研究誌 「アジア新時代と日本」

第132号 2014/6/10



■ ■ 目 次 ■ ■

編集部より

主張 今、世界は19世紀ではない

議論 「今や一国では守れない」、だから集団的自衛権なのか?

日本民族史の視点  鎌倉武家政権の意義 上から理念をあてはめるのでなく現実に即して

映評 『60万回のトライ』を観て

時評 "変革の歌"が歌い継がれる

資料 集団的自衛権、岐路に立つ「平和の党」




 

編集部より

小川淳


 決定的な「分岐点」
 今から54年前の1960年6月、都心は騒然たる雰囲気に包まれていたという。自民党の岸信介が米国との間で結んだ安保条約改定を国会に上程、これに対する広範な改定反対運動が燎原の炎の如く燃え広がったからだ。国会周辺は全国から集まった人々による講義デモで埋め尽くされた。いわゆる60年安保闘争だ。
 6月15日には、全国で580万人のストライキが行われ、11万人が国会周辺につめかけたという。夜には学生デモ隊が国会に突入し、樺美智子さんが犠牲になった。しかし、岸政権は6月19日に安保条約改定を強行し、23日に批准、発効となった。
 それから54年後のこの6月、岸信介の孫の安倍首相が、解釈改憲によって集団的自衛権容認を強引に推し進めようとしている。しかも改憲というきちんとした手続きを踏まない内閣による憲法解釈という何とも姑息な手段で。これだけ批判や広範な国民の反対の声が巻き起こっているにもかかわらず、安倍首相は何が何でも6月22日の通常国会会期中での閣議決定を強行する姿勢を崩していない。それに抵抗する公明党とのぎりぎりの攻防が続いている。「専守防衛」か、それとも「戦争のできる国」か、60年安保改定と同じく、戦後の決定的な分岐点に私たちはいま立っている。
 60年安保闘争は、日本が米軍に基地を提供し、米国の世界戦略に日本が組み込まれることを許したが、その後の憲法9条下での「専守防衛」という「最後の一線」は守ってきた。国民がそれ以上は許さなかったからだ。言い換えるなら国民が安保条約をかろうじて許したのは、それが日本の防衛のためにという一点からだろう。
 しかし、今の集団的自衛権は、「専守防衛」という最後の一線を踏みにじり、アメリカの要請に応えアメリカを守るために日本を「戦争をする国」にするためのものだ。そのような集団的自衛権容認は絶対に許してはならない。
 なぜ安倍首相は集団的自衛権容認をかくも急ぐのか。「支持率が高い今の内に」という狙いがあるからだ。時が経てば経つほど国民の間に反対の声が高まっていく。この機会を逃せば、永遠にチャンスはやってこないという焦りに他ならない。こんな政治の横暴は絶対に許してはいけない。



主張

今、世界は19世紀ではない

編集部


 「19世紀への逆戻り」が今盛んに言われている。「武力による領土争奪戦」、それがその根拠だ。ウクライナしかり、南シナ海、尖閣、竹島しかりということだ。
 だが、はたしてそうだろうか。今日の領土問題と19世紀のそれとは同じものなのか。同じだとする議論の裏には何か意図的なものを感じる。集団的自衛権行使の容認だ。武力による領土争奪戦、覇権抗争が横行する時代に、自分一国だけで国を守り平和を守ることができるかということだ。
 こうした議論に対してまず言わねばならないのは、時代認識の誤りだ。世界は19世紀に逆戻りしたのではない。では、今はどういう時代なのか。そして、現時代の要請に応えるためにはどうすべきなのか。議論を提起したい。

■「武力による領土争奪戦」
 このところ連日、きな臭いニュースが飛び交っている。内戦状況のウクライナ。南シナ海での中国とベトナムの衝突。それらには皆、領土問題が絡んでいる。
 ウクライナでは、クリミア半島のロシア編入、そして東部ウクライナの独立、自治強化、ロシアへの編入だ。前者は、百%近い住民投票に基礎し、すでに落着した。後者はまだだ。決着が付かぬまま、泥沼の内戦に陥る様相を呈している。
 この深刻な事態に対して米欧は、これをロシアによるウクライナ領土の強奪だと非難し、それへの懲罰、経済制裁をかけている。そうした中、日本のマスコミはこれをどう見ているのか。それは、一言でいって、「覇権抗争」だ。ウクライナは、今、米欧とロシアの間の覇権抗争の舞台になっている。それが彼らの見方だ。
 さらに「領土争奪戦」と言えば、それに劣らず問題にされているのが東アジアだ。日中間の尖閣諸島問題、日韓間の竹島問題、そして、今焦点になっている中国とASEAN諸国間の南シナ海問題だ。とくに中国・ベトナム間では、それが両国船舶の衝突事件にまで発展している。
 世界的に広がるこうした事態の発展にあって、問題は、それが「武力による領土争奪戦」「覇権抗争」として捉えられ、「19世紀への逆戻り」が強調されていることにある。はたして、ことの本質はそこにあるのか。それが強調されるのはなぜか。議論の核心となるべきはそのことだ。

■覇権抗争ではない。反覇権民意による闘いだ
 先述したように、ウクライナ事態に対するマスコミ論調で目に付くのは、これを米欧対ロシアの覇権抗争と見る視点だ。確かに、ウクライナ「新政権」は米欧の支援を受けている。さらに言えば、親露政権、ヤヌコビッチ前政権打倒の国民運動のときから、カネで失業者を釣ってデモ隊列を増強するなど、米欧のバックアップを受けていた。一方、クリミアや東部ウクライナ住民の闘いは、単なる独立や自治を要求してのものではない。ロシアへの編入を掲げ、求めている。事実、クリミアの場合、それは既成のものになった。
 これだけ見れば、ウクライナの事態発展は米欧とロシアの覇権抗争の様相が濃厚だ。だが、こうした見方にあって決定的に欠落しているものがある。それは民意が果たす役割だ。それを見ていない。ヤヌコビッチ政権打倒で決定的役割を果たしたのは、政権の対露従属と腐敗に反対した民意だ。この民意があって、それを煽り立てた米欧の策動があった。その逆では決してない。一方、クリミアでは、米欧寄り「新政権」に反対しロシアへの編入を求める住民の9割を超える圧倒的な民意があった。もし、これがなければ、プーチンも「編入」を宣言することはできなかったはずだ。その証拠に、東部ウクライナでは、「自治の強化を望む」旨の要望がロシアから出されている。ロシア系住民が6割のこの地域で、「編入」を求める民意がクリミアほどではないからだ。
 では、東アジアではどうか。尖閣や竹島への領有権は民意によって求められたのか。そうではない。火をつけたのは、石原慎太郎であり李明博(韓国大統領当時)だ。韓国ではそこから竹島をめぐる反日の民意に火がつき、尖閣をめぐっては、まず、石原や野田政権により、島の買い取り発言がなされ、それが強行された。中国の反日民意に火がついたのは、こうした暴挙によっている。日本で「嫌中憎韓」の動きが強まるのはそれからだ。
 南シナ海では、国境紛争が長年くすぶり続けてきた西沙群島で中国による原油の掘削探査が強行され、それに反対するベトナム船の現場への接近、その排撃のため脅しをかけた中国船との衝突が起きた。それに端を発して、事態は中国の横暴に憤激するベトナム国民の反中反覇権の大デモと中国関連企業への焼き討ちへと発展した。
 ウクライナや東アジアにおける領土問題を見てはっきりしているのは、それらが19世紀の列強による領土分割、再分割とは本質的に異なっているということだ。そこでは民意が果たす役割が決定的に大きくなっている。ウクライナでも東アジアでも、起こっているのは、米欧やロシア、米国や中国、日本などの覇権的行為やその横暴に反対し憤激する反覇権民意による国境線をめぐっての闘いだ。

■鍵は互いの民意に応えることだ
 にもかかわらず、今日の領土問題がその争奪戦の様相を呈しているのはなぜか。それは多分に、米欧などが反覇権の民意を利用しているのと関連している。ウクライナで反露反覇権の民意を煽って「新政権」樹立を後押ししたのも、南シナ海でASEAN諸国の反中反覇権の民意を煽り国境紛争を激化させているのも、そして中国や韓国の反日反覇権の民意を煽っているのも、すべて、アジアと世界、至る所で米国が、各様各色の対立抗争を意図的につくり出しては、それに関与し、リーダーシップを誇示して覇権再構築を図っているからに他ならない。
 日本は、米国によるこの覇権再構築、「リ・バランス」戦略に二重に利用されている。一つは、集団的自衛権の行使を容認することによって、もう一つは、中国やアジアと自らの対立を激化させることによって。かくして、反覇権の民意を利用しそれを煽っての戦争に日本が動員される道が大きく開かれてきている。これが時代の要請に真逆に対応するものであるのは言うまでもない。
 今日、時代は覇権抗争の19世紀へ逆戻りしているのではない。それどころか、世界が覇権国家の意思ではなく、民意によって動く新時代、民意の時代の新しい発展段階を迎えている。ウクライナでも東アジアでも、事態の発展はすべて反覇権民意によっている。
 この時代発展の新段階にあって、問題解決の基本方法は戦争ではない。各国各政権が互いの反覇権民意を尊重しそれに応えて、国境線の資源共同開発など、懸案の問題を民意にそって解決していくことだ。そこに問題解決の鍵がある。

■日本国憲法実現の政権を!
 戦後、日本は、日本とアジアの反戦反覇権の民意を体現した憲法、交戦権否認、戦力不保持の日本国憲法を持つようになった。
 日本とアジアに「自由と民主主義の旗手」「解放軍」として乗り込んできた米国は、この民意を体現した戦争放棄、脱覇権の日本国憲法の制定を促す一方、日本とアジアの革命勢力、解放勢力を抑え、この地域への覇権を実現するため、日本をその一大基地、一大拠点に仕立て上げる日米安保条約締結に日本を導いた。
 脱覇権の憲法と覇権の安保、この完全に相矛盾する二大法体系が並存する欺瞞に満ちた戦後日本をつくり出した米国は、自らの覇権力が著しく衰退した今日、それを日本の軍事、経済的力を取り込んで補うべく、集団的自衛権の行使容認、TPP締結を日本に求めてきている。
 日本は歴史的岐路に立っている。米国の覇権再構築とその下での自身の対アジア覇権のため、集団的自衛権行使を容認し、TPPを締結するのか、それとも欺瞞的戦後体制に決別し、日本とアジアの反覇権民意に応えて、アジアとともに生きるため、その象徴として日本国憲法を高く掲げ、その完全実現を目指すのか、その選択が問われている。今日、民意の時代の新しい発展段階にあって、前者は時代と民意に敵対し、滅びゆく覇権国家、米国と運命を共にする戦争と破滅の道であり、後者は時代と民意の要請に応え、日本とアジア、そして世界の民意とともに進む平和と発展の道だ。
 今、「19世紀の世界」にあって、「19世紀の日本」を取り戻そうと狂い立つ時代錯誤の権化、安倍政権の政治がもたらす災厄は計り知れない。歴史的岐路にあって、民意の時代の民意の大典、脱覇権の日本国憲法の下、民意の要請に応える政権こそが何よりも求められている。



議論

「今や一国では守れない」、だから集団的自衛権なのか?

U・K


 5月15日に報告書を提出した安保法制懇の北岡伸一代表代行が、その趣旨説明をするテレビ番組などで「今や一国で国は守れない。一国で守れるのはロシアや中国くらい」などと述べながら、集団的自衛権行使容認の必要性を説いている。本当にそうなのか。

■一国でも国は守れる
 古来より、自分の国は自力で守るのが当然である。自力で国を守れないなら強国に屈服隷従して国を失うのであり、自力で守る決意と覚悟なしの国防論などありえない。勿論その上で他国と連繋していくというのはあった。それは「自力で守る」ことを前提にして、より有利な状況をつくるためであり、「守れない」から、そうするのでは決してない。
 したがって、「一国で守れない」から、米国に頼るかのような主張は、日本を米国の植民地にし、国を亡くすと言うに等しい妄言なのだ。

■憲法は一国で守れることを前提にしている
 日本国憲法は前文で「日本国民は…平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と述べている。それは、まさに自力で日本を守れるということを前提にしているということだ。
 この立場に立って、憲法9条は「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と武力による威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては永久にこれを放棄する」(第一項)とした。
 9条はこうすることで自衛の名による戦争ができないようにした。
 覇権のための戦争は、往々にして「自衛」の名で行われるもの。過去の日本のアジアへの侵略戦争はすべて「自存自衛」の名で行われた。
 だから9条は、国際紛争を解決する手段としての「戦争、武力威嚇、武力行使」を永久に放棄し、さらに交戦権否認、戦力不保持を規定したのだ。
 9条は、戦前、アジアを侵略し戦争をして破滅した日本の生き方に対する痛切な反省に基づき、覇権国家であった日本がもう二度とそうした道を歩まないという脱覇権の立場を鮮明にしたものだということが出来る。
 そうした脱覇権の立場に立った自衛はどういうものになるのか。自衛権はあっても自衛の名による戦争は認められない。そのためには、外国による日本への侵攻事態が生じた場合に、これを日本の領土(領海、領空を含む)の外に絶対出ることなく撃退する撃退戦を行うということだ。
 独力で侵攻を撃退するための撃退自衛力は、今の自衛隊のように米軍の指揮下で米国の軍事システムに依存するようなものであってはならず、日本独自の日本の国情に合った主体的かつ高度で強力なものでなければならない。

■脱覇権時代の今こそ、9条撃退自衛なのだ
 9条撃退自衛は、「一国で国を守る」ことを前提にしているが、まさに「今」、それが一層出来るようになっている。
 北岡氏が「今や一国で国は守れない」と言うのは、「今」を19世紀のような赤裸々な覇権抗争の時代のように見ているからだ。
 しかし、それは間違っている。北岡氏自身も述べているように米国の力は弱化しており、以前のような覇権的な振る舞いと策動は、化学兵器使用を口実にしたシリア攻撃が頓挫したように至るところで壁にぶちあたっている。
 すなわち米国覇権は崩壊したのだ。それを尻目に、世界の各地で大国に頼らず地域内で協力しあう脱覇権の地域共同体が力を強めるなど、脱覇権の流れが時代的な流れとして台頭しており、どのような大国もそれを無視することはできなくなっている。
 脱覇権の9条による撃退自衛は、今のこの脱覇権の時代的な流れに完全に合致しており、脱覇権時代の自衛の模範とも言えるものなのだ。
 日本が9条撃退自衛を実現強化する道に進めば、世界の国々から一層の信頼と共感を得るようになり、そのことによって、日本の存立、平和と安全はますます確固たるものになる。そして9条撃退自衛を世界各国が模範として見習うようになれば、日本の自衛もさらに一層強固なものとなる。
 「今や9条撃退自衛であってこそ、日本を守ることが出来る」のだ。


 
日本民族史の視点  鎌倉武家政権の意義

上から理念をあてはめるのでなく現実に即して

赤木志郎


 武士階級を基盤にした政権は、鎌倉幕府から江戸幕府まで約680年余りもの長期間、続いた。室町幕府は鎌倉幕府を模範としその諸機構を継承した。また戦国時代を経て全国を統一した徳川家康は、鎌倉幕府の歴史書「吾妻鏡」をもっとも研究し自ら頼朝の後継者と自任し江戸幕府を確立、運営した。それゆえ、武家政権をみるためには鎌倉武家政権を考察することが重要である。
 鎌倉武家政権は古代国家から新たな中世への時代的転換を拓いた。なによりもまず、現実に実権をもつ武士階級が社会を支配できる新たな統治機構を確立した。
 唐の強大化、高句麗と百済の滅亡に対処して作られた律令国家は、中国の政治制度を取り入れたものであり、土地も民も天皇のものでありその統治を受けるという中央集権国家であった。一見、強力な国家であるはずだが、その土台である公地公民制がすぐに荘園拡大によって崩壊していき、それを担った在地豪族・武士が武力をもって所領を握っていった。彼らの要求はその所領を安堵(保証)する実力をもった武士の棟梁を戴くことであり、それに応えたのが源頼朝であり鎌倉幕府であった。関東武士団は頼朝が京に上ろうとするのを公家など相手にするのでなく鎌倉に居座って幕府を強化する方が重要だと引き留め、奥州の藤原一族を攻めるに際しては朝廷の勅旨を得られなくてもそんなものは必要ないとした。
 そこには現実社会で支配している武士が公家政権(院政)の意向に関係なしに権力を行使すべきだという考え方が強く出ている。その拠り所が鎌倉幕府であった。頼朝が朝廷人事まで介入したときに「今度は天下の草創のときである」と叫んだように、鎌倉幕府は社会の実権を握る武士の新しい国家を創造していったのである。
 つぎに、律令を廃し、武家社会や民間での慣習を基準とした法律、「御成敗式目」を確立した。
 それまでの律令は中国からの模倣であり、すべての事例にたいする措置を明示した法典であるが、その難解な律令を誰も知らずに生活していた。それに対し、御成敗式目は現実の社会のなかで「武家の習い、民間の法」、誰もが認める「道理」にこそ法があるとして定められ、平易な日本風の文章で書かれた。「名月の出づるや五十一カ条」(芭蕉)と後代に歌われたが、「御成敗式目」は公家法の空論を排し日本の現実社会に根ざした法制史上の画期的な法であった。
 それはまた、農民を土地にしばりつけず、商品経済、貨幣経済の発展を促し、社会と経済を開放したことを意味している。鎌倉時代に市が生まれ、商品経済は室町時代にかけて大きく発展していく。それまでの京都、近畿中心から各領主のもとで全国の各地方・各地域の発展を大きく促すことにもなった。
 鎌倉武家政権は、それまでの律令国家のように唐の制度を模倣した律(刑法)令(行政法)によって上から国家と社会を規定したのではなく、現実に力をもつ武士階級が統治できるようにし、すでに慣習となっている「武家の習い、民間の法」を社会の法として確立していったようにいわば現実に即して国家と社会を作ったのである。ここに大きな特徴があり、注目すべき点があるといえる。 それが日本的な特色となり、日本の実情にあった社会発展の道をひらいたといえる。そのことがその後の経済と地方の発展、文化の発展、民衆の台頭をもたらした。14?16世紀、日本が世界の中でも強力かつ繁栄する国として光を放ったのは、鎌倉武家政権が日本の現実に即して人々の力を発揮しうる社会の骨組みを築いたからだと思う。
 このことは鎌倉宗教についてもいえる。それまでの国家鎮護宗教から民衆に直接、布教する民衆のための宗教が興った。その代表的なのものが念仏教の法然であり、それを継承した親鸞である。いっさいの自力による救済を否定し、念仏を唱えることによってどんな人でも救済されるという教義は、後に蓮如によって民衆の心を強くつかむようになった。他に鎌倉時代に現れた宗教家として禅宗の道元、法華宗の日蓮がいる。今日まで大きな影響を及ぼしているこれらの仏教が、この時代に作られた。それは社会の基本をなす民衆や武士を対象とし、その心をつかみうるほど内面的に深かめたからであり、そのことにより仏教が日本のものになったと言えるのではないだろうか。
 また、文化の面においてでも、「平家物語」などの軍記物語、運慶・快慶の仏像、絵巻物や似絵(肖像画)など写実的で力強さと豊かな人間味を特徴とする新しい武家文化が興った。室町時代にはそれが公家文化、民衆文化と融合し、能・狂言・茶の湯・生け花、書院造、水墨画など今日まで残る日本民族文化が形成されていったのである。
 現実に即する考え方、それはより民衆化を促し、日本独自のものを創造し、民族の発展をはかっていくようにする。鎌倉武家政権は日本民族史においてそのことを刻み込んだのではないだろうか。



映評

『60万回のトライ』を観て

森本忠紀(ハッキョ支援ネット・なら)


 映画の始めから終りまで涙が後から後から湧いてきて止まりませんでした。温かいものがずうっと目に溜まりっ放しでした。何がそれほど感動させてくれたんだろうと思います。今も数々の場面が目に浮かびます。ボールを抱えて疾駆する高校生ラガーマンの姿。試合を応援する女子高生の横顔。小学生の質問に答える、交流会の場面には心ほのぼのとなります。
 準決勝の対桐蔭高戦は声には出さねどスクリーンに向かってあらん限りの応援をしていました。でも、そんなどれもこれもが、とりたてて感動させようとして構成された場面では何らありません。というより自然体です。スクリーンに映し出されるのは、いま現に高校生である若者の、あるがままの動き、あるがままの姿、あるがままの表情です。それが次々に連続してスクリーンに映し出されると、観るものはなぜかくも心熱くなり、涙がいっぱい湧いて止まらなくなるのでしょうか?そこにこの映画の秘密のすべてがあります。
 それはこの映画を撮っている監督朴思柔さんが感動しているからです。朴さんの目に映ったもの、朴さんが感動したものがそのまま映像として表現されています。あるがままを撮った映像とは、すべて朴さんが感動した情景、感動した姿、感動した表情です。
 映像を観て涙がじんわり溜まるとき、実は朴さんの感動が観る側に伝わっているということに他なりません。画面に感動しながら同時にぼくは監督朴思柔さんにいたく共感していたのです。何ともさわやかで心温まる映像から受ける感動、そこにカメラを向ける監督朴思柔さんへの共感という二重にホットな感慨にたっぷり浸った106分でありました。
 この映画は特別非凡な高校生の姿を伝えようとしたのではないというところに、一番の特徴があるとぼくは思います。大阪朝鮮高級学校ラグビー部は全国大会で優勝候補と目され、そしてベスト4になるようなチームです。そんなチームの選手とくれば、非凡で特別才能豊かな選手に違いないのですが、朴監督が追い続けたのは非凡な高校生ではありません。反対にどこにでもいる高校生、当たり前の高校生の姿でありました。そして映像として現れるのが何ら変わったところのない、普通の高校生であればあるほど、他の高校生にはないものが不思議と伝わってきます。普通の高校生にはない何か、当たり前の高校生にはない何か、画面を通して一貫して伝えられていたのは、これでした。それが、こんなに爽やかでこころ温かくしてくれるものの正体です。
 何かとは何でしょう。これこれだという風に言葉に置き換えることはできません。このドキュメンタリー自体が詩なんだと思います。散文でも物語でもない、詩的な映像表現として見事に結実したのが、『60万回のトライ』です。
 この映画はぜひとも日本の高校生に観てほしいと思います。ぼくは家が公立高校の通学路に当たっているので朝に夕に高校生を見てきました。高校生たちの若い、爽やかな、明るい姿を見るだけでしょっちゅう心リフレッシュさせてもらったものです。そんな彼らが、同じ高校生であり、そして知らない高校生の姿を初めて観てどんなことを感じるかとても興味あります。彼らは皆高校無償化に浴しています。そのこと自体、朝鮮高級学校の無償化除外に荷担していることになります。もちろん、そんなことを訴えたいために映画を観てほしいわけではありません。彼らの高校生活に、何か素晴らしい一つのことがプラスされるんじゃないか?そんな気がしてならないからです。
 高校時代の友人との交流は何ものにも替えがたい貴重なものです。そんなとびきり親しい友人を得ることに匹敵するほどに素晴らしいものを得ることができるかもしれない。そんな予感に似た胸の高まりをぼくは抑えることができません。この映画を観てぼくが得た感動はそんなにもぼくの心を動かしてやまないものです。



時評

"変革の歌"が歌い継がれる

林 光明


 少し前まで、オンエアー中の番組リクエストで流される曲に気に入ったのがあれば、ダウンロードでミュージックポットのメモリーに蓄積して通勤車内、職場の休憩時間、家でTVやPC、メールをしながら聞いていた若い世代は、今はその機能が殆ど集約されているアイフォン(スマホ)でLINEをしながら音楽鑑賞等が自然だそうだ。中高年には住み難い進化である。
 歌とは何だろう。ウィキでは、「声によって音楽的な音をうみだす行為であり、リズムや旋律をつけて歌詞等を連続発声する事」とある。又、文学における用語でもあり、勿論、和歌等も含まれるそうだ。人生や生活に対する喜怒哀楽を楽しく、悲しく、時には切なく、怒りの感情を心に込めて歌詞に託す…そう考えると、音楽史は人類の社会発展史そのものと言えるかも知れない。
 私の持論は、歌には"口ずさんでみたい"と思う衝動に駆られる、躍動的で鼓舞される詩文とリズムが大切だと思う。心身健康な人なら、他人を恨んで呪うような歌や明日にでも死にたくなりそうな歌は、進んで歌いたいとは余り思わないはずである。
 先日、ポール・マッカートニー氏が、ビートルズ時代を入れて六回目の来日を果たしたが、ウィルス感染による体調不良が治らず全公演を中止した。71歳の年齢を考慮しての最善の決断だったが、往年のファンのみならず、比較的若い世代も残念がっていた。48年前の初来日公演は、斬新な髪型だけでなく、全共闘学生にまで影響を与えた。その衝撃的なサウンドは、新たな時代の訪れを告げるような魅力ある旋律で、心躍ったと言う。
 ポールと言えば、有名な曲に「ヘイ ジュード」がある。レノン=マッカートニー作となっているが、実際はポールの作詞・作曲だそうである。世界各国でミリオンセラーとなって大ヒットしたが、そもそもは、ポールが長男ジュリアを励ます為に作った曲である。そして、その世界の国の中には、この曲を社会革命のモチーフにした国があったのである。
 この歌のメロディーが歌詞の内容を変えて、もう1つの別の「ヘイ ジュード」になっていた。チェコスロバキア(現チェコ共和国・スロバキア共和国)では、1968年からの革命を扇動する歌に姿を変えていたのである。歌姫のマルタ・クビショバは、旧ソ連が侵攻を始めた当時、ラジオで「Hey Jude」を聞いて、ソ連と闘う民衆の為に歌詞内容を変更した。
 「歌とは、今は圧政と闘う歌であるべき…」そう考えたチェコスロバキアの"ジャンヌ・ダルク"と呼ばれた彼女を、ソ連軍当局は捕らえて容赦ない尋問をした。
 だが、その取調べに対し、「あなた方の感じるままが私の答えです」と抵抗した。この為、出回ったレコードは全て回収され、以降も発売禁止となり、音楽界からも永久追放された。
 しかし、約20年後に東西冷戦の壁の崩壊後、プラハの広場に集結した30万人もの民衆の中に、帰還したマルタ・クビショバがいた。そして「ヘイ ジュード」を喜びと感動で高らかに歌ったのである。彼女は今も、チェコで歌い続けている。
 小中学生時代、音楽授業で「ドナドナ」という歌をうたった記憶がある人もいるだろう。元は東欧ユダヤの民謡歌だが、牛を追い立てる掛け声であるドナドナと、救いを祈る言葉の"ドナイドナイ(神よ、神よ)"を引っ掛けている。
 ある晴れた昼さがり いちばへ続く道 荷馬車がゴトゴト 子牛を乗せてゆく かわいい子牛 売られて行くよ 悲しそうなひとみで 見ているよ
 ドナ ドナ ドナ ドナ 子牛を乗せて 何も知らない子牛さえ 売られてゆくのがわかるのだろうか ドナ ドナ ドナ ドナ 悲しみをたたえ ドナ ドナ ドナ ドナ はかない命(歌詞は要約)
 以上の歌詞のうち、子牛は全て人間の子供の事である。実はポーランド生まれのユダヤ人が1940年に作詞・作曲した。"ドナイ"はヘブライ語の神を意味する"アドナイ"が語源である。その後にホロコーストが起こるが、ドイツとロシアに挟まれて迫害された民の悲しい曲が正しく日本に伝わらなかった。それはアメリカの仕業である。
 ベトナム反戦歌手ジョーン・バエズ氏が来日して、ユダヤ民族迫害の歴史と戦争の悲しさを訴えようとしたが、彼女を尾行してきたCIAが当時の日本のベトナム反戦気運に油を注がないよう日本人通訳を脅迫し、単なる「子牛」の歌に変更させた。この為、歌詞の本意が間違って伝えられてしまったのである。
 2009年まで忌野清志郎さんが率いて活躍したRCサクセションの反核・反戦の名曲「ラブ・ミー・テンダー」は、原子力関連企業の圧力で発禁となったが、3・11東日本大震災後に反核ソングとして定着している。ブルーハーツの唄う「青空」には、「神様に賄賂を贈り、天国へのパスポートをねだるなんて本気なのか」という歌詞があり、人種差別等のひどい事をする奴も、金を払えば許される矛盾した社会を痛烈に批判している。
 「イムジン川」は、作詞の原作は(北)朝鮮の音楽家である。"南半部に住む家族も北に来ればいいのに"という分断の切ない想いを綴った内容だが、GSのフォーク・クルセイダーズが「朝鮮半島だけの話じゃない」といって日本の歌にし、大ヒットさせた。
 歌は世につれ…と言うように、私たちの周囲には様々な歌が溢れている。TVやラジオ・学校・職場・ショッピングモール・飲食店等々、音楽の無い日常は考えづらいほどである。
 気楽に楽しく歌うメロディーや歌詞もいいが、時には作り手や時代の思想背景の込められた曲を聴いてみるのも、人生には必要な事である。



資料

集団的自衛権、岐路に立つ「平和の党」

(「沖縄タイムス」社説 2014年6月13日)


 「限定的」が付こうが付くまいが、集団的自衛権の行使を容認することは、国是の「専守防衛」の一線を越える安全保障政策の大転換につながる。公明党にとっても、結党時からの精神を揺るがす危機である。自らの存在意義を否定されてもなお連立政権にとどまるのか、決然と連立を解消する道を選ぶのか、重大な岐路に立たされている。
 自民党の高村正彦副総裁は13日に開かれた与党協議会で、自衛権発動を認める新たな3要件の「たたき台」を公明党に提示した。
 これまでの政府見解は、自衛権発動の3要件として(1)わが国への急迫不正の侵害がある(2)排除するため他の手段がない(3)必要最小限の実力行使にとどまる−ことをすべて満たしたときに個別的自衛権の発動を認めてきた。
 高村氏が提示したたたき台は(1)を「わが国または他国への武力攻撃が発生し、わが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆される恐れがある」を新たな要件とした。「他国への武力攻撃」が集団的自衛権の行使容認に当たり、憲法解釈に向けた閣議決定の「核心部分」である。「わが国の存立が脅かされ…」は1972年の政府見解で、結論は「集団的自衛権の行使は、憲法上許されない」だった。同じ見解から正反対の結論を導き出すのは理解できない。憲法改正手続きの要件を緩めようとした「96条改憲」は「裏口入学」といわれた。今回のたたき台はこれよりもっとひどいというほかない。
 公明党は1964年に結党。当初は日米安保条約、自衛隊の存在も認めていなかったが、81年の党大会で安保条約、自衛隊容認に転じた。
 公明党は綱領で「生命・生活・生存」を最大限に尊重する「人間主義」を掲げ、いかなる時代、いかなる社会にあっても、常に民衆の側に立つことをうたっている。
 公明党は「連立離脱は考えていない」と明言する。政府・自民党に足元をみすかされているのだ。与党協議の論議も生煮えのまま、結論を迫られる。これで民衆の側に立っているといえるのだろうか。
 集団的自衛権を認めるなら、「平和」を党是とする党への支持・信頼を根本から失いかねない。


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