研究誌 「アジア新時代と日本」

第109号 2012/7/5



■ ■ 目 次 ■ ■

編集部より

主張 日本経済の衰退を考える

インタビュー 「緑の地球ネットワーク」 高見邦雄さん 黄土高原を緑の大地に

言いたい放題




 

編集部より

小川淳


 永田町では消費税をめぐり民主党と自公が野合して衆議院で可決され、反対した小沢グループは民主党を離脱し新党をめざすという。政界再編の動きが高まっている。
 一方、4月以降完全に停止していた原発は世論の反対を押し切って大飯3号機の再稼動に踏み切った。原発なき社会への展望を持たせた「原発ゼロ」はわずか2ヶ月で終わり、首相官邸周辺ではおびただしい市民が押しかけ抗議が続いている。首相官邸が多数の市民で取り囲まれるという状況は、国論を二分して闘われた60年安保闘争以来のことで、原発問題はそれほどの重みを持つ。野田政権は、消費税、原発再稼動の次はTPPだという。自公と野合し、またしても国民の反対を多数の力で押さえつけるつもりなのか。
 いまや民主対自公という政界の構図は昔の話で、事実上の「大連立」が成立している。もはやそこには理念上も政策上も対立点は存在しないと言ってよい。消費税、原発推進、TPP、沖縄普天間移転やオスプレイ配備―日本の未来を大きく左右するだろう問題で与党と野党の野合と反動の時代が始まったのだ。政権争いに加わるという大阪維新の会(橋下)も、その理念は新自由主義、ネオコンに近く、自公も民主も連携を探ることなどを見ても明らかなように民意からかけ離れている。仮に総選挙が行われるとして、彼らは何を「争点」に争うのだろうか。
 野田総理は消費税増税や原発再稼動に当たって、悲壮感漂うような「不退転の決意」を口にしてきた。しかし、「不退転の決意」というものは、少なくとも「改革」を標榜した民主党の党首が口にするなら、それは古い政治(古い理念や政策)に対する挑戦や改革であるはずだ。
 ここでいう古い政治とは、例えば戦後の骨身までしみこんだ「対米従属性」や戦前を引きずったままの「歴史認識」、大企業優先の政治体質などなどだ。そこに果敢に挑み戦うと言うなら、野田の悲壮感も分からないではない。しかし、消費税増税も原発再稼動も、TPPも沖縄の基地強化やオスプレイ配備もすべて「古い政治」そのものではないか。国民の反対を押し切ってあたかも改革者のように装い「古い政治」に舵を切る、これでは詐欺師である。
 もはや「古い政治」を進めるにも「不退転の決意」がいるという、「新しい政治」を求める民意のうねりはそこまできている。



主張

日本経済の衰退を考える

編集部


 日本経済の衰退が言われはじめて久しい。「失われた10年」「20年」が言われ、警鐘が鳴らされはじめて以来、数多くの人々がその原因や対策について提言、提唱をくり返してきた。しかし、その趨勢に歯止めはかかっていない。
 なぜそうなのか。それは、衰退の原因やその克服のための対策が根本的なところからとらえられていないからだと思う。多かれ少なかれ、新自由主義、グローバリズムが大前提にされ、すべてはその上でのことになっている。少し深く入ったとしても、ケインズ主義の再考、再評価止まりだ。すでに歴史的にその破綻が証明されたものにしがみついていても、問題は解決されない。そこで最近では、文明のあり方それ自体をとらえ返す研究などが目立つようになってきている。西洋主導の資本主義の根本からの再検討、等々だ。
 今回は、日本に顕著で、先進国全般、ひいては新興国にも生まれてきている、この経済の衰退、停滞問題について、その核心がどこにあるか考えていきたい。

■GDP停滞と貿易赤字化
 日本経済の衰退と言ったとき、それは何よりも、国内総生産(GDP)の減退に現れている。1995年からの15年間で日本のGDPは3%減少した。史上最高だった1997年の516兆円からは7%の下落だ。同じ期間、世界は大きく成長した。年率平均5・2%の成長だ。その結果、日本が世界のGDPに占める割合は、18%から9%へ低下した。
 GDPを規定する要素には大きく三つある。一つは労働の増加率、もう一つは投資と一体だと考えられる貯蓄率、最後に労働生産性の改善率だ。日本はこの三つとも大きく低迷している。労働力人口は、1995年から2005年まで10年間に3・3%(284万人)減少した。そして一人当たり労働時間は1980年代の年2000時間から2002年の1800時間への減少だ。貯蓄率も、1970年代の20%以上、80年代の16%から90年代、2000年代の低落を経て、2007年現在、1・7%だ。労働生産性も、80年代の3・4%から、90年代前半にはマイナス3・4%へ、そして2000年代に入っても0・1%と低迷している。これらの数値は先進諸国の中でもダンとつの最悪だ。
 一方、貿易収支の悪化も経済衰退の反映だ。日本の貿易収支は、2011年度、48年振りに赤字に転落した。前年比9兆9450億円悪化の3兆4495億円の赤字だ。震災、海外景気の下振れ、そして産業空洞化などによる輸出の減少、鉱物性原燃料の価格上昇など輸入の増大によっている。そうした中、11年度の経常収支も、その黒字幅が前年比52・6%(7兆8931億円)減少という過去最大の下げを記録した。

■産業空洞化と現場力低下
 経済大国を誇った日本のこうした衰退・凋落ぶりは驚くべきことだ。その原因としてまず目に見えるのは産業空洞化だ。1985年、プラザ合意以後の円高による企業の海外移転の急増、2000年以降、「世界の工場」となった中国などへの工場移転の続出、2008,9年には対外直接投資が20兆円を超えた。リーマン・ショックによる急減の後、この間の超円高にともなう製造業を中心とする生産拠点の海外移転は、日本企業による海外企業のM&Aの活発化(過去最高)まで含め、かつてなかった勢いで再拡大している。先日の大洪水時に、タイが日本の自動車、電機、精密産業の一大生産拠点化しているのが判明したように、今や産業空洞化は、産業丸ごとの海外移転の様相を呈してきている。
 2010年度の自動車産業(部品、二輪車を含む)の輸出総額は約12・6兆円、日本の輸出総額67・3兆円の13%を占めた。この自動車産業界を挙げての海外移転が日本の輸出だけでなく経済全般の衰退に直結するのは言うまでもない。
 日本経済衰退の原因として顕著なのは、また、現場力の低下だ。もともと日本経済の強みとして「現場力」が言われてきた。それがこの間、失われてきたというのだ。
 遠藤功・早稲田大学ビジネススクール教授は、「・・・製造現場にしても研究開発にしても、現場に高い当事者意識があって、自分たちが会社を支えているという意識を持った集団の力が存在していた・・・。『現場力』という組織力が弱ってしまったら、たぶん日本企業の根幹をなす競争力を失ってしまう」と言っている。
 これは重要な指摘だと思う。実際、現場の工場長たちも現場力の低下を深く憂慮している。日経新聞の調べ「日本の現場が危ない」(2004年、227工場長を対象)でも、工場長の54・2%が現場力が落ちていることを認め、落ちていない(41・1%)を大きく上回っている。彼らは、技術伝承、教育体制の不備、社員の在籍期間の短期化、求心力の低下、必要な人材確保の困難化、安全・労働意欲の低下、コミュニケーション不足、不安にさいなまれる指揮官、等々、現場に現れた数多くの問題点を挙げている。

■経済の不均衡
 日本経済の衰退を考えるとき、産業空洞化や現場力の低下もあるが、もっとも大きいのは日本経済全体の不均衡ではないかと思う。国民経済は生き物だ。ヒト、モノ、カネが円滑に循環していてこそ発展し国民生活を豊かにする。国民経済が不均衡になり、ヒト、モノ、カネのめぐりが悪くなり、流れが滞るようになると、デフレや地域経済の崩壊、等々、様々な病にかかり、成長率の低下など、経済全般の衰退につながるようになる。福岡伸一さんが言っている、生物全般の生命活動に見られる「動的平衡」は、経済でも言えると思う。すなわち、経済の不均衡により「動的平衡」が失われると、経済の自律的回復力がなくなり、「失われた10年」「20年」など、経済停滞の長期化、衰退が避けられないということだ。
 今日、日本経済全般に見られる富の偏在、東京集中など地域格差の拡大、大企業の肥大と中小企業の衰弱、輸出産業偏重など、著しい不均衡とそれにともなうヒト、モノ、カネの滞留が日本経済衰退の大きな原因になっているのは明らかだ。

■経済のあり方をどう見直すか
 産業空洞化や現場力の低下、そして経済の不均衡などを正し、日本経済の衰退からの脱却をはかるためには、経済のあり方そのものを見直す根本的な対策が必要だ。
 そうした中、この数年、欧米と同じく日本でも、新自由主義やグローバリズムによる構造改革の徹底化が叫ばれている。しかし、考えても見よう。経済衰退の原因である空洞化や現場力低下、経済不均衡を産み出した張本人である自由化、グローバル化を徹底化してどうするのか。まったくの論外と言うほかない。また、このところ欧米で緊縮策が破綻し、成長策との併用になっているが、これもケインズ主義による有効需要創出策にしがみついているだけなら、新たな財政破綻の再生産に終わるしかない。
 経済のあり方の抜本的な見直しは、当然、経済衰退の原因を根本的に克服するものになるべきだ。そこで重要なのは、産業空洞化や現場力低下、そして経済不均衡などの根因を集団の破壊、共同体の破壊に求めることではないだろうか。すなわち、国民経済という経済共同体を否定し、経済の自由化、グローバル化を第一に、国民経済の均衡的発展をはかるという国民的合意を投げ捨ててしまったこと、また、労働市場をはじめ、市場の自由化、流動化をはかる余り、職場や地域など、人間の労働と生産、生活に関わる共同体が破壊されるにまかせてしまったこと、等々、集団の破壊、共同体の破壊にこそ、日本経済衰退の根因があるということだ。
 経済衰退の根因を集団、共同体の破壊に求めたとき、経済のあり方の抜本的見直しは、市場重視から共同体重視への転換になる。ボーダレスの世界金融市場重視から国民経済構築と東アジア共同体など地域共同体経済発展へ、労働市場をはじめ市場の自由化、流動化から職場や地域など共同体の活性化へ、大企業中心の弱肉強食から中小企業や地域経済、地場産業の協同的発展へ、等々。
 この共同体重視への経済のあり方の見直しが、今、中谷巌さんや内田樹さんなどによって主張されている市場における「交換」と言う考え方からから共同体における「贈与」精神へ、といった文明の転換、西洋主導の資本主義の見直しなどと結びついてくるのは大変興味深いことだ。市場から共同体へ、大きな時代的転換がここでも音を立てて進行していると思う。


 
インタビュー 「緑の地球ネットワーク」 高見邦雄さん

黄土高原を緑の大地に               

聞き手 小川淳


 高見邦雄さん(「緑の地球ネットワーク」事務局長)は、今年4月、「緑色中国焦点人物」を受賞された。そのときの推薦理由にはこう記されている。
 「中国大同の黄土高原では、毎年の春夏、ここにきて植樹をする日本の友人を見ることができる。彼は毎年2〜3か月の間、中国の黄土高原で植樹をし、その他の時間は国内に帰って、そのための資金を集め、これまで20年間、それを堅持してきた。彼はこの20年の間に、仲間に去られたり、最初に植えた苗が全滅するなどの、深い悲しみを味わった。また資金を調達しようとして、相手にされなかったり、大同の地元で人々に誤解され、理解してもらえなかったことがある。それでも、20年の想像を絶する苦闘によって、黄土高原に1,800万本の木を根付かせたのだ。」

―なぜ中国で緑化事業を始めようと思われたのですか。
 鳥取の生まれですが、高校卒業後、東大に入学、原発をやろうと思っていたが、たちまち学生運動に走って1970年に大学を中退。1年生の5月頃には大学に行っていなかったので、ほとんど初退です。それから中国と縁があったものですから1971年から2年に一回くらいのペースで行くようになりました。それまでは不足の経済だったのが、1980年代に入って経済発展を追い求めるようになる。すると水の汚染、大気の汚染の深刻さが目につくようになったのです。民間レベルでもできる協力はないだろうかと考えました。水や大気の汚染は日本もひどかった時期があるし、それを乗り越えてきた技術と経験がある。そういう交流を民間レベルでできないかと最初は考えたんです。でも、水も大気もすぐに政治問題になって、外国人にはやれそうにない。砂漠化防止や緑化だったら、反対がでにくいし、特別の技術がなくてもできるだろう、日本の人たちに幅広く参加してもらえると考えたのです。20年前の地球サミットが話題になりだした頃で、そういうことを通じて、工業先進国と途上国との間で環境に関する相互理解を深めることができればいいと思ったのです。発足は1992年の1月ですが、その準備のために1991年の11月に北京に行って、良い方法はないかと相談したら、じゃあ場所を紹介しましょうとなった。

―中国側の窓口はどのような団体だったんですか。
 北京で行き着いたのが「中華全国青年連合会」で、そこで紹介されたのが大同市でした。青年団中央の有力メンバーが幹部交流でその県に滞在したことがあり、そこを薦めてくれたんです。「緑化に大変熱心で、美人の産地として有名、いい酒もあります」と言われました。その人はいま、農業部長=農業大臣です。
 ここが大変なところでした。気候的にも大変で、特に雨が少ない。冬は寒い、夏は暑い、少ない雨が夏の一時期に集中する。年間の降水量は400ミリくらいしかないのに、夏の雨は一時間に70ミリと言うような降り方をする。土が流され、土が痩せて作物が育たなくなる、植物が育たなくなる。これが砂漠化ですね。
 最大の問題は人口が多いことです。1万4千平方キロに320万くらいの人口があり、大阪府と兵庫県と京都府を足したくらいの土地にモンゴル一国より多い人口を抱えている。あの環境で300万を超える人口を養うのは困難なんです。
 自然環境からすると、内蒙古の砂漠などのほうがずっと悪いんですけど、暮らし向きは大同の農村がずっと悪い。あちこち行ったんですけど、大同の農村より貧しいところはないのです。本来なら人が住むべきでないところに、人が住み、村ができている。下のほうの水と土に恵まれたところは人口が過飽和状態で、農家一戸あたりの面積もうんと狭くなる。条件の悪い村が2町歩くらいなのに対し、条件のいい村は7反くらい。機械化は全く進んでいません。比較的豊かなところは牛や馬、ロバ、ラバで耕しますが、条件の悪い村はそれもない。人力だけで耕す。面積は広い、生産は上がらない。アワ、キビ、ジャガイモ、トウモロコシなんかを天水で作る。野菜は全然作りませんで、アワあたりがハードカレンシーで、それとの交換で野菜を手に入れていました。

―大同あたりにはもともと森林はなかったんですか。
 昔はあったと言われています。山西省全体では、秦の始皇帝の時代は50%、唐・宋で40%、明で30%、清で10%未満、中華人民共和国成立時に2.4%、急激に森林が失われたのは明の時代だといわれています。万里の長城を作った事もあるし、都が北京に移ってきたことも原因です。
 でも一番の原因は開墾です。私が黄土高原を初めて見たのは、70年代の初め、北京から西安に飛ぶ飛行機の窓からですけど、山という山に等高線が刻まれている。そのときは分からなかったんですけど、現場に行ってみて、段々畑だと分かった。そのころは農民の努力に感動したんですね。でもちょっと見方を変えれば、それは自然の大破壊です。環境破壊と貧困の悪循環と言われますが、それが砂漠化が進む原因になっている。しかも悪循環の中に入っている人たちが頑張れば頑張るほど事態は悪化するわけで、だからこれは外からバックアップしないといけない。そういう支援の呼び水になれば良いかなと考えました。

―中国政府自体も緑化には力を入れているんですか。
 最近は凄いんですよ。世界の人工林の4分の1以上が中国です。89年に大水害があって、その直後に全国生態建設計画というものが出て、天然林の伐採禁止、人工造林が強化され、21世紀に入って加速している。しかも大同は北京の水源であり、風砂の通過点ですから、国家プロジェクトが目白押しで、大きなものが5つある。
 私たちの協力プロジェクトも、延べで250箇所以上になりました。緑化に関する全国的な会議や山西省の会議が大同で開かれるとき、見学対象になるのは私たちが関わっているところです。良い仕事をしてきたと思っています。

―「持続可能で多様性のある森林の再生を」と言われていますが、その土地に合った樹木を中心に植えられている。
 大同の農村にこういう歌があります。「山は近くにあるけれど、煮炊きに使う柴はなし。十の年を重ねれば、九年は旱(ひでり)で一年は大水」。とにかく山に木がなく、草もない。そんな中でマツを植えたり、学校に果樹園を作って教育支援に当てるなど、いろんなプロジェクトをやってきました。でも、初期は失敗が多かった。昨年亡くなられた立花吉茂先生に相談にいったんです。大阪市大の植物園を自分でモッコを担いで作られた方です。そしたら、植物園を作れ、そういうところで緑化を成功させるには研究が不可欠だと。そこまでやるんだったら自分も参加する、といわれた。
 霊丘県の南部は大同市のなかでは条件の比較的いいところです。98年の春に地元の技術者に植物園の候補地を探してくれ、どんな植物が生えているのか調査してくれ、と頼んだのです。その夏に行ったら「自然林があった。こんな木もある」といって、一抱え以上のジェスチャーをする。何度か空振りをしたあと、朝暗いうちに出発し、いちばん近い村まで車でいき、そこから歩きました。海抜1,768mの碣寺山で、河北省との省境まで、5kmのところ。中心はナラで、ほかにカエデ、シナノキなどが混じっていました。
 これをそのまま交通の便利なところにおけば、立派な植物園だと思ったのです。その自然林から遠くないところに、86haの土地の100年間の使用権をえて、99年の4月から自然植物園の建設を始めました。といっても、全くのはげ山ですよ。地元の村と話し合い、そこでは柴刈りをしない、放牧をしないと協定した。約束だけではあてにならないので、管理棟を建てて人を配置し、自然林から種を集めて苗に育てて植えています。今年で14年ですが、大きなものは樹高12,3メートルまで成長している。主体はナラ、シナノキ、シラカンバ、マツ、トネリコなどです。

―活動資金は寄付とかカンパで賄われているんですか。
 寄付もありますし、助成金もある。それからJICAの草の根技術協力事業の受託とか。経団連の助成金とか。しかしだんだん厳しくなります。助成金は、長く続いても大体3年以内とかで、制限がある。

―この20年間続けてこられたのは「奇跡」だと受賞のスピーチで言われましたが、一番、難しかったことは何でしたか。
 とんでもないところに入ったんですね。あんまり日本では知られていないですが、戦争被害のひどいところで、三光作戦なんかはあの一帯に集中しています。大同は石炭の街で、戦争遂行のためにはエネルギーが必要ですから、1937年7月の盧溝橋事件のあと2ヶ月ちょっとで大同を制圧している。そのときの軍団長が東条英機で、そのあとは板垣征四郎、後の陸軍大臣も行っている。平型関といえば中国人で知らない人はないくらいですが、最初に日本軍が敗れた場所で、その指揮を林彪が取ったことでも知られています。そういうところとは知らずに行ったんですね。
 知り合いのブログに、こういうコメントが書かれたこともあります。「彼らは緑化の協力に来ていると言っているけど、本当はそこで死んだ日本軍将兵の慰霊のために来ているのではないか。その証拠に彼らが行くのは激戦地ばかりだ」。前半はともかく、後半の激戦地ばかりだというのは、なぜか事実なんです。
 地元の村人の協力なしにはこの事業は不可能です。しかし戦争の記憶は生々しい。日本人が何かしようとするとその問題が必ずでてくる。通いなれた村の青年が私に話してくれました。
 「あなたは気づかなかっただろうけど、最初にあなたが村に来たとき、小学生の子供があなたの後をつけ、歌を歌いながら小石を投げるまねをしていたんだよ。ダーダオ・リーベン、ダーダオ・リーベンと」。打倒日本、打倒日本ですね。

―向こうのスタッフの方が植林事業を「子育て」に例えて、その両親が歴史問題をはさんでいがみ合っていて、子供がちゃんと育つはずがない、と言われた。面白い例えだなと感心しました。20年が経って日本に対する感情は変わったのでしょうか。
 多少は、変わったかもしれない。誰もがそうだとはいえませんが。去年の4月にうちのワーキングツアーが行ったら、東日本大震災への義援金だといって、農村からもお金が集まっていました。小学生が先生に託したものや、いろんな村から集まっていて、正確な数は分からないですが、500人は下らないという。嬉しかったですね。北京からきた通訳さんはその事情を説明しているうちに泣きだして通訳できなくなった。最初の頃の苦労を知っているんですね。

―高見さんは学生時代からそういう森林への問題意識があったのですか。
 ぜんぜんなかった。ただわたしは農家の生まれ育ちなんですよ。両親とも農業をし、父親は馬車引きもしていました。鳥取の、大山山麓の山で、木を伐り、それを国鉄の貨物駅や、トラックのはいる場所まで、馬車で運びだす仕事です。きつい肉体労働。父親の尻について、私もよく山に行きました。食べることのできる山野草や木の芽を、そのときに覚えました。このころにいろんな木や草を見たのが、よかったんでしょうね。自然に身についたものは忘れないもので、この仕事を始めてそのことが分かりました。

―環境問題に関心を持たれたのはいつ頃からですか。
 たどれば学生運動の頃からですか。後になって総括した事でもあるんですが、何であんなに反抗的になったのか。なんかおかしいよ、どこかで曲がらなければならないのに、曲がり角を見過ごしてどんどん来ている。そういう感覚でしたね。それは私だけではなくて、あの頃、一緒にやっていた人たちも同じだったと思う。有機農業に走るとか、水俣病をはじめ環境問題にのめりこむだとか、原発問題に取り組むとか、学生運動経験者に多い。そういう問題意識はあったと思います。

―日本の森林行政については如何思われていますか。戦後植林された人工林がまさに荒れようとしています。
 いよいよ大変になるという認識は持っています。結構私有林が多いですから、持ち主が住んでいなかったり、どこにいるか分からなかったり、境界もはっきりしない。やたら私有権について保護がきつい。だから誰も手をつけられない。急いで対処しないと大変な事になると思います。

※      ※      ※

 黄土高原を緑の大地に―とは万里の長城を築くような途方もない事業だ。それも植えれば良いというのではない。「持続可能な多様性ある森林の再生」という最良の森をめざしている。「20年続けてこられたのは奇跡だ」と高見さんは言うが、「奇跡」を興し、20年も続けてこられたからこそ、支援のネットワークが広がったのではないか。数百年かかってもいい。その価値はある。「緑の長城」つくりに挑む日本人がいることを誇りたいと思う。



 

言いたい放題

文責 編集部


 今、日本での最大の関心事は「原発」と「消費増税」である。ところが野田首相は「法案を全部成立させてから、国民の信を問う」などと発言をしている。法案を成立させた後で信を問うて何になるのか。こうした転倒した発想は原発再稼動でも同じだ。そこで、今回は趣向を変え、「原発」と「消費税」について、言いたいことを言わせてもらう。

《原発問題》 再稼動などしている時か!

 今、脱原発を主張する人たちが毎週金曜日に首相官邸に向けて抗議デモを行ってきた「金曜デモ」が、6月16日の野田首相の大飯原発再稼動決定を契機に空前の広がりを見せている。7月6日には主催者側推定で18〜19万という実に20万人近くの巨大なものになった。60年安保以来の国民的大デモ、一体、国民の怒りはどこにあるのか。

☆何よりも原発事故情報を包み隠さず公表すべし
 怒りの背景には、民主党政権、野田政権に対する不信がある。その大きな問題は、「事実を言おうとしない」「何か隠している」という政府の隠蔽体質からくる不信にあると言える。
 福島の避難区域設定でも、法律で定められている基準値1ミリシーベルトを100ミリシーベルトに上げることで避難区域を狭めて被害を少なく見せているが、それが不信と不安を呼んでいる。汚染状況の測定も、農産物汚染の測定も同様である。その他、溜まる一方の冷却水の処理、剥土処理、ガレキ処理などについても、どういう状況なのか、どうするつもりなのかも分からない。
 こうした中で、放射能禍は広がり、福島の幼児の尿からセシウムが検出され、平均10歳児の子ども35%の甲状腺で嚢胞(のうほう)が発見された。
 その上、さらなる破滅的な事態が起きつつある。
 6月27日、東電は、福島第一原発1号機の原子炉建屋地下の「トーラス室」の放射線量が、最大毎時10.3シーベルト(1万300ミリシーベルト)だったと発表した。人間は7シーベルトで死亡する。もう人間は近づけない。メルトダウンした核物質が地中にめり込み地下水脈に拡散し海水に漏れ出るのを傍観するしかなくなっている。
 7月1日、「福島第1原発4号機の冷却装置が予備も含めてすべて停止し、燃料プールの水温が上昇、冷却水が蒸発中」という報道がなされた。また、かろうじてプールを支えている壁が傾斜しつつあることも確認された。この燃料プールには、燃料集合体1535体(うち使用済み燃料1331本、新燃料204本)が入っており、そこには広島型原爆5000発分のセシウムが含まれる。
 この燃料プールの危険性については小出裕章さんなどが指摘してきたことだ。水素爆発で傷んだ家屋に設置されているプールは小さな地震でも崩壊する危険があり、そうなれば、広島型原爆5000発分のセシウムを含む膨大な放射性物質が撒き散らされ、少なくとも東京を含む東日本全域で人が住めなくなるとして、その対策を急ぐよう口を酸っぱくして指摘してきた。
 その惨禍は想像を絶する。国土の大半を喪失するだけでなく、撒き散らされた放射能は、今後何十年もかけて人体を蝕み、癌を多発させ、遺伝子に作用して奇形児を作る。それは日本だけでなく北半球の広い範囲に拡散し海水を通じて全世界に拡散する。
 まさにこれは売国罪であり、国際犯罪ではないか。しかし政府はこうした事態についても口を閉ざしたままだ。政府は原発事故の情報を包み隠さず公表しなければならない。そうしなければ何も始まらない。

☆責任は、福島原発事故の収拾でこそ
 野田首相は、大飯原発再稼動を決めたときに「私の責任で」と言った。しかし、そんな無責任な言葉がどこにあるか。大飯原発の下には活断層があることが判明している。福島原発事故の収拾もできず、これだけの破局的な事態が進みつつある中で危険な原発を再稼動するというのは、無責任を通り越した犯罪行為でしかない。
 責任とは一体誰に対する責任だろうか、それは他でもなく国民に対してである。その国民は国土の大半を喪失し、放射能に冒され続け、子供や孫にまで放射能禍が及び、それでもこの日本から逃げ出すこともできないという状況に直面しているのだ。
 この状況に胸を痛めないのは人間ではない。まして、野田首相は国民の前に責任を負う日本国首相ではないか。それにもかかわらず大飯原発を再稼動させたから、「この惨禍を放置したままで、何故、原発再稼動なのか」と、国民の怒りが爆発したのだ。
 今、野田首相が取るべき責任は、福島原発事故を収拾させ、進みつつある破局的な事態を何としても阻止することに全力を集中すること以外にありえない。

☆「原発維持」か否かを決めるのは国民だ
 国民の悲痛な声が耳に入らず大飯原発を再稼動させたのは、野田首相が「原発維持」を何よりも大事なものとして大前提にしているからだ。
 5月5日に泊原発が停止し原発ゼロが実現したが、これを前後して野田首相が大飯原発再稼動を急いだのは、原発ゼロでもやっていけるということが実証されてしまうからだ。
 国民の声に耳も貸さず、「原発維持」のために大飯原発を再稼動させた野田首相は一体どこを見ているのか。「原子力村」か、大企業か、はたまた米国か。
 「原発維持」か否かを決めるのは国民である。何故なら、原発を稼動すべきか否かにもっとも切実な利害関係をもつのは、日本の国土から逃げも隠れもできない国民自身だからだ。
 そのために野田首相は、ただちに国会を解散し、「原発維持」か否かについて国民の審判を仰ぐべきだということである。野田首相がやるべきことは、それである。

《消費増税問題》 国民に信を問うのが先ではないか

 原発問題で「原発維持」が大前提であったように、野田首相にとっては、消費増税問題もそれを成立させるのが大前提になっている。
 だから、「全ての法案を通して、その上で、国民の信を問う」などという、転倒したことを平気で言うのだ。法案を成立させてしまってから、国民に信を問うて反対が多いという結果になっても、その法が消えるわけではないではないか。そんな信の問い方がどこにあるのか。
 信を問うと言うのならなら当然、法案成立前に、その是非を巡って国民に信を問うべきではないのか。野田首相は、消費増税についても、ただちに国会を解散し、その是非について国民の信を問うべきである。
 そもそも、民主党が政権をとった前回の総選挙で、民主党のマニフェスト(選挙公約)には、消費増税は一言も書かれていないし、当時の鳩山代表は質問を受けて「やらない」と明言している。
 そして消費増税法案は党として意思一致することさえ出来なかった。それを野党(自民、公明)の協力で成立させるという日本の憲政史上かつてなかった手法まで使って成立させようとしている。
 そのために、この法案は党内でも国会でも、その是非をめぐって論争らしい論争を経ることもなく成立されようとしている。
 それは民主主義の破壊であり、民主主義的な手続きを踏んでいない、そのような法律は無効である。
 ここでも、国民の声とは関係なく、野田首相の頭の中では消費増税を成立させることは大前提になっているという転倒した思考方式が作用しているのだ。
 国民の顔を見ずに一体誰の顔を見ているのか。
 消費増税の是非を決めるのも国民だ。そのためには、まずそれについて国民の信を問うために、ただちに国会を解散するというのが首相として取るべき態度ではないのか。


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