研究誌 「アジア新時代と日本」

創刊号 2003/7/5



■ ■ 目 次 ■ ■

時代の眼

主張 −「開国」150周年に思う− 日米関係、誰にとって今、最良なのか

研究 「地域の自立」、その二つの動き

評論 「イラク新法」の真の狙い

文化 互いの良さを理解して

朝鮮あれこれ 山間地での畜産に力を入れて

読者から

編集後記



 
   

時代の眼


 今日、日本の進路を考えるに当たって、日米同盟を絶対とするのが支配的になっています。日本の運命はアメリカを離れてありえず、そのためには対米追随もやむを得ないという考えです。そうしたなか、今国を愛するなら、アメリカに従属する道を選ぶべきだと「従属愛国」を主張する人までいます。
 しかし、アメリカに追随、従属し、アメリカによって左右されてきた日本の運命はどのようなものだったでしょうか。戦後一貫して言われてきたことに「物質的には豊かになった。しかし、精神的には貧しくなったのでは」というのがあります。国が自らの進路を自分の頭で考え、自分の力で切り開いていくことができないと、国民一人一人、国全体の精神まで貧困になってしまうのではないでしょうか。自主的な意思や精神のないところに、共に運命を切り開いていこうという自分の国、自分の同胞兄弟への愛や信頼が深まらず、そのための自由で創造的な精神活動も生まれないのは当然です。
 国の自主性の喪失がもたらすものはそれにとどまりません。精神的貧困のさらなる深まりに加えて、物質的豊かさまでなくなってきているのが日本の現実ではないでしょうか。アメリカによってつくられたバブルがアメリカによってつぶされ、国富の11パーセントが一夜にして消え失せた「第二の敗戦」、それにともなう泥沼の長期大不況と産業経済構造の崩壊、生活破壊、社会の二極化、そして、地域、職場、学校、家庭に至るまであらゆる集団の崩壊、過労死、自殺、自己破産、ホームレスの急増、等々はそのことを深刻に物語ってくれています。そうしたなか、イラク戦争でみせた日本のアメリカ追随ぶりは、国際社会における日本の存在感をさらに一段と喪失させてしまいました。
対米従属がもたらす災いの大きさは、今日、誰の目にも明らかになってきています。にもかかわらず、あくまで日米同盟にしがみついているのは、アメリカなしの日本は考えられないこの「従属愛国」の呪縛から自由になり得ていないからでしょう。
重要なことは、誰かに頼ってしか生きられないこの呪縛から解放されることです。生きる力はどこまでもわれわれ自身にあります。自分の国を愛し、自分の同胞兄弟を信じて、日本の運命をわれわれの意思、われわれの力で切り開いていくようにすることです。
アメリカによるグローバル一極支配と多極世界創造の攻防が激化するなか、アジア人によるアジア人のためのアジアを築くアジア新時代が明けてきている今日、この自主愛国こそが日本の新しい歴史を創る偉大な時代精神となるのではないでしょうか。

 

 
主張 −「開国」150周年に思う−

日米関係、誰にとって今、最良なのか

編集部


 150年前の1853年7月8日、米国のペリー艦隊が浦賀に来航し、翌年3月31日に日米和親条約が締結され、日本は「開国」した。日本政府は今年から来年にかけ「開国150周年」を祝うさまざまな行事を予定しているそうだが、その公式サイトには「ペリーは開国の恩人」とあるという。そして、親米派を自認する安倍晋三官房副長官などは、「この150年間で今が最も良好な関係」と言っている。だが、本当にそうだろうか。

■何をもって、今、最良と言うのか?
 安倍が「今、日米関係は150年間で最も良好な関係」と言ったのは、日本がいち早く「イラク戦争支持」を表明した事情を指しているという。
 大量破壊兵器をもっていると難癖をつけ、政権転覆を公言した明かな侵略戦争。国際法も国連も無視した帝国主義丸だしの戦争に対して史上最大の反戦運動が全世界で展開され、欧州各国さえもが反対する中、いち早く支持を表明した日本政府にブッシュは「感謝」を表明した。そして、イラク戦後、その戦場に日本は自衛隊を送るイラク新法を成立させようとしている。それは「日本は、観客席からグラウンドに降りてくるべきである」(アーミテージ発言)という米国の強い要望に沿ったものであることは明らかだ。
 その上でさらに見れば、対米融合の本格進展という問題がある。「りそなグループ」の実質国有化の次のステップは米系外資への売却だという。銀行国有化から外資への売却という方式は4大金融グループまで対象にされている。経済の血液である金融の日米融合は、日本経済総体を米国に融合させるものとなるであろう。経済の融合は、政治、文化、軍事面での融合を促進させずにはおかない。
 日本は、日本なのか米国なのか分からないまでに融合され、米国の手先になって「アジア民主化」戦略の前面に立つ。そのような日米関係は、米国や安倍のような親米派にとって「最良」だろうが日本にとって、本当に「最良」なのだろうか。

■三つの「開国」と手先融合の深化
 ぺリーの「砲艦外交」による「第一の開国」、敗戦による「第二の開国」、そして、バブルの形成と崩壊など「第二の敗戦」を契機に現在進行する「第三の開国」。開国150年の日米関係史は、米国が武力を背景に日本の扉をこじ開け、対米従属させながら、対アジア戦略の手先として利用し、今やそれが完成する手先融合に至る歴史として捉えることができるのではないだろうか。
第一の開国
 「すみやかに一戦に及び勝敗相決すべし」と威嚇するペリーによる「開国」。その5年後に結ばれた「日米通商条約」も「かねて御ことわり申し置き候通り戦争に及び勝敗一時に相決し申すべし」(米総領事ハリス)という武力恫喝の下で、居留地の永久借地権や軍隊駐留、そして治外法権、関税の自主権がない問題、一方的な恵国待遇などを内容とする。それは、欧米がアジア各国を植民地化する過程で押しつけたものと同じものであった。
 この植民地化の危機の中で打倒された幕府に代わった明治新政府には不平等条約の撤廃が提起された。しかし、明治4年の欧米使節による交渉で、米国に「実力をつけてから」と諭された明治政府は「富国強兵」策をとりアジア侵略の道を歩むようになる。それはロシアの南下をにらみながら中国や朝鮮といった欧米にとって難敵であった国々を日本が手先になって侵略するという道であった。
 そして日本は、対米戦争に誘導され、破滅を迎える。
第二の開国
 8・15、日本は敗戦をアジア侵略の敗北として捉え、アジアに謝罪し平和友好の新しい日本として再生する道が開かれていた。しかし、米国は軍事代表団をマニラに呼び日本を「反共の防波堤」にすることに合意させるなど、戦後日本を対米従属・アジア敵視の方向にもっていきながら、9月2日、ミズーリ号上で「降伏調印式」を行う。まさに9・2路線、それは対米従属・アジア敵視路線の宣誓式であった。
 米軍統治下、その路線は固められる。その中ではA級戦犯として巣鴨に収監された安倍の祖父、岸信介が米国への忠誠を誓って無罪釈放された例など、人脈的にも親米派が育成され、対米従属路線で大きな役割を果たしていく。
 その後の朝鮮戦争を契機にした反動化や60年安保など、日本の対米従属は軍事面での従属の深化と共に極めて謀略的、強権的に進められる。自主資源外交を唱え日中国交正常化を行った田中角栄が米国発のロッキード事件によって潰されたのはその好例である。
第三の開国
 80年代、米国を脅かすまでに経済力をつけた日本に対し、米国は、日本は公正でないという「日本異質論」を掲げ、官民一体となった「日本株式会社」や「日本型経営」を攻撃し、規制緩和、自由化など市場原理主義に基づく「構造改革」を要求する一方、それに基づく円高、金利引き下げの強要によるバブルの形成と崩壊を促し、「第二の敗戦」の廃墟の上に日米の融合を強行してきた。
 この「ガイアツ」による強引な「開国」に対して「抵抗勢力」の抵抗が起きる中、米国は「安保再定義」によって日本の軍事を自衛のためではなく、米国のグローバル戦略、アジア戦略に服務するものに再定義した。これを契機にさまざまな「事件」を伴いながら防衛庁は親米派で固められ、日本の軍事は米国に完全に掌握された。これを背景に、米国は、これまで以上に恐喝的で謀略的な圧力をかけて融合を促進している。
 経済の融合は日本がますます米国のグローバル戦略に利害関係を持つようにする。実に第一、第二、第三の「開国」を通じて、今や日本は米国と一体化してアジアに敵対する、そのような国になり果てようとしている。

■「仕方ない症候群」
 今、日本は、軍事の手先化や経済融合に対して、「仕方ない症候群」に陥っていると言われる。問題だと思っても、強大な米国には従うしかないじゃないかというわけである。
 ペリーやハリスの「砲艦外交」に対して、時の幕府が「次善の策」として、それに屈したのも「仕方ない症候群」だったろう。その危険性と愚かさは、ハリスが当時、アロー号事件で清国が英仏の攻撃を受けていることをあげ、今に英仏が40隻の艦隊で押し寄せ不平等条約を強要するから、米国と条約を結べばそれを防止できると説得され、不平等条約を受け入れた逸話にも現れている。
 このように、「仕方ない症候群」は、自主を守るという原則的立場を確固と持たず、是々非々で対応しながら、だまされ流されていくものである。
 「仕方ない症候群」は、強大な相手に対しては卑屈になりながら、その逆に弱いと見る相手は下に見て蔑み傲慢になるところにも現れる。明治以降の近代日本の欧米崇拝とアジア蔑視は、そうした心理状況を反映したものであったろう。
 それをまた日本は米国に利用されてきた。そして、それが典型的に現れるのが、隣国であり、さまざまな複雑な歴史的経緯を持つ朝鮮に対してであった。日本の最初の朝鮮侵略企図であった雲揚号事件では、米国大使にこのようにやればうまくいくと激励され手渡されたのはペリーの「日本遠征記」であったという。そして今もまた・・・。

■決断のとき
 米国は今、21世紀型戦争を掲げ、アジアを舞台に恒常的な戦争の次の焦点を朝鮮に置いている。それに服務する日本の軍事、その軍事力を背景にした「恐怖と謀略」のファッショ支配が強化され、日本は対米融合を深め、国家として民族として解体され、それぞれの部分が、例えば地方が、例えば自衛隊が、さらにはIT企業、大学などが、各個バラバラに米国に融合利用される、そういう方向に進んでいるように思える。
 このような手先融合の関係が、どうして「最良」なのであろうか。
 世界は決して、米国の思うように動いてはいない。アフガニスタン、イラクでも「戦争状態」は続き「ベトナム化」の様相を強めている。EUも反米色を強め、アフリカの「アフリカ同盟」結成、ラテンアメリカでのブラジル、アルゼンチン、ウルグアイ諸国の反米政権の誕生と「南部共同市場(メルコスル)」の強化、アジアでの中国を軸にした「アジア経済圏」の形成気運など、反米多極化の趨勢は強まっている。
 だからこそ、米国は「アジア民主化」を唱え、この地域を舞台に戦争を拡大しようとしているが、米国の考えるように、ことが進むわけがない。
 それにもかかわらず、日本が「強大な米国」の幻想に惑わされ「仕方ない症候群」から抜けきれないなら、日本は米国と共に滅亡するしかないであろう。まさに、日本にとって日米関係は今、最悪である。


 
研究

「地域の自立」、その二つの動き

赤木志郎


 4月に行われた統一地方選で「地域の自立」が焦点となったように、地方、地域の自立に向けた動きが活発である。北海道・ニセコ町で「まちづくり基本条例」が制定されるなど各地域で町作り村作りが活発になっており、県単位でも各県の知事が旧来の政治を打破してさまざまな試みをおこなっているのが注目されている。今年に入って浅野宮城県知事ら8県知事が「地域自立戦略会議」を発足させたのもその動きを加速化させている。

■地域の自立が大きな流れとなった要因
 その客観的な要因は、一言でいって、グローバル化による地方切り捨てによる地域崩壊にあると言えよう。日本のグローバル化が始まるとき、華々しく地方が国を越えて国際交流していくようになった。その結果、日本全体では経済の巨大な空洞化と貧富の差の拡大が生まれ、東京一極集中と地方、地域の崩壊という構造が現出したのである。
 この地域の崩壊は、弱肉強食を法則とする資本主義経済の極致であるグローバリズムと市場原理主義が生み出したものである。資本が国際的範囲で「自由な」競争を展開するもとでは国際独占資本が市場を奪い、地方、地域の弱小経営がひとたまりもなくやられるのは必然であった。
 地域経済の崩壊、行政の切り捨ての中で、生きていくためには地域が自分の力で立ち上がるしかなかった。こうして各地で末端の町村において町おこし村おこしが興っていったのである。全国に広がった地域の自立への動きは、中央レベルと異なった各府県独自の地方政治をめざす知事を生み出していった。この町おこし村おこしは、本誌準備号「『まち』作りに見る民族史的転換の萌芽」に詳しいが、かつての村落共同体と異なった新たな共同体を創出する運動をはらんでいる。いわば民族の基礎をなす町や村の共同体が新しく生まれ変わろうとしているのだと見ることができる。
 こうした背景のもとで「地域の自立」が強く意識され、一つの政治の流れとなってきた。
 この流れには、二つの異なる動きがある。

■地方分権国家構想
 一つは地方分権国家への動きである。分権国家とは、軍事・外交・金融などの機能は国がおこない、それ以外の産業、教育、福祉などは地方が行うようにし、そのために地方自治体の規模を国並に大きくするというものである。道州制がそれである。すでに国家機能は通産省、運輸省の解体など改編を済ませており、今、「平成の大合併」と言われる市町村合併と地方への財源委譲で地方分権化を促進させようとしている。また、これと連動して食糧庁を廃止し、株式会社の農業参入企図など従来のJA(農協)基盤を崩壊させ地方において大きな位置を占める農業をも独占資本の直接の支配下におけるようにしようとしている。
 川勝平太氏(国際日本文化研究センター教授)は、自治の基礎は自立だと唱えながら、日本を四ブロックの道州に分割し、市町村の行政を住民自身が担うようにボランティアとNPOを活用すべきだと主張している。かつて大前研一氏が道州制を唱えたことがあるが、今、政府と一部地方が促進しているのは、まさに日本を8つないし幾つかの道州に分割し道州制分権国家を作ろうとする動きである。
 この構想は、人々の生活単位を「世界―地方―個人」として形成し、国家をなくそうとするグローバリズムの考え方に基づいている。すなわち、これは地方の力を強めることによって、相対的に国家を弱化解体し、アメリカが地方・地域を直接握るようにするということではないだろうか。
 この地方分権国家化は、三位一体の地方税制改革や「構造改革特区」などさまざまな方法によって、上から意図的に追求されている。
 ここで注目すべきことは石原知事の東京都のケースであろう。石原は圧倒的な支持を受けて再選を果たした後、広島県警本部長を副知事に任命し都職員一千名を警察に出向させるなど治安の強化や学区制を廃した一貫教育など教育改革をすすめ、都独自の銀行設立を進めている。石原は犯罪取締りを口実に人々を統制する警察社会をつくり、「個性教育」の名の下に一部のエリート養成と多数の落ちこぼれ、医療福祉の切り捨て営利化、中小企業の統括など、いわばグローバル・ミニ政府を実現しようとしているのだと見ることができる。石原都政とは道州制分権国家の先取りといえるのではないか。
 東京都の場合、税収や産業基盤など他の道府県とはまったく違った条件にあり、東京都がおこなう都独自の銀行設立などの政策は幾つかの道府県が合併した道州でしか実現できないであろう。つまり、石原都政は道州制実現のための見本を作ろうとするものではないだろうか。「東京から日本を変える」という石原都政の目的は、日本を対米融合の分権国家にすることであると思う。
 これが地域の自立であり地域自治と言えるだろうか。

■下からの町おこし村おこしが求める国家像
 もう一つの動きは下からの町おこし村おこしの動きである。
 地方切り捨てと地域経済の崩壊、行政の破綻のなかで自力で町おこし村おこしをおこなっていく運動が起こってきた。その特徴は、既存の組織と有力者を越えて勤労者が主体になった住民自治の運動であり、地域のもつ力を掘り起こしていく自力の運動である。
 道州制分権国家が、国家主権を弱化、解体させる方向にすすめるとすれば、下からの町つくり村つくりの動きは、国の権限を弱めて地域の自立を実現していくのではなく、地域の自立と自治を保障するような国家を要求する。
 逢坂誠二北海道ニセコ町長は「住民参加や情報公開、行政評価などでそれなりの実績をあげてきたが、それらは地域の中だけで対応できる課題です。でも国政に上げて議論しなければならない課題は山のようにある」と述べている。産業政策一つとってもそうである、また、原発問題もそうである。
 今の町おこし村おこしは、地域の共同体を新たにつくりながら、その自治と自立を基礎に「国つくり」を展望するものにならざるをえない。
 地域の自立は国の統一的な責任的政策と離れてありえない。つまり、国がまともであってはじめて地域の自立も可能となる。国がまともであるというのは、自分の国の政策を自国の利益を基準にして立てていく自主的な国家であるということにほかならない。今、日本が展望をまったく見いだせないのも、地域が切り捨てられたのも、日本政府がアメリカに従い言うがままになっている結果である。自分の頭で考えないで他国に従う国がどうして自分の未来図を描くことができ、自力で国を興そうとする展望をもつことができるだろうか。
 まさしく、地域の自立を基礎にし地域の自立を保障する国家とは、自主を国是にした国家であると言える。

■日本の自主を促進する地域自立を
 今日、「地域の自立」問題は、単に地域の問題だけではなく、同時に日本という国家のありかたをめぐる問題となっており、政治、経済、教育福祉といった社会生活のすべての分野を含む重要な問題となっている。
 それは、アメリカが強要するグローバル化か、それとも日本独自の国つくりかの対立である。
 今、日本は、これまでのアメリカへの従属に慣れきってアメリカと離れることなど考えられないほどになっている。しかし、このままアメリカに従っていけば日米融合化のもとで、日本は地方を含めアメリカの単なる一つの州、地域となり、日本という国家が完全に消滅してしまうのは明白ではないだろうか。
 アジア新時代にあって、これまでと違った国と地域の在り方が問われている。
 それはグローバル化され分権国家化されアメリカの従属物になる地域、国家ではなく、地域の自立が国家の自主を支え、自主的な国家が地域の自治と自立を助ける、そのようなものとなるべきではないだろうか。
 そのためにも、今、下からおこっている地域自立の運動が地域で新たな共同関係を構築しながら、分権国家策動に反対し、国家の自主を要求していくそのような運動になって行くべきだと思うがどうだろうか。


 
評論

「イラク新法」の真の狙い

小川 淳


 有事三法案が可決したばかりの国会で、自衛隊をイラクに派遣するための特別措置法(イラク新法)が提出された。しかも小泉政権はわざわざ40日間の国会会期を延長してまで早期成立を計ろうとしている。
 イラク新法は、派遣の目的としてイラク国民の「生活の安定と向上」やイラクでの民主的政権の設立を掲げているが、もし本当にイラク復興が目的なら、長期的な展望を持った総合的支援策こそ必要であって、自衛隊でなければならない理由はなく、一刻を争う必要もない。小泉首相の熱心さは尋常ではない。
 戦闘地域への自衛隊の派遣は、自衛隊が戦闘に巻き込まれ、自衛隊との交戦でイラク側に死傷者がでる可能性もある。それが専守防衛を主旨とし、自衛隊の海外での武力行使を固く禁じている憲法に抵触することは明らかだ。
 自民党内部でも異論があり、野党、国内世論にも反対、慎重意見が多い。自衛隊派遣を国連やイラクから熱心に要請されているわけでもなく、日本側にイラク支援を急ぐ理由は一つもない。にもかかわらず、イラク新法を小泉首相が必死に急ぐのはなぜか。
 「今度こそグラウンドに降りてプレーして欲しい」というアーミテージ米国務副長官の言葉通り、それはブッシュ政権の強い要求だからだ。自衛隊派遣について米政府から非公式に要請があったのは4月。5月の日米首脳会談の前後にイラク新法を提出すれば対米従属のイメージは避けられない。「有事法制が成立するまでは動くな」と小泉はサミット出発直前にも厳しいかん口令を敷いたという。小泉首相がこれほどまでに策を弄するのも、イラク新法が米国の強い要求によるものだということを傍証していると思う。
問題は、なぜアメリカは自衛隊派遣にかくも熱心なのかということにある。イラクの復興事業だけなら、そこに自衛隊を必要とする理由は、イラクにもアメリカにもない。すでに30数カ国の復興支援の申し出があるからだ。ポイントは、「戦闘地域」への自衛隊の派遣という点にある。
 政府は、自衛隊の派遣はあくまで「非戦闘地域」に限定したものだとして、そのためにわざわざ「組織的な抵抗でなければ戦闘ではない」という支離滅裂な論理まで持ち出している。しかし、米軍現地司令官の言葉通り「イラク全土が戦闘地域」というのは明白な事実である。米軍の掃討作戦はまだ続いているし、首都陥落後も米兵の死者は増えている。イラクの現実は、小泉首相が言うような、「非戦闘地域」への自衛隊の派遣ではないということを示している。
 逆に言えば、「戦闘地域」だからこそ、自衛隊のイラク派遣はブッシュにとって「意味」を持つということではないだろうか。
 まさに、アメリカが自衛隊派遣に固執する真の理由は、イラク復興ではなく、自衛隊をこの「戦闘地域」に何とか引き込むことにあると思う。
 なぜならPKO法や周辺事態法など自衛隊の海外派兵の壁は一歩ずつ取り払われたが、自衛隊の戦闘地域への派遣は今だ大きな壁になっている。この「壁」を取り払い、戦闘地域への自衛隊派兵を既成事実化すること。ここにイラク新法の「核心」がある。
 戦闘地域への自衛隊派兵という、このブッシュの狙いは、近い将来、想定される朝鮮戦争での自衛隊の派遣、参戦のため以外にないだろう。
 今のままでは自衛隊の参戦は不可能だ。まずこの「戦闘地域への自衛隊の派遣・参戦」という壁を突破すること。この壁を突破できれば、自衛隊の朝鮮有事参戦は、空論ではなくかなり現実味を帯びてくるはずだ。アメリカがもっとも懸念するのは、強力な北朝鮮との戦闘での米兵の犠牲だ。もし日本が参戦できれば、自衛隊を最前線に立たせ、米兵の犠牲は最小限にできると考えても不思議ではない。
 このように見てこそ、なぜ小泉が国会を延長してまでイラク新法を急ぐのか、なぜアメリカは自衛隊のイラク派遣にかくも熱心なのか、その意図がはっきりする。イラク新法は、日本が朝鮮戦争に加担するか、どうかの重要なステップと言ってよい。


 
文化

互いの良さを理解して

田中協子


 日本で活躍している韓国女優のユンソナさんがある雑誌で日本人の「曖昧と遠慮」について語っていた。「日本の人はイエス・ノーが曖昧で、とくに『イヤだ』とはっきり言わないんですね。…本当はどう思っているのかが、いつも疑問。…私がお菓子を広げてても、自分からは手を出さない。『食べて』と言っても、『いいんですか?いただきます』って、一個だけしか食べない。お菓子一個でそんなに気をつかうのが私には信じられなくて。それが私は、寂しかった。」
 最初は驚き悩み、次第に文化を理解し日本の良さが分かるようになったというユンソナさん。その話を読み、なるほどそうだろうなと思った。日本人である私たちも彼女とは逆の意味で戸惑いながら朝鮮の文化や人々の心が分かってきたからだ。
 朝鮮民族は大国に囲まれ昔から頻繁に侵略を受けてきたことや、厳しい気候の影響もあってか、自分の考えをはっきり言う。また、仲間同士、少し無理を言っても当然という感覚がある。
 日本民族は島国の中で村落共同体を成して暮らしてきたためか、外に対して自己を守るというよりは内の和を重んじる。ここから自分の感情や主張は抑えようとするし、謙譲や遠慮を美徳とする。
 現在放映中のNHK朝ドラ「こころ」の父親はいわゆる「曖昧」な日本人の典型だろう。十数年前、花火しか頭にない父親は事故を機に妻子を捨て家出。長い歳月を経、「花火作りも愛する家族のため」ということを悟るが、そのことを一切語らない。花火大会で浅草に帰った父親は、伝えるべきその心を自作の花火で表現する。夜空に咲いた花火、そこには妻娘への彼の一途な愛が込められていた。「言葉」以上の思いが伝わる場面だ。
 日本人は思いを口に出すことをためらう民族のようだ。それも思いが深ければ深いほど。間や沈黙を大切にし無言で相手と心を交わす「以心伝心」を尊ぶのもそんな特性のあらわれなのだろう。
 人と距離をおきながらはっきり物を言わない日本人と、互いの思いを熱くぶつけ合う朝鮮人。
 ユンソナさんは言う。「友達を大事に思う気持ちは、日本人も韓国人も変わらないんですよね。ただ、気持ちの現し方は、民族やその国の文化によって違う。その『違う』ということを理解するのが大事なんだな、と思います。…違う国で、違う文化を知ることは楽しいですね。考え方も広くなって、視野が広がると思う。」
 まったく同感だ。どの民族も、人を愛し大切に思う気持ちは同じだと思う。その根本を信じ、違いを理解していったとき、その国、その民族の人々がほんとうに伝えたいことが見えてくるだろう。
 アジア新時代、日本がアジアの中で生きて行くためには、日本と異なる相手の国々の良さを尊重し、互いに学び発展していくことが大切だと思う。そうしてこそ、多様で平和な、繁栄するアジアを築いていけるのではないだろうか。


 
朝鮮あれこれ

山間地での畜産に力を入れて

  


 食料危機が叫ばれて久しいですが、ここ数年、農業部門でも転換が生まれてきています。その一つが畜産部門です。
 最近、ふたつの畜産基地が完成しました。一つは黄海北道ポンサン郡に建設されたヤギ総合畜産基地です。1万2千町歩という広大な規模を持ち、ヤギの優良品種を大々的に生産し、全国の牧場に送ろうというものですが、食肉、乳製品加工も同時に行い、地域の食料事情改善に資するものと期待されています。もう一つは、黄海南道のケナム牧場で、5千町歩の規模を持ち、豚やヤギの優良品種の生産、加工を目的にしています。バイオ技術を導入した世界的水準のものです。
 元々、朝鮮北部は平野が少なく、気候も寒冷で、土質も農業には不利ですが、広大な山間地帯を活用できる畜産は、いくらでも発展の可能性があります。バターやチーズなど乳製品を取り入れた食習慣の転換も意識的に進められています。
 この5年間で平野部22万6千町歩の耕地整理を終え、北部地帯でのジャガイモ転作、全国各地で進む養魚、鶏工場建設や麦・コメの二毛作の推進など、朝鮮の農業は近い将来、確実にテイク・オフできるでしょう。


 
  

読者から

  


 「アジア新時代と日本」創刊について多くの方々から激励と購読申し込みが来ています。その一部を以下に紹介します。

◆日本はうっとうしい梅雨に入ってきました。東京も連日雨です。さて「準備号」の送付ありがとうございました。面白く読ませていただきました。
・・・日本の権力者たちはアメリカにへつらう(彼らの言葉では「日米同盟の重要性」)ことばかりが念頭にあるのですから歴史的事実に基づく日本の伝統文化への回顧には毛頭気がつかないようです。明治政府が近代化の名のもとに押しつけ、推し進めてきたイデオロギーの洗い直しから始めるのが伝統文化尊重の第一歩と思うのですが。
(K.T)
◆「お元気ですか」を「アジア新時代と日本」に発展させられたのですね。引き続き購読したいと思います。
 昨年9月17日以降の日本における共和国敵視キャンペーンは、あまりにもひどく、私が日朝連帯運動の事務局を引き受けて以来、こんなひどいのは初めてです。
 まあ、いつか良い日が来ると願って今はジッと我慢して大人しくしていようと思っています。  国交が樹立されたら必ず再び訪朝しようと共和国からの帰りの船で決意して13年が経過しましたが、あの時よりもずっと関係が悪化しているような気がしてなりません。
(K.T)
◆「お元気ですか」の発展的解消、「アジア新時代と日本」の創刊を心から祝福します。まさに新時代を象徴する光が前途に見えてきました。ともに頑張りましょう。定期購読します。
(I.T)
◆通信ありがとう。うっとうしい季節になり、それ以上にうっとうしい状況になりました。私信にあるように、「このままでは戦争に行くしかない」というのは僕も実感しています。とにかく日本のメディアはひどい、ひどすぎる。・・・まだ投書欄などには、老人たちの鋭い警告の声が取り上げられていますが、やがてそれも言論統制されていくでしょう。
 「タカをくくっている」というか、日本人の内なる旧宗主国意識の驕りと差別意識が物事の本質を見えなくしているのでしょう。実態は、アメリカ依存=アメリカ中毒症なのですが。
・・・「アジア新時代と日本」よろしくお願いします。それではまたお元気で! (Y.K)


 
  

編集後記

魚本公博


 中国では今「日本の轍を踏むな」という内容の出版物が出回っているそうです。戦後日本の繁栄は、冷戦という特殊な条件の下で、技術、資本は米国からという好条件にめぐまれたからであるがその「成功神話」から抜け出せないのが、今日の日本の苦境の原因だというものです。
 根本的な問題は、「米国あっての日本」「米国についていけば大丈夫」という対米従属根性ではないでしょうか。
 アジア新時代にあって、日本でも地域共同体の再生運動など民族史的転換とも言うべき動きが芽吹いています。そのためにも真摯な戦後総括、近代の総括が問われているように思います。


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