研究誌 「アジア新時代と日本」

第125号 2013/11/10



■ ■ 目 次 ■ ■

編集部より

主張 滅びゆく米国覇権の手の平で踊らされるな

議論 安倍政権の「自主」を議論する

投稿 経済政策と社会保障を一体に

投稿 アジア〜西欧〜日本〜覇権考

時評 地方経済を侵食した自然改造




 

編集部より

小川淳


 原発はなぜ許されないのか
 小泉純一郎の「脱原発」発言が波紋を呼んでいる。脱原発のドイツと原発推進のフィンランドを視察した元首相、「脱原発を行って納得、見て確信」したという。
 小泉さんが一番問題にしているのは「最終処分場」だ。どの国も核廃棄物最終処分場(=トイレ)を造りたいが、危険施設だから引き受け手がない。最終処分場もないままに54基もの原発を作り続けてきたのが日本だ。いずれ全ての原発は廃炉を迎える。そのとき日本のどこにも処分場がない、廃炉したくても廃炉できない事態を迎える。
 フィンランドの核廃棄物最終処分場「オンカロ」は世界で唯一、着工された最終処分場だという。2020年から一部で利用が始まる。原発の使用済み核燃料を10万年、「オンカロ」の地中深く保管して毒性を抜くというのだ。人類の文明が発祥してからまだ5千年しか経っていない。10万年という気の遠くなるような未来にまで膨大な核廃棄物を残すことに原発維持派は何の「呵責」も感じないのだろうか。それが可能かどうかというような技術論以前に、そのようなことが許されるのかという「倫理」そのものが問われているのではないか。
 なぜ原発は許されないのか。「誰かの犠牲の上に成り立っている原発は倫理上許されない」という大江健三郎さんの言葉が重く胸に響いた。なぜなら原発に対するもっともラディカルな批判の視点と思うからだ。
 明らかに原発は誰かの犠牲なしには存在しない。子々孫々に放射能まみれの核廃棄物を強いることも、原発労働者の存在や立地住民に危険な原発を押し付けることも、そして研究開発、建設、維持に膨大な血税を浪費されることも。いつまで続くか分からないフクシマの現実が何よりも雄弁にその犠牲の悲惨さを語っている。
 倫理とは、平易に言えば、人がやってはいけないという規範だ。人に迷惑をかけてはいけないとか、誰でもそのような規範をもって生き働いている。社会ではこれは常識だ。
 原発をめぐっては色んな論議がある。しかし、賛否両論を聞きながらいつも思うのは、人の犠牲を強いることは、いかに便利で効率的であろうとやっぱりやってはいけないという、すごく単純なことだ。核のゴミを10万年も残すなど、人としてやってはいけない最たるものだ。



主張

滅びゆく米国覇権の手の平で踊らされるな

編集部


 今日、米国の覇権は見る影もない。わずか十年前、イラク戦争の恐怖で世界に屈服を迫った米国の権勢はどこに行ったのか。今や、米国は変わった、戦争ができなくなった、覇権を諦めたとの評価さえ出てきている。そうした中、オバマが安倍を遠ざけているとの見方も生まれている。本当にそうか。正確な評価と判断が問われている。

■ますます明らかになる米国覇権の崩壊
 米国覇権の崩壊はもはや隠しようがない。それは何よりも、世界政治で米国の意思が通らなくなっているところに端的に現れている。
 これまで、国際情勢の動きで最も重要なのは米国の動きだと言われてきた。それは、世界が米国の覇権の下にあり、多分に米国の意思でその動きが左右されて来たからだ。
 しかし今日、その「神話」は大きく崩れ去り、それはこの間また一段と進行した。「シリアへの軍事制裁の中止」「スノーデンCIA職員の亡命」「メルケル首相の携帯盗聴」など一連の国際事件はその証に他ならない。これらに共通しているのは、米国覇権力の著しい衰弱だ。十年前、イラクでは「大量破壊兵器の存在」を口実に戦争が引き起こされた。しかし、今日、シリアで「化学兵器使用」をもって軍事行動を起こすことはできなかった。イギリスでは議会でこの軍事行動への共同が否決され、米国では国民の過半が大統領の提起に反対した。一方、「スノーデン事件」では、CIAの盗聴行為を暴露したスノーデン氏の身柄引き渡しを求めた米国の要求は、中国やロシアによって無視され、ロシアはその一時亡命を許した。また、「メルケル首相携帯盗聴」が世界の面前で暴露され、米国への非難はごうごうだ。ここにも、米覇権力の大幅な低下が見て取れる。もはや米国はさほど恐ろしい国ではなくなったのだ。
 米覇権力の衰退は、ドルの基軸通貨としての地位のかつてないぐらつきにも現れている。米国の無制限のドル乱発と財政赤字の限界超え、それにともなう「デフォルト(債務不履行)」騒ぎ、さらに新興BRICS諸国による独自銀行、開銀の開設は、その現れだと言うことができる。

■米国は覇権回復を諦めていない
 米覇権力の目に見える衰退、とりわけシリアへの軍事制裁放棄は、国際政治に少なからぬ波紋を投げかけた。米国はもはや戦争ができなくなったのか。覇権を放棄するのか。そうした中、新自由主義やグローバリズムからの転換、等々、米国が変わったという論調も出されてきている。だから日本も自らの新自由主義的でグローバリズム的なあり方を変えるべきだということだ。
 新自由主義やグローバリズムからの転換を説くのは良い。しかし、その根拠を米国の変化に求めるのはどうだろうか。本当に米国は覇権を放棄し、覇権回復を諦めたのか。
 それはまず、あり得ないことだ。その証拠にオバマは、米国を「特別な国」と言いながら、世界に対する「リーダーシップ」の行使を米国の使命として強調している。米国は普通の国ではない、世界を指導する国の上の国、それが米国だということだ。この覇権国家米国が失われた覇権の回復に狂い立つのは余りにも当然だ。
 今日、米国は失われた覇権の回復をどう図ろうとしているのか。それが米国単独でできないのは、ブッシュの単独行動主義の惨めな破綻を見るまでもない。国際協調主義の下、「関与」と「指導権」を掲げてのオバマの登場はその証だ。
 以来5年有余、米国覇権の回復はどうなったか。それが思うに任せていないのは、ますます顕著になる米国覇権の崩壊に如実に示されている。
 そこで打ち出されてきた一つが、アジア重視の下、中国と他のアジア諸国を対立させ、そこに関与して指導権を打ち立てる戦略だ。南沙群島、尖閣諸島などをめぐる領土問題、ASEANプラス3に楔を打ち込み、米国の指導権の下、新たなアジア太平洋経済圏をつくるTPPなどは、そのための戦術だ。そうした中、核による米覇権戦略に反対し、その破綻を目指す朝鮮の核による自国防衛、反覇権戦略に対しては、核をめぐる朝中間の矛盾を利用して、朝鮮を孤立させ、米国の覇権の下に誘引する対話路線を採ってきている。
 だが、こうした戦略戦術は「絵に描いた餅」だ。南沙群島をめぐるASEAN諸国と中国の対立は、双方の間でそれを克服する話し合いが進み、そこに米国が付け入る隙は大きくない。一方、TPPは、自国に有利なものに対しては自由化を求め、不利なものは保護する米国の身勝手により遅々として進展しておらず、朝米対話も、核をめぐる覇権か反覇権かの攻防でにっちもさっちもいかない膠着状態に陥っている。
 この難局にあって、米国がアジア諸国との「国際協調」により覇権回復戦略を敢行する上で鍵となるのは、日本の軍事力、経済力をこの戦略遂行に取り込み利用することだ。昨年8月15日、突如打ち出されてきた「アーミテイジ・ナイ報告」に込められた米国の底意はこの辺にあった。

■日本は米覇権回復の先兵にされてはならない
 「日本は一流国家であり続けたいのか、二流国家で満足するのか」と切り出した「アーミテイジ・ナイ報告」が強調してきたのは、「強い米国は強い日本を必要としている」ということであり、その強さとは、アジア太平洋地域で指導権を発揮できる強さ、集団的自衛権を行使できる強さだった。
 日本の政界、財界、マスコミ界を挙げて、「強い国」「強い日本」の大合唱が始まったのは、この「報告」からだった。このときから「強い日本」への怒濤の奔流が生まれた。それに押し出されるかのように、それまで下馬評にかろうじて挙がっているだけだった安倍晋三があれよあれよという間に自民党総裁に選出され、11月には野田首相があれほど渋っていた総選挙の年末実施を発表した。その結果が安倍自民党の歴史的圧勝だったのは周知の事実だ。怒濤の寄り身は、安倍政権樹立後も続いた。TPP交渉での「聖域なき、ではない」というオバマ発言の引き出し、財源の裏付けのない紙幣増刷、「際限なき金融緩和」を基本とする「アベノミクス」、これによる景気浮揚感を背景とした参院選圧勝、そして東京オリンピック招致、等々、安倍自民党政権は、文字通り、「強い日本」の演出者として登場した。
 これら一連の事象の背景に米国の力が働いていたのは一目瞭然だ。「アベノミクス」一つとってみても、それが円安誘導だと非難されず、日本国債売りにつながらなかったのも、さらに株価上昇を生み出したのも、そこには米国および米系外資の強力なてこ入れがあった。
 参院選後、「強い日本」への動きはさらに一層加速化されている。9月、首相の私的諮問機関「安防墾」(安全保障と防衛力に関する懇談会)の設置と「国際協調主義による積極的平和主義」をキーワードとする国家安全保障戦略の討議、10月、「2プラス2」(日米の外務、防衛閣僚会議)の開催とそこにおける新たな「日米防衛協力のための指針」(ガイドライン)の2014年末までの策定、国家安全保障会議(日本版NSC)の設置、集団的自衛権行使への憲法解釈見直しなどについての合意、そして、これらの機密を守るための秘密保護法策定への動きなど、「アーミテイジ・ナイ報告」は確実に実行に移されていっている。
 こうした昨年8月からこれまでの動きが物語っているのは何か。それは、安倍自民党政権が徹頭徹尾、米国によってつくられ、米国によって支えられ、米国によって動かされている政権だということだ。それは何のためか。失われた米国の覇権を取り戻すためだ。そのために日本がアジア太平洋圏に「関与」し、「指導権」を発揮しろということだ。もちろん、それは米国の徹底した統制の下でのことだ。そのために今、米国は日本の軍事、経済を徹底的に米国の下に組み込んでいる。「2プラス2」や「アベノミクス」、TPPはそのためのものだ。これらを通して、米軍の指揮の下での日米共同戦争遂行が現実化されるようになり、アメリカン・スタンダードの下、米巨大独占の日本経済への全面浸透、日本経済のアメリカ化が一気に加速されるようになっている。
 今日、覇権時代の終焉に当たって、これは何を意味するか。それは、日本が時代の基本趨勢となった反覇権、脱覇権自主の流れに敵対し、米国の覇権回復のため、その先兵になるということだ。事実、今、TPP交渉で米国と各国の二国間交渉を積み上げていく方式が採られている中、日米交渉はその先陣を切るものとなっており、尖閣諸島をめぐる中国との確執は領土紛争の「模範」にされている。
 滅びゆく米国覇権の手の平で踊らされるな!それが日本破滅からの脱出路だ。



議論

安倍政権の「自主」を議論する

魚本公博


 「強い米国は強い日本を求めている」、昨年発表されたアーミテージ・ナイ報告の締めくくりの言葉である。それに応える安倍政権の集団的自衛権の行使容認策動。今国会での成立を目指している国家安全保障会議設置法案、特定秘密保護法案などのファッショ法も、そのためのものである。
 それにもかかわらず、安倍政権は、米国との関係で一定の独自性、自主性をもっているかのように見られている面がある。
 本誌124号の投稿O・Mさんの「安倍総理の唯一評価できるところは、アメリカに警戒されていることです。"民主主義"帝国主義のアメリカの神経を逆なでするところがあるからでしょう」という議論提起もそれを反映しているのだと思う。果たしてそうなのか。今回は、これについて議論を提起したい。

@「同床異夢」なのか?
 10月3日の日米の2プラス2の会合、これを報じた朝日新聞の記事の題目が「同床異夢」。
 それは、中国脅威に対処した軍事協力を討議しようとした日本に対し、米国の態度はそっけなかったということ。具体的には、声明に「尖閣」が盛り込まれず、日本側の「敵基地攻撃能力」への取り組みについて米国側からのコメントがなかったことなど。これを扱った5日の朝日新聞社説の題は「日米間にズレはないか」であった。このように最近、日米間で隙間風が吹いているかのような論調を見かける。
 しかし、今回の2プラス2では、14年末までにガイドラインを見直すことが合意され、安倍政権による集団的自衛権行使容認への取り組みを「歓迎し、日本と緊密に連携していく」という声明が発表された。ちゃんと米国は獲得すべきことは獲得している。
 新ガイドラインは、日本の集団的自衛権行使容認を前提にして策定されるということ。そして、この日米政府間の取り決めは、憲法に優先する。改憲や解釈改憲に関係なく、集団的自衛権の行使容認が実行されていく。
 これによって、アーミテージ・ナイ報告で米国が日本に要求した集団的自衛権行使を容認して、アジアでの米国の軍事行動に日本も直接参加するようにせよ、という目的は達成される。それを「同床異夢」とか「日米間にズレ」などと解説してみせるのは、ことの本質から目をそらせるものでしかない。

A対中関係で日米のズレがあるのか?
 米国も「中国脅威論」の立場に立っていることは、米国の各種報告書でも明らかにされていることだ。その上で米国の戦略は「中国取り込み」である。米国経済界も中国の「自由主義市場への一層の取り込み」を要求している。そして政治的には「二大国間の関係構築」である。ありていに言えば、米中両大国で世界を牛耳ろうと誘っているということだ。
 それを実現するための戦略が、アジアでの「関与と指導力発揮」戦略。すなわち、この地域の問題で中国と他の諸国が争うように仕向け、それに米国が調停者よろしく関与し指導力を発揮して、その存在感を高めることで、中国をも含めたアジア全体の上に立った地位を獲得しようというものだ。その焦点としての南シナ海と尖閣列島。しかし、南シナ海では、ASEAN諸国と中国は、行動準則を作って軍事紛争を未然に防ぐ方向に進んでいる。中国とベトナムとは石油の共同開発を進めている。
 加熱したのは尖閣列島。尖閣問題が紛糾化したのは、アーミテージ・ナイ報告が発表された前日、米国の資金援助を受けている香港の反体制活動団体が尖閣に上陸したからだ。石原慎太郎氏の東京都による尖閣購入発言は米国での講演で披露されたものだ。尖閣紛糾化の背後に米国があるのは明らかだ。
 そして、米国は日本には「尖閣は安保の範囲内」と米国が後ろ盾になるかのように言い、中国には「日中間の問題に口を挟むつもりはない」と大人の態度だ。ここでは互いに争わせて、その上に立つという作戦が見事に当たったというべきか。
 日米間で対中国政策の違いがあるのではなく、米国が日本にそういう役回りをさせているということだ。

B「安倍政権は米国に警戒されている」のか?
 戦後一貫して、日本が米国から離れ独自の自主的な道に進むことを米国が警戒してきたことは事実。
 CIA職員スノーデン氏によって米国が各国の元首の盗聴をやっていることが暴露されたが、この5日には米国が日本に対しても監視活動を行っていることが明らかにされた。いかなる友好国も友好人士も頭から信じてはならず離反の傾向はないかなど監視をするのは覇権国家としての原則だ。
 その上、戦前、満州経営に手腕を発揮し戦犯でもあった岸信介を祖父とすることを誇りに思う安倍首相であってみれば、安倍首相も軍国主義的な自主志向の持ち主として米国は当然警戒しているだろう。
 しかし、岸信介は60年安保を改正し、そこに極東条項(在日米軍は日本防衛だけでなく極東における国際の平和と安全のために出動することができるとした条項)を入れることで、米国のために働いた。
 軍国主義的自主は米国にとって利用できるものなのだ。何故なら、それは何よりもまずアジアで覇を唱えようとする思想であり、そのためにはより大きな覇権に擦り寄るからだ。明治以降の「脱亜入欧」がそうであった。岸信介もそうであった。
 それ故、安倍首相もそうなると見ているということだし、実際、安倍首相はそのように動いている。それに対して警戒というよりも、米国は、その軍国主義的思考を煽り利用していると言った方が正しいだろう。
 もちろん軍国主義的自主は米国に向かう可能性がある。しかし、そのための日本の情報収集であり監視である。孫崎氏の「戦後史の正体」には、少しでも対米自主の志向を示した政治家がその政治生命を絶たれ不審な死を迎えたかが書かれている。軍国主義者が米国に対して歯向かわないようにする手立てはいくらでもある。

Cこれが「対米自主外交の勝利」なのか?
 今年2月に安倍首相が訪米して交渉参加を伝えた折り、オバマ大統領から「聖域なき、ではない」という言質を取ったというので、マスコミや親米論客は、「戦後、初めて国家と国家の関係になった」と、まるで対米自主外交の勝利であるかのように絶賛した。
 しかし今、TPP交渉はどうなっているのか。参院選で公約した「聖域5項目」も品目ごとに認めることにした。交渉参加と同時に行うことが合意された日米FTA交渉では、日本製自動車への2・5%、トラック25%の関税は25年間据え置くと米国の言いなりだ。
 今、TPP交渉は遅々として進んでいない。それは、この交渉の実態が、米国が巨大な購買力をちらつかせながら、相手国に米国企業の自由な行動を許すように要求する二国間協議として行われており、その覇権主義的な主権無視のやり方故に交渉が進まないからだ。
 しかし、日米FTA交渉は進む。日本は米国スタンダードを受け入れ、特区形式での外資誘致(米国企業)などを伴って日米経済の米国経済への組み込みは進む。これが、「対米自主外交の勝利」がもたらしたものなのだ。
 安倍首相が「自主」であるかのように演出する米国。それに合わせてマスコミや親米論客が「同床異夢」だとか「日米間にズレ」「安倍・オバマ間に隙間風」などと解説し、あたかも安倍政権が対米自主かのような印象を国民に与えている。
 日本国内ではそれが通用しても、アジア諸国はそう見ない。そこで米国は、アジア諸国には自分は決して日本に同調するものではないことを印象づけようとしている。2プラス2会合の前日、ケリー国務長官とヘーゲル国防長官が千鳥ケ淵戦没者墓苑を参拝した異例の行動もそのためだ。
 米国の手の平の上で踊らされ、米国のためにアジアと対立し戦う方向で動かされている日本。
 安倍首相の「自主」とは、そういうものではないのか。


 
投稿

経済政策と社会保障を一体に

O・Y


 前号「どうする社会保障の見直し」については「少子高齢化」に対処するということではなく、「貧困の拡大」にどうするかという観点でなされなければならないというのは賛成です。
 生活保護以下のワーキングプアの増大、ネットカフェで夜明かし、1畳半の"アパート"、結婚を諦める若者の増加、「プア充」思想の拡がり等々、貧困が満潮のように足下を浸してきていると思います。ごく少数のエリート社員以外は終身雇用はやめる、賃金格差の拡大は企業のグローバル化から一挙に露骨に進められました。
 景気が回復したときも、国際競争力のために資本備蓄をと、1兆円も内部留保で貯めこんだキャノンが経団連を牛耳っていました。
 今一般的若者は海外旅行や自動車への関心は薄れ、スマホでの仮想空間での冒険で充足しているかのようです。生まれてから20年以上続く「不況」のもとで今が豊かであると錯覚しているかのようです。「清貧の思想」が登場したころは、本当に豊かさがまだ残っていた時で、ぜいたくをして未来への備えを取り崩すなという意味合いがありましたが、今は物質的豊かさは心から嫌だ、そのためにがりがり働くのは嫌だという思想です。セーフティネットは必要不可欠ですが、社会保障はもっと前向きに、総合政策的に考えられねばなりません。
 今安倍政権は生保切り下げから開始しました。本来ならワーキングプアを無くすべく最低賃金制の遵守を経済界に要請し、維持するために補助金を設定するべきですが、やっていることは、もうかっている大企業の労働者の賃金をあげて購買力を高めよ、ということでした。その見返りが正規従業員の解雇をしやすくする法の改正です。
 社会保障は総合的に考えるべきですが、その一番は子育て支援でしょう。
 女性の労働力の活用は経済政策として最優先課題ですがそのためには子育て支援の制度が充実していなければなりません。子供手当の現金給付がさんざん批判されました、パチンコ代に消えるだけだと。パチンコは社会保障の敵みたいですね。それはともかく、たしかに保育所やベビーシッターの制度的拡充が急務でしょう。子育ては親だけの仕事ではないことを、65歳?75歳のヤングオールドを活用して、彼らの将来世代へのかかわり欲求を満たし、年金を補う賃金も得られるシステムが作られるといいと思う。女性が仕事を得て共稼ぎができると結婚を諦めずにすむ、根本的な少子化対策にもなるのです。人口減=経済の衰退に対しての根本的経済政策にもなるのです。
 また、路上生活者やネットカフェ難民、そして"1畳半のマンション"という「ここまで進んだか貧困が」という思いですが、ここは社会資源の整備として、大量の公営住宅としてのアパート群の創設が公共事業費の重点的投入でなされることが期待されます。はこもの投資は無駄の象徴とされてきましたが、このような社会保障と密接な投資は景気対策にもなると思います。
 このように経済政策と社会保障を一体的に考えていくといい案がいろいろ出てくるのではないかと思います。社会保障を単なる出費と考えるので制限することばかりになるのです。
 以上、まとまらないのですが思いつくままに書きました。


 
投稿

アジア〜西欧〜日本〜覇権考

平 和好(たいら かずよし)


 前号O・Yさんの論考は大変意義深いものであると、敬意を表しつつ しかし、言っておきたい事もあり、論議をしたく思います。
 「白髪三千丈と南京30万人虐殺がだぶる」これは極右達が日本軍の否定できない大蛮行を否認する時の決まり文句です。「それはおいて」おくことは、できないと思います。「チベット」解放前は王様と宗教支配者の暗黒の専制があり、農奴の生死はその一存で決められ、刑罰も牛による四肢八つ裂きなど残虐極まる方法だったし、大学もなく非識字率が解放前の何倍だった等をどうお考えでしょうか。対する現代チベット・ウィグル人の「一部の」運動は、放火・暴動・爆弾などの「テロ行為」そのものです。チベット・ウィグル自治区の人たちは全人代にきちんと代表を送り出しており、「テロ行為」はチベット・ウィグル人の支持を得ていません。「過去何千年の他民族虐殺」=良くないですね。日本軍=奈良時代の朝鮮派遣軍・豊臣軍・倭寇・大日本帝国、もちろん西欧帝国主義国、皆ひどいことをしました。中国以外の国は自国を遠く離れた中国でひどいことをしたのであり、中国とは比較するのに無理がありすぎます。
 大東亜共栄圏=アジア人民の解放闘争=帝国主義戦争を植民地解放へという幻想を当初持たせたので日本軍は快進撃しましたが、すぐにそれが嘘であり、日本帝国主義の戦争だとバレたので戦局が一気に日本不利になりましたね。
 中国が覇権国家だと言われますがアメリカが百年間にやったことを覇権と言うなら内容において中国はハの字にも達しないです。アメリカの覇権の犬になっている日本とは摩擦が拡大していますがフィリピン、ベトナムなどとはそれほど争いにはなっていません。安倍のしていることをよく見ていただきたい。アメリカのポチの完成形を目指しているのですよ。何が自主なものか。
「朝鮮が中国に反発する気配があり期待がもてましたが、今はまた中国に懐柔されたようで残念」。最近の朝鮮の姿勢を見れば認識の間違いに気づくでしょう。「なぜお前たちだけ核を独占して我々には持ってはいけないというのだ」と事実上朝鮮はアメリカにも中国にも言ってます。中国の機嫌を損ねることなど覚悟の上です。一時、中国は怒りましたが現在、朝鮮ペースで中朝友好が復活しています。数千年の歴史で中国が大規模に侵略したのは朝鮮ですが、常に手厳しい反撃にあい、ある皇帝はその時の傷がもとで落命しましたし、巧みな外交でついに支配できずじまいになりました。現代朝鮮の対米中外交はおっしゃるところの数千年の歴史も踏まえ、現代の情勢も見切り、大したものです。
「ロシアが火事場泥棒的に入り込んできて、満州や朝鮮半島から日本人を一掃し抑留もした。」私の父は中国東北部に居住し、シベリアに送られましたが口癖は「日本軍は中国人に本当にひどいことをした。わしは見た。内容は言えない」でした。泥棒は日本です。ソ連の進駐は日本軍を武装解除できる大規模武力がなかった朝中の要請もあったでしょう。そうそう日本人は一掃されていないです。朝中に色々な形で生き延びましたよ。政府幹部になった人もいるようです。
沖縄で日本軍が住民を盾にしなければ、東京大空襲、広島、長崎となる前に戦争をやめておけば、日本人の犠牲は少なかったでしょう。天皇陛下を守るために時間稼ぎをしたのが真意。それでも勝てないと悟って白旗をあげたのです。インド人判事は大東亜共栄圏の幻想の真っ只中にあった時代から数年も過ぎていないからまだ目覚めていなかったのではないですか?
 以上、大いにこれからも論議しましょう。合言葉は持っています、反覇権です。



時評

地方経済を侵食した自然改造

林 光明


 北海道の南部渡島半島に位置する熊石町は、北海道南西部檜山支庁中部にある日本海に面した町で、日本で唯一の太平洋と日本海の両方に面する町である。2005年10月1日に渡島支庁管内の八雲町と支庁を越えて合併し、現在の新町名は八雲町である。人口3500人程の小さな町を支える経済は、豊かな海に依拠した漁業であり、コンブ(昆布)漁の町としても栄えていた。
 ところが、約15年前に漁獲が激減し、コンブがほとんど獲れなくなっていた。
 重要な水産資源の枯渇は、地元の漁師達と町民を深刻に悩ませたが、地元漁師の見解では、原因は海中の岩礁に覆うように広がる正体不明の"白い岩"ではないかということであり、北大水産学部のチームが調査をしたところ、白いある物の正体は石灰藻だった。
 石灰藻とはカルシウムを多く含む藻の一種で、通常はカジメなど他の海藻とバランス良く棲息している。だが、何かでバランスが崩れ石灰藻のみが異常繁殖したのである。そして、この石灰藻の上には他の藻類は付着できないが、色んな魚貝類を育む海の"ゆりかご"が消えてもウニ類のみは石灰藻に貼り付いていた。ウニ類は海藻類を食糧とするので、固い石灰藻も食べて生きていたが、栄養が少ない為、殻の中身は卵巣が痩せて異様な状態だったと言う。一体、何がきっかけでバランスが壊れたのか…。
 原因は陸にしかない物質が海に流入しなくなった為である、との結論だった。森林の土壌に棲む様々なバクテリアは、落葉などを分解する際にフルボ酸を作り出すが、このフルボ酸が元々土壌に含まれている鉄分と結合して新たな物質を生成する。これが陸にしかない物質、フルボ酸鉄(IRON FULVATE)である。
 海洋に流れ込んだフルボ酸鉄は窒素、リン、カリウム等の無機物質である栄養分と一緒に海藻に吸収される。つまり、海藻は生育に必要な鉄分を間接的に陸から得ている。そして、このフルボ酸鉄は石灰藻にとって天敵と言える存在であり、増殖を止める効果を持っている。実験では、フルボ酸鉄を注入した石灰藻は約1週間で胞子が黒色変化し、死滅した。
 この事から、石灰藻が異常繁殖した要因は陸から海へのフルボ酸鉄の供給量の減少にあると断定された。北大水産学部によれば、海藻が豊富な海域への流入河川と石灰藻が埋め尽くす海域のそれとを比較すると、ひどい場所では正常値と比べ1/100マイクログラム以下と判明した。なぜ、こんな思いもよらない現象が起こったのか。
 原因として挙げられるのは、森林伐採を始めとする自然破壊にある。つまり、@森林伐採地区が広がると当然、落葉も減少する⇒落ち葉を分解して栄養源とする土中バクテリアは死滅する Aダムや河川の護岸工事がフルボ酸鉄を含んだ地下水(土砂)を遮断してしまう⇒海岸線の舗装道路も雨水によって海洋に染み出すフルボ酸鉄を遮断してしまう…この事実が大きく影響していた。
 要は、森林から海へのフルボ酸鉄の供給量が減ったため、無機物質の栄養分の供給が極端に減った海藻の種子(胞子)が岩礁に着床しなくなって石灰藻以外の海藻が減少し、代わりにフルボ酸鉄が苦手な石灰藻が異常繁殖したのである。この現象は北海道八雲町(旧熊石町)に留まらず、日本中央部の三重県放座浦漁港や、南は鹿児島県枕崎漁港まで全国に及んだ。同様の被害地方は、遡る10年間で漁獲高は1/2に落ち込み、この急激に漁獲高が落ち込んだ海域の分布図と石灰藻拡大図を照合すると、驚異的に一致した。
 "人間は自然を支配し、改造する事が出来る存在である"と言う哲学がある。この場合どうだろう。建築に必要な木材を乱獲伐採し、護岸工事と言う美名で車両を通す為に土の上にコールタールを流し込み、確かに「一部の人間に都合よい自然改造」は出来たかも知れない。だが、まさか海洋生物の生存バランスに陸上のバクテリアが大いに関与し、そしてそれを吸収する手段が雨水流入にあったとは、事が起きるまでは想像も出来なかったのだ。片手落ちの自然改造は、環境破壊に成り果てた。
 宇宙の摂理の影響下にある地球は、自然効力、不可抗力等を受け、人間を含む全生物が命を保っている。一定範囲内でなら修復可能なバランスも、その範囲をはるか超えると取り戻せない事態になりうる警告である。
 自然開発が一様に悪いとは言えないが、業界利潤のみ考え、未来全般を見据えないとこの事例の様な報いが来る。「他生物に有害でも、人間だけは利益になる」と言う事は絶対にあり得ない教訓である。
 この国の政治は自然と調和する概念において、戦後から現在まで間違いを犯し続けている。打ち寄せる欧米金融資本の波に呑み込まれ、民族の先祖が大切にしてきた"生きる調和"を忘れ去り、民族の歴史を育んだ自然山河に感謝するどころか、ないがしろにしてきた。「進んだ近代化」は鉄筋建造物や幹線道路がひしめく都会の街並みの代名詞となり、実り豊かな海や山の里を「立ち遅れ、取り残された地方」と嘲笑の対象にした。
 金融大資本の高額な利益単価に直結する産業に国民を駆り立て、人間にとって本当に大事な生き方は何かと言う事を、産業を通じて訴えようとする人々と地方の生き様を無視し続け、切り捨てた結果が上記の例である。
 人間と自然の幸せを考慮に入れた多角的な観点を持つ政治経済だけが、この21世紀以降に求められる、真に新しい時代の要求に応えられるのである。


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