研究誌 「アジア新時代と日本」

第11号 2004/5/5



■ ■ 目 次 ■ ■

時代の眼

主張 韓国選挙分析―対決から協力・共助の時代へ

研究 人間理解の器がでかい!―「芥川賞二作品の衝撃」

評論 共同体原理に基づく年金制度を

文化 「世界の中心で愛をさけぶ」を読んで

朝鮮あれこれ 春の芸術祭典と国際交流

編集後記



 
 

時代の眼


 

 4月初、日本を震撼させたイラクでの日本人人質事件は、わが国の政治のあり方を鋭く問うものとなりました。
 あのとき小泉首相は、武装グループ側の「自衛隊を3日以内に撤退させよ。そうしないと3人の命はない」という通告に対し、即座に「テロには屈しない。自衛隊は撤退しない」という発言をもって応えました。自国民3人の命がかかっているときの首相の発言としてこれは妥当だったと言えるでしょうか。
 自分の家族が人質に取られたとき、どうしたら無事救出できるかとあらゆる手段を尽くすのが普通です。頭から相手の要求を拒否して、家族の命を危険に晒すようなことはしないものです。いろいろと手を尽くして、何らかの妥協点を見つけるなり、相手の弱点をつくなりして、なんとか救出しようとするものです。私事と国事の違いはあっても、今回、いくらでもそうすることは可能だったのではないでしょうか。
 しかし、小泉首相はそうしませんでした。頭から相手の要求を否定して出ました。すなわち、3人を危険にさらし、見殺しにしたのです。言い換えれば、小泉首相の念頭にあったのは、3人の無事救出ではなかったということです。
 では、彼の念頭にあったのは何だったのでしょうか。それは、言うまでもないことです。アメリカです。どうしたら3人の同胞を無事救出できるかではなく、アメリカの気に障らないようにするためにはどうしたらよいかがあったのです。アメリカが彼のこの発言を最大級の賛辞をもって評価したところにも、それはよく現れていたのではないでしょうか。
 彼のこうした考え方は、3人が解放され帰国したときにも現れました。「自己責任」を云々してのあの冷たい迎え方は、人質として苦労して戻ってきた同胞に対するものではとてもありませんでした。彼だけではありません。政府高官の誰もが似たりよったりの態度だったし、大方のマスコミもそうでした。
 このとき彼らにあったのが、3人の無事帰国を喜ぶ気持ちではなく、帰国に際し起こるであろう「自衛隊撤退」の声をどう抑え込むか、その計略であったのは、その結果、帰国直後3人が記者会見もできず「自主的に」口を封じてしまったのを見ても窺い知ることができるというものです。
 自国民、同胞兄弟の願いや幸せでなく、アメリカの顔色をまず考えて行う政治が正しいものになるはずがありません。それは、今回、はしなくも露呈された小泉政治の冷たさやイラクの人々の自衛隊撤退に対する要求の切実さを見ても明かではないでしょうか。


 
主張

韓国選挙分析―対決から協力・共助の時代へ

編集部


■進歩勢力の大躍進
 4月15日に開票された韓国国会選挙で、進歩勢力が多数を占めるようになったことは韓国史上初めての画期的な出来事でした。
 ノ・ムヒョン大統領の与党、ウリ党が改選前の49議席から152議席を獲得するという地滑り的な躍進をとげ、民主労組を母体とする民主労働党も10議席を獲得しました。それにひきかえ、保守政党のハンナラ党は121議席にとどまり、自由民主連合は党首のキム・ジョンピル氏も落選し4議席に。民主党は、内部分裂のために61から5議席に激減しました。  今回の選挙は、大統領弾劾決議について信を問うという側面がありました。
 ウリ党は、この背後関係について「親米保守派がノ・ムヒョン大統領の手足を縛って選挙を有利にしようとしている」と説明しながら「力がなくてこうなった、このままでは民主が破壊される」と訴え、この選挙を親米・保守・反動勢力による民主破壊に対する闘いとして位置づけ多くの支持をえました。
 ウリ党は、選挙公示前の世論調査で243ある地方区のうち、ほとんどの選挙区で一位を占める勢いでした。このままでは50ないし60議席にまで激減するという危機感をもったハンナラ党がパク・チョンヒ元大統領の娘で人気のあるパク・クネ女史を党首に据え徐々に人気を回復、また公示日の記者会見でウリ党のチョン・ドンヨン議長が「未来を担わない60、70代は投票しなくてもいい」と失言したことでハンナラ党は惨敗をまぬがれたわけで、ウリ党の人気は絶大なものがあります。
 また、ウリ党は「改革」を強く打ち出し、これまで韓国政治の特徴とされた地域主義、それとからんだ旧態依然とした政界構造の打破を鮮明にしました。そして世代交代を強く訴え、候補者も50才代までにしぼり、青年党対老人党の対決の印象を強めることに成功しました。その結果、議員全体でも新人が68%を占め、その中でも30〜50代が全体の83・6%を占めました。
 各種市民団体もウリ党を支持し、彼らは独自に候補者一覧表をつくり過去の贈収賄事件の有無、経歴、主張などを解説。それに基づく「落選運動」は大きな効力を発揮しました。ここではインターネットが大きな役割を果たしました。
 選挙法改正も大きく作用しました。これまでは地方区で候補者名を記名し、比例代表区は別に記名せず、その候補者が所属する政党がそのまま計算される方式だったのを地方区では候補者名を比例代表区では政党名を別々に記名する方式に改めたこと。またカネを与えても貰っても罪とし、受け取ると最高50倍の罰金、摘発した人には報償金を出すなどとしたためカネで票を集めるという旧来のやり方が通用しなかったことなどがあります。

■対北強硬親米派の衰退
 今回の選挙の結果で、もっとも注目されることは、米国を後ろだてにして対北強硬策を主張する議員がほとんど落選したことです。
 これまで、ブッシュの共和国圧殺戦争策動を積極的に支持する勢力はハンナラ党でした。民主党の場合も親米的な傾向が強く、それが大統領弾劾決議に結びついていたわけですが、今回の選挙で、そうした人士がほとんど落選してしまいました。
 ハンナラ党も、新党首パク・クネ女史が選挙戦の過程で、「北を訪問する」と発言し、選挙戦終盤には、ピョンヤンを訪問して金正日国防委員長と会談したときの映像を流し、それによって党の惨敗を免れたという経緯があり、選挙後は「ハンナラ党は生まれ変わらなければならない」「古い人物はすべて交代させよ」と対北強硬親米派を閉め出す党内改革を進めています。
 また、ここで注目されるのは、10議席を獲得した民主労働党です。この党は、80年代の学生運動の影響下で行われた民主労働運動を母体にしています。80年代、学生運動は、「民衆主体論」や三民理念「民族統一、民衆解放、民主戦取」を掲げ、活動家は労働者・農民、貧民層の中に入り地盤を築いてきました。そのスローガンには、「富裕層には富裕税を、貧困層には福祉を」などというのがあり、党員として女性や障害者を多く入れています。
 選挙公約では、経済・食料不安解消、青年雇用義務法、農業再生、公教育平準化、女性の産前産後有給休暇、戸主制度廃止、傷害者保護特別法などと共に、2012年までに米軍撤退というものもあり、イラク派兵を見直すため「イラク派兵処理法案」を出すと公約しています。
 学生運動や民主化運動出身者はウリ党にもいるし、民主労働党、ハンナラ党にもいます。民主労働党は、ウリ党がおかしな方向にいかないように監視すると言っており、こうした運動出身者を中心に韓国の政治は、これまでとはまったく違ったものになるのではないかと予想されます。
 今回当選した議員は、84・7%が共和国を敵と規定した「国家保安法」の改正もしくは廃止を要求。88%が北との経済協力志向。55・6%が米国より中国との関係重視です。

■支持された協力、共助
 この勝利には国際政治が大きく影響しています。
 なによりもまず、米ブッシュ戦略との関係です。ブッシュ政権は共和国を悪の枢軸と名指しし戦争を公言してきました。しかし、その戦争は同族を相手にする戦争であり、その被害を受けるのは韓国人自身です。
 ノ・ムヒョン氏は大統領選挙で「共和国との関係を切れば、戦争の危険性が高まったときに韓国は自分の運命を米国に委ねるしかなくなる。それでいいのだろうか」と言いながら「太陽政策」の継続を主張し人気をえましたが、今回の民主勢力の勝利は、それを再確認したものと言えます。
 またノ・ムヒョン氏は、東北アジア時代が到来しており、そこで韓半島が中心的役割を果たし、東北アジアを「繁栄の共同体」に「平和の共同体」に発展させるという構想を描きましたが、それも再確認されました。
 今、韓国は対外輸出額で米国よりも中国の方が多くなっています。そこから北との関係強化は経済的利益に直結するものと考えられており、経済人でも83%が「北との提携」支持です。
 今回の選挙で対北強硬親米戦争勢力が大幅に衰退したことは、時代がそういう時代ではないことを雄弁に物語っています。
 米国にすがって共和国と対決する、それは冷戦思考の遺物とも言えます。冷戦構造では、強大な東側陣営に対抗し共産化を防ぐということで米国にすがって共和国と対決するということに一定の説得力があったかもしれません。そういう中で、韓国特有の地域主義による利権構造も「容認」されてきたという面がありました。
 ある意味では、ブッシュ政権が反テロを掲げた21世紀型戦争を言うのも、米国が世界の盟主としてふるまうために敵を必要としたものだということができます。
 元来テロは行為の形態であって、その理念、主張ではありません。だから米国がその一極支配に妨害になるものをすべて、「テロ」と結び付けることが可能です。社会主義、イスラム原理主義、アジア自主、世界の多極化の動き、そして各国の離米反米的で自主的な動きなどなど。いずれにしても、米国は敵をつくり、それとの対決を煽るのを世界戦略のカギにしているのではないでしょうか。
 今回の韓国選挙の結果、対北強硬親米派が衰退したのは、2000年の「6・15南北共同宣言」で明らかにされた、「自主」の下での「和合」と「共助」の精神が多くの韓国国民の支持をえたということであり、これこそ新しい時代の流れを象徴するものではないかという思いを強くします。

■アジアの流れも
 アジアの流れも、東アジア共同体構想が進展していること一つとっても、協調、協力、和合、共助の方向に進んでいると思います。そして、その方が平和と繁栄をもたらすことは明かです。
 これに比べると日本の場合、依然として対決です。朝鮮に対しても対決一本槍です。ノ・ムヒョン政権発足以来、日本政府は「対北朝鮮で圧力をかけねばならないのに困ったことだ」と言っていますが、対決し力で屈服させようという思考方式こそがもはや時代遅れなのではないでしょうか。
 だから一層、米国に頼り従うというのでは、あまりに情けないことです。協力、共助には、強さが求められます。日本は米国についていけば大丈夫というような軟弱な考えでなく、もっと強い意志をもつべきなのです。


 
研究

人間理解の器がでかい!―「芥川賞二作品の衝撃」

若林盛亮


◆「芥川賞二作品の衝撃」の衝撃
 今回、芥川賞を受けた二作品は、若い二人の女性作家登場ということとあいまって、二五〇万人が読むという話題を呼んでいる。
 私も読んでみたが、全編これピアスと刺青という身体改造過程、そしてアイドルオタク男との関係、これらを延々と描く手法にドラマや感動を覚えるのは難しかった。ただ現代の若者が生きる意味を求めることが困難な時代だとか、彼らが不幸な世代だとか、痛みを理解しようといった客観主義的次元での感想しか持つことができなかった。
 そんなとき、「芥川賞二作品の衝撃」という「文藝春秋」の特集にあった明大教授の斎藤孝氏の論評が目を引いた。「人間理解の器がでかい」という氏の評価は正直いってちょっとした衝撃だった。改めて二作品の読み方を考えさせられた。

◆排除ではなく理解し共有する力
 氏によれば、この二作品に共通するのは、「自分の感覚と少しでもずれると他人を排除してしまう。そんな傾向が強まる中で、自分の感覚を少しでも広げてくれる人を味わい、愛する」、このような「人間理解力の上に立っての愛」だ。
 今回、芥川賞受賞の二作品、「蛇にピアス」、「蹴りたい背中」は、ともに自分と異質の存在との関わりを描いている。
 「蛇にピアス」では、主人公ルイは、蛇みたいに先が二つに分かれている男の舌、スプリットタンを初めて見たとき、価値観が音を立てて崩れるのがわかり、一瞬にして魅了され、血が騒ぐ。その理由が知りたくて自分もスプリットタン、身体改造へと走っていく。
 「蹴りたい背中」の主人公は、クラスで自分同様、浮いた存在である男子高校生「にな川」のアイドルオタクぶりに「キモい(気持ち悪い)」の一言で切り捨てるのではなく、愛情をこめオタクぶりを観察する。例えば、彼のアイドル、オリチャンの顔写真に、少女の裸をつぎはぎしたにな川の「作品」を見て、「あれだけ健康的にすくすくと輝いているものをここまでおとしめてしまえるのはすごい」と感心する心の余裕を持って接する。
 世間の感覚では排除され、唾棄の対象にすらなるような「蛇舌男」や「にな川」、自分の感覚とずれる存在を排除せず、理解し、感心し共有すらしてしまえる人間理解力は、なるほど「人間理解の器がでかい」と言えるものかもしれない。

◆人に関わる力
 二作品の主人公の「人間理解力」は、単に異質な存在を認めるという「理解力」にとどまらない。「蛇舌男」や「にな川」という異質な存在に積極的に関わっていこうという「理解力」だ。
 一時、「共生」という思想がもてはやされた。共生思想は、互いに違いを認め「持ちつ持たれつ」の自然発生的な共存関係はあるが、あくまで「お前はお前、俺は俺」と互いの積極的な交流、関わりは遮断されている。二作品の主人公は、「言葉にできない憧れと違和感の答えを教えて」と「にな川」の背中を蹴り、自分の舌に穴を開けてしまう。この体を張って相手に関わる気っぷのよさ、「人に関わる力」、それは、「お前はお前、俺は俺」式の個人主義の境界を越える力を持っている。

◆時代と向き合う力へ
 二作品の主人公たちの「人と関わる力」は、いまだ私生活次元を越えるものではない。それはイラク反戦歌にもなった「世界に一つだけの花」が、「時代に向き合う意思がなく矮小な私生活主義の繰言にすぎない」とした寺島実郎氏のような批判を許すものとなっていることとも相通じる。
 しかし私は希望を持ちたい。芥川賞二作品が、時代と向き合う意思がなく、矮小な私生活主義の繰言だとは思わない。その根拠は、著者ら若い人々の「器のでかさ」だ。その「でかさ」は、自分を取り巻く世界に居心地の悪さ、息苦しさを感じる自分たちの世代、今日、社会や政治から排除された自分と同類の仲間に対する「人間理解力」、「人に関わる力」の強さだ。自分とは異質でも、その根底ではつながっているからこそ、理解から関わりへ向かう力となり、その力は、同類、仲間意識の自覚へと向かうだろう。この力が、時代と社会に向き合う力に転換しないと誰が言えようか。私は、今日の若者の「人間理解の器のでかさ」が、彼らの痛みの根源である居心地の悪い世界を変える力になると信じたい。


 
評論

共同体原理に基づく年金制度を

魚本公博


 政府は今国会で年金制度改革関連法案を上程したが給付と負担の割合を手直しするだけのもので、問題を先おくりした感がいなめない。
 問題は、年金が不足するということである。これについては、急激な老齢化が原因だとする説明が行われてきたが、一人当たりの生産性も向上するのであって、そこに根本的な問題はない。
 年金不足の原因は、年金の空洞化と言われる事態が進んでいることである。
 江角マキコが社会保険庁のコマーシャルに出ていながら国民年金を未納していたことや政治家の国民年金未納が話題になったが、02年の国民年金の未納者は4割、とくに20歳代は半数を越えるという。
 そして、厚生年金の空洞化。基金数が96年末のピークの7割(基金数1357)に減少。加入している事業所数も170万から160万に減少。新規法人は2、3割が未加入など。
 これらは市場原理のせいである。産業空洞化による企業倒産や正社員の縮小と流動化。パート、フリーターなど不安定雇用の増大。これでは払いたくても払えないし、何でも自己責任の風潮の中で払う気もしなくなるだろう。
 市場原理の本場、米国では401Kのように民間運用(失敗して年金がゼロになっても仕方がない)が基本である。
 小泉首相は年金法改正法案を提出しながら、年金は一元化が望ましいと変則発言。彼は年金も米国式の市場原理に基づくものに変えようということなのだろうが、それでいいのだろうか。
 年金は元来、共同体原理から出発している。共同体の成員が働けなくなれば、その老後は共同体が見るという意識と価値観があってこそ成立する。
 基礎年金の国庫負担率を2分の1に引き上げることで2兆7000億円の財源が問題にされているが70兆円もの国家予算を使いながら、できないはずはない。イラク支援の15億ドル、米国に要求されているイラクの債権放棄50数億ドルだけで相当な額である。軍事費だって考え直す必要がある。その他、国会議員の年金とか富裕層への支給など不平等を是正すれば十分、解決できることではないだろうか。
 それを出せないというのであれば、国は自ら共同体としての役割を放棄するということだ。そして、年金徴収を税金化して法的強制力をもたせるとか、企業の年金基金への加入を強制させるとか、強制ばかり考えている。
 国と社会のすべてが市場原理で動くようにしておいて年金問題を解決しようとするのは、そもそも原理的に誤っている。年金問題はどこまでも共同体原理に基づいて解決されるべきである。


 
文化

「世界の中心で愛をさけぶ」を読んで

田中あずみ


 少し前、「世界の中心で愛をさけぶ」という本が話題になりました。その後、反響が大きくて映画でも上映されています。
内容は、一言で純愛ラブストーリー。
 朔太郎とアキは、中学から同じクラスで共に学級委員をしている「幼なじみ」。二学期の文化祭では「ロミオとジュリエット」をやることになり、ジュリエットをアキがロミオを朔太郎が演じます。二人は、人生について、恋愛について真剣に話し合う中で、お互いの理解を深めていきます。
 しかし高校卒業を前に、アキは「再生不良性貧血」という病気にかかってしまいます。いわゆる白血病で、長い入院生活がはじまります。強い薬のせいで、日々痩せていき髪の毛も抜けていきます。朔太郎は毎日のように病院に来て、彼女を励まし続けます。しかし、病気は悪くなる一方で、アキは先が長くないことに気づきます。朔太郎は、オーストラリアに行きたいというアキの気持ちを叶えてあげようとしますが、その願いは実現できず、アキは永遠に帰らぬ人となります。
 アキを突然失い、その悲しみから抜け出せない朔太郎を支えてくれたのは彼のおじいさんです。おじいさん自身も若かった頃、本当に好きな人と一緒になれなかったという辛い経験がありますが、それでも人生は美しいものであると語ってくれます。中でも、一番印象的だった言葉は、「人生には実現することとしないことがある。実現したことを、人はすぐに忘れてしまう。ところが実現しなかったことを、わしらはいつまでも大切に胸の中で育んでいく。・・・人生の美しさというものは、実現しなかったことに対する思いによって担われているんじゃないだろうか」。
 おじいさんの孫を思い励ます深い思いやりに感銘を受けると同時に、人間は愛する人を失っても、その愛を抱き続けることができるし、そうすることによって、自らの人生をより美しいものにしていくことができるということを学びました。そして、人を愛するということは、美しいものであり、生きる意味を与えてくれる大切なことであるということ、また、愛するということは、その人のために心から尽くすものであるということを感じました。
 自分のことしか知らない風潮がつくられていっている今日、こういう本が多くの人の共感をよんでいるという事実が私の心をなにか暖かくしてくれました。


 
朝鮮あれこれ

春の芸術祭典と国際交流

田中協子


 4月は朝鮮でいちばん美しい季節だ。れんぎょうや杏、つつじが咲き乱れ、街が一挙に華やぐ。そんなピョンヤン市内を市民の熱い歓迎を受けながらパレードする人々がいた。10日から開催した第22回「4月の春、親善芸術祭典」に参加する世界各国の代表団だ。その時の様子を彼らは次のように述べている。「・・・わたしたちはピョンヤン市民と学生、かわいい子供たちの熱烈で真心こもった歓迎の花束の中を進みながら、あまりにも感動し、互いに泣き笑いながら、彼らと熱く暖かい親善の情を思いっきり分かち合いました」。
 共和国がここ十年間、アメリカの露骨な圧力と制裁で辛酸をなめながら自分たちの社会主義を守っているということを知らない参加者はいない。かたや、アメリカと関係が深い国の芸術人が「自主・平和・親善」をうたうこの祭典に参加しようとすれば少なからぬ妨害や圧力もうける。そんなこんなの思いを抱いてのパレード。笑顔で歓迎する市民との交流が参加者の心に染みる。
 日本ではほとんど知られていないが、実は今回もこの祭典には世界40余ケ国、80余団体が参加している。ロシアや中国などは政府次元での取り組みだ。ロシアはチャイコフスキー国立音楽大学室内楽団や最高水準とされるバレー団、サーカス団が参加した。35名が出演したグノー作曲、歌劇「ファウスト」の美しいバレー舞踏場面は観客を魅了していた。中国も国立交響楽団をはじめ国内有数の声楽家や演奏家が参加した。エジプトからは外務省副相を団長とする政府文化代表団も訪朝している。日本からは、小笠原美津子さんをはじめ、狂言師の野村萬、万之丞さんたちが真伎楽(しんぎがく)を携えて訪朝。
 何といっても祭典で共和国の人に一番人気があるのは日本、中国などからの在外同胞の公演だ。どの会場も祖国統一の大きな熱気に包まれていた。
 この4月、シアヌーク・カンボジア国王の訪問を皮切りに多くの外国人、同胞が訪朝した。一方、キム・ジョンイル国防委員長の中国訪問は朝中関係の一層の発展を示唆し、世界的な注目を浴びた。22日に発生したリョンチョンでの爆発災害に際しても中国、ロシア、韓国政府の迅速かつ多額の支援が目だった。困ったときの隣人、同胞ではあるが、今、東北アジアの流れは確実に親善友好、協調統一、平和へと向かっている。そのようなアジアの動きに日本も積極的に合流してほしいと願わずにはいられない春であった。


 
 

編集後記

魚本公博


 今回の主張、韓国選挙について考えてみました。
日本ではちょうど、イラクで起きた日本人人質事件のせいで、あまり詳しく報道されませんでしたが、韓国の「歴史的な変化」ということをどう解釈すればいいのか、それをどう報道するのか、とまどっていたということもあるのではないかと思います。
 イラクの事件でも、イラク人民は、日本が米国に追従してイラクに害毒を与える国だと見ていること。今回、当のイラク人自身がそう言っているのだから、それは弁解も曲解もできないものとしてあることが明らかになりました。
 その他、多くの問題でも、日本はアジアの動きを正しく見ないと、「時代遅れの化石」になってしまうだろう。「アジア新時代と日本」を創刊して1年近くたった今日のいつわらざる心境です。


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