研究誌 「アジア新時代と日本」

第135号 2014/9/10



■ ■ 目 次 ■ ■

編集部より

主張 秋の政治闘争 流れを変える準備の時だ

研究 ASEAN地域フォーラム外相会議をめぐって アメリカの覇権に抗するASEAN

議論 中国の脅威は本当なのか

時評 沖縄は燃えている

時評 知る権利を曖昧にさせない為に

資料 反アベ大集会 「これほど戦争を身近に感じたことはない」




 

編集部より

小川淳


 国連人種差別撤廃委員会が、日本政府に対してヘイトスピーチ問題に「毅然と対処」し、法律で規制するよう勧告する「最終見解」を公表した。
 「朝鮮人のババア」「不逞鮮人」「殺せ」などと集団で喚きながら街頭を練り歩く、このようなデモや街宣が、昨年一年間で360件以上あったという。
 都道府県などへのアンケートによれば、在日韓国・朝鮮人など特定の民族や人種の差別を煽るヘイトスピーチを約9割の自治体が問題視し、そのうち約4割が何らかの規制が必要と考えている。
 日本が人種差別撤廃条約に加盟したのは1995年。条約加盟国が条約を守っているかどうかを調べるのが人種差別撤廃委員会で、問題がある国には勧告が出る。日本への勧告は過去2回あり、今回が初めてではない。日本の差別状況に改善が見られず、対策も実施されていないからだ。恥ずべきことだ。
 日本は条約に加盟しても、「人種的優越または憎悪に基づく思想の流布」などに法規制を加える条文はいまだ「留保」している。先進国でこの条文を「留保」しているのは日本と米国のみで、「表現の自由」に抵触するというのがその理由だ。
 京都地裁は13年10月に、京都朝鮮初級学校へのヘイト集団(在特会)による行動を「人種差別」と認定、損害賠償を命じた(大阪高裁も一審を支持)。 特定の民族を誹謗し中傷する行為は野放しにしてはいけない。「殺せ」というような人種憎悪であっても「表現の自由」だから規制はできない―これが日本政府の見解なのだが、では、ヘイト集団から攻撃される人たちの人権は守らなくても良いのだろうか。日本政府は差別を受けている少数民族の権利を守るべき義務を負う。つまり守るべきは、ヘイト集団の人権ではなく、攻撃されている側の人権なのだ。
 この問題を通して見えてくるのは何か。アジアに対して日本がきちんと過去を清算してきたならこういう問題は起きなかったはずだ。負の歴史を曖昧にし、その責任を誰も取らず不問にしたまま戦後の日本は生きてきた。慰安婦問題や靖国問題、沖縄問題など戦後の負の側面とこの問題は深くつながっている。
 アジアといかに向き合い、正しい関係をどう築くのか。明治維新から約150年、敗戦から69年、まだ何も解決していないという現実に私たちは直面している。



主張 秋の政治闘争

流れを変える準備の時だ

編集部


 秋は政治の季節、闘争の季節だ。しかし、今年の秋はまた格別なのではないか。集団的自衛権行使容認、原発再稼働、沖縄辺野古への基地移設、秘密保護法、成長戦略・骨太方針、等々を糾弾し、阻止する闘い、そして、福島、沖縄での知事選。戦争とファシズムがかつてなく身近に感じられる中、深く広がる人々の怒りが秋の政治闘争をいつにも増して熱く切実なものとしている。
 この秋をどう闘うか。2年後の安倍政権打倒を目指す今、この闘いの持つ重要性は一層増していると思う。

■来春の統一地方選を目指して
 今の政治闘争にあって、当面の大目標は政権交代、安倍政権退陣に他ならない。だとすれば、その闘いの行程で今秋の政治闘争はどの辺に位置しているのだろうか。これをどう判断するかによって、闘い方が決まってくる。
 今、安倍政権との闘いで問われているのは、政権打倒への流れをつくることだと思う。もちろん、今現在、その流れが全くないわけではない。執権以来ますます顕著になってきていた「一強多弱」に若干のかげりが見えてきているのは事実だ。だがそれも、流れを変えるにはほど遠い。
 安倍政権退陣への政治の流れをつくるために、今秋の闘いが大きな位置を占めているのは確かだ。しかし、それが流れを変えるまでには至らないのも事実ではないだろうか。当面はそのための準備だと思う。
 だが、準備をするにも目標が必要だ。差し当たりその目標は来春統一地方選に置くのがよいのではないかと思う。
 事実、自民党など執権党は、来春統一地方選挙での勝利に狙いを定め、それに向けての動きを活発化させている。「女性の輝き」とともに「地方創生」を政治の目玉に置き、そのための手を打っていっているのは、あまりにも見え透いていると言わざるを得ない。
 この執権党の攻勢に対し、政権打倒の側は、当然、相手の弱点をとらえ、真っ向からぶつかって行くべきだ。
 今日、安倍政治の矛盾がもっとも集中されている中の一つが地方・地域だ。だから彼らは「地方創生」などと、その取りつくろいをし、何とか来春統一地方選を乗り切ろうとしている。
 まさにそれ故、来春統一地方選は、政治の流れを変える絶好のチャンスだと思う。今秋の政治闘争は、何よりもそれに向け準備するため、大きな役割を果たすだろう。

■民意の受け皿づくりが問われている
 来春統一地方選を目指し、流れを変えるための準備をすると言ったとき、問題になるのはそのための課題だ。
 統一地方選に勝って、政治の流れを政権交代に向け、目に見える力強いものに変えるため、今もっとも問われているのは、民意の受け皿づくりだと思う。
 2年前の衆院選、昨年の参院選、そしてこの間の諸々の選挙で、安倍自民がほぼ連戦圧勝してきたのは、安倍自民が国民に圧倒的に支持されているからではない。それは、史上最低レベルに低迷する投票率、20%前後に過ぎない自民党の得票率、等々に如実に示されている。
 ではなぜ、安倍自民は連戦圧勝するのか。それは、国民が期待し依拠できる民意の受け皿がないからだ。09年の政権交代によって登場した民主党政権の、沖縄の基地移設問題での挫折から始まる民意への裏切りの連続は決定的だった。以来、民意にかなう、民意の受け皿と言える政党、勢力は現れていない。
 政治の流れを決定するのは民意だ。民意が安倍政権打倒に傾いてこそ、打倒に向けた流れは押し止めることのできない怒濤のものになる。だから民意の受け皿だ。民意の受け皿づくりこそ、流れを変える準備のための基本課題にならなければならない。

■民意の正しい全面的な反映こそ
 民意の受け皿とは、民意をそのまま受け入れ実現する政党、勢力のことだ。民主党も他の野党も、民意に応えてくれる政党とは見なされなかった。
 では、民意に応える政党だと見なされるようになるためにはどうしなければならないのか。それが各政党にとって、秋の政治闘争を通して自らを民意の受け皿に高めるための課題になる。
 そのために何よりも問題は政策だ。これまでこれが曖昧だった。与野党の政策の違いがはっきりしない。安保問題や原発問題にしても、もう一つ争点が不明瞭で、似たり寄ったりだった。言い換えれば、自民党の欺瞞や誤魔化しを打破できなかったと言うことだ。もう一つは、民意が切実に求める経済問題に応えることができなかったことだ。アベノミクスへの攻撃が鋭さを欠き、それに代わる政策の提示もできなかった。
 秋の闘争でこれを克服し、来春統一地方選に備えるのが決定的に重要だ。そのためには、今、安倍政権の政治が民意を離れている現実を徹底的につくべきだ。集団的自衛権も原発再稼働も、雇用や農業、医療などの規制緩和、自由化をこととする成長戦略も、そして社会保障を削減する骨太方針も、安倍政権の政策のすべてが民意と大きくかけ離れており、それが誰の目にも明らかになってきている。その反国民性を徹底的に分かり易くつくことだ。と同時に、民意を正しく全面的に反映した政策を安倍自民の政策との違いを鮮明にしながら提起することだ。ここで特に、米国、大企業中心に国民を犠牲にするアベノミクスを分かり易く批判・糾弾しながら、国民中心の新しい経済を提起するのは重要だと思う。
 その上で、忘れてならないのは、来春統一地方選に向け、各地方・地域毎の政策を当地住民の意思と要求を全面的に反映して準備し打ち立てていくことだ。それは、地方・地域を犠牲にし、衰退させるだけ衰退させている安倍政治の現実をつくとともに、「地方創生」を掲げるその政策の欺瞞性と誤りを徹底的に暴露するものにならなければならないだろう。
 民意を反映した政策を準備し掲げるようにするだけでは民意の受け皿になることはできない。そのためには、政策を実現する知略と意志、力を持たねばならない。それを養い、秋の政治闘争の現実を通して、各地方・地域で、全国的にも、広く国民的に認められるようになることが必要だ。

■新しい民主主義で民意の発揚を!
 政党が民意の受け皿になるのはたやすいことではない。民意に応える政策を打ち出すこと一つとっても簡単ではない。増して、それを実現するのは一層困難だ。民主党政権挫折の教訓はそれを物語っている。では、どうすればよいのか。
 答えは一つしかないと思う。民意の発揚だ。民意を発揚してこそ、民意に応える政策を打ち立て、それをあらゆる困難を排して実現していくことができる。民意が発揚され、国民が自らの意思と要求を積極的に表明するようになってこそ、それに応える政策が正しく全面的に打ち立てられるようになり、民意が発揚され、広く国民がその政権と政策を擁護防衛してこそ、政策は、あらゆる困難を乗り越え、実現されるようになる。
 では、民意はどうしたら発揚できるかだ。それは、闘いの中でしかあり得ない。だから秋の政治闘争であり、この秋の闘いの中で民意を盛り上げてこそ、民意の受け皿づくりを大きく促進することができる。
 だが、これまでのような方式で闘っても成果はあまり期待できないのではないか。闘いが国民自身のものにならなければ、民意は盛り上がらない。今問われているのは、闘いが国民自身のものになるような新しい闘争の方式ではないだろうか。
 そこで現れてきているものの一つが「新しい民主主義」ではないかと思う。昨年の参院選で山本太郎さんや三宅洋平さんたちは、これまでと全く異なる方式で闘い、大きな成果を得た。選挙をフェスティバルにする「選挙フェス」。歌もあり踊りもある圧倒的な黒山の熱気の中で、彼らは国民の関心事を分かり易く国民の言葉で訴えかけ、選挙を国民自身のものにした。
 例えば、「政治を楽しく面白く」だ。楽しく面白くてこそ、政治は皆のものになる。彼らの放つメッセージは、民主主義の本質をついている。秋の政治闘争は、この「新しい民主主義」で闘われるべきではないか。国民や住民の本当に求める問題を取り上げ、皆でともに考え、ともに答えを出していく。資金も国民自身が集め、立候補も国民自身がしていく。そのような「新しい民主主義」こそが安倍政権打倒の流れをつくり、それを怒濤の奔流に変えていくのではないだろうか。



研究 ASEAN地域フォーラム外相会議をめぐって

アメリカの覇権主義に抗するASEAN

 


 8月7日からミャンマー・ネピドーにてASEAN外相会議が開かれ、10日の共同声明発表につづき、ASEAN地域フォーラム(ARF)外相会議がもたれた。
 周知のように南シナ海の領海問題をめぐって紛争があり、これに対しASEANがどう主導権を握って解決の方向を見出していくのかが注目されたが、まず、ASEANだけの外相会議で意思をまとめ、その上で日本、中国、アメリカなどを含むASEAN地域フォーラムが開催された。
 日本の報道は、日本の外相が中国や朝鮮の外相と接触したことや、ASEAN諸国の一部が日本の集団的自衛権行使容認を支持したという話しを掲載し、ARF会議にて中国とアメリカが激論を交わしたことを強調していた。ASEANが領海問題を話し合いで解決する方向で調整していったことについてはほとんど触れられていなかった。

■当事者の対話によって平和的解決を
 まずASEAN外相会議で、中国との対立を浮き立たせたのはフィリピンのみであった。ベトナムはフィリピンに同調せず、むしろ後に外相を中国に送るなど対話の方法で解決しようとしている。カンボジア、ラオスなども対立の激化でなく、話し合いの方向であった。その結果、ASEAN外相会議では、「南シナ海問題をめぐってすべての当事者に事態を複雑にせず平和を損なう行動を避けるように求める」という声明に落ち着いた。
 共同声明ではフィリピンが主張した南シナ海での挑発行為の凍結については「留意する」にとどまり、中国の防空識別圏を設定した尖閣諸島を含む東アジア情勢については削除された。
 つづいて開催されたARF外相会議にてアメリカは中国を非難することに終始した。しかし、ASEANが当事者による平和的解決を求めるという方向なので、南シナ海、東アジアで紛争を激化させるというアメリカの覇権的な策動は頓挫するしかなかった。
 このことは、ASEANのアジア安保問題を主導してきたARFが、反覇権の勢力として大きな役割を果たしているということを今一度、示したと言える。
 その要因は、ASEANが紛争激化と対立ではなく、平和と安定のために当事者が対話の方法で努力しているからだ。アメリカは南シナ海や東シナ海の問題に対し、口をはさむ当事者ではない。そのアメリカの意向を受け、アメリカの力を背景にして「解決」しようということ自体が間違っている。
 日本政府は、中国に対する非難をたえずおこない、巡視船の供与や海上警備を担う人材育成などでフィリピンとベトナムにテコ入れをし、中国との対立を激化させようとしているが、それはアメリカの覇権を助ける時代錯誤の行為でしかない。
 アジアの問題はアジアが、領海紛争は当事者が、平和を求める原則で対話の方法で解決していくことが時代のすう勢に合うもっとも正しい道である。

■交戦権を放棄した日本こそが不戦条約締結の先頭に
 さらにARF外相会議で注目されることは、米日と中国の対立激化を念頭に、アジア・太平洋諸国に武力行使を放棄した東南アジア友好協力条約(TAC)型の「不戦条約」を提唱したことである。
 TACは、@独立、主権、平等、領土保全、A外部からの干渉拒否、B紛争の平和的解決、C武力による威嚇と武力行使の放棄などを原則としている。
 かつて、不戦条約や中立条約は、覇権を維持し、戦争をするための一時的な手段として利用されてきた。各国間には体制や考え方、民族や利害関係の違いがありえるが、各国間で国の主権を侵害せず自主権を尊重する限り、戦争が起こることはない。国の主権保全をはじめ4つの原則を明らかにしたTACは、国の自主権じゅうりんという戦争の根本原因をなくすという点において、実効力のある不戦条約となっている。実際、価値観、民族の異なる複雑な東南アジア諸国なのに、TACの原則があることによって武力行使がなかった。
 ここで日本がどういう立場をとるべきか。日本はその憲法で交戦権を放棄した国であり、当然、このTAC型の不戦条約の締結を先頭にたってすすむべきであろう。日本を「戦争をしない国」とするためにこそ、主権尊重を軸にすえた不戦条約をアジア太平洋諸国とむすんでいくことが重要ではないだろうか。
 そうであるのに、安倍政権が集団的自衛権行使を容認しアメリカとの共同戦争体制を築いていっているのは、まさしく、ASEANの不戦条約提唱に逆行するものであり、時代の流れに反するものである。
 ASEANは2015年に共同体の設立をめざし一層強化発展しており、ARFをはじめASEANが主導してアジア安保を武力行使によるのでなく対話で解決していくことによってアジアの平和を確固たるものにしようとしている。この反覇権の潮流が、アジア重視を唱え軍事力をアジアに集中させ武力紛争をつうじて覇権を狙うアメリカの企図を破綻させていくのは確実である。
 今こそ、日本が「戦争をしない国」として国家の自主権尊重を基軸とする不干渉、武力行使の放棄、話し合いによる平和的解決などの「不戦外交」を実現していくことが要求されている。


 
議論

中国の脅威は本当なのか?

東屋浩


 最近、中国の脅威を煽る報道、本が非常に増えている。「防衛白書」も中国の脅威を大きくとりあげている。中国が経済的発展を遂げ、軍事力も増強し、海洋進出をはかろうとしているのも事実である。空母建造がすすめられ、潜水艦の活動も活発であり、戦闘機の機能水準も高められている。
 はたしてそれが日本の脅威になるのだろうか?
 まず相手国の立場になって考えてみよう。中国はかつて海軍力の差によってまず制海権を奪われ、英米仏日などの列強の侵略にさらされた。アヘン戦争で敗北し香港をはじめイギリスに領土を奪われたのも海軍力が弱かったからである。また、北洋艦隊が日本の海軍に殲滅させられたのが日清戦争敗北の直接の要因であった。それゆえ、中国がその教訓から、自国の主権を守るために海軍力を強化し、周辺海域での軍事力で優位に立とうとするのは、中国側から見れば当然のことであり、それが周辺諸国に脅威を与え支配するためのものだとは必ずしも言えない。
 では、アメリカの立場にたって見てみよう。アメリカは海軍、空軍とも自国から遠く離れて中国の領空、領海に接近して偵察、警戒の活動を常時おこなっている。日本の自衛隊をも動員している。
 その目的は「現状維持」だというが、その現状とは中国を包囲した「現状」である。もし、アメリカが自国の領海に接して偵察、警戒態勢をとられたら黙っているだろうか? アメリカは自己の覇権維持を「現状維持」だと言っているのである。
 朝鮮のミサイル精度の向上についてもそうである。アメリカや日本政府はそれを「朝鮮半島の力の均衡をくずす挑発行為だ」と非難する。その「力の均衡」とはアメリカが強大な軍事力で北半部を包囲している状態をいい、それが崩されるから「挑発行為」と言いくるめているにすぎない。
 中国の脅威についても、何にとっての脅威なのかを判断しなければならないだろう。覇権にとっての「脅威」なのか、それとも反覇権にとっての「脅威」なのか。アメリカが言う「中国の脅威」とは、自分の覇権が危うくなるという脅威ではないだろうか。
 日本が尖閣列島の保全が脅かされると言っていることについても、中国が自己の領土と主張しているのに、日本政府が国有地化をおこなって事態を拡大したところに原因がある。それまでは、日本が実効支配したまま平和的な状態であったのである。日本が武力によって尖閣列島を占有しようとすれば、中国としても自国の領土として対応するであろう。各々の国に自国の領土を守るという名分があり、紛争を力で解決しようとする限り、武力衝突と戦争を避けることができない。
 領土問題は力で押し切るのではなく、相互尊重の姿勢をもって対話の方法で領土問題の解決をはかっていくしかない。領海、領土問題は国の主権にかかわる問題だけに、双方ともえてして感情的に流れやすい。それだけに冷静に対処しなければならないだろう。
 つまるところ、「中国脅威論」とは、アメリカの覇権を維持し、そのために日本を「戦争する国」にする口実であるというのが真相ではないだろうか。



時評

沖縄は燃えている!

平 和好


 日本政府が沖縄・名護の辺野古に米軍新基地を作ると決定してから、地元市民は一貫して反対のためのたたかいを続けて来た。一方の政府はしゃにむに建設を進めようとしている。

■辺野古新基地は普天間の軽減にならない
 政府は「世界一危険な普天間」の移設で危険を除去できると言うが、全くのペテンに過ぎない。危険が名護に「移設」されるだけであり、沖縄中が米軍の出撃拠点として、又、砲爆撃の練習場として使われることに全く変わりがない。
 危険除去を言うなら、オスプレイを撤去するべきだが、当初の12機を倍増させたり、沖縄―本土をつらぬいて我が物顔に飛び回らせるのを見ただけでも、「危険の拡散」であること一目瞭然だ。

■基地があって沖縄は助かるというのはデマ
 「でも基地があるから雇用も政府のお金も入って沖縄は助かるのでは? 悩ましいよね」と言う人がいるが、とんでもない。基地に雇用されたり、米兵相手の商売に従事する人の数より、基地を返還してもらって地元企業と自治体が正しい開発をしたら、就業できる人の数の方が多いし、経済効果は後者の方が多いのであるから、政府、沖縄県は基地無条件全面返還に精を出すべきなのだ。各種有害物はアメリカの負担で除去して、キレイな土地を返還してもらわなければならないが。

■命をかけて抵抗する辺野古にあらゆる支援を
 政府、防衛省の強行姿勢に対して地元民と支援者はキャンプシュワブのゲート前に座り込み、カヌー、ゴムボートを海上にくり出している。政府、防衛省はゲート前に鋭くとがった三角板が無数につながった「殺人鉄板」をしきつめ、巡視艇エンジン付きボートで長い武器を持って反対派の小舟をけ散らし、一時拘束もくりかえしている。しかし、逮捕する法的根拠がなく、又、手荒な弾圧をしすぎると11月の県知事選挙にマイナスなので、決定的な事ができない現状だ。
 日々のできごことは、「辺野古浜通信」「辺野古に基地を絶対作らせない大阪行動」などのブログを見ていただいたら、リアルな写真・動画を見ることができる。
 読者の皆様に心から呼びかけたい。
@現地の応援に行く。
A現地にカンパを送る。
Bカンパを出し合って人を送る。
C大阪に近畿防衛局(谷町4丁目)への抗議行動がくり返されているので参加する。
D真実を報道する「沖縄タイムス」「琉球新報」を購読する。
などの様々な手段で、辺野古のたたかいを支援しよう!
 そして、自民党員でありながら基地反対の「オール沖縄」の要請に応じて知事選出馬を決意した翁長さんを応援し、インチキ仲井真県政をたおすたたかいを支え、沖縄をじゅうりんし続ける政府を根本から取り代えるために、全力を上げること呼びかける。



時評

知る権利を曖昧にさせない為に

林 光明


■国民の権利無視の内閣改造
 安倍総理が先日、党役員人事と内閣改造を行って第二次安倍改造内閣を発足させた。
 しかし、安倍政権が押し進めようとしているのは、集団的自衛権行使容認の閣議決定に基づく安全保障法制整備や原発の再稼働など、民意の批判が集中する課題ばかりなのは気のせいか。とりわけ、国民の知る権利を侵害しそうな特定秘密保護法の制定はその極みとも言えるが、大衆国民無視の政権運営を続ける安倍路線が民意以外の原動力で、さらに加速度を増している。
 東京新聞によると、安倍総理は組閣後の記者会見で「いかなる事態にあっても国民の命と平和な暮らしを断固守り抜く決意で、切れ目のない安全保障法制の整備を加速させる」と強調。集団的自衛権の行使を容認する七月の閣議決定を踏まえ、関連法案を来年の通常国会に提出し、成立させる見通しを示したそうだが、注視すべきは、「いかなる事態にあっても国民の命と平和な暮らしを断固守り抜く決意」とはあるものの、特定秘密保護法の制定が控えているためか、「いかなる事態にあっても国民の知る権利を断固として守り抜く」とは強調されていない。それどころか、触れもしない。

■知る権利は自由権の一つ
 世界大百科事典によると、知る権利(the right to know)とは、「公衆がその必要する情報を,妨げられることなく自由に入手できる権利をいう。近代憲法は基本的人権の1つとして言論・出版の自由を保障した。しかし,政府権力の拡大強化やマスコミの発達によって,一般市民 (公衆)は,重要な情報源から遠ざけられるにいたった。情報化社会の発展とともに,この傾向はさらに拍車がかかり日常生活の情報の選択と入手は市民の重大な関心事となっている。こうして,国政情報から日常生活の情報まで,自由に入手することを求める〈知る権利〉は,最も重要な現代的人権として認識されるようになった」とある。

■知る権利は正確な明文にない?
 ところが、日本国憲法の条文から解釈すると知る権利は「個人が自由に情報を受け取り、国家に対して情報の開示・請求・抹消する権利」となるはずだが、不思議な事(?)に憲法の条文上、どこにも知る権利という言葉はない。あえて言うなら、第21条1項の「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」から、⇒知る権利も保障されるという解釈に?がるものと言える。そして2項に、「検閲は、これをしてはならない」とある。つまり明文に無いので、解釈を用いて権利保障されるべきと認知されているのが現状ということになる。

■知る権利を保障する必要性
 近代から推移して情報化が進んだ現代社会は、国民が必要な情報は国家やマス・メディアが独占するようになった。この為、表現の自由を一般国民の側から再構成する必要が生じてきた。これにより、情報を保持する国家やマス・メディアに対して情報開示請求権が認められるようになった。この流れで憲法上の表現の自由で「知る権利」が保障されるようになった事が、どうやら実情のようだ。だから、法治国家の最高憲章である日本国憲法の解釈に異なる方向性を持たせず、確固とした解釈しか出来ないように固めるべきという追記改正論には賛成票を投じたい。

■身も蓋もない意見より、原点回帰と強化
 思えば、かつての社会党の「自衛隊違憲合法論」のように国防の必要性と、「…戦力はこれを保持しない」の9条条文の挟み撃ちにもがいた末の結論が、日本の軍事大国化を招き、引き戻せぬ軍事増強を容認した結果が、持ち腐れの使えない軍事力を使える軍事力への転換となり、海外派兵への誘導を認めざるを得ない現状に至った。その挙句の果てが、集団的自衛権行使容認である。確かに、憲法がありながら「解釈」の理屈のもと、これは強行決議された。よって今さら情報公開の憲法制定を唱えるより、別の手段をという考えもあるが、それは、余りに露骨で含蓄の無い意見である。9条を蔑ろにした事実は、国民が国家権力を律する日本国憲法を正面から切りつけた事になる。国民を踏みつけたそのツケが、どれほど怖い数倍返しになるかを思い上がった現政権に思い知らせるべきだろう。

■信用される国家かされない国家かが鍵
 しかし、特定秘密保護法がこの知る権利に抵触する可能性大とは言え、国家中枢の政治的機密、軍事的機密、財政的機密等を、子供から高齢者に至るまでの全国民に情報公開するというのは、いくら何でも望ましくは無いし、実際ありえない。特定秘密保護法を批判する周辺国にしても、ならばお宅の国は一般国民に国家内情を全て公開して、機密さえも開示出来るかというと、そんな国は無いはずだ。情報公開が先進的と自慢する米国も、ペンタゴンの機密管理の内容を自由に一般公開などしていないし、アメリカと対抗する朝鮮も軍事機密事項や国防に関する計画等を一般市民に無条件に公開はしないだろう。第一、開示請求で公開できる事項はもはや秘密ではないが、国民総体から国家の秘密を作るなという声自体が沸き上がらない国は、国民から全体的に信託されている、との解釈も出来る。

■知る権利も条文に項目化が必要
 そもそもは、自民党政府を国民が心底信用していない証であり、日本国民から全面的に信用された政府なら、秘密保護の法制化を提唱しても大混乱や猛反対が起こるとは想像しがたい。国民主権の民主国家を謳いつつ、国民からの信用が無いままにその批判の声を押し潰してまで特定秘密保護法や集団的自衛権限定行使容認法を強行制定するという事実がそれを如実に物語る。ならば、国民側も知る権利に基づく対抗措置として、ここまでは情報請求出来るがこれ以上は求めないといった、憲法条文中の国家の情報公開についての項目を新たに明確に織り込んでの明記を求める運動も、この先は必要かも知れない。



資料 反アベ大集会

「これほど戦争を身近に感じたことはない」

田中龍作ジャーナルより
2014年9月4日


 「アベ改造内閣」が昨日、発足した。秘密保護法、TPP、集団的自衛権、消費税増税……国民生活を破壊し、庶民を痛めつける政権がパワーアップしたのである。
 危機感を抱く市民たちが今夕、日比谷公園で開かれた「反アベ反戦集会」に結集した。(主催:戦争させない 1000人委員会/解釈で憲法9条を壊すな!実行委員会)
 司会を務める講談師の神田香織さんが口火を切った―
 「28年前から『はだしのゲン』の 語り を続けているが、これほど戦争が身近に感じることはなかった…」
 会場の日比谷野外音楽堂は通路まで人で埋まった。立錐の余地もない。
 婦人運動団体のメンバーで都内在住の72歳の女性に、安倍政権が進める女性政策について聞いた。「(今度入閣した)女5人はぜんぶ右翼。いくら女性だと言っても、もっと改善する精神を持った人を選んで欲しい」。女性は力を込めた。
「日本の武器がパレスチナの人々に向けられる」とプラカードの男性。遠き中東の地で日本が加害者になろうとしている。医療団体勤務の男性(50歳)は「安倍政権になっていいことは一つもなかった」と言い切る。
 「高齢者の窓口3割負担、混合診療解禁、介護保険サービスの切り捨てなど一気に改悪してしまった。そして人の命が大切にされることが憲法で保障されていたのに、集団的自衛権の行使容認を決めた。許せない」。
 作家の落合恵子さんは、高市早苗・政調会長(現・総務大臣)がヘイトスピーチ規制に かこつけて 国会周辺のデモを規制しようとしたことを舌鋒鋭く批判した―
「去年は秘密保護法で知る権利を奪い、今年は表現の自由を奪おうとしている。賢い不服従を貫こう…」。
 カンさんとノダさんもどうしようもない総理だったが、アベさんほどは国民を粗末にしなかった。
 低下しているとはいえ、前政権、前々政権と比べれば支持率は高い。マスコミ幹部との会食が効を奏しているのだろうが、いつまでも国民を騙せるものではない。


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