どっちが「過去の人」?
東京都知事選に「脱原発」を訴えて立候補した細川護熙元首相と、支援した小泉純一郎元首相が5月7日、一般社団法人「原発ゼロ・自然エネルギー推進会議」を発足させた。原発再稼働の阻止と自然エネルギー導入の支援をめざすという。発起人には赤川次郎氏、安野光雅氏、梅原猛氏、香山リカ氏、小林武史氏、菅原文太氏、瀬戸内寂聴氏、ドナルド・キーン氏、湯川れい子氏などそうそうたるメンバーが名を連ねる。
「国民の6割が再稼働に反対している。8割の国民が将来の原発をゼロにすることを賛成している。選挙期間中、勝っても負けても原発ゼロの戦いはこれからだと申しました。『原発ゼロ・自然エネルギー推進会議』を立ち上げ、今日がそのスタートになるわけですが、目指すところは再稼働に反対し、原発から自然エネルギーに転換することによって実感できる経済、放射能の心配のない社会をつくっていきたい」(細川氏)。
「日本各地に自然エネルギーを成長させようという動きがどんどん出ている。我々はそれを加速、充実させる。私ももう過去の人と言われようがね、これこそまさに大きな志だと思って、ともにどんな困難な道であろうとも、自然を大事にして、無限にある自然のエネルギーを我々の発展に生かす。自然のエネルギーを我々の発展に生かす国造りに向かってがんばっていきたい」(小泉氏)。是非とも応援したいと思う。
一方の原発を推進する現政権に警戒する声はない。「過去の人」という認識なのだろうが、それは全く当たっていない。
レスター・ブラウン「加速するエネルギー大転換、取り残される日本」(世界6月号)によれば、世界ではかなり劇的な変化が起こりつつあるからだ。例えばデンマークでは電力の33%を風力で、ドイツの北部4州では電力需要の51%〜69%を風力で賄っているという。太陽光パネルの設置も飛躍的に拡大している。自家発電パネルが増えると電力会社の需要は縮小し電力価格は上る。上れば上るほど電力を買うよりも自宅の屋根で発電する人が増える。自家発電の方が電力会社から買うよりも安くなるためだ。原発もすでに競争力を失い米国でさえ原子力発電は15%減少している。世界の原発はすでにピークを過ぎて減少(ゼロ)に向かっている。「過去の人」とは、小泉や細川氏なのか、それとも原発に固執する安倍首相など原子力ムラの人たちなのか。
主張
■日米に隙間風?
4月に行われた米国オバマ大統領の訪日(その後アジア歴訪)では、オバマ大統領と安倍首相の間に「隙間風」があるかのような報道がされた。
国賓待遇で迎えようとした日本に対し、オバマ大統領の意向で「歓迎式典なし」「迎賓館なし(ホテルに宿泊)」「夫人同伴なし」。TPP交渉の進展を盛り込むために大統領の離日ギリギリまで共同声明が発表されなかったという異例の事態。さらには、中国に対する認識を巡って。あるいは、従軍慰安婦問題などなど…。
以前から、オバマ大統領と安倍首相の間には「隙間風」があるという見方がされ、昨年末の安倍首相の靖国参拝に対して米国側が「失望した」とコメントしたことで、それは大きく取り上げられるようになっていた。今回の訪日は、その「隙間風」の印象をさらに強めるものとなった。
問題だと思うのは、こうした「隙間風」論によって、「安倍政権の対米自主」が印象づけられるようになっていることである。
5月1日に訪米した石破幹事長は「集団的自衛権の問題は、安倍政権が提起したものであり、米国はそれを歓迎し認めた」という風に語った。
周知のように集団的自衛権行使は一昨年の「アーミテージ・ナイ報告」で米国が日本に要求してきたものである。しかしマスコミなどがそれを指摘することはない。そればかりか、今年末に予定されている新ガイドラインも、前2回とは違って日本が主導的に米国に働きかけたものだと解説されている。
TPP交渉でも、昨年2月の安倍首相訪米時、オバマ大統領から「聖域なき、ではない」という言質を取ったとしてマスコミは戦後対米外交の「最大の勝利」とまで持ち上げたものだ。今の交渉でも傲慢で強圧的なフローマン米代表に対し甘利代表が果敢に闘っているという構図として描いている。
マスコミあげての「安倍政権の対米自主」は、いかにも「臭さ」を感じさせる。
■進む徹底的な日米融合
しかしその一方、現実には日本の軍事、経済の一層の対米融合一体化が進んでいる。
すでに軍事では日米は融合一体化している。米軍再編によって神奈川県の座間に東アジアを担当する米第一軍団司令部が移駐し、ここに自衛隊の中央即応集団司令部が同居している。そこでは英語が公用語とされ実質米軍の指揮下で動いている。そのことが端的に示すように、今や自衛隊は、その情報、編成、運用、武装の全てが米国軍事の一部になっている。
集団的自衛権行使容認はこの融合一体化された自衛隊を実戦に使うための最終的な融合一体化である。昨年成立した「特定秘密保護法」を見ても、実戦段階での軍事情報と部隊運用や戦闘行動に関する様々なデーター、その解析システム、プログラム、暗号などを外に漏れないようにするためのものだと見ることができる。
軍事だけではない。経済でも、さらなる融合一体化が進められている。
TPP交渉は、米国スタンダードを域内基準にしようとする交渉として進んでいる。その中には米国企業の障害になることを提訴して撤廃させるISDS条項もある。そして「金融」。米国経済は金融をもって賭博的に儲ける方式であり、そこで日本の国家金融が狙われている。数百兆円もの郵政関連のカネは民営化され流出中であり、米国はJA共済も狙っているという。
そしてアベノ特区。この特区形式の導入によって、農業分野では、遺伝子操作作物で世界を制覇しつつあるモンサントによる日本農業の支配が危惧されているが、それは医療、建設をはじめ全ての産業分野での米国企業の日本参入を促進し、日本経済の対米融合が決定的に進む。
■「安倍政権の対米自主」と日米融合の主体は米国だ
「安倍政権の対米自主」と日米融合、この相矛盾する二つを米国は同時に進めており、共にその主体だ。
何のためか。それは米国覇権回復に日本の軍事力、経済力を最大限動員するためである。
今、米国は崩壊した覇権回復に必死である。そのために、経済成長著しいアジアを重視し、ここに軍事の比重を移すリバランス政策を取っている。しかし、このアジアでは、米国覇権の崩壊を尻目にASEAN諸国を主体とした脱覇権自主の東アジア共同体構想が進み、日々それが実体化していっている。そして中国は、これとの連係強化に動いている。
こうした脱覇権の動きを潰し、アジアでの覇権回復のためには日本の軍事力、経済力を最大限利用しなければならない。そのために日本の軍事力、経済力を米国の意思のままに動かせるようにする。日米融合一体化はそのためである。そしてまた、日米融合は、日本がこの道から絶対に抜け出せないようにするためにも必要だということなのだ。
その上での「安倍政権の対米自主」。これは、対アジア戦略において日本を前面に立て手先として利用しようとする米国にとって大いに利用できるものだろう。
米国は、尖閣などの領土問題や靖国などの歴史認識問題で日本とアジア諸国を対立させ、自分はその両者の上に立ってリーダーシップを発揮することで覇権的地位を回復しようとしており、そこでは「安倍政権の対米自主」は大いに利用できるものなのだ。
実際、米国は尖閣問題に自分が火を付けておきながら、中国には「この問題に介入するつもりはない」と言う一方、安倍首相の懇願に応じて嫌々ながらも「尖閣は安保の範囲内」と言ったように見せかけながら両者を煽っている。さらには靖国などの歴史認識問題でも安倍首相の言動を予測しながら黙過し、それを行うや「失望した」などと発言し、日本とアジア諸国の上に立って両者を仲裁することでリーダーシップを発揮しようとしている。こうしたスタンスを確保することで、武力衝突が起きる状況になっても、日本を手先として戦争の矢面に立てながら、自分は高見の見物をすることができると踏んでいるのだ。
一方、「安倍政権の対米自主」は、日米融合・手先化を国民の目から覆い隠すためにも有効だ。日米融合・手先化など余程の親米派でないかぎり受け入れられるものではない。しかし、それが対米自主になるという印象を作れば支持を増やすことができる。
米国は、「安倍政権の対米自主」は、日米融合の深化の下では決定的なものにはならないことを分かっており、自分の手の平の上で踊らし利用できるものと見ており、実際そのように利用している。米国が「安倍政権の対米自主」を引き出すかのような行動をするのはそのためである。
■無残な結末
日米融合化によって、日本は米国の手から抜け出せなくなる。日本は戦争でも何でもやるしかなくなる。その上、そこに「日本自主」がプラスされれば、日本は手先の道を自分の意志として意欲的に歩むようにさせられる。
しかし、その道が愚かで悲惨なものであることは、あまりに明白だ。
日本がアジアと敵対するだけでも、それで日本はやっていけるのかという危惧が生じるのに、アジア諸国との戦争に動員されれば一体どうなるのか。
その相手は脱覇権のアジアである。覇権の時代が終わり、脱覇権が時代の流れとして力を増している時代に、それを武力によって押しつぶすことなどできない。それでも米国が火をつければ戦争は始まる。そのとき米国が日本と共に戦うだろうか。高見の見物をするに決まっている。
経済でも同様である。ASEAN諸国主体で主権尊重の東アジア共同体がますます実体化し力を強めているのに、米国スタンダードを押し付ける米国覇権のTPPの実現などおぼつかない。そんなことにうつつを抜かしている間に、日本は経済的に潰れかねない状況に陥っていく。
円を輪転機で刷るだけの「安直」なアベノミクスだが、それにも陰りが出てきた。輸出は増えず大幅な貿易赤字が続いている。アベノバブルもそろそろ店じまい。米国に言われて始めた金融緩和策だが、米国はすでに降り、日本だけが円を刷り続けさせられている状態の下で、日本国債の暴落、円破綻もありうる状況になってきた。
いざとなれば、米国はそれに手をつけるだろう。その惨憺たる状況の中で日本に戦争させるために。
「安倍・対米自主政権」と日米融合をプラスした日本手先化策動を何としても阻止しなければならない。
議論
今、憲法改正を不要とする人々の比率が急増している。逆に改正必要の割合が激減した。各種世論調査で一致して見られるこの傾向は、「戦争できる国」へと暴走する安倍政権への危惧の反映だと言うことができる。
だが、理由はそれだけだろうか。改正不要の民意の高まりの根底には、民意を体現した民意の大典としての日本国憲法への共感の高まりがあると思われるのだが、どうだろうか。
少々唐突に言えば、もともと憲法は米国の意思ではなく国民の意思に基づいている。このあまり認知されていない歴史の真実への全国民的な確認がいつにも増して今、切実に求められていると思う。そこにこそ、安倍政権の暴走を食い止め、民意の時代の大道を広々と開く決定的な保証があるのではないか。
その確認のため、本稿では、戦後政治の欺瞞性から出発し議論を提起したい。
■戦後政治の欺瞞性
日本の戦後は一つの大きな欺瞞のうちにあった。憲法と安保、この完全に相矛盾する二大法体系の並存の下に戦後の日本があったということ、この事実自体がそのことを象徴的に物語っている。
実際、戦後民主主義、戦後政治の欺瞞性は、誰もが多かれ少なかれ感じてきた。そこには右も左もない。左右を問わず少なからぬ人々が自由や民主主義、平和の美辞麗句があふれる中、それとは相容れない戦後日本の現実に直面しながら、何か心から共感、共鳴できない大きな違和感のようなものを拭いきれずに来た。
1960年代から70年代にかけての学生運動は、それ以前の運動にも増してその色彩が濃かった。自治会民主主義の枠を破った全共闘民主主義、ゲバ棒と石、バリケードストライキなど、ゲバルトの行使に現れた戦後民主主義の欺瞞性への怒りの爆発が安保反対など政治闘争を推進する原動力になっていた。
今、その傾向は「右翼」、保守陣営に強まっている。先の東京都知事選でもそうだった。あのとき、思いも寄らぬ60万超の票を得た田母神陣営には、「戦後日本の欺瞞、偽善にうんざりしている人たちがこれだけいる。新しい政治勢力の誕生だ」と興奮と熱気がさめやらなかったと言う。
■何が欺瞞なのか?それが問題だ
戦後日本の政治に欺瞞を感じているのは、確かに右も左もない。だが、感じている欺瞞の内容には大きな違いがある。
一般的に、「右翼」とか「保守」とか呼ばれる人たちは、安保は不問に付しながら、憲法は否定し、憲法を改正することにより、欺瞞を解消しようとしている。彼らに言わせれば、米国による戦勝国史観やアジアに対する自虐史観に基づきながら、憲法を楯に、日米安保に守られて、水脹れに肥え太ってきたところに、戦後日本の欺瞞性の核心があるということになる。それが今、もはや通用しなくなっている。だから、憲法を改正し、安保を米国に守られるだけの安保から日米対等、相互に守り合う安保に双務化しようということだ。
これに対し、「左翼」とか「リベラル」とか呼ばれる人たちはどうか。戦後日本の政治が、一貫して憲法をないがしろにし、安保に基づきながら、日本を「戦争できる国」にしてきたこと、そこに戦後の欺瞞性の核心がある。だから欺瞞の解消のためには、何よりも安保をなくすことだ。それが彼らの見方、考え方だ。
このそれぞれ相異なる戦後政治の欺瞞性への見方で問題なのは、どちらも憲法を正しく位置づけ評価していないことではないかと思う。
周知のように、「右翼」や「保守」にとって、日本国憲法はGHQ占領下で米国によって押し付けられたものであり、時代遅れの代物だ。だから彼らは憲法を頭から否定する。一方、護憲を主張する「左翼」や「リベラル」は憲法の出自や出生時代は問題にしない。どこからいつ出たものだろうと、よいものはよいものだということだ。
もちろん、何にしても、それがいつどのように生まれたにせよ、よいものはよいものだ。しかし、その出自や出生時代を知ってこそ、そのよさの本質をより深く確認することができるようになるのも事実ではないだろうか。
■欺瞞の核心、覇権のための民意の利用
交戦権否認、戦力不保持を明記した戦争放棄・脱覇権の日本国憲法が、史上かつてなかったアジア全域への覇権と侵略戦争、その結果としての破滅の直後、覇権と戦争を金輪際許さない日本とアジアの絶対多数民衆の意思を反映するものだったことは間違いない。
問題は、日本国憲法の下敷きとなったマッカーサー・ノートがなぜ日本とアジアの民意を体現して出されてきたのかということだ。それが日本とアジアの民衆の利益から出発したものでなく、あくまで米国の利益からのものなのは明らかだ。
ではなぜ米国は、覇権と戦争に反対する日本とアジアの民意を反映してマッカーサー・ノートを提示したのか。またなぜそれが米国の利益のためになるのか。それはどこまでも、米国が日本とアジア民衆の前に「自由と民主主義の旗手」、「解放軍」として登場するためのものだった。そしてその目的は覇権にあった。事実、戦後日本とアジアに対する米国の覇権は、米国の勝利を歓迎する民意により極めて円滑なものになった。
覇権のための民意の利用。これ以上の欺瞞はない。なぜなら、覇権と民意は、元来、真逆に対立するものだからだ。
覇権にもっとも徹底的に反対する民意を利用しての覇権、このこの上なく狡猾な欺瞞は、日本国憲法制定を機にその後も続けられ、最近ますます米国による覇権回復のための常套手段になっている。「独裁」に反対する民意を利用しての反米政権の転覆、「アラブの春」やウクライナ新政権樹立など、よく言われる「カラー革命」はその典型だ。
民意を利用しての覇権。それは、覇権国家の意思で世界が動いた覇権の時代から民意で世界が動く民意の時代への転換と一体だ。日本国憲法の制定は、その走りだったと言える。
■民意の大典、日本国憲法が新時代を切り開く
日本国憲法は、民意が世界を動かす民意の時代にあって、米国覇権のため、日本とアジアの民意を米国が利用して生まれたものだ。だがここで重要なのは、動機がどうであれ、戦争放棄・脱覇権の日本国憲法があくまで日本とアジアの民衆の意思と要求を体現して生まれたということだ。
もちろん、あれから70年、時代は変化発展した。当時、日本の交戦権を放棄させ、戦力を持てなくして、民衆の歓心を買い、「自由と民主主義の旗手」として日本とアジアへの君臨を図った米国も、朝鮮戦争、ベトナム戦争での相次ぐ敗退、イラク、アフガン戦争の泥沼化とそこからの撤退と、今日、その覇権力を著しく弱体化させ、日本の軍事力を日米共同戦争の先兵として利用することなしに覇権の回復を図れないまでになっている。安倍政権による集団的自衛権行使の容認はその要請に応えるものだ。2年前、アーミテイジ・ナイ報告で米国が「強い国」日本の集団的自衛権行使を求め、それを強行できる安倍政権成立への流れを強引につくり出したのもそのためだった。
この覇権力の衰弱と民意の時代の深化、発展にともない、憲法と安保が並存する欺瞞に満ちた戦後体制にも終焉のときが訪れている。安倍政権が「日本を取り戻そう」のスローガンの下、強行しようとしているのは、集団的自衛権行使の容認に止まらない。それは、戦後体制自体の見直し、古い軍国日本の取り戻しだ。この「取り戻し」が、古いかつての日本が英米の手の平にあったように、いやそれよりはるかに徹底的に米国の手の平の上でのことであるのは言うまでもない。
欧米が好きなように世界を左右した覇権の時代は久しい以前に終わった。欧米による覇権の下、覇権競争に参入し惨めな敗北を喫した古い日本を取り戻すことの愚かしさは何に譬えることができるだろうか。今日、民意の時代の新しい発展段階にあって、日本とアジアの民意の体現である日本国憲法を放棄し、覇権回復のための安保の双務化を図るのは、絵に描いたような時代錯誤だ。
民意の時代の発展は、日本とアジアの民意の体現であり、世界に先駆ける民意の大典である脱覇権・日本国憲法の本質への全国民的確認を切実に求めている。この確認に基づく、時代の要請に応える憲法全面実現への闘いこそが、安倍政権の「戦争できる国」への暴走を食い止め、米国による覇権回復の策動に決定的打撃を与えて、脱覇権の時代、民意の時代の全面開花に向け、日本のあり方を根本的に見直す闘いを力強く推進していくものと確信する。
報告
憲法関連の集いに参加した。
普段仕事に追われ、なかなか物事を深く考えることができていない。解釈改憲、しかも閣議決定という安易な方法で「集団的自衛権の容認」を決めてしまおうとしている安倍内閣。「知らなかった」では済まされない、日本という国の形、自分たちや将来の子供たちの生活の形を大きく変えてしまう事態が進行している中、少しでも意識的に憲法のことを考えようと足を運んだ。
4月18日に東京で行われた「壊憲NO!96条改悪反対連絡会議」の公開講演会。不慣れな東京、地図を片手にやっとたどり着いたのは東京清掃労働組合会館。会場は決して若いとは言えない方たちが集会準備に忙しく立ち動いている。集って来られる方たちもやはり年配者が多い。しかし、みな活気があり会場は明るい雰囲気であった。
集いは主催者あいさつに始まり、トピックス来賓として公明党の荒木衆議院議員のあいさつ、「戦争をさせない1000人委員会」呼びかけ人あいさつと続き、メイン講演は当連絡会議の特別顧問でもある東大名誉教授の奥平康弘氏の「改憲動向をどう見るか」、続いて共同代表からの行動提起、労働組合の闘う決意と1時間半という短い時間内でテンポよく進められていった。
この会場に来る前に「立憲デモクラシーの会」を立ち上げてきたばかりというメイン講演者の奥平氏は、「出かける前に妻から、まず、声が一番後ろまで届くか確かめるようきつく言われてきた」と会場の笑いをとりながら、ご高齢をユーモアで包み全霊を込めてお話をされた。初めて聞く奥平氏の話は、55年体制以降の自民党の改憲をめぐる動き、それを使命と考える安倍政権での96条改「正」から改憲への目論見と破綻、そして、さらにひどくなっている現状へと続く。昨年閣議決定された特定秘密保護法と今容認へと進められている集団的自衛権。特定秘密保護法は70年代、80年代と「国家秘密法」として通そうとしついに成立しなかった自民政権の政治的課題。しかしこれまでは9条があることにより、急迫、必要最小限の個別的自衛権のみが解釈改憲によって容認されていた。このため自衛隊も国家公務員なみの義務ですんでいた。即ち「国家公務員法」でことは足りていた。しかし、集団的自衛権の容認となれば、米軍との関係でより強固な秘密保持が必要になる。特にアメリカ側からの強い要求がある。こうして対象を国家公務員、自衛隊、民間団体成員まで含む、最高10年までの懲役刑を定めた特定秘密保護法が先行成立された。安倍政権は「国際情勢の変化」をその根拠にあげているが、結局は、「戦争できる国」のため、「集団的自衛権行使」のため、国力の弱まった自国の補完に日本を活用しようとしている米国のためである。以上、ものすごく要約したが、大変ためになるお話であった。奥様の心配もあると思うが奥平氏には末永くご活躍いただきたいと願う。一方氏の志を継ぐ若い世代の出現を願わずにはおれなかった。
この集いで印象的であったのは、一つは、「全労協」「東京清掃労働組合」「全国一般・東部労働組合」「全水道・東京水道組合」「国労・高崎地方本部」など労働組合の参加と改憲反対への民意は高まっているが、安倍政権の改憲への流れを変えられていない。労働組合がもっと頑張らなければいけない、労働組合が中心になる改憲反対のセンターが必要。労働運動が役割を果たせていない。公務、公共の職場で非正規が増えている、労働組合のない職場に労働組合を作る行動を、武器の輸出を移動と言ったり、武力で世界に出ていくことを「積極的平和主義」と言ったり「言葉」に騙されている。そう言えば騙せると思われている、騙されてはダメ、平和があったからこそ、労働運動も存在する、平和が脅かされれば、生活が破壊され、労働組合への弾圧となり、変更、改編される。公務員法の改悪も進んでいる。人事も含め国家が管理、賃金の序列化、戦争に協力する公務員がつくられようとしている。「戦争できる国」への危険な暴走を地域の皆とともに阻止する運動を!安倍政権を打倒するため全労連、市民運動とも連帯し、広範な共同戦線をつくり、職場で街頭で闘っていこう!などの力強い決意表明があったこと。この集い自体がそれをすでに体現していたが、二つ目に印象に残ったことは広範な共闘戦線の形成。護憲派の公明党議員のあいさつ(事前に主催者より自分たちの意向にそぐわない発言があったとしてもヤジはとばさないようにという注意あり)など小規模ではあっても広範な人々を網羅する器の大きな集いになっていた。
また三つめには、女性たちと若者の元気も印象的であった。司会を担当された二人も、女性であり、会場で元気に動かれていたのも女性たちであった。そして、年配者の大多数を占める参加者の中に若い人たちの姿も見られ、最後の場面では、「平成生まれの若者にも発言させてください」と若者が立ち上がり「今日参加して頼もしく感じた」と感想を述べながら「新外交イニシアティブ」(日米および東アジア各国において、外交・政治に新たに多様な声を吹き込むシンクタンク)主催の集い「今なぜ、集団的自衛権なのかー安全保障の最前線から考察するー」を宣伝するなど、集いは明るい雰囲気で締めくくられ、清々しい気持ちで会場を後にすることができた。参加人数は180名。
時評
1988年夏の北欧、北海アンホルト島周辺10カ国の海岸に、1万4千頭ものアザラシが瀕死状態で打上げられた事件があった。オランダ環境衛生局は同海域の鯨やセイウチに事例はなく、犬が感染するジステンバーに類似するアザラシのみに感染する伝染病、アザラシ・ジステンバー・ウィルス(seal Distemper Virus)を突き止めた。
ウィルス抗体を持つアザラシが感染した理由は、100kmに及ぶ赤潮の影響による免疫力低下によるもので、通常の海では赤潮になるまでの増殖は不可能な毒性植物プランクトン(クリソクロムリナ・ポリレピス)の大発生が原因と判明したが、何よりその条件となる金属元素、コバルト(Cobalt)の増加が問題となった。
原因は、酸性雨(Acid rain)だった。酸性雨度合いはpHで表すが、純粋な水はpH7の中性、6以下は強酸性、8以上は強アルカリ性となる。二酸化炭素が溶け込んだ雨水はpH5.6が標準だが、これ未満の酸性雨は排出された二酸化硫黄や窒素酸化物が雨水に溶け込み、各国で深刻な自然破壊をもたらしている。だが、海水へのコバルト増加の要因は酸性雨の海への降雨ではなかった。
酸に溶けやすいコバルトが、酸性化した雨水によって川に流れた土壌から溶けて川に流れ、海に注がれていたのである。これがアザラシの大量死に?がったが、93年以降の環境省の調査では、日本全国の雨水もpH平均値は4.7という深刻な酸性雨であり、日本の酸性雨の発生は何と高度経済成長の1950年に遡るのである。
50年代には工場排煙に含まれる各酸化物が雨に溶け込み、既に酸性雨を降らせていた。そして70年代以降、光化学スモッグの社会問題化で排煙規制が法的に進み、大規模工場や火力発電所では硫黄酸化物を取り除く装置を設置した為、硫黄酸化物の排出は激減した。また近年は、先進工業化が進む東アジア等からの越境酸性雨が降り始めた。
この酸性雨による恐ろしい症状に、アルツハイマー(Alzheimer`s disease)がある。
ノルウェーの酸性雨多発地域では、その発病率が高い事が確認された。65歳以上に多いこの高齢者痴呆症は、末期は身内の顔の判断も不可能となって植物状態になり、死に至る事もある。だが、アルツハイマーと酸性雨の密接な関係はコバルトでない。
それは土壌から溶けたアルミニウム(以下アルミ)である。土や岩石に多く含まれるこの金属元素は、通常は酸化アルミ、ケイ素アルミ等と結合した状態で存在し、酸に極めて溶けやすいため、酸性雨で土壌のアルミは他の物質と分離して化学的に不安定なアルミイオンとなって他の物質と結合しやすくなり、人体内に入ると、十二指腸から吸収されてゆく。
例え人体にアルミが吸収されても脳にある「脳血液関門」と言うメカニズムがあるので、脳内にアルミは入り込めないと近年まで考えられていたが、実際は脳血液関門を越えて脳内に侵入すると判明。
血中での鉄分輸送タンパク質トランスフェリンは、通常は腸内で鉄イオンと結合して脳へ鉄分を運ぶが、脳血液関門は、トランスフェリンと結合して運ばれてくるのが鉄か、似た性質のアルミか、完全には判別できない。飲食を通じて人体に入り込むアルミ量は1日平均20mgだが、その約1%がトランスフェリンと結合して2/1000の確率で脳内に侵入、これが脳神経細胞に影響する。
アルツハイマー患者の脳には、β―アミロイドタンパク質が沈着した斑点状のシミがある。このタンパク質は集合体になると毒性を持ち、アルミイオンはこのβーアミロイド(アミロイドベータ)同士を結合する作用があり、これがアルツハイマーの最たる原因と推測される。鉄・マンガン等のミネラルと違い、アルミは人体に全く不必要な物質である。
現在は30代の最年少発症例もあるが、今年2月14日、阪大医学部の研究チームがアルツハイマー病から脳を守るタンパク質を発見したと言う最新ニュースが飛び込んできた。また、3月1日の発表で、東大薬学系研究科のグループが注目したカルムというタンパク質がアミロイドベータを脳内でつくる酵素がどれくらい活発に機能するかに関わっており、カルムの働きが弱いと酵素の活発度合いも落ち、アミロイドベータが出来にくい事も解明した。
文明生活に欠かせない金属元素は、コンピューターウィルスのごとく人間の脳を攻撃し始めた。人類の一部は技術文化発展を名目に、野生動物の生息域の略奪を続け、今なお真摯な反省をみない。当然その「発展」も、他の生命の犠牲の上に成り立ってきた。
だが、地球の生命はうまく出来たもので、何かを犠牲にして発展したものは見えない欠陥を抱え、それが元で次は自身が壊れていく。先進国は17世紀以来、新興国を含む「途上国」をあらゆる力で圧殺し、資源的富を奪い、現在も自国の『原料倉庫』のような扱いをしている。アルツハイマーが先進資本主義国に顕著なのは果たして偶然と言えるのか。
平然と自然環境破壊をする強奪者達も、その果実の一部を自覚なく利用する私達も、地球生命からすれば実は同類かも知れない。人類への最終警告に気づき、他生物を含む自然を真摯に尊び、「果て無き技術革新発展⇒幸せな人間社会」と言う20世紀の遺物的思考の清算期に入った。文明に役立つ自然元素が人間を壊す事がないような知恵の技術を、相互発揮する国家間でなければならない。21世紀のアジアは、正にその共栄圏の宝庫である。
資料
ドイツ、ベルリン芸術大学の在独哲学者、ハン・ビョンチョル教授がドイツの有力日刊紙フランクフルター・アルゲマイネ・ツアイトング紙に今回のセウォル号の災難について「殺人者は船長ではなく新自由主義」と明らかにして注目されている。
最初に提起した新自由主義の事例は、規制緩和だ。一般的に、船舶の生命は20年間続くが政府がこれを30年に延長させた。こうした改革は、当時の李明博政権が集中した新自由主義的な規制緩和の線上で始まった。20年の制限規定が続いていれば、日本で廃船直前だった18年も経つこの船は輸入されなかっただろう。ただ利益だけを追求する企業の政策は、事故の危険を深刻に増大させる。
また国家機関の私有化にも誤りがあると指摘した。韓国では、海洋事故救助業務が部分的に私有化されている。費用を削減するための救助措置の民営化は危険なこともある。
最後にセウォル号の乗務員のほとんどがいわゆる非正規職だったという点に注目したい。彼らは短期契約職だったし、船長さえ非常に低い賃金の1年任期の短期契約職で、単に名前だけの船長だった。
このような労働条件では、いかなる義務、船に対する強い拘束と責任感も持てないし、だから人々は、まず可能なら自分を救う。殺人者はそもそも船長ではなく、新自由主義制度だ。
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