研究誌 「アジア新時代と日本」

第130号 2014/4/10



■ ■ 目 次 ■ ■

編集部より

主張 「嫌中憎韓」、歴史はくり返されるのか?

議論 集団的自衛権行使の容認反対 闘いのキーワードは何か?

研究 仮名文字創造と平安文学の民族史的意義

投稿 現代版貧乏物語(3) 派遣労働と青年とアジア

時評 成長する宗教の大いなる変貌

資料 山本太郎さんのブログより




 

編集部より

小川淳


 保守とリベラル
 「秘密法廃止」を求める意見書が全国108議会で議決されているという。地方議会の意見書というのは地方の意見を国政に反映させるため地方自治法で定められた制度だ。秘密法の「凍結」10件、「見直し修正」71件、「慎重な運用」37件など、合わせると298議会、秘密法への不安や強引に成立させた政権への批判が地方にも広がっている。
 憲法に関する全国世論調査(朝日新聞)によれば「憲法を変えたほうが良い」は昨年の52%から64%に、「武器輸出拡大に反対」は71%から77%に、「非核三原則維持」は77%から82%に、「自衛隊国軍化反対」は62%から68%にポイントを上げている(昨年の3月の調査と方法も質問内容も同じ)。これらの数字は、日本の平和と民主主義を求める民意が昨年よりも確実に高まっていることを示すものだ。集団的自衛権容認をめざす安倍政権に対する強い危機感がその背景にあるのは間違いない。
 安倍政権がめざす「戦後レジームからの転換」とは、このような平和を志向する民意からの転換であり、安倍首相が好んで口にする「日本を取り戻す」とは、彼らから日本を取り戻すという意味なのだろうが、安倍政権の高い支持率にもかかわらず憲法9条堅持に象徴される民意にすこしも揺るぎはない。
 私たちから見れば、安倍首相のような対米従属派や安保体制護持派こそ「戦後レジーム」、「戦後体制」そのものなのであり、日本の平和と民主主義にとって、そこからの転換こそ歴史的課題なのだが・・・。
 日本の戦後史は、このような憲法の平和主義を堅持する勢力と、憲法よりも安保体制を重視する勢力との攻防史であり、一般にはこれを保守とリベラルの闘いと色分けしているが、最近はどうもしっくりこない。
 なぜなら脱原発を唱えた小泉元首相や細川氏の安部批判のように、保守や自民党の中にもリベラルな人は少なくない。冒頭の「秘密法廃止」を求める地方議会も自民など保守派だ。今や戦後一貫してあった保守対リベラルの対立という構図が意味を成さなくなっているのだ。時代の転換の中で、日本の政治のあり方さえもが大きな転換へと進みつつあるのではないか。民意の時代に合う新しい政治への模索、新しい民主主義への模索が始まっているのかもしれない。



主張

「嫌中憎韓」、歴史はくり返されるのか?

編集部


■嫌中憎韓
 最近、嫌中憎韓の雰囲気が強まっている。
 在特会やネトウヨは、「尖閣を死守するぞ」「竹島を取り戻すぞ」「従軍慰安婦はウソ」「南京虐殺などなかった」などと声を張り上げ、日本在住の中国人、朝鮮・韓国人に対して「帰れ」「追い出せ」「殺せ」などと聞くに耐えない罵詈雑言を浴びせている。
 それだけでなく、東京都知事選でネトウヨ層に押されて立候補した田母神氏が60万票もの票を獲得し、投票した20代の4分の1が田母神氏に投票するという現象も起きた。
 こうした背景については多くの人が分析している。即ち、ここ数年の領土問題や靖国、従軍慰安婦、南京虐殺などをもっての中国、韓国からの非難に対する反発。中国の経済的台頭、韓国企業サムソンなどの隆盛に比べて日本の経済力、日本企業の競争力が衰退したことへの危機感と焦燥感。そして新自由主義改革によって貧困化し「負け組み」に追いやられ、未来に絶望した若者たちが、その行き場のない怒りを「嫌中憎韓」としてぶつけている、などと。
 貧困化した若者の行き場のない怒りの声とする見方は大事な点だ。「ネットと愛国」の安田浩一さんなども指摘してきたことだが、シカゴ大名誉教授のノーマ・フィールドさんも最近の朝日新聞の論壇欄で、宇都宮支持と田母神支持は実は同じ層だと述べている。
 そうであれば、若者たちの怒りは新自由主義改革を強要した米国やそれに唯々諾々としたがってきた自民党政治に向けられるべきなのに、それが中国、韓国などアジアに向けられている。

■「嫌中憎韓」は演出されている
 そうなるのは、「嫌中憎韓」がある目的のために演出されているのと関連している。
 安倍政権は、竹島、尖閣の領土問題が紛糾し、高まる反中嫌韓の空気を追い風にして誕生した。2012年の8月10日に韓国の李明博大統領(当時)の唐突な竹島上陸。14日には、香港の反体制活動家による尖閣諸島上陸。そして、8月15日に、日本が一流国止まりたいなら集団的自衛権を行使できるようにして米軍と共にアジアに睨みをきかせる「強い国」になれという「アーミテージ・ナイ報告」が発表された。
 あまりにも符号が合いすぎる。米国に全てを牛耳られている韓国の行動は米国の容認、背後操縦なしには考えられない。尖閣に上陸した香港の反体制活動家には米国企業からカネが出ていた。
 まさしく尖閣、竹島などの領土問題の紛糾化は米国が日本を日米共同戦争体制に組み込むために仕掛けたものと見ることができる。
 その後も安倍首相は、尖閣問題を煽り、侵略を反省した村山談話、従軍慰安婦問題で謝罪した河野談話の見直しを指示し、靖国神社参拝を強行するなどして中国、韓国を挑発するかのような行為を繰り返し「嫌中憎韓」の雰囲気を高めてきた。
 そして、それを追い風にして集団的自衛権の行使容認を強行し、米国との共同軍事行動、共同戦争体制を築こうとしているのだ。
 安倍首相は「戦後レジュームからの脱却」を掲げて登場した。文字通りにとれば、それは対米従属の戦後体制からの脱却でなければならないだろう。しかし実際に安倍首相のやっていることは、米国の要求に従って、集団的自衛権を行使できるようにし米国の指揮下での日米共同軍事、日米共同戦争体制作りだ。
 こうした矛盾に満ちたレトリックはいつまでも通用しない。

■今は、19世紀とどう似ているのか?
 最近、「今は19世紀に似ている」という言葉を聞くようになった。
 19世紀、日本では明治維新が起こり、富国強兵策が進められアジアへの進出、日清日露の戦争が行われた。それが、「嫌中憎韓」の雰囲気が高まり、中国や朝鮮・韓国を敵視し、軍事行動まで想定されるようになった今の状況と似ているという。
 勿論、これを「今、日本は危険な方向に向っている」として憂うものもある。しかし、その多くは今の日本を正当化するものとなっている。
 渡辺利夫拓大学長の「新・脱亜論」(08年発行)がその代表的なものだ。
 「新・脱亜論」は当時を次のように描く。19世紀、日本は欧米のアジア植民地化の動きの中で中国、韓国と力を合わせて対抗しようとした。しかし頑迷なる清国は聞く耳をもたず、冊封体制下に置いた韓国に内政干渉して日本と対抗し、日本に見習って近代化を進めようとした金玉均の改革(1884年)を失敗させ死に至らしめた。彼を支援してきた福沢諭吉の絶望と怒り、そして脱亜入欧論の主張。
 このように描けば、それなりに説得力がある。そうなるのは、19世紀が帝国主義の時代、覇権時代の最盛期だったこととも関連する。この時代は、勝てば正義であり、そのためには何をやってもよかった。勝手に他国を侵略し戦争を一方的に仕掛けても「正当」だった。そうした何でもありの複雑怪奇な時代にあって、見なければならないのは、覇権思考ズブズブの欧米勢力の動きだ。
 例えば、日本の朝鮮侵略が始まったとされる1875年の雲揚号事件(日本が挑発し、韓国を開国させ不平等条約を強いた)では、当時の米国大使が艦長にペリーの「日本遠征記」を手渡し「この通りにやれば旨くいく」と激励している。
 それは欧米勢力が対アジア政策において日本を利用しようとしたということを端的に示した事例として有名である。日露戦争も覇権国家・英国がロシアの南下を阻止するために日本を利用したという事実を見逃してはならない。
 そうであれば、「似ている」のは、欧米勢力が対アジア政策で日本を利用し繰ったところにあると見なければならないのだ。
 「19世紀に似ている」論は、19世紀の日本の行為を正当であったかのように描くことで、今日の「嫌中憎韓」の論理的根拠を与え、そのことによって安倍首相の集団的自衛権行使容認策動を後押しするものになっている。

■時代が違う
 「新・脱亜論」の結論的な主張は、東アジア共同体は中国による地域覇権だから参加してはならないというものだ。そこには何の根拠も示されていない。昔から中国は覇権主義だったと印象付け、それはそうだろうと思わせているだけだ。
 東アジア共同体はASEAN諸国が提唱し彼らが主体になって推し進めてきたのであり、そこに日本、中国、韓国などに参加を呼びかけてきたものだ。そして彼らは主権尊重で「自主と協力」のバンドン精神を引き継いだTAC(東南アジア友好協力条約)の締結をその参加資格にしている。
 アジアは決して19世紀のアジアではない。植民地支配と血をもって戦い、独立自主を何よりも貴重なものとしながら戦後の国作りを押し進め、その営為の末に、かつてと比較にならない自衛力、経済力も持つようになっており、覇権に反対し主権尊重の自主と協力の共同体を作りながら共に力を強めているのだ。もし、ここで中国が覇権を狙ったとしても、それは中国の自滅をもたらすほどの力を持つ。まさに、東アジア共同体の動きこそ、脱覇権時代を象徴している。
 覇権回復に必死の米国は、この脱覇権の流れを押しつぶそうとしており、そのために日本の軍事力、経済力を最大限利用しようとしている。それが集団的自衛権行使容認による日米共同戦争体制の構築であり、TPPである。
 この脱覇権の時代にあって、日本が覇権時代と同じようなことをやってどうなるのか。覇権時代でさえ、それは失敗した。19世紀、日本は脱亜入欧という欧米覇権勢力を見習い、その下で、自分も覇権の道に進みアジアを侵略しアジアの覇者たらんとした。しかし、覇権主義の先輩で一枚上手の欧米勢力にいいように利用され、最後は太平洋戦争に引き込まれ、破滅した。
 覇権時代でも、そうなったのに、脱覇権の時代に昔と同じことをやれば失敗するのは目に見えており、その惨禍は昔の比ではない。
 若者の行き場のない怒りは今、嫌中憎韓のヘイトスピーチなどで発散されているが、それは、その怒りの受け皿がないからだ。しかし状況は変わっている。秘密保護法制定を契機に多くの国民が反対の声を上げる中、若者たちが「3年後には自民党政権を退陣させ、秘密保護法を撤廃する」と動き始めた。その流れは脱原発、反貧困の闘いと結合しながら日々その力を増大させている。
 それは、若者自身が自ら、怒りの受け皿を作り、その主体になりつつあることを示している。新しい時代、歴史は絶対にくり返えされないだろう。



議論 集団的自衛権行使の容認反対

闘いのキーワードは何か?

K・T


 集団的自衛権の行使を容認するか否か。日本の進路、あり方を決定するこの重大問題が、全国民的議論や審判はもちろん、国会での議論さえ経ることなく、わずか19名の閣僚による「閣議決定」で決められようとしている。2月衆院予算委でその意向を示唆したのは安倍首相その人だ。もしこの暴言が実行に移されるなら、暴挙も暴挙、特大級の暴挙だと言う他ない。
 これには、与党内からも憂慮の声が上がっている。戦後日本でとり続けられてきた基本路線を変える大問題を国会での議論もなしに通すのはいくら何でもやりすぎだということだ。
 戦後日本の基本路線は、憲法と安保、この根本的に相矛盾する二大法体系の共存をそのままにして、日本が米軍に基地を提供し、米国による核の傘の下、自衛隊を増強する一方、「戦争できない国」として、主として経済大国化を図ってきたところにあると言うことができる。
 この基本路線は、この間、集団的自衛権の行使を容認しないことで、かろうじて維持されてきた。しかし、今度容認することになれば、「戦争できない国」から「できる国」への大転換になる。米国が攻撃されたとき、それを助けて、日米共同の戦争をする国になるということだ。
 日本の命運を左右するこの深刻かつ重大な問題を前にして、問われているのは、国会での徹底した議論であり、それにも増して、それを後押しする全国民的な議論と審判だ。それこそが、数の力による強行採決をも覆す決定的力になる。
 全国民的な議論と審判を行っていく上で、問題はその内容だ。何をもって集団的自衛権行使の容認に反対していくのか。
 今、集団的自衛権行使反対の闘いでキーワードになっているのは、「戦争できる国」だ。「行使」を容認すれば、日本は「戦争できる国」になってしまうということだ。
 このキーワードには威力がある。安倍政権が集団的自衛権行使容認の問題で、国会での論議を避けようとしているのも、その威力を恐れてのことだ、と言っても過言ではないと思う。
 当然のことながら、「戦争できる国」が持つ威力の源泉は民意にある。民意に訴え、民意と共鳴するキーワード、それを駆使した議論、それこそが国の命運を破局から救い出す。
 そこで考えてみるべきことがある。民意に力があると言ったとき、戦争に反対する民意にも増して切実で力のある民意がある。それは、日本を何とかしてくれ、変えてくれ、このままでは生きていけないという民意だ。09年の政権交代は、その国民的思いの噴出だった。その民意が民主党を政権党に押し上げ、それへの裏切りが民主党を凋落させた。
 安倍政権はこの気運を利用している。これまで米国に頼るだけだった日米安保の片務性を互いに血を流す双務性に転換させ、日本を米国と対等なイクォールパートナーに変えると言いながら、集団的自衛権行使の容認を戦後日本のあり方、基本路線を変えるものとして提起している。
 これに対し、「容認反対」の側はどうか。専ら日本が「戦争できる国」になるのに反対しながら、その一方、戦後日本のあり方、その基本路線に対しては、むしろそれを守るということになってはいないだろうか。
 今、「容認反対」の側に問われているのは、矛盾と欺瞞に満ちた戦後基本路線を変えることによって、「行使」を一層力強く許さないことではないだろうか。それこそが、現状を否定し、その変更を求め、それを通して「戦争できないゆるぎない日本」の実現を求める民意に応えることだと思う。
 その機は熟している。自らも血を流して米国による覇権を支え、その下でアジアに覇権する道を選ぶのか、覇権そのものに反対し、欧米の覇権の下、アジアに覇権してきた明治以来の日本のあり方自体に決別するのか。日本の進路が根本的に問われる中、民意に応える「容認反対」のキーワードも自ずから明らかになる。脱覇権の憲法と覇権の安保の共存という矛盾に満ちた欺瞞的戦後基本路線を見直し、憲法九条の全面実現を志向するキーワードが「容認」をめぐる全国民的な議論と審判を盛り上げる日は近いと思う。


 
研究

仮名文字創造と平安文学の民族史的意義

赤木志郎


 日本史において平安時代は仮名文字が創案され、平安文学が興った時代として知られている。仮名文字の発明、紀貫之、「源氏物語」などひろく知られていることだが、民族史発展におけるその意義について考察を試みたい。
 784年の長岡京遷都から1185年の平氏滅亡、源頼朝の守護・地頭設置までの約400年間の平安時代は、古代(飛鳥、奈良時代)から中世(鎌倉、室町、戦国時代)への移行期である。
 政治的には特定の支配者に権力を集中させた王朝国家の時代であり、藤原道長の栄華きわまる摂関政治、後白河上皇の院政、平氏の台頭と滅亡で彩られている。
 国際的には唐が滅び、朝鮮半島では高麗が成立し、対外的な緊張関係や外来文化の影響がなくなっていた。
 そのなかで、日本独自の文字である仮名文字が発明された。
 古来から日本語はあったが、中国からの漢字の導入によって文字をもつようになった。しかし、日本語の表現を漢字で表すのは工夫が必要だった。その一つが漢字の訓読みである。「天」を中国語発音に起因する音読みの「テン」とともに、日本語発音の同じ意味の「あま」を訓読みとしたのである。「古事記」の冒頭文の「天地」を「テンチ」と読むのではなく、「あまつち」と読んで書かれたものであると発見したのが本居宣長であった。しかし、訓読みだけでは不十分である。日本語固有の文字がなければ、日本語を充分に表現できない。それが仮名文字の創案であった。
 最初、「阿(ア)米(メ)」のように漢字の発音を利用した「万葉仮名」が、「古事記」や「風土記」「万葉集」で使われたが、それでは漢字と混同する。そこで、漢字の草書体をさらにくずして平仮名が作られ、さらに仏寺の学僧たちが漢文に訓読の句点と文字を書き入れる過程で漢字の字画の一部のみを使った片仮名が作られた。
 この二種の仮名文字と漢字の訓読み、さらに音読みの漢字を組み合わせて、古来の日本語、口語をそのまま受け継ぎ、自由に書き、読むことができるようになった。今日の漢字と平仮名、片仮名混じりの日本語は、平安時代の仮名文字の発明にはじまっている。
 ここで大きな役割を果たしたのが、紀貫之である。貫之は宮中の図書室長の役に任じられ、宇田院の宮廷サロンのなかで「古今集」編纂のプロジェクトを主導する。貫之は、「古今集」に第一位の102首を入れ、「仮名序」を書いて和歌論を論じるとともに仮名による文章を公にすることによって仮名文学の鮮烈な立ち上げを宣言した。また、屏風歌の名手として、漢詩と唐風の絵に和歌と大和絵を並べた屏風を製作するようにした。さらに、仮名文字による日記「土佐日記」を著し、後の仮名文学全盛を促した。
 「蜻蛉日記」「源氏物語」「枕草子」などがそれであり、文字をもった女性が活躍したことが読みとれる。
 人間は言うまでもなく感情をもった存在である。怒り、悲しみ、切々たる想い、喜び、恨みなど、感情を離れて人間の生活はありえない。その感情を豊かなものに発展させてきたのが人間の歴史であり、日本民族は日本人としての特色のある民族的な情感として発展させてきた。
 とくに「源氏物語」は構成だけでなく、哀しみ、喜び、嫉妬、苦悩などさまざまな人間感情を描いている古典の最高峰である。平安時代における文学の興隆は、まさしく日本民族の情感の放出であり、日本民族の情感を自己の文字ではじめて表現した画期的な出来事である。
 平安文学とともに、左右対称の唐風の絵にたいし非対称で微妙なバランスをとった大和絵、日本の風土に適した構造の寝殿造、彫刻など、国風文化と呼ばれる日本独自の文化が花開いていった。しかも、唐風を排斥するのでなく和風と並べ、競わせ、共存させていく独特な方法も開始した。
 民族を規定する要因は血統と言語であると言われる。仮名文字の発明は、誰でも自由に日本語を書き読むことができるようにすることにより日本民族形成にきわめて重要な役割を果たし、同時に独自の民族文化発展の道を開いたといえる。



投稿 現代版貧乏物語(3)

派遣労働と青年とアジア

平 和好(たいら・かずよし)


 兵庫県の山中にある小都市に日本有数の某企業の工場があり、丸2ヶ月通い続けた。給料を受け取りに本社へ行った私を派遣会社の営業さんが呼び止めた。何か注意か?と思いきや「携帯電話を作りにしばらく行って欲しいのです」と言う。「年やから細かい仕事は不可能やで。若い人に行ってもらったら?」とやんわり断るが「ぜひ行ってほしいです」とおっしゃる。「毎週火曜日並びに都合の悪い日は休むけどいいかな?」とわがままな私。「結構です。シフト制ですから」とにかく、出勤予定の日だけは必ず行けば良いとの事で交渉成立。電車で1時間、そこからバスに乗せられ1時間。往復4時間かけて行くから時給1200円でも実質1000円。しかし、行ってみると私に適職を用意してくれた。保証書をビニール袋に方向・枚数の間違いや汚れなどないよう詰める作業。これを夜8時から翌朝5時まで延々。危険や疲労度を考えると悪くない。都合の良い事に毎週火曜日の活動は昼間だから、夜中の仕事に支障はない(睡眠時間がなくなるだけだ)。
 そこにはベトナム青年が数百人来ていた。フィリピン人・中国人も数十人。ペルー・ブラジルの日系人も。日本人はその中でわずか。保証書を入れる作業机に日本人は私だけ。インターナショナルな「世界」で2ヶ月過ごした。特徴的だったのが日本の若者は多数派のベトナム人を見下している人が多数。「働かない」「おしゃべりばかり」「時間になったらすぐ帰る」「残業しない」などなど寄ると触ると悪口。物事には原因が必ずある。日本語可能なベトナム青年達(少年もいた)と話してその要因・真相の一端を知った。ほとんどは大阪にある日本語学校へ通い、猛勉強している。単純労働に過ぎない業務に全てを賭けるのは彼らにとって「本末転倒」なのだ。退学にでもなったら志なかばで帰らされるかも知れない。睡眠や休憩はここで取るしかない。そしてここからがすごい。多くの人は若い頭に日本語を叩きこんで、貯金を手に帰る。何割かは日本に残り、稼ぎ続ける。もちろん流暢な日本語を駆使して。日本有数の企業のこの工場では、通訳の全てと末端管理職の数人がベトナム人だった。工場の最大勢力はベトナム人だから、彼らなくしては携帯電話・スマホ・タブレット一日数千台の生産が止まるのだ。彼らを見下げる日本の若者でベトナム語・中国語・スペイン語・英語を通訳できる者は私が見る限りゼロ。多分、多くの企業の生産現場で同じような光景が見られるだろう。メイド・イン・ジャパンがアジアに支えられていた。全国的に推測すると万単位で日本語をマスターした青年、千単位の末端管理職・通訳、そして語学を生かした企業人・経済人が将来活躍するのだろう。対する日本の青年が、他民族の悪口や、テレビの馬鹿番組や遊興でうさを晴らしているうちに、一生、派遣労働者で終わらないかと心配の限りだ。余談ながら、彼女を確保している率は日本の派遣労働者より多いように思った。そして故郷に彼女のいない青年のうちの何人かが、親しくなった私に、すでに流暢になった日本語で「日本の女の子を紹介してください」と言ってきた。ベトナム戦争を見てもわかるが、優しい風貌・小柄な体格・控えめながら「勝利をもぎ取るパトス」はすごい。「おそるべし、ベトナムパワー」と、これまた親しくなった日本青年に言うが、実感が沸かないお顔。
 そして毎日残業、日曜も勤務になるほど超多忙を極めた職場(おかげで活動費、渡航費用などが確保できてありがたい)も生産計画が達成されると一斉首切り。私も年末で予定終了を通告された。優秀を自認して、アジアの青年を怒鳴りつけ、生産の中枢にいるから延長してもらえると信じ込んでいた日本青年も同じ運命に。ところがアジアの青年はしっかり残留。企業への補助金の関係もあるのか? いよいよ「メイド・イン・ジャパン」の中枢を支える存在になっているのだろう。日本の青年も頑張れ!(根性とかやる気とか、手足を動かす速さで「頑張る」のではなく、全人格的に・・・)ジャパンではなく、アジア人であることを自覚するところにしか勝機は無い。
 私ごとながら息子に「君が働くにあたっては中国語や朝鮮語を駆使するのが不可欠では?」と、大学入学時に中国語の入った電子手帳を贈ったが、おせっかい虚しく「専攻にはフランス語」と拒否されたようだ。思うようには動いてくれません。当たり前だが・・・。
 いずれにしろ、メイド・イン・アジアの実態を知る貴重な経験を報酬付きでさせてくれた営業さんに深く深く、感謝。そしてまぎれもなくアジア人である私達、頑張りましょう!



時評

成長する宗教の大いなる変貌

林 光明


 日出と共に"南無妙法蓮華経(釈迦の法華経の教えと力を信じてお頼りします)"を唱え、鎌倉幕府元執権の北条時頼に提出した建白書「立正安国論」では邪宗信仰は報いが来ると主張し、政治批判して伊豆に流刑となるが、元寇の襲来が的中以降は「立正安国論」を2回追記した。他宗派への勧告である念仏無間・禅天魔・真言亡国・律国賊の四箇格言で有名な日蓮聖人の事である。
 日蓮を教義とする最も有名な教団が『創価学会』(以降SG)であり、池田会長は昭和50年代から世界各国の名士と対談を実現し、平和の民主人士として一躍有名になった。人間革命・人間主義を掲げているが、その強引な会員獲得の活動は未だ賛否が多い。SGは日蓮高弟六老僧の日興が開祖である日蓮正宗と23年前に亀裂が生じ、法主日顕と名誉会長の双方が縁を絶っている。
 SGと設立の歴史はほぼ同じの「生長の家」をご存知の方は少ない。元々は昭和5年(1930年)に「反共団体」として設立された新興宗教団体で、第一次大戦中は天皇信仰の下、戦争協力もした。平成2年に現谷口総裁が副総裁に就任後、「人類光明化・国際平和信仰運動」を提唱し、大東亜戦争への反省や戦争責任追及に至り、愛国右翼的教義から憂国左翼的教義への転換が増え、信徒の一部はかつて民族派として反米・民族解放との共闘も主張した。
 近年は環境問題やエネルギー問題等、現代科学に対する主張も時代趨勢に合わせて積極的であり、2年前の大講習会での質問で谷口総裁は、辛いサービス残業を平気で強いる勤務先の上司に対する相談を、「まず労働基準監督署に行くべき」と快答し、法律違反を諭す事を含めた全てが実相の行いという総裁の見解は、宗教と現代の実生活に隔たりを感じず、実に理に適っている。
 平成16年から資源エネルギー庁の原発推進計画に反対し、震災以降は脱原発宣言の本も著した。本年の大講習会では米軍が日本に使用した殺戮の兵器が平和利用できる道理がないと述べ、頭上の大きな国旗の下で、「溶炉冷却に用いた海水を還元するとCO2排出の温暖化を招く」と、政府や電力業界の事業独占構図を批判し、脱原発の勧めを会場の聴衆に説く谷口総裁に不思議な調和を感じた。
 臨済宗の名僧、松原泰道氏は、SGの姿こそ日蓮宗派本来の活動に最も近いと評価したが、SGの公明正大な政党が政権与党と連立を組んで以降、湾岸戦争やイラク戦争に同意し、中東の民が米軍爆撃機で数多く犠牲になった事実はどうか。「苦渋の選択」の声明を日蓮が認めたとは思えない。最近も安倍政権の不穏な動きに黙認ばかりで、原発推進勢力とも真っ向から構える気配すら見られない理由は何なのか。
 憲法20条には、特定宗教の特権や政治上の権力行使の禁止(政教分離)とあるが、人類社会に表裏一体に生まれてきた宗教と政治の完全分離は不可能である。事実、その活動が徹底的に政治であった日蓮は、政治を正す為に仏教と言う手段を用いたのかも知れない。よって、平成の世にもし日蓮が生まれたら、果たして仏門に入り、法華経で他宗派と闘おうとするかどうか分からない。
 人々の意識も数百年前の法華一揆、天文法華の乱の時と大きく変わる現代では、時代情勢に見合った創意工夫が必要だが、SGも日蓮系の例に漏れず、入会を勧める際には今でも母の愛である摂受より、「破折屈伏」を重視する。間違いを容赦なく諭す父の愛がこれである。SGの政治団体は、なぜ総理始め与党幹部に平和の「折伏」が出来ないのか。
 平成15年春、東京・虎ノ門のアメリカ大使館前での"イラク戦争反対抗議行動"の取材に出向いた際、特異な集団が注目されていた。彼らは『米国はイラクへの介入戦争を即刻止めよ』の横断幕を広げ、警官の制止命令に動じず、額と首筋から大汗を流しながら数珠を手に何かを唱えている。
 よく見ると、独特の法華太鼓を打ち鳴らし、ひたすら「南無妙法蓮華経」の大合唱で闘う十数名の若き僧侶達の姿であった。法衣の裾には『日蓮法華宗 青年僧侶団』と書かれていた。その姿こそ正に、国家諌暁(弾圧・迫害を恐れずに権力者に率直に意見する)を生涯の旨とした、"日蓮"そのものであった…。
 恐れをなした将軍 時宗が招く「幕府宗派としての認可と広大な寺社用地・信徒の提供」を一切拒否した聖人日蓮。「極楽浄土」のみ拝ませる宗派を戒め、仏法本来の「現世利益」をひたすら民衆に訴え続けたその高貴な生涯に、欲にまみれた姿など微塵もない。
 その生き様に対し、現在の日蓮系教団で最大勢力のSGとそれを支持母体とする政治団体の姿は、日蓮聖人から果たしてどう映るだろう。天空から覗く日蓮に"喝"を入れられぬよう、今一度、自らの足元を見つめなおして欲しいと切に願うものである。



資料

政権とろうぜ

山本太郎さんのブログより


 新党 ひとりひとり、山本太郎です。
 新党ひとりひとりは、公認候補を衆院補選鹿児島2区で擁立する事を決定しました。
 この国に生きる人々に不条理を押し付ける政治を変えるには、多数派を形成し、政権をとるしかない。
 大企業の論理、大企業の利益の為に増税し、被曝させられ、労働環境は厳しくなり、弱者を切り捨て、戦争への道を拓く、軍備拡大、武器輸出、解釈改憲、憲法改正。
 大企業、多国籍企業によってコントロールされる政治ならば、国会議員など必要ありません。
たった1人、独裁者がいればいい。
 でもこの国には、大政党にだけ有利で、新規参入が難しい欠陥だらけの「選挙制度」があります。一応、民主主義の振りは続けてくれているのです。
 ならば、その「選挙制度」を使って、議席を入れ替えるしかない。
 時間はありません。
 今、この国に生きるひとりひとりが本気にならなければ、3年以内に行われる選挙で結果を出せなければ、日本の未来は大企業、多国籍企業に食い潰されるでしょう。
 現在国会で行われている政治そのものですから。
今の政治に足りないのは、「愛」だ!
今の政治に足りないのは、この国に生きる全ての人々の為に仕事をする、と言う「使命感」だ!
 新党ひとりひとりは「政権を取りに」行きます。
あなたの力が必要です。
 新党ひとりひとりに足りないのは「ボランティア」だ!
 市民選挙で山本太郎が国政に入れたのは、ボランティアの力です。
 あなたの力を貸して下さい!
 1時間でも、1日でも、あなたの力が必要です。
鹿児島だけでなく九州全域、全国からの参加をお待ちしております。
新党ひとりひとりに足りないのは「資金」だ!
「政治と金」の問題を断ち切るには、市民によるボランティアとカンパで、選挙が行われる事が大前提です。
 企業に応援された政治家達が、その企業の為に仕事をするのは当然の流れ。
 市民の為に仕事をする政治家を、市民が応援して戴けませんか?
 鹿児島2区の選挙では、最低でも1千万円以上の選挙費用が必要となります。
 あなたの「出来る範囲」でのカンパ、そして、お友達にも拡げて下さい。


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