研究誌 「アジア新時代と日本」

第134号 2014/8/10



■ ■ 目 次 ■ ■

編集部より

主張 誰のための経済政策化かが問題だ

議論 防衛論議を起こそう 「戦争をしない国」の防衛論を確立すべき

時評 日朝新時代は必ず招来できる

随筆 2014年 原爆の日に 原爆の日に思う

資料 舛添都知事にかみつくヘイトスピーチ在特会と右翼記者




 

編集部より

小川淳


 三つの潮流のせめぎあい
 まもなく終戦の日を迎える。この69年の間、日本人が守り抜いてきた平和と民主主義がいま大きな危機を迎えている。国家秘密法制定、集団的自衛権容認、沖縄辺野古への基地移転の強行、原発再稼動などなど、これほどまでに民意を踏みにじる政権がいまなお一定の支持率を維持し続けているのはなぜか。
 市井の哲学者である内山節は、今の日本社会には大きく三種類の人々が存在していると見ている。(「変革の時代を生きる」世界」9月号)。三つの潮流とは、@高度成長とともに成立した戦後の価値観を守り続けたい人々、A強い国家を目指し、戦後を見直そうとする人々、B新しい社会を志し、その視点から戦後を見直そうとする人々の三つだ。この三つの潮流がせめぎあい、その分裂がより一層鮮明化してきたのが今の日本社会なのだと指摘している。
 第二次安倍政権が、A強い国家を目指し戦後(レジーム)を見直す人々―であることは言うまでもない。そのような考えの持ち主は今の自民支持者の中でもおそらく少数派ではなかろうか。にもかかわらず、支持率が下がったとはいえ、まだ不支持よりも支持の方が高い。この事実を私たちはどう見るのか。 
 その理由を、戦後の価値観を守り続けたい第一潮流と、強い国家を目指し戦後を見直そうとする第二潮流の「奇妙な一体化」が実現しているからであり、それが可能となったのは、経済成長を絶対視し、強い企業・強い日本経済を志向する考え方が一致しているからだ、というのが内山氏の見立てだ。
 この分析は正しいと思う。ただ@とAは「強い日本経済」では一致しても、集団的自衛権や秘密法など個々の政策で一致しているわけではない。第一を保守派、第二を反動派とするなら保守派は、安倍流反動派にあきらかに反対を示している。
 問題は、第三の潮流である(私たちを含めた)新しい社会を志す改革派が、反動派や保守派に代わる路線を提示できていないところにあるのではないだろうか。
 一回目の改革派の試み(民主党政権)は失敗した。その漁夫の利を得たのが反動派安倍だった。ならば、保守派も巻き込んだ反安倍潮流をどう作り出すのか。もう失敗はゆるされない。



主張

誰のための経済政策化かが問題だ

編集部


 安倍政権は、経済停滞の根因をデフレと円高に求めた。だから、物価上昇2%まで無制限の円増刷(量的緩和)と公共事業投資の大盤振る舞いをアベノミクス、第一、第二の矢として先行させた。それで、確かにデフレと円高は収まった。しかし、経済停滞は元のままだ。消費と設備投資は増えず、増えると予測された輸出の伸び率は輸入のそれを下回り、貿易赤字の増加に歯止めがかからなくなっている。その根底にある産業空洞化と鉱工業生産の落ち込みは一段と深刻さを増している。それが国民生活貧困化の広がり、地方、中小企業の衰退と一体に進行している。  安倍経済政策の失敗はもはや隠しようがない。経済停滞の根因を見誤り、対策でも大きな失策を犯している。それが何を意味するのか、どうすればよいのか、見てみたい。

■泥沼の経済停滞、その根因を探る
 なぜ安倍政権は、停滞の根因をデフレと円高に見たのか。デフレと円高が設備投資など企業活動の縮小、不活発化を招くからだ。それは事実だ。しかし、アベノミクスを実施しての現実はそれが根本要因ではないことを教えてくれた。
 今日、少なからぬ人が「資本主義の終焉」を唱えている。世界的に見られる利子率の低下、ゼロ金利、マイナス金利は、利潤率の低下、すなわち儲からないということを示しているからだ。資本主義は、儲からなくなったらお終いだ。そこで「終焉」の要因として挙げられているのが「フロンティアの喪失」だ。
 これまで資本主義はフロンティアを開拓して発展してきた。都市から農村、中央から周辺、植民地支配の拡大、そして電子・金融空間の開拓と。だが今や、そのフロンティアが地理的にも、金融的にも、もはや地球上のどこにも残されていない。だから、資本主義の終焉だというのだ。すなわち、覇権の終焉、即、資本主義の終焉ということだ。
 だが、資本主義終焉の要因として、さらに本質的なものがある。それは、「富の偏在」「経済不均衡」の極限的拡大だ。利子率ゼロ、利潤率ゼロは、「経済循環の滞り」から生まれ、「滞り」は、所得や地方・地域、大企業と中小企業、産業など「経済諸領域の不均衡」、「富の偏在」から生まれるということだ。
 弱肉強食の自由競争をその本質的あり方とする資本主義経済にあって、強者への富の集中、経済の不均衡は必然だ。独占的大企業への富の集中と相対的貧困率16・1%に及ぶ貧困化の進行、東京など首都圏と地方、地域との格差の拡大、等々が不可避的に生まれる。この富の偏在、経済の不均衡が循環を阻害する。
 経済も生き物だ。経済の均衡がとれていてこそ、ヒト、モノ、カネの循環がよくなり、循環がよくなってこそ、活力のある強く健康な経済になる。実際、大企業や東京だけに富が集中し、圧倒的多数の貧困化、中小企業、地方・地域の衰退が進行するところでは、消費も設備投資も滞り、実体経済が動かなくなり、有り余り行き場を見失ったカネは金融・投機市場に流れ込むようになる。
 資本主義終焉の要因としてもう一つ本質的なのは、技術革新、とくにこれまでの産業のあり方にパラダイムシフトを起こすようなコア技術開発の停滞だ。実際これまで、エンジン、デジタルといったコア技術の開発とともに、産業革命、情報産業革命が起こり、それにともない、新たな次元の経済大循環が生み出されて、資本主義は発展してきた。そのコア技術開発とそれにともなう基幹産業の転換が、今、完全に頭打ちになっている。その決定的要因が長期にわたるリスクの大きい研究を許さず、リスクを分散させた目先の成功ばかり追い求める経済の金融化、マネー資本主義化にあるのは少なからぬ識者の指摘するところだ。

■安倍経済政策、停滞から破滅へ
 デフレ、円高に経済停滞の根因を求めた安倍経済政策が経済不均衡やそれに基づく経済の金融化を正すものにならないのは言うまでもない。それどころかそれは、それら本質的要因を一層抜き差しならないものにしている。
 安倍経済政策でよく言われるのは、それが企業のためのものだということだ。事実、今年2月の施政方針演説で安倍首相が強調したのは、日本を「世界で一番企業が活躍しやすい国」にすることだったし、先に打ち出された新成長戦略のスローガンも「稼ぐ力を取り戻そう」だった。
 実際、安倍政権の経済政策を見ると、徹底して企業のためのものになっている。量的緩和策しかり、公共事業投資しかり、税制改革、構造改革しかりだ。
 だが、これら経済政策を具体的に見て分かるのは、企業は企業でも、それは大企業だし、米国大企業だということだ。無制限の円増刷、量的緩和による円安やそれに基づく公共事業投資の大盤振る舞いは、主として輸出大企業など大企業、米国大企業に利益をもたらし、それにともなう株高で米国大企業などにも大歓迎された。
 税制改革でもそうだ。消費税引き上げで困るのは、国民大衆とともに、増税分をそのまま製品価格に上乗せできず、自分が被ることになる中小企業であり、法人税引き下げで恩恵を蒙るのは、もともと控除されている中小企業ではなく、大企業であり、これから進出してくる米国超巨大独占体だ。雇用や農業、医療、そして国家戦略特区創設など、規制緩和・撤廃による成長戦略でも同じことが言える。利益を得るのは、圧倒的に大企業であり、米国超巨大独占体だ。それは、TPPによる規制撤廃でも同様だ。
 これら「世界で一番企業が活躍しやすい国」への転換は、大企業、米国独占への富の集中を一段と促進し、経済不均衡と経済の金融化、投機化を最悪の事態に追い込む。だが、生まれる事態はそれだけでない。それは、何よりも、米国大企業の日本への進出、日米経済の融合、一体化を推進し、日本経済の米覇権回復戦略の先兵化を促進する。すなわち、日本経済を動員しての途上国への経済浸透、失われたフロンティアの取り戻しだ。この覇権回復、フロンティア奪回の戦略が日本の軍事力動員と一体なのは言うまでもない。安倍政権は、この米覇権回復戦略の下、何を狙っているのか。それが自らの覇権回復であり、フロンティアの取り戻しであるのは明らかだ。
 日本にとってそれは、経済循環の破綻に止まらない。有り余った膨大なカネは、世界的な経済の金融化、投機化へと流れ込み、リーマンショックをはるかに上回る大金融恐慌に巻き込まれるようになる。その行き着く先は、米覇権回復戦争の先兵としての破滅でしかないだろう。

■日本のため、国民のための経済政策を!
 経済政策でもっとも重要なことは、それが誰を中心に置いた誰のための経済政策かということだ。米国、大企業を中心に置いた、米国のため、大企業のための安倍経済政策は破滅の経済政策だ。
 日本の経済政策を推し進めるためには、何よりもまず、米国ではなく日本をその中心に置かなければならない。門戸を世界に開くからといって、無制限に開国し、日本経済が米国経済に組み込まれるようになってはならない。そうなれば、日本経済が米国の覇権回復戦略のために使い捨てられるようになるばかりでなく、日本経済の均衡的発展もコア技術の開発も図ることができなくなり、最後は循環破綻に陥る以外になくなる。
 重要なことは、どこまでも国民経済を経済の基本単位とし、国民経済の均衡的発展を図るとともに、コア技術の開発など技術革新を大々的に促進することだ。
 そのために決定的なのは、経済政策の中心を大企業ではなく国民に置き、国民のための経済政策を実施することだ。所得や地方・地域、企業や産業など国民経済のあらゆる領域で均衡的発展を図ろうとすれば、弱肉強食・自由競争の市場を基準に経済政策を決めるのではなく、国民の意思と要求、すなわち民意を基準に民意にそった経済政策を実施しなければならない。そうしてこそ、民意の要求に合うように、税と社会保障、公共事業投資、金融などあらゆる部門、領域の経済政策を総動員し、国民経済の均衡的発展を図ると同時に、長期的視野で世界に先駆けるコア技術の開発など技術革新とそれにともなう産業転換を促し、経済の循環をもっとも力強いものにしていける。
 そのためには、何としても安倍政権を退陣させ、徹底的に民意に基づく新政権を樹立することが必須だ。急がば回れ。「市場ではなく、民意がよいと言うことがよいことだ」を旗印に、民意を基準に民意を具現するもっとも民主的な経済主権の確立、それこそが安倍経済政策の破滅から日本を救う唯一の処方箋だと思う。



議論 防衛論議を起こそう

「戦争をしない国」の防衛論を確立すべき

東屋 浩


 前々号にてU・K氏が、一国で国を守ることができ、今日の脱覇権時代において自衛の名による戦争を一切否定し、領土・領海内だけの撃退戦を行える自衛力を持つようにすることが、憲法九条に合致した防衛戦略であると述べている。
 今号では、「戦争をしない国」を実現しようとするとき、そのための防衛戦略が必要だということについて述べてみたい。
 「戦争をしない国」のためになぜ、防衛戦略が必要なのか?
 安倍首相が集団的自衛権行使容認の閣議決定を強行したことに対し、国民の怒りと不安の声が大きく上がっている。日本を戦争できる国にするのか、戦争をしない国にするかの大きな分岐点にあって、国民は「戦争をしない国」を切実に求めている。
 一方、尖閣列島などの領土問題、朝鮮半島の緊張、米中間の対立が高まるなかで、日本の防衛についての関心も非常に高まっている。安倍政権は意識的に緊張状態をつくり、こうした防衛問題に対する不安と関心の高まりを利用して、集団的自衛権行使容認閣議決定を強行し、「戦争できる国」への道を開いてしまった。
 こういうなかで、「戦争をしない国」をめざす側が、「戦争をしない国」としての防衛戦略をもたなければ、日本の防衛について不安と関心を抱いている若者をはじめ多くの人々を「戦争をしない国」側に結集することができなくなる。
 反戦護憲勢力側が国の防衛戦略をもつべきというと唐突かもしれないが、「戦争をしない国」という国の在り方を言う以上、その防衛戦略を明示しなければ言葉に終わってしまうからだ。
 安倍政権が「戦争できる国」の防衛戦略を声高に主張しているもとで、「戦争をしない国」の防衛戦略を打ち出してこそ、「戦争できる国」を阻止し「戦争をしない国」を実現するための闘いを力強く推し進めることができると思う。
鍵は自衛戦争を前提とするか、否定するかだ。
 言うまでもなく、自国の安全を守るための自衛戦争そのものは国際法的にも認められている。しかし問題は、これまで「自衛」を名目で侵略戦争が行われてきたことである。
 かつて日本軍国主義がアジア諸国に対する侵略戦争を行った口実も、日本の安全、自衛のためということだった。東西冷戦時代、アメリカが日本を基地にして朝鮮戦争やベトナム戦争を行ったのも「共産主義の脅威から守る」ということであった。
 今日、中国の膨張政策と朝鮮の突出など東アジア情勢の緊張を言いながら、そのための自衛を理由に「戦争できる国」にならなければならないとしている。8月5日公表された「防衛白書」では「自衛のための武力の行使」を主張し、それが「国際法上は集団的自衛権が根拠になる場合がある」とまでしている。つまり、これによって、「自衛」のためにアメリカとともに「戦争できる国」になったというのである。
 結局、自衛戦争を前提にしている限り、「戦争をする国」になるのである。
 周知のように、憲法九条の「国際紛争を解決する手段として武力行使をおこなわず、そのための戦力の不保持と交戦権放棄」というのは、たとえ「自衛」のためであれ、どんな名目であれ、他国との紛争において武力行使をしないということを明示したものである。
 制定時、この戦力をもたず交戦権を放棄し、他国との戦争をしないという平和憲法を、日本国民がこぞって賛成支持した。憲法は、日本が平和国家として再出発し、アジア諸国と手を握って平和なアジアを作っていくための重要な担保となった。
 これまで、日本に対する評価があるのも、日本が欧米諸国と異なり各国の紛争に軍事力をもって介入せず、戦闘に参加していないことであった。
 自衛戦争を前提とするのか、それともそれを否定するのかが、「戦争できる国」と「戦争をしない国」の分かれ目となっている。したがって、まず自衛戦争を否定することが、「戦争できる国」を阻止し、「戦争をしない国」となるための根本理念となる。
「戦争をしない国」の防衛戦略とは
 第一に、撃退武力を保持し強化することである。
 自衛戦争の否定を根本にして防衛戦略を考えるとき、では日本が外敵から侵略されたときどう守るのかという疑問に答えることがもっとも重要になる。
 この問題の解決方法は、自国領海、領空、領土に侵入してきた敵対勢力を自国領域内で撃退することである。そういう意味で他国にまで攻撃しうる自衛戦争と区別して、撃退戦ということができる。
 自国領域内での撃退戦は自国と国民を守りぬく正義の戦いであり、撃退武力を準備し全国民が戦う態勢をとっておれば、どんな強力な敵にたいしても日本を守っていくことができる。侵略者がかならず滅びるというのは歴史が示している真理である。
 海外に派兵することのないこの撃退武力をしっかり築いてこそ、アジア諸国に脅威を与えることがなく、かつ、自国を守るという使命を果たしていくことができる。
 そのためには、事実上、米軍指揮下にある自衛隊を、日本と日本国民を守るための撃退武力として改編していかなければならないだろう。
 第二に、東アジア諸国との平和友好関係を築いていくことである。
 東アジアは朝鮮半島の分断、中国とアメリカの対立など戦争が勃発する危険性をかかえており、これに対して日本が各国との平和友好関係を確立し、強化していけば、武力衝突と戦争を防止していくことができる。
 ところが、安倍政権はいたずらに緊張を作り出してきた。これまで竹島、尖閣列島についても今日のように問題にならなかった。領土問題も、相互尊重と理解を旨とし、双方が納得ゆくように平和的方法で解決していくことである。
 アメリカと中国との対立も、日本がアメリカに加担していくのではなく、日本独自の「戦争をしない国」としてアジア諸国との平和友好関係を確固と築いていけば、東アジア諸国の信頼を受け、日本の平和を確固としたものにすることができるはずだ。
 第三に、日米安保体制そのものを検討していかなければならない。
 日本の防衛を撃退武力により保障していけば、日本に米軍基地をおく理由がなくなるからである。
 かつて東西の冷戦時代には、日本がアメリカに基地を提供し兵站基地、後方基地としての役割を果たして、日本を守ってもらうということで当時日米安保の意義を見出していた。今日においても、日本に米軍基地があることが、中国や朝鮮に対する大きな抑止力になっているという見解がある。
 その米軍の防衛戦略も自衛戦争を前提にしたものであり、「自衛」という名で相手国への攻撃(核を含めて)を行うものとなっている。その結果、中国や朝鮮など相手国との戦争が起こり得、当然、米軍基地のある日本も巻き込まれるようになる。日本は米軍とともに戦闘に参加し、同時に、日本本土が攻撃され国民が被害を蒙るようになる。
 つまり、米軍基地の存在は抑止力になるというよりは、自衛戦争の名の戦争の要因になっているのが現状ではないだろうか。
 自衛戦争を否定し、撃退武力を築いて日本を守り、周辺国との平和友好関係を強化していくことにより日本の安全と平和を保障していく以上、日本にとって米軍基地の存在意義は変わる。
 つまり、安倍政権のように共に戦争して「対等」になるのではなく、日本が「戦争をしない国」として日米関係を新たに築いていくことである。
 「戦争をしない国」を切実に願い実現していく国民の闘いの先頭に、護憲平和勢力が立っている。
 これまで護憲勢力は、「9条擁護、反戦平和」を掲げ、歴代自民党政権の対米従属と軍国化、海外派兵と米軍基地に反対して闘ってきた。
 今や、「戦争できる国」を阻止していくためには、「戦争をしない国」の防衛論を考え、その防衛戦略を確立し、防衛政策を具体化していかなければならないと思う。
 その核心となるのが、自衛戦争の否定である。
 それにもとづく防衛戦略、防衛政策を護憲勢力をはじめ平和を願う国民がもってこそ、「戦争をしない国」を実現していく闘いを大きく前進させることができるであろう。


 
時評

日朝新時代は必ず招来できる

平 和好


 安倍首相の政策は最低最悪だ。秘密保護法を作ってしまった。集団的自衛権はおろか、集団安保で「どこでも戦争できる」国にしようとしている。極右を勢いづかせたのは自身の歴史観で中国・韓国との対立を煽ったことによる。アベノミクスは無理矢理に好況を演出する「覚せい剤的バブル経済」に過ぎない。対米自主を装いつつ、内実は最悪の従米だ。原発再稼働・輸出という取り返しのつかない惨事を将来招く暴挙をしようとしている。これら全て、世論の過半数が反対しても強行するという「独裁」そのものだ。
99.9%悪い政治の中で、しかし、「日朝ピョンヤン宣言の精神で」「拉致問題の解決へ」「朝鮮と対話を始めた」ことだけは評価するべきだと考える。「日朝国交樹立」まで展望しているからだ。「落ちた支持率を回復するためのパフォーマンス」との見方もあながち否定できないが、朝鮮との周到な同時発表、朝鮮の調査委員会への肯定的評価、制裁の一部解除実行などを見ると、既に現時点だけでも、民主党政権を上回っている。安倍独裁が良い方に作用した唯一の例とも言えるだろう。
 我々日本の人民は過去の政権が成し得なかったこれらを率直に評価するべきだと考える。警察職員を含む日本政府実務者が北京の朝鮮大使館に入り、金日成主席・金正日総書記の大肖像画が見下ろす会議ホールで会談をしている光景を「安倍極右報道機関」のフジ産経グループが「立派な会議室」とのコメント付きで報じている。ピョンヤンの日常風景を客観的に報道したフジテレビ映像も象徴的だった。
 我々は、安倍政治の0.1%の善政であるこの動きを歓迎し、「日朝ピョンヤン宣言に基づき」「日朝の全課題について率直かつ誠実に話し合い」「在日朝鮮人の地位が守られるよう」そして「制裁の全面解除」「国交樹立」へ進むよう日本でも世論喚起に全力を尽くす時であろう。「全日本人の問題の解決」もこの巨大な動きと連動せざるを得ない。
  菅官房長官が「人道目的の船は解禁」と言ったのは、今まで日本政府が「非人道的制裁」を行ってきたことの証明だ。在日朝鮮人と朝鮮の公務員の自由往来、朝鮮学校への補助金復活・高校授業料無償化の遡及的適用、万景峰号の入港許可、直行航空便の復活、日朝貿易の復活などは直ちに実行されるべきだ。それをしてこそ、朝鮮側の「調査」も身と心が入ったものになるだろう。安倍首相も言うように「行動対行動」なのだ。
 すでに日朝友好団体のいくつかも「日朝協議を進め国交樹立へ全力を」という声明・申し入れ書を政府に出している。そして安倍首相がいくら最悪の政治思想を持っていても現実には、東アジア平和共同体構築に協力する方に、つまりは良い結果の方に長い目で見て引きずられるだろう。歴史のうねりはそんなものだ。それを我々は素直に積極的に関与・先導・協力する力を持っているし、また全力で関わらねばならない。
 「やる気があれば何でもできる!」奇しくも猪木参議院議員と小泉元首相が同じことを叫んでいる。全くその通りだ。付言すると、この度、猪木議員がピョンヤンへ連れて行った中には松浪健太という元産経記者の維新議員が含まれているのだ。自民党・民主党・社民党・共産党議員が一人もいないのは残念至極だ。
 ところで京都のSさんが力説されたように、日韓条約以後に巨額の援助金や円借款が無償・有償で韓国に注ぎ込まれたが日本経済はその後、何倍もの貿易黒字で潤い、日本経済の超飛躍につながった。豊富な鉱物・農水産資源、発展めざましい軽工業製品、徹底したエネルギー国産化と、教育度が高く勤勉で清潔好きな労働力があふれる朝鮮と互恵平等の友人になれば不類の利益を日朝双方にもたらすことになる。朝鮮のためだけでなく、日本の国益に大いにかなう日朝国交樹立の日は必ず来る。国交正常化への妨害はまた激しくなっている。しかし、極右の犬は吠えても歴史は進む。楽観主義の旗を高く掲げ、左右の垣根も越えて力強く前進しよう!



随筆 2014年 原爆の日に

原爆の日に思う

金子恵美子


 今日は原爆の日。朝ラジオを聴きながらイマジンしました。
 前日に「原爆の絵」という番組をテレビで見ました。絣のモンペを着た女学生らしい死体が河口に流れついているのを見つけた男性。しかし原爆投下以降あまりに夥しい死体を見たため人間的感情が麻痺し、死体を見ても何も感じられません。毎日、毎日海へ流されてはまた河口に押し流されてくる女学生の死体。そのたびに手がもがれ足がもがれ、ついには首も亡くなり河口から姿を消します。海へ流されていったのだろうと思っていたところへ、10日目に胴体だけになった死体が河口に戻ってきていました。男性は「あーこの遺体はよほど自分に葬って欲しいと思っているのだなあ」と思い、穴を掘って葬ってあげます。その時初めて男性の目からは涙が流れ落ちたということです。
 この10日間の女学生の変化を、もう90歳前後になっている男性は初めて10枚の絵に書きました。このテレビ番組では他にも多くの原爆投下直後の広島の様子を描いた絵を紹介していましたが、私にはなぜかこの鉛筆かボールペンだけで簡単に書かれた絵が印象に残り、今朝のラジオを聞きながらその女学生の姿が目に浮かびました。
 そのもぎ取られた足で行きたい所もたくさんあっただろう、そのもぎとられた手でどんなにか大きな夢を掴みたかったか、愛する人の腕にそっと廻す手、愛しいわが子の頭をそっと撫でる手、その失われてしまった目でこれからどれだけたくさんの世界を見ようとしていたことか・・・。あまりにも理不尽に奪われた命。その瞬間に奪われた13万の無辜の命。その後に時間をかけて別な苦しみを背負いながら亡くなった13万人の方々。今もその命は奪われ続けている。
 原爆はキノコ雲に象徴されるような無機質なものではなくて、もっともっとナマナマしく、惨たらしく、まさに地獄そのものであったのです。戦争を終わらせるためだったとか、その数倍の命を救ったとか、そこにどんな理由をもってきようとも、その行為は絶対に正当化、肯定化などできるしろものではないのです。また実際に原爆はそんな理由で投下されたのではなく、まさにアメリカで開発された人類初の原子爆弾の威力やその結果を試すところにその目的があったのです。その証拠に原発投下以降の経過資料をアメリカは緻密に収集、分析しています。
 女優の吉永小百合さんが今日の新聞紙上で「日本人だけはずっと、未来永劫、核に対してアレルギーを持って欲しい」と述べています。原爆から生まれ「平和利用」という白いベールを被された「原発」も本質的には原爆となんら変わることのない人類とけっして共存することのできない「悪魔の火」であったことを証明した福島原発事故。その再稼働と海外への売り込みの先頭に立っている安倍首相が「原爆の日」の広島の演壇にたって述べる言葉は少しも心に届くことのない空虚なものでした。
 私は、日本人として前述の女学生の苦しみ、無念を心にしっかり刻み、核のない日本、核のない世界のために、「原発ゼロ」の実現のために、行動してゆきたいと「原発の日」に誓いを新たにしました。
 43年ぶりの雨の「原発の日」。「あやまちは繰り返さない」という原爆の碑の誓いと逆行する今の日本に対する天の怒りの涙、犠牲になった人々の悲しみの涙が雨となって降り注いだように私には思えました。安倍首相は雨合羽を着て挨拶していましたが、この雨にしっかり濡れて欲しいものです。



資料

舛添都知事にかみつくヘイトスピーチ在特会と極右記者

「社会運動情報・阪神」より


 私は都知事選挙で、自民党が支持する舛添なんかを知事にしてはいけないと思い、細川さんを応援した。その思いは変わらない。
 しかし、この間の舛添都知事の政治姿勢は一定の評価ができると思う。集団的自衛権についても、憲法についても、自民党安倍政治を実質批判した。そしてこのたびの訪韓。18年ぶりに東京都知事が韓国を訪問したのだ。ヘイトスピーチの親玉みたいな石原慎太郎では絶対にできなかっただろう。
 舛添都知事は朴槿恵大統領と会談した。友好を保ちたいと言う安倍首相の親書を持って行った。朴大統領は、安部親書に対して「日本が正しい歴史認識を持つことが友好の前提ですから努力を」と言った。民主化勢力や労働運動に血の弾圧をやりまくって、とても許しがたいが、この発言だけは正しい。また、そのあと、民主化勢力に属する朴元淳・ソウル市長とも会談した。これに対し、極右、特に在特会などのヘイトスピーチ勢力が騒ぎ立てている。
 在特会あるいはその同類のブログが一斉に舛添批判をし出した。そこへ極右の主張を持つ記者が都知事の定例会見にかみついた。産経のWEB版が詳しく(というか執拗に)載せているので産経の記者なのかもしれない。
 「ヘイトスピーチと言うが韓国の反日デモこそ、天皇陛下や日の丸を侮辱するヘイトスピーチであり、日本のヘイトスピーチはそれへの反撃だ」などと正当化し、舛添知事にかみついたのだ。韓国の態度が悪いからヘイトスピーチは仕方ない、とでもこの記者は言うつもりなのだろうか?
 内容と見出しのでたらめぶりが目立つ極右らしく、その記者は「知事は日本人の90%が韓国好きと言ったが」と質問。これに舛添知事は「事実が違います。ヘイトスピーチを支持する記者さんは1割もいないでしょう、と申し上げたのであってそれを90%が韓国好きなどと歪曲するのは・・・」と切り返したのだ。極右のやり口は、1%の事実に99%のウソを塗りたくってデマ宣伝をしまくる事。
 冷静に言い返した都知事は極右記者より正しい。都庁にたくさんの抗議が来ていると、産経WEBは事実検証抜きの見出しを掲げ続けているが、極右のブログを見たらこの連中が抗議を出すよう呼びかけているのが丸分かりだった。それを世論であるかのように「報道」するマッチポンプ新聞に、今度はヘイトスピーチ新聞と名前をつけてあげよう。そうそう、週刊ヘイトスピーチも存在する。
 こんなくだらない奴らの扇動に乗らず、頑張れ舛添!の声を今回だけは上げておきたい。

※       ※       ※

 さて、今日も右巻きブログは舛添叩きに熱中している。「都庁に抗議のメールが6千も来た」と大見出しで書いている。え?!都庁には1万を軽く超える意見が寄せられていると一昨日の報道にあった。必死に極右が舛添都知事への抗議を組織的に煽っているのに対し、擁護する左派ブログは当方ぐらいという孤立無援の状況で半数の人は舛添都知事の日韓友好を支持していることになる。
 この阿呆な極右ブログは「舛添知事が、日本人の90%は韓国好きと発言」などというデマを大きく書き立てている。もう一度言ってやろう、舛添都知事は「ここにいる記者の皆さんのうちでヘイトスピーチに賛同する人は10%もいないでしょう」と言ったのをねじまげて極右がデマ宣伝しているのだ。
 リコールで舛添潰し!と気勢を(奇声を)上げているがそんな取り組みをするほどの情熱もないくせに。悔しかったらやってみなさい。
 昨日は福田元首相(私はあなた達とは違うんです、と謎の発言をして消えた人。懐かしい!)が中国を訪問し、習主席と会談したようだ。これにも極右・在特・産経たちが噛みつくだろうが、気にせず、アジア平和共同体を実現し、戦争待望論者どもの野望を中・韓・朝・台の平和的話し合いの機運を日本が率先して醸成する活動で打ち砕こう!


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