研究誌 「アジア新時代と日本」

第114号 2012/12/5



■ ■ 目 次 ■ ■

編集部より

主張 国民皆の党、「未来」を歓迎する!

議論 「橋下・維新」の体制見直し批判 今こそ日米安保の見直しを

インタビュー 「黙っていては何も変わらない」 水戸喜世子さん




 

編集部より

小川淳


 総選挙が近い。新聞の予想では「自民過半の勢い」だという。このような予想を聞くと一日が寒くなる。
 安倍自民党は憲法改正を掲げる。「首相を最高指揮官とする国防軍を保持する」と明記し、戦力不保持や交戦権の否認を定めた憲法9条2項を削除し集団的自衛権行使を可能とする。このような公約・主張を掲げる安倍自民党が衆院選で勝ち、政権をとることは、なにとしても食い止めたいと思う。安倍自民に人気があるわけではなく、20%そこそこの支持率で過半数を取れるのは小選挙区の仕組みによる。
 民主党による政権交代の失敗の代償は大きなものになるだろう。「古い政治」からの脱却を掲げた「新しい政治」への転換は見事に失敗に終わった。ふたたび古い自民党政治へと時代は逆行するのか。それを許した民主党の責任は限りなく重い。
 だが、仮に自公の過半数で安倍政権が誕生したとしても、「古い政治」が早々に行き詰まるのは目に見えている。
 憲法改「正」や国防軍、集団的自衛権の行使などの時代錯誤を国民の大半は求めていないし、10年で200兆円という巨費を日銀の「担保」で公共事業にバラ巻いても、経済が復活するはずもない。戦後67年が過ぎ、高度成長を前提にした「利益」配分型モデルではもはや通用しない事は誰の目にも明らかだ。
 何よりも重要なことは、民主が原発再稼動容認、消費税、TPP、沖縄(普天間、オスプレイ)とどれをとっても自公と変わらなくなっていた中、反原発を軸にした「未来」が誕生したことによって、それまでの自民対民主というまったく不鮮明だった対決軸がはっきりと見えるようになったことである。改憲・安保重視、原発推進、新自由主義の右派連合(自公、維新)なのか、護憲・専守防衛、脱原発、反新自由主義の国民連合(未来、社・共、大地)なのか、という対決軸だ。
 今回の総選挙は、自公・維新の「古い政治」に戻るのか、それとも国民皆の「新しい日本」を創るのか、その対決だ。新しい時代の歯車が回り始めた。



主張

国民皆の党、「未来」を歓迎する!

編集部


■総選挙、見えなかった民意
 今回の総選挙、当初、その争点はあまりに民意とかけ離れたものだった。
 自民党は、「強い国」路線を打ち出す安倍晋三氏を総裁に据え、その選挙公約でも、憲法を改正して集団的自衛権を行使できるようにし、自衛隊を国防軍にすることを打ち出した。この自民党と差別化をはかるためか、民主党は中道リベラルを標榜したが、彼らこそ尖閣列島を国有化して問題を紛争化させ、その流れの中で、集団的自衛権を行使容認の法制定をもくろんでいたのであり、そこに大差はない。その上、今回の総選挙で台風の目になると予想された橋下・維新の会が石原慎太郎の「太陽の党」と合流し、「強くてしたたかな日本」を掲げ「自主憲法制定」を打ち出すようになった。
 まさに「強い国」路線の「右派大連合」。しかし、この「強い国」路線とは、一体何なのか。それは、アーミテージ・ナイ報告で米国が日本に突きつけてきた要求に他ならない。「日本は一流国の地位を維持するのか、二流国に甘んじるのか」と問いかけ、集団的自衛権行使が容認されていないことに懸念を表明しつつ、「強い米国は強い日本を望んでいる」と結ぶ、それは、米国のアジアに対する「関与とリーダーシップ」戦略を軍事的にも支えよということである。
 この「アメリカの声」を背景にして雪崩を打ったような「右派大連合」の結成。それは米国の顔色ばかりをうかがい、国民の顔など見ようともしない古い政治勢力の大野合であった。
 今、国民は「経済」「社会保障」「脱原発」などの解決を切実に望んでいる。それなのに、脱原発、反消費増税、反TPPなどを掲げる政党は分立し、「右派大連合」の気勢の前で国民の声はかき消されたような状況が生まれていた。

■登場した国民連合
 こうした中、11月27日、嘉田滋賀県知事が「日本未来の党」を発足させた。
 嘉田知事は、「右派大連合」の中で脱原発が影を薄めることに危機感をもち新党結成を決意したという。そして「未来をつくる政治の結集軸」を発表し、「この指止まれ方式」で「小異を活かし大同につく」ことを呼びかけた。これに応えて、「国民の生活が第一」、「減税日本、反TPP、脱原発をめざす党」、「みどりの風」(党自体は存続)が合流を決めた。
 発表された「結集軸」は、「卒原発」「活女性、子ども」「守暮らし」「脱増税」「脱官僚」「誇外交」の6点。それは脱原発を基軸にしながら、国民の要求を第一に置いて、その実現のために国民が総結集することを呼びかけるものである。
 今日、拡大する放射能禍を収拾し脱原発に向かうことは国民の切実な願いである。それにも関わらず、これが進まないのは、米国の圧力があるからだ。
 元々、原発は米国の核戦略の産物だ。だからこそ米国は「脱原発」に反対する。アーミテージ・ナイ報告や米戦略国際問題研究所(CSIS)所長のジョン・ハムレが露骨にそれを表明している。
 脱原発は、米国の要求と日本国民の意思、そのどちらを第一にするのかということを象徴する問題であり、両者を区別する試金石である。それ故、これはTPP参加、消費税増税、基地問題、さらには格差、雇用、社会保障、経済問題に到るまで深く関わり、ひいてはアジアの国々と共に生きていくのか、敵対するのかということにもつながっていくものとしてある。
 「卒原発」を基軸にしながら、脱増税、反TPPを掲げ、国民の生命と暮らしを守る政策を前面に押し出し、誇りある外交を掲げた「日本未来の党」の結成は、米国覇権を盲信し、それにすがってアジアに覇を唱える国たらんとする「右派大連合」に対し、真に国民の意思を第一にした政治を実現しようとする「国民連合」の結成を意味する。
 それは、対米従属の戦後政治史に初めて登場した画期的なできごとである。

■3年前とどこが違うのか
 3年前の総選挙で民主党が圧倒的な勝利をおさめた時、代表であった鳩山氏は「これは国民の勝利」だと述べた。実際、民主党の大勝は、旧態依然とした政治をぶっ壊してほしいという国民の要求が反映された結果だった。それ故、当時のキーワードは「見直し」であり、あらゆる面での見直しが着手された。
 しかし、それは挫折した。その契機は普天間基地問題であった。「海外移転、少なくとも県外移転」を唱えた鳩山氏は、「私の認識不足でした」として突然の辞任。それは、米国と親米勢力の圧力の前に屈したということである。
 そして「3・11」と放射能禍。この故郷を失い国土を失い子孫にまで災いを及ぼしかねないという日本の危機、国民的な危機を前に国民は立ち上がった。3・11後、続けられてきた脱原発の金曜デモは、大飯原発再稼動決定以降、かつてなかった50万人大デモに発展し全国各地で脱原発の運動が巻き起こり、今も続いている。
 その運動は、どこかに指導部があるわけでもなく、互いにツイッターなどで呼びかけるなど国民自らが主体となって行われている。そして、それは反格差、反オスプレイ配備のデモを同伴している。
 3年前は、民主党政権に古い政治を壊すことの期待を込めた受動的なものであったとすれば、未曾有の国難に直面する中で、国民はより能動的に主体的に動き始めたのだ。
 脱原発のツイッターの中に「こと、原発問題については、もはや国民の意思を無視した政策はありえない」というのがあった。それは原発だけではなく、すべての問題で、国民の意思を無視した政策はありえないという状況が生まれてきたということではないだろうか。
 まさに、これは時代の流れである。そして、この流れの中から「日本未来の党」が登場したのである。そのように見れば、「未来」は国民自身が作り出したのだと見ることができる。
 実際、嘉田さん自身がこの運動の中に居たし、国民の思いをひしひしと感じたが故の新党結成だったと思う。
 「日本未来の党」は、国民が自ら作った、国民皆の党なのだ。

■育てよう、支えよう「未来」を
 今回の総選挙で「日本未来の党」が政権党になるのは難しそうだ。しかし国民が主体になって民意第一の政治を実現していこうとする時代の流れを止めることは、もはやできない。
 われわれ国民は自らの政治実現のために、「未来」を育て支えていかなければならないと思う。
 3年前の民主党政権誕生時、支持者の中から、この政権を我々が支えねばならないという声が上がった。しかし、普天間基地問題で鳩山政権が窮地に追い込まれた時、鳩山氏は国民に支持を訴えることをしなかったし、国民もそれを支えられなかった。
 しかし、今回、「未来」を生み出した国民の力はかつてのそれとは違う。脱原発の運動ではツイッターなどのソーシャルネットワークを通じてより広範で緊密な国民的な連携が作られている。パソコン経由のツイッター利用者は1300万人であり、スマートフォン経由も入れれば実に膨大な数になる。この全てが「未来」支持ではないが、その議論の中で人々の意識は高まっていく。識者が指摘する、そうした「政治参加の新しい形」が「未来」を育て支えていくだろうし、そうしなければならないと思う。
 嘉田氏は滋賀県知事になったとき、「地域のことは地域住民が決める」と述べたが、それぞれの地域で地域住民が主体となった地域振興策が取り組まれている。震災復興でも、現地、現場の創意創案に基づく復興策が成果をあげている。脱原発のための新エネルギー・システムも各地域、各人の創意と熱意が発揮され、それが互いに結びつくようなものになろう。
 新産業時代にあって、経済成長の根本は、人々の創意創案を如何に発揮させ、それを如何に結合するかにある。
 国民自らが生んだ「未来」は、こうした国民的な動きと結びつくものであり、そうなってこそ「未来」は、さらに大きな国民的な連合体として発展する。
 「日本のことは日本国民が決める」新しい時代の夜明けは近い。



議論 「橋下・維新」の体制見直し批判

今こそ、日米安保体制の見直しを!

小西隆裕


 先号付で林光明氏から本シリーズへの忠告を受けた。要旨、橋下徹のような人物の批判を載せるのは誌面の無駄だ、それより彼と正反対真逆の論理を展開すべしということだった。それで、本号の議論を始める前に一つ申し上げたいと思う。それは、もともと本シリーズは、民意を利用し民意を踏みにじる「橋下・維新」を批判しながら、それと「正反対真逆」の、民意に忠実に民意を反映する政治とは何か提起し、広く議論を求めるものだということだ。
 そうした趣旨から、本号では、「維新」が第一に主張する「体制見直し」を批判しながら、今求められる体制見直し、国のかたちの転換がどのようなものか問題提起していきたいと思う。

■民意は体制の見直しを求めている
 「橋下・維新」の綱領とも言うべき「維新八策」の第一策には、統治機構の見直し、中央集権型国家から地方分権型国家へ、そして道州制へ、が掲げられている。統治機構、国のかたち、あるいは体制の見直し、転換が第一だということだ。それは、この度、総選挙を前にして石原新党、「太陽の党」との合党に際しても変わらなかった。維新・太陽の合意文書の第一、第二項は、中央集権体制の打破、道州制の実現となっている。
 この体制見直し第一の姿勢は、「橋下・維新」人気と深く結びついている。今、国民が求めているのは現状の修正やちょっとした改良ではない。そんなことで、この20年を超える経済の停滞、どうしようもない政治の混迷、等々、泥沼的状況を打破できるとは誰も思わない。古い日本を打ち壊し、まったく新しい日本を創り出す根本的な対策が問われている。そうした国民の思いが、政策よりも何よりも体制を重視し、根本的な国のかたちの見直し、転換を説く「橋下・維新」への期待となって現れた。そう言えるのではないだろうか。

■見直すべきは、日米安保体制だ
 総選挙を前に地域政党から国政政党への転換を図りながら、「橋下・維新」は、体制見直しの具体策を打ち出した。先述した地方分権型国家や道州制への転換だ。また、総選挙用に出した日本維新の会公約素案には、憲法改正による統治機構改革として、首相公選制導入や参院廃止も視野に入れた抜本改革と衆院の優位性強化も明記された。
 だが、「橋下・維新」が公表したこれら体制見直し案の評判は芳しくない。それは、世論調査における「橋下・維新」の支持率低下、低迷に如実に現れている。一言でいって、国民は「案」にがっかりしたのではないか。こんな見直しで現状を打破できるとはとても思えない。「何の代わり映えもない」という巷の声はその端的な現れだと思う。
 体制見直しと言うとき、当然その体制は、国と社会を動かし統制する支配的な体制のことだ。そうでない体制を見直しても意味がない。
 よく言われることだが、戦後日本には二つの体制が在った。憲法体制と安保体制だ。このうち支配的だったのは言うまでもなく安保体制だ。「憲法解釈」という名の「憲法違反」によって自衛隊が世界有数の軍事力に増強され、日米安保に基づき米軍補完のための海外派兵が敢行されていること、日米安保のため、非核三原則が形骸化されていること、等々。いやそればかりではない。そもそも、日米安保体制の下、日本の軍事ばかりでなく政治も経済もすべてが米国の支配と統制を受けている。毎年、米国から送られて来る「改革要望書」にしたがって日本の新自由主義構造改革が行われてきたこと、あれほど圧倒的な国民的支持を受けて登場した鳩山政権の普天間基地移設方針が米国の反対の前にあえなく挫折したことなどはその一例にすぎない。
 すべては、戦後日本の支配的体制が憲法体制ではなく、日米安保体制であることを示している。だから、体制見直しと言うとき、それは何よりも日米安保体制見直しでなければならない。
 だが、「橋下・維新」の体制見直しはどうか。明らかに、安保ではなく憲法体制の見直しになっている。支配的でない体制をいくら見直しても、現状の打開はできない。国民が失望したのは当然だ。「維新」の支持率急落は、民意が下ろした厳しい審判だと言うことができる。

■「維新」はなぜ日米安保をタブーにするのか?
 体制見直しを言いながら、なぜ「橋下・維新」は、支配的な体制、日米安保体制ではなく、憲法体制の見直しを主張するのか。
 さらに不思議なのは、肝心要の日米安保体制の見直しに全く触れないこの「橋下・維新」の主張に対して誰も何も批判しないことだ。まるで、日本の政界全体が日米安保をタブーにしているかのようだ。なぜそうなっているのだろう?
 誰もがまず思うのは、米国に対する恐怖だ。孫崎享氏の近著「アメリカに潰された政治家たち」を見るまでもなく、米国に反抗して抹殺された政治家は枚挙にいとまがない。
 もう一つあるのは、日本政界にあって日米安保体制が大前提になっていることだ。日米安保を離れて日本の政治は考えられない。その根底には、世界のリーダーは米国だ、覇権は米国に握られている、各国の政治は米国の覇権の下、それに歩調を合わせてこそうまくいくという「神話」がある。それが、日本の支配者にとり、太平洋戦争の痛恨の「教訓」と関連しているのは言うまでもない。
 だが、それならそれで、体制見直しなど言わず、黙っておとなしくしていればよいではないか。なぜ声高に体制見直しを叫び、「憲法改正による統治機構の見直し」などと言うのか。その目的は何か?それが首相公選制や衆参両院改革などにとどまらず、何よりも九条改憲にあるのは、「集団的自衛権行使」や「自主憲法制定」などを前面に打ち出して来た「維新」の最近の動向に示されている。
 「橋下・維新」の体制見直しは、経済停滞、政治混迷の泥沼的現状を打破する国民のための見直しではない。それは、米国の覇権の下で覇権する「強い国」、凋落する米国覇権を支える覇権強国日本づくりを狙う米国や大企業のための体制見直しに他ならない。

■安保体制見直しと自主強国への転換
 もともと、弱肉強食の覇権は政治の前提などではない。原始共同体の昔には覇権などなかった。そして今、覇権が通用しない脱覇権の時代が到来している。単に米国の覇権が崩壊しただけでない。もはや覇権そのものが通用しなくなっている。
 この脱覇権の新時代にあって、日米安保をタブーとし、覇権の「神話」にしがみついているのは滑稽でさえある。そんな国は、世界広しと言えども、日本くらいしかないのではないか。
 民意は、日本政界のこうしたタブー、「神話」をはるかに乗り越えている。タブー、「神話」にとらわれた「橋下・維新」の支持率低下、低迷はそのことを教えてくれている。
 今、民意に忠実に民意を反映する政治は、体制見直しをやり抜く強い政治であり、見直すべきその体制は、今現在の支配的体制、日米安保体制に他ならない。安保体制を打破し見直してこそ、現状の根底からの打ち壊しを求める民意に応えることができる。
 日米安保体制の打破、見直しとは、単なる日米安保条約の廃棄ではない。それは、原発や消費増税、TPPなどに反対し、経済、政治の建て直しや平和を求める国民の意思と要求に応える体制への転換だ。そのためには、米国との摩擦、衝突は避けられない。実際、国民の意思と要求は、日米安保が保障する米国の意思や要求とことごとく対立している。原発や消費増税、TPPしかり、経済や政治、軍事のあり方しかりだ。
 だから、日米安保体制見直しへの米国の圧力は簡単なものではあり得ない。政治家個々人への脅しとともに、日本の政治、経済への攻撃がその悪辣さを極める。小沢、鳩山両氏への個人攻撃、普天間基地移設をめぐる圧力など、そのすさまじさは記憶に新しい。
 体制見直しには、米国の圧力に屈しない強い政治が必要だ。それは、金銭上の不正など米国につけいる隙を与える不浄の政治であってはならず、何よりも、米国の覇権の下で覇権を狙う覇権の政治であってはならない。
 覇権の政治は、自らの覇権のため、米国覇権への屈服を余儀なくされる。脱覇権自主の政治こそが米国の覇権を必要とせず、脱覇権の地域共同体、東アジア共同体との協力、協調を可能にし、日米安保体制の見直しをも実現する。
 日本の進むべき道、それは、日米安保体制にしがみつく憲法体制見直しの覇権強国への道ではない。安保体制見直し、自主強国への道こそが今こそ切実に求められている。


 
インタビュー 水戸喜世子さん

黙っていては何も変わらない

聞き手 小川淳


 反原発運動で主導的役割を担った核物理学者の故水戸巌さん。73年の東海第二発電所の設置許可取り消し裁判では学者として反原発運動の先頭に立った。チェルノブイリの事故時には日本でも核の大惨事が起きる可能性を示唆していた。
 反原発だけでなく、全国が学生運動で揺れた69年、「反弾圧」の拠点となった「救援連絡センター」の創設にかかわり、その事務局長を担われる一方で、死刑廃止運動でも闘いの先頭を走られた。
 83年12月、二人の息子(京大大学院と阪大生)とともに冬の剣岳で消息を絶つ。享年53歳だった。
 わたし達が巌さんの妻、喜世子さんの知遇をえたのは91年、救援連絡センターの代表団の一員として山中事務局長とともに訪朝されたピョンヤンだった。以来20年近く音信不通となっていた喜世子さんの消息を知ったのは6月20日の朝日新聞記事(「反原発の遺志、今こそ声に」)だった。
 記事によれば喜世子さんは6月の福井市の再稼動抗議デモに駆けつけ、東京で行われている毎週金曜日の反原発官邸包囲デモにも毎週参加されているという。高槻の自宅でお話を伺った。

※       ※       ※

―喜世子さんご自身の経歴についてお聞かせ下さい。
 名古屋市生まれで、名古屋大空襲で3回戦災に遭って家を消失し、小学校を3回転校する。1954年お茶の水女子大学理学部物理科に入学するが進路を変更しようと退学。ところが水戸に出会って説得されて物理に戻る。東京理科大学に編入学し、1960年物理科を卒業しました。

―大学では理学部へ進学された。若いとき、なにを考え、どのような希望を持っておられたのか。
 高校時代は科学者になって社会を進歩させたいと思っていた。理数系が好きでしたから。新制中学の第2期生だから、戦後の徹底した民主教育を受けた稀な学年です。中学時代にレッドパージされた先生に出会いました。大学に入学してから、人民に有用な生き方は何かと悩みました。科学者=大学の物理学の大多数の先生たちを見て失望しました。象牙の塔にはふさわしくないなと。直接的に社会とかかわる進路を考えるようになったのですが・・・・。

―大学生のとき、水戸巌さんと出会われた、巌さん、どこがすばらしかったのでしょうか。
 打てば響くようにまっすぐ直球で返ってくるところ。権威や権力の横暴にはたった一人で立ち向かえるところ。人が気付かないところで縁の下の力持ちが自然にできるところ。名誉欲、権力欲から一番遠いところで泥臭い仕事を黙ってこなせる人。人を深く愛し、山を愛し、小動物を愛し、バロック音楽をこよなく愛する本来は穏やかな人です。根っから物理学を愛していたのに、彼が机に向かうことができたのは、いつも深夜でした。

―70年以降、巌さんは日本の反原発運動の中心を担われた。そもそも理学部で原子核物理学を選ばれたのはなぜか。巌さんを反原発の闘いへと導いた「原点」は何だったのか。
 昭和ひとけた生まれは学童疎開、食糧難、栄養失調、家の焼失、家族の離散など戦後の辛酸をすべて体験した世代です。そんな彼らに、湯川さんのノーベル物理学賞受賞はどんなに励ましと希望であったことか。鉛筆と紙さえあれば日本人でもノーベル賞を受賞できる!と。日本中の秀才が東大の理1を目指して殺到した時代でした。水戸も同級生達もそれと無関係ではなかったようです。純粋さを求める若者の一人として、物理を選んだのだと思います。
 原発が恐ろしく危険なものであることは、物理学を少し学んだ者ならば誰にも理解できます。たとえ完璧な原子炉が設計されて事故がおきないと仮定してもウラン235に中性子をぶつけて核分裂を繰り返していけば、最後に燃えカスとして、炉の中には半減期が数万年に及ぶ放射性物質がたまっていくことは、高校でも習う事実です。燃料であるウラン235を手に入れるためにはウラン鉱山から掘り出し精製する被曝労働者が不可欠であることも厳然たる事実です。この事実を「豊かで便利な生活」のために、あるいは「研究費をスムーズに受け取るために」見てみないふりをするのかそれとも「子孫の命を脅かすもの」として告発するのか、科学者は選択を迫られます。中国の核実験はきれいだという笑えぬ冗談を言う左翼もいましたね。科学的無知プラス悪しき政治主義の見本です。
 最高の価値「人権」という思想は、彼の「反弾圧」「死刑廃止」の闘いと同じ線上にあり、事実を曲げないというのは科学者としての当たり前の姿勢でもありごく自然な経緯だと思います。

―高木仁三郎氏は、巌さんを評して「水戸さんがポケットをたたくと、救援、反原発、死刑廃止と、次々に課題がとび出して、そのどれをも水戸さんは誠実にこなしていた。水戸さんは『ふしぎなポケット』をもっていると、いつも感じさせられた」とおっしゃっている。反原発運動以外にも、救援センター設立や死刑廃止運動などすばらしい仕事を残されている。その「原動力」は何であったのか。
 巌の父親はキリスト者として賀川豊彦の下でセツルメントの活動をしています。賀川の媒酌で結婚した両親のもとで、キリスト者として愛情に包まれて育ちます。学生時代も、弱い人、病んでいる人には、とことん力を尽くす人でした。大学に入って、人を解放するのは宗教ではなく、支配階級を打倒するほかないことを知ったのでしょう。共産党、新左翼諸派、どれも彼が描く革命党派とは程遠く、しかし、国家権力が彼らに加える弾圧は、絶対に許してはならないという固い信念を持っていました。国家権力に人権を侵させない、の一点を自分の戦場にしていたのだと思います。原動力は弱い人への「優しさ」ではないでしょうか。心理分析的な言い方ですけれども。
 家庭でも嫌な仕事は率先してやってしまう人、例えば寒い夜中に起きて赤ちゃんのミルクを作る、なんて作業は彼が当然のように引き受け、私には絶対にさせません。人の2倍以上活動をしていることがわかっているからなるべく彼の負担を減らしたいと思うのですが、家事でも子供の事でも、目撃してしまうと、体が動いてしまう人で、少し困りましたね。

―高木仁三郎さんや小出さんは「恩師」と言われていますが、どのような師弟関係だったのでしょうか。
 直接的な師弟関係ではありません。反原発の論客は多くおられますが実際に住民運動の現地に行って活動を共にするとか、弁護士を組織して裁判の証人に立つとか、全国の反原発の裁判を土台のところで準備し、支え、応援するなどという泥臭い仕事をあまり人はしたがりません。松脂にまみれて、日本中の原発所在地付近の松葉を採取し、その線量測定から放射能漏れの有無を調べつづけていました。74年ごろから、休むことなく死の年まで。これも目立たないけど泥臭い、地道な大切な活動です。
 もう一つは、彼の本質に切り込む鋭い論理の力ではないかと、私の経験から思います。そんな姿から小出さんはじめ、反原発の学者たちは何かを感じ、くみ取ってくださったのではないかと思います。ありがたいことです。

―喜世子さんは金曜日には上京され首相官邸デモに参加されている。その根底にある思いについて語っていただきたい。
 世界中が日本に注目しています。放射能は世界とつながっています。フランスで脱原発を目指して闘っている人たちと交流したことがあります。インドでは数千人の人たちが原発周辺で反対運動をしているときに武装警官が弾圧に出て2人がなくなり、多数の負傷者が出たそうです。世界は運動面でも、影響し合っていますね。世界に声を届けるにはやっぱり東京かな?と。日本中の原発ゼロで闘っている人にも、闘争のシンボルとして、励ましになっています。
 日本が「原発」から脱却できない一つの理由が「原発輸出」。日本の反対運動が世界の反対運動と連動すれば、不買運動にもつながります。今は東京で得た福島の情報を大阪の地元でも共有できるように地元で学習会、署名、びらまき、と多忙。こんな老後は想定外でしたが、全廃炉の日まで絶対に死ねません。

―3・11で日本の原子力政策の誤りが露呈しました。今までの日本の原子力政策で欠けていたのは何だったのか。
 原子力政策そのものが補完修正の対象ではなく放棄すべきものです。原子力の平和利用はありえない。医療分野の為の放射線に関する法規制があればいいのではないでしょうか。
 3・11後は 廃炉の為の大指針の下に、原発労働者を被曝から守り、こどもを高線量地帯から一刻も早く避難させる法規制、廃炉に向けての法整備こそが必要だと思います。

―金曜日の反原発デモに10万を超える人が集まり、抗議の声を上げています。喜世子さんは毎週参加されていますが、フクシマ以降、日本人の「意識」は変わったのでしょうか。
 よくわかりません。とろ火でも燃やし続ければ、突然沸騰することもあります。組織に属さず、個人の意志で官邸に抗議するために集まる人たち。かつての運動では見られなかった光景です。しかし、組織動員とは言え、国会を埋め尽くした60年安保、新宿駅の通路が討論の場と化した人民広場の70年安保。それらを知る世代として、人々が自己決定するにはまだ何かが欠けていると思います。福島現地では大部分の人たちが嘘八百の情報操作(健康被害はないとか、過少に設定された福島のモニタリングポストにより)にまんまと騙されています。福島では日常会話で「放射能」はタブーだそうです。五感で実感できない「放射能」の特性は、本当に曲者です。東京新聞のようなメディアが日本中に行き渡ったらと思います。

―今、日本の原子力政策を変えていくとするなら何が必要でしょうか。私たちにできることは何でしょうか。
 私たちの際限ない欲望が原発を招きました。エネルギーだけではなく植物、動物、すべての資源が地球規模で枯渇しつつあることを思うと、「浪費は美徳」という資本主義を支えてきた意識を変えなければならないでしょう。世界の富を食い散らしてきた先進国が率先して使い捨て時代を考え直すことが迫られています。自分の暮らしを見直し、生活の意識を変えることなしに、脱原発は実現しないと思います。

※       ※       ※

 最後に「朝日新聞」に掲載された水戸喜世子さんの「投書」を転載したい。ここに喜世子さんの思いが一番こもっていると思うからだ。
(朝日新聞 「声」 5月1日より)

 『敦賀原発直下に活断層か。原子力安全・保安院の意見聴取会のメンバーである産業技術総合研究所と京大、福井大の専門家ら4人が現地調査し、断層が動く可能性を指摘した。福島の事故という大きな犠牲を経て、科学者がその考察を率直に語る勇気を持ったことに安堵した。国民が渇望しているのは事実だけである。
 原発災害の元凶は、科学者が責任を持つべき分野を空白にしたまま、一部の政治家が政治利用によって原発を動かしたことにある。福島の事故後は、科学不在の政治的発言が横行してきた。浮き彫りになった保安院の無知、重大事故を「直ちに影響はない」とした枝野発言。国民の不信はそれらに根ざしている。
 廃墟に佇む被災者を前に、政治家は科学者の声に耳を傾けよ。科学者には、その職責がどれほど重い社会的責任を伴うかを自覚してほしい。沈黙は体制のゆがみを支えるのだ。
 亡き夫の水戸巌は核物理学者だ。東海原発の訴訟では原発の危険性を証言した。双子の息子も物理学を学んでいた。25年前、3人とも北アルプスで遭難死するまで、反原発の活動にかかわっていた。妨害や、電話などでの嫌がらせは日常茶飯事だった。
 孤立無援、少数の科学者が反原発を叫ぶ時代はもう過ぎ去りつつある。亡き夫、息子とともに、そう信じたい。』

(水戸喜世子 76歳)


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