅の元凶、新自由主義とグローバリズムはもっての外だ。今、安倍政権がやろうとしている「国家戦略特区」のように、何の規制もなく、内外企業入り乱れての弱肉強食、自由競争に任せるだけなら、勝ち残るのは内外超巨大独占だけであり、地方経済はその概念すらなくなってしまうだろう。だからと言って、「日本列島改造論」の失敗をくり返すわけにもいかない。公共事業の拡大と地方への工場誘致では、自律的な地方経済発展と雇用拡大につながらず、財政破綻を深刻化させるだけだ。
 地方経済の立て直しと新しい発展のため、今問われているのは、新自由主義、グローバリズムとケインズ主義的公共事業へのばらまきをミックスさせたアベノミクスからの国家経済戦略自体の根本的転換だ。それはすなわち、米国、大企業中心の経済戦略から国民中心の経済戦略への転換であり、そのための基準は民意、実現の鍵は民主主義だ。だが、残念ながら紙面が尽きた。民意を基準とした国民中心の経済戦略については次の機会に譲ることとし、今言いたいのは、二重三重の欺瞞に満ちた安倍「地方創生」を糾弾して、秋の政治闘争に勝利し、来春統一地方選につなげようということだ。



日本民族史の視点

民衆台頭の室町文化

赤木志郎


 この「日本民族史の視点」を本誌に寄せるのは、読者の方にはちょっと奇異な思いがあるかも知れない。政治や国際情勢、社会運動を扱っている「アジア新時代と日本」にだけなぜ?と。まして深い歴史研究でもなく、知識ある人から見れば当たり前のことを言っているだけではないかという叱責を私自身いつも感じている。それでもあえて投稿するのは、誰もが知っていることでも新たな「視点」で見直し、それをつうじて日本という自身の民族にたいして愛着を深めることができればと思うからである。それはかつて日本嫌いで日本歴史に見向きもしなかった私自身の反省でもある。そのようなわけで、これからも続けさせて頂ければ幸いである。
 今回は、日本の伝統文化が確立されたといわれる「室町時代の文化」について扱ってみたい。
 室町文化といえば、金閣寺、銀閣寺が思いおこされ、満月よりも雲の間に見え隠れる月に美を見出すという「わび・さび」も室町時代に確立され、日本の美意識の代表的なものであるとも言われている。「相手をおもんばかる」という小笠原流礼法の書も室町時代に書かれ、現代にまで大きな影響を及ぼしている。
 それらはたしかに武家が担い定着させた日本の伝統文化であるが、私はこの時代に民衆自身が自立しながらはじめて文化を作りだしていったことに注目したい。

■惣村―民衆の台頭
 足利尊氏からはじまる室町時代は、70年間におよぶ南北朝の動乱、有力守護大名の争い、その後、応仁の乱により全国を戦乱がおおい、さらに全国統一の覇者を争う戦国時代をもたらすという動乱の時代であった。
この動乱の時代の中でもっとも犠牲になったのは、重税・収奪とともに奴隷として売られた農民、庶民であった。その中で、有力農民が名主や在地にて武装した国人に成長し、守護大名の争いや支配に抵抗し、さらには中小農民が主体となったいわゆる惣村という自治組織を各地に作っていった。惣村は水の管理や共同作業、村の防衛まで含む農村共同体であった。武士に対する反抗は国人一揆から惣村一揆に発展し、惣村や国人を無視しては守護や荘園領主が統治することができなくなるほど、惣村の力は強力なものになった。農民が「一味神水」(団結)することによって自立していったのである。
 武士が自立を求め武家政権を確立したことも日本歴史の大きな特徴であるが、さらに荘園の農奴的境遇から脱し、惣村をつくって農民が自立していったことも特筆すべき特徴だといえる。

■皆で楽しむ芸能、自立のための知恵、芸人の登場
 室町時代の民衆文化は、能と狂言、連歌、絵の余白に話し言葉で書かれた「御伽草子」などとともに、全国で盛んになった盆踊りなどがある。正月、盆などにはいろいろな飾りがなされていった。
 この民衆芸能の大きな特徴は、盆踊りやハレ(非日常)の祝日・冠婚葬祭での行事、能と狂言など、皆で楽しむことであった。盆踊りなどの行事は民衆に根付き今日まで続いていることは言うまでもない。
 もうひとつの特徴は、生きぬき自立するために知恵を磨き、知識を身につけ、精神を鍛えていく逞しい姿である。一揆の起請文を書くにしても、寄りあいで物事を決めるにしても文字を書くことができなければならない。この時期に見られた農業や漁業、さまざまな商工業の発達も、庶民自身の粘り強い工夫と知恵が練られてありえた。庶民のための教育機関は存在しなかったが、日常生活のなかで必死に学んでいったのである。
 また、民衆芸能の担い手として被差別民衆が登場したこともひとつの特徴であった。世阿弥などの猿楽能の名手は「乞食の所行」と揶揄され、善阿弥などの作庭技芸の山水(せんずい)の妙手は河原者であり、説教語りもまた全国を歩く流れ者であった。ときの為政者からその芸が高く評価されながらも、身分は被差別民衆だった。というより、被差別民衆であったがゆえに芸に生きる道を求め、高い境地に達していったといえる。
 戦乱のなか自立をめざし血の滲む闘いを繰り広げた民衆が民衆芸能を創造していったということは、自立への志向こそが文化創造の源泉であったといえるのではないだろうか。武士が鎌倉文化を創造し室町時代に花咲かせたように、さらに文化の担い手が民衆へと広がっていったところに、室町文化における大きな特徴があると思うのである。


 
視点 女性が輝く社会とは

もしもマララ・ユスフザイがナビラ・レマンであったなら

金子 恵美子


 今年のノーベル平和賞は女性や子供の教育の権利を訴えてきた17歳のパキスタンの少女マララさんと児童労働の撲滅に取り組むインドのサティヤルティさんに決まった。
 マララは、2012年10月、反政府勢力パキスタン・タリバーン運動(TPP)に銃撃されイギリスに搬送され九死に一生を得た。彼女は、そのような経験にも怯むことなく昨年の7月12日には国連本部で演説し「すべての子供たちに教育を受ける権利の実現を」と訴え、元気な姿と共に、信念を曲げず、教育を受けられない子供のための活動を続けることを世界にアピールした。「一人の子供、一人の教師、一冊の本、一本のペン、それで世界が変えられます」と、教育を武器に無学、貧困、テロリズムと闘うことを訴えた演説は多くの人々に感銘を与えた。12日はマララの誕生日。国連はこの日を「マララ・デー」と名付けて彼女の取り組みと不屈の精神を称えた。
 今年の7月には彼女はナイジェリアにいた。イスラム武装勢力「ボコ・ハラム」が誘拐した200人以上の女子生徒の解放を訴えるためだ。「少女たちは私の姉妹。ボコ・ハラムに警告します。平和の宗教であるイスラムの名前を誤用しないで、直ちに武器を置き、少女たちを解放しなさい」と生徒の家族らを前に演説した。「愚かしいテロリスト」と「正義を訴える聡明な少女」。彼女の前にはイスラム過激派、テロリストと呼ばれる大人たちがちっぽけな、下劣な存在に見えてくる。そしてついにマララは史上最年少でノーベル平和賞の受賞者となった。オバマ大統領は「人類の尊厳のために奮闘するすべての人たちの勝利」と祝辞を送った。
 マララ・ユスフザイと違い、ナビラ・レマンはワシントンDCで歓迎されなかった。
 ナビラはマララと同じパキスタンの今年10歳になる少女だ。マララの父親と同じように彼女の父も教師をしており兄弟がいるという点でマララと似ている。違うのは彼女がイスラム過激派ではなく米軍(CIA)がパキスタンで展開する無人爆撃機の被害者であるということだ。
 2012年10月24日、ナビラは兄弟たちと共に家の近くの畑で祖母からオクラ摘みを教わっていた。ブーンという無人機の発する音。24時間それにつきまとわれているパキスタンの田舎では聞きなれている音だが、その後に鳴ったカチツという大きな音とともに長閑な田舎の風景は一変し、ナビラと子供たちの人生も一瞬にして悪夢と苦痛、恐怖と混乱の中に投げ込まれた。この爆撃により子供たち7人が負傷し、祖母はナビラの目の前で息絶えた。これに対する一切の謝罪も弁明もなされなかった。
 因みに2004年6月から2012年9月までにパキスタンでの無人機攻撃で殺された人は2593人から3365人。49人の過激派指導者を殺害したといわれるが、これは全死亡者のわずか2%。死亡者の中に少なくとも176人の子供たちが含まれているという統計が出されている。
 無人機はパキスタン北西部の上空を一日24時間飛び続け、警告なしで、住居、車両、公共の場を攻撃する。親の中には子供を家に留めておく人もあり、負傷したり精神的ショックで学校から落ちこぼれてしまう供たちもいる。こうしたことがテロリストや過激派集団の新兵応募の急増を招いているとの指摘もある。
 2013年10月、ナビラと12歳の兄、そして父は、自分たちの身に起こったことを語り、あの日の出来事の答えを求めるためワシントンCDにまでやってきた。しかしながら、遥か彼方の村からアメリカ合州国まで、信じがたいほどの障害を乗り越えてやって来たにもかかわらず、ナビラと家族は露骨に無視された。議会聴聞会での彼らの証言に、出席したのは、430人の議員のうち、わずか5人だった。ナビラの父親は、わずかな出席者たちにこう語った。"娘はテロリストの顔をしていませんし、母親も同じです。私には全くわけがわかりません、一体なぜこういうことが起きたのか… 教師として、アメリカ人に、私の子供達がどのようにして負傷したのかを教え、知らしめたいのです。"そして、9歳の少女ナビラは、証言として、素朴な質問をした。"私のおばあさんが一体どんな悪いことをしたのですか?" この問いに答えるものは誰もおらず、聞きに行く人々すらまれだった。政府が全く無視している象徴は、レマン一家がその窮状を語っている間、バラク・オバマは同じ頃合いに兵器製造企業ロッキード社CEOと会見していたことだ。
 マララはその勇敢な行動に、欧米マスコミ、有名人、政治家、市民運動指導者から敬意を表されているが、ナビラは、過去十年間のアメリカによる戦争によって、その人生を破壊された何百万人もの無名の顔の見えない人々の一人となったに過ぎない。この非常に顕著な違いの理由は明らかだ。マララはタリバンの犠牲者なので、イスラム世界におけるアメリカ軍事行動の正しさの象徴として、アメリカが紡ぐ反テロ・戦争に利用できる有効な政治宣伝手段として見なされているからだ。彼女は自分を攻撃したTPPも憎んではいない。彼らにも教育が必要なのだといっているが、アメリカは民間人、多くの子供たちを巻き添えにしながら彼らの殺傷に血眼になっている。このことが多くを物語っている。
 大きな夢と高い理想、強い信念と行動力をもってすべての子供たちの教育の権利を訴えるマララ・ユスフザイは傑出した女性であると思う。今マララ・ユスフザイは世界の脚光を浴び輝いている。折しも国会では安倍総理が「すべての女性が輝く社会」を成長戦略の中核政策にあげ、その推進室の本部長となり「前進あるのみ!」と気勢をあげている。しかし肝心の当事者である女性たちは盛り上がっていない。秘密保護法や、集団的自衛権、原発の推進などなど、輝く以前の場所に今日本の女性たちはいると思う。企業や政界での指導的地位への登用などより、子供たちの安全や平和がおびやかされている現実の方が切実である。大企業中心、原発や戦争志向の政治権力の下で「女性が輝く社会」などあり得ないことだ。アメリカの志向と合致することにより浴びる脚光も、原発推進や集団的自衛権の行使と共存する女性の輝きも、真の輝きにはなりえない。
 マララさんの今後、安倍政権の女性政策の今後、見つめていきたいと思う。



中高年派遣労働記

一日20本のメール

平和好(たいらかずよし)


 チリリ―ン ああ、またや。これは派遣会社からのお仕事メールの呼び出し音。いま、お昼過ぎだがこれで13件目。

■職種のデパート
 派遣会社から近畿一円のお仕事紹介メールが送られて来る。大阪市内で事務所移転、近隣都市で学校のパソコン移設、商品出荷作業、工場生産補助、携帯電話・スマホ組み立て、スーパー開店準備、冷凍食品陳列ケースの清掃のために商品撤去・再陳列、パチンコ店の新装開店補助、イベント用のテント立て・撤去など20種類近くのお仕事が次々紹介される。 
 時給は昼間900円、夜中は1100円。そうそう、愛知県と静岡県で行われるコンサートの設営・撤去に観光バスで連れて行かれる仕事もある。条件は悪くないが、往復7、8時間かかりその間は3千円の手当が出るが時給に直すと5百円以下。老体には少々こたえる。 
 ともかくこういうメールが続々来て、多い時には一日、20件以上。こんな数のメールをやり取りするなんて、恋人関係でもそうそうない。時間さえあれば毎日何がしかのお仕事にはありつける。
 残念なことにこのところ活動が忙しく(というのも何であるが)十分行けておらず会社には申し訳ないと思う。営業君、許してね。

■鵜飼い
 派遣労働は企業にとって都合のよい雇用形態なのだ。所得税は天引きされているものの、社会保険料・住民税は自分持ち、有給休暇も退職金もなく、可処分所得は実質低い。派遣会社は近畿圏で何十もある。盛況だ。それぞれにメリットがあるからだ。元請け企業は正社員の何割引きで人を雇えるし、さらにそこから派遣会社がマージンを取り、営業君から経営者までの給料を稼ぎ出すのだ。
 派遣会社が私のような中高年に必死に声をかけてくれるのは、その「稼ぎ」をしてくれる人達をたくさん抱えておきたい事情がある。鵜飼いの鵜みたいなものか。取ったアユは吐き出さされるけれど、飢えないほどには1匹だけ鵜匠が食べさせてくれる。しかし、私は鵜ではなく、人間だ。極力労働条件を死守しながら生活費・活動費ねん出のために、今日も頑張るしかない。倒れない程度に。
 チリリーン あーまた鳴っている。翌日の予約を受ける旨のメールを返してから、作業服を着て、お魚釣りに行く人のような、あるいは関空へ急ぐ時みたいに、未明に出かけるか、帰ってくる私なのだった。



時評

未来社会に人心が崩れぬよう

林 光明


「被害者が一時的な避難先として宿泊施設を使う場合の本人負担をなくす制度を来年度から導入する方針を固めた。導入を目指す新たな被害者支援策は、一時避難先としてホテルなどに宿泊した際の費用を都道府県と国が半分ずつ負担する。警察庁はこの費用として約1億3340万円を来年度予算の概算要求に盛り込んだ」。
 上記は昨年10月施行の改正ストーカー規制法で、「婦人相談所その他適切な施設」と明記された施設が、実態はDV被害者が同居の夫や交際相手らから逃れる緊急避難先として使われており、外部との連絡が取れない外出制限や携帯電話の使用が禁じられたりして被害者の生活にそぐわない場合が多い為、追加的に盛り込まれた案である。
 ストーカー被害件数全体はやや減少の中、風俗関連に勤める女性の被害者はここ数年、増加の傾向にあるという。業界への偏見や、同居の家族らに仕事が発覚することを恐れ、警察への相談をためらうケースが多く、それに付け込んだ悪質さは否めないが、このままどこまで行き着くのか。ストーカーとは特定個人に付きまとう者を指す。そもそもは、対象者に危害を加える目的で近づく行為の名詞形であり、日本では20年近く前に米国から持ち込まれたこの加害者像が、『ストーカー 逃げ切れぬ愛』のドラマ放映以降はその概念が一気に広まり、"異常な変質者"の代名詞となった。
 問題なのは、無責任なマス・メディアが中途半端な持ち込みをしたお陰で、その本質的な意味を解せずに用語が未だに独り歩きしている現状だ。被害が社会現象化の兆しを見せ始めた頃に組まれた特番で、有名な格闘技選手がこう言った。「俺は学生時代、好きな子の帰り道をドキドキしながら追いかけた事ありますよ。今は、これもストーカーになるんですか」 又、ある武道家はいつもランニングコースで見かける女性への恋慕を抑えきれず、何回か彼女の前に立ち塞がり、熱心に交際を申し込んだ。女性は戸惑いつつも、やがて受け入れた。その女性が今も40年来を共に過ごす彼の愛妻だ。
 どちらの男性も男らしい人であり、現在と違って当時は格闘技・武道の世界には女性は殆ど見かけなかった。ゆえに、サラリーマンと違って知り合う馴れ初めの機会がない。加えて無骨な性格だから、女性に対する気の利いた接近方法も分からない。すると、溢れる恋心を抑えきれず、上記のような行動に走るのも無理はないと言える。だが、これらは恋愛衝動による求愛行動であり、病的な心理的犯罪行為とは明らかに隔たりがある。

 ところが今の世相は、この区分けが曖昧にされたまま言葉だけが重苦しくのしかかっている。この春、某派遣会社の社員が勤務先の女性社員に心を奪われてお茶に誘ったが、多忙を理由に再三断られても挫けず誘うと、女性社員は上司に相談した。すると、派遣先の会社はその派遣社員をストーカー行為で訴えてしまったが、一審判決は無罪だった。「意中の女性を誘う行為そのものは、迷惑行為や業務妨害とはみなしがたい」という、至極当然の判決に少し安心した。これが有罪になれば、思いを相手に伝える行為すら自由にできない。
 とはいえ、ストーカー行為の果ての無残な事件は毎年、後を絶たない。そもそもなぜ、こんな事になるのか。約20年前、平成バブルが終焉を迎える頃からこんな現象が起こり始めた。そして、個人的記憶では加害者が食うや食わずの生活だったという記憶はなく、そこそこの経済生活をする者が大半な気がする。バブル景気が米国の策略で演出された事は周知だが、懐に転がる高額の金で異性の気を引き、バブルが終わると高額所得から転落し、異性の心も潮が引くように遠ざかってしまう。金品と共につぎ込んだ気持ちも見返りの宛てを失う。残ったものは逆上と恨みの心情だけとなり、その矛先は愛したはずの人に向けられる。
 スポーツでも格闘技でも、正しいトレーニングを行う事で人体は耐用性が増してくるが、心の準備もないままに思いもよらぬ衝撃を重なり受けると、ほぼ破壊に?がり、無茶な鍛錬はマイナスの効果になる。いわば、紙一重なのだ。これがより繊細と思われる人間の心の中だと、どうなるだろう。……それを放置している無能な社会制度である限り、蝕まれた心は次のターゲットを探すだろう。若い世代で問題となっているリベンジポルノ被害もその1つといえる。
 これは男女間の問題ではなく、恋愛の悩みを打ち明けて共有できる仲間がいない末の暴走であり、現代病の1つだろう。その根源は助け合い・共生とは対極の極端な個人主義の蔓延であり、人間不信の極地がもたらしたものと思う。人が人をお互いに信じ合えない人間社会など何の意味も持たない。この先の日本が崩れた社会にならぬよう、心の弱った者を抱きとめる人間社会にしなくてはいけない。そんな世の中は決して夢や幻ではない。
「美しい国」とは、自然や街並みの色や形ではない。相手をいたわる"情け深い綺麗な心を持つ人の多く住む国"…それこそが本当の美しい日本の姿である。



資料

反貧困全国集会

田中龍作ジャーナルより


 拡がる貧困をくいとめよう。貧困問題に取り組んでいる全国各地のボランティアなどが対策を話しあう集会が、都内で開かれた。(主催:「反貧困全国集会2014」実行委員会)
 北海道から九州まで全国22地区にある「反貧困ネットワーク」のうち14地区の代表が、集った。貧困の当事者も出席し、会場は立ち見も出るほどの超満席となった。
 厚労省の被保護者調査によれば、生活保護被保護者人数は2010年に200万人を突破し、2011年には206万人になった。今年2月の速報値では216万人と3年間で約10万人増加した。
 雇用と生活が不安定な非正規労働者はいまや労働者全体の36・7%を占める。安倍政権の労働法制緩和で、非正規労働者の割合がさらに増えることは確実である。
 海外メディアは早くから「アベノミクスは失敗だった」と指摘していた。国内のエコノミストも同様のことを言い始めた。
 だが新聞・テレビはアベノミクスの失敗には触れない。それどころか、「景気は回復傾向にある」とする黒田日銀総裁の虚言を垂れ流す。
 3年前、ニューヨークで一握りの強欲資本家のために貧困の淵に沈められた「99%」の人々が公園をオキュパイする事件があった。きょうの集会では、この時の映像も紹介された。
 アベノミクスの失敗を報道できないメディアが映し出す社会より、きょうの「反貧困全国集会」の方が、はるかに現実を表している。これは「99%」の集いだ。


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