研究誌 「アジア新時代と日本」

第116号 2013/2/5



■ ■ 目 次 ■ ■

編集部より

主張 何のためのアベノミクスか

議論 「橋下・維新」の経済政策批判 民意に応える強い経済を!

時評 湯浅誠に大いに学ぶ

投稿 「生活の党」の結成と政治再編

コラム 選挙すべきは官僚機構の仕組み




 

編集部より

小川淳


 私事で恐縮だが、今年の正月は田舎(熊本)でのんびり過ごした。熊本の地方紙「熊日新聞」の元旦号に高橋源一郎の新春対談が載っていて読み応えがあった。高橋は言う。
 「建てちゃいけない海辺に家を建て、街を作った。これも日本の近代化の一つの顔です。日本の近代化はずっと往相、行きだった。今は還相(帰り)で、文明の規模が縮小していく。本来それは悪い事じゃない。(略)日本の近代化は常にコミュニティーを壊す方向に進んできました。地方を壊し、村落を壊し、最後には家族も壊してしまう。個へバラバラにしてきた。これからの時代は下へ降りていくイメージで世の中を考えるべきで、そこで鍵となるのは共同体つくり。自然エネルギーが日本の復興の象徴になる」
 もう一つは、熊本県が撤去を決めた荒瀬ダムについての記事だ。本格的なダム撤去は日本では初となる。私が小学生のとき始めての社会見学が荒瀬ダムだった。その近代化の象徴がいまやダム撤去という新時代の象徴となった。この50年で時代の価値観は180度変わった。たまったヘドロを浚渫し、開門が始まってから山からの豊かな養分が海に注ぎ、八代海では干潟やハマグリが復活したという。嬉しいニュースだった。しかしダムの撤去には膨大な時間と金がかかる。ダムは原子炉と同じく20世紀が生み出した巨大な産業廃棄物になるのは間違いない。
 熊日の発行部数は33万部。小さな地方紙に過ぎない。しかし、元旦号では熊日の方が面白かった。
 地方紙の平均普及率は43%という。最も高いのは沖縄で98%、石川県95%と圧倒的シェアを誇る。都道府県には必ず一紙はあり、これほど地方紙が充実した国は珍しいのではないか。全国紙の最も普及率が高い県(茨木)でさえ39%(読売)であることを考えると、地方紙は全国紙を上回る影響力を持つ。
 全国紙だけを見ていると地方の実情や切実な民意は伝わってこない。とりわけ基地で苦しむ沖縄や原発の被災地福島の人々の本当の苦しみの声は全国紙からはほとんど伝わってこない。だからこそ地方紙が読者をつかみ、必要とされる理由なのだ。  共同体つくりやダム撤去、地方にとって最も切実な問題がそこにはある。「競争」から「共助」へ、公共事業では地域の人が参画していく仕組みを作る。このような「国のかたち」を変えるときを迎えていると、改めて思った。



主張

何のためのアベノミクスか

編集部


■期待と危惧
 安倍政権の経済政策、「金融緩和」「財政出動」「成長戦略」の三つの矢によってデフレを克服して経済を再生させていくというアベノミクス。
 これによって円安が始まり株価も上がってきたというので、今後、経済も上向くのではないかという期待から内閣支持率も上がっている。
 その一方でアベノミクスに対する強い危惧と批判が起きている。
 アベノミクスの基本は「際限なき金融緩和」だ。すでにゼロ金利の下での金融緩和は、財源的裏づけもなく紙幣を増刷するということであり、それは円の価値を下げ必然的に円安となり輸出増期待から株価が上がるようになるのは当然である。そのあまりの「安直」さに、そんなやり方で、日本経済が本当に再生するのか、その結果どうなるのかという危惧の声が上がっているのだ。
 金融緩和はすでに20年間実施してきたことであり、すでにだぶついている通貨量を増やしても、国内には回らず、海外投資に向かうだけであり、国内産業の活性化、国内勤労者の賃金上昇には結びつかないだろうと予測されている。
 その上、円安によって輸入品価格があがり、ガソリン、電気、食料品などの生活必需品の値も上がり国民生活はいっそう困難になるだけである。さらには、日銀の独自性を侵した金融緩和強制によるインフレ策は歯止めが効かないスーパーインフレになるのではないかという声も出ている。
 また裏づけのない紙幣増刷は、ただでさえ危機的な状況にある財政を一層不健全にする。すでに1000兆円を越す赤字になっている日本の国債が問題視され、その格付けが引き下げられれば、ギリシャ危機とは比較にならないような事態が現出するという危惧である。

■米国の尻拭い
 この間の円安、株高で外国投資機関が大儲けしている実態が明らかになった。東証の調べでは、米系の外国投資機関が大量の株を買っており、1月下旬の段階で9週連続の買い越しで2兆5000億円を投入したという。
 彼らはアベノミクスの発動を見越して、株価が安いうちに買いに走り株高で膨大な利益を手にしている。週刊ポストの記事によると、米系ヘッジファンドの日本代表なる人物が「昨秋、安倍氏が返り咲いて我々の注文どおり、期待通りの金融政策を実行してくれることになった」と述べている。昨年11月にはゴールドマン・サックスのジム・オール会長が「We want Abe」というニュースレターを出したという。
 そればかりではない。リーマンショック以来、米国金融は膨大な不良債権を抱えているが、この最終処理に日本のカネを使おうとしているという見方がある。
 昨年9月からのQE3(量的緩和第三弾)は、FRB(連邦準備制度・米国の中央銀行)が政府系金融機関が保有するMRS(住宅ローン担保証券)を毎月400億ドルずつ購入する形にして金融緩和を行うというもの。
 これは、大統領選挙でオバマ有利の状況を作り出すための景気刺激策だと言われてきたが、その本当の狙いは、米金融が抱え込んでいる膨大な不良債権を政府に買い取らせて最終処理するためだという。そのために、彼らは、MRSだけでなく、さらに賭博性の高いETF(上場投資信託)やREIT(不動産投資信託)、CDO(債務担保証券)やCDS(クレジット・デフォルト・スワップ)まで買い取らせることを目論んでいるらしい。
 そして彼らは、その買取りを日本にもやらせようとしている。安倍首相の「日銀は外債購入もやるべきだ」(11月30日の党首討論)発言や首相アドバイザーである本田悦郎氏の「国債やETF、REITを無制限に買い続け、物価目標2%を達成してほしい」がそれを裏付けている。
 アベノミクスは「米国の尻拭い」(金融エコノミスト大手町太郎)という指摘は当たっている。

■アベノミクス、真の目的
 アベノミクスによって、米金融が大儲けし不良債権を最終処理しようというのも目的の一つだろう。しかし、本当の目的は他にある。
 それは安倍政権に改憲を実現させるためだ。
 それが米国の要求であることは、昨年8月15日に発表されたアーミテージ・ナイ報告に明らかである。「日本は一流国の地位に止まるのか、それとも二流国に甘んじるのか」と問い掛け「強い米国は強い日本を要求している」と結ぶ、この報告は日本が米国のアジア戦略に従ってアジアで軍事力を行使できるようにし、そうした指導力を発揮する「一流国」になることを要求している。
 それ故、安倍首相にとって、その在任中に何としても改憲を実現することは自己に課せられた使命である。そこで参院選大勝利が不可欠になる。それまで安倍人気を維持しなければならない。そこで国民の最大の関心事である経済をもって人気を上げる。
 その手っ取早い方法は、カネをじゃんじゃん刷ってばら撒くことである。裏づけのない増刷は円の価値を下げ必然的に円安になり、輸出増の期待から株価は上がる。
 実に「安直」だが、要は参院選まで景気の上向きを演出できればよいのだ。しかも、そこには米国金融という強い味方がいる。彼らは安倍政権が発足するや、ただちに株買いに走り株高を演出してくれた。この頼もしい支援への謝礼こそがハゲタカファンドの儲けであり、米国金融が所有する不良債権の買い取りだ。
 アベノミクスについて、多くのアナリストやエコノミストが、これは外国投資家によって作られたバブルに過ぎず、ハゲタカファンドは売り逃げの機会を狙っており、安倍バブルは長続きしないと分析しているが、少なくとも参院選とその後の改憲期間まではそのようなことは絶対起きないだろう。米格付け会社の日本国債格下げもありえず、ギリシャの二の舞もありえない。
 アベノミクス「大成功」演出によって自民大勝の可能性は高まる。そこに、改憲を掲げる維新の会やみんなの党、さらには民主党内の改憲賛成派である馬渕派が合流すれば、国会議員の3分の2、国民投票で過半数という壁も突破できる。
 安倍首相は、衆院選大勝利の後、真の勝利は参院選で勝つことであり、それまでは経済に集中すると言った。首相周辺の麻生財務相なども「今は、経済だけを言え」と忠告している。
 アベノミクスの本当の目的は改憲にある。

■米国のためのアベノミクスを弾劾する
 重要なのは、改憲の目的だ。  アーミテージ報告から見える米国の目的は日本が集団的自衛権を行使できる国、すなわち米国に従って軍事力を行使できる国にして、日本を自らのアジア戦略に利用するためだ。
 米国は、アジアにおいて崩れゆく覇権を再確立するために、この地域での軍事的プレズンス(存在感)を高めようと、南シナ海、尖閣諸島や朝鮮の核やミサイル問題などを利用してきた。その中で中国包囲政策、朝鮮敵視政策を進めてきた。
 しかし、それはうまく行っていない。そのために、ここに日本の軍事力を引き込もうというのが米国の狙いだ。中国包囲網に日本を引き込み、対朝鮮政策では、戦争をちらつかせた「対話」、すなわち「戦争と対話」路線に日本を引き込む。こうして、朝鮮を抑え、中国もおとなしくさせる。そうすれば、アジア覇権は回復し世界覇権も回復できるというのが米国の読みだ。
 安倍首相は改憲して「強い国」「新しい国」を作るというが、徹底的に米国の言いなりに、その脚本に従って作る自主憲法、国防軍の「新生日本」、そのような国のどこが「強い」というのか。
 孫崎享氏が出した「戦後史の正体」では60年安保を締結し今日の従米軍国化の道を進めた岸信介までが自主派にされている。その孫、安倍晋三による「新生日本」は、決して「対米自主」の「強国」ではない。
 「このまま株価が12000円台まで行ったら勲章ものだね」。安倍首相は麻生財務相にそうもらしたという。米国脚本のアベノミクス成功に有頂天になるような人物が、「強い国」「新しい国」と自己陶酔しながら進む道。その先には、米国にそそのかされて戦争にまで突き進む日本の姿が垣間見える。それを高見の見物よろしくほくそ笑む米国。
 徹頭徹尾米国のためであり、日本を破滅させるアベノミクスを断固弾劾する。



議論 「橋下・維新」の経済政策批判

民意に応える強い経済を!

 


 今、「強い経済」が求められている。泥沼の経済停滞を打ち破る「強さ」だ。「橋下・維新」の経済政策、そして話題の「アベノミクス」は、この民意の切実な要求に応えるものか。民意が求める「強い経済」とは何か。議論を提起したい。

■都市が経済成長のエンジンか?
 「橋下・維新」の経済政策の基には、「都市間競争の時代」という時代認識とそれに基づく「都市こそ経済成長のエンジン」論がある。それを簡単に言えばこうなる。グローバル化が進む21世紀にあって、国を単位に経済成長を図る時ではない。都市を主体に、国際的な都市間競争で経済を発展させるのが世界の趨勢だ。それは、今進行する規格大量生産型文明からの大転換を反映している。もはや国家中央の号令で経済の一律的な発展が促される時代は過ぎ去った。都市を単位とする多様な経済発展が求められている。云々。
 しかし、先の衆院選でこの「都市=エンジン」論が前面に打ち出されることはなかった。大阪では通用しても、国政には通用しないからだ。特に大都市以外の地方・地域ではそうだ。事実、全国各地の地域政党を結集しての「日本維新の会」の拡大はまったくの不調に終わった。理由は明らかだ。大都市偏重の「維新」の政策が地方・地域の要求を反映していないからだ。
 選挙で打ち出されたのは、「徹底した競争政策」など、何の変哲もない新自由主義一般のものだった。その結果、「維新」には経済がないと言われた。
 衆院選で唯一経済があると言われたのは自民党だ。今、安倍新政権の下、鳴り物入りで推進されている「アベノミクス」がそれだ。だが、金融緩和、公共事業、成長戦略の「三つの矢」からなるこの経済政策で泥沼の停滞からの脱却は可能か。これが、企業の競争力強化など新自由主義と公共事業投資拡大などケインズ主義の「ミックス」であり、その財源を、輪転機を回し円を大増刷することによって保障する政策であることを考えるとその可能性はほとんどないと言える。なぜなら、新自由主義もケインズ主義もすでにその寿命が尽き破産が宣告された古い経済であり、円の大増刷は世界的な為替レート引き下げ・自国通貨増刷合戦を引き起こすだけだからだ。

■泥沼の経済停滞、その原因を探る
 今日の経済危機は、20年を超える泥沼の経済停滞だ。この間日本において、大企業の総資産が倍増したのに対し、雇用者報酬、都市自営業者の収益など個人収入は大幅に減少した。その結果、個人消費の低下とそれにともなう商品価格の引き下げ、企業収益の低下と雇用者報酬のさらなる減少という雇用悪化、収益減退と物価下落の悪循環、デフレ・スパイラルが進行して来た。それを増幅したのが円高だ。ドル価値の構造的低落による超円高は、輸出産業の競争力低下と産業丸ごとの生産拠点海外移転、それにともなう産業空洞化のかつてなかった勢いでの再拡大を生み出し、それがGDPの減少、貿易収支の赤字化とともに雇用の縮小、賃金の低下、中小零細企業、都市自営業の倒壊、地方・地域の衰退につながって来た。
 この経済危機の歯止めのない進行と泥沼化の根底には経済の自律的回復力の喪失がある。経済も生き物だ。ヒト、モノ、カネの循環があり、イノベーション(技術革新)と起業、雇用と生産、流通の連鎖的な反応が広範に循環的に起こっていくとき、経済は自律的に回復し、不況から活況、好況への局面が切り開かれていく。
 しかし、今、その循環が縮小・衰弱し、新産業を生み出すイノベーションもない。ヒト、モノ、カネは偏在して動かず、基幹産業の転換を引き起こすような科学技術の革新はみられない。
 なぜこうなったのか。大きな原因の一つは、拡大する極度の格差と経済の不均衡にある。所得格差、地域格差、大企業と中小企業の格差、産業格差など、弱肉強食の新自由主義が生み出した格差の驚くほどの広がりは、一部富裕層、大都市、大企業、輸出産業などへの富の極端な集中と広範な貧困層、地方・地域、中小零細企業、自営業、内需産業などの著しい貧困化、衰退となって現れている。この富の偏在、経済の極度の不均衡がヒト、モノ、カネの循環を滞らせる。蔓延する甚だしい貧困化と衰退が消費と需要を押し下げ、極一部に集中された膨大な富がその行き場を失ってしまうからだ。この何とも理不尽な「カネ余り」現象が行き着く先は経済の金融化、投機化しかない。先のリーマン・ショックはこの恐るべき矛盾の爆発だった。
 今日の経済停滞を見るとき、もう一つ大きいのは、次世代の新しい基幹産業を生み出すような科学技術の大革新が抑制されていること、そしてその原因だ。泥沼の経済停滞にあって求められるのは、これまでの産業のあり方にパラダイムシフトを起こすようなコア技術の革新だ。この革命的なイノベーションがあってこそ、新産業が創り出され、経済が活性化する。だが、エンジンやデジタルに匹敵するようなコア技術の刷新はなされていない。その原因について、「21世紀の国富論」の著者、原丈人氏は、「短期的な利益追求の行きすぎ」を挙げている。「企業は株主のもの」とする新自由主義にあって、できるだけ長期のリスクを避け、より短期の投資収益を求めるのが趨勢になっている。これでは、長期にわたるねばり強い探求を要するコア技術の開発は不可能だ。

■泥沼の停滞を打破する強い経済は何か?
 今日、泥沼の経済停滞の根因には新自由主義がある。新自由主義が経済の不均衡を生み、それが経済循環の滞りと自律的回復力の喪失をもたらす。一方、新産業を生み経済を活性化させるイノベーションの抑制に作用しているのも新自由主義だ。この新自由主義をそのままにして経済停滞からの脱却はあり得ない。経済のあり方の新自由主義からの転換こそが求められている。
 そのために決定的なのは国家だ。今日、日本経済全体のあり方を規定している新自由主義からの根本的な転換は、国家を単位に、国家的力によってのみ可能だ。それが都市を単位に、都市の力だけでできないのは余りにも明白だ。
 国家を単位とする国民経済の新自由主義的なあり方を転換し、経済の新しい均衡的発展を実現するためにもっとも重要なのは国民生活に対する民意の要求に応えることだ。もともと国民経済は国民生活と一体だ。国民生活が豊かになってはじめて国民経済も発展し、国民経済が発展してこそ国民生活も向上する。国民生活が破壊されて経済が破綻した今日の現実はその雄弁な証に他ならない。
 事実、雇用の創出など雇用者報酬の増大、社会保障の充実、そして中小零細企業、都市自営業の経営改善と収益増加、農林漁業をはじめ内需産業の振興など地方・地域循環経済の発展、等々、国民生活と経済への民意の要求に応えてこそ、消費と需要の減退に歯止めがかかり、経済の不均衡が改善に向かい、ヒト、モノ、カネの循環が縮小から拡大に転じて、経済の自律的回復力の再生、経済停滞からの脱却が可能となる。専ら米国や大企業の要求に応える「アベノミクス」ではそれは到底不可能だ。
 一方、次世代の新しい基幹産業を生み出すようなコア技術の革新は、短期的な目先の利益を追い求める「株主」の意向ではなく、国の発展と新産業の創出を求める民意に応じた長期国家戦略によってのみ実現される。
 国家が民意に応えるために重要なのは民意に依拠することだ。民意に応え民意を実現するための知恵も力も財源も、すべて民意の中にある。国家にはそれを見つけ、発動し、組織する、責任と役割が求められている。
 民意が決定する民意の時代、デジタル通信とブロードバンド、相互コミュニケーションの新時代にあって、これまでとはまったく異なる新しい方法で、広範な全国民的な知恵と力を網羅・結集し、国民経済を発展させる道が広々と開けている。全国的な生産業体、大学、研究機関などをネットで網羅する情報技術、ナノ技術、生物技術など先端科学技術の共同開発競争体制の組織化、地域毎の生産・流通業体、大学・教育・研究機関などのネット協力網を基盤とする新しい地域循環経済の構築、太陽光や風力、地熱など再生可能エネルギーを地域末端から開発・網羅する脱原発の新エネルギー政策、そして地域医療・保健の社会保障体制の構築、等々、その可能性は無限だ。
 民意に応え民意に依拠して均衡的に発展する国民経済、全国的、全国民的に民意を発揚し民意を集めて新産業創出の革命的イノベーションを促す国民経済、これこそが新自由主義とそれによる経済停滞を打ち破る民意の時代の新しい強い経済だ。


 
時評

湯浅誠に大いに学ぶ

金子恵美子


 今年は日本でテレビ放送が始まって60年になる記念の年だそうだ。それでNHKがそれに関連した特番をやっていた。その中で、いつも9時のニュースを担当しているアナウンサーの人が、どんな事を考えてその仕事をしているのかという質問に対して、「役に立つ報道をするよう心掛けている」と答えていた。ニュースというのはただ出来事を読み上げているだけと思っていた私にとって、この答えは意外だった。確かに考えてみれば、準備過程では、どんな記事を選ぶか、それをどのように伝えるかなど、さまざまな討議がなされているのだ。そのときに心掛けていることが、「役に立つ報道」ということなのだろう。
 また、週一回訪問介護で訪れる、今年92歳になるTさんからはいつもこんな声が発せられる。「本当に、役立たずになってしまって」と。
 「役に立つ」という言葉は、とても平凡でいろいろなところで使われている。しかし、改めて考えてみると、このシンプルな「役に立つ」ということは、人間の生きがい、誇り、幸福感などと深く結びついたこととしてあるのだ。確か民主党の標語の中に「誰もが出番のある社会を」というのがあった。誰もが役に立てる何かがある社会ということであると思う。民主党は「出る幕じゃない」と国民に見切られてしまったが、人間は誰かの、何かの役に立ちたいという根源的な欲求があり、それが満たされた時に、喜びや幸福感、自分への誇りがもてるということなのだと思う。
 だが、「役に立つ」ということは、案外に難しい。「飴を買ってきて」と言われて、飴を買ってきて渡すのは簡単だ。それはそれで役に立っている。しかし、そうした具体的な依頼に対して応えるのと違い、社会や人々の役に立つということはなかなか難しい。例えば社会活動である。本当に「役に立つ」ということは、人々の利益と要求に叶い、喜ばれることをすることだが、「世のため、人のため」に良かれと思ってやったことが、実は自分の要求や利害であったり、おしつけであったり。だから本当に役に立とうと思ったら、徹底的に相手のニーズを知り、それに応えなければならない。しかも、人々のニーズ=利害は各種各様である。これを知るためには、とにかく人々の中に入りその声を聞かなければ始まらないだろう。声を聞くためには、信頼関係が必要だ。その上で、その声を投げかけ合わせ、合意を形成していくこと。そうして初めて、各種各様の声が、皆の共有できる声になり、人々が主体となってその問題解決に動き出すことができる。しかし、これは言うは易し行うは難しである。
 格差・貧困問題で活躍している湯浅誠さんは「ヒーローを待っていても社会は変わらない」(朝日新聞出版)の中で「人々が一人ひとりの民意を社会に示すことで、社会は多様な民意を示すことができる社会に変わります。それをお互いが調整していくことで、異なる意見を調整できる社会に変わっていきます。・・・地味だけれども、調整してよりよい社会をつくっていくという粘り強さをもつ人たちが必要です。そういう人をたくさん増やすこと、自分たち自身がそういう人になることが重要だと思っています」と語っている。この間、湯浅さんの話を聞く機会があり、この本ともめぐりあったが、湯浅さんの実践に基づく、具体的で臨場感あふれる現場からのアピールであり、社会活動を何かしたいと考えている人にとってはもちろんのこと、長年にわたり社会運動をしてきているいわゆる活動家と言われる人々にとっても非常に示唆的な本だ。幻滅と幻想に変わりつつある「議会制民主主義」=「おまかせ民主主義」に代わる「自分たちで考える民主主義」、社会活動への参加の仕方、その担い方、日本社会を変えるために今求められていることなどなど、国民が真に主権者となるための貴重な提言になっている。
 中でも考えさせられたのは、湯浅さんが民主党での内閣府参与となって気づいたこととして言われた、「自分の活動を相対化できた。これまでは民間の活動しかしていなかった。民間の活動というのはいわゆるこの指止まれ方式。つまり賛同する人を増やしていく活動。しかし、行政の活動というのは政策であるとか法律、制度など、全国民が対象。反対している人をも、というより反対している人と一番話さなければいけない。いかに届く言葉をもっているかが問われる。中間の人、反対の人までを、賛成はしなくとも、足を引っ張らない程度までもっていけるか、持ち札を増やすこと。こう言ってもだめな人にはこう言ってみると」。「どうしたら多数になれるか」「表出と表現の違い。表出は独白。表現する工夫が必要。接点を求める努力。届く言葉を持つこと」などなど。どれだけの活動家といわれる人たちがこのような意識を持ちまた努力をしているだろうか。「これを分かれ」方式=独白になっていないか。世のため人のための社会運動である以上、多くの国民を包括した運動にならなければ自己満足か絵に書いた餅で終わってしまう。真に役立つ社会運動をするためには、もっともっとの努力が必要だということ、大多数の国民に届く言葉がうまれ、利害が共有できるようになった時に国民は初めて主体となって歴史を動かしていけるのかも知れない。そんなこんなを考えた一週間であった。



投稿

「生活の党」の結成と政治再編

投稿 S生


 1月25日、「生活の党」が正式に結成された。衆議院選挙で事前の世論調査と大きく異なり、「未来の党」が惨敗した結果を受けて、分党により、衆議院7人、参議院8人の計15人で結成されたのが「生活の党」である。前身の「国民生活が第一」を引き継いでいるので小沢一郎氏の影響力が強いことは事実である。また、決して革新的な顔ぶれではない。
 保守の色が濃い議員たちであるが、大会で採択された綱領は日本国憲法前文をその柱に据え、基本政策では、かなりきっぱりした路線を打ち出している。原発の新増設はもちろん、再稼働も認めず、「2022年までに全廃」を掲げている。消費増税法は廃止、TPPも交渉参加しない。
 外交も「対等な日米関係の構築」「中国、韓国をはじめアジア諸国との信頼関係構築」「アジア平和のために調整役を日本が果たす」などリベラル色が民主党より強い。
 インターネットなどでその詳細がアップされているのを見ると、小沢一郎代表は「アルジェリアの事件で痛ましい犠牲が出たことについて、自衛隊出動などという声があるがとんでもない、アメリカのイラク・アフガニスタン戦争の例を見てもわかるが、軍隊を出して解決できるものではなく、むしろ悪い結果になる。外交や交渉で問題を解決するべきだ」と明言していた。
 また、昨年11月の小沢一郎氏無罪判決確定ではっきりした司法権力の暴走や、それに追随して個人の人権を蹂躙したマスコミなどにも厳しい批判を持ち、それと立ち向かっていく事も明言された。脱官僚政治の方針も力強いものとなっている。
 これらを総合して見ると、生活の党は政策の質において民主党を超え、ほとんど社民主義に近い内容となっている。社民党が地力の落ち込みで風前の灯火になっている現在、また本来人民の先頭でたたかうべき共産党が、例えば小沢氏冤罪事件で検察特捜や保守勢力と一体となっていたし、司法の暴走や御用マスコミとたたかわず、冤罪・弾圧の被害者を見殺しにしている(彼らの名誉のために言うならば、共産党支持の国民救援会が各地の冤罪事件について孤軍奮闘している)。
その中では、これからの展開によっては「生活の党」の存在が政治的に大きな意義を持つものではないか?
 また、国家財政、税制、労働、子育て、地方分権については民主党の前進面と共通する部分が多く、反「新自由主義」と見て良い。
 課題としては、国会議員もだが、自治体議員が圧倒的に少なく、地域組織もほとんどないことである。地域での活動展開・選挙活動が十分に行われるか否か、そして今年7月の参議院選挙の結果がどうなるか? 社民党、緑グループ、嘉田滋賀県知事の「未来の党」と並んで勢力を築けるかどうかで日本が一気に改憲・核武装・米軍との共同参戦そして国民生活破壊の政治になるのかどうかが決まってしまう。民主党が海江田代表、細野幹事長のもとで生まれ変われるかどうかと合わせて、この半年の日本政治の展開は数十年分の日本の行く末を左右するであろう。

 


コラム

選挙すべきは官僚機構の仕組み

林光明


 昨年12月の衆議院総選挙は、国民の誰もが望んだ結果になったかどうか?現実は護憲派勢力が惨敗する結果となった。知人の活動家は、何とか共産党が微減で持ちこたえている以外、主体的条件の弱さと見るべきでデーターと現実に基づいて、しっかり総括することが大切と言っている。
 自民・公明を柱とする右翼的保守勢力が圧勝した結果、早々とアジア各国から極右勢力復活の警告が報じられた。あれほど勢いが報道された日本維新の会さえ、旧保守勢力の後塵を拝した。だが、投票した六割の国民のうち自民党に投じた人は、極右政党が良いと思って入れた訳ではないと思う。何より、20年来続く出口の見えない経済格差に嫌気が頂点まで来ており、好景気を作り出した実績の自民党に再度期待を込めたのだろう。
 戦後60年、欧米に追いつけの国策に同調させられて過労死が出るほど懸命に働き続け、バブル経済で追いついたと錯覚させられ、その後の平成大不況のまま気がつけば中国に追い越された。福祉と雇用最優先をマニュフェストに掲げる民主党に託しても、公約にある沖縄米軍基地移転で米国と外務省官僚に逆らえない脆さを思い知らされた。
 コンクリートから人への政策も地元経済の停滞を理由に頓挫、一人二万の家族手当も指摘されていた財源不足の明るみで、一度きりのサービス配給。挙句、天災と人災が絡み合った東日本大震災で更なる財源不足となり、国民があれほど反対している原発を電力会社とアメリカ政府に押し切られ、自民独裁時代の年間三万人を超える自殺者を救うことなく、公約大違反の消費増税を発表。バブル期とは一転、年収300万時代を生きる国民大多数が託したリベラル政権の四年弱の実力はこの程度だったのか。ならば、経済成長の実績と経済大国に押し上げた実績のあるプロの自民党に戻すのがとりあえずの選択と、消去法的にそう考えてしまう。政治はキレイ事ではない。弱者の立場で未来社会をうたっても、国民生活の経済格差が広がるままの満足な福利厚生など絵に書いた餅でしかない。
 ところで、棄権あるいは白紙投票した四割の国民はなぜ、投票に行かなかったのか?この国の政治システムの仕組みに気付いたから四割の人は投票に行かなかったのかも知れない。かつてよく労働組合では会社は運営できないと言われた。だが労組こそ働く人々の喜びや辛さがわかり、代表して代弁する組織だ。しかし、利益を追求する経営には弱いと言われる。これがすなわち、政治ではリベラル護憲派や革新政党なのだろうか。簡単に言えば、日本国という「企業」の代表経営者が自民党であり、リベラル護憲派や革新政党が労働組合ということになる。かつて、旧社会党連立政権から民主党に至るまで、政権を取っても全て長続きしない。アマチュア労組が国の経営をしても、やはり赤字経営で、儲け(景気)を出せない。
 しかし、労組は経営能力がないわけではない。各省庁(会社の各セクション)の官僚(役員)たちが、この国の政治システムを守りたい為、政権交代した政党(執行部)に能力があっても、全く新しい彼の号令・指示に従わない。その象徴事例が鳩山首相時代の沖縄米軍基地の移転問題だろう。当時の鳩山総理は最低でも県外移転と公言したが、外務官僚とそれに従う野党自民党勢力も、全てがそっぽを向いた。総理の意向・指示に動かない官僚を国民は目の当たりにした。選挙で勝っても、護憲派・平和勢力の政治が実現できない、すなはち、国民(人民)が政治参加しようとしても叶わないこの国の「民主主義」の正体。選挙で変わらないではなく、官僚機構そのものの是非を総選挙すべきだ。
 戦後の総選挙で日本国憲法の改正(改悪)が争点になった事は史上初で、これについてあるジャーナリストは、自民党が憲法九条第一項(交戦権の永久放棄)に手をつけるなら、命がけで安部政権と闘うと述べている。
 護憲派・リベラル政党の政治家、活動家の方は今回の結果に意気消沈せず、この仕組まれた選挙システムにこそ、メスを入れてもらいたい。知人で日頃は政治を口にしない30年来の付き合いの女性が、総選挙で共産党に入れたと語ってくれた。こんな人の思いを、共産党を含む革新勢力は無駄にせず、投票を棄権した四割の国民が自信を持って政治に参加できるように、戦略・戦術を再検討して頂くことを切に望みたいと思う。


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