インタビュー 関西非正規労組「ユニオンぼちぼち」委員長南 守さん 絶望の中に希望はある
人口問題研究所が日本の将来推計人口を発表した。現在の人口1億2800万が30年後には1億人を割り込み、50年後には約4千万人も人口が減るという。働く世代は約5割も減るその一方で65歳以上の高齢者は増え続け、その割合は約4割となる。
戦後一貫して増え続けてきた人口は、いずれ適正な規模まで減って落ち着く。人口もGNPも右肩上がりが良いというのは二十世紀的な発想だ。とはいえ急激な少子化によるいびつな人口構成は、年金、介護、医療に大きな歪を生み出す。
この急激な少子高齢化の背景にあるのは貧困と格差だ。経済的に安定した土台が無く結婚も出来ない若者が少なくない。十分な能力開発を受けられない低賃金の非正規労働者を多数生み出し、それが貧富差の拡大や未婚率の高さにつながった。いま日本の非正規労働者は1760万人で、就業者の3人に1人を占めている。
OECD(経済協力開発機構)が最近発表した貧富のギャップ(上位10%の富裕層と下位10%の貧困層の平均所得の倍率)のデータでは、日本は85年の7倍から10倍へと拡大した。
07年の国民生活基礎調査によると、日本の06年の相対的貧困率(可処分所得の中央値254万円の半分の127万円未満)は16%超で、実数にして2000万人を超えるという。
非正規労働は、1995年の日経連の「新時代の日本的経営」と題する文書に始まる。企業の従業員を正規雇用と非正規雇用に分け、派遣・契約・パート社員をコスト削減のために大量活用する方針を打ち出した。2004年には小泉政権が「製造業派遣」の解禁に踏み切った。
それで日本の企業の競争力は強化されたのか。日本の景気は回復したのかというと、まったくその逆だ。一部の人が潤っても、大多数の働く人々が貧しければ国内消費は回復せず、景気も低迷する。
巻末のインタビューの非正規「ユニオンぼちぼち」は、そのような非正規労働者の生存の場、拠り所なのだが、インタビューは社会の底辺でもがき苦しむ彼らの姿を伝えている。少子高齢化社会に消費税増税は焼け石に水でしかない。まずは安心して働き暮らすことの出来る当たり前の社会を築くことである。
主張
リーマン・ショック以来、なりを潜めていた新自由主義の亡霊が徘徊している。と言うより、大手を振ってまかり通っている。
震災復興に、TPPに、増税に、そしてこれらをめぐる政界再編へ、新自由主義が、またぞろ「改革」「新しい政治」の旗印になってきている。
■息を吹き返した新自由主義
米一極支配の旗印だった新自由主義、新保守主義(ネオコン)、グローバリズムは、リーマン・ショック、イラク、アフガン反テロ戦争の破綻など、米一極支配の崩壊とともに、その指導的地位から転落した。それが、今また、息を吹き返してきている。
小泉・新自由主義改革の「参謀」だった竹中平蔵の再登場はその象徴だろう。「昔の顔」「昔の名前」だけではない。ベストセラー「日本中枢の崩壊」の著者、古賀茂明、ご存じ橋下徹、等々、新しいスターの登場にも事欠かない。
出てきているのは人だけではない。震災復興やTPPなど、現実の政治や経済で、その路線、政策、方針として、新自由主義、グローバリズムが大きな顔でまかり通ってきている。
今なぜ新自由主義なのか。一旦破綻した新自由主義がどうしてまた横行してきているのか。この疑問に答えるのはそれほど難しいことではない。
まず言えるのは、年功序列など「守旧」派、日本型集団主義、平等主義の残存とそれが持つ矛盾だ。新自由主義がその矛盾をつき、既得権を叩いて人々を引きつけてきた官僚機構など「守旧」派、日本型集団主義の残存は、今日の政治、経済の破綻と停滞の原因が構造改革そのものにではなく、逆にその不徹底にあるとする新自由主義の詭弁に論拠を与えるようになっている。
もう一つは、新自由主義に代わる新しい政治と経済のあり方が見えてこないことだ。1929年恐慌時には、自由主義は財政出動による有効需要創出のケインズ主義に取って代わられた。しかし、今は、世界的な協調による財政出動でも経済は停滞したままだ。逆にそれが財政破綻と通貨・金融体制の危機を増幅している。そうした中、新しい政治と経済を新自由主義に託すしかないという状況が生まれている。
だが、新自由主義横行の所以はそれだけではない。重要なのは、その根底に米国による後押しがあることだ。今、米国によって押しつけられてきているTPPなどもその一つだ。これは単なる通商協定ではない。関税の例外なき撤廃を要求するこの協定は、日本のあり方そのものの新自由主義化を要求するものだ。「TPP参加で復興を」と震災復興を自由化、新自由主義化に結びつけようとする戦略国際問題研究所(CSIS)主宰の有識者会議「復興と未来のための日米パートナーシップ」の提言などはその一環だと言えるだろう。
新しい政治、新しい日本のあり方が見えてこないまま、米国主導で推し進められる日本の政治、経済の新自由主義化、これこそが今現在の日本の現実だと言うことができる。
■見直されなければならないのは何か
今、転換が求められているのは、日本型集団主義、平等主義なのか。そこに、「失われた10年」「20年」、日本の衰退・没落の原因があるのか。
そうでないのは、日本と酷似する状況に陥っている米国の経済停滞が「日本化」と言われているのを見ても分かる。それは、米国経済が日本型集団主義化したというのでは、もちろん、なく、日本で現れた新自由主義化、グローバル化の矛盾が米国でも露呈してきているということだ。
今日、新自由主義改革を主張する人々に共通しているのは、今の日本停滞の原因をこの30年間行われてきた自由化、グローバル化の現実に求める姿勢が全くないことだ。彼らは、官僚主導が生み出す矛盾をあれほど声高に問題にしながら、戦後日本政治の基本であり続けてきた対米従属とその矛盾については一言も触れようとしない。
もちろん、日本の官僚機構、官僚主導に問題があるのは事実だろう。日本型集団主義の矛盾もその通りだと思う。しかし、そこに事の本質があるのではないこともはっきりしている。
問われているのは現実から出発することだ。対米従属、自由化、グローバル化という日本の現実から出発することこそが問われていると思う。
日本政治の対米従属と自由化、グローバル化から出発するとき、重要なのは、それがなぜ今日の惨状を生み出したのか、その原因を探し出すことだ。なぜなら、真の改革、真に新しい政治はそこからのみ出てくるからだ。
戦後の対米従属は、アジア覇権を狙う米国とその下での覇権を選択した日本支配層の合意に基づいている。朝鮮戦争、ベトナム戦争をはじめ、アジア覇権をめぐる日米の共同行動はそのことを端的に示している。
日本の自由化、グローバル化は、この従属的覇権構造の産物だ。ベトナム戦争での敗北、ドル危機などで大きく後退した米国の世界覇権戦略が1970年代後半、自由化、グローバル化による巻き返しに転じたのにともなっている。
この路線転換によって、新自由主義、新保守主義、グローバリズムを旗印に冷戦が終結され、米一極支配が実現した。しかし、その命は短かった。うち続く経済通貨危機とイラク、アフガン反テロ戦争の破綻、リーマン・ショックなど、米一極支配はもろくも崩壊した。今日、日本の惨状はこの脈絡の中でこそとらえられねばならない。
「惨状」の原因を見る上で重要なのは、自由化、グローバル化による米国覇権の際立った特徴だ。それは、国と民族の否定にある。もともと覇権とは、国と民族の主権、自主権の否定だと言うことができる。新自由主義、新保守主義、グローバリズムによる覇権は、主権、自主権の基である国と民族そのものまで否定するに至った。
この究極の覇権の論理は何を産み出したか。それは、宣戦布告なき反テロ戦争という覇権国家による制裁戦争であり、世界経済を単位とする国民経済の否定だった。国の上の国、米国による国と民族を無視した制裁戦争は、国と民族の生死をかけた反抗の前に立ち往生しており、人々の生活単位である国と民族に根ざした国民経済の否定は、経済そのものの甚だしい不均衡と空洞化、市場の縮小、経済停滞と投機化を生み出している。
軍事や経済だけではない。国と民族、社会と集団を否定し、人間の徹底した個人化を推奨する新自由主義は、人々を弱肉強食の競争と極少数勝ち組と圧倒的多数負け組への分裂、対立に駆り立て、日本社会の惨状を一層甚だしいものにしている。
見直されなければならないのは何か。それは、日本の惨状の根因となっている究極の覇権の論理であり、覇権そのものに他ならない。
■真の改革、真に新しい政治を求めて
日本の改革、新しい政治が日本の新自由主義化になってはならない。それは、歴史の進歩ではなく反動だ。
では、国民が要求する真の改革、真に新しい政治はどうあるべきか。この切実な問題を解く鍵も、やはり現実から出発することにあると思う。
現実から出発するというとき、今、何よりも重要なのは、時代を正しくとらえることだ。すなわち、帝国主義、覇権の時代自体が終わったという認識だ。究極の覇権の論理の破綻、その破綻した論理にしがみつくしかない現実自体が覇権の時代そのものの終焉を告げている。
現実から出発する上で重要なのは、また、国民の意思と要求から出発することだ。国の現実とは、政財界の動向でも、知識層、著名人たちの意向でもない。絶対多数国民大衆の意思と要求こそその国の現実だと言うことができる。新しい政治は、古い既成の社会や既得権などにとらわれず、今日の惨状に胸を痛め新しい政治を求める国民大衆の愛国愛民の思いからこそ生まれてくる。それは、被災民を思い、新しい日本の創造を願う震災復興への意思であり、脱原発、エネルギー政策の転換を求める要求であり、地域と産業、企業の全面的発展と国民経済の活性化、そしてアジアや世界との活発な交流を求める経済への素朴な願い、等々限りがない。この豊かな国民的思いの中にこそ、新しい政治の路線も政策も隠されている。
覇権から脱覇権へ、時代転換の要求は、自由化、グローバル化が生み出した現実を拒否する絶対多数国民大衆の意思と要求に結びついている。国と民族、社会と集団を大切にし、その主権、自主権を尊重する意志、競争よりも協調を重視し、支配と隷属を排し自主を求める志向、等々、真の改革、真に新しい政治への展望は、時代の進展と国民大衆の意識の高まりの中で、大きく開けてきているのではないだろうか。
研究
脚本家の倉本聰さんが朝日新聞(昨年12月6日)のオピニオン欄の「北の国からTPPを考える」という記事でTPP反対論を展開していた。
倉本さんは、その結論部分で「TPPって、危機に陥っているユーロ圏とどこか似ていませんか。最近の混乱は、通貨の統一と同時に、思想も民族性も一つにできると錯覚したところに問題があったと思うんですよ。ブータンはブータンで認めて、日本は日本の生き方を認めて、その上で互いに助け合う。それがこれからの英知なのではないですか。そういう気が僕はするんだけど。まちがっていますかね」と述べている。
「思想も民族性も一つにできるという錯覚」。世界を市場原理主義で一色化しようとした新自由主義思想や国・民族を否定するグローバリズムは錯覚であり、その誤りを正すものとして、「ブータンはブータンで認めて、日本は日本の生き方を認めて、その上で互いに助け合う」という倉本さんの提起。これを考えてみたい。
■まず自分自身の生き方を認めてこそ
倉本さんの問題提起に対し、この項の小題目を朝日新聞の編集者は「思想も民族性も一つにはならぬ 違いを認める英知を」と付けている。それで通じる気もするし、倉本さんも、そういう意味で使っているのかもしれない。しかし、「日本は日本の生き方を認めて」という考え方には何かもっと深いものがあるような気がする。
「日本は日本の生き方を認めて」というのは奇妙な表現だが、それは、倉本さんが、それが出来ない事態が起きつつあるということを感じるからだろう。事実TPPは、日本が日本の生き方をするのを認めないというものだ。「例外なき関税撤廃」、「米国基準のスタンダード化」は、日本が主食のコメを保護するのも、BSE牛肉での検査基準や遺伝子操作作物の制限基準、地震国日本に合わせた耐震設計基準なども認めないとなる。国際入札での英語表記の義務化など、笑い話し的ではあるが、日本語を使うことさえ「非関税障壁」にされかねない。その米国の要求に追随する日本人勢力の存在。実にTPPは、日本が日本の生き方を認めないというものになっているのだ。
その上で、「日本は日本の生き方を認める」という意味をさらに深く考える必要がある。
各国が互いに助け合っていく重要性が増す中で、「違いを認める」ということがよく言われる。しかし、それが中々できないのも事実だ。「違いを認める」というのは、単に違いを分かるというだけではダメなのだろう。本当に「違いを認める」というのは、違いをもって相手をけなしたり下に見たり、その反対に、違いをもって相手を崇め卑屈になることではないと思う。
そうであれば、本当に「違いを認める」ためには、まず、自身自身が確固とした自分の生き方をもたなければならない。誇りと自信ある自分自身の生き方がなければ、違いの前で尊大になったり、卑屈になってしまい、相手を理解し尊重することはできないと思う。
まさに、「日本は日本の生き方を認めて」というのは、「違いを認める」上での前提なのだと思う。
「日本は日本の生き方を認めて」というのは、日本は日本としての生き方があるのであり、その大切さを自身が認め、それに誇りと自信をもつべきだということだ。そして、自身がそうであってこそ、他の国々の生き方、「ブータンはブータン」としての生き方を理解し認め尊重することができるようになるのではないだろうか。
■現実の農業経験から
倉本さんの問題提起は、自身の農業体験によって導き出されたものだ。そこからTPPは「土を知らない農業を知らない東京目線の考え方」ではないかと感じ、「でも日本の農業は明らかに違う。土着なんです。天候が悪くて不作の年は天運だと受け止め、歯をくいしばって細い作物で生きていく。それが農業の本来の姿です」と指摘する。
土着とは、その土地に定着して暮らす人々とその文化、生活スタイルだと言える。農業は、その土地に定着している。痩せた土地、火山灰地、山間僻地でも、その土地に合わせてやっていくしかない。逆にその特性を生かせば、より大きな利益、効果をあげることもできる。実際、日本の農業は、地域の特性に合わせた各地の特産物を生んできたし、それが日本の文化と暮らしを如何に豊かにしてきたことか。
それは決して農業だけではない。繊維、陶磁器、工芸品でも土着の地方特産物があり、その伝統が地場産業の発展と強さに結びついている。それは産業だけでなく、文化、社会システムにも及んでいる。世界が注目するマンガや日本園芸、風呂文化などクールジャパンも日本土着的だし、世界的にみれば、日本自体が土着である。
倉本さんが自身の経験から、土着を無視しては日本の農業は成り立たないと言うとき、それは単に農業にとどまらず、日本という土着の国土、文化、社会システムを無視しては、日本が成り立たないということにまで到る思いがあると思う。
すなわち、「日本は日本の生き方を認めて」というのは、日本が長い歴史的過程で形成された日本式の生き方を生かし誇りと自信をもって「日本式に生きていこう」という問題提起だと受け取るべきだと思うのである。
■日本式に生きる上で
日本が日本式に生きていく上で重要なのは、やはり主権である。
国家主権は、その国の国民が自主的に運命を切り開いていく運命決定権である。それを否定しては、国民が自己の運命の主人になることはできず、各国が各国式に生きていくこともできない。
倉本さんの意見がオピニオン欄で紹介された同じ日付の朝日新聞にユーロ危機について、反新自由主義・反グローバリズムの論陣を張るエマニュエル・トッド氏(仏国立人口統計学研究所所員)のインタビュー記事が載っていた。そこで13年前のインタビューでユーロ危機を予言するような、次のような見解が紹介されていた。
「通貨統合の前提には欧州各国は次第に同じ社会になるという仮説があるが、各社会の行動様式は違う。・・・予算は国ごとに大きく異なり、通貨政策だけ同じにするのはむちゃだ。2005年にはユーロはなくなっている」というものである。
すなわちトッド氏は、各国はそれぞれ独自の行動様式をもつものであり、政策もそれに合わせて立てられ、財政政策も違ってくる。それなのに通貨だけ統一するというのは矛盾しておりむちゃだということだ。この矛盾をついてユーロ危機をはじけさせたのは米国であるが・・・。
今、フランスとドイツなどが、ユーロ圏の統一的な財政政府を作る案を提案している。しかし、それはドイツ、フランスなどの強国が上位に君臨し他の国々は財政主権を失い隷属状態に置かれるものになる。それを受け入れる国はないだろう。にっちもさっちもいかない状態の中で、見ておかなくてはならないことは、それを生んだのは、米国流の新自由主義とグローバリズムということだ。
ユーロ圏の混乱は、各国が各国式に生きていこうとすれば何よりも主権を守っていかなければならないということを教えている。
■反覇権の流れの中で
倉本さんの意見が載った翌日の12月7日、WTOが議長声明で「近い将来妥結する可能性は少ない」と発表し、事実上交渉を放棄したという記事があった。戦争直後からITO,GATT,WTOと連綿として続けられた米国主導の世界の自由貿易化の挫折。それは、米国覇権の終末を今一度見せつけている。
米国覇権のための新自由主義、グローバリズムは破綻した。それはもう通用しないだけでなく、それにしがみついていては、ユーロ危機のようにさらなる危機に苛まれるだけだ。
今問われていることは、「各国式の生き方」を認めない覇権的生き方の見直しである。
倉本さんの問題意識も、そこから出ているのではないかと思う。新自由主義、グローバリズムが破綻した今、各国が自分の国の生き方を認め確定しながら、その上で他国と助け合う道にこそ、大きな可能性がある。
脱原発の新エネルギー体制の構築。農業のムラ的性格を現代に生かした地域の新たな協力と助け合いの構築。クール・ジャパン的な日本の文化土壌に根ざした新製品開発やシステムの構築。やるべきことは無尽蔵にある。その上で、東アジアの諸国と助け合っていく、その潜在力は巨大である。
そのためにも日本は、主権を立て日本の生き方を認める生き方をすべきであり、そのことで、東アジア諸国の生き方も認め尊重できるようにならなければならないと思う。
インタビュー 関西非正規労組「ユニオンぼちぼち」委員長南 守さん
昨年の暮れに大阪で反原発の集会があり、そのときの若い人のアピールがすごく良かった。後で話を聞くと「ユニオンぼちぼち」のメンバーだという。関西非正規労働組合「ユニオンぼちぼち」は、2005年11月に結成された若者のユニオンだ。雇用環境が悪化する中で、「市場主義・競争社会に代わる新たな価値観と関係性の創造」を掲げる。「ユニオンぼちぼち」とはどのような人たちが作り、どのような活動を行っているのか。委員長の南さんに話を聞いた。
* * *
―非正規ユニオンを立ち上げられたのは、一般のユニオンからこぼれ落ちた非正規労働者の受け皿として出発されたと思うのですが、結成された経緯をお聞きかせ下さい。
結成したのは2005年ですが、結成前の一年半から2年くらいは準備会をやっていました。遡ると2003年、イラク反戦の時期です。それまであまり運動していなかった若い人たちが運動に参加するようになって、同時期に東京のフリーター全般労組やフリーターユニオン福岡などが立ち上がっているんですが、どこもイラク戦争に反対する運動時期からなんです。
当時はまだ小泉政権で、真っ先にアメリカの侵略戦争を支持して、一方国内では勝ち組は正義で負け組みは自己責任という言説がまかり通っていた時期でしたが、そのような中でイラク戦争に反対してデモ行進する若い人たちとデモが終わったら交流とかしますね。そういう場所で話をしていると、みんな非正規雇用、派遣雇用とかで、イラクのことが主題のデモ行進だけども、自分の生活を振り返ったときに、すごく搾取されているし不安定だし、日々しんどいという状況におかれている。そういう構造的なことがあって、これは問題だろうというのが一つあったんです。
もう一つは、イラク戦争の反戦運動が一年でくしゅんとなってしまう。僕個人はそれ以前から反戦運動とかやっていたんですが、前に比べたらすごい人が来た。それが一年でくしゅんとなって、事が起きるたびに最初だけわーとなるだけでは駄目だなと、日常の生活に根ざした運動をきちんと作らないといけない。それだったら課題は労働運動だろうということで相談を始めたんです。
―労組は一杯ありますよね。それとは別個に作るというのは自分たち独自の色合いのユニオンを作りたいというのがあったんですか。
準備会の当初の議論がいくつかあったんですよ。一つが事務所を間借りさせてもらっていますが、「きょうとユニオン」に入って青年部を作ろうという。それから労働組合という形にはこだわらないでみんなが集まれる場所を作ろうという意見があって、それで喧々諤々に議論したんです。実際に形としても労働の現実を語り合おうみたいなことをちょくちょくやっていて、最初から独自の労組を作ろうという話ではなかったんです。
―いま組合員は137名と聞いていますが、最初思ったときと比べて予想どうでしたか。
専従を置こうと思ったら全然足りないでしょうが、ずいぶん増えたなという印象はありますね。急に増えたのはリーマンショックですね。うちの組合だけではなくて、全国的にコミュニティ・ユニオンは爆発的に増えてましたけど、どこでも倍増って聞きますね。
―「ユニオンぼちぼち」という名称がなんとも独特で面白いですね。
ぶっちゃげた話をすると、結構適当に決ったところがあって、肩を怒らして闘争勝利というような運動はできないよなということで、だらだらやっているけど、確実に物事を進めましょうというような意味で「ぼちぼち」となっていると思うんですけど。
―その「緩い」ところが他のユニオンなら行かない人でも「ぼちぼち」なら行くみたいなことはありませんか。
うちの組合でないといられないなあという人はいますけれども、いまはどこの組合でもそういう人は増えてきていますから。現実にうつ病者が万を超えましたから。居場所がない人たちは集まってくると思いますね。
―非正規労働者の「居場所を作る」、そこらの難しさというのはどうですか。
難しさはありますね。実際みんな期待されて来るんですが居場所というのはみんなでつくるものでしょ。だけど居場所がなくてしんどいと言う人は居場所を自分で作る力も奪われていますから、なかなか上手くいかなくって居つけない人もいるし、そういう矛盾はいっぱいありますよ。
―具体的には何をされているんですか。
基本的には執行委員会の会議って、普通は執行委員以外は排除しますよね。うちは基本的には「組合員であれば自由に来ていいよ」と、それとは別に月一回、みんなで話をしながらご飯を食べる会をやっています。そういう場所で定着してくれている人もいます。
―普通のユニオンだったら企業内ということで普段からお互いに顔を合わせる機会もありますが、そういう意味で飲んで食べてという機会を作らないといけない。
ただみんながみんな来るわけじゃない。本人が来るということが出来ない人は、難しいですよね。専従を置いている組合であれば、心配な人に電話したり訪問したりできれば良いでしょうが、そこまでも力量はないですから。連絡が取れなくなる人はいます。
―非正規の労働者の「現実」を通して見える非正規労働者の世界とはどのようなものですか。
労働者の世界というと語弊がある気がするんですね。組合に定着してくれる多くの人は労働者から脱落した人が多くて、もう働けませんという人が結構いるんですね。本当に雇用が脆弱になって、世の中に余裕がなくなっている。もう少し我慢して頑張ればという人がいますが、頑張るにはあまりにも心の余裕がなくなっている。うちの組合に来ている人たちは自信を失っている人たちが多いんですよ。
頑張るにはね、頑張ったら何か良い事があるという自信がないといけないんですが、でもこれまで頑張っても良いことがなかった、だから頑張れない。その上、社会に余裕がなくなっているから、自信がない人に叱責する。そんなに酷い叱責でなくても自信がないからダメージを受けやすいということもあるし、上司に当たる人たちも余裕がなくなっていて、人に対する配慮が足りないことも多い。両方の現象で職場で残れるというのが難しい。構造的には非正規雇用ですから、会社が人間扱いしないんです。部品の一部として扱う。この先20年付き合う人に対するのと、3ヵ月後に契約が切れる人間と自ずと扱いが変わってくると思うんですよ。
―単純に職場の雇用関係だけじゃなくて、心の問題とか労組としてはどのように対応しているんですか。ある意味で解決しようがない部分がある。
実際、解決しようがないですね。話を聞いてあげる、可能なら居場所になってあげることは出来ますが、これも両方の関係なので、僕らもいろんな人を入れようと努力はしますが、出した手をつかめるかどうかで分かれます。なるだけ掴みやすいように手を出す努力はしますが、最終的に手を掴むのは相手なので、手を掴む力も失った人たちは助けようがない。実際にそういう人は多い。
最低限の団体交渉はやって、なんぼかお金を取ったり、生活保護を取ったり、そういう支援はしますけど、それだけでは解決しない。職場組合と違うところは、現実を共有していないですから、一から丁寧にやっていかないといけない。一方で丁寧にやるためには力量が必用ですが、その力量をつける自力もそんなにないですから。
―労働者の生活を丸ごと引き受ける大変な仕事だと思いますが、あえてそんな難しい生活に飛び込んだ、南さんの問題意識というのは。
何種類かあると思いますが、一番根本的なところは、これが一番楽な生き方なんですね。身体はしんどいし精神的にもきついですが、単純に大構造として僕たちって金もあるわけではないし、権力があるわけでもないし、仲間と繋がるしか生き延びる手段はないわけです。その点で言うと、こうやってみんなで幸せになれる方法でのた打ち回る方が、自分ひとり生き延びるために権力とカネを目指してのた打ち回るよりはよりはずっと楽だという意識はありますよね。
―活動の中で多くの仲間ができて苦しみや悩みを共有しながら生きていく、それがユニオンをやっていく喜び、自分の支えなのでしょうか。
しんどい事も一杯ありますけどね。準備会やっている時に、目標を二つ置いたんです。自分達が生き延びること、自分達なんですよね、貴方達ではない。二つ目が世界を変えること。世界を変えるのは簡単にはできないですし、そのために一歩づつ進めるのは大事ですが、とりあえず生き延びる場所をつくろうというのが2003年当時の僕の問題意識で、人を助けてどうこうというよりも、こういう活動をすること自体、自分が助かるということがないと持たないなと思ったんです。それが自分ひとりの満足で終わるのではなくて、それで少しは楽になる人がいれば言うことは無いと。
―非正規の組合が交渉に行って会社は相手にしてくれるものなんですか。
ほとんどの場合は門前払いを喰らうんです。本当は力関係で突破しなくちゃいけないですけれど、現状は法律に守ってもらっている状態ですよね。警察とか呼ばれますけれど、民事不介入になりますから。警察官が一通り話を聞いてその後に交渉する。
―会社が相手をしない場合は実力行使を行うんですか。
やります。抗議行動ですよね。トランジスタメガホンをもって店の前で騒ぐんです。営業妨害にはならないですから。戦術としては色々ありますよ。ただいつも出来るわけではない。本人が嫌だというときもありますから。
―組合を立ち上げたときの構想と現実とのギャップはありましたか。
思ったよりも生きる事がしんどい仲間が多いと思いましたね。始めたときは非正規とか雇用の安定とか経済的な安定の問題を考えていたんですが、思った以上に精神的な安定が問題になってくるなと、根底には経済的な安定の問題があると思うんですが、経済の安定よりも本人の意識は不安とかですから、それが結構深刻だなあと思いましたね。実際業務もそれに忙殺されることが多いです。単に経済的問題を解決するだけでは問題は解決しないという構造があります。
―社会における労組の役割についてどう思われますか。
もうちょっと構造的な問題を顕在化する意味で労働組合が労働者に労働者意識を持たすという役割を果たさなあかんという気はします。現実の活動は一足飛びにはそのようにならない。結束のときは小泉政権下でしたので敵はあいつらだと、あいつらとあいつらを操ってる後ろの連中だということは一貫して思っていたし、それを意識するという事と現実の活動はそう簡単には結びつかない。まずは自分を苛めた雇い主や上司と戦うということら始めないといけない。そういった状況からスタートですから、賽の河原の石積みはやらないといけないという話です。
―最後になりますが、政治も経済も社会も出口が見えない日本のこの現状をどのように思われていますか。
絶望的な状況ではあるんですが、しかし絶望的な状況であるという事を多くの人が自覚できるようになった。96年当時も同じ状況はあったと思うんです。でもその頃は相手にされなかった。今でも新自由主義者や保守反動は行儀悪くやっていますけれども、行儀悪くやらないといけないところまで状況はきている。
そういう意味ではここは頑張りどこだと思っています。15年くらい前は聞いてくれなかった人が聞いてくれる状況があるわけだから、そこには声を届けないといけない。そこで声を届けないで向こうに持って行かれたらもっと絶望的な状況になってしまう。その意味で絶望の中に希望はあると思っています。みんな追い詰められている状況だからようやく話をきいてくれる状況になってきている。
―そこらへんに今後の展望があると
そこにしかないだろうなと。
―そういう意味では若い人の意識はそうとう変わってきている。
それは変わったと思います。昔だったら鼻で笑っていた連中が真剣に話を聞くようになったし、昔だったら接触できなかった人たちが僕たちのところに助けを求めてくるようになった。それは決定的に変わってきたと思いますよ。
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