研究誌 「アジア新時代と日本」

第110号 2012/8/5



■ ■ 目 次 ■ ■

編集部より

主張 現情勢をどう見るか

研究 原発事故原因は「メイドイン・ジャパン」?

映評 「11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち」

世界短信 大飯原発再稼働を世界はどう伝えたか




 

編集部より

小川淳


 3月末に300人ほどで始まった「官邸前抗議行動」は6月に政府が再稼動を認めた直後から一気に膨らみ、毎週金曜日、群集の数は数十万へと拡大している。官邸前ばかりではない。7月16日、「さようなら原発10万人集会」(代々木公園)には17万人、7月29日の「国会包囲」には20万人の人が集まった。事態は沈静化するどころか「怒りの声」は東京だけではなく全国へと拡大しつつある。
 昨年末、政府が大飯再稼動に向け動き始めてから以降、保安員意見聴衆への抗議、経産省前テント村撤去反対闘争、3・11「福島県民集会」、産経省前での19日間にわたる「ハンスト行動」、そして大飯原発前での36時間に及ぶ再稼動阻止闘争などが、その前哨戦となった。
 7月上旬、上京した折、私も経産省前の「テントひろば」を訪れた。思ったより小さかった。常駐も数人という。生まれたのは昨年9月11日。この小さな「テントひろば」が反原発運動の震源地となり永田町や霞ヶ関を揺らし続けている。脱原発運動の司令部でも指導部でもない。脱原発を考え追求する人々の共同の広場、情報交換の場であり、脱原発運動の持続性の一つの象徴となった。
 60年安保闘争から半世紀、これだけの群集が首相官邸や国会前に集まり政治に「異議申し立て」を突きつけたことはなかった。なぜこれほどの広がりを持つことができたのか。大飯原発再稼動反対阻止闘争を担ったある青年はこう言った。
 「そこには全ての世代や思想、バックグラウンド、過去が見事に混ざり合った。左翼思想の人も、昔の学生運動経験者も、党派の人も、学生や労働者も、僕みたいなガキもいた。それでも一つになれたのは、『お互いを認め合うこと』だった。なんでも共有し、話し合いを持って解決していく。誰にも抑圧されない空間を作る。力ずくで相手を排除はしなかった」。
 60年安保闘争も、70年安保闘争もすばらしかった。しかし「敗北」した。なぜか。多くの経験者が総括しているように「ひとつ」になれなかったからだ。労組や学生組織が主役で党派闘争に収束してしまった。しかし今回はちがっている。「普通の人」が主役で、互いを認め合い、それぞれの思いやスタイルで参加している。
 3・11とフクシマは日本人の意識を大きく変えた。かつてない地殻変動が始まっている。



主張

現情勢をどう見るか

編集部


 2012年も半ばを過ぎた。この間の世界と日本の動きをどう見るか。そして今後の展望は?大きな転換の時代という視点から見ていきたい。

(1)一段と強まった脱覇権の世界的趨勢

 2012年上半期、世界の情勢発展を一言でいえば、覇権か脱覇権かの激しい攻防で脱覇権の優勢が歴然としてきたと言うことができる。

■米国による覇権策動とその破綻
 今日、崩壊した覇権再構築のための米国の策動は、今や歴史発展の基本趨勢となった脱覇権の流れに敵対し全世界的に敢行された。アジア太平洋を中心に各地域共同体の破壊とグローバル新自由主義経済圏の構築、「ジャスミン革命」による自主独立国家の転覆、朝鮮やイランなど反米自主国家への圧力、等々、その策動は世界的範囲で政治、経済、軍事などあらゆる分野と領域にわたり一段と激しさ、悪辣さを増している。
 しかし、2012年上半期、これら覇権策動は、どれ一つとして米国の企図通りにはいかなかった。それどころか、逆にそれに反対する脱覇権の流れを強めている。アジア太平洋地域を重視し、東アジア共同体やラテンアメリカおよびカリブ国家共同体の破壊と米主導のグローバル新自由主義経済圏の構築を狙ったTPPは、他国には関税撤廃を要求し、自国産業は保護する米国の身勝手さにより大きな矛盾に逢着しており、ASEANプラス3(日中韓)による自由交易圏の構築や中ロ間の自国通貨建て貿易、さらには9月APECウラジオストック首脳会議で図られるロシアとASEANの結合などによって甚大な打撃を受けている。また、「中国による覇権」の脅威を騒ぎ立て、領土紛争など、中国とアジア諸国間の対立を助長しながら、「中国包囲網」を形成する策動は、ASEAN諸国の中国との対立回避の動きや中ロ合同軍事演習などにより少なからず打破されている。
 EU、ユーロ圏に対する破壊策動も同様だ。ギリシャやスペインなどEU諸国の財政危機を煽り,緊縮財政を強要し、各国での緊縮反対の暴動を誘発しながら、EU、ユーロ圏の崩壊と財政主権否定のグローバル新自由主義経済圏への統合を狙う覇権策動は、成長財政とユーロ共同債など主権尊重のEU協力体制を主張するオランドの仏大統領選での勝利やEU諸国でのそれと歩調を合わせる気運の高まりによって大きく破綻してきている。
 昨年、国民の生活難を煽り、親米軍部を後ろ盾に「アラブの春」を演出した「ジャスミン革命」はどうか。エジプトでは、選出されたムスリム同胞団政権と軍部の対立が問題化しており、軍部が反米であるシリアでは、リビアに続くさらに深刻な泥沼の内戦が惹起されており、それを米国覇権の方向で収拾する展望などまったくない。一方、ロシア大統領選ではプーチンの圧勝を揺るがせることすらできなかったし、台湾総統選でも親中派の馬政権を交代させることはできなかった。
 朝鮮に対する対話による覇権、イランに対する圧力と制裁による覇権も通用しなかった。両者ともにさらなる核開発、宇宙開発でそれに応えるようになっている。

■高まる反米、脱米気運
 覇権か脱覇権かの攻防で、脱覇権の優勢は、反米、脱米気運の全世界的なかつてない高まりにも現れている。
 反米感情の国民的高まりは、中南米や中東だけではない。今や世界的範囲に広がっている。そのため、新しく樹立された政権はそれを反映し、多かれ少なかれ反米的性格を持つようになっている。スリランカ新政権は、自国の内部問題への米国の干渉を拒否し、もしそのような事態が生じた場合、反米的な国際同盟に合流すると言明した。これまで米国の反テロ戦争に荷担していたパキスタンも、ウサマ・ビン・ラディン殺害などに見られた米国の主権無視に憤激し、今や強硬な反米姿勢をとるようになっている。反米自主的政権の間で団結と協調が強まり、相互支持と連帯が広がっているのも今日的特徴だ。年初、イラン大統領、アフマドネジャドの中南米歴訪と至る所での大歓迎はその象徴だった。
 反米とともに脱米の気運がかつてなく高まっている。インドの首都ニューデリーでのBRICSサミットでは、途上国のための自前の開発銀行の設立が宣言され、ドル決済ではない自国通貨での決済が取り決められた。また、インドや南アフリカがイラン原油の輸入を禁ずる米国による対イラン制裁勧告に従わず、逆に輸入を増やしたことなどもかつてなかったことである。もはや世界の政治も経済も米国による統制を離れ、ドル以後の世界が着々と準備されていっている。

(2)政治転換気運の決定的高まり

 2012年上半期、日本政治の堕落と混迷はこの上ないものとなり、新しい政治を求める政治転換の気運が決定的に高まった。

■野田政権の「犯罪」、極まった日本政治の堕落
 消費増税法案の衆院可決、大飯原発再稼働の強行、これはもはや時の権力による「犯罪」とも呼べるものだ。何よりも、これら暴挙の及ぼす害毒が計り知れない。消費増税は、単に国民生活を圧迫するだけではない。それが引き起こす消費の低下は国の経済の長期停滞をさらなる泥沼に引きずり込む。それが財政再建どころか真逆の結果をもたらすのは目に見えている。そして原発再稼働。福島原発事故は原発の持つ反人類的恐ろしさを教えてくれた。その原発を事故収拾もできず、日本の半分が半永久的に使えなくなるほどの危険を残したまま再稼働するとは、これ以上の犯罪がどこにあるだろうか。これら暴挙の犯罪性は、また、それが国民の顔でなく、米国や大企業の顔を見て行われたものであるところにある。国民は、消費増税も原発も望んでいない。それは、各種世論調査を見るまでもないことだ。消費増税は、日本の経済破綻、財政破綻を狙う米国の要求、「市場の逆襲」を恐れる大企業の要求であり、原発再稼働は、核と原発による覇権を求める米国と大企業の要求だ。国益、国民の利益ではなく、それに反し、それを踏みにじる米国や大企業の利益を図る政治、それに反し、それを踏みにじる米国や大企業の利益を図る政治、これが犯罪でなくて何を犯罪というのか。
 この野田政権の「犯罪」だけではない。今日、日本の政治でさらに問題なのは、野党勢力がこれに荷担し、党利党略に走り、国民に信を問う、国民主権の政治を行っていないことだ。自民党は、野田政権の「犯罪」を暴き、解散・総選挙で国民の信を問うよう闘うのではなく、政権と「共犯」して消費増税、原発再稼働を強行し、その後の解散・総選挙を要求している。この党利党略、私利私欲しか知らない、従米反国民の堕落しきった政治、これが今日、日本政治の実情だと言える。

■どう開く、新しい政治への道
 政治の堕落と混迷の中で、新しい政治への要求は、2012年上半期、かつてなく高まった。大阪維新の会など地域政党が母体になるなど、大小政治塾の設立は、雨後の竹の子のごとく、全国3000を数えると言う。消費増税反対の民主党内の反乱は、小沢新党「国民の生活第一」の創設を生み、それが総選挙をめぐる政界再編に結びつくのは必至の情勢だ。一方、ソーシャルメディアを介した大飯原発再稼働反対のデモは、かつてない20万の規模に達しようとしている。
 野田政権の「犯罪」や政治の堕落に怒る、新しい政治への要求は、今日、大阪維新の会など地域政党の国政進出への道を開いていっている。維新政治塾への応募者は数千人を数え、中数百人を選び、そこから200人の衆院選当選者を出すと豪語する橋下氏の言もあながちホラとは言えない。一気に「橋下首相」出現も十分あり得る情勢だ。
 問題は、それが即、新しい政治の実現にはならないということだ。今、橋下氏のまわりには、従米覇権から脱米脱覇権まで、実に多くの幅広い人々が集まっている。その上、当のご本人の政治的意思がどの辺にあるのかも不明瞭だ。
 そこで問われてくるのは、今、日本において新しい政治とは何かということだ。それは、覇権か脱覇権かの世界史的攻防と無縁ではあり得ない。事実、野田政権の「犯罪」は米国覇権への追随の結果だ。古い従米覇権の政治に換わる新しい脱米脱覇権の政治はどのような政治か。それを決めるのは国民自身だ。新しい政治のあり方、日本のあり方をめぐる全国民的な議論の盛り上がりが求められている。全国無数の政治塾で、地域政党で、そして、脱原発、反TPP、震災復興など数々の連動で。その議論の広がりこそが今後の情勢発展を展望的に切り開いていくだろう。



研究

原発事故原因は「メイドイン・ジャパン」?

編集部 魚本公博


 7月6日、国会の「福島原発事故調査委員会」(黒川清委員長)が「最終報告書」を提出したのに続いて、23日には、政府の「事故調査・検証委員会」(畑村洋太郎委員長)が最終報告書を提出した。これで、事故の原因を調査していた「民間」「国会」「政府」の三つの調査委員会の報告書が全て出揃った。
 今、日本では連日のように脱原発の大デモが行われている。ここに示されている人々の声は、未だに原発事故が収拾されず放射能禍が広がり、さらなる惨禍さえ予想されているのに、野田政権が原発再稼動を始めたことへの怒りの声であり、「原発事故を何とか収拾して欲しい」「もう日本に原発はいらない」という切実な叫びである。
 ところが、三つの報告書は、津波と地震対策ができていたのか、政府と東電の意思疎通がどうだったかなどを調査したものにすぎず、国民の声に応えたものではない。その中でも、「国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関」(憲法41条)である国会の調査委員会がそれに応えていないのは重大である。しかも、その報告書は、日本語版、英語版の二つが用意され、黒川清委員長が起草した英語版の序文には、「事故の原因はメイドイン・ジャパン」とある。今回は、この問題について議論を提起したい。

@悪質な責任転嫁だ
 国会調査委員会報告書英語版の序文には、事故の根本原因が日本人に染みついた慣習や文化にあると指摘し、「権威を疑問視しない」「反射的な従順性」「集団主義」「島国的閉鎖性」などを挙げ、「事故はメイドイン・ジャパンだったことを痛切に認めなければいけない」とある。
 これでは、事故の原因は、日本の国民性、民族性にあるということになり、東電や規制機関、政府の責任、さらには原発を導入した者たちに責任はないということになる。
 第二次世界大戦終了後に敗戦処理内閣として成立した東久邇宮内閣は「一億総懺悔」を言った。すなわち、「この戦争の責任は国民皆にある」として、戦争を行った天皇、政府、軍部の責任にほおかぶりした。「事故の原因はメイドイン・ジャパン」とは、まさにその手口ではないか。
 元々、原発事故の調査委員会であれば、事故の原因とその責任の所在を明らかにして、二度と事故を起こさないための対策が提言されなくてはならないのは言うまでもない。
 とりわけ、福島原発事故が教えたことは、原発と人類は共存できず、原発事故に対する対策に万全などはないということであり、一度事故を起こせば収拾できない事態を招来し想像を絶するものになってしまうということである。そうであれば、「二度と事故を起こさないための対策」は、地震や津波に対する対策がどうであったとか、政府と東電、規制当局の関係がどうであったかなどにあるのではなく、もっと根本的に、日本、とりわけ地震国である日本に原発を置くことが正しいのかどうかという問題にまで立ち至って調査すべきものでなければならない筈である。
 それは結局、国論を二分する「脱原発」か「原発維持」かを国権の最高機関である国会として、どのように判断するかを調査し提言するものでなければならなかったということである。それをやっていれば、危険な原発を日本に導入するようになった過去の経緯と、それを推進して今に到る者たちの責任を調査するものになっていた筈である。
 しかし、国会調査委員会は、「原因はメイドイン・ジャパン」とすることで、そうした者たちの責任を国民性、民族性に転嫁し、野田政権の「原発維持」政策を擁護し、大多数国民の脱原発の願いに冷水を浴びせたのだ。

A日本人の国民性、民族性への冒涜だ
 国民性、民族性とは、その国民、民族が互いに助け合って集団の力で自身の運命を切り開いてきた歴史の中で育まれたものだと思う。
 日本人は、日本列島という自然地理的条件の中で、1万5000年も前から共通する縄文文化を形成し共通する言語をもつ原日本人的な集団を形成して生きてきた。
 そうした中で、自然との共存意識、強い同胞意識、共同性、勤勉性などが培われ、その後の長い歴史的過程を経ながら日本人としての国民性、民族性をもつようになった。
 今回の東日本大震災では「絆」ということが言われた。そこには、我々は互いに繋がり助け合って生きる同胞なのだという意識が込められ、同胞の災難を自分のことのように考え同胞のために何かしてあげたいという思いが込められている。それは「和」を尊び、「世のため、人のため」に生きたいと願う、日本人が強くもってきた強い共同性、集団主義の表れであり、これこそが日本の国民性、民族性の本質ではないだろうか。
 では、黒川氏が言うような「権威を疑問視しない」「反射的な従順性」「集団主義」「島国的閉鎖性」というような傾向は何なのだろうか。それは日本人が持っている特性を支配者階級が人民を支配する上で都合のよいように描き強調して、人民に押し付けたものに過ぎないものだと思う。
 彼らは、国民をそのように見ているし、彼ら自身がその考え方に染まっている。実際、この調査報告こそが、従順に権威に従いうだけで、事故の原因究明に深く立ち入ろうともせず、野田政権の「原発維持」を擁護するものになっているではないか。
 黒川氏以下、この調査に従事した委員や関係者は、そのことを自身に問うて見るがよい。原発問題の根底に迫るような調査をやれば自分の身が危ないと考えた筈だ。それを棚にあげて、国民性、民族性を攻撃するとは、日本人の国民性、民族性に対する許せない冒涜である。

B英語版にだけ載せたところにこそ
 そして、これを英語版だけに載せたというところに、「責任転嫁」、「日本人の国民性、民族性への冒涜」が集中的に表れている。
 それはまず、「責任転嫁」をする上で外国の力を借りるということである。
 外国から見れば、福島第一原発事故は、まさに日本が起こした事故であり、「メイドイン・ジャパン」という説明は通りやすい。こうして日本の外部から「日本文化そのものが原因」という声を上げることによって、日本人の国民性、民族性に責任転嫁することを後押ししてもらおうということになるということだ。
 それは、単に国民性、民族性に責任転嫁しただけでなく、それを外国の力で行おうとしたという意味でこれ以上ない卑劣なものであり、そのために国民性、民族性を外国に売ったという意味でこれ以上ない冒涜だということだ。
 事実、英各紙は日本文化に根ざした習慣や規則、権威に従順な日本人の国民性が事故を拡大させたとする点を強調し、「日本的な大惨事」に苦言を呈する報道が目立ったという。
 そればかりではない。そもそも原発は米国の核覇権戦略の一環である。しかし、日本での原発事故は、原発に安全などありえないことを示し、世界的に脱原発の気運が盛り上がっている。この動きを放置することは米国の覇権戦略を損なうものとなるのであり、それにブレーキを掛けるために、日本の原発事故は特殊日本の特殊な原因によるものであるとする必要があったのである。
 従って、英語版だけに原発事故の根本原因は「メイドイン・ジャパン」とする序文を載せたということは、このことを国民には悟らせないようにしながら、米国覇権と、その下でアジアにおける覇権を追求する日本の覇権路線を擁護するものであり、そこにこそ、この報告書序文の真の意図があるとみることが出来るのではないだろうか。
 その脈絡で言えば、日本人の国民性、民族性批判は米国の要求する「日本改造」を後押しするものになるということだ。
 80年代後半、「Japan?as??No.1」と言われた時期、米国は日本文化こそが貿易障壁であるという日本異質論を打ち出し、91年から始まった日米構造協議を通じ、日本の構造改革を執拗に要求してきた。それはグローバリズム、新自由主義による民族否定、集団否定であり、その結果、先月号の「主張」でも述べたような産業の空洞化、現場力の低下も起きた。
 英語版序文が「根本原因はメイドイン・ジャパン」とすることは、日本を完全に解体し、米国が望む日本にするために自ら手をかすことでもあるということだ。
 それにしても、外国に向けて「日本人はこんなダメな国民なのですよ」と告げ口をして、米国覇権を擁護し、日本を従属覇権の道に突き進むようにするのを日本の、それも国会がやるということほどの売国、売族行為がどこにあるというのか。


 
映評

「11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち」

林光明


    

 以前から三島由紀夫には、少なからず関心があったが、映画が上映されているからと知人に誘われて、見に行く事にした。物語の静かな進行とは反対に、自決の時に向かいゆく緊張感が、スクリーンを通じて半ば威圧的に感じられた。三島を取り巻く環境に起こる様々な出来事は、皇国史観を伝統美と信じる彼の思想信念に痛烈に絡まっていくように思われた。
 三島は、イギリス式三権分立とアメリカ式議会制民主主義に日本が染まってゆくと、この先、天皇と伝統的武士道が軽んじられていく恐れがある事を危惧した。やはり日本国は、天皇を中心とする伝統的民族国家に立ち返り、皇国軍隊が政治指揮権を掌握すべきとする、三島を演じる俳優の凄みある演技と迫力に見入り、引き込まれ、共感さえしてしまう。見る者によっては、それほどの力を、鬼才若松監督のこの作品は持っているのである。この意味では、ある種危険な映画とも言えるだろう。
 ところでこの映画によると、あの事件の実際は、三島が『楯の会』を無理に引っ張って行って起こしたものではなく、むしろ森田必勝たちが三島を突き上げ、決起させた行動という解釈が正しいようである。
 三島は厳しい軍隊の世界に憧れ、自ら自衛隊に入隊し、軍事訓練の体験をするのだが、その精神を青年たちと共有すべく、民族派の学生たちと結成した愛国的行動組織が『楯の会』だった。それにより軍人としての強さと精神、規律の自覚を持ち、いざという時に自衛隊に対する先導的役割を担おうとしたのだろうか。理想にむけた第一歩を躊躇なく進めるところに、何より彼の魂の純粋さ、素直さを見ることができると共に、それに対してある種の羨ましささえ感じた。
 2・26事件で政治クーデターを起こした当時の陸軍青年将校の、憂国に駆られた過激な行動さえ、三島にしてみればさほど異常な事件ではなかったのかも知れない。さらに、右翼の少年が社会党の委員長を刺したテロ行為も三島にとっては国を想う信念の純粋さゆえの行動、果ては旅客機をハイジャックした左翼の赤軍派、よど号グループにさえ"先を越されたな"と呟く。だが、時代は全共闘の真っ只中であり、東大安田講堂に反権力を叫んで立てこもる学生たちを相手に堂々と議論に挑み、条件次第で共闘しようと持ちかけるあたりは、絶対天皇制を主義とする以外、さほど偏った人間でもないと感じる。むしろ、行動を起こす人間を幅広く評価する、度量の広さも持ち合わせていたのではないか。目上の者には礼を尽くし、妻には感謝と愛情を注ぎ、後輩たちの面倒は目一杯みる優しさがとても印象的だった。
 そんな三島は、ノーベル賞間近と評される作家活動さえ、止めてしまう。自己と国家社会の運命を完全に一体化していた三島には、個人の名声や富など大した関心事ではなかったのだろう。だが、彼の信念とは無関係に加速する戦後民主国家では、自衛隊に天皇と国民を守る指揮権はなく、内閣政府の指揮下でしか出動出来ない事を思い知る時、あまりの事実に痛恨する台詞が忘れられない。『あなた方自衛官は誰かの指図や指示がなければ動けないのですか!』。自決に向かう車内で、今から死のうと言うのに、俺達明るいよなぁと語る三島と森田たち。実際、そうだったに違いない。自らの信念と覚悟を持った人間はきっとそうに違いない。
 自衛隊施設で最後に演説する三島には、個人的英雄気取りなどは毛頭なかった。ただ、国と民族のため、皇国軍隊本来の姿を共に目指そうという、最後の生の叫びだったのだ。
 この映画のもう一つの見所は、当時の事件を知らない俳優たちの、鋭い感性による演技力だ。主人公三島由紀夫を演じる俳優(井浦?新)や森田必勝を演じる俳優(満島真之介)は、この三島事件の時は、まだこの世に生まれてもいない。それでいて、これほどの演技ができるものだろうか。特に、安田講堂で三島が全共闘の学生闘志達と論戦する様子や、自衛隊で演説するクライマックスの熱弁、そして森田必勝が、決起の時は今ぞ満ちた、と三島を強く促す迫真の表情や感情、台詞、仕草などは、まるでこの2人の俳優に三島と森田の霊魂が乗り移ったかのようだ。その切迫感に息を呑まされる。そして当時の雰囲気そのままをあたかも外から見ているような、例えれば時空操作でもされているかのごとく、不思議な錯覚に陥ってしまうのである。
 なるほど当時の学生たちの中には、本気で国家の行く末を考え、命さえもそれに掛けようとした者もいたのだろう。三島と共に自決した森田必勝の純粋で直向きな気持ちから出る、迷いのないまっすぐな発言と真面目な行動に、それが実に上手く映し出されているあたり、誠にすがすがしい。
 これほどのスクリーンにはそうは出会えないだろう。三島由紀夫と若者たち、そして若松監督にとても感謝したいと思った1日だった。



世界短信

大飯原発再稼働を世界はどう伝えたか

グローバル・プレス


仰天した欧州メディア、無関心な中国
 世界のメディアは、大飯原発に関する日本の一連の動き――6月16日の再稼働決定、7月1日の起動――を見逃しはしなかった。脱原発のうねりが広がる欧州のメディアは、未曾有の放射能被害に直面する日本が、市民による反対運動が高まる中、原発の再稼働を決定・起動したことを、大きな驚きをもって迎えた。それに比べて、中国メディアはほぼ無関心。米メディアは総じて、「現状を考えれば止むを得ない」という論調だった。

欧州:民意を反映しない日本の決定に強い疑問
 欧州メディアが批判した対象は大きく分けて3つある。1つは日本政府が反対運動を無視して、再稼働を決定・起動したことだ。
 ドイツの日刊紙ヴェルト(Welt)は7月1日、次のように伝えた。「日本では大規模なデモや抗議行動は稀有だが、毎週金曜日、官邸前に数千人の市民が集まって抗議行動をしている。体制側メディアは長い間、こうした運動を無視してきた。しかし、ツイッターなどの新メディアを介して全国で参加者が急増。無視できなくなっている。ノーベル賞受賞者の大江健三郎や、映画『ラストエンペラー』の音楽を作曲した坂本龍一も運動に加わった」。
 フランスの週刊誌ル・ポワン(Le Point、オンライン)は枝野幸男経産相の「決定するのが政治家の責務」との発言を受けて、それはつまり「専門家による警告や、与党議員の3分の1もの反対を押し切って決めることを指すのか」と問うた。
 フランスの中道右派の新聞、ル・フィガロ(オンライン)は、専門家の知見と民意に反する尚早で危険な決定――この決定は首相と、大飯原発に関係する地方自治体の政治家、経産省下の原子力安全保安院だけで決めた、と断じた。
 もう1つの批判の対象は、安全対策が十分ではない点だ。
 南ドイツ新聞は「大飯原発の標高は福島原発より数メートル高いが、津波の防護壁はない。付近では1026年に巨大津波が記録されている」と伝えた。
 フランスの週刊誌ル・ポワン(Le Point、オンライン)は6月18日、次のように解説した。「日本政府は『新しい安全対策は3年以内に講じる予定』として、安全確保なしで見切り発車した」。
 3つ目のポイントは政府や関連する地方自治体が電力業界の圧力に屈したことだ。
 ドイツの経済紙 ハンデルスブラット(Handelsblatt)や週刊誌フォークスは、「大阪市は、電力業界や政府から経済への悪影響を警告され、抵抗をあきらめざるをえなかった」と伝えた。前出のル・フィガロは6月16日、「日本政府は『夏のピーク需要に対応するため原子力発電所が必要』と説明するが、本音は日本の経済を守るため」と述べた。
 一風、変わったところでは、ドイツの週刊誌シュテルン(Stern)がある。同誌は再生可能エネルギー開発が急速に進み、供給の一端を担いつつあることを示唆した。「再生可能エネルギー特別措置法』が施行された1日に、京都ほか複数の自治体でメガソーラーが運転を開始し、年内に2500メガワット――中規模の原発2基分――の供給を計画していることを報じた。

中国:無関心、控えめな報道
 中国のメディアは原発についての関心が総じて低く、扱いは大きくない。共産党機関紙の人民日報は6月10日、「日本首相、大飯原発を再開すべきと述べる」と事実だけを伝えた。
 一方、国営通信社の新華社は6月18日、電力不足が関西の工業や市民生活に与える影響に触れた上で、「市民の間で、安全への確信が揺らいでいる。このため政府は今回の決定に関して多くの批判の声にさらされるだろう」と解説した。
 ちなみに中国は、原発を新規に建造する計画を再開している。福島事故の後、内陸部において、建設計画に反対意見が出された。同政府は安全面に慎重にならざるを得ず、計画を凍結していた。しかし、5月31日の国務院(内閣)会議にて、事実上、凍結を解除した。

米国:経済優先やむをえない
 7月1日のウォールストリートジャーナルは、日本の原発再稼働とそれに伴うデモの様子を詳報した――「電力不足と市民の抗議の間に揺れるノダの決断」に対し、推定10万人が反対デモに参加した。ワシントンポストは、時を同じくして国会の事故調査委員会が発表した報告書と絡め、「『人災』という批判の中での再稼働」と報道した。リベラルな論調で知られるニューヨークタイムズは、グリーンピース・ジャパンの佐藤潤一事務局長の「民意を無視した準備不足の再開」というコメントを紹介した。
 興味を引いたのはワシントンポストが7月5日に掲載した論説だ。同紙は事故調査委員会の報告書を検討し、「フクシマの事故の原因はヒューマンエラーだったことが明らかになった」とし、『原発そのものが危険』と結論付けるべきではない、と指摘した。同紙は温暖化問題を重視し、どちらかと言えば原発肯定の立場をとっている。さらに日本政府と東電の馴れ合い体質を取り上げた。「原発は、政府と企業が一体となって厳格な枠組みを作り、運営することが必要だ。そのために公共への情報開示が必須となる。だが、日本はどちらも怠ってきた」と批判した。「我々はスリーマイルやチェルノブイリから学んだ。だが、残念なことに日本はそうではなかった」と断罪した。
 米国では反原発の動きは目立たない。福島原発の事故後にも、大規模な反原発運動は起こらなかった。スリーマイル島事故を経験していることを考えると意外なことだ。CNNはその要因の一つとして、「米国の関係機関はメリットもリスクも含めて、あらゆる情報を国民に開示している。市民の多くが高い原子力リテラシーを持っている」点を挙げた。
 最後に、中国とドイツの市民がSNSに書き込んだコメントを紹介する。「小さな島国で、しかも頻繁に地震があるのに、なぜこんなに多くの原発を建設したのか?」(微博)、「日本政府は新しい法律を作ったらしい。地震と津波を禁止すると」。


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