2020年夏季オリンピック開催地が東京に決ったというニュースには驚いたが、「民主、9条改憲へ素案、集団的自衛権を明記」という朝日新聞一面記事にはもっと驚いた。
民主党の枝野憲法総合調査会長がまとめた憲法9条改正案は、9条の現行部分(戦争の放棄と戦力の不保持)はそのままにして、9条の2で、「自衛権の行使」を認め、2項では集団的自衛権を認めるという踏み込んだ内容だ。
「国際法規に基づき我が国の安全を守るために行動している他国の部隊に対して、急迫不正の武力攻撃がなされ、これを排除するために他に適当な手段が無く、且つ、我が国の平和と独立ならびに国及び国民の安全に重大且つ明白な影響を及ぼす場合においては、必要最小限の範囲内で、当該他国と共同して、自衛権を行使することができる」とある。
「安倍政権の解釈改憲に歯止めをかけるには、その要件や限界を明文化するほかない」(枝野)とするが、集団的自衛権を行使できる要件を憲法に明記することは安倍政権による解釈改憲への「歯止め」ではなく、逆に集団的自衛権への「道を開く」ものとなるのではないか。自民党が強引に進めようとしている集団的自衛権容認と真っ向から闘うのでなく、なぜ9条改憲してまで集団的自衛権を認めるのか、まったく理解しがたい。
リベラルとして安倍政権への対決軸を明確に打ち出せなかった。それが民主党大敗の原因だったはずだが、改憲も沖縄(普天間)も原発、TPP、消費税も全部認めるという。民主党は参院選の大敗をどう総括したのだろうか。これではますます国民から見放されるのではないか。
9条2項で戦力を持たないと明記しているのに自衛隊の存在が許されるのは、外国の攻撃から自国を守る(自衛)のための実力組織だけは許されるからだ。他国の軍隊(米軍)を守ること(集団的自衛権)が許されるなら、日本は国際法上適法な戦争は全部できる国になる。
危惧するのは秘密保護法や敵地攻撃能力保有に向けた日米協議などきな臭い事が、オリンピック騒ぎの陰で粛々と進められていくことだ。沖縄やフクシマ、格差や貧困問題などなど、オリンピックに浮かれている場合か、というのが正直な気持ちだ。
主張
8月21日、シリアで化学兵器使用事件が発生して以来、シリア情勢が緊迫している。米国オバマ政権が、シリア政権側が行ったと決め付け、シリアに対する武力攻撃を行おうとしているからだ。しかし、それは墓穴を掘るものとなるだろう。シリア事態、それは覇権終焉の新段階の始まりを示している。
■覇権のため、米国のための武力攻撃
反政府側が「政権側が化学兵器を使用した」と発表したことに端を発したこの事件だが政権側が使用したという証拠はない。
そもそも政府軍は6月にレバノンとの国境にある反政府勢力の拠点を制圧して以来、優勢に戦いを進めていたのであり、自国民を犠牲にするような化学兵器を使う必要はまったくない。しかも、シリアでは昨年末から小規模な化学兵器使用疑惑が起きており、今年の5月、6月には北部のアレッポなどで比較的大きな使用疑惑が持ち上がっていたため国連の調査団が8月18日から入国し調査を行っていた。その最中にアサド政権が化学兵器を使用するなどということはありえないことだ。
中東情勢に詳しい「中東研究会」研究員の高岡豊氏は、「米国の文脈で言うと、この時点でのシリアへの軍事攻撃は米国が支援する反体制派の戦況が悪くなったため情勢を好転させるため・・・元々、シリア反体制派が勝つ見込みなどなかった。外国の軍事介入を呼び込んで政権を倒すのが戦術。今回、それが絵に描いたようにうまくいった」(朝日新聞8月29日)と言っている。
シリアの反政府武装勢力の実態は300もの組織の寄せ集めであり、その多くは外国からの傭兵である。その一部が今年3月以来、北部のクルド人を攻撃し虐殺行為を繰り返している。彼らは正義性もなく化学兵器使用もためらわない者たちだ。5月にアレッポで起きた化学兵器使用についてはロシアが反政府勢力の使用だと言明している。
こうした事情を見れば、化学兵器を使用したのは反政府側である可能性の方がよほど高い。それにもかかわらず、オバマ大統領は、ただちに、アサド政権によるものと決めつけ、「世界のリーダーとして、これを放置しておくことはできない」として武力攻撃断行を表明し、ケリー国務長官は、「国益になるかどうかで判断する」と述べ、武力攻撃を断行しなければ「イラン、北朝鮮に誤ったシグナルを送ることになる」と解説した。
米国にとって、シリア、イラン、朝鮮は米国覇権を認めずそれに反対する許しがたい「ならず者国家」だ。それを放置すれば覇権国家としての米国の利益は損なわれる。そこで演出されたのが「アラブの春」、その最終目標はシリアでありイランであった。そのシリアでの反政府勢力の劣勢を挽回するための武力攻撃。それは徹頭徹尾、米国のための武力攻撃であり、覇権のための武力攻撃である。
■露呈した覇権の弱体化
しかし、米国は、その決断をすぐに実行することはできなかった。ブッシュ政権によるアフガニスタンやイラクへの軍事攻撃が行われた当時とは全く違う事態が起きている。
イラク、アフガン戦争当時ブッシュ政権は、「単独行動主義」を唱えて軍事攻撃を主導し国連もそれを承認し有志諸国は軍隊を出した。そして地上軍の投入と短期間での制圧。米国内では、「愛国主義」の声が高まり、西欧各国国民も反テロ戦争を支持する空気が強かった。周辺のアラブ諸国も多くはイラクを支持しなかった。政権内部からは呼応者が続出しフセイン政権はあっけなく崩壊した。
今回はどうか。何よりもまず、世界各国で反対の声が高まった。ロシアや中国は絶対反対であり国連決議は不可能となった。米国の軍事行動に積極的に協力すると見られた英国は国民の強い反対を背景に議会が反対決議をして脱落した。同様の結果になると見たフランス政府は議会承認をやめた。米国内でも国民の反対の声の前で議会は承認を渋った。
周辺のイスラム諸国を見れば、イランは「シリアが攻撃されればイスラエルに報復する」と声明を出し、同じシーア派が政権の主導権を握るイラクやレバノンも同様の立場を表明した。レバノンのヒズボラはすでにシリア政権側について反政府武装勢力と戦っている。
アサド政権は「来るなら来い、侵略者の墓場にしてやる」「第三次世界大戦になっても屈しない」と徹底抗戦の決意を示している。
アフガニスタン、イラクでの失敗、そしてリーマンショックによる金融危機によって米国覇権は崩壊した。その回復を狙ってのオバマ政権の「国際協調主義」や「関与とリーダーシップ戦略」、そして中東での「アラブの春」戦略。その過程で起きたシリア事態は、「国際協調主義」も「関与とリーダーシップ戦略」も吹き飛ばしている。
シリア事態が示すものは、米国は決定的に弱体化し、覇権回復策動もできなくなり、覇権による国際秩序そのものが動揺し弱体化しているということだ。
■民意が覇権終焉の新段階を切り開く
ここで決定的に作用しているのは民意である。
米国の武力攻撃に積極的な協力を表明していた英国の議会が反対決議をしたのも武力攻撃反対の強い民意があったからだ。オバマ大統領がただちに武力介入を断行できなかったのも米国民の民意を無視できなかったからだ。
シリアではダマスカス市民が米国の武力攻撃の対象にされそうな軍事施設の周辺に「人間の鎖」を作っている。その市民の声は、「この間の周辺諸国で起きていることは、米国の介入を許せば国がメチャクチャにされる。だから、我々が身をもって、それが出来ないようにするのだ」というものだ。アサド政権が、侵略に対して徹底抗戦を唱えるや、シリア国民は、身を呈してその支持を表明しているのだ。
米国が今、「武力攻撃するのもデメリット、しなくてもデメリット」(ある評論家の言葉)の進退窮まる状況に置かれているのも、世界の民意が武力攻撃に反対しているからだ。
米国国民も反対している。その「一度軍事攻撃を始めればイラクの時と同じように泥沼に引き込まれてしまう」「そんなことをやるカネがあるなら、国民生活に回すべきだ」という声を無視して攻撃を断行したらどうなるか。オバマ政権は窮地に陥り、政治不信は高まる。米国は世界的にも孤立し米国覇権復活どころではなくなる。だからといって、攻撃しなければ、米国の力もその程度かということになり、それはそれで世界の米国離れを促進し、脱覇権自主の動きを強めてしまう。
シリア事態で最も注視しなければならないのは、米国覇権回復の動きを行き詰らせているのは民意であり、それが覇権終焉の新しい局面を切り開いているということである。
■米国と共に滅び去る
こうした中、日本はどうか。安倍首相は、「化学兵器の使用はいかなる場合にも許されない。こうした事態を招いた責任はアサド政権にある」と米国の言うことをそのままオウム返しにしてきた。そして、9月6、7日にロシアで開かれたG20会合での日米首脳会談で安倍首相は、「断固たる行動を支持する」と述べた。
オバマ大統領は、この会合を国際社会の支持を得るための会合と位置づけ乗り込んだ。しかし、ロシア、中国は絶対反対の姿勢を崩さず、BRICS諸国は独自の会合を開いて絶対反対を表明した。こうした中で支持の雰囲気を作りたいオバマ大統領が予定を急遽変更して申し込んだ首脳会談。そこでの「断固たる行動を支持する」との発言だけに安倍首相のポチぶりは際立っている。
安倍路線とは米国覇権の下で生きていく日本にするということ。集団的自衛権を行使できるようにして日米軍事を一体化させ、米国スタンダードを日本規準にすることによって日米経済を一体化させるためのTPP。
その肝心の米国覇権が揺らぎ覇権終焉の新段階が始まっているのにこの安倍路線を続ければ日本は米国と共に滅び去るしかない。
この覇権終焉の新段階の始まりの中で、安倍路線は確実に行き詰まる。反改憲、反集団的自衛権行使、反TPP、反基地、反原発、反貧困などの闘いも局面を新たにし、その中で脱覇権自主の日本への見直しの民意が形成されていくだろう。それが日本における覇権終焉の新段階を力強く切り開いていくに違いない。
議論
今、歴史認識が問われている。この数年、領土問題が騒がれたからだけではない。戦後68年、日本が転換のときを迎えているのとそれは大きく関わっていると思う。あの戦争をどうとらえ、戦後をどう見るのか、等々、それによって、日本をどう見直すかが決まってくる。だから、日本の近隣、東アジア諸国にあっても、この歴史認識問題は少なからぬ関心事となっている。
今回は、日本見直しにとって核心的だと思われるいくつかの歴史認識について議論を提起したい。
■「終戦」か「敗戦」か
日本を見直し、戦後を見直す上で、先の戦争結果をどう見るかは決定的だ。日本では主としてそれは、「敗戦」ではなく単なる「終戦」とされてきた。「8・15」が「敗戦」ではなく「終戦」記念日なのはその端的な現れだ。
「終戦」と「敗戦」、その違いは小さくない。後者からは戦争の総括が出てくるが、ただ戦争が終わっただけという前者からは出てこない。戦争を総括しないということは、日本がなぜ戦争を起こすようになったのかその背景や要因を問い、二度と同じ誤りを犯さないようにするための闘いをやらないということだ。実際、「終戦」を強弁し「敗戦」を認めない日本において、戦前と戦後、本質的な変化は何も起こらなかった。
それは何よりも、戦争を起こした支配層が戦後も居座ったところに歴然としている。政界、官界はトップの一部すげ替えはあったもののその本体は生き残った。戦犯、岸信介が首相になったのはその一例にすぎない。そして、解体された独占財閥は銀行を中心に復活した。
これに対しては、もちろん反論があるだろう。「戦争と耐乏、軍国」の日本から「平和と繁栄、民主」の日本へ、この変化を無視するのか。
確かに、戦前から戦後へ、変化があったのは事実だ。しかし、日本のあり方のもっとも奥深い本質的なところで変化がなかった。「脱亜入欧」「対欧米従属」という明治以来の日本の本質的あり方には少しの変化もなかった。それどころかそれは、米軍常駐の日米安保体制の下、一段と深まったのではないだろうか。
「永続敗戦論」で著者、白井聡は、「純然たる『敗戦』を『終戦』と呼び換えるという欺瞞によって戦後日本のレジームの根本が成り立っている・・・」と言いながら、「敗戦を否認しているがゆえに、際限のない対米従属を続けなければならず、深い対米従属を続けている限り、敗戦を否認し続けることができる。かかる状況を私は『永続敗戦』と呼ぶ」と言っている。
■負けたのは米国にか、アジアにか
だからと言って、日本において「敗戦」が完全に否認されているわけではない。否認されているのは主としてアジアへの敗戦だ。米国への敗戦は公認の前提とされている。米艦船、ミズーリ号上での降伏書調印50周年に当たる1995年9月2日、ハワイ・ホノルルで米国が催した「太平洋戦争勝利記念祝典」に日本代表が出向いて行ったのはその証左に他ならない。
あの戦争で日本は米国にこっぴどい目に遭わされた。明治維新以来の後ろ盾であり世界の覇権国家である米国に逆らってはならない。戦後日本の政治は、この「敗戦の総括」と「教訓」に基づいていたと言える。あの戦争で日本は、アジアからも大きな打撃を受けた。アジア諸国人民に包囲された泥沼の戦争で日本が受けた傷は浅くなかった。しかし決定的だったのは、最新軍事科学技術で装備された圧倒的な米軍事力に「竹槍」で挑み、赤子のごとくねじ伏せられたことだ。事実、戦争は米国に攻め込まれ、原爆でとどめを刺されたではないか。日本は米国に負けたのであって、アジアに負けたのでは決してない。この辺りが日本支配層の「歴史認識」なのではないか。
だが、この「歴史認識」には大きな疑問が残る。軍事力の質量的差異を言うなら、その後戦われた朝鮮戦争、ベトナム戦争、イラク、アフガン戦争における米国と朝鮮、ベトナム、イラク、アフガニスタンとの差異の方が日本とのそれよりはるかに大きいのではないか。にもかかわらず、これらの国々は米国に負けなかった。
それはなぜなのか。答えははっきりしていると思う。それは正義性の問題だ。これらの国々には米国と戦うのに正義があった。米国の不当な侵略を許さず、自分の国を守る正義だ。しかし、日本にはそれがなかった。
どんな戦争でもそうであるように、日本もあの戦争に正義性を付与した。「大東亜戦争」という呼称がそれを示している。欧米列強による抑圧、植民地支配からアジアを解放するための戦争だということだ。だが、それがいかに欺瞞に満ちたものであったかは、アジア太平洋に進出した日本軍の焼き尽くし奪い尽くし殺し尽くす言語を絶する蛮行によって白日の下に明らかにされた。戦後、米国に「太平洋戦争」という呼称を押し付けられ、「大東亜戦争」なる呼称をあっさり放棄したのもそのためだと思う。戦勝国と戦敗国という力関係以前に、日本には、その呼称をどこまでも守り抜く少しの根拠も信念もなかった。
こうして見たとき、日本は米国に負ける前にアジアに負けていたと言うことができる。アジアに対する不正義の戦争こそが、アジアへの敗北だけでなく、米国に対する敗北ももたらした。だから言えるのではないか。日本は米国にと言うより、何よりもアジアに負けた。アジアに対して起こした戦争の侵略性、不正義性にこそもっとも本質的な敗戦の要因があったのだと。
■覇権抗争か侵略戦争か
歴史認識についての議論で重要なのは戦争に対する責任問題だ。戦後68年、転換のときを迎えながら、いまだに戦争責任が曖昧にされ、日本とアジア諸国との間で大きな問題になっている。
この戦争責任をめぐる問題で決定的なのは、アジア諸国への侵略を日本が認めるか否かにある。歴代自民党政権はそれを否認してきた。現安倍政権も「侵略の定義が不明確だ」などと詭弁を弄しながら、結局、日本によるアジア侵略を否認している。
自らの侵略を否定し、その不正義を認めないところからは戦争責任は生まれてこない。また、この侵略、不正義への否認、無自覚があれば、アジアに負けたという歴史認識が生まれてくるはずがなく、それがアジアに対する戦争責任のなさをさらに増幅して行く。
問題は、このアジア侵略と不正義への否認、無自覚がどこから生まれてくるかだ。それは、あの戦争をどうとらえるのかと一体だと思う。すなわち、あの戦争を米国との覇権抗争と見るのか、それともアジアに対する侵略戦争と見るのかだ。
歴代自民党政権、日本の支配層は、あの戦争を米国との覇権抗争としかとらえてこなかった。米国とアジア太平洋の覇権を競い、そして敗れたということだ。こうした覇権抗争でどちらが良いも悪いもない。あるのは勝ち負けだけだ。だから、勝った米国にペナルティーを科され、敗者としての務めを果たしてきたということだ。戦犯が裁かれた東京裁判も、領土、賠償問題を含むサンフランシスコ講和条約も、それに基づく日米安保条約も、すべてその一環だ。そこには、アジア侵略への自覚もそれを不正義ととらえる認識もない。ゆえにアジアに対する戦争責任もない。
この世は弱肉強食だ、強い者が覇権を握り、弱い者はその下で生きるしかない、それが人間世界の法則であり、生きとし生けるものすべての間に貫かれる自然の摂理だという覇権の論理の下では、侵略も略奪も不可抗力的な一つの成り行きに過ぎない。そこには正義も不正義もない。橋下徹さんが「慰安婦はどこの国にもいた。それが問題にされるのは、日本が戦争に負けたからだ」と言ったのも、覇権抗争で勝てば官軍の覇権の論理に他ならない。
だが今日、この覇権の論理も通用しなくなってきている。覇権を許さない時代的趨勢が侵略の不当性を断固として糾弾し、その責任を問うようになってきている。橋下さんが許されず強く弾劾され没落したのもその一つの現れと言えるだろう。
この大転換の時代、アジアは脱覇権自主の最前線になっている。もうこれ以上、アジアに対し日本が戦争責任を曖昧にし続けることは許されない。日本が自らの転換を図り、自身のあり方の見直しを追求するとき、何よりもまず、アジアへの責任を果たせる日本になることが問われている。
そのために歴史認識問題が重要だ。古い覇権の歴史認識から脱覇権の新しい歴史認識へ!日本見直しの闘いはこれに大きくかかっている。
講演会―服部良一・前衆議院議員の講演より、8月25日、宝塚にて―
今後改憲の動きが国会の中で議論されていく可能性があるのか、その辺を中心に今後予想される国会の動きを中心に話をしたい。私が山内徳信参議院議員の政治秘書として6年前に国会に行かしていただいた時が第一次安倍内閣でした。私が国会に行ってすぐに安倍さんは辞任されている。その安倍さんがまた復活をした。その安倍内閣がやったことというのは教育基本法を変えたこと、防衛庁を防衛省に昇格させたこと、国民投票法を成立させた、この三つなんですね。しかし突然あのような形で辞任してその理由もはっきりしない、政治生命は終わったと思った、その安倍さんが再登場して今回は長期政権をもくろんでいる。
昨年の衆院、今年の参院選挙で残念ながら戦後の政治の歴史の中で最も憲法が変わるリアリティを持った時代にいるというのは間違いない。憲法96条改悪で改憲の突破口にするという議論がありますが、これはさすがにトーンダウンしています。世論の反対が大きいということが安倍政権の立ち往生の理由です。安倍さんは今年の3月9日に憲法を国民の手に取り戻すために96条改正をすると予算委員会で発言している。おそらく安倍さんの頭の中には最初から憲法9条を変えるというと「ちょっと待てよ」という国民が多いと分かっている。だから手続きだから賛成してくれると思ったんでしょうね。
「議連」が次々にできまして、靖国にも参拝をした「憲法96条改正をめざす議員連盟」などが発足しています。「憲法96条研究会」には民主党が27名、維新が29名、みんなの党が16名も入っている。その中で「立憲フォーラム」がこの4月にできて護憲派の議連になっている。会長は近藤昭一さんという民主党の衆議院議員ですが、ここに民主党内の護憲派や社民や離党した議員が集まっている。私のような落選議員にも声がかかっています。もし政界再編があるとすれば「立憲フォーラム」が一つの軸になるのではないかとひそかに期待をしています。憲法問題が煮詰まってくる中で、確信的に憲法を変えたい人と確信的に憲法を変えたくない人が民主党の中に同居している。民主党が分裂するのかどうか、それが政界再編の引き金になっていく可能性がある。
96条改憲について安倍さんが若干、こまったなという状態になっている一つの象徴的な動きとしては、改憲派学者の小林節が反対していることです。憲法を変えるのに2分の1はないだろうと立憲主義を根本から否定するのか、そういう論調が出てきている。
世論の動向も、96条の改憲に対して賛成が38%、反対が54%(5月2日朝日新聞)、今日の朝日では96条改憲の賛成が31%。手続き法だから賛成してくれると自民党は期待したのに意外と反対が多い。仮に国会で発議しても国民投票で否決されるそういう危機感を政権側は持っています。それで安倍さんは6月16日に苦肉の策として、改憲発議を平和主義や基本的人権、国民主権は3分の2に据え置くということを言っている。
国民投票のハードルもあります。一番の問題は年齢です。18歳まで下げるのか。自公は18歳に変えるという。しかし民法上のいわゆる「成年」年齢を変えるという意味合いで変えるのかどうか。そうすると民法を含めて306の法改正が必要になる。ただ憲法の投票だけを18歳に変えるという議論もあってまだはっきりした方針になっていない。この秋の臨時国会でこれを通して国民投票への布石を打ってこようとしているのは間違いない。最低投票率とかの問題もあり、投票率が低くて50%しかなくて過半数だとするなら4分の1で憲法が変わってしまう。こういうもろもろの議論があります。近い将来に国民投票がいよいよ実施されるかもしれないという時代に我々がいるということは間違いない。
■9条改憲への動き
次に9条改憲へのシナリオについて話したい。
安倍さんはいきなり9条改憲は難しいと間違いなく思っている。96条ですら難しいわけですから本丸の9条はもっとハードルが高い。世論調査をしますと一般論として憲法を変えるのに賛成ですかと聞くと賛成が多い。ところが憲法9条については反対が多い。ちなみに5月2日の朝日の世論調査ですと9条改憲の賛成は30%、反対は50%、国防軍に対しては賛成が31%、反対が62%、集団的自衛権については賛成が30%、現状のままでよいが56%、これらの問題では賛否の動向がほぼ一致しています。朝日ですから反対が多めに出ていることは考慮しなければならないが他の産経、読売でも反対が多いんです。政権としては9条を変えるのは難しい状況です。安倍政権はまず解釈改憲でいく。憲法9条を変えずに集団的自衛権を行使できるようにしようと。
そのやり方は二つある。一つが「有識者懇談会」です。現在の政府の見解では、集団的自衛権とは「自国と密接な関係にある外国への武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないのに実力で阻止する権利」とし、「日本は国際法上は集団的自衛権を有しているが、憲法9条で許容される必要最小限の範囲を超え、行使することは憲法上許されない」とされている。これが歴代政府の公式見解です。これを変えようとして第一次安倍内閣のときに「有識者懇談会」を作った。自分の考えに近い学者を集めて憲法上可能だと答申書を出させた。その中に「4つの事例」が想定されている。一番分かりやすいのは、北朝鮮からアメリカにミサイルが飛んだ時、それを日本が打ち落とす事例です。日本が攻撃されたわけではなく、アメリカに飛んでいくミサイルを自衛隊が打ち落としても構わないとした。そうなると北朝鮮と即時に「戦争状態」に入ることになる。そういうことが憲法上可能なのか。このような4つの類型を懇談者が検討をして集団的自衛権は可能だという答申を出した。その報告書が出たときには安倍さんは辞任していたし、安倍政権の後を継いだ福田さんはこれを必要ないと握りつぶしてしまった。安倍さんは去年の12月に総理大臣になってすぐに有識者懇談会を立ち上げた。いまは報告書を出すタイミングを待っている。今秋には出すでしょう。当然有識者としては憲法を変えなくても集団的自衛権の行使は可能だという見解が出るわけです。これがまずひとつです。
二つ目のシナリオは「国家安全保障基本法案」の立法化です。この法律の中に集団的自衛権を行使できることを謳っている。法律を作る手段は二つあります。一つは内閣が出す法律。もう一つは議員が出す法律です。内閣が出す場合は憲法に違反した法律は出せないんですね。ですから法制局長を変えたわけです。いままで内閣の法制局長は法律案が出されたときに、その法律が憲法や他の法律に適合して問題点はないのかどうかをこと細かに精査して憲法解釈上問題があるものはきちんと整理して出していく。ところが集団的自衛権は過去の内閣法制局が違憲であると断言しているわけです。違憲と断言しているのを内閣が法律として出す事はできない。この法律は去年の8月に自民党の総務部会で承認されて「維新の会」が賛同して来年1月の通常国会に上程して議決したいと安倍さんはもくろんでいる。それで新しい法制局長を任命した。それが小松一郎前仏大使です。以前の法制局長からは違憲だという批判が相次いでいます。集団的自衛権を行使するのであればまずは憲法を変えるのが先だと。
憲法9条改憲が焦点化される前に有識者懇談会の報告書が出る。これを我々はどう批判していくのか。そして来年に安全保障基本法が出るのでその成立を何としても阻止をする闘いが重要です。基本法というのは基本計画を策定するもので、この法律が通るとこの法律に基づいて国際平和協力法や集団自衛事態法の制定など予算措置がともなう法律が制定されていく。解釈改憲がうまくいけばこれらによってやってくる可能性があります。
今後問題になると思うのは秘密保全法の問題です。これは昨日新聞の一面に掲載されましたが非常に怖い法律です。平成の治安維持法という人もいる。もともと野田政権の中で立法化がされようとした法律で、私もあの時、民主党にはぶち切れました。今秋に国会上程を狙っている。国が秘密事項を一方的に認定したり、重罰の問題もありますが、怖いのは思想が刑罰の対象になることです。機密があると想定される職場や公務員の思想調査が堂々とまかり通るようになる。「公共の安全」のためにはなんでもありの法律となる。原発事故であれ、TPPであれ、国益に反するという判断を国がするわけですから、その対象は際限も無く広がっていく。直接、公務員だけでなく研究を委託された大學とか業者とか弾圧の対象になる。「共謀罪」というのが今議論されていますが、秘密を知るために教唆というような、実際の行動に起さなくても罰則の対象になる、非常にひどい法律です。何としても廃案にしなければならない。
日本のリベラル勢力が団結をして新しい政治の枠組みを作っていかないといけない。安倍政権というのは順風にいくとは思っていませんが、その闘いの受け皿を真剣に作っていかないといけない。特に左側の人は自分の正当性を主張する傾向がある。それはそれで構わないのですが、それと同時にいかに多くの人と手を組んでいくのか。そこに知恵を絞っていく必要がある。新しい政治の枠組みはこの1年が勝負だと思っています。3年後の国政選挙まで待つわけにはいかない、この一年間に何かを作っていかないと駄目だと。私もそのために頑張っていきたいと思っています。
闘いの現場
日本維新の会の橋下徹共同代表(大阪市長)が、試練のときを迎える。
大阪府と市などを統合する「大阪都」構想の成否のカギを握る堺市長選(9月29日投開票)は、「大阪都」移行に伴う堺市の廃止に反対する現職の竹山修身氏(63)と、新人で維新の元堺市議団幹事長の西林克敏氏(43)の一騎打ちとなった。維新候補が敗北すれば橋下氏の地元での求心力低下は避けられず、3年後とみられる次期衆院選に向けた国政進出の可能性も一気にしぼみかねない。
以下は、堺市長選で竹山氏応援に奔走する秋田氏からの報告です。
※ ※ ※
堺市長選挙は単なる一都市の首長選挙ではなくなってきた。堺市民の反応は「大阪都になると分割され、堺市の名称も実体もなくなる」「税収は大阪都に吸い上げられ、橋下市長が勝手に決めてしまう」という争点を認識する市民と、「橋下さんは何か改革をやってくれるのでは?」「維新を離れた竹山は嫌いや」という橋下信者とに分極化しているように思われる。
4年前、橋下徹氏の支援で当選したものの、そのときには維新の会や、大阪都構想が出ていなかった。「堺のために」と市長選挙に出ることを決意したのに、大阪都になると堺がなくなってしまう事がはっきりした時点で、竹山市長は橋下徹氏の維新の会を離れる一大決心をした。
維新の側は「当選させてやったのに竹山氏が裏切った」と非難するが、橋下氏が府知事に当選した時に自民党議員が総力を上げたが、その直後に「自民党ではダメ」と維新の会を作った背信をおかしたのは橋下氏だから、非難をする資格はない。
現在、政党の動きは、自民党が竹山市長を応援するものの、中央の自民党は極右傾向が強い維新の会をつなぎとめておきたい思惑から態度を明確にしない傾向がある。共産党は独自の政策ビラを出したり、党掲示板に竹山市長ポスターを貼るという画期的な応援を始めた。また無党派市民も竹山陣営に続々駆けつけてボランティアをしたり、小グループごとに自主的に支援行動をする、あるいは数百人の市民集会を行うなどしている。
維新が予定候補としている前堺市議は議会でもほとんど存在感や実績がない「橋下カイライ」であるが「チンパンジーでも維新の看板なら当選する」と大阪の維新候補が言ったように油断はできない。
堺がなくなるか、大阪都構想がなくなるかの一大決戦として9月15日告示、29日投開票の堺市長選挙は大阪だけでなく全国が注目する闘いになりつつある。
さらに堺市の南区・中区・西区という3選挙区で市議補欠選挙が同時に実施される。あわせて4つの選挙だが、5ヶ月前の宝塚・伊丹で二つの市長選、二つの市議選挙合わせて4つを橋下・維新は取るつもりだったが、全敗・惨敗した。
堺で奇しくも同じ数の選挙が同日にある。維新の旗印で堺を占領したい橋下。暴言繰り返す隣りの市長に命令されたないわ!と侵略者撃滅に燃える堺市民。堺は熱く、燃えている!
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