研究誌 「アジア新時代と日本」

第10号 2004/4/5



■ ■ 目 次 ■ ■

時代の眼

主張 アジア民族主義の台頭と日本

研究 「食への不安」、この異常さはどこから来るのか

評論 発明は「個人の知的財産」か

文化 「世界に一つだけの花」を咲かせるために

朝鮮あれこれ 市場で自転車を買った

編集後記



 
 

時代の眼


 イラク戦争この方、アメリカ言いなりの小泉政権への批判が高まっています。アメリカの横暴に対する反発も強まっており、もうこれ以上アメリカ一辺倒を続けるのはまずいのじゃないかという気運も出てきています。
 こうしたなか、あちこちで見受けられるようになっているのが、「大人げない」論、「ダダッ子」論です。「対米追随」「アメリカべったり」などと言ってアメリカに盾突くのは、「大人げない」、「ダダッ子」だということです。彼らに言わせれば、アメリカを離れては一瞬も生きて行けない日本の境遇を考えもせず、無責任に対米追随批判、アメリカ批判などしてくれるなということなのでしょう。
 ここで思うのは、彼らは何を基準に大人と子どもを分けているのかということです。皆の利益、集団の利益を考えることができ、そのために自分を犠牲にしたり譲歩したりすることができるのが大人であり、自分中心でそれができないのが子どもだというのが一つの考え方ですが、彼らも「大人げない」とか「ダダッ子」だとか言うときその根拠を、日本の境遇や国際社会の利益を考えず、ただ自分個人の理想や正論からだけ出発しているというところに求めているようです。
 だとすれば、まず問題になるのが、アメリカに追随し、アメリカの言いなりになるのが本当に日本のためになり、国際社会の利益に合うのかということです。例えば、アメリカの言いなりに敢行した自衛隊のイラク派遣はどうでしょうか。あれによって日本の国際的地位はどうなったでしょうか。答えは明かです。世界でも極めつけの対米追随国としての烙印が押されてしまったようです。それに対し、そんな国際的評価などはどうでもよい、問題はアメリカの気に入られるかどうかだと言われるかもしれません。ある人は、「フランスは分かっていない。アメリカが倒れたら、自分も倒れるのに」と言っていました。アメリカによる世界一極支配があってこその自分だということなのでしょう。だが、スペインのイラク撤兵など、世界の離米多極化が基本趨勢になってきている今日、こういう議論も急速に説得力を失ってきているように見えます。
 さらにより明確なことは、対米追随のイラク派兵が国際社会の利益、とりわけ当のイラクの利益にならないということです。イラク人がアメリカ出て行けと言っているとき、アメリカを支える派兵をすることがどうしてイラクのためになると言えるのでしょう。
 そのうえで問題になるのは、対米追随を批判する理想や正論が果たして自分中心なのかということです。皆のため、集団のため、日本や国際社会のために考え唱えるのが理想や正論であって、それを「大人げない」などと決めつけながら、日本の運命など念頭にもなく、アメリカに気に入られようと自分個人の栄達をはかる御用言論人の方がよほど自分中心で「大人げない」のではないでしょうか。


 
主張

アジア民族主義の台頭と日本

編集部


■台頭する民族主義
 今、東アジア諸国で「民族主義の台頭」と言われる事態が進行しています。
 台湾では総統選挙において、「台湾独立」を志向する陳水扁氏と「中国との融和」を主張する連戦氏の激しい争いが「民族対決」として注目されました。また大統領弾劾決議という異常事態をまねいた韓国では、ノ・ムヒョン政権を支持する「386世代」(30代で80年代の学生闘争を経験した60年代生まれという意味)など若い世代に「新たな民族主義」が生まれているとしながら、ノ・ムヒョン大統領の与党「開かれたウリ党」の躍進が予想される4月15日の総選挙に注目が集まっています。
 こうした国政選挙を契機にした民族主義の台頭は、東南アジアでも顕著に現れています。
 マレーシアでは、「マハティール後」を託されたアブドラ首相の与党連合の国民戦線が議席の9割を占める地滑り的な勝利。インドネシアでは、「スハルト時代への郷愁」が言われる状況の中で、憂国職能党を立ちあげたスハルト元大統領の娘トゥトゥット氏とスカルノ元大統領の娘であるメガワティ現大統領との対決が、共に米国によって追われた元大統領の娘の対決として注目を集めています。また、フィリピンでも「映画王」といわれる俳優のフェルナンド・ポー・ジュニア氏が親米アロヨ政権を追い落とす勢い。タイでは、97年のアジア通貨危機とその後のIMF統治について、「米国の陰謀である」とする国民的認識を背景に政権の座についたタクシン氏が経済を回復させた実績で支持を高めています。
 「民族主義の台頭」と言われる事態は、イラク戦争の渦中にある中東はもちろん、世界的な潮流だということもできます。
 ロシア大統領選で「強いロシアの復活」「愛国主義」を掲げたプーチン大統領の圧倒的勝利。そして「イラク撤兵」を公約して奇跡の逆転勝利を果たしたスペイン選挙の結果も反米ナショナリズムとして見ることができます。また昨年からの南米でのアルゼンチン、ブラジル、パラグアイ、ウルグアイ、ボリビアでの反米政権の誕生も・・・。

■アジアの民族主義は危険か
 こうした民族主義の台頭に対して日本のマスコミは批判的です。ロシアに対しても、プーチン政権への圧倒的支持にはロシア社会の「民族主義的風潮」があるとしながら、これが強権政治、排外政治に結びつくことを危惧するという論調です。そして、この風潮が「スキンヘッド」などによる外国人襲撃などを助長しているとして「民族主義 不気味な高揚」などと言っています。また中国が行っている愛国主義教育についても、それは内部固めのための方便であるとしながら、昨年11月、日本人留学生が中国人を侮辱したとされる演劇を契機に起こった西安の反日デモなどをもって、「民族主義」の危険性を指摘しています。韓国の「新しい民族意識」についても、それが「国際社会の対北朝鮮政策に障害を与える」のではないかと危惧を表明したりしています。
 いずれにしても、民族主義というのは偏狭で危険だという固定観念があるようです。先入観は往々にして大きな誤りにつながるものです。
 重要なことは何よりも、今日の民族主義の台頭がブッシュ政権によるイラク戦争、それを生んだ反テロの「21世紀型戦争」戦略との関係で起きているという事実です。
 ブッシュ戦略は、米国が指揮権を発揮する戦争を各地で起こしながら、経済で落ち目の米国から世界各国が離米・多極化しようとする動きを何とか軍事力で抑え、米一極支配を維持・強化しようということでしょう。そのために、イラク、イラン、朝鮮を「悪の枢軸」と決めつけ、中国、ロシアに対しても核の先制攻撃がありうると脅しをかけています。そうしたなか、ブッシュの戦争戦略の舞台とされるアジア諸国やロシアがこれに反発し、反米意識を強めるのは正当かつ当然だと言わなければなりません。
 この反米意識は根が深いものです。東南アジア諸国の場合、97年に起きたアジア通貨危機とその後のIMF統治は「米国の陰謀」だという認識があります。インドネシアでは、1億の勤労人口のうち4000万人が失業という状況の中で、「スハルト時代への郷愁」が言われながら米国への反感が高まっています。また、ASEAN諸国が昨年、「ASEAN協和宣言U」を締結して、「東アジア共同体」の結成に力強く踏み出したのも、このままでは東アジアは米国の食い物にされるだけだという危機感があってのことでした。
 このことに関して言えば、朝日新聞のインタビューに答えて米国ジョージタウン大学のジョン・アイケンベリー教授が、「帝国覇権」から「リベラル覇権」の道をと言っています。ブッシュの単独主義は国際社会との亀裂を生んでうまくいかなくなった、だから国際協調するリベラル覇権の道をというわけです。
 ブッシュだろうとケリーだろうと米国は覇権=一極支配を維持しようとしているのに変わりはありません。こうした米国の態度にアジア諸国が自身の生存と発展のために離米・反米を志向し自国の自主権を強化しつつ、相互に連帯して多極化の道を模索するようになるのは当然です。こうした民族自主の動きを危険視するのはどうでしょうか。

■歴史の進歩と民族主義
 スペインでの社会労働党の勝利について、1930年代、フランコのファシスト勢力と戦ったスペイン市民戦争を想起しながら、ファシズムと戦った歴史が米国への追随反対に現れているのではないかと指摘した記事がありました。
 東アジアの民族主義の台頭も、その歴史的背景を見れば必然だと言えます。帝国主義の植民地支配と血を流して戦い民族解放をかちとった歴史。その中で、社会主義を建設し、もしくは自主を掲げ「非同盟運動」を牽引してきた歴史。だからこそ、昨年に動き始めた「東アジア共同体構想」でもASEAN諸国は非同盟運動発祥のバンドン会議に貫かれた自主の精神に基づく東南アジア友好協力条約(TAC)を参加の試金石として諸国にその締結を求めています。
 それはまた、世界の歴史です。19世紀からの帝国主義の時代とは、いち早く資本主義化した欧米諸国が世界を植民地化する時代でした。それに対して、各国民族が民族解放闘争を繰り広げ独立をなしとげていきました。まさに、それは、歴史の進歩としてありました。それゆえ、第二次世界大戦後、民族自主、国家主権の尊重は世界が公認する正義であり人類の価値観となり、これは国連憲章にも、あるいは先にあげたバンドン精神やTACにも反映されています。
 ブッシュは、こうした人類が積み上げてきた歴史的な価値観をいっさい無視してきました。そして、それは、ブッシュの立場というだけでなく、米国という帝国自体の立場なのです。それは、資本主義勃興期の「自由放任主義」を今に再現する新自由主義を掲げ市場原理を世界化しようとするグローバリズムの思想によく現れています。
 国とか民族というのは古いとするグローバリズムは、民族自主、国家主権を否定する現代帝国主義の論理であり、これに反対することは、とりもなおさず民族を守り、民族自主、国家主権擁護になります。それは決して古いのではなく、グローバリズム=アメリカ帝国=米一極支配に反対し新しい多極世界の創造を切り拓く力強い武器になります。

■アジアの民族主義と共に
 日本は、アジアに敵対することによって米国追随を一層強めていると思います。
 「新しい歴史教科書を作る会」が日本の誇りを言いながら、イラク戦争を契機に、米国への従属こそ国益であると表明するようになったのも、石原慎太郎氏が「NOと言える日本」を主張しながら対米追随になったのも、すべて中国や朝鮮を敵視し、それを脅威と見るところからきています。小泉首相の執ような靖国神社参拝についても、アジア諸国の反発を引き出し、それを利用して反アジアの風潮をつくる策略であると見ればうがちすぎでしょうか。
 「中国、北朝鮮のことを考えれば、日本は自立すべきであり、核武装まで含めた軍事力の強化をすべきである」とする右派反動の「日本自立論」は対米従属を自らの意思としてやろうという「自立」であり、米国の手先になってアジアに敵対しようというものです。
 アジア民族主義の批判は、アジア敵視の現れであり、それは手先侵略につながっていきます。日本はそういう道ではなく、アジア民族主義の台頭を正しく見て、彼らと共に、米国とは対等に生きる道を選択すべきではないでしょうか。


 
研究

「食への不安」、この異常さはどこから来るのか

小川 淳


 米国産牛肉の輸入停止にまで至ったBSE感染牛騒動、そして山口、大分、京都へと拡大し養鶏業者の自殺者を生むに至った鳥インフルエンザ。今回の事態は、未知の病原体に対する不安とともに、日頃何気なく口にしている食品がいかに危険なものかを浮き彫りにする結果となった。

◆世界的な未知病原体蔓延の異常さ
 BSEも鳥インフルエンザも動物を宿主とする感染症だ。BSEは死んだヒツジを餌に加工して牛に食わせ、死んだ牛を肉骨粉にして別の牛に食わせることで発病し、その牛を食べた人がクロイツフェルト・ヤコブ症にかかる。鳥インフルエンザも、シベリアから渡来するカモが宿主で人間には感染しないとされてきた。しかし、今回の鳥インフルエンザ・ウイルスは、感染力と致死率が高く、アジアを中心に数百万羽の鶏が処分、人の死者も増えている。鳥インフルエンザが遺伝子構造の近い豚などへの伝染を繰り返すとヒト・ウイルスへと変異する危険性があり、人間にとってはBSEよりはるかに危険なものだ。
   周知のようにエイズ・ウイルスは、すでに四千万人の感染者を生み出している。鳥インフルエンザがヒト・ウイルスに変異する最悪の場合、死者五億人という国立感染症研究所の予測もある。
 昨年来のSARSの蔓延やBSE,鳥インフルエンザ、あるいは鯉ウイルスによる大量死と、ここ数年来、人類が経験したことのない未知の病原体による異常な事態が連続的に発生している。この異常さはどこからくるのだろうか。

◆元凶は食と農のグローバル化
 ウイルスは自然界に広く存在するが、ウイルスも自分が生きるために宿主を死に追いやることは少ない。また自然界のウイルスが人に感染することも希である。それが毒性を強め、未知の病原体が蔓延するようになった背景には、「歪んだ農」の構図がある。
 WTOなどによる国際的な「農産物貿易の自由化」の強要によって、世界の農産物は優勝劣敗の市場原理と過激な国際競争にさらされている。BSEや鳥インフルエンザが改めて浮き彫りにしたのは、市場原理と過酷な国際競争の中でぎりぎりの「コスト競争」を強いられている畜産農家の現実ではなかろうか。家畜処理後の残廃物をリサイクルして肉骨粉に変え、家畜の飼料にするというような異常な飼育方法は「少しでも外国産より安く、より大量に」という市場原理と国際競争なしには考えられない。食物連鎖を無視した「肉骨粉」などはまさにグローバル時代の申し子だった。
 鳥インフルエンザにしても、自然界に局所的にしか存在しないウイルスが一挙にこれほどの範囲で拡大する背景には、グローバルな競争と効率を追求する工業的、企業的経営のもと、大量のホルモン剤や抗生物質の投下による家畜の治癒力、免疫力の低下といった人為的要因がある。
 このグローバル化農業の最たるものはアメリカの農業だ。世界最大の農産物輸出国アメリカは、化学肥料を使って同じ土地で同じ品種を大量に作り続けている。土地の疲弊を防ぐために土壌改良材や農薬、化学肥料の多量投入や遺伝子転換作物の栽培など、アメリカ・メジャーによる世界の農産物支配も進む。そういった「近代化」による農作物の大量生産方式は今でも世界農業の中枢を占めている。このような「農のグローバル化」の延長にBSEや鳥インフルエンザがあるのではなかろうか。

◆高まる「地産地消」、農業自立への要求
このような中で安全性を無視した農の「工業化」やグローバル化に対する批判、安全な食への関心が年々強まってきている。世界的な反WTOの機運や自然食ブームなど、世界の趨勢は明確な一つの方向を示している。自国の農業を捨て去り、コスト・効率だけから外国の農産物に依存するグローバル的思考から抜け出すことである。その試みもすでに始まっている。大分県大山町で始まった「地産地消」運動では、農協の売上が約30億円、平均収入2千万円、町の自給率100%近くを達しているという。
 やり方次第ではいくらでも農業は自立できる。各地域が「地産地消」を実践していくなら、未知の病原体におびえることもなく、安全でおいしい「食」を復活していくことができるはずである。


 
評論

発明は「個人の知的財産」か

赤木志郎


 青色発光ダイオードの発明をめぐる訴訟で、発明者が会社に600億円の寄与をしたとして原告の要求額200億円の支払いを認めた判決がさまざまな反響をもたらしている。この種の裁判はさらに起こされていく傾向にあり、その後も味の素甘味料訴訟で発明者に1億8935万円の支払いを命じる判決が下されている。
 発明者の主張は、特許による利益を会社が独占し自分は正当な報酬を受けていないということである。それに対し企業側は、正規の手続きを経て特許権を譲り受けたということ、一緒に開発に取り組んだ他の社員の努力が評価されてないということをもって反駁している。
 これまでの企業経営では研究員は企業に属しその成果は会社のものとなってきた。研究員にたいする報酬は青色ダイオードの場合でもわずかな額しか与えられていない。苦労して発明した研究者に相当の報酬が保障されず、これまで企業がその利益を独占してきたと言える。
 しかし、この判決のように、発明を「個人の知的財産」として捉えるのはどうだろうか。発明は会社の開発事業のなかでおこなわれるのであり、純粋に個人の力によっておこなわれるものではない。また、その発明が生かされるかどうかは経営に大きくかかっている。
 今回の判決は、知的財産保護の先進国とされる米国でも驚きをもって受けとめられている。米国では雇用契約で特許が会社に帰属することが明記されており、報酬も上限が定められいる(GMが2万$、IBMが1500$など)。高い成功報酬を得るためにはリスクを覚悟して自ら起業するしかない。
 今回の判決によって、日本の企業も米国のように雇用契約を明確にするようになるだろう。そして、高い報酬を得るためにベンチャー企業を起こす雰囲気が高まるだろう。それは、発明と企業活動のいっそうのアメリカ化、市場原理化をもたらすということだ。  この間、アメリカ式市場原理の導入に際し、それが個の尊重、個人の自由、個人の権利を守り拡大するものであるかのように言われてきた。しかし、この判決を通して分かることは、市場原理が個の尊重とは裏腹に個人間の競争を激化させ、個人により大きなリスクを迫る一方、それが嫌なら会社へのより徹底した隷属を強要するものとなるということではないだろうか。
 発明にたいする熱意は基本的に、自らの社会と集団のために貢献しようという所から生まれると思う。これに対し市場原理は、発明の熱意と原動力を個人の利己的要求に求めている。この違いは人間を社会的存在と見るか、個人的存在と見るかの人間観の違いである。市場原理によって激烈な競争と統制が強まる昨今、そういう根本的な考え方が問われているように思える。


 
文化

「世界に一つだけの花」を咲かせるために

金子恵美子


 いま、SMAPの大ヒット曲「世界に一つだけの花」が、さまざまな批判にさらされている。《週刊現代》の「ここがイヤだよ『世界に一つだけの花』」という記事では、「敗者が自分を正当化するための言い訳ソング」「徹底的な守りの姿勢を感じさせる気持ちの悪い歌」、「むしろ戦争賛美の歌」(比べることの否定=共通のルールの否定=戦争の論理そのもの)などの批判が紹介され、《世界》4月号で寺島実郎氏は「固定観念を離れてしなやかに多様な価値観を認めようとする感性が好ましく思える」と一定の評価を与えた上で、「この歌には感動を覚えない、なぜだろう」と疑問をなげかけ、加藤周一さんの詩「小さな花」を対置させながら、「この詩に溢れ出た時代に向き合う意思、この圧倒的なメッセージを前にして、『世界に一つだけの花』が矮小な私生活主義の繰言にすぎないことは説明を要さないであろう」と手厳しい批評をしている。
 しかし、250万枚も売れたということは、この歌が多くの人々に支持されたということである。 早速インターネットで「世界に一つだけの花」を検索してみた。なんと出てきた件数は「23300件」。途方に暮れて、最初の40件だけチェックしたのだが、その中で目を引いたのは、「『世界に一つだけの花』同盟」というサイト。そこに掲示された各自のコメントや短いメッセージを見ると「癒される」が一番多く、「励まされる」「歌詞の包容力に惹かれる」「毎日の心の支え」「いつか自分だけの花を咲かせるために頑張ろうと日々奮闘中」「歌詞の内容に感動」「勇気が湧いてくる」「もう少し頑張ろうと思える」「人生変わった」「自己実現を願う歌」。ユニークなのは「国歌になればいい」などなど。
 これを見ると、市場原理の徹底化する競争社会の中で疲れきった人々がいかに癒しを求めているかが分かる。そうして、こうした人たちがつながりを求め、そのつながりの中で頑張ろうという気持ちになっていることが分かる。
 この歌は決して「甘えと現実逃避の歌」でも「敗者の慰め合いの歌」でも「守りの歌」でもないと思う。その上で、この歌が「私は私」という排他主義にならないためにも、「努力や向上心を放棄した現状満足」で終わらないためにも、寺島実郎氏の言われている「時代と向き合う意思」、すなわち、個人ではなく、世界の中の日本、日本の中の自分という視野が必要ということも大事だと思う。今、世界で起きていること、日本で起きていることも知らずに、それと無関係に美しい花は咲き得ないと思うから。


 
朝鮮あれこれ

市場で自転車を買った

田中協子


ピョンヤン市内の国営「統一市場」

 「アズモニ チョ-ウンゴッ イッソヨ! (おばちゃん、いいのがあるよ)」 中古自転車売り場で30才前後の商売人の兄ちゃんに声をかけられた。ピョンヤン市楽浪区域の国営統一市場でのことだ。
 昨年9月の開設以来、内外の注目を浴びているこの市場は個人が国に登録し利用料を払って商いをしている。広い建物の中には小さな店舗がぎっしり並び、レッド系のユニホームを着た販売員が熱心に客を誘っている。家具、電気、衣料、穀物、野菜、果物、肉、魚貝、乾物などがあり、外貨ショップより安く野菜や魚肉類が新鮮なので、在朝外国人もよく買い物に来るようだ。朝鮮産と中国産が大半で日本産もちらほら。中古自転車は日本からのものがほとんどだ。
 実は先日、「自分の小遣いを出すから自転車を買って」と末娘が言い出したことから、買い物がてらに市場を覗いてみることにした。
 統一街を南に走り、朝鮮名物の「タンコギ」(犬肉)レストランの手前で右折すると青色のアーチ型屋根が連なる建物が左前方に見える。入り口で駐車料金50ウォン(日本円で約5円)を払い、まず最初、室内売り場で卵23個と貝1キロを買う。しめて1000ウォン(約100円)。
 次に、野外の自転車売り場に行った。約60台ほど中古自転車が並んでいる。柵内に入って商売人に値段を聞くと新品に近いほど高く日本円で約1万円ほどだ。もっと安いのはないかと物色している時、先ほどの兄ちゃんが一台の自転車を勧めてくれたのだ。日本円で約3300円という。車輪カバーに少しデコボコがあるが、シルバーとブルーの色が冴えている。「ターボラヨ(乗ってみなよ)」と言われ、乗ってみたが軽くて乗りやすい。「買うから」と値切って3000円にしてもらった。さて、どうするかと思案していると、例の兄ちゃん、「俺が家まで乗って行ってやるよ。住所はどこだ」と言ってくれた。結局、自転車をやっとこさ車にのせて帰路についたが、兄ちゃんの心がありがたかった。今、その自転車は子供たちや大人にも愛用され、元気よく走りまわっている。


 
 

編集後記

魚本公博


 イラク反戦運動の主題歌とも言える「世界に一つだけの花」への批判。その中には、「むしろ戦争賛美の歌」なんてのもあるそうです。イラク派兵反対の声に、「大人げない。ダダッ子みたいなことを言うな」というだけではあきたらないのでしょうか。
 この歌が反戦歌となるのは、どんな国、どの民族も世界に一つしかない、米国といえども、それを勝手に摘みとることは許されないという意味を込めてのことでしょう。
 たった一つの花たちが互いに独自の美しさを発揮し共に咲きほこるなら、世界の花園はどんなに平和で豊かになることでしょうか。私たちにとって、たった一つのかけがえのない日本も、その一つになってほしいと切に願うこのごろです。


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