研究誌 「アジア新時代と日本」

第119号 2013/5/5



■ ■ 目 次 ■ ■

編集部より

主張 すでに見えたアベノミクスの破綻

議論 「橋下・維新」の地方政策批判 地方・地域問題解決の鍵は何か?

議論 朝鮮の核問題について 史上最悪の環境破壊

議論 朝鮮の核問題について 林論文に敬意と反対意見を表します

投書から 「最強の安保は9条自衛」に賛成する




 

編集部より

小川淳


 5月3日の憲法記念日、各地で改憲に反対する集会が開かれた。安倍首相は改憲を焦点に参院選に臨むという。衆院では自民、維新、みんなの党を合わせると改憲派が3分の2を超える。夏の参院選は改憲か護憲かの闘いとなるが、改憲だけは阻止しなければならない。
 改めて自民党の改憲草案なるものを読んでみた。現憲法と対比して読むと良く分かるのだが、一部手直しくらいに思っていたら大変な思い違いだ。現憲法の全面否定と言ってよい。前文だけを読み比べてもその違いは歴然だ。例えば、平和主義について現憲法はこう記す。
 「日本国民は恒久平和を念願し、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼しわれらの平和と安全を保障しようと決意した。われらは平和を維持し、専制と隷属、圧迫と偏狭を地上から永遠に排除しようと努めている国際社会において名誉ある地位を占めたいと思ふ」。
 自民案はこうだ。「わが国は平和主義の下、諸外国との友好関係を増進し、世界の平和と繁栄に貢献する」と。どう恒久平和を実現していくのか。その理念も、恒久平和への強い決意もない。
 現憲法は「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないことを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」とした。一方、自民案は「日本国民は、よき伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため、ここにこの憲法を制定する」とした。そもそも何のための憲法なのか、その出発点がまるで違っている。
 「日本は天皇を戴く国家」であるとか、「家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する」などという倫理道徳が何の脈略も無く羅列されている。そこには人の心をひきつける崇高な理念のかけらもない。
 現憲法の前文は、戦争の惨禍から立ち上がった人々の願いや希望、悲しみや痛みがこめられている。だからこそ戦後60年たっても人々から支持され愛され続けている。現憲法の主体は「われら」にあり、対象は国だ。自民案はここも逆転している。
 夏の選挙で憲法改正が焦点になるのは間違いない。多くの人が自民草案と現憲法を読み比べ、いかに現憲法がすばらしいかを再認識する機会にして欲しい。選挙を通じて本当の意味で現憲法を日本人自身のものに転換していく絶好の機会ではなかろうか。「参院選はまず96条で」というような姑息な方法で、ろくでもない憲法を制定させてはならない。



主張

すでに見えたアベノミクスの破綻

編集部


 アベノミクスの「成功」。それは、アーミテージ・ナイ報告による米国の要求、すなわち、集団的自衛権を行使し、米国の対アジア覇権戦略の手先になれという要求に応えるために、「参院選大勝」を実現するための「人気取り」作戦である。しかし、何の財政的裏づけもなく輪転機を回して札を刷るだけの「安直」な手法は、すでに破綻しつつあり、近い将来での大破綻を予測させるものになっている。

■リスクはリスク
 4月4日、日銀は新しく就任した黒田新総裁の下で行われた初めての政策決定会合で、「新たな金融緩和」を発表した。それは「これからはリスクがあってもやる。次元の違う金融緩和をやる」というものだ。すなわち、これまで長期国債の上限を市中に出回るお札の額までとする銀行券ルール(01年に決定)や「満期3年以内の国債に限る」としてきた財政規律のための自主規定を自ら破り、マスタリーベース(現金と民間銀行が日銀に預ける当座貯金の合計)で、昨年12月末で138兆円発行していたカネの量を2年で2倍の270兆円にまで増やすというもの。さらには、上場不動産投資信託(J?REIT)や株価指数に連動する上場投資信託(FTF)など国債以外の金融商品の購入拡大を検討していることも表明。
 要するに、財政健全化のために日銀が設けた自主規制も撤廃して、輪転機を際限なく回しカネをじゃんじゃん刷るというのである。
 しかし、リスクはリスクである。週刊誌などには「黒田の丁半賭博」などという言葉も。こんな博打的な手法で本当に日本経済を良くし、国民の経済生活を良くすることなどできるはずがない。

■危惧が現実になりつつある
 そして、それが現実になりつつある。
 4月に発表された2012年度の貿易収支が8兆円の過去最大の赤字を記録したことが分かった。輸出減は、その後も続いており、13年3月でも輸出数量では9・8%も減少し10ヶ月連続の減少である。
 アベノミクスによって「輸出が増える」という宣伝は、まったくのデタラメであることが明らかになった。
 この原因は円安によって石油、ガス、食料品などの輸入品が大幅に値上がりしたこともあるが、日本の国内産業が空洞化、崩壊してしまっていることが大きい。すなわち、この間の輸出減少は、円高によるというより、国内産業の空洞化、不均衡・崩壊によっていたのだ。
 そのために、いくら株価が上がっても鉱工業生産指数や失業率も一向に改善されてはいない。
 その上、電気、ガス、食糧の値上がりが始まった。電気料金は5月から家庭向けが最大221円、小麦粉も6月から値上げされる。その他の輸入品も。そこに消費増税が控えている。1年後に8%、2年後に10%、これに日銀によるインフレ2%の達成目標が加味され、目標達成まで続ければ15年には最大10%の物価高になる。
 さらにその上に、黒田総裁が言う、「リスク」が控えている。輪転機を回し続ければ、やがて円や国債の暴落を招くというリスクだ。「日本は自らの債務の重さに耐え切れず、そのうち破裂するだろう」(ある米投資家)と見るのが、常識というものだろう。
 4月、ワシントンで開かれたG20財務相、中央銀行総裁会議でも、財政健全化要求の声が強まった。そのためには「増税と節約」、すなわち消費増税や福祉切捨てである。そして、経済界からは「解雇のルールを見直すべきだ」の声も上っている。
 週刊スパに、読者調査で「貧乏になった」15%、「変わらない」75%という記事があったが、この「変わらない」とは、アベノミクスの「恩恵を受けてない」ということで、これからどんどん「貧乏になった」になる層なのだ。実に90%の国民に害を与えるもの、それがアベノミクスである。

■狙われる米国経済への融合
 アベノミクスの三つの矢「大胆な金融政策」「機動的な財政政策」「民間投資を喚起する成長戦略」の中で一番の難問は、「成長戦略」だと言われている。放漫財政は「いつまでも持たない」のであり、早急に実体経済を成長させなければ破産する。しかし経済が極度に不均衡化し、産業空洞化が著しく進行している日本の現状で、それは「至難の技」だからである。
 経済の不均衡化、産業空洞化は、グローバル化の結果であり、これによって国民経済は破壊された。所得や地域、産業などの経済各部門間の格差拡大と不均衡により、経済の循環性が失われ日本経済の自律的回復力が喪失してしまっているのだ。
 このような状況の中で、安倍首相は一体、どのような「成長戦略」を提起しようとしているのか。それは、一言でいうと、米国資本の導入を目論んでいるということだ。17日の産業競争力会議で「成長戦略」の目玉に、「アベノミクス戦略特区」を提言したことがそれを示している。
 この特区形式の導入は、小泉政権で新自由主義改革を推し進めた竹中平蔵氏の「提案」による。今は、東京、大阪、愛知の3大都市圏でバス運行を24時間にする(東京)、法人税減税(大阪)、高速道路の民営化(愛知)などの「人気取り」アイデアだが、注目すべきは、「混合医療の解禁」や「農業への企業参入の容易化」などを提言したことだ。
 これは、TPPで、米国が要求していることである。そしてTPPが、米国基準を他国に押し付けて一層の「門戸開放」を狙っていることを見れば、日本のあらゆる分野(金融、サービス、教育などあらゆる産業)で米国企業に門戸を開くことになる。
 竹中氏が「日本を世界一、ビジネスのしやすい国にする」というのは、そういう意味である。
 こうして米国経済に融合された日本は、骨の髄までしゃぶられる。そして、それは外交軍事の手先化を促進する。経済的に融合した日本は、米国の言いなりになるしかないからだ。そこに日本の未来はない。この日本滅亡の道を許してはならないだろう。

■そしてバブル、その大破裂
 そしてバブル。産業が空洞化している日本で、じゃぶじゃぶのカネは投機に向うしかない。すでに不動産や株式バブルが始まっており、大手百貨店では、高級宝飾品が売れ、中には数億円の「金の茶室」や金塊なども売れているという。
 このバブルは空前の規模になると予想されており、その予想に従えば、バブルは1年で破裂するという。バブルで大儲けした米国金融は機を見計らって売り逃げするというのである。
 バブルの「恩恵」にあずかる人はほんの一部であり、大多数の人々は、その惨憺たる破滅の中に放り出されることになる。
 バブルに関連しては、大蔵省財務官(86?89年)を務めた行天豊雄氏が「円高の恐怖 今も昔も」(4月1日の朝日新聞)という記事の中で次のように言っている。「80年代、円高を阻止しようと日銀が進めた金融緩和がバブルを招き、『失われた20年』のデフレの時代へとつながってしまった」と。
 行天氏は言葉を濁しているが、85年のプラザ合意以降、日本をバブルに誘導し「仕掛けた」のは米国であり、米国金融である。そして彼らは売り逃げしてバブルを破裂させて大儲けした。
 その悪夢の再来。しかし、前回と違って、日本経済は一段と空洞化し弱体化している。今回のバブルは、徹底的に金融機関の投機の場でしかない。それも投機手法に長けた米国金融が主役になった、彼らの儲けのためのものでしかないのだ。そして売り逃げ、その結果は想像を絶するものになる。

※        ※        ※

 安倍自民の「参院選大勝」のための「人気とり」アベノミクス。それは日本経済を米国に売り渡し完全に破壊する。その惨憺たる状況の中で日本は対アジア軍事戦略とその戦争の手先にされる。
 米系金融機関によって仕掛けられたバブルによって景気が回復するかのような宣伝が「演出」されているが、一般国民にとってアベノミクスなど百害あって一利なしなのであり、それが現実のものとなってきているのだ。
 そうであれば、安倍政権の「売り物」を争点に参院選を闘うべきではないだろうか。アベノミクスによって被害を受ける広範な人々の国民的な連合を形成し、安倍自民党の大勝を阻止することが、今、何よりも問われていると思う。



議論 「橋下・維新」の地方政策批判

地方・地域問題解決の鍵は何か?

小西隆裕


 人口の都市への大移動。村が死んで行く。過疎化などという生やさしいものではない。そして高齢化。65歳以上の人口が過半を超え、葬式など社会的共同生活が営めない「限界集落」の全国的広がり。その背景にある地方産業の衰退、福祉、医療、サービス、教育の崩壊、等々。地方・地域の崩壊が叫ばれて久しい。
 この深刻な事態に地域政党から転身した日本維新の会はどう対しているのか。それへの批判を通して、問題解決の道を探りたい。

■問題は中央集権制にあるのか?
 今日、地方・地域問題を言うとき、まず第一に問題にされるのが中央集権制だ。まるで中央集権制が諸悪の根源であるかのようだ。究極の構造改革と言われる道州制も中央集権制打破がその第一の目的になっている。
 「中央集権型国家から地方分権型国家へ」、これが「橋下・維新」の基本政策だ。そして、その目標は道州制の実現に置かれている。
 これまで明治以来の中央集権制の下、地方政治が中央に牛耳られ、地方の実情にそうものになってこなかったのは事実だ。国会議員を頂点とする、都道府県議員、市町村議員のピラミッド、厳しい規制と指導、被指導の関係にある国と都道府県、市町村の地方行政システム、そして中央から地方への補助金制や地方交付金制など税財政システム、等々の下、「地方のことは地方で」の地方分権がよく機能せず、地方の「甘え」や「思考停止」が常態化していることとそれは深く関連している。
 だが、今日の地方・地域の崩壊はこれだけでは到底説明することはできない。より大きく根本的な原因が他にあるのは明らかではないだろうか。

■地方・地域はなぜ崩壊したのか?
 今日の地方・地域崩壊の原因が三位一体改革による地方財源の大幅削減にあるのはもはや一つの定説になっている。「地方にできることは地方に」をスローガンに地方税財政を@補助金削減、A地方交付金削減、B国から地方への税源移譲の三位一体に改革した結果は大幅な地方財源の削減だった(2004年からの3年間で、補助金4・7兆円削減、地方交付金5・1兆円削減、国から地方への税源移譲3兆円、差し引き6・8兆円削減)。しかも、この財源削減は、それによる地方・地域の衰退・税収大幅減にともないさらに一層加速度的なものになっている。
 地方・地域崩壊の原因としては、また、公共事業の大幅削減が挙げられている。これまで地方・地域経済を単線型に振興してきた柱だった公共事業が大幅に削減されたことにより、地方・地域経済が一気に衰弱し、それにともなう地方・地域の雪崩のような崩壊が促進されたのだ。
 今日の地方・地域崩壊は、また、平成の市町村大合併とも深く関連している。かつて7万あった小農村を資本主義体制の下に引きずり込んだ明治の市町村大合併、1950年代前半、地主勢力消滅後の農村支配網を再編するものとしてあった昭和の大合併。そうした中、今回全国3187市町村を1000余りに絞り込む平成の大合併は、経済のグローバル化によって急速に進んだ「住民の生活領域としての地域」と「資本の活動領域としての地域」との乖離を後者の論理によって強制的に再編統合するものだと岡田知弘京大教授は言っている。この大合併によって進むのは地域コミュニティの崩壊だ。
 これら三位一体改革、公共事業削減、市町村大合併に共通していること、それは、国家支出削減、「小さな政府」の新自由主義、グローバリズム改革の一環だということだ。

■中央集権と地方分権は対立していない
 今日、中央集権と地方分権を対立させ、中央集権から地方分権への転換、道州制の実現を地方・地域問題解決の鍵であるかのように描くこと自体、新自由主義、グローバリズムだ。
 そもそも、地方分権の提唱は中央からなされたし、市町村大合併に至っては、中央からの強制以外の何ものでもない。合併に従った市町村への地方交付金交付など各種優遇措置はその証だ。もちろん、地方分権への地方からの要求があるのは事実だろう。しかし、それを口実に地方分権を中央集権と対立させたのは、小泉政権など中央政府だ。
 もともと、国と民族を否定し、国家主権、中央集権を否定するグローバリズムは、地域主権、地方分権だ。もちろんそれは地方・地域のためではない。国と民族を解体・支配する覇権が目的だ。実際、中央集権に反対する道州制が、日本をいくつかの道州に解体し分断支配する米国の覇権目的からのものであるのは知る人ぞ知る公然の秘密だ。
 ここで重要なのは、中央集権と地方分権が元来対立するものではないということだ。もともと中央政治と地方政治は、日本政治全体における一つの役割分担だ。中央集権をよくやってこそ、地方分権がよくでき、地方分権をよくやってこそ中央集権もよくできる。

■鍵は中央集権と地方分権の統一的確立にある
 日本を解体し、分断支配するための道州制は、米国のグローバル覇権戦略の一環だ。それは、日本の関税、非関税障壁を取り払わせ、経済事業ルールの米国化、米系独占の全面的日本浸透など、日本経済の米国経済への組み込みをねらうTPPによる日本の米属州化戦略と一体だ。
 新自由主義、グローバリズムは、国と民族をはじめ、あらゆる集団を否定し、国境や関税、非関税障壁など、すべての規制を撤廃して、世界を単一で全面的な弱肉強食の自由競争市場に作り替え、米系超巨大独占の欲しいままの侵略・略奪の対象にするための究極の覇権の「理念」「改革」に他ならない。この覇権のための「改革」で日本の地方・地域が破壊されるのは必然だと言える。
 日本の解体、崩壊の中での地方・地域の崩壊。この二つの崩壊は一体だ。それが今、弱い環である後者に先行的、集中的に現れているだけだ。
 したがって、地方・地域の問題を解決するためには、日本全体の問題を解決しなければならず、そのためには、中央政治と地方政治がそれぞれ、自らの役割を果たし、二つの問題をともに力を合わせ解決していくことが問われている。まさにそれ故、中央集権と地方分権は対立させるのではなく、両立させなければならず、国家主権と地域主権は統一的に確立されなければならない。ここにこそ、今日、崩壊の危機に瀕した地方・地域問題解決の鍵がある。
 実際、中央政府が打ち出す国の基本路線、政策が全国に貫かれてこそ、都道府県や市町村もそれにそって、自らの地方・地域の政策、方針をもっとも正しく立て、執行することができ、逆に、各地方・地域の実情に合った政策、方針が立案され、実施されてこそ、国の基本路線、政策もより豊かに実現されるようになる。一方、対米従属から抜け出、国家主権をしっかりと打ち立ててこそ、地方・地域が自らの主権を立て、自らの実情にあった政治をすることができ、地方・地域が主権を立て、地方・地域の実情に合った政治を自らの頭と力で行ってこそ、国家主権もより強力に打ち立てられ、行使されるようになる。
 その上で、地方・地域問題解決で決定的なのは、やはり地域コミュニティの強化だと思う。「市町村崩壊」(2005年発行)の著者である元志木市長、穂坂邦夫氏は、日本が第二次大戦後、急速に復興できた最大の要因を地域コミュニティの残存に求め、その力、地域力に基づいてはじめて世界を驚かせた日本の戦後復興があったと述べている。氏の主張は、先の東日本大震災のときにも証明された。震災復興が地域コミュニティの働きに大きく支えられたのは周知の事実だ。そして一方、当時のコミュニティの崩壊を心配していた氏の危惧も同時に証明されたのではないだろうか。
 地方・地域を支え、日本を支える地域コミュニティを強化するためには、何よりも、これ以上の市町村大合併を許してはならず、地方・地域の要求によっては、地域コミュニティを強化する方向での市町村大再編を断行する必要があると思う。
 地域コミュニティを強化する上で、地域経済を公共事業で単線型に振興するのではなく、地域内再投資力を強化する方向で循環型に振興することが重要だ。それに域内資源を利用しての地産地消、風力、地熱など再生可能エネルギー開発などを結びつけること、さらに、福祉、医療、サービス、教育などを基礎的自治体を単位に充実させること、等々が問われている。そうしてこそ、コミュニティの存立と発展が約束され、若者をはじめ多くの人々のUターンも実現するのではないだろうか。
 これ自体、中央集権と地方分権、国家主権と地域主権が結びつき、統一的に確立され機能してこそ可能である。


 
議論 ―朝鮮の核問題について―

史上最悪!の環境破壊前夜

林 光明


 本誌論客の小西氏による、【議論】「朝鮮の核実験に賛成する理由」を拝見した。朝鮮民主主義人民共和国(以下朝鮮)の核開発ついては、絶対反対意見であり、この機会に述べさせて貰いたいと思うので、朝鮮の核武装賛成派の方は共に考えて頂きたい。
 2月初旬より、アメリカ合衆国(以下アメリカ)と韓国の恒例の共同軍事演習の挑発を契機に、朝鮮とアメリカの緊張状態が続き、4月現在まで、近年には例を見ない極限状態となっているが、どうにかして回避されないかと思っている。今年初頭、なるほど朝鮮は「対話の時代は終わり、今後は行動で自主権を行使する」と対米・対韓の政治政策を国際的に公言した。国連決議を利用したアメリカによる、朝鮮に対する経済封鎖を始め、あらゆる妨害工作に対する積年の我慢に、遂に堪忍袋の尾が切れたのだろうか。アメリカ政府当局は、「強がりを演じるいつものブラフ」と断じて軽くみていたのかもしれない。だが、新たな金正恩第一書記体制の朝鮮軍部は駆け引きの脅しでなく、真剣に警告したようだ。朝鮮は、かつて米ソの思惑が絡んだ朝鮮戦争当時から、休戦後の現在に到るまで約70年、領袖と労働党の指揮の下、90年代に多くの社会主義国が変貌を遂げても、同盟国との友好は相互互恵を持ちつつ、独特の社会主義の道を歩んでいる。
 今回の対決要因は、まともな感性なら誰が見ても、核兵器の保有国と非保有国の矛盾にある。とりわけアメリカは、1945年?1992年の47年間に他の保有7国の合計回数を24回も上回る、1054回(年平均22回以上)の核実験を行い、現時点で使用可能核弾頭2150発、備蓄核弾頭2500発、更に解体予定核弾頭推定3000発を加えると7650発もの核弾頭を保持しながら、他国の核開発に難癖をつける権限の根拠は何だろう。それに、G8に名を連ねる同盟国や関係国が、アメリカの権限を承認する理由は何なのか。しかもアメリカは、核爆弾を実戦で使用した唯一の保有国であり、他国にも核兵器を配備している唯一の国である。
 公平に見て、これらの国が朝鮮に核保有反対を唱えても、何ら説得力はない。幼稚園児でもわかる理屈である。朝米間の緊張状態を連日連夜報道する各局ニュース番組も、「アメリカが北朝鮮を核保有国と認める訳はない」とは言うが、それは何故かの不都合な核心部分は一切触れない。報道精神の中立性を謡いつつ、公平性に欠く見苦しい姿勢である。
 巨悪大国の恫喝に、怯まず立ち向かう国家もいくつかある中、朝鮮は最前線である。休戦ライン38度線を境に、米韓混成の軍隊と昼夜にらみ合っている。そして、20年前の朝鮮の核開発の開始から、世界情勢での対米構図が変わってきた。小西氏の論旨どおり、核装備に着手する事でアメリカの核の脅しから国を守り、やがて他の核保有国と同等に対峙する考えを宣言し、NPTの干渉を巧みに退けて核兵力の装備に見事成功した。
 しかし、被爆国の立場としてこの成功に拍手は出来ない。太平洋戦争で、日本はアジアの各国で奮起した人民の反撃に敗れたのであり、米軍の原爆に敗れたのではない。核攻撃とは、戦争の域を超えた無残な破壊行為であり、そこに勝ち負けなどはない。小西氏自身の文中にあるように、核兵器には人間性の欠けらもない。広島、長崎に三代続く被爆者は、今も変わらず治療に通いつめ、各市長は毎年の原爆投下同日時での平和宣言で、反省なきアメリカの核兵器開発と、先に述べた世界最大の核保有数の実態に猛省を促すと同時に、核実験をした朝鮮にも強固な非難決議をした。核兵器は武力ではない。武とは矛を止める技術だが、起動した核は物質を破壊するだけであり、地球環境の未来に何も残さない。
 結論として、核兵器自体に良い核はなく、悪い核しかないのである。朝鮮戦争では民家を含め、米空爆機の無差別集中投下で焦土と化した朝鮮の怒りや悲しみは、現代日本に生きる私に心底の理解は難しい。"待ちに待った決戦の時が遂に来た"の声明は、民族の魂が搾り出した咆哮なのだろう。
所で、人間が幸せに暮らせる国家を建設する朝鮮が、自国を脅し続ける覇権国家アメリカが最多所有する、非人間性の塊である核兵器を作り、"開戦を決めると同時に、米国領の軍事施設のみならず米国本土の首都ワシントンが、わが軍の核の先制攻撃により火の海と化す"と宣戦布告するのはどうか。勇ましさより怖くて引いてしまうと言うのが、私個人も含めた日本人の本音ではないかと思う。9・11自爆テロでは、素朴な日常を過ごす市民も犠牲になった。核の全面戦争となれば、朝米二国間で済む訳がない。飛び火した放射能成分が、周辺国領土に飛散する。際限なき場合は、国境崩壊を招く。その巻き添えになった国の国民や国土はどうなるのか。朝鮮は「アメリカが悪いのだから仕方ない。正義と平和は戦いでしか実現しないのだから、拡散被害は諦めてもらうしかない」とコメントするのだろうか。それは少なくとも、日本で多数意見を占める事はないだろう。「先軍政治」も結構だが、「核の強盛大国」をめざすのはやめて貰いたい。どうせなら、覇権国家の象徴である核兵器に断固反対して核は造らず、「核開発の研究で培った技術力で核兵器は造らず、核ミサイルを跳ね返すバリアーを開発する」と宣言する方がよほど同意も得られると私は思う。それでこそ、朝鮮の主張する『我々式の社会主義』に沿った徹底抗戦だろう。
 勿論、先にアメリカが朝鮮への目の敵政策を早急に改める事が、根本解決の絶対条件だ。アメリカは朝鮮の要求する二国間交渉を逃げ回り、「北朝鮮は六カ国協議の席につこうとしない」と、これまで二枚舌を演じ続けたツケの支払期限到来を認めるべきだ。
 また、アメリカも1国で「リバイアサン」になった訳ではない。核兵器とUSドルを両手に、不気味に踊るミッキーマウスの正体を見抜いているのは、朝鮮だけではない。その本性を知りつつ、その策略に乗って利用してきた国々にも責任はある。今回の事態に、朝鮮の盟友のはずの中国外務省の発言が「朝鮮半島に関わる全ての国は冷静に」とは、何たる他人事だろう。更に何とも情けない日本は、猛虎と巨象に挟まれ、身じろぎも出来ずにいる。不穏な核戦争前夜に被爆国の立場から勇気を持って、日本政府が仲裁のテーブルを命がけで用意すべきだと思う。それが、日米安保を締結した、時の首相の孫としての安倍総理の務めであり、戯言でない真実の国際貢献を示す立場である。
環境破壊責任への地球の審判は、USAもDPRKも両成敗となる!アメリカは、各国の地球環境保全努力が水泡に帰さぬよう、「小国の意向に従えば、世界のリーダー大国の沽券に係わる」などと、下らない意地を捨て、堂々と北朝鮮との二国間協議に着くべきだ。
 "白頭英霊の恐ろしさを、帝国主義者どもは身震いしながら思い知る事になるだろう"
 抗日戦争伝統の、覚悟のこもった言葉は重い。しかし、朝鮮が有言実行する事にならないよう、日米はじめ各国は懸命の努力をすべき時が来たのだと思う。それは約6500万年前、白亜紀に恐竜を絶滅させた隕石落下以来、最大の地球破壊にもつながるからだ。


 
議論 ―朝鮮の核問題について―

林論文に敬意と反対意見を表します

滝 弘


 小西氏による議論「朝鮮の核実験に賛成する理由」に絶対反対し、核保有国以外の核兵器保持を非難する林光明氏の高説を拝見した。私は小西氏と同じく核兵器そのものには反対するものの、アメリカの傍若無人には実質目をつむり、アメリカの気に入らない国の安全を実質無視する意見には反対せざるを得ない。
 まず林論文が、アメリカと韓国が緊張激化の要因であると、全く正しい分析をしている前半部に強く同意する。また、朝鮮側がそれに対して「駆け引きの脅しでなく、真剣に警告した」とこれまた正しい分析をしていることにも敬意を表したい。また「対決要因は、まともな感性なら誰が見ても、核兵器の保有国と非保有国の矛盾にある。とりわけアメリカは、1945年?1992年の47年間に他の保有7国の合計回数を24回も上回る、1054回(年平均22回以上)の核実験を行い、現時点で使用可能核弾頭2150発、備蓄核弾頭2500発、更に解体予定核弾頭推定3000発を加えると7650発もの核弾頭を保持しながら、他国の核開発に難癖をつける。(中略)アメリカは、核爆弾を実戦で使用した唯一の保有国であり、他国にも核兵器を配備している唯一の国である。
 公平に見て、これらの国が北朝鮮に核保有反対を唱えても何ら説得力はない。幼稚園児でもわかる理屈である。」と、全くよく理解していると思う。
 「しかし、被爆国の立場としてこの成功に拍手は出来ない」と態度が変わるところに日本人民の矛盾が凝縮されている。被爆国であることは確かだが、それだけではなんら優位性を誇れない。被爆国の強いアレルギーがあるというなら、アメリカの核政策を一度でも変えたことがあるだろうか?
 現実には戦後67年にわたり、アメリカの核政策を支持し、アメリカが朝鮮・ベトナムをはじめとする世界人民の上に降らせた膨大な爆弾の材料を供給し、後方支援基地を嬉々として提供し、そのおこぼれで戦後の復興を築いてきた。被爆国人民としてアメリカの核持ち込みをやめさせただろうか? 日本には持ち込んでいるかどうか言わないのが米軍の姿勢だと高飛車に言われて、それ以上何も追及できなかったし、マッカーサーが朝鮮戦争で原爆投下を主張した時も何一つ反対の声を上げず、「国連軍の北侵」を支持したのが被爆国日本だった。
 国連軍北侵をソ連が黙認し、唯一中国だけが朝鮮を支えた。中国も最近、態度がふらついているようにも見える。その中で「先軍政治」を徹底し、「社会主義強盛大国」を目指しているが「核兵器強盛大国」は一言も言っていない。アメリカ・ヨーロッパの口車に乗り、IAEA査察を受け入れた直後にイラクが、そしてアメリカが「よしよし」と頭をなでた直後にリビアが一気に侵略され、指導者が欧米の傀儡によって虐殺され、万単位の人民が虐殺された。自主権を維持し、アメリカと対等に渡り合う朝鮮・キューバ・ベネズエラは国民の安全が保たれている。自主権の維持は従属国家以外では生命線なのだ。核もロケット(衛星もミサイルも)も先軍政治も自主権に属する。また「核開発の研究で培った技術力で、核ミサイルを跳ね返すバリアーを開発する」などは机上の空論以外の何物でもなく、現状ではまず不可能である。
 先軍政治と核・ミサイル開発こそ、『我々式の社会主義』に沿った徹底抗戦なのだ。
 「アメリカは北朝鮮の要求する二国間交渉を逃げ回り、「北朝鮮は六カ国協議の席につこうとしない」と、これまで二枚舌を演じ続けたツケの支払期限到来を認めるべきだ。」という林氏指摘のアドバイスをアメリカが受け入れるならば全く問題はないが。
 「日本は、猛虎と巨象に挟まれ、身じろぎも出来ずにいる。不穏な核戦争前夜に、被爆国の立場から勇気を持って、日本政府が仲裁のテーブルを命がけで用意すべきだ」というが安倍首相がそれを支持し、実行する確率は1%も超えないだろう。事態は改憲、国防軍、非核三原則・非武器輸出三原則撤廃へ向かおうとしている。安倍総理は林論文を見て同意するだろうか?「環境破壊責任への地球の審判は、USAもDPRKも両成敗」ならアメリカのこれまでの林氏指摘の核実験数だけでもものすごいし、福島事故で世界規模に汚染した我が国はどんな成敗を受けるのか?
 「白頭英霊の恐ろしさを、帝国主義者どもは身震いしながら思い知る事になるだろう…抗日戦争伝統の、覚悟のこもった言葉は重い。日米はじめ各国は懸命の努力をすべき時が来たのだと思う。それは約6500万年前、白亜紀に恐竜を絶滅させた隕石落下以来、最大の地球破壊にもつながるからだ。」?その通り!



投書から

「最強の安保は9条自衛」に賛成する

Y・S


 議論「朝鮮の核実験に賛成する」ならびに安保「議論」をじっくり読ませていただきました。
 この一週間、「維新」と自民党による憲法改正ならびに「自主憲法制定」の議論が進んでいます。確かに「両者の間には何も異なるところがない」ということは事実だと思います。このままでは「米国と一緒に戦争ができる日本」になっていく可能性が高いと思います。
 私は「九条こそが脱覇権自主の時代の世界の模範であり、それを率先垂範すること以上の覇権の放棄はあり得ない」という意見に賛成です。
 現在の憲法は「自主憲法」でないことは事実だと思います。それならば「二次大戦の戦争責任」はどうなったのでしょうか。
 戦後の最大の問題は、戦争責任を戦勝国の裁判に任せ、自分たちでは何もしなかったことだと思っています。「自主憲法」でないことが許せないならば、まず戦争責任の問題を初めから議論し直すことから出発すべきであると思います。以上が「維新」と自民党による憲法改正ならびに「自主憲法制定」の議論に対する私の考えです。


ホーム      ▲ページトップ


Copyright © 2003-2013 Research Association for Asia New Epoch. All rights reserved.