研究誌 「アジア新時代と日本」

第102号 2011/12/5



■ ■ 目 次 ■ ■

編集部より

主張 「米中どちらの覇権につくのか」は正しいのか?

研究 橋下・維新の会の圧勝にどう対するか

視点 新自由主義的復興論を批判する

国際短信




 

編集部より

小川淳


 11月2日、米国とカナダを除く33カ国首脳は、ベネズエラの首都カラカスに集まり、「中南米カリブ海諸国共同体」(CELAC)の発足を宣言した。これで中南米共同体が正式に発足したことになる。
 米州には現在、米国とカナダを含む35カ国で構成する米州機構(OSA)がある。冷戦が終わり、その勝利者となった米国は世界の一極支配をめざす中で、中南米全域を含む自由貿易圏の創設を進め、1994年、第1回米州首脳会議にはキューバを除く米州34カ国が参加した。しかし、全工業製品の関税撤廃を主張する米国と、農業補助金の解決を優先した南米諸国が対立し、05年以降、OSAは事実上破綻した。一方、キューバを含む33カ国は米国抜きの中南米共同体を立ち上げ、逆に封じ込められたのが米国という眞逆の構図が作られてしまった。
 一方、アジアでは、東アジア共同体構想があり、東アジア(ASEAN+日中韓)が政治、経済、安全保障などで連携し、東アジア地域の共存と繁栄をめざしつつある。民主党もマニフェスト(政権公約)に支持を明記している。
 これに対抗する形で米国が提唱しているのがTPPだ。太平洋周辺の国々で、ヒト、モノ、サービス、カネの移動を自由化しようというもので、09年11月にオバマ大統領が突如参加の意向を表明したことから新たな自由貿易枠組みとして注目された。
 東アジア共同体とTPP。同じFTA(自由貿易圏構想)でもその理念はまるで異なる。
 東アジア共同体は、諸国間の互恵と内政不干渉、武力行使の放棄、紛争の平和的解決などを原則とする。一方のTPPは、例外なき関税撤廃をうたい、各国の貿易障壁を一掃することを目的とし、市場原理による競争を唯一の理念とする。
 言い換えるなら、互恵かそれとも競争か、東アジア諸国の「共同体」なのか、それとも国家(関税)なき「市場」なのかの違いだ。
 EUからも、裏庭の中南米からも見放され、そして今や中東からも撤退を余儀なくされている米国の「奇策」、それがTPPだ。昇竜のアジアに背を向け、落日の米国と手を結ぶという野田政権。対米従属の「愚策」をこれ以上繰り返してならない。



主張

「米中どちらの覇権につくのか」は正しいのか?

編集部


 野田首相が11月に米国ハワイで開かれたAPEC首脳会議でTPP(環太平洋経済連携協定)への交渉参加を表明したことで、TPP問題はよりシビアに提起されるようになった。ここで考えなければならないのは、TPP参加の是非を巡って、米国覇権につくのか、それとも中国覇権につくのかという形で問題が提起されていることである。
 佐藤優氏なども、そういう問題提起をしながら、日本は中国覇権を牽制するために日米同盟を深化させTPPに参加すべきだと主張している。国策捜査の犠牲者であり反米感情を隠さなかった氏までが、そのように考える根拠は何なのか、それが正しいのか、を考えながら日本の進むべき道を考えてみたい。

■米国覇権か中国覇権か、という論調
 米国が覇権国家としての地位を凋落させ、中国が台頭する今日、日本では、国際政治の様々な問題を米中間の覇権抗争と関連させて見るようになっている。
 11月のAPEC会議で焦点となったTPPについても、日本の新聞は「日本を巡る米中の駆け引き」などと言い、TPPを米中覇権抗争の中で見ようとし、互いに日本を自分の方に引き込もうとしているのだと描く。
 その後18日からインドネシアのバリ島ヌサドゥアで行われた第6回東アジア首脳者会議(東アジアサミット)でも、「米中、アジア争奪戦」などという題目を立て、「ASEAN諸国を巡って米中が取り込みにしのぎを削っている」というような分析が行われていた。
 そして南シナ海をめぐっても「南シナ海 米中強く牽制」などと米中の応酬は大きく扱いながらも、ASEAN諸国が紛争の平和的解決のために主体的に提起してきた「行動規範」作りを中国、ASEAN諸国がその実施を早めることに合意したことなどの扱いは小さい。
 朝鮮半島情勢についても、朝鮮半島を巡る米中の覇権抗争として見ており、あたかも朝鮮がその狭間で双方に秋波を送っているかのように分析して見せたり、肝心の当事者である朝鮮の主体的な動きを見ようとせず、朝鮮の意思とは無関係に米国と中国の思惑で半島情勢が動いているかのように描いている。
 すなわち、アジアは米中の覇権抗争の場であり、そこでの主役は米中であり、その動向によってアジア情勢が動いており、その米中の覇権競争の中でアジアの国々が脇役のごとく動かされ翻弄されているかのように描いているということだ。そして、その脈絡の中で、日本もどちらにつくのかが問われているかのように描いて見せている。

■決定的なのは時代認識だ
 米国覇権につくべきか、中国覇権につくべきかと問題設定される根拠は何なのか。
 それは現時代をどう見るのかということと関連するのではないだろうか。佐藤優氏の場合、現時代は「新帝国主義の時代」だと言っている。そこから氏は、現在進行中の地域共同体構想は、第二次世界大戦前に帝国主義列強が経済ブロックを形成して保護貿易に走った、その再現だと見る。すなわち新帝国主義の時代とは、大国が如何に自己のブロックを拡大するかという覇権抗争が新たに始まったということである。
 そして、アジアでは、米国主導のTPPとそれに対抗して中国がASEAN諸国を取り込む経済ブロックの形成を狙うという形で覇権抗争が展開していると見る。
 時代をそのように見るが故に、TPPを巡る問題も、米国覇権につくのか、中国覇権につくのかということが核心的な問題として提起されるというわけである。
 しかし、そういう時代認識は正しいのだろうか。
 ASEAN諸国は、東アジアサミット会議の前日、バリ島で首脳会議を開きASEAN+6の「広域自由貿易圏」づくりを進めることで合意した。それは米国主導のTPPに対抗するためだと新聞は伝える。
 東アジア共同体構想は、ASEAN諸国が主体になっており、大国中心の経済ブロックではない。彼らは、参加資格として、いかなる大国のブロックにも属さず、各国の主権を尊重しながら協力して平和と繁栄を追求するという1956年のアジア・アフリカ会議で採択されたバンドン精神を引き継いだTAC(東南アジア友好協力条約)への加入を義務付けている。
 ASEAN諸国が進める東アジア共同体構想は、理念そのものが脱覇権自主であり、その目的、方法も脱覇権自主の地域共同体だということだ。そして米国がアジアにおける覇権的TPPを提起してくるや、これへの対抗措置を取り、ASEANとして一つにまとまり、その共同体への参加を促すという実に主体的なやり方で、米国覇権に反対しているのだ。
 数年前まででもASEAN諸国が米国の政策に実効的な対抗措置を取るなど考えられなかったのではないだろうか。しかし今、ASEAN諸国は、それをやっている。このことをもってしても、覇権の時代は崩れ去り、脱覇権の新しい時代が始まっていると見るべきなのではないのだろうか。そして、それはアジアだけではない。ラテンアメリカでもアフリカでも起きているのであり、その流れはもはや如何なる大国も無視することはできない時代の流れになっている。
 覇権の時代は終わり、脱覇権の新しい時代が始まっている。時代をこのように見るならば、米国覇権につくのか中国覇権につくのかという問題提起自体が如何に根拠のないものであり、その論争が如何に無意味で不毛なものかが分かるのではないだろうか。

■ダイナミズムは脱覇権にこそある
 脱覇権の時代にあって、日本は、旧来通りの米国覇権にしがみつく生き方を続けるのか、それとも新しい脱覇権の道に踏み出すのかということが切実に問われている。
 脱覇権の道は、「失われた10年、20年」という沈滞した日本を真に活力ある日本に再生する上でも切実なものになっていると思う。
 TPP賛成論も、この活力(ダイナミズム)をその根拠の一つにする。これで1900兆円の大経済圏が出現するとか、これで「アジアの活力」を取り込むとか。
 しかし、米国が仕掛けてきたTPPとは、「アメリカの日本化」と言われるほどに沈滞した米国が各国の門戸をさらに開放させて米国金融、米国企業の利益増大をはかろうという新自由主義の徹底に他ならない。その新自由主義がリーマンショック以来の金融危機を招来したのであれば、その徹底はさらに深刻な金融危機をもたらすのが落ちである。
 それに対し脱覇権の地域共同体は、ダイナミズムに満ちている。
 ASEAN諸国は、2015年までにASEAN共同体を作ろうとしているが、すでに域内で相互の自主性を尊重しながら協力する方式で域内での内需を拡大し域内交易が6割にも達する循環型経済を発展させていっており、まさに「世界の成長センター・アジア」の一角を担い「アジアの活力」を体現している。
 そして、こうした脱覇権の地域共同体はアジアだけでなく、ラテンアメリカ、アフリカなど多くの地域で作られていっており、それらは互いに連携を強めている。
 ASEAN諸国がTPPに対抗して、ASEAN共同体を核にして、ここに他のアジア諸国を参加させるという主体的な方針を打ち出したように、そこには新しい道を切り開く者の息吹がある。この主体的で自主的な息吹の中でこそ創意性が発揮され、新しいイノベーション(技術革新)も生まれてくる。
 日本は、「アジアの活力を取り込む」などという、まるでアジアの成果を掠め取るかのようなことを考えるのではなく、この新しい東アジアの脱覇権の地域共同体に積極的に参加し、地域と共に発展することによって自らの活力を高めるべきなのである。
 米中どちらの覇権につくのか、などと悩む必要などない。問われているのは、脱覇権の道に進む決断をするのかどうかということであり、アジアはそれを期待しながら注視している。
 「米中どちらの覇権につくのか」という問題設定自体が脱覇権時代に抗う者たちの悪あがきであり、恣意的なものであることを、この際、しっかりと見抜くことが肝要なのではないのだろうか。



研究

橋下・維新の会の圧勝にどう対するか

小西隆裕


 大阪ダブル選挙は、橋下・維新の会の圧勝に終わった。われわれは、これをどう評価し、どう対すべきなのか。それは、今後の日本の運命にも関わる問題だと思う。

■なぜ橋下・維新の会は勝ったのか
 橋下・維新の会の勝因については、すでに誰もが言っている。すなわち、大阪の府民、市民の圧倒的多数が「変化」を要求したからだ。
 今回の大阪市長、知事のダブル選挙は、「橋下・維新の会VS既成政党」という構図になった。それを嫌う既成政党の側が「独裁VS反独裁」の構図を描こうとしたが、選挙結果はその失敗を物語っている。
 なぜ失敗したのか。それは、大阪の多くの人々が独裁かどうかよりも、政治が新しいか古いかを問題にしたからだ。既成の古い政治への不満と怒り、それが新しい橋下・維新の会への期待になり、橋下氏が描く「維新の会VS既成政党」という構図が受け入れられたのだと思う。
 確かに、橋下・維新の会はそうした府民、市民の期待に応えるものを持っていた。大阪都構想や教育基本条例案、職員基本条例案など維新の会が掲げる政策には、これまでの古い大阪を変える新しいビジョンというか何かがあった。
 これに対し、既成政党の側は、橋下独裁・「ハシズム」、市場原理主義を危険視するだけだった。市長候補である平松氏は、橋下・維新の会に顕著な競争と対立の市場原理主義に対し、「分かち合い」「支え合い」の理念を説いたが、それを具現する政策的ビジョンに欠けていた。
 それに、選挙戦終盤に見せた橋下氏の卓越した大衆政治感覚だ。これが受けると見て強調した「平松さんのグレー一色がいいのか、大阪24区・24色がいいのか」などの呼びかけは、大阪都構想支持の人々の輪を確実に広げたことだろう。
 「彼らは今の大阪のままでいいと思っている」との維新の会の攻撃に、大阪を変えるビジョンを提起できなかった既成政党の敗北は余りにも当然だったと言えるだろう。

■橋下・維新の会の圧勝は何をもたらすか
 大阪ダブル選挙を橋下・維新の会が圧倒的に制した今、問題は、この圧勝が大阪市民や府民だけでなく日本国民全体に何をもたらすかだ。
 ダブル選挙期間中、橋下氏は、「大阪のかたちを変えることは日本のかたちを変える」ことになると言いながら、「大阪市民には、日本を変えるため、(その先頭を切る)責任がある」とまで言い、大阪市民の自負心に訴えていた。
 これは単なる大言壮語ではないだろう。橋下氏の頭の中には、大阪維新の会の国政への進出と地方自治法の改正、それにともなう大阪都構想の実現と今動き出している地域主権・地方行政組織再編への流れの促進、ひいては道州制の導入と、大阪とともに日本のかたちを変える絵が描かれているに違いない。
 この大阪主導の日本のかたちの改変は、行政組織の再編や道州制導入にとどまらない。すでに大阪維新の会から出されている教育基本条例案や職員基本条例案に見られるように、国と地方のあらゆる領域にまで及んでくると見られる。
 そこで問題はその改変の中身だ。それについては、これまで多くの批判がなされてきた。「ハシズム」という造語に表現されるそれら批判は、的を射ていると思う。
 「教育委員は公選ではなく、首長によって任命される」「首長が学校の目標を定め、責務を果たさない教育委員は議会の同意を得て罷免できる」「同じ職務命令違反を3回くり返した教員は免職とし、・・・」等々、教育基本条例案は、同じく橋下府政が成立させた「君が代起立条例」などと相まって、管理と統制の思想で貫かれている。さらに、この条例案では、権利を主張、行使するのではなく、義務を遵守して服従することが重んじられており、そこには「モノを言わない国民づくり」「指示通りに動く人間づくり」の思想が隠されている。一方、この条例案には、「府独自の学力テストの成績を市町村別にとどまらず、学校別も公表する」など、教育現場への市場原理主義の導入が顕著である。競争と自己責任を教育の基本理念とするこの条例案の前文の最後は、「大阪府の教育は、常に世界の動向を注視しつつ、激化する国際競争に対応できるものでなければならない」と締めくくられている。国際競争が強まる中、教育の目的は競争に勝つこと、競争に勝てる人材を育成することにあるということだ。
 この教育基本条例案を見ていると、年功序列の排除と能力主義人事の導入や信賞必罰の人事評価、怠惰役人のリストラ基準などを定めた職員基本条例案と相まって、橋下氏が描く日本のかたちの改変がどういうものか、その輪郭が見えてくる。それは、多くの識者が言っているように、ぬるま湯的なもたれ合いの既得権など古い日本型集団主義をたたき、広く大衆的共感を呼び起こしながら打ち出されてくる、軍国主義であり市場原理主義だ。
 この橋下・維新の会の改革を見て、誰の目にも彷彿としてくるのは、小泉構造改革ではないだろうか。競争と自己責任を掲げ、既得権益者をたたいて圧倒的支持を集め、新自由主義、新保守主義改革を行うその手法と内容は瓜二つだ。
 橋下改革の運命はこの辺りから見えてくる。小泉改革、ひいては米国や南米などでの新自由主義改革が何をもたらしたか。それは、歴史がすでに証明した事実である。

■今、われわれに求められていること
 もちろん、橋下改革と小泉改革には相違点がある。前者に地域主権など、自主的側面があるのは事実だ。しかし、弱肉強食の競争と支配という覇権的本質では同じ穴の狢だ。大阪都構想の目標の一つに「大阪を世界に冠たる大都市につくり上げ、東アジアの競争に勝つ」ことが挙げられているのはその一つの現れだと思う。
 今日、覇権の時代は過ぎ去った。時代は、すべての国と民族が自主共存する脱覇権・ウィンウィンの時代への大転換期にある。もはや、覇権の政治は、この新しい時代的要求に応えることはできない。
 変化を求め、新しい政治を求めた大阪府民、市民の要求は橋下政治で満たされるのだろうか。満たされないどころか、全国民的範囲で計り知れない禍を被らされることになるのではないだろうか。それは、橋下政治が新しい政治どころか、競争と支配をこととする古い覇権政治の極致だと言えるからだ。
 今、求められているのは真に新しい政治だ。新しい政治を装う橋下・維新の会が圧勝できたのも、それに対抗する既成政党の側が真に新しい政治を提起できなかったからに他ならない。
 古い覇権の政治が弱肉強食の競争と支配を本質とするのに対し、真に新しい政治はどのようなものになるだろうか。それが、誰もが主人となって和合するウィンウィンの協調と自主を実現するものになるだろうことは比較的容易に推察することができる。主権尊重で共同する今日の国際関係や独裁政権打倒の中東など世界のうねり、そして、つながりや絆を大切にし、1%ではなく99%のための政治を要求する日本や欧米での気運の高まり、等々は、そのことを反映しているのではないだろうか。
 そこで重要なのは、このような理念の政策への具現であり、それを実現する主体の構築だ。「分かち合い、支え合う社会」を提起しながら、平松氏や既成政党の側にはそれがなかった。そこにこそ、決定的な敗因があったと言える。
 新しい時代的要求を反映した路線政策やそれを実現する主体は、大転換の時代の現実の闘いの中からのみ生まれてくる。今日それは、震災復興、脱原発の闘いやTPP、消費増税反対の闘い、そして橋下政治に反対する闘いなど、雨後の竹の子のように生まれてきている。それは、反格差など、欧米などで巻き起こる闘いとも一体だ。このネットでつながり、一人一人が主人となった新しい大衆反乱の時代に、問題の根本的な解決をめぐりわき起こってくる自主と協調の大議論、その中からのみ、時代の要請に応える理念・路線政策とそれを担う主体、すなわち真に新しい政治が生まれてくるに違いない。
 われわれ皆に問われているのは、主体的にこの闘いに参加し、闘いを通した新しい日本創造など、大議論に加わることだ。一人一人が日本国民の一員としての自覚と責任感を持ち、この時代と日本の要請に応えていくとき、はじめて真に新しい政治の創造はあり得る。橋下・維新の会の圧勝が生み出す憂慮すべき事態克服の道はそこにこそ広々と開けてくるのではないだろうか。


 
視点

新自由主義的復興論を批判する

小川淳


 野田政権は環太平洋経済連携協定(TPP)への参加を表明したが、もし現状のまま農産物を関税撤廃した場合、日本農業の壊滅的打撃は避けられず、野菜や畜産、果実などごく一部を除いて消滅すると言われている。だからこそTPPへの参加はしてはいけないのだが、米国の言うなりの野田政権にそれは期待できそうにない。日本農業をいかに建て直し、競争力を高めていくのか。政府が取りまとめた「わが国の食と農林漁業の再生のための基本方針・行動計画(案)」(10月20日)を軸に、日本の農業の現状と課題を考えてみたい。

■経団連の「復興・創生」プラン
 日本農業の現状はどうか。1965年と2005年を比較すると、耕地面積は600万haから469万haへ、総農家数はおよそ半減し、農業就業人口は3分の1になり、耕作放棄地は39万ha、農業従事者に占める65歳以上の割合は57.4%に達している。第二種兼業農家は32%から62%へ、コメの一人当たりの消費量は半減し、農家所得に占める農業所得の割合は49%から14.3%へ低下している。
 仕事として主に農業に従事している人は平均年齢が66歳を超え、昭和一ケタ世代が4分の1を占める。このままではあと数年で農家が大幅に減ってしまう。
 農家の耕地面積は平均で2・2ヘクタール。欧州連合の2割弱、米国の1%程度だ。一方で耕地放棄地は39万haに及ぶ。
 上記の「基本方針」でまず取り上げられたのが「ヒト」と「土地」の問題で、「持続可能な力強い農業の実現」のためには、1、新規就農を増やし、将来の日本農業を支える人材を確保する、2、平地で20〜30haの土地利用型農業を目指すとしている。
 農業改革についていち早く提言しているのが東日本大震災の後に提言された、経団連の「復興・創生」プランである。
 日本経団連のプランは、復興は単に元通りの姿に戻すことにとどまるべきではなく、モデルとなる力強い農林水産業を戦略的に創生していくことが肝要とし、復興すべき地域・拠点の認定をし、農林水産業の事業資産の権利調整ならびに事業主体の体制整備を行ない、もって農地を集積し大規模・先進的経営を実践すると述べている。
 要するに「力強い農業」をつくるために「復興すべき地域・拠点」とそうでない地域を分け、小さな農漁家には利用権や所有権の放棄を迫り、その受け皿として企業の参入を促す、というものにほかならない。

■高齢者農業・農地法犯人説
 財界や政府が大規模化や強い農業を叫ぶとき決まって持ち出すのが平均年齢65.8歳という日本農業高齢化の実態だ。だからあと10年で農業は成り立たなくなる、だから新しい血、たくましい企業に門戸を開かなければならない、それを妨げている農地法の改正=一般法人への農地所有権解禁が必要だという論法だ。
 高齢化のために農業は成り立たなくなる、という想定は正しいのだろうか。そもそも米農家に後継者がいないというのは外部からの思い込みに過ぎない。米では飯を食っていけないから会社に勤めることのできる間は「兼業」をやり、定年になったら年老いた親とバトンタッチして米作り(専業)に励む。高齢化の構造とは、なにも異常なことではなくて現実に合致したものなのであって、今後、ますます高齢化が進み、その結果、農業者が激減(消滅)するという想定は、こうした実態を見ようとしない者、あるいは、見ることのできない者が犯しやすい誤りであるという。(森島賢 農文協ブックレット1『TPP反対の大義』)。
 農地法が一般法人への農地所有権を閉ざしているから企業が参入できず耕作放棄地も増える―というのも現状を正しく反映していない。本当に農業をする気なら別に農地を所有しなくても借地で十分であり、借地なら農業生産法人方式でもいいし、農業法人の要件クリアが煩わしい、あるいは経営支配を確保したいというのなら、現在では株式会社がストレートに借りることもできるようになっている。耕作放棄地についても、そもそも農外企業が耕作放棄地に進出しないのは採算の見通しが立たないからであって、農地法が関所になっているからではない。

■下からの「むら」再生の息吹
 いま日本の農村は、財界などの言い分とは全く異なる次元から、地域の実情に応じた、いわば「下からの構造変革」を進めつつある。それは地域の中で、それぞれの家族構成や年齢、労働力条件に応じ、みんなが持ち味、持ち分を生かした"むらの共同""むらの知恵"としての「構造変革」なのだという。
 大妻女子大学教授の田代洋一氏によれば、グローバル化した時代には「担い手」は地域農業の担い手だけにとどまらない。専業農家、兼業農家だけでなく、水管理・畦草刈りならできる担い手、直売所、地産地消や食育等の担い手、生まれ在所に生き死んでいこうとする者など、これらの人々がいてこそ「むら」が守られるのだという。規模拡大経営についても「農業経営の担い手」だけでは自己完結せず、「むら」のすべての「担い手」との連携・共同があって初めて成り立つものであることを明らかにしている。
 なぜか。(法人を含む)大規模家族経営にあっては農地の集積は、黙々と借地をていねいに耕し、あの家なら末永く貸すことができるという信頼感を醸成し、貸し手の農家が年齢や家の事情で行き詰まって農地の買い取りを頼まれれば言い値で買い取る。規模拡大しながら同時に地域農家との共存を願う。農地を丸投げされても手間のかかる地域資源管理はできないからだ。自分の経営を守るためにも地域の農家と共存し、むらを守らねばならない。個人の経営であって単に個人のものではない。日本の農業は「むら農業」なのである。そしてこのような規模拡大は政府、財界がよくするように、あらかじめ何ヘクタールと目標設定されるものではない。多様な担い手の、そのまた「むら」ごとに異なる多様なあり方の関数なのだ。
 集落営農も同様だ。経理を一元化しただけのプレ集落営農から転作作物の受託のみのもの、水・畦畔管理は地権者に再委託するもの、法人経営体として確立したもの、標高差による作業適期のズレを機械の共同利用でこなす中山間地域の集落営農連合など、その形は集落の数ほどある。それは発展段階ではなく、むらあるいは旧村単位などの「多様な担い手」のありかたを反映した類型差なのだ。
 こうして2010年、5ha以上経営体の農地面積シェアは初めて5割を超えた。この中には増え続けている集落営農も含まれており、個別経営の規模拡大ばかりではない。いよいよ日本農業はアメリカ型、ヨーロッパ型とは異なる、「集落営農」という他国に類のない営農主体を含む多様な担い手によるユニークな構造変化に向けて動き出している。それは「高齢化や過疎化の中で、それに抗するようにして」出てきた「危機と併進する構造変化」であり「新たな挑戦」である(小田切徳美「TPP問題と農業・農山村」前掲『TPP反対の大義』所収)。
 かくして明確なことは日本的、むら的構造変革が「多様な担い手」すべての共同ですすめられていることであり、「特定者に農地集積を誘導・強制する構造政策は、農村を知らない財界や一部政府要人の短絡的思考の産物であり、なんら成果をあげていない」(田代前掲論文)ことを悟るべきだ、ということなのである。

■農地を「むら」から切り離してはならない
 早稲田大学教授の楜澤能生氏は、「農地を商品一般に解消してしまうと、農地を農地として維持することができない、というのが少なくとも小農制を歴史として持つ社会の」共通認識であり、だから、一般法とは別途その取引を規制する農地法制が必要で現に実施してきたのだが、それとは別の次元で農地を農地として維持するのに不可欠の要素として「むら」の維持を念頭に置くという発想、農地をむらと一体的なものとして捉え、この観点から農地制度を構想するという着想は、従来必ずしも意識的には追求されてこなかったように思われる、と述べている。
 国レベルの立法過程はもとより、全国各地の村や産業組合や各種土地組合などの動向を調べ上げたその結論は、「むらの農地はむらびとの手に、というむらの規範が、農地法制の必要を引き出してきた」ということだった。 「むらと農地」を切り離そうとするTPP推進派の新自由主義的復興論を許さず、地域からの「自律的な取組み」を強めることこそ、復興の基本である。



 

国際短信

 


■上海機構の拡大を推進
 上海協力機構は、機構憲章の目的と原則そして憲章の枠内で採択された他の国際的文献の条項を遵守する国であれば、成員国として受け入れるために門を開いていることを再三表明してきた。
 今、加入申請書を出している国は、パキスタンとイランであり、インドも参加意向を表明している。アフガニスタンはオブザーバー参加の意向を示しており、トルコは対話相手国としての地位を得たいと言ってきている。
 もちろん機構の拡大過程は簡単ではなく綿密な分析と評価が要求されるが、インドとイランは、すぐにでも成員国になれるだろう。

(イタル・タス)

■パレスチナのユネスコ加盟で苦悩するイスラエル
   パレスチナが国連のユネスコに加盟したことでイスラエルが苦悩している。
 パレスチナの加盟には絶対多数の国々が賛成しているだけに、イスラエルとしては機構からの脱退や国連脱退はできない。安保理事会以外は一般投票なので拒否権を期待できず、今後、他の国連機関でもこうした動きが出るのではないかと心配している。
 パレスチナのユネスコ加盟にイスラエルが敏感に反応するのは、この機構が世界遺産、世界文化遺産を決定しているからである。イスラエルは、自国の申請で世界文化遺産に登録されたエレサレムの一部とヨルダン川西岸地域との連関性が覆されるのではないかと憂慮している。

(新華社)

■米国の貧困人口が増加
   米国の貧困層が増えている。
 ブルッキング研究所の人口統計調査によると、10年前に比べ貧困層は700万人増加した。とくに住民の40%以上が貧困層である末端自治体が33%も増加した。
 貧困層の収入は4人家族で年間収入が2300$であり、その層は4600万人になる。それは過大だという研究機関もあるが、それでも4000万人を超える。
 実際、連邦政府の最貧困層への支援額は昨年2200億$で06年の2倍になっている。
 貧困層の中でも最貧困層を別個分類する動きも出ているが、その基準は、4人家族で貧困層の半分の年収1100$以下を言う。はたして、これで生きていけるのか疑問なほどだ。これが貧困層の半分の2050万人を占め、米国人口の6・7%を占める。米国人15名に一人がこのような再貧困層だということだ。

(VOA)

■バリ島で再出発したASEAN共同体建設
 ASEANの指導者が11月17日、インドネシアのバリ島で宣言を発表し、外部世界との相互関係を強化して国際社会でより重要な役割を果たす意欲を表明しながら、ASEAN共同体建設の重要性を再確認した。
 宣言では、ASEANが国際社会と連携を強化して国際問題処理でASEAN共同体の役割を深化させることがASEAN諸国の発展にとって戦略的意義をもつと指摘。
 ASEAN輪番制議長であるインドネシア大統領ユドヨノは、宣言の趣旨は、ASEANが平和で公正で民主主義的な繁栄する世界を建設する上でより積極的に参与しより大きな寄与をしようというところにあると述べた。
 インドネシアのバリ島はASEAN発展の各段階の重要な証言者である。
 1976年には、ここで、東南アジア友好協力条約が締結された。条約は、各国間の問題解決で基本原則、とくに、意見相違と紛争を話し合いで解決し、武力を行使したり武力を示威しないことを規定した。今まで、この条約にはASEAN諸国を含め29カ国が加入した。
 2003年には、政治的安全、経済、社会文化の三大柱で構成されたASEAN共同体を建設していくことを正式に宣布した。
 今、ASEANは、「一つの目標、一つの身分、一つの声」という目標実現にまい進している。

(新華社)


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