研究誌 「アジア新時代と日本」

第128号 2014/2/10



■ ■ 目 次 ■ ■

編集部より

主張 「名護」と「東京」に民意を見る

議論(1)今、憲法9条こそ積極的平和主義!

議論(2)自分の価値観を押し付ける覇権的「価値観外交」を許すな!

投稿 現代版 貧乏物語 派遣労働体験記(1)

随想 都知事選の日に思う

時評 原発泰平国家を揺さぶる狼煙




 

編集部より

小川淳


 戦争をしないためのもう一つの仕組み
 「嫌中憎韓」が出版界のトレンドとなりつつある。今年に入ってノンフィクション部門のトップテンに、昨年の同時期には一冊も無かった「呆韓論」「侮日論」「うそだらけの日韓近現代史」が並んだという。文春や新潮など週刊誌でも反韓、反中をテーマにした特集がやたら目に付くようになった。月刊誌も例外でない。「反日韓国の精神構造」を特集(「中央公論」3月号)という具合だ。
 都知事選では「侵略戦争、南京虐殺、従軍慰安婦全部ウソだ」と訴える元航空幕僚長の田母神氏が60万票を獲得している。ネット右翼という新しい政治勢力の台頭といっても良い。正直言ってこれほどの支持を集めるとは思わなかった。安倍首相とその主張は瓜二つ、支持層も重なっている。
 安倍首相が靖国参拝や歴史認識の見直しを強行し、集団的自衛権や改憲に突き進めば進むほど、日本はアジアからの孤立を深めていく。安倍政権が続く限り首脳会談の可能性はほぼないだろう。安倍首相が現在の日中関係を第一次大戦前の仏独に例えたのは偶然ではないと思う。
 「通販生活」という雑誌に、「アジア隣国同士が融和して、EUならぬAU(アジア連合)をつくる方向へ進むべき」という文章を、俳優の菅原文太さんが書いていた。同じ誌面に「アメリカ一辺倒の安全保障政策から、アジア各国と連携した『戦争をしないための仕組み』つくりへの転換を」という文章を孫崎亨さんが書いている。東アジア共同体の提唱だ。
 日本の近代史を振り返るなら、アジアへの蔑視(脱亜入欧)から日本の軍国主義は始まった。戦後もこの流れは変わらず対米一辺倒でアジアへの敵対を続けてきた。この歴史に終止符を打ち、文明史的転換(離米入亜)を図ること、それが21世紀日本の最大の課題なのだ―そのような意味を「アジア新時代」という名前に込めて小誌を発刊したのが10年前だった。文太さんや孫崎さんのような論調がどんどん広まって欲しいと思う。
 安倍首相が作ろうとしている日本は「戦争のできる国」だ。その仕組みが集団的自衛権であり、秘密保護法、名護辺野古だ。このような「戦争できる国」にしないための仕組みが憲法9条だったと思う。今、その9条が風前の灯と化す中で、憲法9条を守るためにも、東アジアの中に「戦争をしないための仕組み」を新たに作り出す。ネット右翼の台頭はこの壮大な試みの重要性を改めて示したように思う。



主張

「名護」と「東京」に民意を見る

編集部


 民意と安倍政権のねじれから闘争へ。2014年は、年初からその熾烈な攻防で幕を開けた。名護市長選と東京都知事選、この二つの攻防にわれわれは、民意が何を求めているかはっきりと見ることができる。それは、これからの闘いの重要な指針になるのではないか。

■安倍自民に勝つこと、それが民意だ
 勝たねばならない。今はとにかく勝つことだ。勝って、安倍自民党政権の横暴にストップをかけ、安倍政権退陣、新しい政治へのうねりを創り出そう。安倍自民に勝つこと、今回の選挙で民意が何よりもまず求めていたのはこのことだった。
 名護の運命、沖縄の運命、ひいては日本の運命がこの選挙にかかっている。ここで負けるわけにはいかない。名護市長選にかけた市民の熱気、全国、全国民的な関心の盛り上がりは、民意がどこにあるか、端的に教えてくれていた。
 この名護市長選での勝利がどれだけ大きな力と勇気をわれわれに与えてくれたことか。東京都知事選への期待と関心があれほどまでに高まり、まぶしいまでのスポットライトが当てられるようになったのも、細川・小泉連合出馬とともに、この勝利があったからだ。もし、「名護」に続き「東京」で安倍自民を連敗に追い込めたら、日本の政治が変わる。その期待感、緊張感が都知事選をいやが上にも盛り上げた。
 闘いでの勝利は、単なる「一勝」ではない。多くの場合、何勝、何十勝にまさる価値があり、場合によっては、それですべてが決まることさえある。だからこそ、ここはという闘いでは、すべてを犠牲にしてでも勝ちに行かねばならない。今回の選挙で民意はまさにそのことを求めていた。
 名護市長選での稲嶺さんたちの闘いは、この民意に応え、民意対安倍政権の闘いで、その前進のためはかりしれない役割を果たした。
 だが残念ながら、東京都知事選ではそうはならなかった。民意に応え、安倍自民に勝利するのを最優先するというより、細川・小泉連合に勝って2位を占める、等々、民意よりも自分たちの意思や利害が優先されてしまった。

■勝つためには、何よりも団結だ
 当たり前のことだが、闘いに勝利する上で決定的なのは団結だ。名護市長選はその真理を証明してくれた。稲嶺市長のまわりに一つに団結した闘いは圧倒的勝利をもたらした。もし、基地反対派が二つに分裂していたなら、勝利はあり得なかっただろう。
 これに対し、東京都知事選はそうはならなかた。一本化が最後までできなかった。統一と団結は数少ない力を幾層倍の力にし、逆に分裂は多数の大きな力をも幾分の一、幾十分の一、見る影もないものにしてしまう。
 「何で一本化できないのだろう」。都民の間から無数に上がったこの声は、それ自体、「脱原発」派への失望、幻滅と彼らを自分たちの代表として押し立てる推進力の減退を意味していた。極度に低い投票率は、悪天候以上に、この分裂による安倍自民への勝利の展望の消失によっていたと思う。
 もちろん、思想信条の異なる者同士団結するのは容易なことではない。だからこそ、団結は「求同存異」で行くしかない。日本を思い日本のために尽くそうとする愛国の心をお互いに認め合い、確かめ合いながら、思想信条の違い、過去の行きがかりや言い分などは横に置き、抑えて団結しなければならない。民意は、そのような広く大きな度量と包容力、そして団結のため、自らの思いや要求を犠牲にする強い克己の心を「脱原発」派に求めていたのだ。

■やはり、「脱原発」だけでは・・・
 名護市長選、東京都知事選で教えられたのはそれだけではない。スローガン、政策問題の決定的重要さだ。都知事選は、やはり、「脱原発」だけでは民意に応えられないことを教えてくれた。
 名護市長選で稲嶺さんは基地反対を唱える一方、経済も、自らの市政の実績に基づいて、「援助」に頼らず地方自身の力で循環させる経済を唱えた。これが大きかったと思う。安倍自民の札束で名護市民の頬をひっぱたくような選挙戦は、地に足の着いたこの稲嶺市長の経済政策によってはじき飛ばされた。基地に反対する民意は、稲嶺市政そのものを支持する民意へと一層揺るぎないものになり、稲嶺さんの圧勝をしっかりと支えたのだ。
 これに対し、東京都知事選はどうだったか。細川・小泉連合には主として「脱原発」しかなかった。特に経済がなかった。もちろん、小泉さんが言うように、「脱原発」は日本のあり方そのものを問う象徴だ。原発がなければならない日本なのか、それとも原発なしでも成長する日本なのかということだ。しかし、民意はそれだけでは納得しなかったのだと思う。今切実な経済問題をどうするのか、アベノミクスに代わるどのような経済があるのか、その提示を求めたのだ。
 「脱原発」だけではだめなのは、細川さんの連日の演説にも現れていた。社会保障の問題などへの言及が増えたのも、そのためだったのではないかと思う。
 「脱原発」をその象徴として前面に掲げながら、日本をどう変えるのか、その青写真を広げ、その中で東京都の占める位置と役割、そこからの新しい都政のあり方を提示することができていたら、それこそ、民意の要求に応えることができたのではないかと思う。

■問われる新しい闘争主体の構築
 名護市長選、東京都知事選が教えてくれたこと、中でも重要なのは、新しい闘争主体の構築こそが民意のもっとも切実な要求だということだ。
 名護市長選には闘争主体があった。稲嶺さんを中心に広範な名護市民の結束があり、沖縄をはじめ、全国、全国民的な支援、各政党、社会団体の一致した連帯、共闘があった。この強力な闘争主体があったからこそ、名護市長選の大勝利があったのだと言うことができる。
 それに対し、東京都知事選にはこれがなかった。そのために、民意に応え、闘いを安倍自民への勝利に集中させることも、その勝利のために求同存異の団結を実現することも、さらには、民意の要求を全面的に反映したスローガン、政策を掲げることもできなかった。
 民意のこの要求は、何も今回初めて提起されたものではない。この間、衆参両院の国政選挙でも提起されていた。民意の受け皿の不在、ここに安倍自民に圧勝を許した根本要因があった。
 今日、日本には民意の受け皿になり得る政党、政治勢力はない。既成の政党、社会団体でこの任を担えるところは、残念ながら、皆無のようだ。
 では、どうすればよいのか。嘆いていても仕方がない。ないものは創るしかない。
 主体構築の鍵は闘争だ。民意を体現し民意を実現する新しい闘争主体の構築は、民意に応える新しい闘争を通してのみ実現される。民意対安倍政権、闘争の年である今年は、そのための可能性に満ちている。東京都知事選の意義も実は、名護市長選勝利に続き、その勝利によって新しい闘争の地平がさらに一段と切り開かれるところにあったと言うことができる。
 都知事選の敗北、それによって闘争の気勢が大きくそがれたのは事実だ。だがわれわれは、この敗北から貴重な教訓を学んだ。それは、民意にこそ闘いの指針があり基準があるということだ。
 あらゆる闘いに先立って、民意がどこにあるか探り、民意にそって闘いを推し進めるようにすること。また、その闘いの総括も民意を基準に民意に基づいて行うようにすること。そこからのみ、闘争勝利への集中も、団結も、政策・スローガンも出てくるし、何よりも新しい闘争主体構築への闘いも出てくる。これを学んだのは大きい。
 民意に応える新しい闘争主体の構築は、原発や基地、集団的自衛権行使や秘密保護法、消費税やTPP、等々、全国、全国民、無数の闘いに基礎しながら、それを安倍政権に反対する一つの統一的な闘いに結集する中で推し進められていくようになる。闘争の炎の中、民意に基礎し、民意を基準に打ち立てられる統一的な綱領、スローガン、政策、そして闘争を生み、闘争を通して育まれる新しい活動家群、新しい政治勢力からなる統一的な組織的骨幹、広範な大衆的地盤を擁する、これまでとはまったく異なる新しい型の闘争主体が創られるようになる。
 もちろん、この主体の構築は、自然成長的には起こらない。そのための客観条件が成熟する中、問われているのは主体的営為だ。2014年、闘争の年、都知事選の敗北で挫折することなく、それを肥やしにして芽吹いてくる新しい力の台頭、その共闘を信じ共に闘いたいと思う。



議論(1)

今、憲法9条こそ積極的平和主義!

U・K


■積極的という言葉の悪用
 安倍首相が掲げる「積極的平和主義」。元々、この言葉はノルウェーの平和学者ヨハン・ガルツゥングが戦争のない状態を消極的平和とする一方、暴力や貧困、差別のない状態を積極的平和と定義して広まったものだという。
 しかし安倍首相の「積極的平和主義」は、そういうものではない。青井美帆学習院大学大学院教授も「解釈の広さを利用した狡猾な使い方だ。アメリカの作る『世界平和のあり方』、つまり軍事介入をいとわない『平和』を前提にしている」と指摘している。
 実際、安倍首相がこの言葉を使うようになったのは、昨年9月12日に発足させた私的諮問機関「安全保障と防衛力に関する懇談会」(座長・北岡伸一国際大学学長)の初会合後の記者会見で北岡氏がキーワードは「国際協調主義に基づく積極的平和主義」だと述べた時からだ。9月の国連総会で渡米した安倍首相は、保守系シンクタンク「ハドソン研究所」での講演で、「積極的平和主義」を集団的自衛権の行使容認と関連して説明している。
 聞こえのよい言葉を悪用しながら日米共同戦争体制を築こうとする安倍首相のやり方は許せない。

■9条は消極的平和主義か
 今、「積極的平和主義」をめぐる議論の中で問題だと思うのは、これを憲法9条との関係で説明し、9条は自国のことだけを考える一国平和主義であり消極的だ、日本はもっと積極的に国際平和のために尽くすべきだという論があることだ。
 果たして、憲法9条は消極的平和主義なのか。戦前の日本は、アジアの覇者たらんとアジア侵略を繰り返した果てに覇権をめぐって対米戦争を引き起こし日本を破滅させた。これを血の教訓として、もう絶対に覇権の道は歩まないという国民の堅い意思を反映したのが9条平和主義だ。
 そのために国際紛争を解決する手段としての武力威嚇、武力行使を放棄し、この目的を達成するために戦力を保持せず国の交戦権は認めないとした。こうして、自衛の名で侵略するという可能性の芽をも自ら摘み取った。
 一般的に自衛戦争では攻撃を受ければ相手国領土への攻撃も認められる。しかし9条はそれを自制し自国領土が侵略を受けた場合にも侵略者を自国領土から撃退する撃退戦だけを許し自国領土の外に出ての戦闘を許していない。
 こうして「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」し、「正義と秩序を基調とする国際平和を希求し」、そのために率先垂範しようとする決意と覚悟を込めた9条を消極的だと貶めてはならない。

■今、脱覇権の9条こそ積極的平和主義
 覇権の道は絶対に歩まないことを決意した脱覇権の9条平和主義、それは、今、古い覇権秩序が音を立てて崩れ去る中で、ますます光を放つものとなっている。これまで、国際平和は覇権国家が上から睨みをきかせてこそ実現されるという考え方が幅をきかせてきた。いわゆる覇権安定・覇権平和、古代ローマ帝国の下でのパクス・ロマーナ(ローマの平和)、米国覇権の下でのパクス・アメリカーナなどがそれである。
 安倍首相の「積極的平和主義」もその考え方に基づいている。だから彼らは米国の衰退によって各地で紛争が頻発するようになった、日本は米国と共にこれに介入し国際平和のために積極的に行動しなければならないと主張するのだ。
 リーマンショック、イラク・アフガニスタン侵攻の失敗によって米国覇権は崩壊した。こうした中で世界では主権尊重の地域共同体作りが進むなど脱覇権自主の流れが力強く台頭している。それはとりもなおさず、脱覇権の平和と安定という新たな平和主義の台頭を意味している。
 覇権回復に血眼の米国は、この流れに敵対し武力をもってこれを押さえつけようとしているのであり、そこに日本の軍事力を利用しようとしているのだ。だから安倍首相の積極的平和主義とは、そのための方便であり、その実、積極的戦争主義に他ならない。
 この戦争策動と闘い阻止する力は脱覇権自主の流れにある。そして、脱覇権平和主義の模範である憲法9条は、その流れを最も徹底して体現している。そうであれば、9条を堅持しその基本精神に基づいて脱覇権の平和外交を展開すること、これこそが今、日本に問われる積極的平和主義ではないだろうか。


 
議論(2)

自分の価値観をおしつける覇権的「価値観外交」を許すな!

A・S


 安倍首相は1月24日の施政方針演説で、「地球儀を俯瞰(ふかん)する視点でのトップ外交」を掲げた。
 この1年余り、安倍首相は31カ国を歴訪し、150回以上の首脳会談をおこなった。かつてない活発なトップ外交であった。だが、地球を飛び回ったからといって「地球儀を俯瞰する外交」と言えるのだろうか? そもそも世界を飛び回ることに意義があるのではなく中身が問題ではないか。
 安倍外交の中身は、「価値観外交」である。
 今回の施政方針でも、「私は、自由や民主主義、人権、法の支配の原則こそが、世界に繁栄をもたらす基盤であると信じます。日本が、そして世界が、これからも成長していくために、こうした基本的な価値を共有する国々と、連携を深めてまいります。その基軸が日米同盟であることは、言うまでもありません」と述べている。
 安倍首相は、首相に就任するやASEAN諸国を訪問し、「自由、民主主義、基本的人権などの普遍的価値の定着及び拡大に向けてASEAN諸国と共に努力していく」という安倍ドクトリンを伝達、公表した。そして、昨年12月にASEAN特別首脳会議(東京)を開催し、インド、トルコにも鉄道・道路敷設の援助を行い、アフリカ諸国にも訪れ、ダボス会議でも演説するなど、この「価値観外交」をおしすすめてきた。
 しかし、世界には社会主義、イスラム教などさまざまな価値観、宗教、文化と歴史の異なる国々がある。
 それぞれの国には独自性と自国の利害と実情がある。それを尊重し、一方で日本独自の利益も守っていくという自主性の堅持が外交の原則、出発点となる。互いに尊重しあうということなしに、相互理解や友好関係はありえず、世界の平和と繁栄を実現していくことはできない。
 安倍首相の「普遍的価値観」というのは、アメリカの新保守義者が提唱したものであり、ロシア、中国の包囲網を作るという戦略から生まれたアメリカの外交戦略である。それを安倍首相が行っているのは、世界から後退をつづけ影響力を失ったアメリカの補完として、アメリカに代わってその「価値観外交」をになうためである。東南アジア諸国やインドに力を入れるのもそのためであり、アフリカへの進出も中国への対抗からである。アメリカの撤退を穴埋めし、アメリカの覇権を維持するために世界を飛び回っているのである。
 特定の価値観を掲げた「外交」というのは、それに各国を従わせるか、合わない国を排斥する覇権主義外交となる。「砲艦外交」の砲弾を札束、援助に変えただけで本質はそれと同じである。
 実際、価値観が合わないとする中国、朝鮮とは関係を悪化させ東アジアの緊張を高めている。
 アメリカ覇権の崩壊はそれ自体、各国が大国の内政干渉をはねのけ自分の意思で自主的に発展していく新しい時代になっているという表れである。その流れに逆行してアメリカの先兵の役割を果たすことが、はたして日本の利益となり世界平和に寄与していくことなのか。
 内政では、日本を「戦争をできる国」にし、対外的には「価値観外交」という覇権主義をおこなう安倍政権ほど、アメリカに追随しその手先になって日本を危うくしている政権はない。
 先のASEAN特別首脳会議では中国の「防空識別圏」を問題視し中国の孤立をはかるという目論見を実現することができなかった。ASEAN諸国は中国と日本の対立激化を望んでいない。
 アメリカによる覇権外交が失敗したように、安倍「価値観外交」が破綻することはもっと明白であろう。アメリカの言いなりにならず自主的な外交をおこなう自主的な政権こそ求められている。



投稿

現代版 貧乏物語 派遣労働体験記(1)

平 和好(たいら・かずよし)


 派遣労働の問題が語られるようになって久しい。私が電機会社の正社員だった10年前、はじめて派遣労働者が我社に何人か来た。900人の事業所に日系ブラジル人と日本人の 若い男女が10数人だったと記憶する。その後、あっという間に数が増えて、職場の半数以上が派遣社員になったらしい。そして早期退職した私が3年前から派遣会社に登録して仕事をする事になった。その実体験を紹介したい。
 インターネットで仕事を探していた。50才半ばではほぼ100%、採用してくれる会社は無かった。若い子でも何十件も落とされる時代だから当たり前の事だろう。しかし、一つの会社から電話が掛かってきた。「応募ありがとうございます。ここ2、3日の間に面接に来てくださいませんか」。
 そこで日時を予約して出掛けた。すると、ネットで紹介された仕事はもう決まったと応対の社員さんが答える。でも登録だけお願いしますと言われ、何枚もの書類に記入した。面接というより登録会だ。仕事の面接だと思って行ったが派遣会社だったのだ。自分のような中高年もいるし、若い男女もいる。すると面接係の社員が「実は今晩の夜勤に空きが出ました。よければ行ってくれませんか?」と言うではないか。
 私はその夜も翌日も用が無かったので承諾すると、社員はコーナンへ走って行き、作業服上下を買ってきた。そのまま車に同乗して隣の県まで運ばれ、スーパーの天井の蛍光灯千本ほどをLED管に交換する仕事を明け方まで。と言っても管の包装をむいたり、ゴミとなったダンボールや紙を片付けるだけ。時給は夜中なので1100円。延々と同じ事をする単純作業と深夜の眠さで少々辛いが9000円ほどになるからまあまあだろう。給料は翌日か翌々日にはくれるというのでなお、ありがたい。
 早朝に仕事から解放されて自宅で寝ていると電話。「明日は大阪市内のビデオ販売店の棚入れ替え作業です」。昼間は時間給が900円。これがたいへんな仕事で、道路からはしご車のように渡したレールに載せた家具を百ほど、4人ぐらいでロープを綱引きのように引き上げて部屋に入れ込む作業。エレベーターに乗らない大きさなのでやむを得ない。6300円稼ぐのも楽ではなかった。帰宅すると足腰も肩も腕もパンパン。
 次の日、会社から電話が。次はそこで夜勤してくれませんか? え―っ! そのかわり時給は200円だけ高いから、ハイ行きますと答えてしまった。作業も要領がわかり楽になった。その仕事中にまた電話が。「そのまま、どこかで2時間つぶしてもらって朝からまた仕事してくれませんか」。
 派遣業界ではこれをダブルと言い、お金に困っている労働者には少々助かる代わりに、労災事故などの危険率も高くなってしまう。しかし結構行われている。トリプルもある。36時間ほど寝ずに仕事をする人もザラにいる。じつは私も4回経験している。その内の1回は熱中症みたいになって足がもつれて転倒してケガをした。無理してはいけないのが派遣労働の鉄則。派遣会社は怪我・病気についてなるべく知らないフリをする。
 もう一つ要注意なのが人間関係。労働条件が劣悪で、しかし普通の会社員には向かない人が多く、勢い、イジメ社会となりがちなことだ。発注企業→元請け企業→下請け企業→孫請け派遣会社の絶対支配構造が厳存し、それが派遣会社の中でいびつに発揮される。派遣業界の人手不足と高齢化傾向に拍車をかける一因ともなっている。筆者も一見温厚な風貌から標的になることも何回かあったが、何とか乗り越えて生き延びて来た。
 人間関係のコツは、ある程度まで耐え忍び、限度を超えた時には我慢せず、「穏やかに一刺し」をする事である。「働く仲間」への信頼に基づき、良好な関係形成を心がけつつ、会社やイジメ役を「それはちょっとまずいですね?」「違法の疑いがありますよ」などと「説諭してあげる」のだ。ここまで来るのに3年を要したが、しっかりマスターすれば楽しい派遣労働ライフを送れること間違いなし。もちろんこれは「普通の会社員」にも適用できる。「もう辞めてやる」と口走ってしまったり、ウツになるなんて人生モッタイなさすぎる。
<続く→次回予告「派遣労働とアジアと日本」乞うご期待(と言うほどでもないが)>



随想

都知事選の日に想う

金子恵美子


 ソチ冬季オリンピックが始まった。自分的にイマイチ盛り上がらない。世の中もそれほど盛り上がっているようには感じられない。
 私が盛り上がれない理由ははっきりしている。集団的自衛権の容認、秘密保護法の成立、靖国神社参拝に象徴される近隣アジア諸国との軋轢などなど、日本を自分の意のまま好き勝手に操縦している安倍晋三政権の存在だ。「日本を取り戻す!」。選挙の時の安部首相の標語だが、誰からどんな日本を取り戻そうとしているのか。彼が目指すのは、日本国民のための日本ではなく、彼自身のための彼が欲するところの日本だ。彼は政権党、首相の座をそのために使っている。でも、こんな政権、こんな人物を首相にしてしまっているのは私たち国民だ。自分で自分の首を絞めているのだ。こんな状況の中でオリンピックを心から楽しめるわけがない。
 また、もう一つの理由は、ソチオリンピックが厳戒体制の中で行われているという現実だ。オリンピックは平和の祭典と呼ばれるが、その対極にあるテロの頻発という現実。その現実に囲いをしての「平和の祭典」に、これまた心からの喝采をおくることはできない。四年後のオリンピックが今よりもましな世界の中で行われることを願うばかりだ。
 ところで、この「平和の祭典」の開会式に参席した安部首相と中国の習主席の様子を新聞が伝えていた。7日夜の開会式にそろって出席した二人。プーチン大統領を挟んで40席ほど離れた席に。選手の入場行進でも対照的な姿を見せたという。習主席は中国と香港の選手団入場の際には立ち上がって手を振って激励。台湾選手団の入場には座ったまま拍手を送った。ところが日本選手団の入場のアナウンスが流れると、固い表情で両手をひざの上に重ねたまま、身動き一つしなかった。一方、安部首相は、中国選手団の入場の際にも拍手を送っていた、というものだ。リーダーの拍手一つにも政治性が現されるということか。差し詰め、靖国神社の参拝に対して、「もとより中国、韓国の人々の気持ちを傷つける考えは毛頭ない」「理解していただけるよう礼儀をつくしていく」という安倍首相の「礼儀」を示したというところか。確か安倍首相は国民の8割が反対または懸念を表していた秘密保護法案を強行成立させた後に「もっと丁寧に時間をとって説明すべきだったと反省云々・・・」と発言したこともある。安倍首相の言動に触れるたびに私の頭の中にある言葉が浮かび上がる。「慇懃無礼」。丁寧すぎて、かえって無礼になること。礼を尽くしているようだが、実は相手をばかにして無礼なこと。こんなにこの言葉がぴったりな人を今まで見たことがない。拍手をしながら靖国神社を参拝する、これほど欺瞞的でかつて侵略された国の人々をばかにした行為はないと思うのだが、安倍首相は「自分は礼儀をつくしている」と自己暗示にかかっているのかも知れない。「積極的平和主義」しかり。「集団的自衛権の行使」=戦争への途を、こう言い換えることで、本当に自分は平和の為のことをしているのだと思い込んでいるのだ。としか私には思えない。こんな人を首相にしておいたら日本は破滅だ。
 しかし、いつの時代もこうした暴走、迷走は長続きしない。安倍政権の最大のアキレス腱は民意とのねじれにある。安倍首相が取り戻したい日本像を明瞭にすればするほど、このねじれは大きくなっていく。しかし、これは自然にはなっていかないのである。自戒を込めて、この国の国民の一人ひとりが自分の国の行く末に関心と責任をもって行動しなければだめだということである。この国の政治、私たちの生活、ひいては子供たちの未来、その全ては私たちにかかっているのだ。
 最近、京都大学原子炉実験所の小出裕章さんの講演を聴く機会があったのだが、<先の戦争について「騙されたのだ」という人がいるが、私は「騙された方にも責任がある」と言いたい。安倍晋三さんはバカだ。しかも、ただのバカではなく病気である。しかし、彼が首相の座にいるのは、私たち自身が病気だからである。「病を退くる力なきものの半ばは、その身もまた悪魔なればなり」(田中正造)>の言葉が胸に刺ささった。そして、「私たちは微力ではあるが無力ではない」というのはこの講演会を主催した「ラジオフォーラム」の人の言葉。どちらも自分が動いてこそ解決される。
 おりしも今日は東京都知事選の投票日。原発ゼロか推進かが問われ、安倍政権にも、今後の日本のあり方にも大きく影響を与える選挙だ。午後3時の時点で投票率は20・52%。うーん。わが国民の病は相当に重いということか。皆さんはこの状況をどう思われるのでしょうか?



時評

原発泰平国家を揺さぶる狼煙

Hayasi Mituaki


 今回の都知事選挙で特筆すべきはやはり、原発権力に挑んだ2人の候補である。
 まず、一貫した平和憲法遵守と全原発の即時廃炉を訴えに掲げた宇都宮氏の姿勢である。彼は告示直前まで、ブラック企業に苦しむ市民労働者の相談に懸命に取り組んでいた。
 派手な風貌も飾り気もないその語り口調は、数々の頼もしい実績を持つ実力弁護士にしては、失礼ながら取り立て雄弁ではない。そんな彼は譲れない道義と、揺るがない正義への信念を粛々と進める人である。
 テレビ生出演の政見主張の席で、田母神氏の余りに的外れの原発推進論に反射的に論争を挑んだのも宇都宮候補である。弱者を主軸に置いた社会正義の実現を悲願とする宇都宮健児氏の本気が見て取れた。積雪20cmの記録的大雪の中で車両が使えず、陣営の数名と大雪の中、前日の夜まで傘をさして練り歩く街頭遊説を続けた宇都宮氏。そんな彼に気付かぬほど、東京都民の眼は節穴ではない。その結果は次点得票数に結実した。
 一方の雄、細川護煕氏の勇姿も実に見応えがあった。かつては内閣総理まで担い、引退後は細川藩第18代藩主として、地元で伝統陶芸品造りに傾注する優雅な毎日を許すほど、原発に揺れる国内情勢は甘くはなかった。出馬会見から少し出遅れた都政政策発表会見の場では、嫌味さながらの記者たちの質問にもたじろがず、前方をぐっと見据える眼光に、宇都宮氏と別の覚悟が感じられた。
 「危険な事実に蓋はしない!」とその危機を深刻に訴えた、12年前の原発推進派の先鋒、小泉元総理。「核燃料廃棄場を具体提示できない原発推進政策など、無責任極まりない。
 また事が起きれば、国民国家もろとも総倒れになる。この原発依存国政をすぐに止めるべく、一刻も早い全原発の即時廃炉の決断をすべきだ。新たな都知事は、この考えに沿った方に就任して貰わないと困る。脱原発号令を首都から発信して頂く提案にいち早く承諾してくれたのが細川さんです」…時代の寵児の蘇える強弁に、記者会見場は凍りついた。
 昨年夏から、脱原発の持論で自民党首脳たちを戦々恐々とさせていた小泉氏は、フィンランド視察後に更なる信念を固めた。そして、それが自民党幹部の呟く"引退した変人の退屈凌ぎの発言"ではなく、人生最期の使命に"復帰"した大真面目な決意である事を、プレス報道で国内に宣言した。事実上の宣戦布告を、「悪の栄えし原発政治の成敗」に推参した同志、細川殿との統一行動で示した。
 開票結果は無念だったが、細川氏は会見の場で、脱原発を争点にさせない闇の動きを暴露し、小泉氏に至っては、嘲笑を続けたマスコミと原発政権に「置手紙」を差し向けた。
 「人間は変わるのです」に遅いはない。安倍政権は、元総理組に牙を向ける地雷を踏み、今回の都知事選と名護市長選に、新たな安保闘争が開始した狼煙が上がるのを実感した。
 街宣演説で、吹きすさぶ寒風に顔を強張らせて出馬の礼を言う小泉氏の言葉に、人目もカメラもはばからず目を真っ赤にして涙を流す細川氏。大雪の舞い降る厳冬の地と化した東京で、メディアの陰口に動じず、勝手連の応援団と一体で脱原発を訴えた細川・小泉タッグの勇姿。この瞬間、乱心どころか2人が本当の総理になった姿を見た。
 宇都宮氏の揺るがぬ正義の信念。過去を払拭する細川・小泉組の前進あるのみの活動。
 悪政の雲にあえぐ日本の政治に、森林から眩い黎明の光が差し込んだ。


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