研究誌 「アジア新時代と日本」

第121号 2013/7/5



■ ■ 目 次 ■ ■

編集部より

主張 参院選は日本見直しをめぐる闘いだ

批評 闘う労働基準法

投稿 脱原発運動の現場から 脱原発が民意

国際短信




 

編集部より

小川淳


参院選、民意はどこに

 参院選を前にこの国を何かしら重たい空気が覆っている。ちょうど今のうっとおしい梅雨の空のように。
 「いまこの国の景気さえ良くなれば憲法を変えようが、原発を再稼動させようが、ええじゃないか、ええじゃないかの空気があふれている」。
 こう表現するコラムニスト天野祐吉氏(「CM天気図」)の指摘は、その空気の正体が何か、的を得ていて面白いと思った。
 世論調査(朝日新聞)によれば、9条改憲には賛成37%、反対54%、脱原発には賛成72%、反対21%だ。ところが9条改憲に反対する人や脱原発に賛成する人の二人に一人は参院選で自民に投票するとアンケートに回答している。
 自民の改憲や原発推進に賛成していなくても、多くの人がなぜ自民支持に向かうのか。確かに一つには、「景気さえ良くなればええじゃないか」というような景気回復への切実な要求があるのは間違いない。(アベノミクスがその国民の切実な要求に応えうるのかどうかは別な話だが・・)。
 しかしそれよりも何よりも日本の未来を託すべき政党、自民に対抗しうるだけの有力な政党が見当たらない、そう思われていることが決定的ではなかろうか。都議会選挙での投票率43%という数字が、そのことを端的に示しているように思う。 わざわざ投票場に足を運んでまで一票を投じるだけの魅力あり可能性のある政党がない。多くの都民がそう感じたからこそ棄権したのだろう。
 前回より10ポイント増加したとはいえ、自民の得票率は36%でしかなかった。都議選の「自民圧勝」とは、投票率43%のうちの得票率36%、つまり全有権者のわずか15%が自民に一票を投じたということでしかない。
 このままいけば参院選は自民の「圧勝」と予想されている。もし国民の大部分が本当に改憲や原発推進を支持したうえで自民に一票を投じたのならまだあきらめもつくがそうではない。国民の過半数は自民安倍政権の政策に反対している。しかし、改憲や原発に反対する民意を責任持って受け止め、それを実行していける有力な政党がない、有権者はそう思っている。民意が反映されない政治のこのあり方こそ、この重たい空気の正体ではなかろうか。だからといって投票を棄権すれば図らずも自公への追い風になる。貴重な一票だからこそ大切に投じたいと思う。



主張

参院選は日本見直しをめぐる闘いだ

編集部


 参院選が近づいてきた。7月21日は、日本にとって極めて重大な日になるだろう。
 昨年末、衆院選が終わった直後から安倍自民党の目はこの参院選に向けられてきた。この選挙結果によっては、改憲など日本のあり方の見直しが一気に加速されることになる。それが日本と日本国民にもたらす意味は計り知れない。
 世界と日本の歴史的大転換の時代、われわれはこの日本見直しにどう向き合うべきか。今回の参院選ではこのことこそが問われている。

(1)参院選、問われている争点は何か?

 参院選の前哨戦と言われた都議選で自民、公明が圧勝した。一方、注目されるのが共産の大幅進出だ。参院選に向け、これをどうとらえるか?

■都議選はアベノミクスをめぐる闘いだった
 都議選の結果は何を物語っているか?それは、アベノミクスをどう見るかが争点になり、それをめぐっての立場と見解を明確にした政党が票を集めたということだ。言い換えれば、民意の切実な要求だった日本経済見直し活性化に向けてアベノミクスを打ち出し、それを積極的に推進した政権党とそれへの反対の立場を鮮明にした共産党へ票が集まったということだ。
 この都議選結果から分かるのは、民意に応えて争点を正しく提起し、その闘いに勝ち抜くことの重要さだ。この闘いで問題だったのは、それがよくできなかったことだ。すなわち、民意に全面的に応える争点を提起できなかったこと、その部分的反映であるアベノミクスを争点にしながら、その誤りを十分につくことができなかったことにあると思う。自公圧勝、共産善戦はその結果だった。

■「日本をどう見直すか」、参院選の争点はこれだ
 今日、もっとも切実な民意は、確かに経済にある。その意味で、「アベノミクスをどう見るか」が参院選でも争点になるかも知れない。
 しかし、今日、見直しが問われているのは経済だけではない。安保も、地方・地域、社会保障も、日本そのものの見直しが求められている。
 そうした中、安倍政権も改憲やTPP、教育などそのあり方の根本から見直す「新しい日本」案を打ち出している。だが、前面に押し出してきたのはアベノミクスだった。そこに勝算を見たからだ。事実、改憲などでは勝利はおぼつかない。
 だからこそ、今問われているのは、日本全体の見直しの争点化だ。民意に訴えれば、それは十分に可能だ。なぜなら、それが民意の要求だからだ。

(2)今なぜ、日本見直しか?

 今なぜ、民意は日本見直しを求めていると言えるのか?それは、日本そのものがこのままではやっていけなくなっているからだ。

■このままではやっていけなくなった日本
 このままではやっていけない。見直しが要求されるとはそういうことだ。そして、今問題になっているのは、経済だけでない、日本のあり方そのものだ。
 経済について言えば、問題ははっきりしている。あのバブル崩壊後、「失われた10年」「20年」といつまで経っても経済好転の兆しが見えない。この間、雇用者報酬、都市自営業者収益など個人収入は大幅に減少し続けてきた。そして、中小企業や地方・地域の衰退。産業の崩壊と空洞化。明治以来、殖産興業、拡大、発展し、軍国主義と戦争によるその破綻を経て、戦後復興、発展を続けてきた日本経済がここに来て完全に行き詰まっている。
 経済ばかりでない。政治にも日本の再生をはかる力がない。もともと、米国言いなりの日本政治には戦略がないと言われてきた。しかし、今ほど理念も戦略もなく、政治家が天下国家そっちのけで私事に汲々としているときはない。
 その上、社会全体を覆う格差と二極化、一体感なき閉塞感と地域や職場、学級、家庭に至るまで、あらゆる社会的集団に進行する崩壊状況。子どもたちの間に広がる学びへの意欲の喪失。そして、歯止めの利かない少子化。もはや、日本全体がこのままではやっていけなくなっている。

■米国覇権の崩壊と日本
 なぜ日本はこうなってしまったのか。その背景には何よりも、日本がこれまで戦後復興、発展してきた戦後世界そのものの行き詰まりがある。
 戦後、日本は、米ソ対立の冷戦構造の中、「西側陣営」に属し、米国覇権の下、復興、成長してきた。その米国覇権が今、崩壊状況に陥っている。まさにここに問題がある。
 戦後七十年近く、米国の覇権にはいくつかの曲折があった。最初の危機は、ベトナム戦争に象徴される反帝・民族解放闘争への敗退とドル危機だ。戦後三十年、米国の軍事、経済覇権は大きく揺らいだ。米国は、この危機を新自由主義とグローバリズム、そして社会主義陣営の崩壊によってなんとかしのいだ。冷戦の終結、米一極支配はその結果だったと言える。だが、この支配はわずか二十年弱の命だった。泥沼のイラク、アフガン戦争、反テロ戦争とリーマン・ショック、金融大恐慌は、究極の覇権思想、新自由主義、グローバリズム、新保守主義の破産、米国覇権の崩壊の象徴だと言える。
 米国覇権の崩壊と戦後世界そのものの行き詰まり、日本がこのままではやっていけなくなっている背景には何よりもこれがある。

■明治以来の日本のあり方が問われている
 今日、米国による覇権の崩壊をどうとらえるか?覇権の多極化か?それとも覇権そのものの崩壊か?それを考える上で重要なのは、今日、覇権そのものが通用しなくなっているという事実だ。
 朝鮮やイランの核開発、核保有を誰も禁圧できない。タリバーンによるアフガン支配を、今や米国は認めざるを得ない。ASEAN経済共同体や中南米の経済共同体など地域経済共同体への大国による覇権は徹底的に排撃されている。等々、今日、覇権秩序自体が崩壊し、脱覇権秩序が支配的になっている。
 もちろん、中国やロシアなど新興の大国に覇権的側面があるのは事実だ。しかし、それをもって、現代を「新帝国主義の時代」ととらえ、主権尊重の地域共同体をかつての帝国主義ブロックと同一視する見解は、あまりにも今日の脱覇権自主の趨勢を見ていないのではないか。
 帝国主義の時代、覇権の時代は終わった。この時代の巨大な転換は、帝国主義の時代、覇権時代の産物である明治以来の日本のあり方の行き詰まりを示している。覇権そのものが通用しなくなった今日、あくまで米国覇権に従い、その下での覇権にしがみついていること、まさにここに、このままではやっていけなくなった日本の時代的背景があるのではないだろうか。

■文明の世界史的大転換が進行している
 今、文明の大転換が言われている。ギリシャに始まる欧米三千年の文明の黄昏、機械制産業から情報産業への時代的転換、言語開発以来のインターネット開発、等々、様々な角度から「文明の大転換」百出である。
 こうした文明転換論の中で興味深いのは、社会の情報産業化、知識経済化にともなう、蓄えるより与えることを美徳とする倫理観、競争よりも協力を大切にする価値観への転換、そして、市場社会の荒廃にともない唱えられてきている、「交換」から「贈与」の精神への転換、等々だ。
 これらは一様に、情報産業化や知識経済化といった産業、経済のあり方の根本的な転換や市場社会の限界への逢着などを通して、市場から共同体への人間社会のあり方の大転換が生まれてきていることを示唆してくれている。
 競争から協力へ、この文明の大転換期にあって、競争原理を社会の全領域に導入し全面化する新自由主義化、グローバル化の反動性は一層明らかだ。
 時代の大きな流れに逆行し、動きがとれなくなっている日本の見直し、この民意の要求に安倍政権の路線、政策は応えているのだろうか。

(3)日本をどう見直すつもりか、安倍政権

■「アーミテイジ・ナイ報告」と安倍政権の誕生
 昨年の今頃、安倍政権の誕生について予想した人が果たしてどれだけいただろうか。それが夏から秋にかけての雪崩を打ったような日本政界の「右傾化」、その中での安倍自民党総裁選出、年末、解散総選挙での安倍自民党の圧勝が、それこそあれよあれよという間に実現してしまった。
 この「奇跡」と言われた安倍政権の誕生で注目すべきは、雪崩を打った日本政界の「右傾化」だ。その背景に石原慎太郎の米国での尖閣購入発言や李明博韓国大統領の竹島上陸に端を発する日中、日韓の領土紛争があり、その高まりの中、8月15日発表された「アーミテイジ・ナイ報告」(米戦略国際問題研究所の第三弾報告)があるのは周知の事実だ。問題のこの報告は、「日本は一流国の地位にとどまるのか、それとも二流国に転落するのか」と問いかけながら、米国は日本がアジアに対する指導力を発揮できる強い国になることを望んでいる、そのためにも集団的自衛権を行使できるようになることを求めると強調している。
 これを契機に改憲、集団的自衛権を声高に叫ぶ、日本政界の「右傾化」が雪崩を打ち、その圧倒的な雰囲気に押し上げられるかのように「タカ派の雄」安倍自民党新総裁の選出となった。
 「奇跡」はいかにつくられたか。この一連の動きの背後に米国がいるのはあまりにも明白だ。米国は安倍政権に何を期待したのか。安倍政権の日本見直しがこれと無関係であるはずがない。

■どう見るか?アベノミクス
 安倍政権の登場とともに話題をさらったのは、ご存じ、「アベノミクス」だ。「金融緩和」「財政出動」「成長戦略」を三本の矢とするこの経済政策をどう見るか?
 何より言えるのは、これが米国の後押しがあってはじめて成り立つ経済政策だと言うことだ。「際限なき金融緩和」に対し当初言われたのは、ギリシャの国債暴落の二の舞だ。だが、米格付け会社による日本国債格下げは起こらなかった。逆に米金融独占による日本株買いが一気に加速し、円安、株高が実現され、デフレ脱却の展望も開かれた。
 次に言えるのは、これで安倍自民党参院選圧勝の展望が開かれたということだ。この「アベノミクス効果」によって、安倍内閣支持率は、内閣発足時58%、1月62%、2月末73%と、異例のうなぎ登りとなった。衆院選圧勝後、「今は、経済だけを言え」(麻生財務相)と参院選に向け手綱を引き締めていた効果が早くも現れたのだ。そして今回の都議選、自公の圧勝だ。
 もう一つ忘れてならないのは、これで日米経済の融合、すなわち、日本経済の米国経済への組み込みが一段と進むことだ。米国独占の日本進出は、「金融緩和」によってだけではない。「財政出動」や「成長戦略」による「復興特区」「戦略特区」などへの進出によっても加速されるようになる。
 最後に見ておかねばならないのは、これが日本経済不安定化の大きな要因になることだ。すなわち、バブル崩壊などでの米国独占一斉引き上げにより、日本経済は一気に大恐慌に陥る。

■TPPへの参加は何を意味しているか
 安倍政権の経済政策でもう一つ問題なのがTPPだ。これも貿易など単なる経済問題ではない。それは第一に、アベノミクスと一体に日米経済の融合、日本経済の米国経済への組み込みを促進するものだ。関税ばかりでなくルールや制度の撤廃、アメリカン・スタンダードの導入が言われているが、それらはすべてそのためのものだ。
 第二にそれは、日本を東アジア共同体破壊の先兵にしようというものだ。TPPは、何より主権尊重も東アジア共同体に敵対しそれを破壊するためのものだ。日本がそこに参加すること自体、東アジア共同体を大きく堀崩し、域内諸国をTPPへと引き抜く先兵にするということだ。

■改憲がもたらす「新しい日本」とは?
 安倍政権の日本見直しで「本丸」はもちろん憲法だ。改憲して日本を「戦争できる国」にすること、それは「アーミテイジ・ナイ報告」の要求に応えることだ。
 米国のアジア重視の覇権再構築にとって、日本を「戦力」に加えることは切実だ。朝鮮に対する対話と戦争の政策や中国包囲策は、日本を「戦争のできる国」にし先兵にしてこそ可能になる。
 こうして見たとき、安倍政権の日本見直しの全貌が見えてくる。それは、一言でいって、すでに崩壊が明らかになった米国の覇権再構築のための日本の先兵化だ。すなわち、米国の軍事覇権建て直しのための改憲であり、経済覇権再構築に向けた日本経済の米国経済への組み込みと東アジア経済共同体の破壊だ。しかもそこには、リーマン・ショックを超える金融大恐慌に際し、米系資本の総引き上げとそれにともなう日本経済の完全な破綻、そこからの戦争待望気運の高まりへと日本を誘う陰険極まりない黒い底意がかいま見えている。
 安倍政権が夢見る「新覇権国家日本」の野望は、米国の手の平の上で、これ以上にない惨めな悲劇に終わるだけだと思う。

(4)参院選、日本見直しをめぐりいかに闘うか

 参院選を前に今問われているのは、米国の手の平の上で米国に誘導される米国のための安倍日本見直しを打ち破り、国民による国民のための本当の日本見直しの道を切り開くことだ。

■国民のためか?米国のためか?
 今、参院選の展望は厳しい。安倍自民党をうち負かす国民的な盛り上がりが見られない。先の都議選でも投票率は史上2番目の低さだった。野党がいくつにも分かれ、結集軸のないまま、安倍政権を打ち倒す展望が見えないからだ。そのため国民大衆は、選挙に期待するより、反原発など大衆闘争に抵抗の意思を託すようになっている。
 このままでは、衆院選に続く大敗は避けられない。日本と日本国民にとってこれほどの不幸はないと思う。
 結集軸をつくり、国民大連合の盛り上がりをつくる上で何より求められるのは、民意に応える参院選の争点、「日本をどう見直すか」をめぐる対決点を鮮明にすることだ。
 民意ではなく、米国の意にそった安倍日本見直しとの対決点は自ずから明らかだ。国民のための見直しか?それとも米国のためのものなのか?ここに日本見直しをめぐる対決点を求めることこそが、今、安倍自民党に反対する国民大連合をつくる上で何よりも求められていると思う。

■国民のための本当の日本見直しを目指して
 「日本をどう見直すか」「国民のためか?米国のためか?」を対決点とする闘い。この闘いに勝利するために、安倍見直しがいかに民意を顧みず米国の意にそったものなのかを暴露するだけでは決定的に足りない。重要なことは、国民のための本当の日本見直しがどういうものか明らかにすることだ。国民は、新しい日本のあり方とその展望を求めている。
 何よりもまず、懸案の経済のあり方だ。それはアベノミクス、TPPがもたらす、米国経済に組み込まれた日本経済とはまったく異なる。そこで決定的なのは、日本の経済主権をしっかりと立て、自らの実情に合う自らのスタンダードで、国民経済の均衡的発展を図る一方、経済の情報産業化、知識経済化による世界最先端科学技術の開発を図るのに経済政策の基本を置くことだ。もう一つ決定的なのは、明治以来の欧米重視、アジアに覇を唱える政策を根本的に転換し、東アジア経済共同体との共同、協力を旨とする対外経済政策を追求することだ。
 安保のあり方はどうか。安倍政権の安保見直しは、日米安保の双務化だ。すなわち、これまでは米国覇権の下、一方的に日本が守られてきた、これからは日米双方、互いに守り合い、崩壊する米国覇権を軍事的にも支えるということだ。そのために日本は、九条改憲、自衛隊の国防軍への改編、集団的自衛権の行使を断行し、朝鮮や中国、アジアににらみを効かすとなる。これに対し、国民のための真の安保見直しはこれとは決定的に異なる。何よりも、憲法九条を脱覇権時代の自衛の模範として世界に押し立て実現する。次に、アジアに対し敵対するのではなく、共同、協力するアジア安保体制を築く。
 一方、地方・地域の見直しもまったく異なるようになる。安倍政権の地方・地域見直しは、中央集権と地方分権、国家主権と地域主権を対立させながら、中央集権否定の地方分権、日本をいくつかの道州に分解する地域主権・道州制の導入を図る一方、それと一体に市町村大合併による地域コミュニティ破壊を強行するものだ。この地方・地域破壊、国家破壊、米系資本浸透、米国による日本組み込みの見直しに対し、国民のための本当の地方・地域見直しは、中央集権と地方分権、国家主権と地域主権を対立させるのではなく統一的に実現するようにしながら、地域コミュニティの強化を基本に、全国全民が共同、協力して、地域循環型経済活性化など地域再生を図っていく。
 米国のための安倍日本見直しと国民のための日本見直し、どちらが民意に応える本当の日本見直しなのか。答えは明らかだろう。
 世界と日本の歴史的大転換の時代、日本の見直しをめぐる、国論を二分する大論争、大闘争が問われている。参院選はその一大契機だ。アベノミクスを前面に押し出して攻めてくる安倍自民党の攻勢に対し、それを真っ向から受け止め撃破しながら、「日本をどう見直すか」の旗の下、憲法九条問題など、日本全体の見直しをめぐる全面的で積極的な反攻勢をしかけていこう!国民大連合による参院選での奮闘は、日本見直しの新紀元を力強く切り開くだろう。



批評

闘う労働基準法

林 光明


 日本経済の根幹を支える基礎は、失速気味のアベノミクス三本の矢ではない。もちろん、株式市場で時に何億もの大金を操作する、投資家たちでもない。または、大学の研究機関に、莫大な資金を投入する各分野の大企業でもない。それは大衆労働者である。にも関わらず、現実は労働者の地位や役割、経済的生活基盤は何も注目されないまま、生産性技術力の向上のみが課せられる。そして近年、その成果から置き去りにされた労働者は、未来を生き抜く意義を失い、その一部の者は自らこの世を去る・・・そんな現実が10数年続いている。
 成長戦略への期待値から求人事業所は増えても、労働者の時給単価は何も変化なし。本物の経済政策は、給料で言えば"基本給"にその成果が現れると私は考える。労働者の生活に揺るぎない保証を与える要だからだ。煌びやかな屋根をつけるより、地中から支える床下が先だと政府に言いたい。
 ところで、労働者の保証と言えば外せないものがある。労働基準法がそれである。誰もが知る法律だが、憲法9条(96条)改悪危機が叫ばれる中、私たちはその平和憲法と共に産声を上げた労働基準法=労基法の凄さと今一度向き合い、噛みしめる必要があると思う。今さら労基法?などと思わないで頂きたい。労働基準法全13章全121条、その歴史は近代産業革命以来、わが国を労働で築き上げてきた社会平和を願う先人達が、労働者の確固不抜の権利を未来に約束した、文字通り決死の成果の結実なのである。
 先日、府庁商工労働部総合労働事務所の相談部に、あらゆる労働現場で頻繁に耳にする、年次有給休暇消化の実態相談と対策の見解、その他の懸念の確認に出向いた。
[問] 有給制度は各会社にあったり無かったりするもの、つまり会社が決めるものと思い込んでいる人がいまだに多いと感じる。実態はどうか。その理由は何か。
[事務官]残念ながらその通りだ。国が定めた労働者の権利なのに、特に中小企業では貴方の言う解釈を持つ人が圧倒的に多いのが現状だ。考えられるのは、会社あってこそ生活できるのだから、言う事は聞くべきと言う義務感。それと、会社が言うのは本当かという探求心の不足もある。後者は、私達の広報活動の不徹底も要因として大きい。
[問]有給休暇を申請した場合、会社側は「与えてもよい」や「与える事ができる」ではなく、"与えなければならない"はずだが、確認したい。
[事務官]労基法条文で、確かにそうだ。"与えなければならない"である。
《参考》…第三十九条  使用者は、その雇入れの日から起算して六箇月間継続勤務し全労働日の八割以上出勤した労働者に対して、継続し、又は分割した十労働日の有給休暇を与えなければならない。
[問]有給制度は、国が取得条件を備えた労働者個々に与えた権利で会社の一存ではないので、時期変更権とは別に会社が申し出に難色をみせても主張できるか。
[事務官] 当然の権利として可能だ。申し出すべきであり、会社も受理すべきだ。
[問] ウチは大手と違い体力が無い少人数なので、年休をとられると業務に支障が生じ、立ち行かない、と言う中小零細事業主と多く接したが、この点はどうか。また、労働者がこぞって有給をとった為に業務に支障が及んで倒産した例はあるのか。
[事務官] 前者は話にならない(笑)。会社の時期変更権と別に、職場労働者達も常識と理解は持っているものだ。何人もが一斉に有給取得すれば、仕事の段取りが回らず会社が困り、自分たちも困る事ぐらいわかるので、当然自主的に譲り合いながら取るものだ。有給を認めれば損をするという、間違った観念による詭弁でしかない。後者は、そんな事例を耳にした事がないので絶対ないとは言えないが、私の見聞した限りそんな例はない。
[問] だがもしあった場合、そんな会社はそもそも会社経営する資格がないと考える事も出来ると思うが…。
[事務官] 一面として、そういう解釈も出来るだろう。まして法令順守(コンプライアンス順法)が重要視される現在、なおさらそうだといえるだろう。
[問] 労基署は強い権限を持ち、先月も勧告や出頭命令を無視した食品関連会社社長が監督官に逮捕された事件があった。人員の問題は別として、その権限で訴えによらずに、他国のように各企業に立ち入り調査は出来ないのか。
[事務官] あの事件のように、悪質な企業主に対して労基署は司法権又は執行権を行使出来る権限を持つが、従業者の訴えによらずに、不定期に立ち入り可能な制度は日本にはない。貴方の言う人員確保の事や、法整備等の問題もある。
 そして、次の質問に事務官の顔色が緊張した面持ちに変わった。
[問] そうなれば、この国は会社社会だから労基署と言ってもよほど目に余る行為でもない限り、会社側には甘いと言う世間のイメージを実感する。本当のところ、国は法人税収入を徴収する関係で、労基法に抵触していても会社には徹底的に強く対応出来ないのではないか。国からその指示もあるのではないか。
[事務官]……。ハッキリ申し上げてそうだ。今は世界に対峙する国が少ないので、この表現が正しいか判らないが日本は資本主義国だ。資本家が経済の主導であり、会社あっての労働者と言う事になっているし、実際そうだ。100年来のこの流れが質的転換しない限り、会社への徹底指導を中心とした監督業務に推移する事はないだろう…。

 労基法を検索したサイトにこんな文言が載っていた。
『労働基準法は私達労働者の先人たちが命懸けで後世に残してくれた財産なのです。そして私たちは、このようにして作られた労働基準法と現在の労働環境をどう捉え、後世にどう繋いでいくか。それが今に生きる私達労働者の役割です。』
 1802年英国で作られ、工場法として施行された労働基準法。日本では、資本主義経済が根づき始めた明治時代より労働者階級が生まれ、労働環境の劣悪さが、実話を題材の小説等も手伝って、徐々に問題視されるようになった。その頃の1916年、労働基準法(工場法)が実施されるも、発足当時はその力はほとんど及ばなかった。
 労働組合の運動は昭和に入って益々激化、これに対して政府は運動参加者に時には死刑宣告を下すなど、長い年月酷い弾圧を繰り返す。そんな歴史的経緯を経た敗戦後の昭和22年、日本国憲法とほぼ時を同じくして、憲法25条と27条のもとに現在の労働基準法が制定された。(昭和21年公布22年施行)
 憲法前文には、崇高な理念として戦争による惨禍を2度と繰り返さない平和主義が高々と掲げられ、労働基準法総則には「人たるに値する生活を保障する」とした労働憲章を掲げている。
 労基法の本質は、労働者が闘うための法律だったのだ。労基法では闘えないと言う意見もある。だが、主体的に言えばそれは闘えない私達に問題があるのであり、労基法の条文内容が他の法律に比べ、決して劣っているわけではない。私達の多くは自らの生活や会社による仕打ちの恐怖と、闘いで得られる成果やリスクを天秤にかけた結果、結局あきらめて波風の立たない日常を選んでしまう。会社に気を使い、又は見えない圧力に負けて、基本的権利の行使さえ放棄し、山ほどの不満を抱えながら言いなりに黙々と働く。その姿を果たして努力と言えるかどうかと言うと、疑問である。
 実は、もう1つ質問した。国が労基法を定めているとは言え、個々は会社の圧力と直接向き合う精神的苦痛を伴う。辛い目に遭わない有効な手立てはないのかと。これに対し、これだけは分厚い資料冊子をめくることなく、最後に事務官はこう答えた。やはりそこは頑張って貰わないと私達も動けない。労働組合もそうだが、皆さん労働者が1人でも多く意識を持って行動し、結束して運動するしか方法はないのだと。
 確かに、労働者各々が自分1人の利益だけを考えて生きるなら、労基法は闘い難い側面もあるだろう。だが、労働者仲間同士が互いを思いあって動く時、労基法は本領発揮し、底知れぬ威力を秘めた矛や楯となるに違いない。それは、個人主義を奨励する今の国家に立ち向かう事に繋がる、平和憲法の右腕として最も強い武器なのかも知れない。
 "人間は常に何かの恐怖と向かい合っている。しかし、それに飛び込む事により、その恐怖から開放されるのだ"――ブルース・リーが最期に遺した言葉である。


 
脱原発運動の現場から

脱原発が民意

秋山悠行


 脱原発を求める日本の世論は7割にものぼる。2年前の3月11日、東北地方を大震災が襲い、あらゆるものを破壊し尽くした。その中でおそらくは最初の地震動で配管や設備が致命的な損傷を受けた福島第一原発が1号機から4号機まで次々に爆発した。天高く吹き上げられ地球を何周もし、東日本の土壌を汚染し、地下水や海洋に流出した放射能は天文学的な量になる。そして今だに事故は収束していないし、正確な事故原因と経過もわかっていないのだ。原発マネーと安全神話で目を曇らせられていた人々もさすがに放射能の恐ろしさと事実がわかってこういう脱原発世論が形成されたのだ。

■政府と資本とアメリカの意を受けた弾圧
 しかし、利益とアメリカの要求とプルトニウムほしさで、電力会社と日本政府は原発をやめようとしない。これに抗議するべく、東京では首相官邸、大阪は関電本社前、福井をはじめ原発現地などにかつてない数の市民が集まり続けている。一頃より少なくなったとは言え、連綿とその行動が続いている。ところがそれを快く思わない勢力は、運動つぶしを考える。その結果、東京でも大阪でも福井現地でも些細な、あるいはでっち上げの容疑で市民が逮捕され起訴されるという「事件」が相次いだ。総数は30人を超えるだろう。すぐに釈放された人もいるが、未決のまま、長い人では7ヶ月以上も拘留される人もいる。どんな凶悪犯罪を起こしたというのだろうか。いやいや、日本の安全と暮らしを守るために頑張り続けている人たちなのである。原発政治犯といっても良いくらいだ。

■屈しない市民が必ず原発を止める
 例えば、不当逮捕を行った警察には毎日のように抗議の行動が、時には200人もの人数で行われた。警察側は「こんなことは我が署の歴史上、初めて」と感想を漏らしているという。抗議に行く市民も、特定の政治党派活動家ではなく、若者・若い女性・勤め帰りの会社員・ミュージシャンなど多彩な一般市民が大多数。人だけではなく、救援カンパも一晩で何万円も集まり、総額はびっくりするような額になった。それで弁護費用・保釈金・差し入れなどがまかなえるくらい。弾圧で分断して運動の沈静化を狙う取締りの意図は全く逆効果になってしまった。
 10人以上逮捕された大阪も、長期拘留のひどい目にあったとはいうものの、一人を残して釈放・保釈され、全員が元気に脱原発の運動に再び取り組む意思を表明している。ものすごく盛り上がって大量逮捕が出たかつての学生運動で、これまた大量の運動離脱者が出たのとは対照的だ。
 性懲りもなく、原発再稼働と輸出に血道をあげようとする、政府・電力会社・原発メーカーの醜くアコギな悪あがきにもかかわらず、脱原発を求める市民の果てしないうねりがやがて日本の原発の息の根を止めるであろう。



 

国際短信

 


 GDPが増えても大半の人々の暮らしが悪化すれば幸せになれない。(アベノミクスの)3本目の矢は単なる成長戦略でなく格差是正に配慮が欠かせない。成長はそれ自体が目的ではないし、GDPは豊かさの尺度にしては欠陥が多い。
 TPP交渉に臨んでいる米政府関係者は必ずしも米国民の利益を反映しておらず製薬会社や娯楽産業といった業界の利益を代弁しがちだ。しかもTPPは自由貿易というより管理貿易的で多角的自由貿易体制を傷つける恐れがある。中国が参加できないこともあって域内貿易を損なう恐れもある。日本にコメの保護をなくすように求めてきたが米国の農業保護はなくそうとしていない。遺伝子組み換え食品の情報公開にも後ろ向きだ。

(ノーベル賞経済学 ジョゼフ・スティグリッツ)


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